日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【10年11月29日】
土曜日。岐阜吟行会。とはいえ、今回は、久しぶりに歌仙を巻く。
10時過ぎに岐阜駅集合。そのまま、本日の会場へ移動する。メンバーは、総勢5人。11時前から巻き始め、なんと5時過ぎには、満尾。めでたく巻き収める。
お昼の美味しいちらし寿司とか、軽くアルコールを入れながらの付け合いとか、とても楽しい1日であった。「歌仙」は、『鼎座』第13号に掲載する予定で、捌き役のSさんに、全体の調整をお任せする。
夕方からは、近所のレストランに移動して、会食。Sさんの新句集出版の祝賀を兼ねた食事会。小さな花束なども準備して、皆でお祝いする。
料理が美味しくて、ついワインが進んだりもする。
本当に楽しい一日だった。
4月には、観桜吟行会を岐阜で行う予定。今から楽しみである。
日曜日。午後から「翅の会」。午前中は、そのためのレジュメの準備に使う。
市内での会合。「竹中宏研究」の最後の打ち合わせ、並びに発表内容の最終調整の集まり。来年の1月末には、「醍醐会」で各自がレポート発表を行うことになっている。
私は、「写生」という観点で、レポートをするつもりである。
夕方まで、報告と検討、意見交流など行う。
これから、さらに2ヶ月の間に、発表内容をより精密なものに煮詰めていかなければならない。
夕方、帰宅。甥が夕食を準備してくれる。食後は、一休みの後、持ち帰り仕事を一つこなす。
月曜日。甥は、今日から数日東京の姪のところへ行く。コンサートを二つ聴いてくるらしい。
こちらは、夕方まで仕事。その後、帰宅。
来週から試験週間に入るので、その準備を進めなければならない。
食後は、一服の後、その持ち帰り仕事を始めるつもり。
【10年11月25日】
火曜日。勤労感謝の日。一葉忌であり、昔なら新嘗祭の日でもある。年に一度の「鴨川吟行会」。疲れていたけれど、これに欠席する訳にはいかない。辻田克巳・大石悦子・岩城久治の三先生が共同主宰する句会など普段はあり得ない。さらに、参加メンバーが広い年代層に渡っているので、普段は接することの出来ない多彩な作品に直接触れることが出来、その刺激や影響は強烈なものなのだ。
10時、出町柳駅集合。紅葉の季節で、八瀬・鞍馬方面の観光客で駅構内はごったがえしている。そんな中、集まった一同は、高野川から下鴨神社へ。河合社など見学して、そこから「タネ源」さんの前を通って鴨川右岸を丸太町方面へ。京大病院の向かい側の教育文化会館が本日の句会場となる。
句会は1時から。参加者は、総勢13名となる。一人5句投句。10句選で、特選1句。講師の先生方だけは、20句選、特選は3句ということになる。
投句作品を紹介出来ないのが残念だけれど、手堅い写生句から個性溢れる自由律風俳句まで、本当に多彩な作品が集まる。
大変楽しい。句会の醍醐味というものを、つくづく味わう。
5時に句会は終了し、その後場所を変えて二次会が催される。カブラ蒸しや季節の蟹鍋なども出て、美味しい料理と楽しいお喋りで、こちらも堪能する。私は、少し早めに失礼して帰宅する。
水・木と、忙しい日を送る。木曜日は、久々に朝寝坊して、7時に出勤することになる。やはり、少し疲れていたのだろう、と思う。
【10年11月22日】
先程、九州から帰宅。葬儀のため。
兄のお嫁さんのお母さんが逝去。危篤の連絡を職場で受けて以降、ばたばたと動き回る。
土曜日。急遽、母と博多へ。福岡県のすべてのホテル関係が満室という(一体何があったのだろうか)事前情報の中、とにかく博多まで行く事にする。「本日、福岡県の宿泊施設は空室無し」と掲示された駅の宿泊案内所で、ともかく電話してもらったホテルが(恐らくキャンセルで。というのは、事前にこちらも電話を入れて満室を確認したホテルだったので)偶然1室のみ空きがあると返事をもらい、結局そこに2泊しながら、葬儀に出席する。
日曜日は、本当に良い天気で、小春日の一日だった。葬儀の地は、海に面し、背後に山がゆるやかに稜線をみせるたおだやかな土地であった。
月曜日は、冷たい雨が降っている。在来線、新幹線と乗り継いで、帰京。気が張っているときはそうでもなかったけれど、家に帰ると、さすがにぐったりと疲れる(この文章も、キーのミスタッチが多いこと)。
ともかく、後は休もうと思う。
【10年11月17日】
