日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【11年4月30日】
金曜日。午前中をかけて、文章書き。とりあえず、書き終わる。
細かい表現や、整合性の部分は、改めて手を入れるとして、一度元原稿をFAXで送る。
夕方になって、返事をいただき、特に問題と思われる点に、さらに手を入れることとする。「小主観」という点について。
虚子の俳句評論は、結社の会員を指導するための方便であり、自身はその論から大きく外れる地点で句作を実践しているという批判に対して、そうではないと考えると意見をいただく。「客観写生」における「小主観」の否定の部分。こちらは雑ぱくに「小主観」=「感動」と表現していたが、それは言葉足らずであった。「感動にともなう情動的部分」と表現すべきであったか。ただ、もちろん「情動」は俳句表現の部分から排除されるべきという意味ではなく、やはり「情動」の質こそが問われるということになるのだろう。「感傷」レベルは問題外として、質の高い「情動」についてもどこまで押し詰められた物であるのか、ということが問われるのだろうけれど。虚子の言う「客観」と「主観」の自ずと統合された状態(「小主観」に対して「大主観」とでも表現されるべきものか)は、表現部分に反映されてしかるべきであろう。虚子のいわゆる「客観写生」という範疇からは大きく外れていると思われる多くの作もまた、「主客合一」の「客観写生」の句ということになるのであろう。「客観」とは、「情動」について言えば、「普遍的感情」あるいは「極度に特化された主観」などまで含むものかもしれない。
午後、散髪。出かけてみると、珍しく先客が二人もいて、しばらく待たされる。散髪中は、ずっとうたたね状態であった。
散髪を終えて、外に出ると、頭だけがずいぶんと寒い。天気予報では良い天気になるとのことだったが、曇りの上少々風がある。外に出たついでなので、近所へ買い物に。雑貨やら、夕食の材料やらを買って帰る。
夕食は、麻婆豆腐とチンジャオロース。中華は、簡単にできて野菜もたくさん食べられるので良い。
甥は、一日練習。5月1日に、学内でコンサートがあるとのこと。
夜、ちょっと横になるつもりで、そのまま寝入る。
年度当初は、やはり気疲れする。
土曜日。5時過ぎ、起床。
天気は、今ひとつ。朝の内に少し歩いておこうと思う。
【11年4月28日】
本日、野外学習(早い話が遠足)の日。こちらは、企業訪問。移動方法。徒歩−バス−1社目−バス−JR−地下鉄−徒歩−2社目−(腰痛のため)タクシー−電車−徒歩−3社目−徒歩−職場。久々に「歩き」が2万歩を越える。こんな時だけは、車があれば便利かな、とも思う。しかも、時折雨という天気で、なかなか辛い(職場に帰って、暖房機で濡れた靴下を干す、などというのも久々のことである)。しかし、訪問先では、全般に好意的なお話を聞く。昨年度の就職生は、粒ぞろいで、指導するこちらも大変気持ちよく接することの出来た生徒達であった。企業からの好評も、さもあらん、という思いである。
野外学習の方は、雨に降られて、大変だったようだが。今夜は、その慰労会があるらしい。
ともかく、これで、一段落。駅まで車で送っていただいて、帰宅。
甥は、今日は練習なしで、早めに帰ったようだ。
帰宅後、浅酌。その後、夕食。出来合いのものだけれど、結構美味である。
少々疲れたので、今日は早めに休もうと思う。
【11年4月24日】
「醍醐会」の弥榮浩樹さんが『群像』の「新人賞(評論部門)」を受賞されたようだ。
先週、丹後の句会へ行く車中で、岩城先生から最終選考3編に残っているという事を聞いていたのだが、「受賞」ということになったらしい。すごいな、の一言である。
来月号の『群像』に受賞評論が掲載されるそうだ。いずれも、「週刊俳句」今週号の記載記事からの情報。
