日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【11年10月29日】
「角川俳句賞受賞作品「ふくしま」を読む。審査員の評価が賛否にはっきり分かれた作品であった。
すでに8月末、受賞作が「ふくしま」というタイトルの作品であると言うことを聞いていて、今回の東日本大震災を詠んだ作品だとは思っていたが、どのような作品なのか、期待半分で俳句賞発表号を待っていた。個人的には、審査員の評にあった「既視感を感じる作」「来年であったら受賞はしない作」かな、と思う。特殊な、特別な受賞作という印象であった。
金曜日。出張で京都市内へ。展示会の作品搬入や室内展示の準備にあたる。一日肉体労働で、腰が痛くなる。結局、今週は一度もリハビリに行けなかった。
展示を終えて、明日の公開日を前にぐるりと会場を回る。高校生とは言え、絵画部門はなかなか見応えのある作品が多い。特に北部校に実力者が多いように思う。
デザイン部門は、全体に今ひとつ。高校生が一番自由に自己の発想や感覚・センスを発揮出来そうな気がするのだが。
写真部門は、おおむね撮りましたという印象のものが多い。ただ、数名センスを感じさせてくれる撮影者がいた。なかなか面白かった。
立体造形部門は、色々と変化に富んでいて面白かった。映像作品も1点あったけれど、2作目が教室という場を生かした労作といってよいもので楽しめた。
書道部門は、どうかな……。
一度、帰宅し、かなり疲れていたけれど、市内まで「第九」の練習に出かける。立ちっぱなしで、腰が痛い。喉の調子は悪くないのが意外であった。
中村堯子氏の第三句集『ショートノーズ・ガー』読了。句集名は、現存の魚類では最も原始的な魚の名前だそうだ。含みのある句集名である。ちなみにガーそのものは作の中には出てこなかったように思う。句集全体の性格を象徴する命名だかならのだろう。
作品は、独特のずれや屈折感のあるものが多くて、面白かった。ちょっと気になったのは、「も」の使用と、繰り返しが結構多かったこと(これは意図的だったのか)。次々回の「醍醐会」の句集評の対象句集になっているはずだ。
土曜日。母が午前中に帰郷。甥は、郷里の特別支援学校で1時間半ほどの演奏会を行うためにすでに帰郷中。
明日は「醍醐会」で、今日はその準備のために一日籠もることになりそうだ。


【11年10月22日】
今日は、時代祭の日。夕刻からは、鞍馬の火祭も予定されている。しかし、天気は悪く、時代祭は降雨のために中止になるかもしれない。鞍馬の火祭は、雨天でも決行されるそうだ。何年も前になるけれど、連続して火祭りを見に行ったことがあった。山の闇を背景にして、大松明が男達に背負われて、鞍馬街道を移動するさまは、壮麗なものであった。火の粉と炎をうけた煙が龍のように真闇へとうねり上がる様も、迫力のあるものだった。
ただ、鞍馬への交通手段が、京福電鉄鞍馬線の2両連結電車しかないので、長蛇の列を並び、超満員の中を鞍馬まで揺られていくのは、かなり大変ではあったのだけれど。
今朝の夢。幽霊の夢であった。正確に言うと、ポルターガイストということになるのか。家の中のものが、勝手に移動する。あるいは、何かの気配が部屋の中に感じられる。異様な雰囲気の中で、ともかく一時避難しようと旅行にでようとすると、とうとうトイレ(トイレと霊というのは、なにか深い繋がりがあるのか……?)の中から、異常に太った男の霊が出現し、反射的に思い切り出張った腹を殴りつけると、風船が萎むみたいに縮んで壁の中に消えてしまった。なんとも奇妙な夢であった。
昨夜は、1週間ぶりにリハビリ。腰痛は、ずいぶん良くなったけれど、リハビリに行かないでおくと、だんだん痛みがつのってくる。もうしばらくは、通う必要がありそうだ。
その後、合唱の練習へ。本日で出演要件の練習参加回数の半分までいく。チケットの販売も始まっているので、予約しておく。すでに1600席中1000席ほどが売れたようである。本番は12月11日。まだしばらく期間はあると思う。
平畑静塔著『「京大俳句」と「天狼」の時代』。「天狼」編へと読み進む。「天狼」の「根源俳句」。東洋の無といい、無限の直前の静止状態を詠むといい、どうもよく分からない。斎藤茂吉の「実相観入」論と重なる部分があるという説明の方が、かえって分かりやすいように思う。


【11年10月20日】
日暮れが、本当に早くなった。出張の帰り、近鉄の車中から見る、日没後の雲の姿がなかなか美しい。
10月も下旬になるのに、ずいぶん蒸し暑い。出張先へ向かうタクシーの中で、運転手の人とひとしきり天候の異常さについて、話す。8月中に咲かせるつもりで世話をした朝顔が、今頃咲いている、一体どうしたのだろうと運転手さんは言う。「朝顔」は、秋の季語ではあるが、この時期に咲く朝顔はどうなのだろうか、と思う。
平畑静塔著『「京大俳句」と「天狼」の時代』を読む。
岩城先生は『木語』誌上に、長期間『京大俳句を読む』を連載されてこられたことを思う。
帰宅。夕食は、すき焼きであった。
微醺。ぼっと、良い気分になる。
少々、疲れているようだ。
今朝の夢が、断片的にではあるが、くっきり記憶に残っているのは、どういうことだろうか。首を痛めた、体調20センチほどのキリンとか。


