日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【11年11月30日】
「あたたかき11月もすみにけり」中村草田男。今日は、一日暖かい日であった。夜に入っても、数日前の寒さは全く感じられない。
11月も今日で終わりである。今年も、あと一月で終わると思えば、本当に1年は早いものだと思う。
パソコン台に置いてある、山田喜代春氏の11月の句は「吾亦紅われはぼんくら風のなか」というものであった。
「吾亦紅とはいうほどの花でなし」などと、昔作ったことがあったな、と思う。
「坂の上の雲」の再放送を見ている。正岡子規の終焉を描いている。なんとも胸に迫るものを感じる。子規と虚子との間にある大きな断絶というものをふと思う。
町田健著『ソシュールと言語学』を読む。前半のソシュールの言語学説の紹介は面白かったし、「ラング」と「パロール」とか、「シニフィアン」と「シニフィエ」などという、言葉としては知っていたが、どのような内容のものであるのかについて、少し理解することが出来たように思う。しかし、後半の、ソシュールの学説の継承者の何人かの話は、ちょっと分からなかった。
ムンクの絵画について、番組をやっている。ムンクは、高校時代に興味を持って以来、その関心は現在に至るまで失われていないようだ。高校時代、何度も見ていた粗末な薄い1冊の画集は、恐らく今も本棚のどこかにあるはずと思う。甥が使っている部屋には、ムンク作とする1枚のリトグラフが飾ってある。偽物とは思うけれど、それはそれで良いかな、と思う。
少々、眠くなってきた。もう、休もうと思う。
【11年11月27日】
土曜日、午後。「歩き」に出る。出町柳まで京阪で出て、そこから高野川を上流に歩いて行く。鴨川に比べ、高野川は微妙に山川という雰囲気を持っている。鴨川に比べ、山側を流れているので、その分傾斜がきついのかもしれない。良い天気で、日差しが暖かい。山腹の法の字を正面に見ながら松ヶ崎まで歩き、そこから西行して京都工芸繊維大学の横から北山通りを渡り、一筋北の住宅街の道を西に歩く。家の前に小川が流れていて、一軒ごとに小さな橋が架かっていてちょっと古い町の風情がある。
やがて、川は町中に消えて、北山通りに戻る。ミッション系の小学校の前を通り、地下鉄駅へ向かう。その小学校の前庭では、3、4人の人で高さ3メートルくらいのクリスマスツリーの飾り付けが行われていた。
地下鉄で帰宅。風邪気味の甥は、夕方からトロンボーンのコンサートがあるということで、無理して出かけたらしい。
夕方。浅酌後、夕食を食べる。ブリ大根とサラダ、味噌汁。
眠くてしかたがないので、早く寝る。夜中に2度ほど目を覚ます。甥が帰ってきていて、時折咳の声が聞こえる。
現在の職場が夢に出てくる。研修旅行の引率に急な変更が出て、くじ引きで新たな引率者を決めるという夢。その後、歌ったり踊ったりという全く訳の分からない展開となる。全く変な夢であった。
日曜日。6時起床。良い天気である。朝食、洗濯、その後宅急便が届く。岐阜の清水さんの長男さんから。自転車の駐輪票を取りに来いとの連絡がマンション事務室から入る。朝からばたばたする。
甥は、風邪が抜けきれないようで、一度起きてきて軽く食事をして、また寝に部屋へ帰る。
【11年11月26日】
金曜日。放課後の模擬面接を終え、教材を一つ仕上げて退勤。途中、高架下のラーメン屋で九州風の濃厚味噌ラーメンを夕食に食べて、「第九」の練習へ向かう。チケット代金の支払期限が本日までなので、一括支払い用に現金もおろしておく。
