日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【12年1月29日】
布団の中にいても寒い。エアコンの暖房を入れても、さほど状況は変わらない。仕方ないので、起きることにする。
前日、結局4時間くらいしか眠れなかったので、それをカバーするように夜中目を覚ますことなく5時過ぎくらいまで眠ることが出来た。目が覚めたのは、寒さのせいなのだろう。
重ね着をして、起きる。居間のエアコンを入れ、暖を取り、朝食の準備。久しぶりにご飯。卵入りの味噌汁と竹輪の朝食。味噌汁は昨夜の残り。味噌を変えたわけではないのに、なぜか、やたらと美味しい。
エアコンは、ほとんど効いていないようだ。ひどく寒くて、外を見ると雪がちらついている。
日曜更新の『週刊俳句』見る。『俳コレ』作家特集。4人の7句。いずれも興味深い人の作なのだが、今回は全体にちょっと今ひとつのような気がする。五十嵐秀彦氏の時評は面白かった。確かに、『俳句研究』が月刊から季刊、として休刊へと推移していく状況は、中央というか一つの中心点が揺らぎ、やがて消滅していった過程を象徴的に表している。角川『俳句』を、惰性的に年間購読しているけれど、読みたいと思える記事は少ないし、感銘を受ける作品も限られているようだし。こちらの興味・関心や感受力に問題があるのかもしれないけれども。。鈴木牛後氏のエッセイは実感がこもっていて面白かった。牛の体の温みというのは、どのような感触なのかと色々思われた。
土曜日、午後。「歩き」に出かける。年末に、コート風の皮ジャンを買ったので、それを着て出る。タートルネックのセーターを下に着込む程度で寒さを防げるのでありがたい。一度も行った事がないので、宇治の黄檗山萬福寺に出かけてみることにする。もちろん「歩き」が主目的なので、目的地に着く前後に「歩き」を入れる。結局、12000歩ほど歩いたことになる。最近は、15000歩平均くらいで歩いているので、少し少なめである。
萬福寺は、やたら風通しの良いお寺という印象。有名な魚板を見、寒風で天蓋が揺れ、やその周りの垂らし飾りがしゃらしゃら鳴る中で、太っ腹の布袋像を見上げる。山が近いので、時折時雨風に小雨が来るが、屋根付きの回廊がありがたい。観光客以外にほとんど姿を見ない中で、一人の若い坊さんが、端にちびた竹箒と一斗缶を切って作ったちり取りを置いて、屋根からの雨垂れが落ちる辺りに周辺の小石をひとつひとつ拾い置く姿が目に止まった。
帰宅後、午前中に読んでいた句集の続きを読む。日曜日の「醍醐会」の準備。清水貴久彦句集『髫髪松』と中村堯子句集『ショートノーズ・ガー』の二冊。対照的な作柄の2冊の句集である。


【12年1月28日】
土曜日。いつになく、甥が早く起き出してきたので、どうしたのかと尋ねると、今日はピアノの試験があるとのこと。30日にトロンボーンの卒業試験があることは聞いていたのだが、その前にこちらのテストもあるようだ。ご飯を食べ終えると、黒の正装姿で出かけて行った。
いつものように、洗濯を終え、朝食を済ませ、一休み。外を見ると、空は黄味を帯びた雲に一面覆われ、今にも雪が降ってきそうな様子である。眼下の枯れ色の空き地が一層寒さを促すようだ。数日前の寝違えのせいか、どうにも背中から首、そして胸の方までが痛む。昨日、きばって2クラス分のテストの採点を終えた影響もあるのか。湿布薬をはり、はれないところは薬を塗っておくが、どうにも痛くて鬱陶しい。まさか、50肩のようなものではあるまいと思うが。
昨夜、というか、今朝早くというか、目を覚ましてテレビをつけるとたまたま二つの討論番組をやっていた。一つは某民放の「朝まで……」というので、もうひとつはNHKのもの。「朝まで……」は大阪市長の橋下氏を招いてのしゃべくり合い。司会者がやたらに割り込み、話をぶつ切りにして、一体何の話をしているのか訳が分からなくなるというもの。NHKの方は、20代から30代くらいの色々な分野の若者たちが、現代の日本について多面的に語り合い、そこに聴衆がメールや発言によって参加するというもの。こちらは聞き応えがあって、真夜中であるにもかかわらず、1時間以上も見てしまった。際物的な民放とまっとうな作りのNHKと好対照な内容であった。NHKは、時に結構こんな好番組を作る。というより、民放の報道や討論関係の番組の質がいかにも低いということなのだろう。
石井明著『落語を楽しもう』を読む。図書館に置いてあった岩波ジュニア文庫の一冊。落語の紹介書ではあるが、内容はその歴史から解き明かし、ベルグソンやアリストテレスを引き合いに出しつつ笑いの本質を説き、落語の背景にある江戸の人々の生活を具体的に紹介し、落語の内容とオチの分類等について、具体的に噺を上げながらしながら書いてゆくという、かなり本格的な内容のものであった。面白い。


