日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
10.8「日々録」 | 10.9「日々録」 | 10.10「日々録」 | 10.11「日々録」 | 10.12「日々録」 | 11.1「日々録」 |
【11年2月28日】
2月も本日まで。半日は雨。午後からは、回復する。ただ、明日はまた、曇りから雨。卒業式の日ではあるのだが。
本日、母が帰郷し、甥はしばらく実家で過ごす予定なので、当分一人暮らしが続く。早速、夕食が冷蔵庫の残り物の始末、ということになる。
今日は、試しに大型テレビにインターネットを繋いでみる。上手くはいったけれど、遅いのと操作性が悪いのとで、ちょっと実用向きではない、という印象。物珍しい、というところか。
『醍醐会』の岩井英雅さんから評論集『俳句の天窓』を送っていただく。早速、今夜読んでみようと思う。
今日は半日、一人残った就職未定者の指導。厳しい。一方で、内定者の激励会の段取りなどをつけたりしていて、少々疲れる。
【11年2月26日】
金曜日。ミューズの合唱団募集締め切りの日。1週間期間が延びたその最終申し込みの日であった。会場は、昔のアバンティーホール(今は龍谷大学が所有しているホールになっているが)。京都駅裏にあたる場所。
母の帰りの切符を買う用事もあり、夕方京都駅まで。
まず、ミューズの合唱団申し込みを済ませ、その足で京都駅まで。事前にネットで空席を確認してあったので、簡単にチケット購入は完了。
そのまま帰宅する。ちょっと風邪がぶり返しつつあるような雰囲気である。
土曜日。6時前起床。とりあえず「歩き」に出る。帽子を被らずに出かけたら、風が吹いていてずいぶんと寒い。
1時間ほど歩き、帰宅後、朝食の準備。母も起き出して来る。
今日は一日良い天気のようだ。
「週刊俳句」200号記念の投句をしたものだから、「10句選」も行う。簡単に「選評」も書く。ずいぶん面白い作品もある。
『秋草』3月号を送っていただく。山口昭男主宰句より。「水洟やするどく水のすんでをり」「目貼りして海山とほきたたずまひ」「雪達磨藁をはさんでゐたりけり」。
評論「楚良の窓」。「ゼロ世代」俳人の句について、「前書き、ルビ付」俳句に関する批判的言辞があったけれど、誰の作を想定してのものなのか、ちょっと気になりました。また、「ゼロ世代」俳人と言われる人達(具体的には、『新撰21』所載俳人として良いように思いますが)は、意外と結社やグループに所属していたりしますが、その点についての誤解がありはしないか、とも思いました。
そういえば、出版社「ふらんす堂」のHPに、毎日佐藤文香の句が1句載っていますが、面白いなと思いながら、毎日覗いています。「ゼロ世代」俳人の中で突出して俳句的試みに挑戦している俳人だな、と注目して見ています。
偉そうなことは言えないけれども。
【11年2月23日】
昨日は、甥の出演する演奏会。郷里から、母と弟の奥さんが聴きに来る。
こちらは、早めに帰宅して、布団やら翌日の朝食やらの準備をする。ワインを少し飲んで、そのうちに眠くなる。
ちょっとベットに横になっているうちに、寝入ってしまう。9時前くらいに二人が帰宅。甥は、打ち上げの宴会で今夜は帰って来ないだろう。
しばらく二人の応対をしてから、寝に入る。ちょっとだけ臼田亞浪の句集を読む。不思議な感触の句群であった。
実に妙な夢を見たが、その印象だけ残っていて、どんな夢だったかはもう憶えていない。
5時、起床。寝ている人を起こさないようにして、朝食の準備。寝室で、朝食を食べ、出勤。車中では、車谷長吉のエッセイを読む。文学をテーマにした文章。本文の半分くらいが、話題の作品の引用文なのだが、その引用が面白い。
