日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【11年3月21日】
春分の日である。昨夜来の雨が、今朝も降り続いている。ネットカメラで郷里の山を見ると、スキー場にも雨が降っている。これで、今年の例年になく長かったスキーシーズンも終わることだろう。
日曜日。午後、「歩き」に出る。疎水沿いに歩く。いつのまにか、ひと冬空であった疎水に水が戻っている。水の匂いが新鮮である。
鴨川河畔に移動し、三条まで歩く。途中、河畔を離れ、町中の細い路地に入ったりもする。京都は春の観光シーズンに入っているようで、若いカップルや、家族連れの姿がある。
祇園を歩き、南座の前から、再び鴨川河畔に戻り、水量の増えた鴨川を左に眺めながら三条まで歩く。対岸には、名物の「アベック前線」の張り出しが見える。面白いほどに、等間隔に座っている。
三条大橋のところで道路に上がり、いつもの「ブック・オフ」を覗いて、帰宅。
帰宅後、読書。岸風三楼句集『往来』を読む。初期は、誓子風。しかし、その後平明で滋味のある句風が完成されていく。富安風生の影響なのだろうか。うまいものだとつくづく思う。さらに、細谷源二の『砂金帯』を読み始める。
夕食は、ぶりかまと厚揚げの焼いたもの。Hさんから送っていただいた「いかなごのくぎ煮」もいただく。
夜中、寝る前にコーヒーを飲んだ(飲み過ぎた?)せいか、何度もトイレに起きることになる。
その合間に、麻雀をしている夢とか、セリフを憶えられなくて困惑している演劇の夢などを見る。昔、一時期麻雀に夢中になっていたことがあるけれど、夢で見るのは何年ぶりだろうか、と思う。
【11年3月20日】
4時過ぎに目が覚め、しばらく読書。途中まで読んでいた『定本亞浪句集』を読了。八木絵馬句集『月暈』を読み始める。八木絵馬とは、名前も知らない俳人の一人であった。妙な言い方だけれど、俳人としての体質が自分と良く似ているような印象を受ける。
土曜日。洗濯物を干し終えてのち、「歩き」にでかける。先々週歩いた鴨川河畔の自転車道が気持ちよい道だったので、そこまで足を延ばす。川下に向かう時は、京都西山や間近に石清水の山などが望め、引き返せば愛宕から北山、さらにまだ雪をいただく比良連邦などが広々と眺められる道である。鴨川の流れは浅く速くなり、対岸のケヤキの木に鶯の鳴き声が聞こえる。河川敷では、グランドゴルフを楽しむ人達の姿があったりして、早春ののどかな情景が展開する。
つい、2時間近く歩いて後、帰宅。
帰ると、甥は目を覚ましていて、すでに朝食も終えたようだ。
午後、甥は帰郷。こちらは、午前中にちょっと歩きすぎたせいか、再び股関節痛が起き、自宅で過ごす。『与謝蕪村』を読了する。最近、蕪村句集が文庫本で出たというようなことを聞いたので、読みたくなる。本棚のどこかに蕪村の句集はありそうな気がするのだが、探すのが面倒な本棚の状態である。
今回の大震災を、日本人に対する「天罰」などと放言する自身「我欲」の塊のような某知事もいれば、放射能に身をさらしながら復興作業を続ける自衛隊、消防隊、現場の職員たちもいる。被災者でありながら、自らボランティア活動に取り組む学生達の姿もあれば、学生の集めた義援金を盗み取っていく大人もいる。混乱に乗じて、デマまがいの記事を流して政治に関わる影響力を社会に対して行使しようとするマスコミもいれば、地道に避難者の名簿を公開し、ビデオレターを放映し、視聴者の思いに寄り添おうとするメディアもある。大きな災害を通じて、その国や時代の持つ光や闇がくっきりと姿を現しているように思われる。
昨日、実家に北海道の業者だがと、突然電話がかかったという。津波の被害で商品が売れない。魚を買ってもらえないか、という内容だ。詐欺商法のひとつである。通販というやり方で、くずのような海草や魚を送ってくる業者があるということを以前聞いたことがある。母が対応したが、即座に断ったという。
【11年3月19日】
今日は、入学予定者の登校日。中学生だな−、という生徒達の集団を見る。午後は、その関係の仕事が夕方まで。
退勤。バス、電車の車中では、山下一海『遊戯の俳人与謝蕪村』を読む。蕪村には、大変興味がある。
