日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【11年7月31日】
土曜日。昼の新幹線で帰郷する母を送って、タクシーで京都駅まで。タクシー会社は特定の1社に決めていて、そこを使う。当たりはずれの大きいタクシー会社の中でも、比較的はずれの少ない(乗っていて変にこちらが気を使ったり、不快な思いを味わったりしない)会社なので、安心して使っている。
新幹線の入場券というのを初めて買う。160円と、ちょっと高いような気がする。構内の喫茶店で昼食をとり、母を送って、その後ちょっと買い物をして帰宅する。 午後は、幸田文の本を読んで過ごす。決して読みやすい文章ではないけれど、作者の気合いのようなものが文章全体に漲っているようで、ついつい読まされてしまうという印象。文章の力というものを感じる。面白い。
夜、注文していた無線ランの中継器が届く。朝、注文して、夜には届くという簡便さだ。電器店で買うよりは、明らかに安く、送料に多少の割り増し運賃が付いても、ネットで購入する方が割安である。その日のうちに手に入るので、ほぼ電器店で買うのと同様で、タイムラグも少なくて済む。
もっとも、注文の品が届いたときには、夕食後こちらは完全に熟睡していたらしく、甥が受け取り、代金も支払ってくれたらしい。簡単に設定も済ませ、甥のパソコンに設置する。多少は速度が早くなったように思う。無線の子機もこの際、買い換えた方が良さそうなので、さらにネットで注文する。日曜日には届く予定だ。
京都にいる間に、母のキャリーバックもネットで購入。なんとも便利な事だと思う。
日曜日。朝、5時過ぎに「歩き」に出る。早い時間帯なのに、「歩き」や犬の散歩などで、結構人が歩いている。中年、初老の男性が犬を連れて歩いているのにも行き会う。皆小型犬を連れている姿が興味深い。
1時間弱歩いて、帰宅。朝食後、洗濯2回。夏掛け毛布なども洗う。今日は、午後から「醍醐会」。


【11年7月29日】
朝起きると、インターネットが不通になっていた。光電話も、同様に通じない。NTTのフレッツ光用レンタル機器のひとつが、壊れてしまったようだ。
昨日の、ゲリラ豪雨にともなう雷の影響というわけでもないと思うが。仕方なく、NTTに携帯で連絡を入れる。昨日の雷雨のせいで、故障した機器が実際あったらしく、修理の依頼が立て込んでいるらしいが、順次修理に行くとのことであった。
補習並びに進路指導は、とりあえず本日が最終日。午前中で、一応の区切りを付ける。来週は、今週の補習・指導の「再指導」を行う予定。
明日帰郷予定の母が、体調を崩しているので、午後年休を取って退勤する。
職場への往復の車中では、幸田文『黒い裾』(短編小説集)を読む。癇性の文章という印象。最初は、がさがさとして読みづらかったけれど、そのうちその感触が面白くなる。内容的には、私小説。ファザコン小説かも……。
夕方になって、修理の人が来て、壊れた機器を入れ換え、設定をし直して、15分ほどでネットは復旧。気のせいか、回線速度がちょっと早くなったような。


【11年7月26日】
月曜日。午前中の補習と進路指導を終えて、部室に帰って来ると、校内LANが壊れていた。
夕方まで、LANは回復せず。結局、午後は全く仕事にならなかった。データーを一局集中化させると、便利な面もあるのだが、一度支障が生じるとこんな状況となってしまう。
夕方、病院へ。処方箋のみ、貰ってくる。前のところでは、形式的にでも医師が診察したのだが、この病院はその無駄な手間がないのがありがたい。
以前から気になっていた、名作として評価の高い中勘助・作『銀の匙』を通勤の車中で読む。自分自身の子どもの頃の記憶を刺激される、郷愁を誘う良い作品だとは思うけれど、やはり古い作という印象は(当たり前だけれど)否めない。日本風の教養小説という感じ。
火曜日。仕事の遅れをとりもどすため、早朝出勤。しかし、すでにセコムが解錠してあった。幸いLANは回復していて、補習が始まるまで、2時間半、昨日出来なかった仕事をいくつかこなす。その後、午前中は補習と進路指導。午後は、翌日の準備。合間を見て、美術部に顔出しして、生徒とちょっと雑談などする。美術室は、扇風機しかないので、ずいぶんと蒸し暑い。
暑いから怖い話をしてくれ、と所望されたので、「白い手の話」とか「犬の話」とか二つ、三つ話す。生徒は、少しは涼しくなったようである。
夕刻、退勤。腰のリハビリに行こうかと思ったけれど、1日延期。真っ直ぐ帰宅する。