【12年1月25日】
何とも寒い、と思いつつ、夜歩いたりしている。
先日、京都ミューズから年末の「第9」の録音テープが送られてきた。二度、三度と聴き、昨夜は歩くついでに、ずっと曲を聞き流しにしていた。
ほぼ全曲を聴き終えたので、1時間近く歩いたことになるだろう。
結構、良い演奏ではあるまいか、と思っている。もちろん、合唱は素人集団のものだから、細かい部分での不手際はたくさんあることだろうけれど、しかし全体を貫く思いというものの
強さや純粋さは価値あるものだと思う。曲を聴きつつ歩きながら、とても良い気分になる。
木曜日。試験と授業。戻ってきた2クラス分の試験は、夕方までに採点終了。返却に際して添える補助資料も一気に作る。
その後、退勤。今日は、郷里から弟が仕事の関係で来京し一泊するので、その準備の買い物をして帰る。
甥はすでに大学の講義は終了しているので、練習を除けば、かなり時間は自由になるようだ。味噌汁だけ作って、帰宅を待っていた。夕食の準備をして、食事。
9時前に、弟が到着する。のんびりしてもらおうと思う。


【12年1月22日】
日曜日。背中が痛くて、目が覚める。枕が高くて、寝違えてしまったのか、痛みで目が覚める。まだ、夜中という時間帯。痛みを我慢して起き上がり、とりあえず鎮痛消炎剤を塗る。6時前に目を覚ますが、まだ痛い。背中の貼りにくい部分に鎮痛外用薬を貼る。無理に背中に手をまわすのだが、それがまた痛い。
7時に起床。雨は降っていないが、近くの山が垂れ込めた雲で見えない。上と周囲をすっぽりと閉ざされたような風景を、窓越しに見る。背中は、まだ痛い。
土曜日。丹後「すき句会」。やはり、雨であった。いつもの食堂で昼食をとり、途中まで車で迎えに来て頂いて、岩城先生宅へ。句会が始まる前に、病気で亡くなられた雲架橋氏の句集から、感銘句1句の鑑賞を参加者が発表する。「椅子深く机に戻し卒業す」「ひと鍬がひよいと蛙を世に送る」「ありがとうゆきえ俳句はわが桜」「つちふるやくやしさのなき死があるか」「父の日の誰より高き肩車」「すれ違ふやがて白蛇となる女」「そぞろ寒畳を這うてゐたりけり」「どこで手を叩くべきかと文化の日」「客が来て猫がでて行く炬燵かな」「山畑へ話に来たる小春かな」「麗しき貧乏ゆすり初電車」「演奏を待つ大寒のピアノかな」「向かうからこの世丸見え桃の花」の作が、会員さんから紹介された。境涯の句が多かったけれど、作者らしいユーモアや独特の視点が生かされた句もあった。第一句集が最後の句集ともなったけれど、他にも紹介したい句がたくさん残された良い句集であった。
句会は、宿題が「初〜」「〜初め」「〜収め」、席題が「こつごもり」であった。
4時半には、句会終了。岩城先生はこちらで一泊されるので、一人駅まで送っていただく。車中は、ビールを飲みつつ、駅の書店で買った菊池章太『儒教・仏教・道教』を読む。三つの宗教が混在・共存する東アジアの状況を語るみたいなコンセプトの本らしいけれど、雑談風な語り口が「ゆるく」て、途中で読むことを中断する。
雨の中を帰宅。岡田耕治氏から『香天』を送っていただく。