日曜、朝。足の痛みがようやく治まる。足指もほぼ自由に曲がるようになってきて、歩くときに足を引きずることもなくなった。ここしばらく、足のことばかりであった。とはいえ、土曜日は雨中の立ち仕事の後、帰宅してから両足の股関節がやたらに痛んで、困惑。本当に体が歪んでいるのではないかと思ったけれど、夜に入って落ち着く。毎日1万歩歩くという生活が、結局体に継続的な負担をかけていたのだろうか、と思う。
もっとも、調子が戻ってくると、また歩きたくもなるのだが。
しかし、外は昨日の天気が尾をひいているのか、今日もどんよりと曇っている。雲の様子からいえば、ちょっと雨が降ってもおかしくないような様子である。水気をたっぷり含んだような雲の姿である。外出は難しいかもしれない。
甥は、遅い朝食後、大学へ練習に出かける。休みなしの毎日のようである。オーディションやら演奏会やらで、休む暇がないらしい。
こちらは、午前中ぼそぼそ文章書き。今は疲れて一休みである。
5月5日に、弟が郷里でミニコンサートを行う。私も、それにあわせて帰省するつもり。せっかくなので、郷里の知人にメール。出会う算段をつける。
郷里の山は、大雪の影響でまだかなり雪が残っているようだ。10年以上も前に、連休時、頂上稜線に珍しく雪が残っている登山道を歩いた経験があるけれど、今年は本格的な残雪の山を望むことができるかもしれない。
【11年4月23日】
竹中宏の第1・2句集を読む。文章を書く必要があって読むが、難解ながらに面白い。
以前読んだ時は、どう応対したものか、困惑ばかりが先行したけれど、今回はちょっと違うかもしれない、などと思う。
特に、第1句集は、若き竹中宏が彷彿として面白かった。
ただ、文章はなかなか書けないけれども。
樋口由紀子さんから送っていただいた評論集『川柳×薔薇』は、面白い。特に、筆者の言葉に対する深い認識が論評の隅々にまで浸透していて、つくづく感心してしまう。恐らく、わたしなら、その作者の紡ぎ出す言葉の世界に圧倒されてしまうだろう地点で、言葉を受け止め論評を為している点に感服してしまう。
と同時に、なるほどこんな風に言葉に対処するのか、という事を教わるようにも思う。
竹中宏に対する抵抗感の軽減も、そんなところに力を得ている点があるのかもしれない。
本日は、午前中出勤。首から看板を吊して、一時間あまり雨の中を立っていた。駐車場の進入違反防止の役目。
ひどい降りにならなくて良かった。
金曜日。合唱の練習で、立ちっぱなしがずいぶん足にこたえて、帰宅後しばらく左側腰部から太ももふくらはぎ、そして足の甲、指と痛んで困った。体の中心線がずれているのではないか、などと思ってしまう。
そして、今日の立ち番だったのだが、そちらの方は心配していたほど、痛まなかったので良かった。
午後、帰宅。文章を夕方まで書く。というより、書きあぐむという状態であった。
【11年4月17日】
土曜日。丹後「すき句会」の日。「はしだて1号」は、乗車率5割程度であろうか。
足がまだ痛むので、駅売店で新聞を買ってきて、床にひき、靴を脱いでその上に足をのせる。その後、丹後までその状態でいる。
二条駅から、岩城先生が乗車。しばらく雑談の後、席を変えて、二人とも句作。車窓からは、沿線の桜がきれいに見える。
宮津で乗り換え。座りっぱなしで、足がむくんだせいか、靴を履くのが少々辛かった。
丹後は、思った以上に寒かった。丹後半島には残雪は見えなかったが、加悦谷に入ると、窓外に見える大江山連峰には、点々と雪が見える。
大宮駅着。いつもの食堂で、海鮮ブイヤベースを食べる。体育会系のご主人の作る料理が美味しい。
普段の1.5倍くらい時間をかけて、岩城先生宅まで歩く。すでに、数名の方が来ておられた。
1時から句会。宿題は「桜」全般。席題は、「春祭」。今日は、ちょうど上宮津の祭であったらしい。車窓から幟が見えていたのだが。
