日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【11年1月30日】
土曜日、午後。持ち帰り仕事をさっさと済ませ、「歩き」に出る。天気は崩れなかったけれど、風があってひどく寒い。
『鼎座』第13号の出来たてを岩城先生と清水さんに宅配便で送るため、一駅分歩いてコンビニに。以前は、マンションの横に1軒あったコンビニがつぶれて以来、新たなテナントも見つからないままになっていて、不便で仕方ない。
そのまま「歩き」に移行。今日は、鴨川河畔を歩くつもりで行く。
途中、高い塀に囲まれ、監視カメラとガードマンが常に監視を怠らないお屋敷があって、一体どんな人が中に籠もっているのだろうかと、いつも気になる。大屋根がすっぽりと覆っている一画に、一部二階のベランダ風なところが眺められるが、そこに覗く大きなサッシ窓には厚いカーテンが閉まっている。ヤ○ザ関係なら、ガードマンというのは妙だし、それなりの社会的地位の人の住まうお屋敷なのであろうか。まあ、どうでも良いことなのだが。
鴨川の土手を上流に向かって歩く。比叡山の奥に、雪の比良山系の山々がゆったりと横たわっている。積雪は、1メートル50センチくらいあるそうで、雪を頂いた山々は一際荘厳な印象を与える。
昔、雪の堂満岳に登ったり、その堂満へ直上する雪の谷を登ったりしたのを思い出す。しんどいけれど、なかなか楽しい登山だった。
2時間ほどの「歩き」。途中の大型小売店で、夕食用にうどん(一応回復した甥だけれど、まだ食欲がないとのことなので)など買って帰る。
すでに、甥は帰宅。ピアノの試験を受けてきたという。
島田刀根夫句集『青春』を読む。何気ない日常の生活詠のようでありながら、これが上手い。『青』、そして『ゆう』に所属。なるほど、と思う。邑書林の島田牙城氏の父君であると知る。
夜、うどんを食べる。風呂に入ったあとで食べたせいか、大汗をかく。
就寝前、『現代俳句体系』に収められた加藤楸邨の『火の記憶』を読む。やたら前書きが多く、しかも活字が小さいので、全部とばして作のみ読む。戦時中の句。これが、後に楸邨の戦争協力俳句として批判の対象になるのであろうか。
夜中、日本のサッカーを見る。延長戦になりそうなので、寝る。目が覚めたら、日本が勝っていた。
本日は、『醍醐会』の日である。さて、どうなることか……。


【11年1月29日】
もう昼近くなっている。外は、寒いけれども、日が射していて、室内から見るかぎりは長閑な景である。もっとも、午後からは、低気圧の通過に伴う寒気の流入で、天気が悪くなっていくのかもしれないけれど。
甥は、どうにか体調回復して、大学へ。正装してピアノの試験を受けに行く(服装まで、評価に含まれるらしい)。
こちらは、朝食後、7時過ぎから明日の『醍醐会』の為のレジュメ作り。新たに内容を追加するのは、もう物理的に無理そうなので、いままでまとめてきたものを取捨して、発表順に整理する。発表時間が20分なので、出来るだけ簡潔にということで、A4版本論1枚、補足1枚の2枚にまとめる。ただ、これは悪い癖で、いざまとめてみると自分の中では完結した気分になってしまって、それを改めて発表するのが気重くなってしまう。本当は、レジュメを読んでもらって、質疑応答形式にしてもらえると、こちらも新たな刺激が与えられてうれしいのだが……。
途中、気分転換にちょっと掃除したり、洗濯したりもする。洗濯物は、外に干してみる。空気は冷たいので、あまり乾きそうもないけれども。
お昼を食べたら、持ち帰り仕事。その後、今日はまるで歩いていないので、「歩き」に出る。ちょっと右足の関節部分が痛いのは、やや歩きすぎのせいなのかもしれないので、少し控えめな「歩き」。歩きながら、レジュメの内容を頭の中で反芻するつもり。私は、どちらかといえば、歩きながら考えるのが性に合っているようなのだ。分裂気質なのかもしれない。


