日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【11年9月27日】
今日は、体育祭。校外の施設を利用しての活動。
電車からバスに乗り換えて会場へ。集合時間まで、やや余裕があるので、施設内をぐるりと散策する。良く手入れされた芝生が美しい。どこかで、和楽の笛を練習しているらしい音が、繰り返し聞こえる。広大な施設なので、そんなこともまわりに迷惑をかけずに出来るのだろう。
1時間ほど自転車の駐輪指導の後、会場の陸上競技場へ移動。体育祭が、始まる。
個人種目や団体種目、リレー競技など、結構会場は盛り上がる。
こちらは、ちょうど就職試験に期間で、そちらの方も気にかかり、なんどか職場に携帯を入れたりもする。内定の連絡やら、ちょっとややこしそうな就職試験にかかわる問題などが、発生。居残りの先生と打ち合わせつつ、事を進める。
体育祭は、4時過ぎに終了。車に便乗させていただいて、職場へ。昨年就職の世話をした卒業生が二人、偶然休みが一致したということで、遊びに来ていた。しばらく話をする。
帰宅。甥が過労で一日休んでいたということで、簡単な夕食を作って食べさせる。こちらも少々疲れていたので、浅酌後、夕食を食べる。
洗濯をして、室内に干す。室内とはいえ、一晩で結構乾くものである。
堀井憲一郎の『落語論』の延長で、桂米朝の『藝、これ一生』を読む。面白い。落語家の中で、唯一、落語について語る力を持つ者は桂米朝のみである、という堀井氏の弁を信用して読み始める。確かに、面白い。語られる藝と人について、何気ない語り口の中に、何というのか確かな感触、手応えというようなものを感じる。


【11年9月24日】
清水貴久彦さんの短編小説集『分福』より、作品を1編紹介させていただきます。
最後に、私の拙句も載せられています。タイトルは、「マジシャン」です。

「   
マジシャン

 井上が風呂上がりのビールを一杯飲み干したとき、電話がなった。コップをテーブルに置き、枝豆の塩がついた指を舐めながら受話器をとると、聞き慣れない少し訛のある声がした。
「あのー、井上さんのお宅でしょうか」
「はいそうですが」
「茂男さん、井上茂男さんおられますか」
「私がそうですが、お宅は?」
「あー、失礼します。私は、宮前町にある『ケアセンター光』の事務局長で長野といいます」
「はあ、ケアセンターといいますと」
「介護の必要なお年寄りを預かったりする施設です」
「その介護センターの人が私に何の御用ですか」
「実は、施設でお世話になっている内科の大谷先生のご紹介で電話をさせていただいたのですが」
「ああ、大谷君ね。私の幼馴染ですよ。それで、私に何か」
「井上さんは、K市のアマチュア・マジシャンズ・クラブの会長をしておられるとうかがったのですが」
「大谷君がそんなことしゃべりましたか。昔は一緒によく練習したんですけどね。大谷君、最近は忙しいと言ってさっぱり顔をみせませんよ」
 妙な所からの電話だと最初はいぶかしく思った井上であったが、マジックの話になるとついつい口数が多くなる。
「お宅のケアセンターで、大谷君がおもしろいマジックでもやって見せてくれましたか」
「いえ、それが。大谷先生が手品の名人とうかがったものですから、うちに来ているお年寄りに何か見せてやって欲しいとお願いしたのですが、断られまして」
「へえ、断った」
「何でも、ここへは内科の医者として来ている。マジックが見たいのならプロのマジシャンを呼ぶべきだ、とおっしゃいまして」
「ああ、大谷というのはそういう男ですよ。プロとしての仕事がしたい、といつも言ってますから」
「ところが、プロを呼ぶほどお金がなくて」
「ああ、それで私というわけですか」
「すみません。大谷先生が、プロがだめなら、アマチュアとして研鑽を積んでいて、見ている人を心底楽しませる人を呼ぶべきだ、とおっしゃるものですから」
「私でよければ、いつでも行きますよ」
