日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【11年5月28日】
木・金・土と三日間連続で出張が入る。主に午後。土曜日は、午前中。
その間に、職場や自宅でテストの採点をしたりする。事務処理は、割と速いので、今回採点の4クラス分はすべて終了。昨年は、単位数の少ない授業を7講座くらい担当していたので、この採点というものもずいぶん大変だったけれど、今年は単体の単位数が増えた分、講座数がうんと減る。その分、採点は楽になる。
金曜日。ざんざん降りの中を市内まで合唱の練習に参加。パート練習の段階は終え、次々回の指揮者レッスンに向けての全員合唱。曲の全体像の把握が進んだせいか、団員の声も本格的に出始め、曲の表現も少しずつ豊かになり始めたようだ。
9時前に練習は終了。ざんざん降りの中を帰宅。今年の長い梅雨のことを考えると、もうちょっと防水性の効いたちゃんとした靴が必要だと思う。
土曜日。主張から帰宅。雨がひどくならないうちに帰れて幸運だった。昼食は、買ってきたパンと牛乳という体たらく。持ち帰り仕事をかたづけて、ちょっと一休みのつもりで横になったら、そのまま眠っていたらしい。激しい雨音で目を覚ます。居間に行き、外を見ると、雨のせいで窓外の全景が白っぽく霞んで見える。
胃が少々痛むのと、目がしょぼつくのは、若干疲れ気味であるせいか。
郷里の甥は、大変ながらも結構楽しんで教育実習を行っているらしい。土・日は総体のため学校があり、火・水が代休となるそうだ。
『俳句 百年の問い』読み続ける。面白い。彌榮氏の評論、『1%の俳句』中、俳句の特徴の一つであるとする「一挙性」という内容と、山本健吉の主張の共通点などに気づいたりもする。その他、色々と細かい部分で、現在俳句論として目にする論調のあれこれをまとまった形で目にすることが出来て面白い。
明日は、「醍醐会」の日。荒天になりそうだ。話題は、彌榮氏の句集『鶏』である。
【11年5月24日】
引き続き、朝から雨。かなり強い降りで、少々うんざりしながら、駅へと向かう。
授業の合間にテストの仕上げ。持ち帰り仕事の連続で、だいたいのところは作り上げていたので、後は点検と印刷のみ。
夕方までには、テスト作り終了。教務へ提出して、一息つく。
天気は回復していて、ちょっと秋のような風情の絹雲が、空の上層にかかっていた。
『俳句 百年の問い』を読む。篠原鳳作、寺田寅彦、芥川龍之介、山口誓子、水原秋桜子などの評論を続けて読む。各自の主張は言うまでもなく、その文章から窺われる筆者の個性がいずれもなかなか面白い。情熱的な篠原鳳作、明哲な寺田寅彦、晦渋な山口誓子、自信満々の水原秋桜子という風に。
【11年5月23日】
朝、電車を降りて、歩き始めた頃から、雨が降り始める。その後は、ずっと雨である。
午前中は、授業。午後から、出張で京都市内まで。夕方まで、説明会で話を聞く。
帰宅途中、京都駅伊勢丹の地下で、夕食のおかずを買って帰る。伊勢丹地下の総菜は、結構有名だそうだ。
雨降りの中を帰宅。靴がすっかり濡れてしまう。
早めの夕食。その後、一休みして、持ち帰り仕事。
日曜日は、結局終日持ち帰り仕事。今日は、その続きである。しかし、なんとか目処が立つ。
あとは、ゆっくり本でも読もうと思う。
通勤の車中では、『俳句 百年の問い』の中から、河東碧梧桐の「無中心論」を読む。これは、最近、ネット上でちょっと話題になっていた俳句「ライト・ヴァース」論の先鞭を付けるものかもしれないと思う。俳句からあえて中心点を消すことにより、古いタイプの文学性からの脱皮を図るというもの。ちょうど、ライト・ヴァース論で問題になっている「季語」の重みを軽くし、文語ではなく話し言葉で句を書くという方法は、「季語」という俳句の一焦点を朦朧化し、口語を用いることで、詩語としても文語を否定し、俳句俳句した世界から、より日常に密着した世界の中浮遊する哀歓や機微を掬い取るという方法に通じるもののように思われる。碧梧桐は、無中心を説明する際に、演劇の言葉から日常生活の言葉への移行という事をたとえ話として用いてたことも、ライト・ヴァースとの共通項を思わせるものだ。
甥は、今日から郷里で教育実習。さて、どうなることか。
【11年5月22日】
日曜日。五時過ぎ、起床。天気が悪くなるとのことなので、朝の内にと、「歩き」に出る。