【11年1月28日】
昨日、甥がダウン。インフルエンザか、と思ったが、そうではなかったようで一安心。一日休み、今日も引き続き休んでいて、夕方にはかなり回復したようである。まだ、食欲はないようで、ウイダーインゼリーで食を繋いでいる状態である。明日は、ピアノの試験だが、そちらの方は何とかなりそうである。
こちらは、昨日、今日と忙しい日が続く。
今日は、テストが2クラス分返ってくる。夕方までかかって、ほぼ採点終了。早めに帰宅する必要があるので、残りは持ち帰り仕事となる。
『鼎座』第13号の印刷が、もう仕上がったのである。早い。印刷所の方で、ずいぶん頑張ってくれたのではないか、と思う。夕方、マンションの方に届けてくれるとのことで、早々に帰宅、印刷所の人を待つ。『醍醐会』に間に合ったので、今回は会員さんたちには直接手渡しさせていただこうかと思う。
『蕪村句集講義』2を読了する。面白い。読みながら、つい評議の仲間に自分が加わったような気分で、その解釈はどうかな、とか、私ならこう読むけれどなどと楽しんでいる。虚子の句解釈はさすがにしっかりしたものだなと感心し、鳴雪のは個性的で最年長者としての実感と体験に裏付けられた解釈は雅致に富んで面白いと思う。碧梧桐は、かなり思い込みの強いところが有りそうな気がする。子規は、途中から文章による参加にかわり、すでに体調がかなり悪かったのだろうか、などと思う。会場は、各自の回り持ちだったけれど、途中から子規庵での会は持たれなくなったようだ。春之部を早く手に入れなければと思う。


【11年1月26日】
昨夕、印刷所から、FAXで『鼎座』の校正刷りが届く。確認をして、印刷を依頼する。出来は、1月末か、2月上旬になるとのこと。
今回は、初めての寄稿作品を掲載する。その分、増ページとなる。
3年生の授業も終わり、試験が始まる。3年生は、今月末までの試験を終えると、自由登校期間に入るので、週1回の登校となる。学校が、ちょっと静かになる時期に入る。1、2年は普通に登校するのではあるが。
このマンションで暮らし始めて、十数年になるのだが、昨夜初めての経験をする。いつも通り帰宅して、ドアの鍵を開けようとすると、差し込んだ鍵が全くまわらない。ぴくりともしないので、無理に回すと鍵が壊れると思い、部屋に明かりが点いていおり、甥が中にいるのが分かったので、内から開けてもらおうと、チャイムを鳴らし、さらにドアを強くノックするが、一向に甥が出てくる気配がない。再度、鍵を差し込みまわそうとするが、全く動かない。何か異様な感じがしたので、さらにチャイムを押し、ドアをノックしてしばらく待っていると、ようやく中で人が動く気配がして、やがてドアが開き、甥が中から顔を出した。
それにしても、マンションの密閉性というのはたいしたものだ。中に入って、なぜドアの鍵がまわらなくなったのかを考えてみたが、すぐにぴんとくるものがあった。原因は、換気扇だった。私が帰宅したとき、ちょうど甥は夕食の準備を終えて、風呂に入っていたところだった。そこで、台所の換気扇と、風呂場の換気扇と、さらにトイレの換気扇が止め忘れで回っていて、その結果、室内の空気がかなり強烈に外に排気され、かわりに外気が強くドアを内側に押す形になって、鍵の留め金の位置が本来のところから内側にずれ、鍵が全く回らなくなってしまったのだ。換気扇をすべて止め、外に出て再度鍵を回してみると、軽々と回る。換気窓を開けないで、三台の換気扇をまわしていた事が、マンションの密閉性と相まって、とんだ騒動となってしまったわけだ。
換気扇は、ちゃんと切ってから風呂に入れ、と甥に厳命する。
京都ミューズから、年末の「第九」の演奏テープを送ってくる。寝る前に、聞く。手痛いミスが一カ所あったけれど、全体としてはとても良い出来だったと、改めて思う。指揮者から「質の高い演奏であった」とのお誉めの言葉を、合唱団の打ち上げの席でいただいた、という事だが、その言葉取りに受け止めさせていただこうと思う。歌ってよかった、という実感の持てた演奏であった。
夜明け方、目を覚まして、もう一度テープを聴く。そのまま眠れなくなって、4時過ぎには起床することとなる。
ゆっくりと朝食を作る。奮発して、苺などもデザートに添えることにする。


