日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【11年12月25日】
金・土と東京行。「俳コレ竟宴」参加のため。
アルカディア市ヶ谷を会場に、二部構成のシンポジウム。一部は若手女性俳人による対談。俳句甲子園の話、『俳コレ』作品についての感想で、テンポと息の合ったやりとりが楽しい。二部は『俳コレ』作家4人と、作品を選した4人の討論。結社に属すること、そこで選を受けることの意味や意義などについて、率直な応酬がなされる。
一番印象的だったのは、高柳克弘に百句選と小論を受けた依光陽子の言葉。高柳の選を得、それまでの自己イメージとはずいぶん違う作品像を提示され、大変驚いたという。それは、「選は創作」という虚子の言葉を敷衍してのやり取りの中で出て来た話題だ。虚子のその言葉は選を通じてその作家の持ち味や新しさが見出されるということなのだろう。高柳の小論(おそらく『俳コレ』22小論の中でも出色の評論と思うが)を読んで、このようにくっきりと作家像を提示する一編に私はとても感銘を受けたのだが、実は面白かったのは依光のそれに続く弁だった。
そもそも選ばれた百句の配列はどうなっているのかと『俳コレ』を読みながら疑問に思っていたのだが、少なくとも依光作品に関しては、高柳による各句の配置があったらしい。ところが、それを依光は改めて別の配列にし直したという。その点について、高柳さんの意図とは異なるかも知れないけれど、と依光は語っていたが。選と論が、見事であればあるほど、逆に作家を拘束してゆくという側面がある。特に今回の高柳の小論は、あるいは依光作品を素材とする、ある種のコラージュ作品、それゆえに各句の配列は重要な意味を持つものであろうが、いわば高柳による再構築された一作家像という性質が強く、妙な言い方ではあるがまさに「選」が「創作」であったのかもしれない。そのみごとさに、あるいは依光は逆にある種の違和感を感じたのかも知れない。選する者と作する者との相克の姿が依光と高柳の関係の中に伺えて大変興味深かった。
シンポジウムの後は、祝宴。今日はそのままアルカディア市ヶ谷に宿泊するので、祝宴にも参加する。
百名ほどの人が参加しての宴会。ミニ句会あり、参加者のスピーチあり、賑やかな宴会となる。
私は、関悦史氏と少し話をする機会を持てて、ありがたかった。句集『六十億本の回転する曲がった棒』にサインまで頂けたし。まったく、ミーハー的ではあるが。
後はおおむね壁の花状態であったが、なかなか楽しかった。
少し早めに宴会場を出て、その後外堀沿いにしばらく夜の東京を歩いてくる。照明を明るく灯した高いビルが点々と見えるせいか、空の広がりというものを感じる。平坦な京都の空とはひと味違う。
一歩きして、部屋に戻り、そのまま就寝。外泊の方が良く眠れるというのは、どういうことなのだろうか。
土曜日のことは、また後日に。
【11年12月23日】
昨夜は、進路部の忘年会。最近、マンションを購入された方に会場を提供していただき、すき焼きパーティであった。
仕事の関係で、遅れて会場到着。翌日のことを考えて、早めに失礼する、という変な参加の仕方になる。
楽しい宴会であった。
金曜日。5時過ぎ、起床。簡単な朝食をとり、その後コーヒー。
冬型の気圧配置が強まり、日本海側は大雪の恐れがあるらしい。
今日は、「俳コレ竟宴」参加(正確には、見物か)のために、東京行き。時間があれば、今年も靖国神社を見学したいものだ。23日ということで、ちょっと独特の雰囲気がある。
東京には1泊して、明日は根岸の子規庵を見学、さらに高校時代の同級生と出会う予定。
樋口さんから、「豈」52号を送っていただく。錚々たる執筆メンバーであると、改めて思う。
【11年12月18日】
土曜日。今年最後の「すき句会」。朝の「はしだて1号」は、日本海方面に向かう観光客で、乗車率は高い。大学のゼミ合宿の一団らしき若者集団、外人さんの団体も乗ってくる。