【12年1月20日】
今日も1日雨であった。びしょびしょという降り方であった。寒々としていた。
丹後「すき句会」の日を間違ってブログに記載していた。そのことで、ちょっと混乱が生じていたようであった。丹後の方と電話連絡をしあって、なんとか収まる。迷惑をかけてしまった。明日が楽しみである。しかし、明日も雨であろうな。。
1週間が終了。疲れる。今日は、百人一首の歌留多取りを2時間、授業で行う。声を張り詰めて、一気に百首朗詠するのは、かなりこたえる。声を出すというのは、結構体力を使うものである。生徒は、思った以上に楽しそうであったけれども。
夕食のおかずを買って帰宅。今日は、もう何もしたくない。洗濯も、筋トレも中止して、ちょっとお酒を飲んでぼんやりする。
甥も、帰宅。食事をしてすぐ部屋へ。
こちらも、まだ時間的には早いけれど、寝室へ引っ込もうかと思う。
ともかく、眠い。


【12年1月19日】
今日は、ひさしぶりの雨。本格的な降りが、夜まで続いている。「歩き」が出来ないので、室内でダンベルを使って、簡単な筋トレを行う。
甥は、卒業試験の演奏練習の為、今週は連日帰宅が遅い。帰って来る頃には、こちらは寝ているし、朝は向こうが寝ている間に、朝食の準備だけしておいて出勤するので、顔を合わせることもなく、ほぼ完全なすれ違い状態となっている。などと書いていたら、今帰って来た。9時過ぎである。今日はいつもより早い。
ちょっと顔を出すと、すぐ部屋に引っ込んでしまった。まあ、すれ違い状態なのだろう。
先週、急遽中止になった丹後「すき句会」は、今週の土曜日に開催することになった。岩城先生と連絡を取り合う。それにしても、一月に二度丹後に行けるのはありがたいことだ。ただ、天気が今ひとつの予報なのが気になる。雨のようである。かえって雪の方が始末が良いのだが、などと思う。
丹後で思い出したけれど、先週宮津を散策したとき、昼食に入ったお店で、今年は蟹の値が高いとの話を聞いた。漁獲高がそもそも多くない上に、実は中国からの強力な買い付けがあって、高値になっているとのこと。さらに、なまこも好調に中国向けで売れているらしい。特に、赤なまこが良い値段で売れるらしくて、地元の漁師さんはなまこ漁に力を入れているらしい。赤なまこは、日本人にはあまり人気がなかったのではないかと思うが、中国向けとしては最高のものらしい。
中国の経済力が、こんな田舎の町にまで影響力を及ぼしているのかと感心したものだった。


【12年1月18日】
朝。本当に寒い朝だった。空気が薄くなっているのではないか、と思えるほどの寒さであった。
昨夜、食後の「歩き」の際も、町中にもかかわらず、いつになく星がたくさん見えていたように思ったけれど、それほど良い天気で、夜の間に放射冷却が進んだのであろう。
正月太り解消のため、朝の職場までの歩きも、いつもの駅ではなく、一駅乗り越しての「歩き」にして、歩行距離を伸ばしているのだけれど、その分早朝の寒さを堪能することとなる。森浩一の『山野河海の列島史』を読み継ぐ。蝦夷、隼人等、先住民族に焦点をあてた内容が面白い。文献資料と考古学的な遺跡出土物との関連で進められる話も、視野が広がるようで興味深い。
夜。夕食を終え、洗濯も済ませて、そろそろ夜の歩きに出ようかと思う。風呂も沸かしておいて、帰ったらすぐ一風呂浴びて、暖かいままで寝床へ、ということで。
甥は、連日卒業演奏の練習のため、帰宅が遅い。今日も、何時に帰ってくることになるのだろうか。
入院中の母へ携帯電話。毎日のリハビリで、状態はかなり良くなってきているらしい。あと二週間ほどで退院出来るらしい。