【11年1月23日】
日曜日。4時に目が覚め、その後は1時間ごとに目覚めては寝る、の繰り返し。7時に起床。
コーヒーを湧かし、朝食を作り、洗濯機のスイッチを入れる。外は、それほど寒くはない。高曇りの空。少々、怠い。
土曜日、5時起床。久しぶりに、丘陵コースの歩きに出かける。外は真っ暗で、夜道を歩いているのと変わりない状態。住宅地を脱け、丘の登りにかかると、道は竹林の中の地道となる。からからに乾いた状態なので、足元の水溜まりを気遣う必要がないのは安心だが、竹林の闇は少々不気味である。とは言え、上を見ると空は白みあり、夜明けが近づきつつあるのを感じる。
丘陵の頂上部分はまた住宅地になっていて、ぽつりぽつりと明かりの灯る宅地内をひたすら歩く。ところどころにある空き地は、霜で真っ白である。
公園から、さらに広大な運動公園へと抜け、いわゆる山の手のお屋敷群を道路の両側に見ながらだらだらと下って行く。
2時間弱の丘陵歩きを終え、帰宅。結構な歩数となっていた。
午前中は、『醍醐会』のレポートの準備。進まず。
午後、気分転換に歩きに出る。地下鉄で鞍馬口まで行き、そこのブック・オフで美術展のカタログを3冊購入。重いのを背負って、鴨川河畔に出、レポートの内容を考えながら冬枯れの鴨川沿いを三条まで歩く。やたらゆりかもめの姿を見る。今年は、鴨川へ来ている数が多いのだろうか。先日の思いつきが頓挫しそうなので、なんとか二つの事柄がつながらないものかと考えながら歩く。繋がると面白くなるのだが、どうも上手くいかない。
三条のブック・オフで『木戸朱理詩集』と楠本憲吉の句集『隠花植物』を買う。『隠花植物』は帰りの電車の中で読了。楠本憲吉は初めて読んだけれど、ずいぶん面白い。
帰宅。夕食は、すき焼き。甥は一日大学で練習。


【11年1月21日】
『鼎座』第13号、印刷所渡し終了。2月上旬には、印刷が終了する予定である。
引き続き、春号を考えて行きたいと思う。岐阜吟行、観桜句会も企画の中に含めたいと思う。
朝夕の寒さは、本当に厳しい。6時過ぎには出勤するのだが、暗い上に寒くて、なかなか辛い。とは言え、今日は、西の空にまだ沈まないままの月が、薄水色に浮かんでいるのは、きれいなものだった。
寒いとは言え、日ごとに微妙に感じは違うので、今朝は昨日よりはましであった。昨日は、本当に寒くて、職場に着くまで、とにかくひたすら早足で歩くことばかりを考えていた。気温は氷点下2度くらいあったようだ。道路も、田んぼもからからに乾いたような状態で、それが一層の寒さを感じさせた。
毎日、忙しいながらもある意味淡々と日が過ぎていく、という感触である。
『蕪村句集講義』、初版は1900年に俳句堂という所から出版され、それ以後再版等されていなかったようだ(正確には分からないけれど)。昨年末から、月を追って春之巻、夏之巻と出ているので、この調子で秋・冬と出版されるのだろうか。1冊が結構高価な本なので、四季全部を揃えると1万を超すことになるのではないかと思うが、手元に置いておきたい本なので、その出費は我慢しなければと思う。
『醍醐会』が迫って来たので、明日からは報告のためのレジュメ作りにかからなければならない。
最近、昔みたいに走ってみたいなと思う時がある。体力は、完全にガタ落ちで、腰痛、関節痛まで起こったりしてはいるのだが、走れたら気持ちがよいのではないか、と思っている。ただ、横断歩道を急いで渡るだけで、腹が痛むときがあるので、無理かなとも思う。手術のせいなのだろうか、つっぱるような感覚が鬱陶しい。
寝る前に『阿部完市俳句集成』の作品を20句くらいずつ読んでいる。面白い、というわけでもないのだが、何となく読み続けている。不思議な世界である。