今日は、授業以外に進路関係のガイダンスがあり、その講師で結構気を遣って疲れる。
夕方、帰宅。夕食の準備が面倒なので、寿司を買って帰る。母と甥との三人で食べる。弟の奥さんは、昼の間に帰郷。甥は、明日帰郷する予定だ。母はしばらくこちらに滞在する。
夜、丹後から電話あり。国民文化祭の俳句会場になっている与謝野町の、若い職員の方からの電話。ポスターが出来たので、その宣伝を兼ねて3月の「すき句会」に参加したいとのこと。1月に一度来て下さっていて、これが2回目の参加。当日が楽しみである。
【11年2月20日】
土曜日。過日、ネット上の『週刊俳句』というサイトから、「200号記念」の短文の依頼があり、目星を付けておいた評論について、文章を書く。俳句で言う「ただごと」について、現代美術などを援用しながらの説明が面白い論評であった。
現代美術に対する興味・関心は継続中。村上隆の著作2冊は読了し、その書評風エッセイを図書館の館報に書かせていただく。「戦略」に関して。
文章を書くのは、しんどいけれども、なかなか楽しくもある。
寝るまでの時間を使って、角川『現代俳句体系』掲載の句集を読み続けている。加藤楸邨『火の記憶』から始め、大野林火『冬雁』、橋本鶏二『年輪』、西東三鬼『夜の桃』、佐野まもる『海郷』、石橋秀野『桜濃く』、桂信子『月光抄』と、錚々たる句集を読む。いずれも、大変面白い。
午後、「歩き」に出る。風邪のため、1週間リハビリを休んでいたせいか、股関節痛の原因になっている腰痛の方が出て来ている。念の為、コルセットを巻いて、歩く(休んでいりゃ良いような気もするけれど)。鴨川河畔を七条から三条まで歩き、いつものブック・オフを覗く。斉藤夏風の句集が何冊も置かれてあるのが目についた。句集所有者に何かあったのか、などと思ったりする。
それにしても、鴨川の水量がずいぶん多かった。雪解けのせいもあろうし、疎水への分水を中断しているので、その影響もあるのだろうけれど、堰の辺りではごうごう轟きながら流れ落ちてているのはずいぶん迫力がある。そのせいで、水鳥が堰と堰とのあいだの流速の緩やかな地点にかたまって休んでいたりする。鴨類、ゆりかもめ、白鷺、五位鷺、鵜(頭が白いのは幼鳥なのだろうか)が群れのように集まっている。その周辺の岸辺には、雀、鳩、鴉、背黒鶺鴒なども寄り集まっていて、なんとものどかな情景である。
三条駅から電車で帰る。
夕食の準備を買う。おでんを作るつもり。外出前に、卵は茹でておいたので、それ以外の何かにを買って帰る。あとは、皆鍋に入れて煮込めば完成なので、簡便な上においしくてありがたい。
夕方、練習から甥が帰宅。演奏会まではあと3日を残す。
食後、風邪が抜けきっていないようなので、市販薬を飲み直す。
【11年2月16日】
土曜日、はしゃぎすぎた(?)せいなのか、日曜日夕方熱が出て来て、再び寝込むことになる。
翌月曜日は、一日欠勤。病院に行き、念の為にインフルエンザの検査もしてもらう。結果は陰性であった。その帰り、ぼっとしていたせいか、病院へ毛糸帽を忘れてくる。後刻、病院から電話で連絡をいただいて気づく。
漢方薬から、抗生物質に薬を切り替える。一日寝ていて、体が痛くなってくる。この1週間、土曜日と日曜の2時間ほどを除き、ほとんどベットに横になっていたことになる。
火曜日、微熱が残るが出勤。一日入試業務。薬のせいで、眠い、怠い。
帰宅後、夕食をとり、すぐ就寝。翌水曜日5時過ぎ起床するまで、ほぼ9時間寝る。こんな長時間寝たのは、本当に久しぶりであった。
