日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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今年も、今日で最後の日となった。外は、まだ暗く、風の音が寝床にまで聞こえる。かなり強い風が吹いているようだ。天気予報によると、年末年始は暴風雪ということなのだが、予報はあたりそうである。
昨日は、みぞれの降る中、水産物の公設市場に買い物に行く。毎年恒例の蟹を買いに行ったのだ。とはいえ、人数が多いので、へたをすると1ぱい1万以上もするようなものは買えるはずもなく、全員で高級蟹1ぱい分くらいの予算で買える程度のものだったのだが。車を運転していると、みぞれがみるみる雪に変わり、路面が白くなっていく。
市場は、たいへんな人混みで、その中をいつも買う店に向かう。市場の奥まったところにあるその店にたどり着くまでが大変、という状態であった。しかも行ってみると、例年になく値段が高い。予算を軽く超えてしまうほどの高値だったので、やむなく別の店で買うことになる。蟹の入った箱を抱えて、市場を抜けるまでがまた一苦労であった。降雪の中を帰宅する。
午後、雪が小振りになったので、市内まで知人を訪ねて行く。古い写真館を経営している人。忙しかったらまずいなと思いながら訪ねていくと、幸い手が空いている時間帯だったようだ。しばらく近況など歓談。パソコン関係を一新して、新しいサービスなども始めたという。年明けに、高校時代の友人達と会う機会があるので、彼もどうかなと誘うつもりで来たのだが、さすがに忙しくて無理ということであった。
知人宅を辞去して、小降りの中を、卒業した高校のあった場所まで、近所なのででかけてみる。いまでは、別の施設が建っているので、当時の面影は全くない。ただ、周辺の家屋がまだ当時のまま残っていたりするので、そこで記憶がつながったりはするのだ。ぐるりと近所をあるいてから、車を止めておいた公営駐車場へと引き返す。
先日、帰省する。京都に比べて、荒天状態で、酷く寒い。降雪というほどではないが、時折雪がちらついている。
昨日は、甥が帰郷。今日は、早朝に姪が高速バスで帰って来る。バスは、雪のせいで、1時間近く遅延したそうだ。なにはともあれ、これで、皆がそろったことになる。
本日。朝から、豪雨。本当に十二月か、という勢いで、雨が降っている。山の方では、雪になっているのだろうか。午前中、尾形仂『与謝蕪村』を読む。「春風馬堤曲」の解釈。歌舞伎の構成などを背景に置いての、俳諧、漢詩、漢文訓読体詩の三形式の持つ意味というのが面白い。俳諧が場面の進行、漢詩が少女の心情表現という具合に。
昼前から買い物。運転手役を務める。ひどい雨である。道路の側道部分にずいぶん水が溜まっている。買い物を終えて、昼食。地元で有名な回転寿司屋さんへ行く。途中、内定切りで有名になった寿司屋の前も通る。おいしい店として評判がよかったのに、一気に社会的評価を落としたのではないか、などと思う。今日行った店は値段が安くて、ちゃんとしたネタのおいしい店であった。京都などでは、こんな店は無理だろうなと思う。
豪雨の中、帰宅。
23日。『超新撰21』シンポジウム参加のため、東京へ。雨の関ヶ原を抜け、濃尾平野へ入ると、一気に天気は回復。その後は、快晴の下、白銀の中央・南アルプスの遠望や、富士山の秀麗な姿を楽しみながらの旅。
東京駅から、そのまま有楽町、市ヶ谷へと移動。シンポが始まるのは13時半からなので、少し時間があるので、九段坂を下って、靖国神社を見学に行く。折しも、建国記念日の日であり、なかなか勇猛果敢な集団なども集合している。とは言え、昨年よりは集団の数が少ないように思われる。
神社の奥まった庭園のベンチで、時間調整を兼ねてしばらく日向ぼっこ。常緑樹が少ないので、園内は冬枯れの明るさに満ちている。
時間が迫ったので、会場のアルカディア市ヶ谷へ向かう。5階の会場「穂高・大雪」へ。すでに会場には、たくさんの人が集まっていて、ずいぶん賑やかである。受付で会費を払い、ネームリボンを受け取って、会場内へ。すでに大半の席が埋まっていたので、一番後ろの席に着席。知り合いの人は、ほとんどいないので、ちょっと手持ちぶさた状態で開会時間が来るのを待つ。