昼間は暑いくらいだが、朝の内は涼しくて気持ちが良い。新緑の木々が、目に爽やかである。
1時間ほど歩き、「馬」で有名な神社まで足を延ばして、帰宅。
朝食のあと、昨日の句会の整理をする。
土曜日。丹後「すき句会」。新緑の丹後へ向かう人が多いのか、「はしだて1号」はほぼ満席状態であった。
宮津で岩城先生と合流。何かあったのか、遅れ気味のKTRで、丹後大宮駅へ。丹後も、新緑の季節の真っ最中である。
ほとんどの田は、すでに植え付けが終わり、青田のさまとなっている。
いつもの店で昼食。岩城先生は海鮮風冷製パスタ、こちらは海鮮煮込み。コーヒー・デザート付きで800円は美味しくて安い。
途中、会員のSさんの車に拾っていただき、岩城先生宅へ。すでに皆さん来ておられた。
1時からの句会。宿題は、「夏燕」。席題は「新茶」。今日は、ほぼフルメンバー参加で、清記用紙が満杯を通り越して、欄外はみ出し状態となる。
初めてのことである。
4時半までの句会。多彩な作品が出句される。超結社句会並みの多彩さであろうと、毎回感じる。それが、「すき句会」というか、『参』の句会の大きな特徴だろうと思う。
面白い句会である。
句会終了後、軽くビールをいただきつつ、雑談。
その後、駅まで送っていただく。プラットホームでしばらく待つ。すこし酔っていて、気持ちが良い。
帰りの電車は、がら空き状態である。ビールを飲みつつ、四方山話。御中虫さんの話なども出る。句集を送ってもらわれたとのこと。自由に作品を作っているが、芯の部分にきちんとしたものがあって面白い、との岩城先生の評。なるほどと思う。彌榮さんの評論の話なども。俳句を全体としてとらえようとする点は、今までに無かったのではないとのこと。
9時過ぎに帰宅。すぐに就寝するが、夜中にたびたび目を覚ます。
【11年5月18日】
三島晩蝉句集『母乳』読了する。集中、辻田克巳氏が評して「星菫派」といみじくも呼んだとおり、叙情性あふれる作品を収めた句集であった。
印象的な作品が多かったけれど、しかし昭和36年くらいから、ちょっとその句柄に変化が生じたような気がして、おやっと思ったりもしたものだ。
第一句集ということであったが、さらに30年分の作品が句集としては未発表のままに残っているとのことだ。
現在、すでに次の句集が出されているのかも知れないが、それも読んでみたい気がする。
帰省の際、天狼系の俳人の句集を数冊手に入れる事が出来たので、それも読み始めている。
福島恭子『奏楽』を読了する。非常にきっちりとした対象描写で、上手いなと感心する。ただ、読み進むにつれて、少々型にはまった表現法が気になり始める。とはいえ、天狼系の作家の作品(主宰級の作家ではなく、コロナ賞受賞等の経験はあるものの一般の会員の方の作。それだけ所属結社の特徴がはっきりと作に反映されるのかもしれないが)を句集という形でまとめて読むのは初めてで、その点は新鮮な経験ではあったのだけれど。
甥は明日から帰省。3週間を郷里で過ごすこととなる。
こちらは、一日、朝から夕方まで詰めた形で仕事に追われ、少々疲れる。この後も、持ち帰り仕事が残っているので、げんなり状態でもある。
「日々録」を書き終えたら、仕事を始めることとしよう。
【11年5月14日】
昨夜、久々の飲み会で、11時前帰宅。飲み会とは言え、8時過ぎ以降、ほとんど飲み食いなしで、ひたすら話を聞いていた。
色々面白い話を聞くことができたけれど、それはそれとして少々疲れた。
帰宅後、すぐ就寝。夜中に何度か目を覚ます。多少なりともアルコールが入ると、こんな状態となる。
土曜日。5時過ぎに起床。朝食後、洗濯、掃除。さらに、床磨き。日差しがきつい。
甥が起き出して来るが、風邪で熱があるという。医者に行かせる。
午前中、持ち帰り仕事。
『武玉川選釈』読了。雑俳集。川柳のまえの段階の七七句、あるいは五七五句の選集。編者の選句のせいなのかもしれないが、ほんわかとして情味の厚い句が多く、ずいぶんと楽しめた。膨大な数の中から選ばれた珠玉の作なのだろう。
続いて、『柳樽評釈』を読もうと思ったが、包装を開けてページを開くと、ページのあちらこちらにやたらと○印やチェックマークが付いていて、すっかり読む気を削がれてしまった。古本屋ならこんなことはないだろうが、「ブック・オフ」はそんな点についての配慮はないのだろうか、と思う。
