日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
11.2「日々録」 | 11.3「日々録」 | 11.4「日々録」 | 11.5「日々録」 | 11.6「日々録」 | 11.7「日々録」 |
【11年8月29日】
金曜日。一日かけて、進路関係の書類の準備の指導終了。神経が疲れる。
明日は、学校公開のために出勤。書類準備の指導と同時進行的に、こちらの方のクラブ関係の準備も行う。暑い中の2時間ほどの準備作業。会場準備。体力的に疲れる。
『鼎座』第14号の原稿を刷所に渡す。9月半ばには出来上がる予定。
土曜日。学校公開は午後からなので、遅めに出勤。クラブ見学者は8名。校内に展示された生徒作品を見学後、簡単な創作。石を使って、その形を生かした小さな絵を描く。在校生も見学生徒も結構真剣に作業。途中、ゲリラ豪雨。ものすごい降りで、軒下に置いてあった見学生徒の靴が少し濡れる。
美術部の展示のために、本当に久しぶりにイラストを描くために、必要なものを買いに行く。ケント紙と墨汁、筆は手に入ったが、肝心のペン先とペン軸を売っていない。もっと大きな文房具店に行かなければ、そのようなものは売っていないのかと思う。と言うのか、果たして売っているのだろうか。
帰宅後、仕方ないので鉛筆で下書きのみを書く。
日曜日。市内の大型店へペン先とペン軸を買いに行く。ところが、売っていない。仕方ないので、本を買って帰る。『解釈と鑑賞』。特集は「筒井康隆」であった。帰りに、ブックオフにも立ち寄り、本を3冊ほど買って帰る。
帰宅後、ネットで、昨日、今日と行われている吹奏楽コンクールの結果を確かめる。ところが、弟の奥さんが参加している楽団が棄権となっている。一体どうしたのかと思っていると、郷里の母から電話がかかってきて、棄権となった楽団の指揮者の人が演奏中に倒れ、心臓麻痺で亡くなったと知らせてくれる。先ほど奥さんから電話が入ったとのこと。大変驚く。月曜日。会議と研修。その間に、授業準備。
【11年8月25日】
腰痛の原因の一つは、ベットのせいかもしれないとも思う。少し、スプリングがへたってきているせいではないか。固いものを下に敷いたらよいのかもしれない。
阿川大樹の『D列車で行こう』読了。ちょっと出来過ぎかな、とは思うものの、楽しめた小説。同じ作者の企業小説があるみたいなので、そちらも読んでみたいと思う。
このお盆帰省中に、『鉄子の旅』という漫画にハマる。「乗り鉄」漫画というのか、そのマニアックぶりが大変面白かった。その流れで、今回の『D列車』となった次第。
その後、亡くなった小松左京の短編小説集を1冊読む。面白い。『日本沈没』の第二部をいつか読んでみようと思う。集中、「くだんの母」は、ずっと昔、石森章太郎(後、石の森章太郎)の漫画で読んだことがあったな、と思い出す。
進路指導は、ようやく一段落。かなり神経をすり減らしたという感じである。その分、夜がよく眠れる。ついでに、昼間でも眠くてしかたがない状態となる。頭が今ひとつちゃんと働かない、という感じ。困る。
『鼎座』第14号の編集作業が終わる。掲載するつもりの文章を無しにして、改めて別の一文を書いたせいで、編集作業が遅れる。今日、印刷所に連絡。9月の上旬には、第14号が刷り上がるのではないか、と思う。
岐阜吟行会のメンバーで、半歌仙を巻いている。インターネットのメールを利用しての半歌仙。思った以上に、メールが上手く機能しているようで、順調に進む。間もなく、巻き上がるのではないか、と思う。
夕方、ゲリラ豪雨。雨がやむまで、退勤時間を延ばす。駅まで車で送っていただく。
【11年8月21日】
土曜日。午前中は、進路関係の四者面談で出勤。ついでに、教材など作る。
昼前に退勤し、腰のリハビリで病院へ。お盆期間中、通院出来なかったのだが、調子はそんなに悪くなかったので、安心。
リハビリを終え、少し遅い昼食を食べに病院近くの中華料理店へ。そこにおいてあった毎日新聞で、教え子の記事を見る。ちなみに新聞記事はネットに公開されているので、よければお読み下さい。毎日新聞。
実は、帰省中に、ベランダ全体が鳩のトイレ状態になっていて、ひどい有様なので、糞の除去とベランダ全体の清掃をしようと、消毒薬やら洗剤、デッキブラシやバケツなどを買って帰る。インフルエンザ流行時に購入したマスクを付け、堅くなった糞はふやかしてひとつひとつ紙で取り除き、そのあとベランダの床面全体を消毒液で消毒し、その後洗剤とデッキブラシで洗い、大量の水で洗い流す。鳩の糞の処理としては、ちょっとまずい点もあるのかもしれないが、今のままではベランダ使用不可状態なので、思い切って実行する。鳩の糞は、そうとう厄介な代物らしい。