近くの席に、樋口さんと川柳関係の人達が座っておられるのに気づき、ちょっと挨拶する。
開会。シンポジウムは、2部構成で、前半は『新撰21』、そして今回の『超新撰21』の出版の意味するものを、新人発掘という観点から時間期に位置づけていく試み。後半は、実作に即しつつ、俳句形式についての考察が、各数名ずつのパネリストによって話される。正直、かなり難しい話のやり取りで、内容についていくのがなかなか大変であった。特に第2部は。しかし、充分な理解が出来ているとは我ながら思えないけれど、面白い。それにしても、世の中には、こんな凄い人達がいるものか、とつくづく感心する。
当日の内容は、ネット上の「週刊俳句」で、いずれ紹介されるようなので、興味のある方は是非そちらの方をご覧下さい。
若干予定時間を超過して、シンポジウムは終了。こちらは、二次会は不参加なので、夕闇の迫った市ヶ谷を、逆コースを辿って東京駅へ。芋羊羹やあんこ玉などをお土産に、やって来た新幹線に乗る。9時過ぎには、帰京。少々疲れる。しかし、たくさんの刺激を受けて、なんとも気分が良い。
24日。夕方まで、仕事。ここしばらく、他の仕事と平行して継続していた講演会のアンケートの感想の入力とデータ整理をほぼ終了。かなり手間暇のかかった作業だったので、ほっと一息。あまり良いことのない一日ではあったが、それが唯一の慰めか。
通勤の往復の車中では、角川『俳句』1月号の特集記事を読む。昨日のシンポと、本号の記事の内容の落差の大きさをつくづくと感じる。
明日は、東京行き。合同句集『超新撰21』出版にともなうシンポジウムに参加するつもり。実情は、参加というより興味本位のシンポ見学と言った方が正確かもしれないけれど。ただ、最先端の俳句事情が目撃できるのではないか、という期待感はある。
本当は、その後の祝宴まで参加すると、より生々しい状況に出会えるかも知れないけれど、残念ながら翌日は仕事なので、夕方までいて、即帰京ということになる。
『超新撰21』は、現在、読み進めている段階で、最終的には明日の新幹線の中で読了することになるだろう。ほぼ、三分の二の作家の作品100句ずつを読んできたが、今回の所載俳人が、年齢的に『新撰21』の作家たちに比べて高く、その分俳句との関係が長くて、各作家の作品世界がそれぞれかなり確立されているようで、その点読み味わい易くなっているように思う。また、各作家についての小論が、論者なりに対象作家について、いわばそれなりの明確な補助線とでもいうものを引いた上での鑑賞をしているのが、大きな理解の手助けになっているようにも思う。
ともかく、明日が楽しみである。
昨夜は、知り合いと二人で忘年会風の飲み会。彼とは、2年ぶりくらいの再会で、一緒に飲みにいくのもそれくらいの間があいている(というのか、そもそも、こちらはほとんど外に飲みに行くことがないのだけれど)。。今回の「第九」も、聴きに来てくれていて、その感想なども聞かせてもらう。彼の弟さんは、関西二期会のメンバーのひとりで、プロとしての活動をしている人で、兄である彼も音楽に対する造詣の深い人物である。長時間の飲食は出来ないので、時折窓のすぐ外を走る京阪電車の音を聞きながら、1時間ほど歓談する。彼は残ってもうしばらく飲むというので、こちらは失礼する。新年にまた会うことを約束する。
金曜日。「第九」本番の日。午後、年休を取って、会場へ。1時間ほど、集合時間にはかなり遅れるけれど、事前に連絡済みで、ゲネプロには充分間に合う時間に到着。短時間の練習の後、ステージへ。半年ぶりの京都コンサートホールだ。京響のメンバーの方が次々集合され、定時にゲネプロ開始。最初にモーツアルトの「魔笛」が通しで演奏され、その後は「第九」を4楽章から3、2の逆順で演奏される。ゲネの出来はまあまあというところだが、最初の曲が合唱団がやたらに走った点と、一カ所だけ何人かの人が出を間違えて歌う。これは、かなり危ないな、と思う。
休憩に入り、楽屋に移動し、簡単な夕食を取り、着替える。外は、完全に真っ暗である。遠くにキリスト系女子大の十字架は明るく見える。背後の比叡山も東山も黒いシルエットになっている。
6時過ぎ、再度レッスン会場に集合、最後の練習を終え、外のホールに移動して、整列。時間が押しているので、そのままステージへ移動する。