【12年1月16日】
朝方の夢。何か、とんでもない夢であった。内容は、かなりしっかり憶えてはいるのだが、錯雑した中身で、とてもここには書けないようなものであった。
ただ、色々な意味を含んだ夢のようなので、記憶のどこかにとどめておこうと思う。
日曜日。午後、「歩き」に出かける。腰痛がかなりあるので、どうかなとも思うのだが、歩いているうちに、痛みが軽減してくるというパターンなので、ともかくどこかに出かけて、帰ってくるということにしようと思う。
地下鉄で、今出川まで出て、そこから歩き始める。最初は南下しようと思ったのだが、都道府県対抗女子駅伝の残骸の小旗がひらひらしているのを見て、南下は中止、北上することにする。同志社大学を左手に見て歩き、やがて相国寺境内を横切り、さらにそこから北行。御霊神社から鞍馬口、さらに紫明通から鴨川河畔、南行へと切り替えて京響の練習場を脇に見て、出雲路橋を渡り、下鴨西通を南下、やがて京阪出町柳駅着。
高曇りの空で、さほど寒くもなく、とは言えこれ以上歩く気力もなくて、出町で歩きは終了。京阪に乗る。
丸太町駅から乗り込んできた小学生の団体の中で、NHK出版の『ウィトゲンシュタイン』サブタイトルが「『私』は消去できるか」を読む。禅問答を読んでいるようで、ほぼ全く分からない。狐につままれたような気分である。
下車後、夕飯の準備を買って、帰宅。とりあえず、夕食用にチャプチェと味噌汁だけ作っておく。
少々疲れたので、『西行伝』をちょっと読んで、就寝。
その結果、朝方の夢へと続く訳である。


【12年1月14日】
土曜日。丹後「すき句会」。ちょっと訳ありで、直前に中止となる。そこで、宮津で途中下車して、10年ぶりくらいに、宮津市内を散策する。
宮津は今から30年以上前に初赴任して、7年間生活をした場所である。
天橋立を控えた観光地とはいえ、鄙びた田舎町という印象の宮津であったが、その後海岸地帯を大きく開発し、さらに町を南北に縦断する大通りを作って、かなり印象が瀟洒な感じになった。さらに、数年前に大きな洪水に見舞われ、町の中央を南北に流れる大手川を大改修して、さらにかさ上げした堤防を城の塀風にデザインしたりして、周辺の風景が一変してしまっていた。とはいえ、路地に入ると昔のままの町並みが残っていて、特に最初の下宿(四畳半・共同トイレ・炊事場・風呂無し)も、次に移った二戸一の平屋の家も、そのまま残っていて、どちらにも人が暮らしているようで、しばらく道路から眺めていたりしたものだ。
ただ、職場で知り合い、交通事故で亡くなった知人の下宿は、三階建ての美容院に建て替えられてあった。また、よく雑貨を買った下宿近くの店は、区画整理の関係でなくなってもいたが。
小雨の中をあちらこちらうろうろ歩いているうちに、突然靴の底がべりっと剥がれてしまった。雪を想定して、防水靴を履いてきたのだが、ほとんど履いたことのない靴だったが、年数だけは経っていたので底が劣化していたらしい。底が二重になっていたので、歩けなくはなかったので、散策は切り上げて、そのまま宮津駅へ。2時過ぎの特急で京都へ帰る。朝の「はしだて1号」と比べ、最新のはしだて号で気分良く乗車。
車中では送っていただいた『汀』を一通り読み終え、その後はうつらうつらしながら京都へ。なぜか、眠くて仕方がない。
帰宅すると、甥が友人を招いて、二人でゲームの真っ最中。こちらは、夕食の買い物だけして、寝室に引っ込み、車中で飲めなかった発泡酒を飲んで、うだうだと過ごす。
夜、つい「インディージョーンズ」を最後まで見てしまう。
先日は、つい黒澤明の「生きる」をつい最後まで見てしまったが、11時過ぎまで起きていると、今度は眠りにつきにくくなってしまって、困る。
日曜日。5時過ぎに目を覚ます。落語を見て、6時からは、NHKの番組「短歌」を見る。俳人の佐藤文香がゲストで出ている。若手俳人の中でも、注目されている人の一人。華があるなと思う。
「週刊俳句」。今号の作品は谷口智行氏と小林千史さん。どちらも『俳コレ』関係からの掲載か。