「えっ、よろしいんですか。本当に来ていただけますか。御礼も雀の涙ほどしか出せないんですが」
「謝金なんていいです。その代わりと言っては何ですが、うちのクラブに新しく入った若い女性を一人連れて行ってもいいですか。その新米にも場数を踏ませてやりたいものですから、まず小さな所から、おっと失礼、市民会館のような広い所ではないという意味です」
「若い女性もご一緒ですか。もちろん、結構です。というか、より華やかになります。どうぞよろしくお願いします」
 若い女性を連れて行くと言ったら声の調子まで変わったな、と電話の向こうの長野と名乗る男の顔をあれこれ想像しながら、井上は空いたコップにビールを注いだ。
 約束の『ケアセンター光』でマジックを見せることになっている日も近づいたある日、市の文化センターの一室で、井上は若い女性に細かい助言をしていた。月に二度はクラブの会員がこの部屋に集まって練習するのだが、今日は特別に若手の指導をしておかないと、ケアセンターでの時間の三十分がとてももたないと思い、臨時で部屋を借りたのであった。
「だめだめ、ロープをじっと見続けてちゃだめだよ、喜美ちゃん。お客さんが変に思うだろ。ロープを切ったら両端を持って、お客さんの方を見て少しだけ微笑む」
 言われた通りの動作をして見せた女性に向かって、井上は弾むような声をかけた。
「そう。その調子。だけど、あんまり長くお客さんの方を見ちゃいけないよ。舞台から長い間見つめられたら、お客さんは見下ろされているようで嫌な感じがするだろ。何もお客さんと勝負してるんじゃないからね」
「わかりました」
 喜美ちゃんと呼ばれた新人の瀬川喜美は、素直に返事をした。
 その後の手順を何とかこなし、最後に三つに切ったロープが一瞬にして元の一本になるところを見せて丁寧にお辞儀をする瀬川に目をやり、井上は、軽く手を叩くと嬉しそうに言った。
「よし。次はコップの水を消すのをやろう。ロープマジックだけじゃちょっと物足りないからなあ」
 井上は、紙コップを取り出し、中に何もないことを瀬川に見せた後、そのコップを一回転させて、中から派手な色のついたシルクのハンカチを何枚も取り出し、次いでコップに花を咲かせた。驚く瀬川を安心させるように、井上は言った。
「大丈夫、喜美ちゃん。ここまでは、種があるから、そんなに難しくない。問題はここから。いいかい? ちゃんと見ててよ」
 井上は鋏を取り出すと、紙コップの底を切り取り、その底のない紙コップを左手に持った。右手で水差を取り上げ、おもむろに左手のコップに水を注いだ。初めて見るマジックに、瀬川はあっと小さく叫んだが、紙コップの底からは一滴の水も漏れてはこなかった。井上は、そのコップを逆さにして水が残っていないことを見せ、不思議そうにしている瀬川に笑いかけた。
「不思議だった? ちょっと練習が必要だけど、やってみよう。デビューの出し物としては、中位かな。それでも、K市アマチュア・マジシャンズ・クラブの会員としては、これくらい出来なくちゃ」
 そう言って、井上は、前半の種を見せ、後半の手順を丁寧に教えた。注いだ水がなくなるように見せるのは、コップの中に水を吸収して固まる粉末を入れておくだけのことである。底のない紙コップと底のある紙コップをうまくすり替えることができるかどうかで、このマジックの成否が決まる。瀬川は、井上の指導を受けて、コップのすり替えを何度も練習した。
 約束の日。『ケアセンター光』の一階フロアーには、デイサービスを受けている二十人くらいが馬蹄形に並んで座っていた。ほとんどが椅子に腰掛けていたが、四五人は車椅子に座って、これから始まるマジックを心待ちにしていた。センターでは月に何度か様々な行事を企画していたが、マジックは久しぶりのことであった。馬蹄形の形の後ろと左右にセンターの職員が立っていたが、老人を見守るというより、自分達もマジックが見たいという気持が前面に出ていた。そこへ、事務局長の長野の先導で、井上と瀬川が現れた。