今日は、大阪の叔母の葬儀で、1日忌引を取る。郷里から母も来て、大阪まで。
大学時代、京都で学生生活を送っていた私は、時々大阪の親戚の家に泊まりに行き、その時叔母にもずいぶんお世話をかけた。
住居は今では立派な高層ビルに建て代わっているけれど、その当時はまだ平屋形式の住宅で、周辺にも大きな建物はなくて、のどかな地域であったことを思い出す。
帰りは、京都の姪が運転する車に便乗させてもらって帰る。東京の叔母も一緒になり、今日は自宅に泊まってもらうことになる。
夕景の高速道路から、初冬の景色が妙に明るく見渡せる。比叡山の向こうの山並みが雪で白くなっているのにも、今日気がついた。
今日一日が大変良い天気であった、と思う。
帰宅すると、寝ていたらしい甥が急なお客様ということで、びっくりしていた。甥は、昨夜、演奏会があって、その後の打ち上げのため、結局昨日は帰って来なかったのだ。ここ数日、顔を合わせることも無かったので、今日が葬儀で、母達が来ることも本人は知らなかったのだ。
びっくりした後は、また寝に部屋へ帰る。
母と東京の叔母は、ソファーに座って、談笑している。こちらは、そんな様子を見ながら、「日々録」を更新する。
【10年11月13日】
「邑書林」から、次回刊行の『超新撰21』の紹介や、12月23日のシンポジウムについての案内状が届いた。『超新撰21』は、すでにネットを通じて、邑書林に購入を申し込む。12月23日については、参加するつもり。年末の靖国神社などもついでに見物して来ようか、などとも思う。「天皇誕生日」だから、またまた右よりの人達の大集合なども見物できる事だろう。
紹介状の中に、近刊書籍として、角川俳句賞受賞作家の山口遊夢の『新撰21』の(自分の除く)20名の作家についての作家論が刊行されるらしい。ネット上に掲載した評論なのだけれど、早速一書として公刊される。なんとも素早い邑書林の対応であると思う。
金曜日。疲れ気味で、終える。一度帰宅してから、「第九」のレッスンに出かける。本番まであと1ヶ月あまり。熱の入った練習が続く。
ただ、関西圏の合同練習の欠席について、一筆書かされたのは、少々愉快ではなかった。その日は、1年前から予定が入っていて、そもそも参加は不可能だったのだが、具体的に欠席の理由を書けという。それでどうするつもりなのか、疑問であった。
9時前に練習は終了。真っ直ぐ帰宅する。
四条界隈は、ぐんと気温が下がっていて、寒かった。
土曜日。5時過ぎから、いつもの「歩き」。今日は、北方面を歩く。住宅地なのだけれど、起きている家は、まだほとんど無い。曇天なので、夜明けも遅くなるだろうと思う。1時間ほど歩いて、帰宅。朝食、洗濯、掃除。その後、一休み。
テレビのニュースでは、尖閣諸島ビデオ流出事件についての報道。流出元の海上保安庁の職員を「憂国の士」扱いするような論調の人も中にはいるようだ。「憂国の士」なんて、大仰で大上段に構えた言葉だけれど、所詮公務員の守秘義務違反を犯した軽薄な人物ではないか、と思う。色々と利用されやすい人になる事だろう。もっとも、ビデオ自体はネット上で興味深く拝見させてもらったけれども。
角川の『正岡子規の世界』読み継ぐ。子規自身はとても興味深い人なのだが、掲載された評論は、あまり新展開を含んだ物は見受けられないような気がする。特に、俳人の書いたものはその印象が強い。どこかで読んだ、何かに書いてあったというものの焼き直しが多いのではないか、と思う。子規の人間的魅力は時代を超えて胸を打つものがあるが、研究の対象としてはすでに語り尽くされたという感触があるのだろうか。
【10年11月10日】
朝、上着の上に薄手の防寒着を着て出勤。少し寒いか、というくらいなのが、歩くのにはちょうど良い。
電車を降り、職場に向かう頃、ようやく日が昇って来る。住宅街を歩いているうちは、住宅によって遮られるけれど、そこを抜け、ひつじ田(刈られた稲の株から再び稲の葉が伸び始めた状態の田んぼのこと)となった開けた場所に出ると、思いの外暖かい日差しが射して来る。とは言え、すっかり干上がった水路が、寒々しい。
7時過ぎに職場着。出勤の印を職員室に押しに行き、その帰りに、校内の自動販売機で500ミリリットルの水のペットボトルを買う。一日で、これ1本を飲む。郷里の山間部の水源地で詰められた水である。それ以外に、夕方までにかなりの量のコーヒーも飲むけれど。そして、朝の仕事を始める。