【11年10月17日】
10月15日。『鼎座』の仲間の一人、清水貴久彦さんが亡くなられた。
それまでも体調はおもわしくなかったようなのだが、ここ3週間ほど全く連絡が取れない状態で、気懸かりではあったのだ。
15日、清水さんの故郷である丹後での句会の最中に、岩城先生の携帯に連絡が入って、逝去を知ったのだ。
16日、夕刻から岐阜市の斎場でお通夜。岩城先生ご夫妻、Nさん、Hさん、私が出席。病院関係、大学関係、清水さんの教え子さん達、俳句関係の方達が本当に大勢参列されていた。

清水さんとは、俳句を通じて楽しい時間を過ごさせていただきました。

心からご冥福をお祈りします。

「貴久彦の忌や神無月十五日」。


【11年10月12日】
10月10日。月曜日。『運河』700号記念祝賀会に参加する。シェラトン都ホテル大阪4階の「浪速の間」にて。400名近くの参加者で、本当に盛大な祝賀会となった。記念アトラクションは、「女道楽」で有名な内海英華。「女道楽」は、桂米朝の著作の中で出て来た話題であった。見事な三味線と張りのある声が魅力的。また、招待客全員に茨木和生氏の直筆の色紙が贈られた。私がいただいたのは、「傷舐めて母は全能桃の花」の句であった。
参加者の中には、久しぶりにお会いする方もいて、短時間の談笑を持つことが出来た。
火曜日、水曜日。考査準備終了。
木曜日。中間考査が始まる。こちらは、連日、公務員試験の1次面接指導。数名の生徒が1次筆記試験に合格したので、その指導。
面接指導とは言いつつ、ある種の対決状態。本日は30分2ラウンドの指導。集団面接対応なので、3対1という形で、面接官と指導員との二役をこなす。結構疲れる。
考査期間中ということで、生徒の応対がないので、昼食は外に食事に出る。久しぶりに「王将」の餃子を食べる。何年ぶりだろうか。学生時代は、「眠眠」よりは「王将」にもっぱらお世話になっていたが、それ以後は数年に1度食べに行く程度であった。「眠眠」はたまに行く。それにしても、「王将」の味は変わらないな、と思う。
退勤、帰宅。「週刊俳句」の中心メンバー西原天気氏から句集『けむり』を贈っていただく。最初の数句を紹介。「はつなつの雨のはじめは紙の音」「まばたきの軽さに浮いてあめんぼう」「白南風や潜水服のなかに人」「蓮ひらく下にたつぷり暗い水」「糸屑をつけて昼寝を戻り来し」軽妙洒脱な印象の句が多いですね。


【11年10月8日】
茨木和生主宰の『運河』俳句会から、『松瀬青々全句集』上巻を送っていただく。これで、『松瀬青々全句集』上・下巻が完結したことになる。10日には『運河』700号の祝賀会も予定されている。師系を大切にし、結社の営みの区切りごとに大きな仕事を積み上げている『運河』俳句会は、本当にすごいと思う。
井上弘美氏から『汀 創刊準備号』を送っていただく。来年1月の創刊を目指して、その準備号で着々と体制を作っておられるようである。新主宰としてどのような結社を育てていかれるのか、楽しみなことである。
今週は、本当にいろいろな意味でしんどい1週間であった。ともかく、この連休で、一息つきたいと思う。
土曜日。午前中は、持ち帰り仕事。昼過ぎまでかかって、一段落。「歩き」に出かける。
緑を見たいと思ったのだが、先週のように宝ヶ池まで行くのは遠いので、京都御所へ行くことにする。御所は、樹木の多い場所で、ちょっと森の中を歩いている雰囲気を味わうことが出来る。地下鉄今出川駅で下車、地上に出て、御所へ。秋の一般公開の時期で、たくさんの人が集まっていた。御所、梨の木神社、寺町通りを歩き、「三月書房」へ。面白そうな本を2冊購入。京都市役所前の広場で、同立戦(同志社大学と立命館大学の野球の試合。ずいぶん盛り上がるのである)前夜祭と銘打たれた応援合戦を見物し、河原町のジュンク書店で、一部で評判になっている今月号の『ユリイカ』を購入して、四条まで歩き、京阪で帰宅。
時間的にはずいぶんかかったのだが、歩数では1万歩強の「歩き」であった。


