日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【12年2月27日】
月曜日。朝、京都は雪であった。
さほど寒いわけではない。傘をさして、駅へと向かう。牡丹雪よりはずいぶん粒の細かい雪である。あまり春の雪らしくない。
電車から、バスに乗り換え、職場まで。車中では、河東碧梧桐の『碧梧桐俳句集』を読む。岩波文庫版である。「「新俳句」には蕪村の影響のようなものを強く感じたけれど、次の「春夏秋冬」には、すでにそれを感じない。ただ、ある種の拙さの印象は伴う。しかし、次の「続春夏秋冬」になると、その印象も消え、ゆったりと落ち着いた風格のようなものを感じる。時折、芭蕉の句のオマージュのような句も現れたりするけれど。勢いを得て、どんどん上手くなっていくという感じだ。
碧梧桐の句は、一度ちゃんと読んでみたかったので、良い機会だと思う。
火曜日。足の状態が、大分良くなってきたので、駅から歩くことにする。天気が良い分、ずいぶん冷え込んでいて、住宅街から農地へ抜けると、辺り一面白く霜が降りていた。まもなく2月も終わるというのに、なんとも寒々とした情景であった。
授業もあと数日を残すのみとなった。明日は、卒業式の予行なども予定されている。年度も押し詰まったという実感である。
夕方、退勤。朝ほどではないが、寒い。バスを使う。
往復の車中では、碧梧桐の句集を読む。第1回目の三千里の旅の旅吟を収めた『新傾向俳句集』を読み進める。旅が句作に大きな力を与えているのを感じる。気力充実した中で、碧梧桐は訪れた土地と人を詠っているようである。面白い。
若手俳人の御中虫氏がブログ上で詠われた震災俳句が近々邑書林から新句集として出版されるらしい。長谷川櫂氏の震災句集に対して、全く違う方向から震災に対して近接を試みた異色の句集となるようだ。作品自体は御中虫氏のブログで読めるのだが、読んでみて個人的にはちょっと微妙なものを感じた。それにしても、邑書林の何とフットワークの軽いことであろうか。
ところで、その作を読みながらちょっと思った事を短文にしたものを次に掲載しておく。「長谷川氏の句群が、長谷川氏なりの震災への関わり方を示した(その結果、一部に盛大な批判を招き、あるいは恐らくそれなりの共感を別の人達にもたらした)ように、御中虫氏の句群も、御中虫氏らしい関わり方を震災に対して示されたわけであろう。しかも、その関わり方を関悦史氏という実際に被災した知人を媒介とするという事で明示し(それは誠実なやり方のように思われるが)、さらに御中虫氏らしい関氏を「季語化」する形で俳句に取り込むという奇策によって、震災と俳句とを一気に結びつけるという機知に富んだ力業がなされたことに驚く。その発想の自在さに感心もする。ただ、作に散見するありそうな「ギャグ」の焼き直しのような句は(あえて、戦略としてそうされたのかもしれないが。たとえば、焼き直しという点で、長谷川氏の諸作が自己の観念の震災版焼き直しバージョンであるとでもいうふうに。もっともこれは誰かの長谷川氏批判の言葉を借りした思いつきにすぎないが。)あまり笑えなかった。あらかじめ、関氏の写真を紹介し、生真面目そうで飄々とした関氏の風貌を読者に印象付けたうえで、一連の作を披露するという作品鑑賞のための周到な計算と準備も、御中虫氏らしい高密度の言葉の世界との落差において、初めて強烈な笑いをもたらしたのかもしれない。その点でも、今回の作は少々物足りないものと私には感じられた。笑いと書いたが、もちろんその笑いは震災を笑いのめすという意味ではなく、あくまで長谷川氏の一連の作に対して向けられた笑いの弾丸ということになるのだろう。もちろん、関悦史氏を笑いの対象としているわけでもない。その点でいえば、関氏は「季語化」されたというより、罹災者のシンボルの一つないしはキーワード化された姿ということになるのかもしれない。関氏が実際に被災され、大破した自宅において日々生活しながら、句作や評論活動を続ける若手の気鋭俳人であることを聞き知っている者にとっては、大きな被害を被りながらも、その中で頑張って活動しておられる関氏に対する御中虫氏の信頼や安心の思いが、関氏を「季語」とし、詠うことにおいて、震災を「笑い」を通じて価値転換を為し、「笑い」を通じて次の一歩へとつなげていこうとする、トリックスター的な役割を託したということかもしれない、などと考えもした。笑いは、人を撃つばかりではなく、御中虫氏もブログ中で少し触れておられるように、人を悲惨から救い支える力を持つものでもあると思われる。そして、御中虫氏は、震災や震災俳句とは一番遠い地点にあると思われる笑いというものを多様に用いながら、震災俳句というものの在り方に一石を投じられた(その作の評価はちょっと措くとして)と言ってよいのかもしれない。」