そういえば、この3日間ほど、同じような夢を見る。立派な和風旅館に4泊の予定で宿泊。その1日ごとを夢でみる、というもの。もっとも、夢の中にたまたま同じその旅館があらわれるということなのかもしれないが。そこから、どこかに出かけたりして、その後そこへと帰ってくるというもの。その間のことは、毎日違ってはいるようだ。今夜は、その4日目にあたるのだが、果たしてあの旅館があらわれるか、否か。結構、夢で楽しんだりもしているのだ。
水曜日。午前中、職場で勤務。午後、京都市内へ出張。京都御所の近くのホテルが会場。少し時間が早かったので、一駅前で降りて、京都御所を抜ける。梅林の梅が、ちらほら咲いていた。日が照り曇りして、暖かい。
夕方、帰宅。甥が夕食を作ってくれる。
薬を飲んで、今夜も早く寝るつもり。
【11年2月13日】
帽子にマフラー・マスクという装備で、丹後「すき句会」に出かける。
いつになく(?)「はしだて1号」は満席である。3連休中日のうえ、丹後は「蟹シーズン」真っ最中ということで、こんなに乗客が増えたのだろう。こちらは幸い席を確保出来たけれど、岩城先生は福知山までしか指定席が取れなかったとのこと。
雪の予報があったけれど、福知山まではほとんど雪の気配もない。しかし、山を越えて、宮津に入ると、沿線のあちらこちらに残る雪を見る。
宮津で岩城先生と合流後、さらに山一つ隔てて加悦谷に入ると、谷全体が白一色。さらに、峠を抜け、丹後大宮へ入ると、真冬の景へと変わる。積雪は、4、50センチくらいはありそうだ。
雪に埋もれた岩城先生宅。あらかじめ、会員の方が通路分だけ雪掻きをしておいて下さる。雪が締まったとは言え、やはり50センチくらいは雪がある。
1時過ぎに句会開始。宿題は、「雪解け」全般。席題は、来る途中で見かけた「三椏の花」。
今回、珍しく最高得点句を得る。「マスク」の句。これも風邪をひいた余得であったか。
途中から、外の雪の降りが激しくなる。とはいえ、春の牡丹雪ではあったけれども。
5時前に句会は終了。荒天を心配していたけれど、夕方には雪も止み、積もるほどの状態でもなかったのは幸いだった。
帰りの電車は、雪のため7分ほど遅れる。
電車は、がらがらに近い状態で、こちらはいつもの通り、ビールを飲みつつ、四方山話。今読んでいる村上隆の『芸術闘争論』の事を少しお話する。この本は、刺激的で大変面白い内容である。俳句のことに当て嵌めて、内容を考えてみると、特に面白いと思う。
ホームページに、新たに『鼎座』のページを設ける。既刊のものを少しずつネット上で紹介していこうかと思う。
日曜日。村上隆の『芸術起業論』を買いに外出。ついでに、コーヒーを買って帰る。
【11年2月11日】
甥が風邪気味、と書いた翌日から、こちらが寝込むことになった。
恐らく、風邪だろうと思う。医者に行って、一応診断して貰って、風邪と判断してもらって、漢方薬も貰って帰ってきたのだから。
二日寝込んで、今日が三日目。普通ならほぼ回復しているはずなのに、体調は今ひとつのままである。インフルエンザの予防注射はしていたし、発熱はあったけれど、それほどのものでもなかったので、インフルの検査をしてもらわなかったのだが、このしつこさははたしてただの風邪であろうか、などとと思う。
明日は、丹後の句会なのだが、ともかく今日一日、ゆっくり休んでおこう。
外は、雪がチラチラ降っていて、「歩き」に出ることも出来ないし(休むことと「歩く」ことは別腹と思っているのだろうか……)。
食欲は落ちないので、ちゃんと三度ずつ食べているのに、体重が少しずつ落ちているのが、うれしいような、かなしいような。一日横臥しているだけなのに、それなりにエネルギーは消費されているらしい。
甥は、今月22日の一門会の練習が厳しいらしい。一昨日は、結局帰宅出来ず、昨日は夜中の12時くらいに帰ってきたのではないか。音楽の世界も、厳しいものである。
【11年2月8日】