某私学の小ホールを借りての練習である。本番まで、あと練習は5回を残すのみで、細部を繰り返し確認しながらのレッスンとなる。テンポ感が甘いのと、高音部が上がりきらない、弱音のニュアンスが不十分と、素人目というか耳にも、いくつもの問題点が気にはなる。しかし、「本番に強い(らしい)」この合唱団の強みは、追い込みの集中力にあるので、この先どこまで仕上がっていくのかが楽しみではある。
本日、チケットは完売したらしい。1600席を売り切ったということである。
練習後、ぐっと冷え込んだ京都の町筋を地下鉄駅まで歩く。ビルの合間に、明るい星が幾つも輝いているのが見える。
帰宅後、すぐ就寝。眠くて仕方がない。
そういえば、昨夜は本当に久しぶりに寝付いてから朝まで目を覚まさない(実際には、ちょっとは目を覚ましたのかもしれないけれど)ということがあった。本当に珍しい。
土曜日。夜中に一度目を覚ましたけれど、その後は6時前まで寝ていた。文化祭に参加して、アドリブでクラス劇に出ている夢をみた。変な夢であった。
朝から良い天気である。
青灯社入門哲学シリーズ『カント』読了。「中学生にも分かる」と銘打ってあるとおり、分かりやすくて面白い。こんな本が、大型書店には置いてなくて、駅地下の書店に置いてあるというのが「微妙」である。
【11年11月24日】
22日。甥も出演するトロンボーンコンサート。私は仕事で聞きに行けないけれど、郷里からは弟夫婦が聞きに行っているはずである。
23日。勤労感謝の日。毎年恒例の鴨川吟行会の日である。10時に出町柳駅に集合し、高野川河畔から、下鴨神社河合社を経て、鴨川タネゲン前から荒神橋、飛び石を経て鴨川を横断の後、京大病院前の教育文化センターを会場にして句会、という段取りである。今年は、さらにお火焚きなどが行われる妙音弁財天も吟行地に加えられる。タネゲンさんの隣の小さな神社であるが、行ってみるとなかなか面白いところであった。
今年の吟行会は、数年ぶりに現役の学生Yさんの参加などもあり、若手の参加者の多い集まりとなった。中には、この吟行会のためにわざわざ日帰りで東京から駆けつけてくれた人もいたほどである。Mさん、ご苦労様でした。
総勢十八名が参加した句会は、多士済々、変化に富んだ大変面白いものとなった。特に、普段こんなに若い人達の多い句会に参加する機会のない身にとっては、色々と刺激の多い句会であった。5句投句、10句選で、うち特選は1句。辻田・大石・岩城の各先生方は、20句選でうち特選2句という内容。私が特選にいただいたのは、Oさんの1句。選者の先生方3名共に取っておられた高点句の一つ。言葉の用い方、イメージの仕立て方など上手いものだと感心する。ただ、Oさん自身が本来志向しておられる句とは、方向が違った句であったらしいけれど。否応なく取らせるという力業の1句であろうか、とも思う。
5時に句会は終了。そのまま、二次会へと会場を変える。こちらは、10名参加。お世話役のIさんが八面六臂の活躍。楽しい集まりとなった。
楽しくて、つい酒を過ごしてしまったようだ。タクシーで帰宅後、すぐ就寝。
演奏会を終えた甥が、すでに帰宅していて、彼もすでに寝る体制。演奏会は、なかなかよかったらしい。
楽あれば、苦あり。翌朝は、またまた後遺症のために、出勤時間が大幅に遅れる。
なんとも困ったことである。
【11年11月21日】
朝から、後遺症で調子が悪い。以前に比べたらずっと状態は楽になっているけれど、それでも鬱陶しい。
午前中は、通常授業。午後からは、生徒を連れて市内まで引率業務。大丈夫だろうか、と思う。普通は、朝の2、3時間くらいで、なんとか収まるのに、今日はいつまでもしつこく続いている。鬱陶しい。
京都駅前のビルが、本日の会場。京都駅に到着すると、なにやら様子がおかしい。やたらと警官や駅員の姿が見える。さらに、駅構内に異様に人の数が多い。婦人警官らしき人に、どうしたのかと尋ねると、皇太子が間もなく到着して、新幹線へと乗り換えるらしい。構内の移動規制が始まるらしいので、急いで駅の外へ。