会場は、満席。第1楽章からの入りなので、そのまま4楽章までは着席して、演奏を楽しむ。ここ数年の京響は、構成員の若返りとともに、ぐんぐんとレベルアップをしていると思う。特に弦楽器関係は、素人の耳にも音に厚みと深みが感じられて、見事だなと感心してしまう。そして、指揮者の広上淳一氏の指揮ぶりは、そのパフォーマンスの部分も含め、これもまた見事の一言であった。しかも、それは客席側から見るより、ステージ側から見た方が、一層楽しめるものだ。
それにしても、今回の京響の「第九」はおそらくいままで聞いた中で、ベストスリーに入る魅力的な演奏だったと思う。その演奏に見合うだけの、合唱が果たして実現出来たことだろうか。ゲネで飛び出した所は、怖れていたとおり、数名の飛び出しがあったが、それ以外の部分はほぼ練習通り出来たのではないか、と思う。個人的には、今回の演奏は、気分良く歌い終えることが出来満足できるものだった。
演奏を終え、わざわざ残ってくださった観客の方達の、合唱団だけに送られる拍手の中を退場する。これは、ミューズだけの恒例の行事ではあるまいか。
解団式が、練習会場で行われたが、合唱指揮の先生の講評も「(ミス部分を帳消しにするくらいの)最高の出来であった」というものであった。ミューズ合唱団を日本一の市民合唱団になどという夢も語られて、高揚した気分の中で解散を迎える。
二次会は、いつものメンバーと久しぶりの「あじさい」で。偶然、「第九」にもきて下さった岩城先生ご夫妻と俳人の杉浦さんが来ておられた。11時まで、飲食歓談。その後、帰宅する。
授業と成績処理と「第九」と。本当に慌ただしい1週間が終了する。
『俳句研究』2010冬号の「30句競作」の「第8回入選作品」に「すき句会」の会員水野紀子さん(『参』所属)が入選された。選者は大石悦子氏。また、『参』会員の國弘正義氏の作品が「佳作」入選。國弘氏は、俳句を初めてまだ3年目の方ということ。また、「俳人協会俳句大賞」の入選作品に川勝好女さん(『参』『晨』の作品が小澤實・藤木倶子両氏の選に入選。年末を控え、おめでたい話が続々と入って来る。
土曜日は、丹後「すき句会」。今日は、車で丹後まで行かれる岩城先生ご夫妻の車に便乗させていただく。途中、花屋さんで水野さんのお祝いの花束を買う。ちょっとしたサプライズである。
今日の句会は、年末句会ということで、ちょっとした趣向あり。立派な孟宗竹で作った短冊掛けを賞品にした競作。岩城選を含む最高得点句に進呈。さらに、岩城先生から全員に短冊をいただく。ちなみに、短冊掛けを手にされたのは、水野さんであった。いつもより早めに句会は終了、その後、岩城先生から水野さんの入賞の紹介があり、花束贈呈。華やいだ雰囲気で、今年最後の句会を終える。
句会後は、いつも通りビールをいただき、俳句談義。駅までは、水野さんに送っていただく。車中では、これまた、いつも通りビールを呑みつつ、本を読む。そういえば、過日、邑書林から届いた書籍を『超新撰21』と思い込んでいたが、とんだ思い違い。谷口智行氏からおくっていただいた新刊書『日の乱舞 物語の闇』であった。これは、俳誌『里』に連載されたエッセイ集である。それを車中で読む。熊野の風土とそこに生きる人々をを生々しく感じさせる骨太で繊細な一書である。同じく風土と人を描く茨木和生氏の著作の情感のある文体に対し、知的で硬質な文体である。面白い。
帰宅後、甥の教育実習(大阪の特別支援学校への2日間の実習)の準備でバタバタする。
日曜日。少々疲れ気味で、朝の歩きは中止。朝食に、昨日「道の駅」で買ってきた「丹波黒豆」のおからと油揚をたいてみる。意外と美味しい。
試験の採点はすべて終え、成績提出の準備も8割方終わって、持ち帰り仕事も今日はなし。気分的には余裕である。午後からは、「第九」の練習に出かける予定。
2時過ぎに目を覚ましてから、眠れなくなる。仕方がないので、テレビをつけてしばらく見る。インドかどこかの、バザールの景を映している。
なんとも埃臭い感じで、ついつい見入ってしまう。生活感と生活臭が凄い、という印象。
カルカタに2週間ほど滞在して、うかうか過ごしていたのは、何年前だっただろうか。甥姪がまだ四、五歳の頃だから、もう十五年くらい前になるのだろうか。
また行ってみたい、というにはかなり抵抗感があるけれど、しかしその土地の印象は、強烈に残っている。