【11年7月24日】
土曜日。丹後「すき句会」。夏休みに入り、丹後行きの人の数もぐっと増えたせいか、指定席も、かろうじて通路側が確保出来る状態。
席に着くと、通路の反対側の席に大人三人子ども三人の家族連れが坐る。祖父母と母、三、四歳位の女の子二人と男の赤ん坊一人、という構成。丹後までそのまま行く。
おかげで、本日の句会の作品は、横からその子達を観察して作った句を出句することとなる。
子どもを題材にした句は、ほとんど作ったことがない。
宮津乗り換え、丹後大宮までの車中で、岩城先生と話す。辻田克巳小論について、「立て句」の概念規定について、指摘を受ける。例句にやや問題があったかとも思ったけれど、ただあえてその句を選んだ点もあるので、そのままとしておくつもり。タイトルは、思いつきで付けた仮題の「KATUMIの窓」をそのまま使おうかと思う。
本日の句会は、ほぼフルメンバーの参加となり、初めて出句数が140句を越える。印刷用の用紙2枚に収まりきらないので、やむなく枠外に切り貼りして、2枚に収める。
清記と選句用紙コピー、そして選句で、ほぼ1時間半ほどかかり、披講に2時間半弱しかつかえない。高点句と本日の特選3句の各自選評ののちは、大急ぎで名乗りのみの慌ただしい句会となる。
岩城先生は、翌日の同窓会出席のため、そのまま丹後泊。こちらは、Mさんに車で駅まで送っていただく。帰りの電車は、がらがら状態であった。
車中、岩城先生からメール。忘れ物の連絡をいただく。暑いのと慌ただしいのとで、少々ぼんやりしていたのだろうか。今月末の『醍醐会』まで預かっていただくことになる。
発泡酒を飲みつつ、村山斉・著『宇宙は本当に一つなのか』を読む。「暗黒物質」やら「多次元宇宙」やらの話が、分からないなりに面白い。
それにしても、金曜日、終業式を終え、学校は夏季休業日に入る。教員は、もちろん月曜以降も、普通に勤務して補習・補講をしたり、進路指導、クラブ指導の日が続く。夕方、1週間間のあいた腰のリハビリに行く。常に飲んでいる薬がなくなったけれど、そちらの医者に行く時間はないので、月曜日に処方箋をもらいに行く事になる。学期末とは言え、慌ただしい1週間であった。


【11年7月18日】
月曜日。朝から天気が悪い。雨が降ったり、止んだりという状態。甥は、休日にもかかわらず、普通に講義があるということで、出かける。
母は、なでしこジャパンの決勝戦を、最初から見ていたと言う。面白い試合だったそうだ。女子ワールドカップ優勝ということで、大騒ぎになることだろう。。
日曜日。昼前から大阪へ出かける。谷町9丁目近くのホテルを会場にした川柳の句集評会。出版祝いの宴席ではなく、このようなシンポジウム形式で句集の出版記念会を催すのは、川柳界ではないことだとの事。50名ほどの参加者があったのではないか。岩城先生、中村堯子さん、竹中宏さんなども参加しておられた。折しも、ちょうど上の階では、150名ほど集めて、某川柳結社の大会が開催されていたらしいが。
シンポジウムは大変面白いものであった。司会者、パネリストともに、川柳に対して一家言も二家言ももっておられる方達のようで、その発言と討論は時に舌鋒鋭く、ときに辛口のユーモアを交えて展開し、こちらは感心したり笑ったりで、本当に充実した数時間を過ごすことが出来た。
私は所用のため、早めに会場を退出。そのまま、用を済ませ、帰宅する。
月曜日。午後いっぱいかかって、『鼎座』に載せるために、辻田克巳論というのか、1句鑑賞にちょっと作家論を交えたような内容の一文を書く。とりあえず、一通り書き上げて、その後、少し時間をとってあちらこちら書き直していくつもり。2ページという分量なので、長さも調整し直さなければならない。タイトルは未定。何と付けようかと思う。