リハビリのため、病院へ。電気をかけているさいも、『蕪村』読む。腰のいたみ、股関節の痛みは大分良くなったように思う。
一度自宅に戻り、軽く食事をとってからミューズの練習へ。
京都駅前ビルの最上階のホール。今日は、3パートに分かれての練習。終曲を歌う。全体練習の前に、作曲者でもある指導の先生から、終曲作曲の意図や思いについての話がある。興味をお持ちの方は次のブログへアクセスしてみて下さい。「作曲家葛西進のブログ」(http://composer-skasai.at.webry.info/ へのリンク)。死者の為の鎮魂曲かと思っていたのだが、それだけではないということが分かった。
ミューズでも、震災の義援金を募っていたので、少しだけ協力する。。
帰宅。少々疲れる。ベットに横になって『蕪村』の続きを読むつもりで、いつのまにか眠っていた。
夜中に、目が痛くなって目覚める。ちくちくするので、逆まつげかと思って、洗面所の鏡で確かめるが、違うようだ。目が少し充血しているので、あるいは花粉症かとも思う。朝起きて、まだ痛むようなら目医者にいこうと思って、就寝。結局、痛みはとれていた。
練習前の話が印象に残っていたのか、夢の中に指導の先生が出てくる。初登場である。その中で、歌を作ってみなさい、などと言われていたのを思い出す。
朝、五時起床。洗濯、朝食準備。毎朝、体重計にのるのを習慣にしているのだが、この1週間で1キロ体重調整をする。やや、太り気味になっていたので、体重増加をストップするつもりで。しかし、この3日間でまた元に戻りそうな予感もある。
外は、どんより曇っている。さすがに、昨日、一昨日のように雪が降り出しそうな状態ではないけれど。
【11年3月16日】
夕方になり、北風が強まる。その風に乗るようにして、粉雪がちらつき始める。寒い。
リハビリからの帰り、病院から自宅までの距離を少し歩く。
途中、よく使う道が通行止めになっていた。そのことに気づかず、通行止めの鉄柵まで来てしまう。その先の橋がなくなっていた。どうやら、新しく架け替えるらしい。仕方がないので引き返して、別の道をたどる。「行き止まり」。なんとなく今日の気分そのままであった。
ここ数日間、もっぱら西行『山家集』を読んでいる。「雑」の歌から読み始め、四季の「春」へと読み進む。比較的分かりやすくて面白い和歌が多い。
電池が売り切れ状態である、という。指摘されて気がついたが、確かにコンビニでも電器店でもほとんど見あたらない。買い取って、震災の地の親戚や知人に送られているのかと思う。郷里でも、電池がないということで、東京の姪に送ってやれなくて困っているということだ。
直接の手助けは無理だけれど、間接的な援助のつもりで、被災地へわずかではあるが義援金を送る。
【11年3月14日】
「浪が覆ひて春耕の田を畑を」。津波が押し寄せる場面を見て、出来た句である。句会では、テレビ俳句との声もあったけれど、媒体がテレビ画面だろうと、己の眼であろうと、そんな事は関係はないと思った。阪神大震災で神戸の街が燃える場面も、テレビで見た。今でも、強烈に記憶に焼き付いている情景である。そして、今回の地震報道で真っ先に見た、巨大な津波が、丁寧に耕作のなされた田畑をむごたらしくのみ込んでいくこの情景も、自分の中で忘れることの出来ないものとなると思う。
昨日は、用事で滋賀県へ行った。大津の浜から、しばらく霞む琵琶湖とその向こうに白く横たわる比良連邦の嶺嶺を眺めた。少しだけ、胸がすくような思いになった。
夜、何度も目を覚ましては、その都度テレビのスイッチを入れる。しばらく報道画面を見て、また眠りにつく。眠りが浅いせいか、妙に生々しい夢を見る。夢の中で、これは夢だと思い、もう結構だと思って、目を覚ましたりする。
誤報と思われるメールが、人づてに善意の思いに乗って送られてきたりもする。
しかし、何かをしなければとの思いも感じる。
【11年3月10日】
学年末考査、終了。帰って来たテストは、早速採点し、夕方までには終える。ノート検査なども済まし、成績処理の準備はすべて終わる。
朝、3月半ばなのに、ひどく寒い。ほとんど、真冬の服装で通勤。車中では、『俳句研究春の号』を読む。角屋での「蕪村忌」大句会の記事。岩城先生も参加された句会で、面白い作品がたくさん詠まれたようだ。