そう言えば、俳句らしいものをまとまって50句ほど一挙に作って、無謀にも某俳句賞に応募したのは、カルカタから帰って間もない頃だった。無季自由律風のめちゃくちゃなものだったけれど。
本日は、試験第一日目。ちょっとしたハプニングなどもあったりして、色々変化に富んだ一日であった。
夕方、帰宅。早めに帰っていた甥が、ホルモン鍋を作ってくれる。なかなか美味しい。
邑書林から、『超新撰21』が届く。まだ、開封していないけれど、読むのは明日以降になりそうだ。
2時に目が覚めて後、結局朝まで一睡も出来ず、そのまま出勤、仕事に入ったので、帰宅後もう眠い。
土、日両日をかけて、試験準備はほぼ完了(ところが、月曜日になって、悲劇が明らかとなるが……)。
日曜日、午後。予約しておいた「顔見世」のチケットを受け取りに、四条の南座まで。例の海老蔵の「まねき」は、確かに外されていた。「悪(ワル)の華」があって、海老蔵は結構好きだったので、観ることが出来ないのは残念であった。
その後、換装用のノートパソコンのHDDを買いに、京都駅前の「ヨドバシカメラ」まで、歩く。しっかり防寒をしていたのだが、結局上着を1枚脱ぐくらいの暖かさであった。
帰宅後、HDDを入れ替えて、XPをインストールし、さらにwindows7へとバージョンアップする。無線LANの自動認識してくれるので、さっそく寝室でネットに繋いでみたりもする。
夜、遅くに甥が帰京。演奏会は、超満員だったそうで、そこでソロ演奏が出来て、満更でもないという様子であった。
『俳句研究・秋号、冬号』、さらに角川の『俳句年鑑』が相次いで届き、なかなか読みきれない。
車中の読書は、ファンになってしまった万城目学の『ホルモー6景』を読んでいる。さすが、名うてのストーリーテラーで、面白い。文学パロディみたいな味付けも、なかなかのものだと思う。
さすがは「師走」。仕事に追われる毎日が続く。昨日は、何種類かの統計調査に関わる処理をこなす。ちょっと色々集中し過ぎる気もするのだが。
うれしいことも、一つ。就職内定者が、また一人出た。二次試験以降、就職の動きは、さらに鈍くなっていたのだが、その停滞状況を突破してくれた。これで、未定者は残り二人となった。状況は厳しいけれど、なんとか先に進むしかないと思う。
昨日、東京から帰ってきた甥は、取って返すように帰郷。地元の演奏会に参加するとのことだ。
帰京の際、東京の姪から故障したノートパソコンを貰ってきてもらう。ハードディスクが壊れてしまったらしい。何とか、その部分のだけ換装出来れば、まだ充分使えるもの。仕事が一段落したら、「換装」にチャレンジしてみようと思う。少し古い型らしく、簡単にディスクが取り外せない構造のようだ。
金曜日、「第九」の練習に参加。本番が再来週に迫っている。
合同練習以来、少し本来の自分たちを見失っている人がいる、との話。合同練習の千人近くの規模の合唱ではないのに、そのボリュームに近づこうとして、無理矢理声を出そうとするらしい。力を入れれば、逆に声は汚れ、しかも思ったほど響かないし、音量としても出ないという、ちょっと矛盾したような状態が、歌うことにはある。少なくとも、喉に力を入れないこと、その部分が少し雑になっているらしい。難しいことだ。
帰宅。ともかく、眠い。
土曜日。5時起床。防寒をしっかりして、歩きに出る。まだ外は真っ暗である。雲も厚い。1時間ほど歩き、朝食を買って帰宅。コーヒーだけ入れて、食べる。洗濯1回。天気は良くなりそうだけれど、とりあえず室内干しする。
一休みしたら、持ち帰り仕事を始める。まずは、テストを作らなければ。
秦夕美氏から句集『深井』をおくっていただく。美しい装丁の句集である。自選十句の中から、数句紹介させていただく。「生きてまたつかふことばや初暦」めでたくも、切実な一句だと思う。「遠つ世の春もかくあり深井あり」句集名になった一句。「深井」はそれ自体、含みの多い言葉で(個人的にも好きな言葉の一つですが)、作品全体の味わいを一層豊かにすると思われる。イメージ豊かな一句だと思う。「あとさきに露の玉ある逢瀬かな」「露の玉」は古典世界では、はかないものの象徴であり、特に命の儚さのたとえとして用いられる言葉。「逢瀬」を取り囲む世界、そこに「生と死」の交叉を見て、一層「逢瀬」の静かな喜び、あるいは全く逆の解釈になるけれど「狂熱」のようなものを思う。