夕方まで、企業説明会。生徒は各ブースを回って企業側から説明を聞く。こちらも、別企業のブースで話を聞く。
5時になって、予定の時間終了となる。会場の外のホールで、生徒と情報交換。
すると、急に周りからすごい、すごいと声が上がる。この会場は7階にあるのだが、駅に面した広い窓硝子の向こうの空に数百羽の鳥の群れが、空中でマントを振り回すように、飛び交っている。駅前の街路樹で夜を過ごすために、椋鳥の群れが集まって来ているのだ。群れ全体が、巨大な生き物のようで、しばらく生徒と見とれる。
帰宅。やっと後遺症は落ち着いたようだ。出来合いのもので夕食。その後、洗濯。
遅いと思っていた甥が、帰宅。明日は、トロンボーン演奏会の本番のはずだが。郷里からは、弟夫婦が聞きにくるとのこと。学生最後のトロンボーンのみの演奏会である。
【11年11月20日】
金曜日。「第九」のレッスンにに行く。風邪気が脱けないで、喉も痛いにもかかわらず、なぜかいつも以上に声が良く出る。不思議なことである。
9時前に練習は終了。近くの書店に立ち寄ってから、地下鉄で帰宅。土曜日の句会の準備を少しして、すぐに就寝。
土曜日。丹後「すき句会」。それにしても、旧タイプの「はしだて1号」の車両は、もう少しなんとかならないのだろうか。椅子が固くて、しかもリクライニングが調子悪くて、総じて座り心地が悪い。
岩城先生と同じ車両になり、しばらく席移動して雑談。その後、岩城先生は席へ戻られて句作。こちらは、飲んできた風邪薬が効いていて、椅子を倒し窓外の景色を見ながらうとうとする。雨は本降りのようである。
宮津で乗り換え。外人さんの一団が乗り込んでくる。日本人のコーディネーターが一人。峰山まで行くようである。「蟹食い」なのだろうか。
大宮町のいつもの食堂で昼食。魚介の煮込みが美味しい。
1時過ぎから句会。兼題は「神渡し」、席題は「水煙」。句会に少し時間がかかりすぎるという反省から、出句数を10句から8句に減らし、席題は15分程度で作ることとなる。
会員さんの一人が、茸を一盛り持ってこられる。次回の兼題となる。「霜越し」という黄色がかった茸である。
句会は、ひどく楽しかった。会員さんの思わぬ特技の披露などもあって、大笑いの句会となる。
4時過ぎに句会は終了。恒例のビールをいただきながら、しばらく雑談。その後、駅まで車で送っていただく。いつの間にか、雨は上がっていた。
帰京の車中では、ビールを飲みつつの四方山話。橋立から、女子大学生の一団が乗車。バスケットボールサークルの合宿か、遠征のよう。席についてしばらくすると、皆就寝。
『鼎座』の今後のことなども話す。清水さんの名前を残しつつ、このまま続けていこうということになる。
二条駅で岩城先生は下車。こちらは京都駅まで。近鉄を使い、帰宅。甥はまだ帰っていない。土曜日も練習があるらしい。
日曜日。6時前まで寝る。ビールが効いていたらしい。起き後も、まだ眠い。
【11年11月16日】
気がつくと、右手人差し指の内側に、3センチくらいの長さで内出血が起こっていた。特にぶつけたり、圧迫した憶えもないので、少々気味が悪い。
今日は、進路講演会で、卒業生二人が講師として来校。一人は、在学中授業を教え、進路指導も直接の担当者だったので、懐かしい。京都府警の警察官として奉職している。婦警らしい凛々しい姿が頼もしく見える。講演会後、勤務と言うことですぐに職場に移動したので、ほとんど話は出来なかったのが残念だった。
もう一人は、彼女より数年前の卒業生で、直接の面識はなかったけれど、看護師としての日々の仕事の話は、現場で勤める人らしい厚みのある話だった。
疲れて退勤。途中の駅まで、車で送っていただく。ありがたい。