【11年1月19日】
土曜日。丹後行きの前に、駅の書店で買ったのが、東洋文庫の『蕪村句集講義』。往復の車中では、最近はもっぱらこれを読んでいる。子規や虚子、碧梧桐、鳴雪など日本派の俳人達が定期的に集まっては行っていた蕪村句集の輪読会の筆記録。彼らが蕪村句をどのように鑑賞していったのかが各鑑賞者の個性とともに生き生きと伝わってきて、大変面白い。尾形仂の『与謝蕪村』にも引用されていたのは、この書物なのだろうか、とも思う。ただ、今読んでいるのは『講義2』で、『1』の方は売り切れていた。現在が「夏之部」の鑑賞なので、『1』は「春之部」が掲載されていたのだろうか。面白い本があると、通勤も楽しくなる。
郷里の方は、先週末再びかなりの雪が降ったそうで、それがいまも道路に残ったまま消えないらしい。郷里の霊峰と呼ばれる山も例年の2、3倍もの降雪量らしく、猛暑から豪雪へと、極端な天候の変化に驚く。
仕事が詰まり気味なので、今日もこの後は持ち帰り仕事を一つこなさなければならない。今月末の『醍醐会』のレポートの最終的な準備作業を進めなければならないのだが、そちらの方までまだ力が及ばない。ただ、今朝通勤途上に、ちょっと面白い考えが浮かび、それを核にしてレポートをまとめてみようか、とは思う。研究者のような緻密な調査作業に基づくものではなく、どっちかというと直感的な部分に頼ってのレポートなので、今回の思いつきも頓珍漢なままで終わることになるかもしれない。ただ、そうなるとレポート報告がとんでもないことになってしまうのだが……。
甥は今日も遅いらしい。昨日は、早く帰っていて、夕食の準備をしてくれていたのだが。授業は1月一杯らしいので、間もなく春季休業に入ることになるのだろう。


【11年1月16日】
土曜日。丹後の「すき句会」。今回は、今秋の国民文化祭俳句部門の開催地与謝町から、担当の方が二人、文化祭の宣伝を兼ねて、句会に参加されるという。
京都市内は、雪の気配もなかったけれど、丹波高原に電車がさしかかる辺りから、沿線は雪景色となる。綾部・福知山と一旦雪景を離れたけれど、大江町からは再びの雪。中丹と丹後を分ける長いトンネルを脱けると、そこはまさに雪国であった。
寒さ厳しい宮津駅で電車を乗り換え、岩城先生と合流して丹後大宮駅へ。前々日のメールで大雪だとの情報を頂いていたけれど、まさに大宮の町は雪国の様相を見せていた。40センチほどあったという積雪は、その後締まって30センチほどになってはいたが、道路の両側は退けた雪が小山となり、屋根はまだまだぶ厚い雪を載せている。
いつもの食堂で、本格的な丹後の魚介類のブイヤベースを食べて体を温め、句会場の岩城先生宅に向かう。
お宅も雪に囲まれた状態で、前日句会の会員さん達の手で玄関までの通り道が開けてある。
初句会、さらに2名の特別参加で会場の部屋は満員となる。
4時半までの句会。投句数も多くて、ちょっと慌ただしい感じの句会になったのも、初句会らしさかもしれないと思う。面白い作品が多くて、予選だけで3〜40句となり、それを10句まで絞り込むのはなかなか大変であった。宿題は、「「成人式」全般。席題は「雪兎」あるいは「雪竿」であった。
句会終了。今日は、岩城先生も日帰りとなるので、一緒に駅まで車で送っていただく。夕方になって、外はぐっと冷え込んで、足元の雪はシャーベット状に変わっている。
帰りの電車では、いつものビール。ただし、岩城先生はまず『鼎座』第13号の原稿を仕上げていただく。
車外の夕方の雪景は、柔らかで不思議な色合いに満ちている。ビールを手に、しばらくは外の景色を眺める。
8時前、京都着。寒いだけは、京都も寒い。真っ直ぐ、帰宅。
甥は、外出中らしく、留守であった。
早めに就寝する。
日曜日。朝。外はうっすらと雪が積もっている。太陽が昇ると、しばらくは日が射していたが、やがて雪が降り出す。粉雪状の雪で、大気が冷え切っているのが分かる。