 ボケの人が多いのではないか、そこでマジックをしても分ってもらえるか、そもそも不思議がってもらえるか、と心配していた井上であったが、一階フロアーを占めた人々の盛んな拍手と、好奇心たっぷりな顔つきをみて、これならいけると思った。
 最初は、井上のシンブルという技である。まさに技と言ってよく、何ら種はない。裁縫のとき針の頭を押すため指にはめる輪(キャップ)をシンブルというが、そのシンブルに似たキャップをまず左人差し指にはめ、それを消してみせる。ついで、中指に出現させ、また消しては次々指を移動させ、右手の指にジャンプさせたと思ったら、シンブルを二つにして、消したり出したり、移動させたりした。そこまでは黙って見ていたお年寄たちであったが、左手の五本の指先すべてにシンブルが揃ったときには、オーッという歓声があがり、両手の指十本に、まるで花が咲いたようにシンブルが揃ったときには、大きな拍手が響き渡った。
 もちろん、最後にはベテランである井上がもう一度舞台に立ち、カード(トランプ)を出して、広げたり、飛ばしたり、消したりする妙技を見せ、カードをシルクのハンカチに替えてそれを空中に放り投げると一瞬で白い鳩に変わる、というとっておきのマジックで締めるつもりでいた。そのためには、上着のポケットに様々な物を隠して準備をしなければならない。次の瀬川喜美の演技が気にはなったが、井上は別室に移動して準備に取り掛かった。
 井上のシンブルの演技の後を受け、瀬川のロープマジックが始まった。新人ではあったが、くり返し練習して手順もすっかり頭に入っている。目をつぶっていても、テーブルのどこに鋏が置いてあり、次の仕掛けがどこに置いてあるかがわかるくらいであった。落ち着いた手足の運びで、また井上に教えられた通りの目の使い方で、観客を引きつけることができた。井上と違って、派手な衣装を身につけた若い女性マジシャンということで、余計に盛り上がった。
 ロープのマジックが終わって、いよいよ、問題の紙コップのマジックを披露するときが来た。瀬川は一歩前へ踏み出すと、テーブルの端に置いてあった紙コップに手を伸ばした。ちょうどそのとき、次のマジックの準備を終えて井上が舞台の横に戻って来た。井上には、瀬川がやや緊張していることがわかった。コップのマジックも随分練習した瀬川ではあったが、ロープほど自信がない。当然、動作にもその自信のなさが現れて、いかにも硬い動きであった。井上は、こりゃまずいなと思ったものの、もうマジックは始まっており、どうしようもなかった。声をかけるわけにもいかず、ラジカセの所に行き、バックに流している音楽を大きくした。瀬川はそれに気づき、一瞬井上に目をやり、一呼吸おいてから、ゆっくりと次の動作に移った。
 その後の瀬川の演技は、ほぼ順調で、井上も、このままうまく終ってくれ、と祈るような気持で新米マジシャンの姿を横から見つめていた。後少しで大きな拍手をもらえる、と井上が確信したその時、瀬川が大きなミスをした。底のないコップと底のあるコップのすり替えに失敗したのである。もちろん、見ている者にとっては自然の流れのなかの動きなので、何が成功で何が失敗かは分らない。しかし、この手順ですり替えておかなければ、もうその機会はない。ということは、水を注いだ瞬間、どのような結末が待っているか。井上は凍りついた。舞台の上の瀬川は、顔をこわばらせながら、とりあえず音楽に合わせて体を、そして手を動かしていたが、もう流れを止めるわけには行かない。最後の手順、底のないコップに水を注ぐ段になって、目をつぶった。
 水差の水は、コップにはたまらず、そのまま床に落ちた。見ていた老人も、センターの職員も、一瞬何のことか分らず、呼吸が止まったかに見えたが、次の瞬間、マジックが失敗に終わったことを悟って、笑いと拍手が交錯した。
 翌日、落ち込んでいた瀬川へ、井上から電話があった。
「喜美ちゃん、昨日はありがとう。あんな失敗なんか、気にするなよ。全体として、いい出来だった。立派なK市アマチュア・マジシャンズ・クラブの会員だよ。それより、センターの事務局長からのたっての依頼でね、マジックのことで、喜美ちゃんにしばらくセンターに通ってもらえないか、ということなんだけど」