【11年7月16日】
金曜日。これからしばらくは、合唱の練習は休みとなる。9月から、冬の「第九」の練習を始めることになる。それまでは、しばらく週末の夜をゆっくり過ごす事が出来る。
今週1週間は、慌ただしくて、病院へ行くことも出来ず、金曜日になってやっとリハビリに行く事が出来た。腰痛と足のしびれはなかなか直りそうにも無い状態だ。
土曜日。五時過ぎに起床。ひさしぶりに朝の「歩き」に出る。すでに日は昇っているのだが、まだ外は涼しくて、時折吹く風が気持ちよい。腰が痛くならない程度に、近所を歩く。帰りにはコンビニに寄り、朝食を買って帰る。
母と甥はまだ眠っているので、一人で食事をとる。
一日快晴で、外気温は30度を超えているのではないかと思われる。明日は祇園祭で、昼間とはいえ、今日も四条界隈は大変な人混みではないかと思う。さすがに、出かけて行く勇気はない。宵山は、連休初日の好天ということで、きっとたくさんの人出となることだろう。
こちらは、終日、明日の川柳句集の読書会の準備で、送っていただいた句集二冊を再読する。小池正博氏『水牛の余波』と渡辺隆夫氏の『魚命魚辞』の二冊。『魚命魚辞』の方は、作者の多彩な「遊び」を楽しむが、『水牛の余波』の方は難しくて歯が立たないという有様であった。念の為に邑書林からだされた小池氏の句集と評論集を少し読んで、予備知識を増やそうと試みるがなかなか厳しい。
夜は、母の作ったカレーを食べる。テレビでは、宵山の中継が放映されてある。東の山からは赤い月が昇ってきている。そう言えば、昨日が満月の日であった。


【11年7月13日】
日曜日。『創生記』本番終了。ゲネプロ段階まで、様々な気懸かりがあったけれど、本番は一気に歌いきったという手応えがあった。
今回で3度目の『創生記』であったが、おそらく今までで一番その作品を生かせた演奏ではなかったかと思う。
特に、三人のソリストの歌唱はすごいの一言だった。
演奏会後、二次会は出町のKで。2時間ほど、飲みかつ談笑。
楽しい時間を過ごす。
月曜日以後、慌ただしい毎日で、少々疲れる。
週の半ばを終えて、ちょっと一息。


【11年7月9日】
廃墟の夢を見る。どうやら、元は大きな学校だったらしいところ。長い廊下やいくつもの小分けにされた部屋などの作りから、そのように思われる。高台に建つ建物らしく、廊下の窓越しに周辺地域を見渡すことが出来る。外は夜で、はるか下方に点々と民家の明かりが見える。そこも、何かの理由ですっかり寂れ果てているようである。
建物内には、かなりの人間が暮らしているらしい。どうやら、この建物に避難してきているらしい。
おそらく、東日本の大震災の避難映像などが、無意識に影響をもたらした結果の夢のようである。
荒廃の雰囲気の中で、避難民達の協力や軋轢のために、すっかり疲れ果てたらしい自分が、非常口のドアから外の階段に抜け出て、空を見上げると、異常な程の数の星が輝いているのが見える。天の川が、分岐点も含めてくっきりと黒い空に横たわっている。そして、空のあちらこちらでしきりに流星が流れる。
異様な美しさに視線を釘付け状態で星空を眺めていると、やがて無数の星をちりばめた全天が、それまで何かに塞き止められていた流れが動き出すように、ゆっくりと流れ始めた。巨大な河が流れ出すように、一つ一つの星の姿をくっきりと留めたまま、ゆっくりと全天が動き始めた。
宇宙全体が、大きく揺らめくようなそんな異常な感覚であった。
5時過ぎに起床。
梅雨開け一日目にしては、高曇りの空で、暑くなりそうな様子である。
オケ合わせが、夕方ではなく、昼過ぎからということで、予定を微調整する。


【11年7月8日】
あっけなく、という訳ではないが、近畿の梅雨が明けたようである。例年に比べて、2週間ほど早い梅雨明けであるらしい。
入梅の時期が早かったため、全体に季節がずれた、ということもあるまいが、これから例年になく長い夏を迎えるということになるのなら、少々うんざりというところである。
折しも、節電が喧伝される中での長い夏であるなら、輪をかけてげんなり、ということになるのかもしれない。
ともかく、忙しい1週間が終わる。昨日は、職場で突然ひどい耳鳴りに襲われて、それが夜まで続き、困惑する。
梅雨明けを知らせるのか、夕方の空はきれいに夕焼けて、なかなか雰囲気のある情景であった。
明日は、母が来京。夕方からは、本番前日のオケ合わせ。日曜日は、午後から「創生記」の本番を迎えることとなる。
甥は、夕方から友人と食事に出かけたらしい。こちらは、病院を終えて、久しぶりに外食。
帰宅後は、洗濯もしないで、ぼんやり過ごす。