股関節の鈍い痛みはしつこく残っているけれど、駅からは歩く。歩く内に、痛みが消えてゆくので、どうやら歩く姿勢に不自然なところがあって、それが腰から股関節へと影響をするのではないか、と思う。歩いているうちに、自然と痛くない歩き方になっていくのではないかとも思う。意識的にその歩き方を会得するためにも、痛み自体が歩き方のチェック機能を果たすことにもなるかも。
通勤途中に白梅と紅梅の木が並んで植えられた庭があり、日ごとに花の数が増えていくのが楽しみである。今日辺りが、どうやら満開状態なのではないか、と思って眺めながら、その前を通る。
道ばたに放置されたドラム缶の上に、ここ三日、薄い氷が張っていて、連日の寒さを改めて感じさせられる。
夕方、帰宅するときも、同じほど寒い。
故郷の山は、昨夜も降雪があったらしい。スキー場には、雪がまだ2メートル近くあるともいう。近年、珍しいことだ。
【11年3月8日】
今日は、色々とここには書けないことで、疲れる。
朝の某テレビの占いでは、日頃の努力が報われる日、などとあったけれど、残念ながら今日はまるで外れである。
まあ、明日はきっと良い日になることだろう。
車谷長吉の『文士の魂・文士の生魑魅』読了。粘着的な文体と内容とが密着していて、面白い。車谷は筆を折ったとか聞いたけれど、本当にそうなのだろうか。
夜。注文しておいた「やわたのブルーベリー」というのが届く。疲れ目などに効くとか聞いたので、ネットで注文しておいたもの。栄養補助食品ということなのだろうけれど、高いのか、安いのか、微妙な値段であった。とはいえ、効果があれば、ラッキーである。
ネットで買い物を始めると、その気安さと便利さで、つい又、ということになる。パソコン関係などは、ネットで購入した方が断然安いということもあり、また場合によっては、注文の翌日配達などというのもあって、かなり即戦力として活用できる。とはいえ、便利になると、その分無精になるものだな、とも思う。
そういえば、先日は母用に『ひまわり』の楽譜(NHK朝の連続ドラマのテーマソングだったか)を、やっぱりネットで購入したりもしたのだが……。
【11年3月5日】
ネット上で「100題100句」の句作チャレンジをしているのを見かけたので、試しに2日をかけて、100句を作ってみました。
さすがに少々疲れましたが、句作についていくつか考えることができました。
一部出力されない文字があるかもしれません。ご容赦下さい。
001:初 初蝶来胎内仏に永久の笑み
002:幸 ふきのたうちよつと不幸の味がして
003:細 更衣着のこの組紐の使ひやう
004:まさか 亀鳴けりまさかの人と再会し
005:姿 姿見に部屋が写りて春灯
006:困 困窮の春や廊下の奥に影
007:耕 春耕や土塊を割りてさらに割る
008:下手 末黒野(すぐろの)を下手に上手より漢
009:寒 余寒なほ報道官に笑みの色
010:駆 春北風(はるならい)天のいづこに駆動力
011:ゲーム ゲームに関わる男と女そして梅
012:堅 水の色堅くて網場(あば)の広々と
013:故 温故知新たんぽぽのわた中空に
014:残 残る鴨京の古地図のここに川
015:とりあえず とりあえず花鳥諷詠桜咲く
016:絹 磯竈(いそかまど)絹の黒髪ぞと笑ふ
017:失 漣に陸人(かちど)の影を失ひて
018:準備 雁瘡(がんがさ)癒ゆ旅の準備に針と糸
019:層 春霰(しゅんさん)やパイ生地の層押し崩す
020:幻
幻想す獺(おそ)の祭の貢ぎ物
021:洗 上巳(じょうし)の日カラーコンタクトを洗ひ
022:でたらめ でたらめの歌を歌えば街駘蕩(たいとう)
023:蜂 春耕やはるかかなたに蜂起の火
024:謝 玉筋魚(いかなご)のくぎ煮や多謝と返信し
025:ミステリー 啓蟄や書架に読みさすミステリー
026:震 蚕卵紙(たねがみ)に小さき地震の伝わりて
027:水 容鳥(かおどり)や流れて水の透明度
028:説 葱坊主ぢごくごくらく説きし婆
029:公式 公式に亀の看経(かんきん)確認す
030:遅 野遊びや遅刻の大きなバスケット
031:電 サザエの殻より微弱なる電波
032:町 町は廃れて桜?(さくらうぐい)は群れて
033:奇跡 しをまねき奇跡を君に託そうか
034:掃 清掃の時折海市(かいし)眺めては