午後、持ち帰り仕事の続き。少々、眠い。
【11年5月8日】
土曜日、午後。「歩き」に出かける。微妙に股関節が痛い。腰からきているものなのだろう。
歩く前に、近所の中華料理屋で遅い昼食を取ろうと出かけてみると、店舗はがらんどう状態となっていた。閉店したらしい。安くて美味しい本格的な中華料理店だったのに、駐車場がないなど、立地条件の悪さが祟ったのだろうか。大変残念だ。中国人一家が経営していた店だったのだが、あの人達はどうしたのだろうか。
電車で、七条まで行き、いつもの通りそこから歩き始める。暑い。天気が良いということもあるのだろうが、初夏の陽気である。そういえば、立夏の日であったか。
鴨川河畔沿いに三条まで歩き、そこで昼食をとり、階上の「ブック・オフ」で本を一冊購入。本棚に某結社系の人達の句集が数冊並べて置かれてあった。あるいは、どなたかが亡くなったか、事情があってまとめて処分されたのかと思う。
さらに河原町の方に向かい、「ジュンク堂書店」で、今月号の『群像』を買う。「群像新人賞」を受賞した彌榮さんの評論を読むつもり。
久しぶりに河原町通りを歩き、四条まで。そこから、電車に乗り、帰宅。車中で、少し評論を読む。俳句「第二芸術論」の彌榮さんなりの総括か、などと思う。
帰宅すると、『醍醐会』からの案内状が来ていた。今月は、偶然ながら彌榮さんの第一句集『鶏』の句集評。担当者は、対中いずみ・冨貴高司・中田剛の三氏であった。大阪の「空の会」でも、9月に同じく『鶏』の句集評をされるらしい。
暑い中を歩いたせいか、少々疲れる。夜は、精力をつけるつもりで、鰻丼・刺身・味噌汁の食事となる。夜も暑い。
三十一歳で結核のために亡くなった斉藤空華という俳人の句集を読む。石田波郷が序文を書く。絶望的な病状の中で書かれた200句あまりの作品を、波郷は悲惨な病床句としてではなく、生の喜びの句として読むべきだ、と語っていた。
日曜日。6時過ぎ、起床。朝食、掃除。その後、文章をまとめる。甥は、少々疲れ気味のようだ。起きて、朝食をとると、そのまま部屋へ戻る。今日は、練習等出かけるつもりはないようだ。文章をまとめ終え、とりあえず確認のためFAXで送る。今日で一応の区切りとしたいと思う。
昼過ぎ、雷が鳴り、雨が降る。昼食は、冷蔵庫の中の残り物。
甥は、部屋で寝ている。
山田喜代春さんからいただいた『絵日記 万歩のおつかい』を読む。詩画集である。短い文章も、泣き笑いであったり、無残なことがさらりと触れてあったりして心を打たれたけれど、やはりその絵がとても魅力的であった。パソコン台の上には、その山田さんから送って頂いた立て置き式の月ごとのカレンダーが置いてあるのだが、そこに描かれた5月の絵は「葱の花」であった。
【11年5月7日】
金曜日、夜。合唱の練習に京都市内まで。
曲中でも、難曲中の難曲という部分を練習。全体が不協和音の連続で仕上げられたような曲。歌っている内に訳が分からなくなる。普通は、他のパートの声を聞きながら歌うのだけれど、この部分はそうすると完全に曲を見失ってしまう。しかも、同じパート内とはいえ、周囲から色々な音が耳に入って、ますます混乱してしまう。己を持すというのはなかなか難しいものである。
9時前、練習終了。高架下のパン屋で朝食用のパンを買って、帰宅。甥は、すでに帰宅していたけれど、すでに就寝の様子。
こちらは、テレビで「スター・ウオーズV」を見る。11時過ぎまで。ともかく、豪華絢爛なCG画面を堪能したという印象。
土曜日。5時過ぎ、起床。洗濯、朝食。その後、万城目氏の小説の続きを読む。読了。なるほどの展開であった。
この作品も、いずれ映画化されるのだろうな、などと思いながら読んでいた。映像化しやすいお話のような気がする。結構、スペクタクルシーンなども織り込めそうだし。「スター・ウオーズ」ほどではないにしろ、CGなども生かされることだろう。
吉本隆明の評論を購入しているので、次はそれを読んでみようかと思う。
【11年5月6日】
5月5日。弟のコンサートの日。チューバという決してメジャーとは言えない楽器によるコンサート。甥のトロンボーンとの共演、ゲストピアニストの方のソロ演奏と、変化を持たせながらの2時間ほどのプログラム。会場は200人余り入ると満席になる小ホールであったが、思った以上にたくさんの方が聞きに来て下さった。甥の大学の友人達も、長距離バスに乗ってわざわざ聞きに来てくれて、さらに受付まで手伝ってくれる。家族・友人総出の演奏会であったが、聞きに来て下さった方の感想も好評で、大変だったけれど、とても気持ちよく終えることが出来た。