夕食は、帰宅途中のスーパーで購入。甥は、演奏会の練習で今夜も遅いということで、一人で食べる。微醺。その後、洗濯を行う。室内の夜干しである。外は、かなり冷え込んでいるようだ。
岐阜の方から、立派な富有柿を送っていただく。清水さんの縁の方であった。朝食の時、半分は食べ、後の半分は昼食のデザートとして学校に持参していただく。美味である。
職場の方から、大きな大根を1本いただく。丸ごとでは入らず、半分に切って、葉っぱの部分も一緒に新聞紙に包んでザックに入れて持って帰る。
なにか、いただいてばかりでいるようだ。ありがたいことである。
【11年11月13日】
どうも風邪気味らしい。薬を飲んで、一日家籠もり。
昨日は、良い調子で、午後からは鴨川まで足を延ばして、七条から丸太町まで側道を歩く。日が差すと暑いくらいで、上着を脱いで歩く。
すでに、ゆりかもめが来ている。これから2月末くらいまで、彼らの姿を眺めることができる。
かって2、3年ばかりゆりかもめの句を集中して作っていた時期があった。なかなかきれいで可愛く、ちょっと滑稽なところもある鳥である。
元気に帰宅して、夜はブリ大根など作り、浅酌後、良い気分で就寝して、翌日目を覚ますと、咳、喉痛、鼻水状態である。幸い熱は微熱程度なので、売薬を飲み、家籠もりの日曜日となる。
『子規は何を葬ったのか』を読む。個別のエピソード紹介的な内容で、全体状況についての考察がなされるという風ではないので、割と気楽に読み進む。「新撰組」副長土方歳三が俳句を嗜んでいたことなどは、初めて知ったことだ。子規以前の松山の俳壇(というわけでもないのだろうが)事情などについても触れてあって、興味深かった。
12月23日東京市ヶ谷で開催される『俳コレ』竟宴への参加メールを送る。ついでに東京に2泊くらいして、物見遊山でもしてこようか。
夕食を作ったのは甥。薬を飲んで、速やかに休もうと思う。
【11年11月12日】
金曜日。ここ数日、寝付きが悪くて、睡眠不足気味。電車の中で、本を読んでいるつもりが、うとっとして本を取り落としたりする有様であった。
夜、「第九」の練習に。事務局の掲示で、合唱団の団長さんが体調を崩してしばらく休養されることを知る。
思い返せば、ミューズの「第九」に参加して以来、すでに20年以上が過ぎているが、その間、2度不参加だったことがあった。忙しくて参加申し込みを延ばし延ばししているうちに、締め切り日を過ぎてしまったことが1度。もう1度は、申し込みはしたものの、病気で入院・手術とその予後のため参加出来なかったこと。
申し込みのミスはこちらの不手際だったけれど、病気の方はこちらの都合にはお構いなしのことであり、その分つらいものがある。
団長さんのできるだけ速やかな回復を祈りたい。
9時前に練習は終了。市内の某女子短大のホールを借りての練習であった。外に出ると、ビルの林立の向こうに満月が煌々と輝いていた。満月のやや下方に明るい星がひとつあったけれど、あれは木星かなにかだったのだろうか。
寄り道をして、ビルの中にある書店へ。青灯社の入門・哲学者シリーズを買いたかったけれど、置いてなかった。けっこう大きな書店なのだが、売れないのだろうか。仕方なく、言語学関係の本を1冊購入。地下鉄で帰宅。即、就寝。
土曜日。数日来で一番まともに眠ることが出来た。ただ、その分逆に、目を覚ましても眠くて仕方ない。5時過ぎ、「歩き」に出る。天気が良いせいか、歩き出してしばらくして、空が白んでくる。大気はひんやりと冷えていて、歩いているうちに、すっきりと目が覚める。1時間弱の「歩き」の後、帰宅。洗濯後、朝食。珍しく、甥が早く起きて来る。練習があるらしい。
今泉恂之介著『子規は何を葬ったのか』を読む。一茶以降子規までの間の、俳句空白の100年間について、はたして「月次」の名の下に一括否定された俳句群についての検討・再評価の1冊。まだ読み始めたばかりなので、なんとも言えないけれど、どの程度の新しい展望と展開を示してくれるのか、期待したい。