【12年1月14日】
七時になっても、外はまだ薄暗い。雪も雨も降ってはいないけれど、厚い雲が全天を覆っている。
今日は、丹後「すき句会」の日。向こうは、大雪注意報が出ているらしい。天候をライブカメラで確認しようとするが、アクセス出来ない。まだ、調整中なのだろうか。
ともかく、雪を意識した身なりで出かけなくては、と思う。
今日の句会には、年末東京に行った折り、訪問した根岸と子規庵で作った句をだすつもりでいる。
正月太りの解消のつもりで、夕食後も歩くようにしている。以前なら、帰京すると同時に体重が以前に戻ったのに、年のせいか戻りが悪く、消費カロリーを増やすつもりで歩く。ちょっと腰が悪いので、コルセットをしながら歩く。夜歩かない時は、ダンベルなどを使って少し汗をかいたりもする。大変である。しかし、ちょっと効果が出始めたかもしれない。
『汀』創刊号を送っていただく。井上弘美主宰による新俳誌である。二号の準備号を経ての、満を持しての出発ということで、作品だけではなく、文章面でも意を配された内容になっている。丹後行の電車の中で、ゆっくり作品を読もうと思う。
そろそろ、出かける準備をしなければならない。


【12年1月9日】
朝から、軽い後遺症。午前中くらいは、大人しくしておいたほうが良さそうだ。
朝食後、洗濯。日が差すので、外に干そうかと思ったが、気温が低そうなので、室内干しとする。
森浩一の『山野河海の列島史』を読む。考古学関係の人(古代史学という分野の研究者であった。文献以前の歴史研究のために発掘調査を行っていたのか)のようだが、独自の視点を持っているひとのようで、読んでいて面白い。例えば、邪馬台国論争の中で、壱岐・対馬はあくまで邪馬台国に至る通過点的な扱いを受けているが、壱岐も対馬もそのような軽い扱いを受ける地域ではなく、それぞれが独自の文化や政治・経済的な立場を歴史の中で占めているのではという指摘など。
あるいは、大宝改元の逸話も面白かった(これは歴史的には常識となっていることなのかもしれないけれど、個人的には知らなかったので)。元々「大宝」と改元したのは、対馬で金が発見されたことを言祝いで為されたことらしいが、実はそれが大陸から持ち込まれたものを対馬産と偽った嘘であったということ。ただし、改元はそのままとされたらしい。
昨日は、午後「歩き」に出る。思い立って、淀まで徒歩で行ってみようと思う。淀は競馬でもしなければ下車することのない駅ではあるが、その駅を通過する際、淀駅を過ぎてすぐに沿線に城跡があってそれが気になっていたので、一度見に行ってみようと考えたのだ。
自宅からどの方向に行けばよいかということも含めて、ほぼ当てずっぽうで歩き始め、歩きながら周辺地図やら京阪電鉄の路線図やら車窓から見えたものなどを思い出しつつ、道路の表示板なども手がかりとして歩いて行く。
途中、大型電器店で買ってもいいかなと最近思っているロボット掃除機の「ルンバ」の値段を確かめてみたり、「虫神社」(正式名称は憶えていない)という住宅街の中の小さな神社で、広くもない境内に不釣り合いなくらいに巨大な楠を眺めたりなどと寄り道をしながらも、二時間くらいで京阪淀駅に着く。時間的にちょっと遅くなってしまったので、城跡探訪は改めて後日として、ちょうど競馬から帰って来る客に混じって淀駅へ。
駅を降りて、大型スーパーで夕食の買い物をして、帰宅。夕食の準備。昨日、今日と、魚・肉・野菜のバランスの良いおかずとなる。
7時前に、甥が練習から帰宅。食後は、寝室に籠もって、『西行物語』の続きを読む。