月曜日。午後、年休を取って、銀行廻り。マンションのローンを今回のまとめて返済で、やっと終了する。数回の一括返済で、結局ほぼ4年間分早く返すことが出来た。なんとも、ほっとして、ぼっとしてしまった。
夕方、甥は遅くなるということなので、一人でブリ大根を作って食べる。大根が美味しい。
『鼎座』発送も、最後。コンビニまで行って、40名分メール便で送る。
帰りにちょっと気になったので、先日火事が出た家を見に行く。一人亡くなられたらしい。そんなにひどい火事だったのかと思う。外観は、ほとんど変化がなかったのだが、燃えにくい新建材などで作られた家だったのだろう。内部だけがひどく燃えたのであろう。無残な事だと思う。
何となく疲れてしまって、早めに寝る。甥がいつ帰ってきたかもわからないほど、ぐっすりと寝る。夜中に目を覚まし、同僚の先生の父上の遺句集を少し読む。すべて、蝉を詠った句集。昔、薄のみを詠った句集を読んだことがあるけれど、やがて薄と作者とが一つに解け合った不思議な境地を味わわせてもらった経験をしたが、今回の蝉句集も、自在な境地を自由に詠っていて面白かった。
朝、4時半に起床。いつも通り、朝食を作り、食べ、まだ甥が寝ている中を出勤。
朝の某テレビ番組の占いは、仲間の手助けで懸案事項が解決などと出ていたのだが、意外とそんな一日となる。
夕方、整形外科に寄って、リハビリ。股関節の痛みが和らいでいるので、このリハビリは効果があるようだ。
帰宅。甥は、早めに帰っていたようだ。少々風邪気味とのこと。一晩中、エアコンを付けていたせいではないかと思う。
【11年2月6日】
パソコンの設定というのは、なかなか上手くいかない。「無線ルーター」の壊れ方が悪かったのか、パソコン本体の設定が変更できない。仕方なく、内蔵の無線用デバイスを無効にして、USB接続のものを使う。が、しかし何とも受信状態が不安定である。なんやかやしているうちに、夜中の12時近くになって、本日はもう中断。ということで、就寝する。
日曜日。昨夜の残りのおでんを朝食に食べ、洗濯と掃除を終えると、昨夜の続き。一晩寝て、気分が変わったせいか、今度は上手くいく。不安定な接続も、中継器の設定が上手くいったせいで、快適なネット環境が回復する。
午後、『鼎座』の発送を兼ねて、「歩き」に出る。今回で終了するつもりだったが、明日もう1度発送して終了とする。
電車で、市内まで出る。地下鉄に乗り換え、今出川まで。地上に出て、御所を歩く。高曇りの天気で、太陽のあるあたりが白く輝いて見える。
桃林はまだ冬芽のまま、しかし梅林に入ると白梅と紅梅がちょうど1本ずつ、ぽつぽつと花を咲かせていた。近づくとかすかに良い匂いがする。
桜林は、もちろんまだまだ冬木の様である。
寺町に抜け、3月書房へ。村上隆の『芸術闘争論』、中上紀の『夢の船旅 父中上健次と熊野』を購入。
いつものコースで、鴨川に向かい、河畔を三条まで歩く。
調子がよければ、さらに四条、五条、七条と歩いて行くのだが、右の股関節の調子がまた悪くなりそうな感じがあるので、中止。電車に乗る。
夕食用の買い物。夕食は、鯵の煮たもの、ほうれん草と豚肉のいためもの。ジャガイモとタマネギの味噌汁。いずれも、我ながら美味しく出来た。
磯田道史著『武士の家計簿』を読む。最近映画にもなったものだ。加賀藩の会計担当者(御算用者というらしい)の残した詳密な家計簿をもとに、江戸末期から明治維新の激動の時期を生きた武士とその家族の生活を辿っていったもの。大変、面白い。映画にしたくなるだろうな、と思う。お金がらみでこそ、人の生活の実態が浮かび上がってくるように思う。
【11年2月5日】
版画家の山田喜代春氏さんからいただいたカレンダー。2月の1句は、「ふきのとううぶぎのようなゆきふわり」。雪は、牡丹雪であろうかと思う。