「私は、昨日、大失敗したんです。そんな私が、なぜ指導に行くんですか」
「いや、実はね、指導でなくて生徒でということなんだけど」
「はあ、生徒で? どういうことですか」
「昨日の喜美ちゃんのマジックを見ていたお年寄の一人がね、昔マジックをやっていたということで、喜美ちゃんに特訓をして立派なマジシャンになって欲しいと言っておられるらしい」
「要するに、その方の慰問に行けというわけですか」
「そう、よほど気に入られたみたいだ。だけど、もちろん嫌ならいいよ。私から断っておくから。どうもそのお年寄、相当ボケていて、昔マジックをやってたというのも本当かどうかあやしいらしいんだ」

緑さすコップにもある水の底  すずきみのる  」


【11年9月23日】
お彼岸の中日。今日は、学校説明会で、午前中出勤。こちらは、その前に模擬面接を一つ。明日が試験ということで、気がつけば、休憩を挟んで2時間ほど集中的に面接指導。
その後、美術部の方へ顔を出す。クラブ体験者は3名。一緒に人物デッサンを行う。どうしても、イラストになってしまう。
目がそうなっているのでしょうね、と第一顧問の先生。
正直言って、見ないで描く方が、楽々と描けると思う。というのか、さっと全体を見て、あとはこちらの方で自由にそれらしく描く方が描きやすいということか。
何となく、自己の俳句の句風と共通する面があるように思う。
昼過ぎ、クラブ体験終了。退勤する。
午後、自宅。清水さんが送ってくださった短編集『分福』を読む。面白い。ひとつの俳句を契機として、作品を構想していくという手順で作られた短編作品集。とは言え、お話は俳句から独立して一つの作品世界を構築している。そして、困ったことには、さらに読みたい。この話はこの先どうなっていくのか、という地点で、作品は惜しげもなく終了し、俳句が一首置かれてある。最後は、短編作品と俳句との取り合わせ作品として、読者の自由な想像と創造に委ねるということなのだろうか。それにしても、清水俳句が自在な語り口で作品世界を作り上げるように、この短編作品集においても、そのストーリーテリングの巧みさにはつくづく感心してしまう。
夕方、近所を歩く。Tシャツ、短パン姿で歩くと、少々肌寒いほどである。台風一過、冷気が侵入したということなのだろうか。近所の人工河川(ほとんど水路と思っていたのだが)で、小さな網を使って魚取りをしている親子の姿があった。魚などいないもの、と思っていたのに、15センチほどの大きさの魚が数匹とれていた。オイカワか何かなのだろうか。それにしての、人工河川が一歩自然の河川に近づいているのを知って、ちょっとうれしかったりしたものだ。
夕食は、おでんを作る。甥は、まだ食べたくないというので、早めに食事をとる。我ながら、たいへん美味しいと思う。


【11年9月19日】
日曜日、夕刻。高校時代の友人に会いに市内まで。
彼女は、書道をやっているひとで、今までにいくつかの大きな大会でも入賞した実績を持つひとで、今回の京都行は、日展予選会への作品提出の為の鍛錬会に参加したとのこと。この鍛錬会で、指導の先生の眼鏡にかなった作品が、表装の上、予選会へ送られるとのことだ。指導者の中には、日展選考委員の先生も含まれているとのことで、否応なく筆に気合いも入ることだろうと思う。
祇園歌舞練場の敷地内にある建物を借り切っての2泊3日の書三昧ということだ。飲みに行くまで、少し時間があるので、会場の建物内を案内してもらう。二階の大広間のような場所を会場として、各自が二畳ほどもある下敷きを畳の上にひき、書く場所をセッティングしては、書に打ち込まれているようだ。中には、貸し布団を会場に持ち込んで、ここを宿舎代わりにして3日間を過ごす人もいるらしい。見学した時間帯が夕方だったので、半数くらいの人は食事に出かけたりしているらしく、残ったひとたちは、大判の清書用紙に向かって筆を執っておられる。少し離れたところでその姿を眺めながら、静かな気合いというものをこちらも感じたりしたものだ。