丹波高原に電車が入ると、車窓は雪景色に変わる。10センチくらい積もっているようだ。今冬初の雪景色である。福知山盆地でいったん消えた雪は、山間に入ると再び現れる。その後は、雪、雪である。
宮津でKTRに乗り換え、丹後大宮へ。電車を降りると、寒い。駅前広場は、じゃりじゃりになった雪がべったり残っている。
いつもの食堂で、いつもの海鮮の煮込みを食べる。毎回食べても美味しい。こんな田舎の町で、こんなおいしいものが食べられるのがありがたい。デザートにチーズケーキとコーヒがつくのも嬉しい。
Mさんが途中まで車で迎えに来て下さっていたので、それに乗って岩城先生宅まで。
今回の宿題は「霜越し(黄シメジという茸)」、席題は「初雪」であった。今回、舞鶴からTさんが新たに参加される。
また、句会が始まる前に、「すき句会」の会員さんで、2009年に亡くなれた雲架橋(俳号です)さんの最初で最後の句集『げい(本当は漢字で虹を意味する言葉なのだが、残念ながら活字がありません)』が配られ、わざわざ来て下さった奥様からの挨拶がある。一緒に句会をしているときから、たくさんの面白い句を発表された架橋さんの集大成の1冊。後日、その中から作品を紹介していきたいと思います。
句会は4時半まで。投句数は120句あまりだが高得点句や各自の特選句について、時間をとって感想発表と話し合いが持たれるので、そのくらいまで時間がかかる。
毎回思うのだが、有季定型という大枠はあるけれど、実に様々な句が発表され、それらが分け隔てなく選句・評価されるので、大変刺激的で面白い句会となる(手前味噌みたいで申し訳ないけれど)。
句会終了後、Mさんに車で駅まで送っていただく。すでに日が落ちて、気温がぐっと下がっているのが分かる。足元の雪が、締まってゆく感触がある。少し早めに駅舎に着いたので、そこで早速ビールなど飲む。
京都方面の電車は、雪の影響か、6分ほど遅れる。
車中では、置酒歓語状態である。綾部を過ぎ、丹波高原を走っている最中、突然電車が急停車する。すぐに車内放送が入り、電車に鹿があたったとのこと。しばらくの停車後、走り始める。ほどなく宅地のようなところを通過したので、本当に野生の鹿が民家の際まで来ていることが分かる。
8時前に京都着。その後は、すぐ帰宅。就寝。
お酒を飲んだせいか、夜中中、寝たり起きたりであった。6時前に、本格的に起床。洗濯と朝食。外は、良い天気で、窓を閉めて日差しを入れているかぎりは、暖かい。
【11年12月15日】
職場の図書館通信のために、こんな文章を書いたので、転載させてもらう。
「ネビル・シュートの古典的名作SF小説に『渚にて』という作品がある。世界的な核戦争に生き延びた人達が、すでに全滅した北半球を逃れて、かろうじてまだ放射能の汚染にみまわれていない南半球のオーストラリアに集結して、徐々に迫り来る放射能におびえながらも、最後の時を迎えようとするという物語である。
今年も、まもなく終わろうとしている。今年の日本は、東日本の大震災とそれに伴う原子力発電所の事故による広範囲の放射能汚染という、かってない大災害に襲われた年であった。多くの人的物的被害を出しつつも、事態は少しずつ前へ進んでいるようであるが、この先どのような新しい事態が生じるか、予断を許さないということもまた真実であると思う。
直接被災の現場に立たない私たちは、新聞やテレビの報道を通じてしか、あの時なにが起こり、どのようになっているのかを知る術はなかった。しかし、そのような限られた条件の中において、しかし私たちは一つの強烈な「ビジョン」をそれらの報道を通じて脳裏に焼き付けたのではないか。そのビジョンとは、世界の破滅の姿ということである。それは、地上のあらゆるものを呑み尽くすかと思われる巨大な津波の姿を取り、あるいは放射能汚染により無人と化した町並みの情景という形をとって、強く私たちに迫ってきたのではないか。世界は、あのような姿を取って、激烈にあるいは静謐のうちに滅んでいくというビジョンである。