清掃後、夕方まで文章を書く。『鼎座』に載せるつもりだったものを、加筆訂正。次号に掲載するのは、どうにも無理っぽいので、14号の目次や後書を修正する。
夜、夕食後、ちょっと横になるつもりで、そのまま熟睡。夜中に目を覚まし、その後は寝たり起きたりの繰り返しで、朝を迎える。
日曜日。5時過ぎ、起床。『鼎座』の予定原稿が駄目になったので、別の文章を書く。
朝食後、洗濯。昨日洗濯槽の洗浄をしたのだが、その後の塩素臭が気になるので、もう一度洗濯物なしで、洗って後、洗濯。天気が良くないので、室内干しとなる。
【11年8月18日】
水曜日。午前中の新幹線で帰京。そのまま、職場へ直行し、進路関係の四者面談を四組担当。夕刻、退勤。さすがに、疲れる。
夜、出来合いの夕食を済ませ、一休みするつもりで横になっていたら寝入ってしまう。
夜中に目を覚まし、少し本を読んで、また寝る。非常に奇妙な夢をみる。ただ、内容は憶えてなくて、奇妙という印象だけが残っている。
帰省中に高校時代の同級生の何人かと会う。その中の一人の人から聞いた「金縛り」体験の話が尾を引いているのかも知れないとも思う。
木曜日。5時、起床。いつも通りのペースで、朝食、出勤。今日は、午後から四者面談が3組控えている。午前中から、午後にかけては、2学期の教材作り。
それにしても、暑い。
美術部の子たちが、秋の展覧会に向けて油絵作品を製作中。中の一人が、屋外での写生作品を描いているのだが、午前中は日の差す所に三脚を立てて校舎の風景を描いている。日射病にならないかが、気懸かりである。
夕方、面談終了。空は雨が降り出しそうな様子である。車で、近くの駅まで送ってもらう。
出来合いの夕食。甥はまだ郷里にいる。
『醍醐会』の会員さんの一人で『幡』の平石和美さんから新著『畳日借りて 飯島晴子の風景』を送っていただく。早速、読ませていただこうと思う。
【11年8月12日】
木曜日。朝、5時過ぎ起床。「歩き」に出る。高曇りの朝。少し風もあって、涼しくて気持ちよい。1時間ほど歩く。畑の仲の砂道を歩く。
しかし、気持ちよいのは朝だけで、その後雲が切れて、青空が広がってくるにつれて、気温がどんどん上がっていく。やがて、35度超となり、外に出る気を完全に失う。
昨日、ブックオフで見つけた地元の俳人筒井寸風の評伝を本日読む。寸風はおそらくほぼ無名の俳人の一人。実は、私も初めてその名を聞いた俳人である。江戸末期に生きた人物である。活動時期から月並み宗匠の一人のように思われそうであるが、その作品はたとえば「木枯しや垣根にのこるからす瓜」のように、いわゆる「写実」的な作風をその特徴の一つとしている。もちろん、子規が提唱した方法論としての「写生」とは無縁な地点で生まれた作品ではあろうが、自然を対象として無心に歌われた作が、結果として「写生」句となっている点が面白いと思う。
金曜日。5時過ぎから「歩き」。朝は涼しくて、気持ちが良い。朝食後、墓掃除に二カ所回る。主に草取り。日が差すと暑いけれど、日が陰ると、冷気を含む風に初秋を感じる。
墓掃除の帰りに、帰省の折りは良く行く白鳳期の廃寺跡に立ち寄る。金堂の基壇跡や三つの塔の心礎の岩が残っているだけであるが、背後の山並みを眺めながらしばらくその場に佇んでいるのは悪い気分ではない。目前の山から、ヒグラシの声が幾重にも水輪立つように聞こえるのも良い。
いったん帰宅。昼食後、市内まで。いつも行く古本屋へ。2冊ほど本を購入。さらに足をのばして、市内で写真館を経営している知人のところを尋ねる。1時間ほど、話す。今でも残る土葬の風習などについて、珍しい話を聞く。
夕方、帰宅。ブログに書き込みがあって、元担任をしていた子がM新聞のインタビューを受けたとのこと。消しゴム版画と東日本大震災のチャリティーの仏像Tシャツの話題で取材を受けたとのこと。記事掲載楽しみである。
そういえば、今夜はペルセウス座の流星群が眺められるらしい。夜中から明け方にかけて、全天に出現するらしい。今はまだ月が中天にかかっていて、明るくて星空が見えにくい。
【11年8月9日】
日曜日。県の吹奏楽コンクールの日。車を運転して、県中部の町まで出かける。
結果自体は、ほぼ前評判通りのものであったが、しかし、細かい部分では、素人の私が聞いていても違和感をおぼえるような審査結果が出た。審査員は、毎年変わるのだろうから、その年々によって多少のぶれとでもいうものが生じることはあるのだろうけれど、今年はそれをずいぶん露骨に感じてしまった(車で同行していた、音楽を専門に学んだ二人を含む皆が同じような違和感を抱いていたので、私の素人なりの軽率な判断というわけでもないと思われる)。