035:罪 つばくらめ罪の翼の黒き照り
036:暑 春暑き陸橋のその高さはも
037:ポーズ ちら見せのポーズやチューリップはでこぼこ
038:抱 ぎしぎしや岩を抱きたるご神体
039:庭 恋猫の塀より庭を走り抜け
040:伝
遠蛙伝えたきことなし何も
041:さっぱり げんげ田や「さっぱりわや」が伝はらず
042:至 竹の秋ゑ地図に至るわが家へと
043:寿 百千鳥一気に寿の字書きあぐる
044:護 水草生ふみんなで護りたる川の
045:幼稚 幼稚舎の後ろの林春の蝉
046:奏 夏近し奏者へ光集まりて
047:態 嬌態の様なす炎葦を焼く
048:束 龍天に昇る黒雲を束となし
049:方法 発光の方法問はん蛍烏賊(ほたるいか)
050:酒 時正(じしょう)とは春分のこと昼の酒
051:漕 乗込鮒(のっこみぶな)水切るごとく漕ぐごとく
052:芯 桑解きて即座に芯を失ひぬ
053:なう 水針魚(さより)よりメール着信河口なう
054:丼 大石忌どんぶりの蓋持ち上がる
055:虚 その内に虚数を蔵し桜咲く
056:摘 摘み草や不治の病といふ病
057:ライバル つちふるや友人にしてライバルA
058:帆 帆をたたむごと涅槃図を巻き収む
059:騒 潮騒は菫の丘を越えてくる
060:直 いぬふぐり直情径行とはいかず
061:有無 桜鯛有無を言わせぬ女かな
062:墓 蛤の天に吐き出す墓石かな
063:丈 蝌蚪(かと)のひも丈は明日を夢みつつ
064:おやつ 囀(さえず)りやおやつに七色チョコボール
065:羽 羽ばたきがおぼろ月夜を降り来たる
066:豚 紅梅や豚を散歩に連れ出さん
067:励 郭公の刻苦勉励めくカッコウ
068:コットン 種池のコットン濁りしてゐたる
069:箸 箸箱に箸見あたらず朧の夜
070:介
介錯の刀鈍色(にびいろ)春灯
071:謡 歌謡曲とは昭和の言葉春深し
072:汚 指先を汚し鶯餅を食ぶ
073:自然 若鮎の水すべりゆく自然体
074:刃 刃渡りといふ険路遠望花かんば
075:朱 少女らの一夜官女の朱の袴
076:ツリー 風光るツリー構造辿りきて
077:狂 春の雲風狂にして市井人
078:卵 雛祭りつつ卵白を泡立てて
079:雑 海坂を背後に芽吹く雑木林
080:結婚
結婚を約する指輪春愁
081:配 配役をひとつ追加す桃の花
082:万 万物の息次ぐ蛙(かわず)のめかり時
083:溝 眠りにも海溝のあり春の風邪
084:総 房総半島日も風もうららかに
085:フルーツ フルーツや全山にものの芽満ちて
086:貴 貴婦人と呼ぶ機関車や辛夷(こぶし)咲く
087:閉 閉塞前線横たわりゐて蓬餅(よもぎもち)
088:湧 古草や湧き満ちて水流れゆく
089:成 白鳥帰る成層圏は澄みわたり
090:そもそも 蛇穴を出てさてそもそもは
091:債 債権をすべて片付け河豚供養
092:念 一念の都踊の近づけり
093:迫 底雪崩谷の口へと迫りけり
094:裂 かぎ裂きをなし貝寄風(かいよせ)の吹きつのる
095:遠慮 お隣に遠慮の心木瓜(ぼけ)の花
096:取 関取の入り待つ人ら浪花場所
097:毎 毎年の彼岸に子規の母の言
098:味 夜の博多味わい昼をどんたくに
099:惑 惑星の一つに春の水の星
100:完 晩春の空の底層未完の塔
【11年3月5日】
昨日は、入試の日。例の携帯カンニングの問題の余波で、とりわけ携帯についての取り扱いは慎重になっている。もっとも、受験生の息づかいが聞こえそうなくらいの距離での狭い教室で、40名足らずの受験生を監督するので、大教室、大人数の大学入試での会場のように、不自然な動きを見落とししたりすることはあり得ないだろう。
とは言え、監督と採点作業とで、かなり消耗する。
夕刻、退勤。寒い。今日も、昼前に雪がちらつく。
病院で、腰のリハビリ。
一度自宅に帰り、その後ミューズの練習に出かける。会場は、京都駅裏なので、通いやすくてありがたい。
1週間の団員募集期間延長の結果、今回の団員数は180名ほどになったらしい。男性陣は、前回の「第九」程度。やはり、人数的にはかなり厳しい。
パート練習で、数年ぶりに『創生記』の譜面をみるが、そのまま結構歌えた。声は、まだほとんどまともには出ない状況で、喉声で歌う状態であったが、そのうち何とかなるだろうと思う。日本語の歌詞なので、言葉に苦労する分がないのがありがたい。