今年を代表する漢字は、「絆」であった。大震災とその後の事態の推移の中で、多くの人達がボランティア活動という形で直接的に、あるいは義援金のという形で間接的に震災とその復興とに手を携えてあたってきた姿を象徴する一語が「絆」という言葉であった。そして、その「絆」という言葉が一際強い光芒を放つのは、その背後に繰り返される大自然の強大な暴力と、さらにかって存在しなかった人間の力による新しい破滅のビジョンというものを私たちが目の当たりにしたということがあるのではないか。
『渚にて』は、その後映画化され、映画は小説とはまた違う形で、終焉へと向かう人類の姿を時に冷酷に、時に抒情的に描き出していた。その映画の一シーンに、残された最後の時を自分の大好きな自動車レースに全精力を注ぎ込むことで過ごそうとする人物のエピソードがあった。猛スピードでレース場を走り抜ける陶酔の中で、迫り来る確実な死の瞬間を忘れ、自己の生命を燃やし尽くそうとする姿は、痛ましくも鮮烈な印象をあたえた。
大災害は、大きな傷を残し、その傷はいまも癒えることなく、血を滴らせている状態ではある。大災害は強烈な破滅のビジョンをわれわれに焼き付けた。しかし、現実世界は、傷つきながらも今ここにあって未来に向かって開かれている。2011年という年は、まもなく終わろうとしている。私たちは、この年の終わりをどのように過ごすべきなのだろうか。」
【11年12月11日】
「第九」本番終了。ほぼ一日仕事となる。今回、京都と大阪の親戚がたくさん聴きにきてくれた。出来は、悪くなかったのではないかと思う。結構、満足である。
聴きにきて下さった方に、マンション近くまで車で送っていただく。今回は、恒例の二次会は都合により中止となる。恐らく、新年会という形で、皆集まることになると思う。
マンションで焼き肉という案が出ているが、それは固辞する。
帰宅する。母から送ってもらった鴨鍋を今夜食べる。
入院している母に携帯で電話を入れる。明日から個室に移るということだ。
甥帰宅。鴨鍋を食べる。美味である。微醺。『坂の上の雲』を見ながら、食べる。「203高地」である。
明日朝は、鴨鍋の残りを使ったおじやを食べるつもり。美味しいだろうな、と思う。
かなり疲れている。もう少ししたら、休もうと思う。
「第九」の本番に向かいながら、数句作る。念頭に、東日本大震災のことがある。自分の今の生活の中から、詠おうと思う。
【11年12月10日】
木曜日。夕方から、指揮者レッスン。本番指揮者の大友直人による指導がある。テンポ感やハーモニーについて、細かい指示が入る。淡々とした雰囲気でレッスンが行われる。2時間ほどのレッスンであった。その後、合唱指導の先生から、厳しい一言。集中力は必要だが、緊張のし過ぎが歌全体を萎縮させているらしい。全身で歌うようにとのことであった。
金曜日。夜、4年ぶりに職場の忘年会に参加する。転勤したときの歓送迎会に出て以来、諸事情があって参加を見合わせていたのだが、ちょっと解禁してみようかと思ったのであった。始まりが遅いので、2時間ほどの宴会であったが、結構楽しいものであった。
帰りは、タクシーを使う。タクシーの営業地域について、色々ややこしいことがある、などという話を運転手さんから聞きながら帰る。
帰宅後、即就寝。
土曜日。5時に一度目を覚まし、二度寝して6時に起床。良い天気である。
午前中は、持ち帰り仕事。昼前には終了する。
数日前に「ipad」を購入。色々操作してみるのだが、ちょっと分かりづらい。ソフトのダウンロードが、今ひとつ上手くいかない。
もう少し汎用性があればいいのに、とも思う。アップルに特化された機器のようで、そういう点でも使い辛さにつながっているようだ。