歌舞練場から歩いて3分の所に、お店を予約しておいたということで、出かける。落ち着いた内装の店である。一見さん可という店だそうだけれど、夜は予約していないと席が取れないような状態である。いちいち注文するのが面倒なので、コース料理を注文し、飲み物は最初のみビール、あとは焼酎を飲む。
料理は、ゆっくり目に出して貰い、二人で四方山話。地元を離れて30年近く、一時期は「生死不明」であった私が、久々に高校の同級会に参加できるように便宜をはかってくれたのは彼女であった。郷里との繋がりの糸が再びできはじめたという点では、大変ありがたいことだった。
6時過ぎから始めて、9時まで。のんびり、ゆっくりと過ごす事が出来た。
店を出て、彼女は明日の朝食を確保するといって、コンビニへ。こちらは、タクシーで帰宅する。お喋り好きの運転手さんには、少々閉口したけれども。
月曜日。朝の「歩き」。ついでに、『鼎座』の未発送分50部ほどを、コンビニのメール便で送り出す。これで、第14号の発送作業は終了した。
帰りにいつもは通らない一画を歩いていると、各戸にやたら色コピーの掲示物が目立つ。読んでみると、「マンション建設反対」の看板のようだ。
通勤路の途中に、以前工場が1棟建っていて、それが滋賀県へと移転し、跡地がしばらく駐車場として使われていたところに、今回マンションが建つことになった。そのことで、どうやら揉めているらしい。さほど広いとも思われない敷地に7階建てのマンションが建つらしいので、こんなところにどうやって建てるのだろうとは思っていたのだが、やはり色々無理があって、そのことで地域の人達の反対にあっているらしい。
帰宅後、朝食。洗濯。ずいぶん遅くなって、甥が起床。今日は、午後から授業があるという。祭日なのに授業をする大学である。その後、練習もあるとのことで、しぶしぶ出かけていった。ご苦労さん、である。


【11年9月18日】
土曜日。1月空けての丹後「すき句会」(8月はお休みでした)。3連休の初日ということか、「はしだて1号」は、乗客の多さが目立った。それにしても、3月の編成改正後、「はしだて1号」の車両が、前の車両に比べて、席も狭く、古く汚くなってしまった。それが、不満である。朝一の丹後行き特急なのだから、もう少しまともな車両を使って欲しいと思う。もっと後の時間帯では、新式の車両が走っているらしいけれども。
丹後は、小雨交じりの空模様。その割に、結構蒸し暑い。いつもの食堂で、昼食を済ませ、会場の岩城先生宅へ。
1時過ぎからの句会。宿題は「盆」全般。席題は、「下り月、あるいは月全般」であった。一人10句で、投句数は130句あまり。C記を終え、近所のコンビニで人数分のコピーをして後、選句、披講という段取り。月の句、盆の句に面白いものが多かった。「すき句会」が始まって、もう8年くらいたつけれど、参加会員の方達の個性が、ますますくっきりと俳句作品に反映されてきているように思う。
意見交流に時間を取って、4時半過ぎに句会終了。電車の時間が迫っているので、一休みの後は、Nさんの車で、コンビニ経由で駅まで送っていただく。
列車が来るまで、駅舎で買ってきたビールを飲む。変なおじさん二人、という風情である。車中でも、引き続きビールやら発泡酒やら飲みながら、四方山話。
二条駅で、岩城先生は下車。私は、終点京都駅まで。8時過ぎに、帰宅。甥も先ほど大学から帰ってきたとのこと。
車中の発泡酒とおつまみが夕食代わりなので、すぐ就寝。残暑の影響か、少々バテ気味である。
『河野裕子読本』を読み始める。
日曜日。6時過ぎ、「歩き」。印刷の終わった『鼎座』第14号の発送で、一駅向こうのコンビニまで歩く。メール便で発送。
朝食、洗濯。朝から、ひどく暑い。ベランダに出した洗濯物は、よく乾くだろうけれど。