難しい楽曲ではあるけれど、歌いごたえのある、その点楽しい作品である。
練習では、すでに3曲が通されているらしい。
帰りに、京都駅のパン屋で朝食用のパンを買って帰る。店の中が、改造されているのに気づく。お洒落な感じに変わっていた。
車中、『俳句の天窓』読了する。森澄雄に関する評論が読み応えがあった。作家に惚れ込むというのは、こういうことなのか、と思う。
帰宅後、寝酒にちょっとワインを飲んで、就寝。
土曜日、目が覚めたのは6時前。朝の「歩き」は中止する。
洗濯をして、朝食。
暖房を入れているのに、居間は寒い。
【11年3月3日】
今朝は、4時過ぎに目を覚ましてから、もう寝られないので、小池正博氏の『水牛の余波』を少し読む。どういう発想で1句が生まれるのか、とても興味深かった。
俳句で言う「取り合わせ」とはちがうのだろうが、存在感のある言葉が二重三重にうち重なり合って、妙な手ざわり、肌触りに満ちた世界に導いてゆくその感触が面白い。
雛の日。今日も寒い。昼前には、ちらちらと雪が舞ったりもした。春の雪ではあるけれど、その風情よりも、まだ寒さは続くのかとの思いの方が強い。
今年の冬は、近年になく寒かったとの思いの反映であろう。
朝、北山方面は雪で白くなっていた。愛宕を越えて、西山の途中までも、雪で白くなっていた。丹後地方などは、本格的な雪が降っているのだろうか。
今日で、1年間の授業は終了。あとは考査を残すのみである。
ほっとするとともに、少々疲れたという感慨もしきり。
明日は、高校入試の日である。
退勤時間が来て、すぐ退勤。途中の店で、ワインを買って帰る。一休みのつもりで、今夜はワインを飲むつもり。グラスに1杯ほどではあるのだが。
帰りの車中では、岩井氏の評論集の続きを読む。子規の辞世の句、「糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」「「をとゝひのへちまの水も取らざりき」の作句の背景についての考察は、刺激的で大変面白かった。ただ、ちょっと面白すぎる気もしたけれども。
読書を中断して、車窓から眺める京都西山の山並みの背後にうっすらと空の茜が残っているのが、雛の日の終わりにしっくり合っているように思われた。
【11年3月2日】
寒い。そのせいか、また股関節が痛む。昨日、リハビリに行ったばかりであるのに。困ったものだ。
姿勢が悪いのかもしれない。左右の背筋がアンバランスだ、と医者から言われたりしたのだが。自分では、実感がないので、どう矯正したものかとも思う。
ザックを担いで歩いているのも、腰の関係から言えばあまり良くないらしい。
色々と、考えてしまう。
今朝、驚いたこと。通勤途中の、道路下を通るトンネル内が水没状態になっていたこと。確かに、昨日は半日雨が降っていたし、夜にも降ったのかもしれないけれど、こんなに水が溜まるものだろうか。ちょうど耕したあとの田に水を入れる時期で、昨日からトンネル横の水路に一冬止まっていた水が通されていたのだが、それも何か関係があるのだろうか、などと考えたりする。そして、上の道路は交通量が多く、信号はあるけれど、長時間変わらないので、下の通路トンネルは実は大変便利だったと、吹きさらしの中、長い信号を待ちながら、今朝気がつく。
万城目学『ザ・万歩計』読了。軽いエッセイ。サービス精神満載だけれど、やはり小説の方が面白い。
岩井英雅氏の『俳句の天窓』継続読書中。手堅い論考が多く、その中に筆者独自の創見がちりばめられていて、読み応えがある一冊であると思う。と同時に、こちらとしてはそこに提示された見解に対して、改めて自分なりに考えてみたいという思いになったりもする。
柳人の小池正博氏から句集『水牛の余波』を送っていただく。『MANO』のホームページの掲示板で、句集を出されたことは知っていたのだが、わざわざ送っていただいて感謝の一言である。ゆっくり読ませていただこうと思う。
一人暮らしに戻ってから、夜になると早い時間帯からやたらに眠くなる。昨夜も、9時過ぎにちょっと横になっているうちに、そのまま寝入ってしまった。夜中に、一二度目を覚ましたけれど、結局5時まで寝てしまう。