【11年1月13日】
昨夜、本を送ったお礼に柿を送っていただいた。ちょうど、夕食を食べたあとだったので、デザートとして一ついただく。芯の部分が熟柿状になっていて、甘くて美味しい。甥は、14日の演奏会の練習のためにここ数日帰宅が遅いので、結局一人で全部食べてしまう。
本格的に授業が始まったけれど、まだ調子が出なくて、帰宅するとぐったりしてしまう。こんな時は寝るにかぎると、昨夜はさっさと寝室に。少しだけ本を読み、あとは就寝。甥が何時に帰って来たのかもわからない状態。1時過ぎに一度目を覚まし、テレビをつけて、しばらく教育テレビを見る。化学の授業授業か何かをやっていた。分かりやすくて面白い。
その後、二度寝。久しぶりにゴルフをやっている夢を見る。なかなか調子が良くて、5番アイアンなどが、すかっと当たって気持ちがよい。すでにゴルフをやらなくなって10年くらいたつと思うけれど、ごくたまにラウンドしている夢を見る。だいたいは、惨憺たる状態で、惨めな思いでコースをまわっているのだが、今回の夢は一体どうしたものであろうか。
そう言えば、一昨夜は、火事の夢を見たのを思い出した。普通の田舎町の一角で、巨大な洋風の邸宅(ほとんど城砦という印象)が、業火を上げてぼうぼうと燃えている夢である。真っ赤な炎の色が、白い胸壁との対比で異様なほど美しかったのを、今でも憶えている。あまりに印象が強烈なので、何かしらの意味合いがある夢なのかもしれない、とも思う。
昼間はそうでもないのだが、朝夕はかなり強烈に寒い。ぶ厚いダウンを着て通勤しているのだが、着衣を通して寒気が体にしんしんとしみ込んでくるようだ。
明後日は、丹後の「すき句会」の予定なのだが、丹後地方は荒れ気味になるのではないか、と思う。初句会になるのだが、無事開催できるだろうか。土曜日より、日曜の方がさらに荒天の予報で、センター試験は混乱するのではないか、などとも思う。
今日も、早めに就寝つもり。今週は、こんな調子か……。


【11年1月10日】
朝。眩しい日差しの中に、小雪がちらついている。地面は、うっすらと白くなっていて、夜の間に降った雪が融けずに残っているらしい。
日曜日。早朝の歩きの続きで、午後市内にでかける。歩くことが主目的なのだが、恵比寿神社の十日戎をちょっと見物していこうという考えもあって、京阪七条で下車して鴨川河畔を歩き出す。疎水への流れを止めたので、鴨川自体の水量は増えたように見える。川の中や中洲に点々とゆりかもめの塊が見える。松原橋で鴨川を離れて、恵比寿神社の方へ。神社前の通りには、露店がぎっしりと店を出していて、その間を人の流れがゆるゆると進んで行く。昨年に比べて、人出が少ないような気がしたけれど、神社前はさすがに立錐の余地のないほどの込みようで、とうてい境内になど入れそうもないので、鳥居だけを見て素通りする。さらにしばらく雑踏を楽しんでから、どんぐり橋の方へ抜ける。
再び、鴨川河畔歩きの戻って、三条まで歩き、調子が今ひとつだったので、そこで歩きは中止する。
夕食の買い物をして、帰宅。
岡井省二の句集『鯨と犀』『大日』を続けて読む。表現方法については理解出来たが、内容の方は難解。同一の素材が繰り返し詠われる点に、作者の強い拘りを感じる。同一素材とはいえ、恐らくその扱い方は両句集のあいだでも微妙に違っているのだろうが、その部分がちゃんとは分からない。表現方法的には、さほど多彩というわけではないようなのだが。
紹介が遅くなったけれど、『週刊俳句』のさいばら天気氏から「はがきハイク」第3号(新年号、と言って良いのだろう。年賀葉書に印刷されたもの)を送っていただいた。特に面白かった句は、さいばら天気「福笑ひのつぺらぼうにして畳む」、笠井亞子「一月の風一月の耳の中」。さいばら氏の句、対象の把握の的確にして俳諧味に溢れる点がみごと、笠井氏の句は、本歌取りの句。しかし、ちゃんと独立した一句、作者の句になっている。
夜中に目を覚まし、テレビをつけると「ロケみつ」と言う番組の総集編的なものをやっていた。ブログは良く読んでいたし、たまに夜中に目を覚ましたとき、ちょっと見ることはあったのだけれど、2時間枠という中でまとめて見ると、なかなか面白い。旅番組なのだけれど、いろいろ工夫がこらしてあって、楽しい。特に、ネットとテレビ番組とを直接結びつけているのが斬新。出演者は、「桜」という漫才ペアの一人、エバンゲリオンのコスプレイヤー稲垣早希(と番組スタッフ)。ブログの書き込み数を旅行資金として旅を続けるという内容。つい、3時過ぎまで見てしまう。おかげで、目を覚ましたのは6時過ぎであった。