会場の片付けを終えて、甥達は別行動、こちらは近くのレストランへ移動。昼食がきちんと取れなかったので早めの夕食となる。私は、電車の時間があったので、しばらく歓談して、それから駅へ向かう。夕方の電車で、帰京。電車は思ったほど混雑はしていなかった。
甥達一行は、バスで帰宅するも、途中で大渋滞に巻き込まれて、帰着したのは夜中であったそうだ。そのまま、友人宅に泊めてもらい、翌朝直接大学へ行ったらしい。
6日。午前中、仕事。午後から、定期検査で病院へ行く。結果は、月曜日。ともかく、3年半が経過したことになる。
万城目学の最新作『偉大なる、しゅららぼん』を読む。奇妙な話である。面白いような、ちょっと微妙なような、そんな話。まだ途中なので、ラストまでにもう一波乱、二波乱ありそうな気がする。これは、大阪の書店で購入したのだが、なんと万城目学の自筆サイン本であった。丸っこい文字である。
【11年5月1日】
土曜日、午後。歩くと、足指に微妙な違和感が残っているけれど、ともかく「ブック・オフ」に本を眺めにいくついでに、七条から鴨川河畔を歩く。やまぶき、八重桜、そして名前を知らない桜の花などが咲き、柳やソメイヨシノの青葉が鮮烈である。四条から三条、さらにその先へとアベック前線が延び、京都は観光の端境期はないようだ。
「ブック・オフ」では、秋山巳之流句集『萬歳』と彌生書房の『武玉川選釈』『柳樽評釈』を購入。『萬歳』は、京阪車中で読み始め、帰宅後続きを読む。大人(うし)の風格、おとなの俳句であると思う。時折の諧謔も面白い。これは、最初で最後の句集であったか?秋山巳之流氏は、角川『俳句』の編集長として、かつて「俳句」の時代を総合誌において牽引してきた人物である。いつだったか、祇園「米」さんで、席を隔てて、その姿を一度だけ見た覚えのある人であった。
山口昭男さんから俳誌『秋草』をおくっていただく。主宰句「生野菜」から。「小松菜のあをきみどりも凍りけり」「大寒や噛めば音出る生野菜」「あたたかや鉋を持つて寺に入る」「春の蚊の畳の色でありしかと」。「秋草集」中、市川薹子さんの句、「杉花粉とびて栞は本の中」「卒業の傘に起伏のありにけり」。雨の卒業式だったのか。巣立っていく卒業生達を見送る視線をしみじみ感じました。「起伏」の部分が、人生的に読まれそうな感じもありますけれど、卒業生の個性の反映などと、読ませていただきました。
高井楚良「楚良の窓」。前半は、いわゆる「ゼロ年代」俳人を視野においての俳句エッセイ。面白く読ませていただく。ただ、「種田スガルさんや御中虫さんの句に違和感を感じるのは、(私たちが思っている)俳句として、まだ推敲できる未完成なものと思うから」という点については、確かに両氏の作品についてはずいぶんと「違和感」を感じますが、果たしてそれは「推敲」の問題かといえば、そうではないように思います。例えば、御中虫氏はあきらかに「確信犯」的に(などと書くと、悪いことでもしているみたいですが)自己の句をあのように仕立て上げているからです。今後、彼女たちがどのように変貌していくかは分かりませんが(ついでに言えば、種田スガルさんと御中虫さんを併置して述べることには無理がありそうな……)、「角を矯めて牛を殺す」みたいな事態はしばらく避けた方が良いような気がします。
日曜日。午後から大阪行き。「空の会」という集まりに参加させていただく。内容は、『醍醐会』の岩井英雅さんの森澄雄との出会いの話。「句集『浮鴎』と私」という演題。このご縁で句集『浮鴎』を通読。面白い。その勢いで、第一句集『雪櫟』を読んでみる。あれ? と思う。どういえば良いのか、料理で喩えると、盛りつけの器は似ているのに、盛られた料理の味がずいぶん違うという印象。『浮鴎』の方がまるで良い。
甥は、今日が大学の演奏会ということで、いつになく6時過ぎに起床。7時過ぎには、出かける。会終了後は、そのまま帰省。5日に予定されている弟のコンサートに出演することとなる。
こちらは明日、仕事を終えて帰省するつもり。姪もすでに東京から帰っている。5日は、一家総出でコンサートのサポートにあたることになるだろう。