【12年1月8日】
正月を終え、体重が1キロ強ほど増えてしまった。ともかく、減らさなくてはならない。何か運動をするという訳にもいかないので、食事と歩きでの調整を進めることとする。困ったことだ。
土曜午後、市内へ「歩き」に出かける。京阪七条で下車、点々と群れを作っているゆりかもめの姿を眺めながら、鴨川河畔を四条まで。大橋を渡って、賑やかな木屋町から河原町通りへ抜けて、三条まで。商店街に入り、さらに寺町通りから、御池通りを渡って、いつもの「三月書房」へ。そこで、本をまとめ買いして、再び鴨川河畔に戻り、京阪三条駅着という道筋。
途中、三条近くの鴨川で、琵琶湖へ帰るために、ゆりかもめが集団で、鷹柱ではないが、強大な渦巻きか柱のようになって上空へと昇っていく姿を目撃する。集団で上昇し、上空の風を捕らえて、一挙に東山を越えて、夕暮れが迫る琵琶湖へ帰っていくのであろう。なかなかの壮観である。
帰りの電車の中では、さっき買ってきた本の中から『西行物語』を選んで、拾い読みをする。歌人西行の伝記のようなものである。聞くところによると、NHKの大型ドラマ『平清盛』の中に、西行が清盛のライバルとして登場するらしいが。
そういえば、同僚の地歴の教師が、『平清盛』で清盛の若い頃の姿を、薄汚い衣装をまとったぼろぼろ姿の青年として描いていたけれど、清盛は良いとこの坊っちゃんだから、あんな格好をしているはずがないと嘆いていたのを思い出した。そうかもしれない。まあ、ドラマなので……。
山田喜代春氏からいただいたカレンダー。一月は句ではなく、「子猫を胸に抱いた托鉢僧は片手で布施を受けました」という一文。今年は新しい意匠で始められるようです。
『週刊俳句』新年第1号は、寄稿された新年詠。150名もの方からの投句があったようです。面白い句が多いです。「新年詠」はこちら。
http://weekly-haiku.blogspot.com/。


【12年1月7日】
今更ながら、吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』を読み始める。気負いこんだような前書きを読み、本文に入って、これはどうなのかな、と思う。プロレタリア文学の文学理論に対する批判的評論なのだろうか。言語の基本的な性質や働きから説き初めて、表現ということに結びつけて話が進むらしいが、今更プロレタリア文学批判もなかろう、という気になる。どうしたものか。
7日。6時前、起床。朝食後、洗濯を済ませ、カーテンを一杯に開け、太陽の光を取り込んで室内干しにしてから、「歩き」に出る。1時間半ほど歩く。疎水は、冬に入って水が止められたので、底の方に薄々と水が残っているだけで、ほとんど流れが消えてしまっている。そんなところに、五位鷺や鴨の姿がぽつりぽつりと眺められ、そんな景色を拾いながら歩く。
帰宅後、リビングに入ると、うっすら眼鏡が曇る。洗濯物からでた水気がレンズを曇らせたらしい。ちょっとドライをかける。
日本海側は雪のようである。京都は、日が高くなるにつれ、どんどん天気がよくなる。とは言え、滋賀県方面は、雪雲らしきものが居座っているのが眺められるけれど。
午後になったら、市内に出かける予定。ついでに、鴨川でゆりかもめの姿を見物してこようかと思う。
甥は、いつも通り、10時過ぎに起床。その後、一度出かけ、帰宅後楽器を2本担いで学校へ。練習をしてくるという。