【11年10月4日】
日曜日、午後。「歩き」に出る。地下鉄経由で、宝ヶ池まで、足を延ばす。
池の周囲を歩き、途中から山道に入る。尾根筋の道を歩く。野球か何かの試合をしている声が、麓の方から聞こえてくる。
木々はまだ紅葉には遠い状態だ。尾根を離れ、池の方に下っていく。途中、道を横切って牡鹿が走り過ぎていく。立派な体格の鹿である。こんな里近くまで下りてきているのかと思う。
もう1周、池の周りを歩いて、それから引き返す。秋風が気持ちよい。
帰宅後、遅い昼食。その後は、夕方まで本を読んで過ごす。腰の状態は、大分良いようだ。北山あたりを歩けるようになればよいな、と思う。
月曜日。ちょっと無理があったらしく、腰痛と軽い後遺症が出る。困ったものである。


【11年10月2日】
土曜日。恒例の京都大骨董展が「パルスプラザ」で開催されていたので、出かける。
300店ほどの出店があるということで、会場内はちょっといかがわしいような怪しい活気に充ち満ちていた。こういうのは、なかなか楽しい。
特に目的のものはないのだけれど、安くておもしろいものがあれが、くらいの気持ちで、会場内をぶらぶらする。
美術品で本物と思われるものを取りそろえて出品している店が奥まった場所に毎年出店していて、そこは眼福のためにかならず見物にいくことにしている。今年も、絵画や焼き物関係で見応えのある品々が展示してあった。
短冊類などは、ちょっと注意して眺めたりしたのだが、書き付けられた俳句など特に見るべきものはなかったかな、と思う。
今回は、面白い猫の人形を見つけたので、購入する。樹脂製の大量生産ものだけれど、飾って面白いと思い、買う。3体で3600円だった。帰宅後、玄関の靴箱の上に並べる。画像は、「ブログ版日々録」の方に掲載しますので、よろしければご覧下さい。
帰宅後は、夕方まで『河野裕子読本』を読む。面白い歌人だったのだな、と思う。何かの本で見かけて、授業でも紹介した「一椀には幾つぶの飯があるのだらうつぶりつぶりと噛みながら泣く」の作者が、実は河野裕子だったということに改めて気づいたりもしたものだ。
夜は、豚肉すき焼き。牛肉は食べたくないなと思う。甥は練習で遅いので、一人で食べる。
その後は、寝室で『読本』の続きを読み、一眠りして、12時過ぎくらいに目を覚まして、続きを読む。
日曜日。眠くて、朝の歩きは中止。6時過ぎに起床して、朝食。
甥は、今日は合わせの練習があるらしい。珍しく、早く起き出して来る。


【11年10月1日】
土曜日。10月に入った。5時過ぎに起床し、「歩き」に出る。
トレパンに半袖Tシャツ。歩くにはちょうど良いほどの冷気である。歩いているうちに、次第に目が覚めてくる感じである。
近所を1時間ほど歩き、帰りにコンビニで朝食のサンドを買って帰る。最近は、土曜の朝は手抜き朝食である。
帰宅後、コーヒーをわかし、味噌汁だけ作り、洗濯機を回しながら、朝食。
金曜日。なかなかハードな一日であった。1年に数日、不幸が重なったような日があるものだけれど、今日がそんな一日であった。とはいえ、夕方までには、とりあえず事を収めて、勤務時間終了、即退勤。
腰の病院へリハビリに行き、久しぶりに夕食は外食。その後、帰宅しようかとも思ったけれど、気分転換を兼ねて「第九」の練習に参加。京都市内まで出かける。2時間あまりの練習。関西合同レッスンが近いので、入念な練習。大声をあげていたら、完全な気分転換になった。
雨の上がった夜の町を、ついでに近くの書店へ。ビルのワンフロアがすべて書店となっている。
桂米朝を読了。教師も又、一芸人的な部分があるので、一層面白く読み終えた。その流れで、堀井憲一郎の新書を2冊購入。『江戸の気分』と『落語の国からのぞいてみれば』。
興味を持った作家の著作は何冊か連続して読むようにしている。
帰宅後、すぐ就寝。
朝、歩きながら、岩井英雅著『俳句の天窓』の内容を考える。今月末の「醍醐会」のレポーターの担当者の一人にあたっているので。著書の第3章の部分で、筆者とその師森澄雄との関係を述べた章。意を尽くした内容で、森澄雄の句の魅力を分かりやすく語っていて、さてどうレポートしようかと思う。私自身、この著作から刺激を受け、「現代俳句体系」に載せられた森澄雄の句集を3冊ほど読んでみることとなったほどだ。レポートなどしなくても、読めば良いんじゃないか……、などと思う。
森澄雄の句集3冊は、たまたま第1、第3、第4句集で、その作風の変遷などが面白かった。第3句集『浮鴎』がバランスが取れていて一番良かったかもしれない。第4句集『鯉素』になると、その世界にちょっと眩惑されるみたいな、夢見心地の状態に置かれるというのか、少々落ち着かない状態になってしまう。恐らく、森澄雄ファンには、そんなところが良いのだろうが。個人の好みの問題ですね。