公正な審査が行われなかったという訳ではないが、ただあるいは複数の審査員に妙な志向の偏りがあって、それがかなりはっきりと審査結果に反映したのではないか、と思われた。すでに、前日の中学校の審査結果についても、反響はあり、今年は予想外の「波乱」が生じるのではないか、との危惧の声も上がっていたほ
どだったのだが。
幸い弟の指導する学校は、そのとばっちりの一部を被りつつも、次の広域地域大会への出場権を獲得したのだけれど、帰りの車を運転しながらも、ほっとすると同時に妙な気持ちの悪さを感じもしたものだった。
月曜日。5時過ぎに起床。「歩き」に出かける。環境が変わったせいか、腰の状態がそれほど悪くない。1時間半ほど歩き、帰宅。歩きながら、次の辻田克巳論の構想を考える。朝、歩きながらものを考えるのは、頭がまっさらなせいか、なかなか良い。
今日も、猛暑の一日。しかも、昼過ぎから、ゲリラ豪雨に見舞われる。
昨日から読んでいた『伊勢物語』読了。業平の物語という視点をずらして、登場する女達の物語という観点から眺めてみるのも面白いと思う。俵万智とか、そんな観点で『伊勢』のエッセイを書いているのかもしれないけれど。
【11年8月7日】
土曜日。『里』の第101号へむけての「出立会」に参加する。『里』は島田牙城氏と仲寒蝉氏を中心とし、信州を拠点に活動する俳句結社と同人誌との中間的スタンスを保つ俳句集団である。若手俳人の佐藤文香氏や上田信治氏もその会員の一人である。
なぜ、私がそんな会の集まり招待されたのか、実は良くわからない。ただ、島田牙城氏の「邑書林」で第一句集を出したという繋がりや岩城先生との関係ということはあったのかもしれない。面識のある方では、竹中宏氏、中田剛氏、中村与謝男氏、樋口由紀子氏、なども参加されていた。また、本当に久しぶりに茨木和生氏にお会いして、挨拶をすることができた。私は、一時期茨木氏の結社『運河』の句会に参加させていただいとことがあるのだ。
「出立会」は、二部構成になっていて、15時からの句会、18時30分からの祝宴で、私は最初句会のみの参加のつもりだったが、その後の祝宴にも参加することになり、本当に楽しい時間を経験することができた。
句会、祝宴を含めて、『里』句会の方達のエネルギッシュな点には、圧倒されるような思いであった。結社と同人誌の中間形態という性格が、会全体に自由な雰囲気をもたらしているようであった。
終宴後、樋口さんと方向音痴の話などしながら、楽しい気分で帰宅する。
日曜日。昼前の電車で帰省する。
【11年8月3日】
日曜日。「醍醐会」開催。映像ディレクターの野崎朋未氏を招き、「伝えるとは何か」をテーマとして、講演とドキュメンタリー作品の上映が行われる。野崎氏は、昨年度大阪府において、定時制高校の入試で170人あまりの不合格者が出るという前代未聞の出来事を取材した『希望って、何?』という番組のディレクターとして、第6回放送と女性ネットワーク賞大賞を受賞した方だ。
話題が教育問題と言うこともあって、会全体の流れがややその方面に傾いたきらいはあるけれど、「伝える」ことと「伝わる」事との間に存在するいくつもの壁、という問題提起は考えさせられるものであった。俳句という限定された話題を離れ、より広い視野で表現・伝達について考える契機をいただいたように思う。
「醍醐会」終了後、久しぶりに二次会に参加する。木屋町のTの2階の座敷にも、久しぶりに上がった。
2時間ほどの打ち上げ会だったけれど、ずいぶんテンションの高い宴会になって、少々圧倒されるところがあった。大いに刺激的でもあったけれど。
一部の人は、引き続き祇園の「Y」へ。私は、二次会で失礼して、帰宅。途中、宴の話の中で是非読むことを進められた上野洋三氏の芭蕉関係の本を買って帰ろうと、河原町のジュンク書店へ立ち寄ってみたが、すでに閉まっていた。残念。
後日、図書館で上野氏の『芭蕉、旅へ』を見つけ、読み始めたが、すぐに以前一度読んだことがあるのに気づく。改めて読み直してみると、その緻密で該博な知識に驚く。以前読んだ時は、一気に読んで、面白い視点で芭蕉の旅を語っているな、という印象は持っていたのだが。
月、火と進路指導並びに、その詰めの作業で疲れ切る。
水曜日、やっと言わば指導の第一段階が終了する。色々なタイプの生徒を相手にするので、その対応のひとつひとつにずいぶんとエネルギーを使う。
指導の合間に、気分転換を兼ねて阿仏尼の『十六夜日記』を読む。本文は読みやすく、和歌も比較的分かりやすくて楽しめる。
古文は、本当は和歌をしっかりやったら面白いのにな、などと考える。古典世界のエッセンスが、和歌には籠もっていると思う。