夕方。本当に昼が短くなっている。5時を過ぎると、すぐに外は暗くなる。廊下を歩いていると、冷え冷えとした感じになる。遅くまで残業は出来ないので、1時間半程度その後仕事をして、退勤。時間に余裕があれば、駅まで歩くこともあるが、最近は放課後の模擬面接で少々疲れているので、バスを使う。
今週一杯は、放課後は就職関係(公務員からの変更組)の模擬面接の繰り返し。週末に試験が控えている。来週からは、公務員二次試験組の模擬面接の指導。何となく、面接ばかりしているようだ。
通勤の往復では、角川の『正岡子規の世界』を読む。子規は本当に興味深い人物である。夜は、岸本尚毅の『高濱虚子 俳句の力』を読んでいる。どちらも面白い。特に、岸本の力を抜いて自然体で虚子に真向かっているような論評が面白い。
本当は、そろそろ竹中宏研究のまとめにかからなければならないのだが、少々滞った状態となっている。「写生」という観点から、まとめてみようとまでは思っているのだけれど。
甥は、今日は遅い。間もなくコンサートである。その後、月末には、音楽を聴きに東京まで行くらしい。どうやって行くつもりだろうか。
立冬を過ぎ、今年もすこしずつ先が見え始めたようだ。
なんとも取り留めない『日々録』の書き込みではある、と思う。
【10年11月7日】
よしもとばなな『彼女について』。これって映画「シックスセンス」ではないか、と思ったけれど、でもそれはそれとして、悪くはなかった。
金曜日、夜。「第九」のレッスン。後半の練習に、なんとか間に合う。パート練習はなく、合奏練習が中心であった。かなり、指導者の先生のイメージ通りの歌になってきているらしく、今日は余裕のある練習となった。最後の方は、特に上手くいかない部分はないかと尋ねられ、その復習で終わった。良い感じで、仕上がりつつあるようだ。
チケットの方は、まだ残り枚数が500くらいあるらしい。あと1ヶ月で、どの程度まで詰めることができるのだろうか。
土曜日。丹後の「すき句会」。岩城先生は、前日から自宅前の草刈りのために丹後の方へ行かれたとのこと。
丹後は、蟹の解禁となり、本日の「はしだて1号」は8割方の乗車率であったようだ。普段に比べると、ずいぶん多い。
車中では、句作。さらに、乗車前に立ち寄った書店で、「ガラスの仮面」の最新刊(第46巻)を見つけて購入。句作が一段落付いたところで、読む。古いタイプのメロドラマの王道を行く展開であった。そろそろクライマックスに向けてお話が収束しつつあるようだ。
12時前には、丹後大宮着。いつもの食堂で、今日は鍋焼きうどんを食べる。思った以上に大汗をかく。上着を脱いで、そのまま外に出て、やっと汗がひく。外気温は、20度過ぎくらいだろうか。
岩城先生宅に着。すると、ちょっとこちらへ来なさい、と草を刈ってかなりきれいになった庭の奥の方へ案内される。そこにあったのは、どんぐりの実が原型のまま混じった大きな糞であった。「熊」の糞ではあるまいか、とのことだった(後ほど、熊は熊でも「穴熊」のものとわかったけれど)。さらに、奥へ進むと、草のなぎ倒されたところがあり、土を掘り返したようなところもあって、どうやら猪のふきあとらしいとのことだった。さらに、白くて小鳥の卵のような茸まで。会員の中に茸の専門家がいて、やがて「スッポン茸」と分かる。まあ、本当にいろいろなものが元草むらに潜んでいたものだと感心する。
句会は、1時から。宿題は、「文化の日」。席題は、先程の「すっぽん茸」「秋惜しむ」「冬隣」など、複数。
毎回10句選だけれど、今回は良い作が20句くらいあって、絞るのに苦労する。自作は、岩城先生選に2句はいったけれど、全体としてはちょっと淡泊であったかもしれない。
5時前に句会終了。いつものようにビールをいただく。汽車の時間にあまり余裕がないので、10分ほど雑談をして辞去。車で駅まで送っていただく。途中、コンビニに寄っていただき、車中での飲み物など買って駅に着くと、目の前に乗るはずの電車が入ってくる。思った以上に時間が経過していたのだ。送っていただいたお礼も早々に、車を降り、大急ぎで駅舎を抜け、プラットフォームに。今にも出発しそうな電車に肝を冷やしながら、全速力で反対側のホームまで走り、なんとか乗車(おそらく、ちょっとだけ待っていてくれたような気がする)冷や冷やものであった。