【11年7月3日】
日曜日。『週刊俳句』の青木氏の論考が面白い。近代俳句とは、そもそも何ものなのか、という根本的な問いかけを、彌榮氏の評論を考察する中で展開しているように思う。
俳句近代化の中で、俳句形式自体が大きくゆがみやひずみ(彌榮氏はそこに、近代俳句が俳句たり得る要点を見ていると、青木氏は読んでいるようだが)をもたらされたようで、その原因にあたるものが「写生」という方法論の導入であるようだとする。というより、俳句形式と「写生」という方法論との相克の中で、俳句は近代化してきたというようなことであるようだ。
彌榮氏の次回の評論、飯田蛇笏に関する論考の中では、、あるいはその相克がいかにそれが俳句に近代化をもたらしたか、などということが、蛇笏実作を通じて明らかにされるかも、などと、勝手に刺激を受けて勝手に想像してみたりもする。
いずれにしても、興味深い青木氏の評論である。それが、一般の総合誌に掲載されるのではなく、ネット上に公開されるところが、また面白い。
それにしても、俳句総合誌が彌榮氏の評論について、正面から取り上げるのはいつなのか、あるいは全くそのようなことはないままに過ぎるのか、などと言う点も興味深くはある。
季刊だけれど、『俳句研究』なんかが、特集でも組んでくれたら面白いのにとも思う。
日曜日。五時過ぎに、起床。NHKの演芸番組など、見る。音楽漫談やら手品やらパントマイムやら、盛りだくさんの上に面白い。早朝から、笑ったり、感心したりという有様であった。今朝は、きちんと朝食を作り、洗濯機を回し、居間の掃除など行う。
『鼎座』14号の原稿がそろい始め、編集作業を開始する。今号は、吟行報告などもあって、少しページ数が増えそうである。


【11年7月2日】
六月も終わり。すでに半年が、過ぎた。
大雪の年始の日々が、まるでうそのような猛暑の毎日である。ここ数日は、夜中に暑さで目が覚め、慌ててエアコンのスイッチを押す始末であった。
本当に、異常な天気である。
とは言え、節電ということもあり(関西電力の言い分は、大阪府知事の弁ではないが、確かにちょっと胡散臭い、きな臭い点があるような気はするが)、LED電球など買ってきて、今の照明を入れ替えたりする。エアコンは、一度室内を冷やして後(28度設定で動かしても、室温はせいぜい30度まで下がる程度らしいし、それなら外気とさほど変わらないことになる)、28度設定で動かしたりする。換気扇をつけっぱなしにするな、エアコンをつけたまま外出するな、などとうるさく甥に注意したりもする。
しかし、こんなことで効果があるのだろうか、とも思う。
7月に入って、早々に期末試験に突入。すでに2クラス分採点を終了。
7月に入ると、各企業からの求人票の送付が始まる。厳しい経済状況の中で、今年はどうなることか、担当者としては大変気懸かりである。
金曜日、夜。合唱の練習。今回も、京都市の北まで出かける。響きの良い会場だけれど、肝心の合唱の方は、まだ覚束ない部分が何カ所もある。日曜日には、最後の日曜レッスンで、まとまった練習時間が確保されるけれど、今日はとうとうベースパートに自主練習の話が出る状況となる。どうしても、5曲目が上手く歌えていないということで、日曜日、午前中に集まって特別練習をということだ。かなり、ピンチということである。
土曜日、昨日病院に行って、腰を引っ張ってもらったりしていたので、ひさしぶりに朝の「歩き」。股関節が痛くならない程度に、近所を歩いてみる。すでに太陽は昇っているのだが、まだまだ涼しくて、歩いていても気持ちが良い。
準備が面倒なので、コンビニで朝食を買って帰る。コーヒーを入れ、洗濯機を動かして、朝食をとる。
アメリア・アレナス著『なぜ、これがアートなの』を読む。具体的な作品をかなり精密に分析鑑賞しながら、現代美術について通時的に語る、そんな内容の本。絵画、彫刻、写真まで分野を広げて、特徴的な作品をコンパクトに網羅しているという印象。日本人の作品なども数点紹介されている。面白い。