【11年11月8日】
月曜日。午前中通院。金曜日の検査結果を聞き、別の科で診察を受ける。検査の方は、血液検査もCTの方も特に異常なしということでひと安心する。
今回初めて、自分のCT画像を見る機会があったけれど、まあ見事に我が身が輪切り映像となっていることに感心する。
午後、出勤。2時間の授業。帰りは、駅まで車に便乗させていただく。
帰宅。洗濯の後、夕食。甥は、練習のため、遅い。
ベットに横になって、しばらく『大鏡』の「藤原氏の物語」を読むが、眠くて仕方がないので、就寝。
夜中の3時頃に目が覚め、ちょっと考え事をしているうちに、眠れなくなってしまい、そのままの起きていて、五時前には起床。
シャワーを浴びて、朝食の準備を済ませ、ゆっくり朝食。
6時過ぎに出勤。結構朝が寒い。今日は、立冬であった。
通勤の車中、桂米朝と筒井康隆の対談集『対談 笑いの世界』を読む。桂米朝の好奇心の対象の幅の広さに感心する。筒井康隆の博識は言うまでもないけれど。
夕刻、退勤。月齢12.3の月が空に浮かんでいる。青みを帯びたその姿が、一層冬の月という印象をもたらす。
【11年11月6日】
日曜日。前日の飲酒のせいか、眠りが浅い。
五時前起床。「歩き」に出る。昨日より、早い時間帯であるにもかかわらず、外が明るい。雲が低くて、空が地上の光を反射して、そのせいで明るく感じられるのだ。
夜中のうちに、雨は降り止んでいて、点々と水溜まりが路上に残っている。
土曜日、午後。地下鉄で四条まで。駅から徒歩10分ほどで、サークルのOB会会場の店へ。今回は、都合の付かない人が多くて、参加者は4人であった。こじゃれた店で、2時間5000円の飲み放題コース。ただ、隣が女子会らしくて、猛烈にうるさい!
時間が来て、喫茶店に席を移す。新たにOBの方が一人加わる。
この日、別のOBの息子さんが京都で結婚式をあげるということで、夫婦で四国から上京しているらしく、携帯で連絡を入れてみる。ちょうど、着付けをしているとのことで、ちょっと話をする。
OBの人達の近況の話の中で、学生時代山行で大変お世話になった先輩のK氏が、脳梗塞で半身付随状態になられたと聞き、たいへん驚く。抜群の体力の持ち主で、山登りは現役と聞いていたので、ショックであった。
夕方まで、四方山話。その後、解散、帰宅する。
少々疲れる。次回は、東京開催になるかもしれない。
東京といえば、『新撰21』『超新撰21』に続き、今年も『俳コレ』竟宴が12月23日に東京で開催されるらしい。物見遊山気分で、今年も参加してみようか、と思う。
【11年11月5日】
金曜日、午後。半年ごとの定期検診の日。退勤して、病院へ。
検診を終えて、病院を出ると、どうも調子がおかしい。倦怠感。帰宅して、休む。念の為に体温を測ると、微熱が出ている。今まで、検査後にこんな状態になったことはないので、どうしたものかと思う。造影剤の副作用というわけではないようだが、何か関係があるのかもしれない。
夕方まで横になる。なんとか回復したようだ。
夜は「第九」の練習があるのだが、会場が交通の不便な場所にあり、体調もおぼつかないので、休む。ただ、ずっと服用している薬がなくなっているので、処方箋を書いてもらいに別の病院には行かなければならない。暗くなった中を病院まで15分ほど歩く。処方箋をもらい、薬局の方で薬に換える。
さらに別の近くの病院に立ち寄り、インフルエンザ予防注射の予約申込用紙を、甥の分も含めて2通貰って帰る。
帰宅後は、洗濯だけして、寝る。
甥は、遅く帰ったようだ。
夜、1時間毎くらいに目を覚ましては、寝る。夢ばかりみていたようである。かなり、ひどい夢であったような気がする。