席に着き、一息ついてから、発泡酒を飲みながら、読書。これも駅舎内の書店で買ってきた、岸本尚毅著『高濱虚子 俳句の力』。途中、ちょっとうとうとしながらも、京都に着くまで読み続ける。
日曜日。5時前起床。5時から1時間ほど「歩き」。曇天で、夜明けが遅い。
帰宅後は、丹後のお土産でいただいた「バラ寿司」を食べる。美味である。
【10年11月3日】
文化の日。快晴である。
5時半から「歩き」に出る。上だけ防寒着を身につける。それでも、暑くはない。1時間半ほど、歩く。鴨川河畔などをコースに取る。
川の水がずいぶん透明に見える。水量が少なく、河床がはっきり見えるせいであろうか。どこからか、鵜の大群が飛来してきて、ばしゃばしゃと着水する。川の荒廃ということが気になる。
大阪へ行く。中之島の国立国際美術館で開催中の『マン・レイ展』を見に行くため。京阪電車車中では、よしもとばなな『彼女について』を読む。この人の描く世界って、本当に変わらないなと思う。
美術館近くの小さな食堂で昼食を食べる。本当に小さな食堂なのに、座席がU字状に配置されたものが2列。さらに隅っこの僅かな空きの所にテーブル席が一つ。店内は満席状態で、30名くらいの人が食事をとっている。調理担当は3名。ウエイトレスが1人。息つく暇無く動き回っている。カレーとコーヒーを注文するが、いつまで待ってもコーヒーが入れられる気配がないので(そんな暇はなさそうなので)、キャンセルして店を出る。大阪だなー、と思う。何となく、許せてしまうのだ。
国立国際美術館へ。行ってみると、本日は何と入館料無料の日ということで、通常1500円かかる『マン・レイ展』が無料となる。さすが、大阪である。
『マン・レイ展』は、なかなか興味深いものだった。多彩で華やかな才能に注意が引かれるとともに、これは豪勢な遊びだな、という印象が強かった。写真、絵画、造形、映像と様々な表現手段に発揮された生命力の燃焼度の高さを思う。
常設展示の方も見る。絵画については、結局同じ傾向・発想・技法の焼き直し的な印象が強かったけれど、写真と造形は、大変面白かった。こんな手があったのか、と大いに楽しませてもらった。
帰りの車中でも、ばなな作品を読み続ける。車外は、本当に良い天気で、車窓から生駒連山が間近に見えたりする。
【10年11月2日】
日曜日、午後。雨の中を「京都国際交流会館」へ。「醍醐会」参加のため。今日は、京都造形芸術大学教授で、美学者・詩人の梅原賢一郎氏のお話を聞く。「感覚のレッスン(四つのレッスン)と見えないもの」との演題で、人の感覚に関する四つのありようについてのお話。文学作品や道元の言葉などを引かれての説明は、大変興味深く面白いものであった。最後には、自作詩の朗読や、ライブハウスでのピアノと朗読のコラボなども紹介していただき、とても満たされた時間を経験出来た。
「醍醐会」は、5時には終了。参加者の方達は、四条の「T」へ二次会で移動。私とSさんは、皆と別れて京都駅へ。駅構内のお洒落な喫茶店でしばらく談笑。おじさん二人が、コーヒーとジュースを飲みながら、病気の事や俳句の話をしている図は、かなり奇妙なものであったろうと思う。
7時前、岐阜へ帰るSさんを、新幹線改札口で見送って、その後、ひさびさに夕食を外で食べて、帰宅。
月曜日、朝。金曜日の検査の結果が出るので、病院へ。診療科を二つ掛け持ちでまわる。かなり待ち時間が長くて、予定より1時間半ほど長くかかる。一つの方は、ちょっと状態が悪くなっていたので、今後の生活についてしっかり管理するように注意を受ける。もう一つのほうは、半年ごとの検査で、今回で3年目を終えるものだ。血液検査、CT検査ともに、特に異常は見受けられないということで、一安心する。
病院内の軽食喫茶で、大急ぎで昼食を取り、駅へ。やって来た電車に乗り、下車駅からタクシーで職場まで。一休みして、午後の授業に赴く。夕方まで、慌ただしく過ごす。
夜。甥は、コンサートの練習で今夜も遅い。軽く夕食を取り、一息ついてから、持ち帰り仕事を一つこなす。国表の教材作り。ちょっと面白い教材が出来る。
その後は、疲れて就寝。珍しく、朝まで1度しか目を覚まさず、寝る。
火曜日。寒い。夕方まで、ばたばたと過ごす。午後、生徒向けの講演会があったが、講師にちょっと疑問を感じる。
送っていただいた『静かな場所』。田中裕明氏の句集『先生からの手紙』の時期の補遺作品読了。同時期の文章関係を読み進める。草田男に対する論評など面白い。