和田悟朗の第八句集『座忘』を読む。著名俳人の一人だけれど、この人の句集は初めて読む。科学者というのは、不思議な発想力の持ち主であるようだ。
澤村光博著『詩と言語と実存』という評論集を読む。澤村は、H氏賞を受賞した詩人らしい。その人の評論集を読む気になったのは、中で遠藤周作と佐古純一郎についての文章があったからだ。遠藤の初期作品に対する作品論は措くとして、『遠藤周作論』を書いた佐古についての論評があるのが目に付いたからだ。キリスト者という立場から、遠藤文学に切り込んでいた佐古について、どのような論が展開されるのか、興味深かったのだが、内容はなかなか難しくて読み進むのが大変であった。
【11年12月4日】
日曜日。5時過ぎ、「歩き」に出る。星空が見えているにもかかわらず、細かい雨が降っている。空のどこかにある雨雲から、風に吹かれて雨粒が飛んできているらしい。初冬の京都らしい天候なのかもしれない。
天頂に北斗七星が横たわっている。空が明るい分だけ、光の弱い星が皆消されて、星座を構成するような明るい星だけが見える。
『週刊俳句』が更新されてある。御中虫の「一人落選展」の諸作品が面白い。ブログなども目を通しているので、作品の素材などが透けて見えるものもあるけれど、それにしても面白い作品が多い。言葉に対する感度の鋭さや、作品としての言葉の集積度や構築度がとても高いと思う。鴨川吟行会で特選を取らされてしまったのも宜なるかな、などと思う。基本的に力量のある人だなと感心する。
日が昇って、良い天気になる。
午前中は、昨日の続きの持ち帰り仕事をこなし、午後は「第九」の練習が予定されてあるのだが、欠席することになりそうだ。
10日には、京都でも皆既日食が見られるらしい。冬型の気圧配置になれば、晴れる可能性が高い。ぜひ、肉眼で日食を眺めてみたいものだ。
【11年12月3日】
母は、入院・手術ということになった。倒れたときに、骨折をしたということらしい。
年末の「第九」も「顔見世」も今年は無理となってしまった。ゆっくりと養生してほしいと思う。
甥は、朝から練習で大学へ。こちらは、持ち帰り仕事。気分転換に、洗濯やら掃除やらを挟みつつ、昼過ぎまでかかって、一仕事終了。
その後、「第九」へ来て下さる方へのチケット発送作業。今年は、関西の親戚が大挙して聴きにきてくれる。母が来られないことが本当に残念である。
夕方、チケット郵送のついでに、買い物に出る。夕食の支度。面倒なので、すき焼きとする。豚肉である。茸類をたくさん買って帰る。
雨が降るという予報だったのに、結局一日雨は降らなかった。曇天の一日で、さほど寒くはない。
邑書林から、『俳コレ』や『俳コレ』竟宴の案内、関悦史の第一句集の紹介などの同封された書簡が届く。既に、竟宴への参加と『俳コレ』関悦史句集『六十億本の回転する曲がった棒』の申し込みを済ませている。23日には、東京へ出かけている。時間調整で、今年も又靖国神社など見学に行くことになるのだろう。楽しみである。
関悦史って面白い人だな、と思う。
【11年12月2日】
今日は、朝から猛烈に忙しくて、夕方にはもうすっかりへたばってしまった。
夜に「第九」のレッスンがあり、一度は休もうかとも思ったけれど、今回で10回目をクリアすることになるので、出かけるだけ出かけることにした。
遅刻した者は、練習中は入場禁止になったらしく、廊下で数人の人達と練習が中断するのを待つ。
会場から歌う声が聞こえる。テノールの声が、ちょっと頑張りすぎなどと思う。
後半のレッスンから参加。しかし、残念ながら声が出ない。特に、高い声は全く駄目で、仕方なく口パク状態で過ごす。
練習後、すぐ帰宅。
母が自宅で椅子から落ちたと連絡があったと、甥。急いで電話を入れると、母本人が出る。障子を掴んで、直接床に倒れることは免れたが、腰を打って痛みが取れないという。来週、京都に来ることになっていたが、どうなるかわからないとのこと。
気懸かりである。
ともかく、今日はもう休もうと思う。