土曜日。4時過ぎに目を覚まし、テレビをつけると落語をやっていたので見る。「ラーメン屋」とかいう、新作落語なのだろうか。テレビのレポーターなどもやっている落語家が演じていた。だみ声が聞きずらかったけれど、話そのものは悪くはなかった。
5時過ぎ、「歩き」に出る。完全に夜である。天頂部にオリオン座が輝いている。目を転じると、北斗七星も見える。
歩いているうちに、空がどんどん明るくなる。星が見えていた空は、すっかり雲に覆われてしまっていた。予報通り、天気は下り坂らしい。
コンビニで、卵など買い、帰宅。具だくさんの味噌汁をおかずにして、朝食。
今日は、大学時代のサークルのメンバーの昼食会がある。参加する予定。
【11年11月3日】
火曜日、夜。「お宝鑑定団」を見ながら、いつの間にか寝入ってしまっていた。夜中に2、3度目を覚ます。
水曜日。5時過ぎに起床。ちょっと寝過ごしてしまった。
少々疲れ気味。出勤時間を遅くし、駅からはバスを使う。車中、富坂聡著『ルポ中国『欲望大国』」を読む。急激に経済大国へ変貌する中国の「歪み」の部分を取材したもの。
「醍醐会」のレポートもなんとか終了したし、しばらく俳句関係の本からは離れようと思う。
忙しい一日だった。
帰宅。甥は、遅いらしい。10時前には就寝。
木曜日。久しぶりに5時過ぎから「歩き」に出る。思ったほど寒くはない。まだ空は暗く、東の方に夜明けの気配が感じられるだけ。
今日は、ちょっと「歩き」に「ジョギング」を混ぜてみる。手術以来、走ると腹が痛んで、横断歩道を急ぐとき以外はすっかり走ることをやめていたのだが、最近室内で軽く走ってみると以前ほど明らかな痛みが感じられなくなっていたので、ごく軽く走ってみた。断続的に500メートルほど。「歩き」に毛が生えた程度のものだけれど、特に問題は無さそうだった。
6時過ぎ、帰宅。洗濯をし、味噌汁を作り、ウインナーを炒めたりして朝食。
ちょっと腰が痛いかな、と思う。ジョギングのせいか。
【11年11月1日】
日曜日。「醍醐会」で岩井英雅氏の評論集『俳句の天窓』の合評会。私は、第V部の森澄雄関係の評論の章を担当する。
直前(当日の午前中)まで、資料の整理を行い、急いで会場まで。京都市東山方面まで。
しどろもどろながら、何とか任を果たす。結構面白い話し合いにはなったように思う。
その後、雨の中を二次会会場へ。清水さんがまだ参加できていた頃は、二人で失礼して京都駅構内の喫茶店でしばらく雑談して別れるというパターンだったけれど、今回はレポーターということもあり、久しぶりにちゃんと二次会に参加する。今回は、参加者全員が二次会も参加するという珍しいことになる。
気持ちがほっとしたのか(ここ二ヶ月ほど、ずっと内心ではプレッシャーを感じていたのだが)、いつもよりお酒が進み、口も軽くなる。
ずいぶん良い機嫌で、いろいろお喋りしていたように思う。途中、丹後から帰って来られた岩城先生が合流される。
二次会終了後、さらに勢いを借りて、三次会へ。今日で、お店を閉店されるということで、祇園の「米」さんへ(幸い、12月まではお店を続けられるということだったのだが)。ほぼ、3年ぶりくらいになるだろうか。本当に久しぶりの「米」さんであった。
ここでも、談論風発状態で、大変楽しく過ごす。
月曜日。少々疲れ気味。
今日は、郷里で甥がコンサートを開いているはず。こちらは、仕事を終えて帰宅すると、すぐに就寝。9時過ぎであった。
その夜、ずいぶん印象鮮烈な夢を見る。なぜか、「山羊」が出て来た夢。
奇妙に面白い夢だった。しかし、山羊が出てくる夢など見たのは、初めてのように思う。
火曜日。やや元気を回復。時間に追われる忙しい一日であった。
甥帰京。疲れているのか、帰宅すると寝ていた。
昨日、今日と貫成人著『フーコー』読んでいる。久々の俳句以外の本。新鮮である。それに、面白い。