投句者が多くて、初めて選句用紙2枚が満杯となる。時間の関係で、上位句と特選句について意見交換の後、残りの句は名乗りのみとする。今回、最高点句を取るが、岩城選からは漏れる。
5時前、句会終了。その後、岩城先生はビールを、こちらはMさんが用意してくださっていた「つまみ」をいただく。今回、足のことを考えて、ビールは遠慮する。
岩城先生は、庭にたくさん生えていた水仙を切って京都への土産とされる。Nさんに、車で駅まで送っていただく。Nさんのだんな様から同人誌『多島海』をいただく。「はしだて8号」で帰京。
車中では、岩城先生はビール、こちらはプリン体・糖類の少ない発泡酒を飲む。何というか、訳のわからない飲み物であった。
もちろん、靴は脱いでおく。
8時前、京都着。そのまま、帰宅する。
少々、足が疲れる。
日曜日。6時まで寝る。朝から、良い天気である。歩けないのが、残念だ。
【11年4月13日】
月曜日から来ていた姪が、先ほど帰る。東北大震災の影響で、大学院の開講が5月にずれ込んだため、4月中に少し時間的余裕が出来たらしい。
昨日は、京都在住の同郷の子と一緒に、桜満開の京都を堪能したらしい。
今日は、帰る日と云うことで、夕食を作ってくれた。中華風の味付けの野菜炒めや麻婆豆腐、カレイの煮付けなど。なかなか美味であった。
甥は、ここ数日練習の為帰宅が遅く、今日は早く帰ったらしいが、そのまま部屋に籠もって寝ていたらしい。
こちらは、土曜日に発症した足痛が、どうやら痛風らしいということがはっきりしてきた。
土曜日、すぐに医者に行き(しかも、念のために病院をふたつ)、血液検査のために採血などもされ、とりあえず痛み止めの薬をもらって帰ったけれど、その後だんだん痛みが増してきて、日曜日からは処方された薬をのみ、その日は外出も控えるはめになる。
午後から、面白い集まりが予定されてあって、参加するつもりであったけれど、痛みのために欠席する。
月、火、水と薬を飲みつつ、通常勤務。昼間は薬のせいで、かなり痛みが軽減するのだが、夜明け方には薬効が切れるせいか、目が覚めてしまうほど痛む。
出勤時、靴を履くのが大変で、さらに職場についてその靴を脱ぐのが、さらにもう一つ大変である。ただ、ほとんど腫れていないようで、歩けないほどの激痛でないのはありがたい。
それにしても、食生活など日々気をつけているつもりでいたのだが、なぜ発症したのだろうか、と思う。
たしかに、ここ数年来尿酸値が平均値より高かったのは確かだけれど、この食生活でなぜ尿酸値が高いのか、人間ドックのさいなど尋ねてみたりもしたのだが、プリン体の多い物を食べているのではないかという風なことを言われるだけで(実際には、食べても飲んでもいないのだけれど)、なんとも釈然としない。
水曜日に、血液検査の結果が出たのだけれど、0.1ポイント平常値を上回っただけであった(確かに、高いと言えば高いのだが)。
困ったことだと思う。
毎日、すこしずつ読み進んでいった『蕪村句集講義』は間もなく読了予定。日本派の俳人達のやりとりは、大変面白い。
本日、柳人の樋口由紀子さんから、評論集『川柳×薔薇』をおくっていただく。岐阜観桜吟行会の際、お話を聞いていた著作である。これからゆっくり読ませていただこうと思う。
【11年4月9日】
土曜日。6時過ぎ、起床。昨夜は、練習から帰宅後、甥の単位登録のことで、11時過ぎまで起きていたので、眠くて仕方がない。
それでも目が覚めたのは、どうも左足の親指の付け根あたりがしくしくと痛むせいだ。親指の関節あたりなのか、親指に続く筋肉なのか、ともかくそこら辺がしくしくと痛む。まさか、痛風とも思ったが、聞くところによると痛風の痛みはとんでもないものらしいので、それではないような気もする。痛風でないことを祈る。