と、「日々録」を書き始めたら、電話。受話器を取ると、「俳人の○○さんでしょうか」、と唐突な呼びかけ。ぴんと来て、「『俳句を掲載しませんか』という勧誘ですか」、と言うと、「はい」との返事。例の詐欺まがいの「俳句掲載勧誘電話」である。新聞の広告スペースに作品を載せ、数十万円の掲載料を取る、という手口である。速やかに電話を切る。
昨夜から、『鼎座』第13号の発送作業を始める。コンビニのメール便を利用しているので、一度にたくさん持っていくと、店に迷惑がかかりそうで、3回に分けて発送する予定。明日、もう一便出して、作業終了となる。
甥は、今日が最後の試験。楽器の実技である。8時前には、家を出る。明日からは、春休みということになる。バイトを探すらしいけれども。
昨夜、とうとうというか突然に無線ルーターが壊れた。電源が入らなくなってしまったのである。甥の部屋と、私の寝室のパソコンとは、無線で繋いでいるので、そこからのネットが出来なくなってしまった。仕方がないので、居間のパソコンを使って、amazonnに安いルーターを注文する。昨日注文して、本日には届くという即応性に富んだところがありがたい。
ただ、何時頃に届くかわからないので、自宅で待つことになる。午前中はないだろうと考え、『鼎座』の発送作業、「歩き」、昼と夕食の準備とを一度に済ますために、外出。途中、火事の現場に行き会う。規制線が張られ、警察と消防の現場検証。放送局関係が3社ほど取材に来ている。焼けた家は、外観はそのまま残っているが、内部の方がそうとう酷く燃えたらしい。窓から吹き出た炎が、窓上の壁を黒く焦がした跡がくっきり残っているのが恐ろしい。
高曇りの天気で、さすがに雪は降って来そうもないが、ただひどく寒い。昼近くなっているのに、吐く息がまだうっすらと白い。昨日は立春で、日差しが一気に明るくなって、ぽかぽかと暖かい陽気であったのに、一日経てまたこの寒さである。
【11年2月1日】
2月となった。相変わらず、ひどく寒い。
昨夕は、病院へ。右足の股関節が痛むので、ともかく一度診て貰おうと思ってのこと。初めて、整形外科の専門病院へ行く。腰の部分のレントゲンを撮り、診断を受け、リハビリを行う。腰の部分からきている痛みなのではないか、とのことであった。腰部を温めて、電気マッサージを受けるとずいぶん楽になる。
楽になると言えば、日曜日の『醍醐会』のレポート、終了。しどろもどろの発表となってしまったけれど、一応責めを果たしたということで、ほっと一息、である。臨時に参加した人などを含め、会場は満員状態となる。レポートは、私を含めて5本、(私のものは措くとして)いずれも面白い発表内容であった。竹中宏とは、本当に(厄介だけれど)面白い人物である。レポートは、いずれ竹中氏主宰の雑誌『翔臨』に順次文章化されて掲載される予定。
会終了後、皆さんは二次会へ。私と清水さんは、別行動で京都駅へ。構内の喫茶店で、1時間ほど四方山話。俳句のことや、野菜スープについての面白い話を聞く。野菜は、5分間煮て、そのスープを飲むべし、ということである。もちろん、野菜本体も後で食べるのだけれど。
新幹線改札口で、清水さんを見送り、夕食を構内の中華料理店で食べ、帰宅。すでにこの時、右足が痛くて、翌日病院へ行くことに決める。
火曜日、朝。と言っても、午前3時だが、眠れぬままに、枕元に置いたカセットで『第九』を聞く。4時前くらいから、二度寝。5時過ぎに目を覚まし、起床。あとは、いつもと同じ朝の準備である。
2月になって、3年生は自由登校となり、ほとんど姿を見なくなった。2階部分が、3年生の教室になっているのだが、ひっそりと静まっている。校内も、寒い。