今日は、夕方から、高校の同級生と会う。祇園に連れて行ってくれるとのこと(何となく『逆』みたいな気もするが)。楽しみである。


【11年9月11日】
金曜日、夕方帰省。土曜日。父の33回忌。今回は、九州の兄も帰省したので、10年ぶりくらいで、兄弟3人がそろった。
お寺さんで法事の後、墓前でさらに読経していただいて、33回忌を終える。
その後、近所の料理屋さんで精進落とし。魚介類に松茸という、なかなかおいしい料理だった。
そういえば、お寺での法事の際、焼香を終え、席に戻り、着席したとき、右背後に人の立つ気配を感じて、おやっと思った事があった。振り返ってみたが、もちろん誰もいない。感覚の混乱みたいなものだったのだろうが、不思議な感じであった。
帰宅後、朝からなぜか右目が痛くて、土曜日も開いている眼科医に行き、診察を受ける。右目に傷が付いているという。原因は分からないけれど、すでに痛みも引いていて、目薬だけを貰って帰る。
帰宅途中、海浜公園に立ち寄って、しばらく荒れ気味の日本海を眺める。さびき釣りで、15〜20センチくらいの何か結構大きな魚を釣っていた。鯵だったのだろうか。
日曜日。昼前の電車で帰京。慌ただしい帰省であった。
車中、吉本隆明の『真贋』を読む。ベストセラーになった1冊らしいが、緩い内容の本であった。
帰宅すると、一足早く帰っていた甥が、リビングで寛いでいる。2週間ほど前の人間ドックの結果が郵送されていたので、内容を確認する。小さな異常はあちこちあるけれど、大過ない状態のようである。
月曜日。五時前、起床。いつもの朝である。6時過ぎには出勤。駅から歩き、7時過ぎに職場へ。慌ただしい一日であった。


【11年9月8日】
水・木の両日は、文化祭。受付と、進路の仕事の合間に、美術部の展示への顔出しと3年生の演劇の鑑賞とで二日間を過ごす。
以前にいた所では、この受付の仕事が結構気ぶっせいで、外部からのややこしい来訪者を食い止めるのに苦労したりもしたのだが、幸いそのようなことは全くなくて、ありがたい。
美術部の方は、例年になく来場者が多くて、ワークショップなども開催して盛況であった。演劇は、8クラス中4クラス見ることが出来た。いずれも、例年になくレベルの高いもので、楽しむことが出来た。1、2年生のパフォーマンスと教室劇はひとつも見ることは出来なかったけれども。
明日は、1限目に、表彰式。その後は、通常の授業である。
明日は、土曜日の法事のため、夕方から帰省の予定。日曜日には帰京する。慌ただしい週末となりそうだ。
資料のつもりで、堀井憲一郎の『落語論』を読み始める。「落語」について、ずいぶん個性的な考察が為されているようで、読んでいてなかなか面白い。中心にあるのは、「落語」は「ライブ」であるということのようだ。
寝る前には、『大鏡』を読む。読むとは言え、一日数ページ程度。
新たになった『静かな場所』NO7号を送っていただく。早速、読む。今号は、招待作品として、高柳克弘氏の「光堂」15句。そして、同人5人の作品15句が掲載されている。少数精鋭という言葉があるけれど、まさにいずれの作も読み応えのあるものであった。また、青木亮人氏の新連載「はるかなる帰郷−田中裕明の「詩情」について−」も、青木氏らしい手堅い切り込みの田中裕明論が展開されていきそうで、楽しみである。


【11年9月4日】
土曜日、午後。暴風警報発令中であったが、京都市内まで、イラスト作成用の用具を買いに出かける。地下鉄を降り、地上へ出ると、思った以上に風が強い。時折、大粒の雨がぱらつくように降る。品揃えで定評のある(という)店に行く。ペン軸、ペン先2種類、修正用のホワイト、ホワイト用の細い筆など購入する。まだ、しばらく雨は大丈夫そうなので、四条まで足を延ばし、ジュンク堂書店で本を1冊購入。ハインラインのSF小説。さらについでのこと、三条にまで足を延ばして、いつものブック・オフへ。何も買わず。本の配置換えが行われ、詩歌関係の棚が縮小されていた。残念。買う人がいないのだろうなあ、と思う。