昨日は普段はいている靴とは別の靴を履いて、結構長時間立ちっぱなしであったので、そのせいで足が痛むのだろうか、とも思う。
ともかく、痛む辺りに湿布剤を貼り付けておく。
朝食準備、洗濯、溜まった新聞の運び出しなど。足が痛くてうっとうしい。
外は、昨夜来からの雨がまだ降り続いている。「「歩き」は出来ないので、これ幸いと休む。
甥は、練習の為に土日と帰省予定であったのが、集中講義が入って今日も大学に行くらしい。
岐阜観桜吟行会の写真を送っていただく。岐阜城を背景に記念写真をとったのだが、肉眼では岐阜城がやや霞んで見えていたようなのに、写真の方ではずいぶんくっきりと写っていたので感心する。自動補正機能みたいなものがあるのだろうか、と思う。
【11年4月5日】
日曜日。岐阜行。観桜吟行句会であった。
満開の桜とまではいかなかったけれど、桜の開花を楽しむ。岐阜駅頭には、荘川桜や根尾の薄墨桜などの桜の種から育てられた桜が植えてあり、それが三分咲き程の状態であった。四手辛夷という中部地域だけに咲く卯木なども初めて見る。
市内をバスで移動し、ロープウエイで金華山登り、山頂の岐阜城で、四囲の景観を楽しむ。高曇りの空の下、白銀の能郷白山や御岳、乗鞍山、さらに遙か遠くに北アルプスや中央アルプまでが眺められる。岐阜は山国だったのだな、などと思ったりする。
Sさんから句会の場を提供していただき、午後には一人10句以上出句の5人での句会を持つ。柳人のHさんも参加されていて、面白い句を出句される。
夕方まで句会。その後、駅近くの『厨亭』に移動して会食。料理が美味しい。ワインなどもいただいて、大満足する。
吟行の様子や、句会で出された作品は『鼎座』の第14号に掲載することになる。
また、6月には京都で歌仙を巻こうとの話が決まる。楽しみなことである。
月曜日、火曜日。朝は寒く、昼は暖かい。
新学期に向けて、会議やら、準備やらの日を送る。
『蕪村句集講義』は、「春の部」を読了する。面白い。
【11年4月2日】
ブログ上では、2回ほど内容を更新したのだけれど、こちらの方はしばらく書き込み休止状態であった。
所用があって、帰省したのが書き込み休止の原因なのだが、その後は頼まれていた文章を書き上げることがあって、そちらの方に時間がかかってしまった。
ところが、3月末締め切り、メールによる入稿と思ってかなり焦って書いた原稿が、実は4月末までということで、こちらの勘違いであった。勘違いというより、思い込みと言った方がよいかもしれないが。ともかく、あと1ヶ月間猶予期間があるので、改めて書き直すこととした。
四月に入り、職場には転任してきた人の姿が眺められる。進路部にも3人の人が入れ替わりで入って来られた。
昨日は、そのひとりの人との改めての顔合わせと簡単な打ち合わせなど。あとは、授業準備として、小テストや教材プリントなどを作り溜める。
夜は、合唱練習。京都市の北のはずれまで出かけるが、会場は以前来たことのある場所だったけれど、久しぶりだったので新鮮な印象であった。ただ、ホールの反響板が設置されていなかったので(会場費対策なのだろう)、声が高い天井に抜けて、少々頼りなかった。
9時過ぎ、練習は終了。帰宅の車中では、『蕪村句集講義1』を読む。子規と講義参加者達の議論が面白い。「写生」と「趣味」の両点からの蕪村句鑑賞が中心的話題となる。漢学的な知識の豊富さ(というより、当時の知識人たちにとっては常識だったのだろうけれど)に感心もする。
帰宅。すぐに床に就く。帰省の際、古本屋で見つけた昭和12年刊行の某大学俳句会の句集を読む。井上白文地のみ名前を知っている俳人であった。句集は、有本柳花という人から西村という人へ贈呈されたもの。
土曜日、5時過ぎ起床。すでに外は明るい。朝が早くなったのを思う。朝食準備、朝食、洗濯など。いつもの土曜日の朝である。