【11年1月8日】
5時、一度目を覚ますが、二度寝。次に目を覚ましたのは、6時過ぎであった。少々眠い。
朝食は、昨夜の鍋の残りをつかった「おじや」。魚の鍋で、おじやにしても美味しい。
良い天気だ。洗濯をして、日が射しているうちにとベランダに干す。空気は、さすがに冷たい。
やがて、甥が目を覚まし、同じく「おじや」の朝食。いつもより起きるのが早いのは、新年のせいか。一休みして、学校へ。練習に行くという。
居間や和室に掃除機をかける。さらに、ちょっと部屋の整理。
好天も今日一日らしい。北山の方は、雪で白くなっているので、日本海側の雪の影響が京都近辺にまで及んでいるようだ。そういえば、昨夕、ごく短時間だけれど、市内にも雪が降ったりしたものだ。
郷里の古本屋で見つけた荒木良雄著『中世日本の庶民文学』を読む。連歌の解説など、丁寧で分かりやすい。ただ、古い本のせいで、紙質と印刷が悪く、少々読みにくいのが難ではあるけれど。木俣修『近代短歌』も同じ古書肆で見つけ、元旦の読み初めの一冊だったけれど、コンパクトで要領を尽くした良い一冊であった。


【11年1月6日】
昨日、帰京。大雪の郷里から、全く雪のない京都へと、落差はそれなりに大きい。
本日から、「平常営業」。5時過ぎに起床。甥は今日帰京の予定なので、一人分の手抜き朝食。パンとサラダとコーヒーのみの朝ご飯で、さすがに昼前にはお腹がぺこぺこ状態となる。夕方まで仕事。始業式は来週なので、クラブ活動の生徒を除いて、校内に人の姿は少なくて、閑散としている。寒さが、一層つのる感じである。
夕食の買い物。カレーを作る予定なので、野菜やら肉やらを買う。冷蔵庫が空なので、翌日の朝食の準備なども。買い物袋だけでは足りないので、野菜類などはザックに詰め込む。帰宅後、洗濯をしつつ、ちゃちゃっとカレーを作る。ちょうど、甥が楽器を二つ担いで帰宅。早速、夕食を食べる。
食後、一段落。甥は、部屋に、こちらは洗濯物を部屋干し。
年賀状を読み始める。今月末の「醍醐会」の案内状も届いている。俳人協会の新聞で、醍醐会メンバーの弥榮さんの第一句集『鶏』が協会新人賞の候補作の一つに選ばれている事を知る。


【11年1月3日】
時折、雨の降る一日。雪は、当初に比べるとかなりとけてきているが、それでも道路上に残った雪が交通を大きく阻害している。一日、どこにも出られず、家籠もりの状態で、知人と出会うはずの約束も中止になってしまった。
今回の大雪は、交通障害だけでなく、数名の死亡者まで出す、大きな災害となってしまった。それにしても、送電鉄塔が半ばから折れ曲がってしまうとか(これが停電の原因だったそうだが)、隣町の大きな港では、200隻近い船が、雪の重みで沈没してしまうという、ちょっと信じられないような被害まで出てしまったようだ。
こちらは、雨降りの中、びしょぬれになりながら、町内の道路の雪掻き作業をすることにもなる。結局、三が日に初詣にもいけない新年などここ数十年なかったことだ。
ただ、そんな中で、『鼎座』13号の「発想の森」の続きを書き上げる事が出来た。2回で終わるはずの短編がもう1回分のびることになってしまった。俳句も10句、繰り返し手を入れて、変な作品を作って、ネットの方に投稿する。本も、少し読む。


【11年1月1日】
新年あけましておめでとうございます。
今年も、よろしくお願いします。
昨夜来の大雪で、ほぼ16時間にわたり停電となり、先ほどやっと回復したところです。
電気関係は一切使えない状態となり、暖房も駄目で、甥が別宅から運んできた古い石油ストーブ1台で、かろうじて家族一同暖をとるという有様でした。ネットなどももちろん使えず、書き込みも出来ずという事で、更新がこんな時間となりました。
滅多にない新年の迎え方でした。波乱の一年の始まり、なのでしょうか。