京阪電車で帰る。
帰宅後、とりあえず1作のペン入れを行う。細かい作業になると、目が痛くなる。数十年ぶりにペン入れ作業を行ったのだが、思いの外出来るものだった。
夜、やや雨風が強まる。夜中に何度も目が覚める。
日曜日。一日かけて、あと2作の下書きの完成とペン入れ作業を行う。午後遅くになって、なんとか作業完了。消しゴムかけを行い、さらに背景の用紙にイラストを切り貼りして、最終的に出来上がり。マンガそのものは、高校2年生の段階からストップしたままの状態なので、絵柄とかはやはり古くさい。折角なので、3日後の文化祭公開に先立ち、スキャンして「ブログ版日々録」の方に3枚貼り付けておく。
ハインラインの小説を少し読み、早めに入浴。夕食も、「笑点」を見ながら早めに済ます。


【11年9月3日】
「暴風警報」は出ているものの、雨はなし、遠くの木々が揺れているところから、それなりの風は吹いているのだな、と分かる程度の状況。とはいえ、雲の流れは速い。今頃、台風は四国に上陸したことだろう。
「警報」発令のため、元々は文化祭直前の土日はリハーサルや準備のために生徒達が登校するはずが、それも禁止になっている。文化祭まで、数日残すのみで、こんな状況をやきもきした思いで受け止めている生徒も多いことだろうと思う。
文化祭の展示のおまけにイラストを描こうとして、ペン先とペン軸を買おうと、昨日夕刻、当てにしていた店へ買いに行ってみると、どちらも置いてないという。かなり大きな店であるにもかかわらず置いてないということは、他の店をあたってみても、置いてない可能性が高いということか。ペン先もペン軸も全く需要がないのだ、今頃になって気づく。ネットでの購入は可能なのだが(ロングテールの末端に位置するような商品になってしまったということなのか)、しかし時間的にとうてい間に合わない。さて、どうしたものかと思う。
とりあえず、下書きだけは書き上げておかなければと思う。太宰治の作品を元にしたイラストである。
『鼎座』第14号の1校が届く。問題点があれば、FAXで印刷所へ連絡することになっている。「一太郎」で作った原稿だけれど、割り付けなどが、うまく調整されてある。別のソフトを使って処理しているのだろうか、と思う。「一太郎」より、もう少し融通が利くソフトなのだろうか。


【11年9月1日】
朝から、雨である。電車を降りて、そのままバスに乗り、職場へ。まだ、管理棟への入り口のドアの鍵は閉まったままである。クラブ指導の体育教員以外には、まだ誰も来ていないようだ。朝練の生徒達がすでに登校して、教室棟や中庭に生徒のさざめきが響いている。進路室の鍵を開け、ドアや窓を開け、ともかく籠もった空気を入れ換える。雨は、強まっているようだ。結局、この雨が登校のおおきな妨げになったようである。
午前中は、短縮5限の授業。午後は、文化祭の準備となる。文化祭までは、もう1週間もないほどだ。
遠く台風の影響なのか、雨はやんだけれども、終日風が強い。日差しはまだきついが、風は涼気をはらんでいる。
夕方、駅まで車で送っていただく。いつになく、車の数が多い。どうしたのだろうか。
往復の車中では、ハインラインの『夏への扉』(新訳版)を読む。古き、良きSF作品。面白い。ずっと読みたいと思っていた作品の一つである。
夕食は、出来合いのもの。少しお酒も飲む。
甥は、受験のため、もうしばらく郷里にいる。現在、気楽なひとり暮らし状態である。
山田喜代春氏の版画カレンダーを9月に。今月の句は、「赤まんま平成童女に摘まれをり」であった。
今日は、10時から「週刊俳句」の10句競作の選考会がネット上で行われる予定である。
そういえば、2chの吹奏板の「中国地方の一般団体」が荒らされている。演奏中に亡くなった指揮者の方の話題から、強行に入賞団体に辞退を迫る書き込みに、集中して非難の書き込みがあった直後のことのようだ。非難をされた者の逆恨みが、それに乗じた者の愉快犯的行動であろう。ひどいもんだ、と思う。