【12年1月6日】
実は、ここ30年間、思い出したように見る夢があった。それは、学生時代、生活していた京都岩倉の下宿の部屋のこと。大学卒業後、丹後への赴任とともにその下宿は引き払ったのだが、夢の中に繰り返し、その下宿で暮らす、あるいは過ごす夢を30年ものあいだ、思い出したように見続けてきたのだ。しかも、夢の中ではその四畳半の部屋はすでに引き払った後なので、そこを使うことは明らかに不法占拠みたいなものであって、下宿棟のとなりに住む家主さんに気づかれたら、大問題になるだろうという意識を持ちながらも、そこで過ごす、あるいはそこに帰って来るという夢を繰り返し見てきたわけである。勝手に部屋を使っているので、見つかれば莫大な費用を徴収されることになるだろうな、と年限がかさむにつれて思いつつ、しかしいつの間にか夢の中ではそこへと帰るという状態が、実に30年ほど続いていたわけである。
現実のその下宿のその部屋については、今から10年以上も前に岩倉を訪ねて、二階建ての下宿の一階部分(私の部屋はその一階の一番奥まったところにあったのだが)が、すべて駐車場に変わっているのを確認していたのだが。
5日、朝方の夢で、またその下宿の部屋の夢を見た。ところが、いつもと違うのは、部屋の入り口の廊下のところ(入り口は引き戸になっていて、中に粗末な鍵が付いていたのだが)に大きな穴が開いているのだ。ちょうど、入り口分の大きさほどの穴である。さらに、それを跨いで無理矢理部屋の中に入ると、乱雑に取り散らかされた室内のちょうど中央部分が、畳一畳ほど大きく抜け落ちているのだ。四畳半の部屋の一畳ほどがぽっかりと穴を開けているという状態である。ああ、これじゃここで過ごすことは出来ないなと思っていると、そこに一人の若者が来て、この部屋を勝手に使っていたのはお前かと言う。自分は、大家さんに頼まれてここを管理している者だとさらに続ける。そして、不法に占拠していた代償として10万円を払えと言う。こちらは部屋の惨状を見、またとうとう部屋を使っていたことがばれてしまったことでがっかりしてしまって、覚悟を決め、言われたとおりの金額を払おうとすると、いつの間にか私以外に二人の男がそばにいて、どうやらその男達も私と同じようにこの部屋を勝手に使っていた者達らしい。そこで、3人で分担して請求された金額を払おうとしているうちに、目が覚めた。
初夢という訳ではないが、なんとも奇妙な夢で、目が覚めてからも呆然としてしまった。
30年あまり見続けてきた夢の決着がついた、ということなのだろうか。どう考えて良いのか、よく分からない。
5日、雪の中を帰京。
6日、出勤。会議、会議の一日を過ごす。
それにしても、本当に奇妙な夢だった。
「俳コレ」に福田若之氏の一句鑑賞をアップしていただく。
「週刊俳句」に新年詠1句を投稿する。
このHP以外に句も文章も外部に発表する場をほとんど持たないので、そのような場が提供されてあるのは、大変ありがたい。


【12年1月4日】
3日、夜。同級生のところで新年会。ご近所さんも参加しての賑やかな宴会となる。ワインが美味しくて、ついつい数杯飲んでしまう。それにしても、女性陣の元気さには圧倒される。
4日。雪となる。雪起こしの雷が鳴り、道路がみるみる白くなっていく。母の一時退院は今日までなので、午後病院へ送って行く。道路には雪が10センチくらい積もっていて、慎重に運転する。
帰京の電車の切符を取りに駅へ。構内は、雪による列車の遅れのせいか、旅客でごったがえしている。幸い運休にまでは至っていないようだ。雪は今後も降り続きそうで、明日どうなるか、わからない。姪は、一番の飛行機で東京へ帰ることになっているのだが、はたして飛ぶだろうか……。
「俳コレ」のHPに小林千史さんの一句を投稿する。


【12年1月2日】
1日。車で15分ほどの神社に初詣。元は海に浮かぶ小島であったところ。標高50メートル程の小山で、山頂に拝殿がある。小さな神社ではあるが、由緒あるお宮で、毎年の初詣先となっている。参拝者は、明らかに多い。昨年のことがあったので、一層今年の平安を願う人が多いのだろうと思う。2日。母の見舞いに、九州の兄が帰郷。数年ぶりのことである。早朝の長距離バスで着くということで、6時過ぎに車で迎えに出る。そのまま母の病院へ。兄の帰省にあわせて、母も一時帰宅をすることになっているので、一度自宅に兄を送ってから、時間を置いて改めて母を迎えに行く。
母は、まだ歩行器や杖を使わなければ歩くことが出来ないけれど、なんとか自宅で過ごせそうな状態である。
夕食は鍋物。こんなふうに皆が揃うことはめったにないことなので、夕食風景を何枚も写真に撮ったりする。いかにも正月の家族の一コマである。
明日は、高校時代の同窓生数名と出会うことになっているので、夕方からその打ち合わせのメールのやり取りが頻繁になる。一昨年、同窓会に参加することがあって、それから途絶えていた交流が復活する。ありがたいことだと思う。


【12年1月1日】
うとうとしているうちに、年が変わる。ちょっとしまりのない年越しであった。
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。
二度寝して、目を覚ましたのは7時過ぎ。部屋を暖めて、コーヒーをいれている間に、皆三々五々起きてくる。
お雑煮とおせち料理の朝食。その後は、落語をみたり、バラエティーを見たりと、テレビで過ごす。とても元日らしい元日の過ごし方ではあるまいかと思う。帰省中なので、年賀状はこちらに来ないので、それを見る楽しみは帰京後のことになる。
天気は曇り。ちょっと雨まじりである。お昼を前に、今から初詣である。