【12年2月26日】
土曜日。一日、家籠もりの日であった。薬のおかげで、痛風の痛みは全く感じなくなったが、治ったわけではないので、歩くのは不自由だ。「歩き」は中止する。
半日、テスト問題作り。半日は読書。『紫文要領』を大分読み進む。この理路整然とした世界はたいへん面白い。
今週の『週刊俳句』は『新撰』『超新撰』『俳コレ』三部作出版の裏話も含めた出版事情の対談完結編。この対談も、いずれ俳句史の中に時代資料の一つとして生かされていくことになるのだろうか……などとと思う。そうなったら、面白いのに。それにしても、『週刊俳句』の全データというのは、どんなサーバーに保管されているのか、あるいは保管され続けていくのだろうか、などとも思う。編集者の個人的なパソコンの中に保存された上で、ネットにアップされているのだろうか、などと余計なことを思ったりもする。
個人的に好きなのは、時々アップされる鈴木牛後氏の「牛の歳時記」。『里』の連載エッセイに甲斐未知子氏の「[俳]を見つけた」という文章があるけれど、牛後氏の文章にも、畜産業に従事する人としての日々の生活の中での「俳」の発見があるようで、とても面白い。牛の「ノンレム睡眠」の話など興味深かった。写真も可愛かったし。
ふらんす堂刊『井上弘美句集』を送っていただく。井上氏の既刊三句集『風の事典』『あをぞら』『汀』の抄出作品とエッセイ2編を収載したもの。井上氏の現在に至る句作の変遷と句業の全体を眺め渡せる1冊と言えよう。個人的には、『あをぞら』『風の事典』『汀』の順で井上作品に触れてきたので、通時的に読み返すのは面白い。
それにしても、その解説で高柳氏が触れていた「うらがへりうらがへりゆく春の川」の句。高柳氏も語るように、「彼女の背後や脇、おそらく彼女にすら予想しえない死角から」もたらされたとする一句は、豊かな天分の上に日々積み重ねられた精進(古くさい言い回しのようだが)の結果としてもたらされた井上俳句の、天分の部分、原質の部分が発揮された作のように思われる。「水平線ごつごつとある落椿」という丹後吟行で詠まれた井上氏の一句など思い出していた。


【12年2月25日】
痛風の発作に見舞われる。以前から、尿酸値が微妙に高かったのだが、摂生生活ではカバーできなかったらしい。
発作初日は終日終夜我慢していたのだが、二日目はさすがにずーっと続く鈍痛に辟易して、放課後年休を取り、早退。そのまま病院へ。血液検査を受け、とりあえず痛み止めの薬をもらう。
それにしても、次から次へと、病気の方からやって来る。こちらは、極力、そうならないように注意をしているつもりなのだが。
京都ミューズの「モツレク」団員募集締め切りが24日なので、病院から痛い足を引きずり駅へ向かい、電車を使って、練習会場まで出かける。申し込みだけして、即帰宅。帰りはタクシーを使う。
帰宅後、服薬。しばらくすると、ウソみたいに痛みがなくなる。寝る前に、もう一度薬を飲む。痛風の痛みは、夜、横になっている方が強いように思う。痛みで目が覚める程度に痛い。しかし、それも薬の効果か、今夜は全く痛みを感じないで休むことができた。とりあえず、緊急避難的に通常の倍薬を飲むようだ。
土曜日、朝。いつもの通り、5時過ぎに起床。朝食の準備をしつつ、洗濯機を回す。外は、まだ暗い。雨が降っているようだ。さほど寒くはない。
『里』103号を送っていただく。谷口智行氏の『前登志夫』論が掲載される。歌人論ではあるが、大変読み応えのある一文であった。地霊への回帰というようなことを思う。根無し草的存在の気安さと空しさというようなことも翻って思ったりもする。それにしても、『里』は句作品にユニークなものが多いけれど、論・文章にもまた読むべき内容のものが多い。全体として、質の高い俳誌であるな、と感心する。


【12年2月21日】
今朝の夢。自分の帰るマンションがわからなくなる。鉄道が、敷設場所を変えたことで、町並みの一部が大きく変わってしまったのだ。見覚えのある建物を探して、あちらこちらとうろつく。それらしいマンションに入っては、各階を巡る。自分の居室のあるマンションのようで、どこも微妙に違う。うろつきまわるほかない。
そんな苦しい夢をみている間に、朝方甥が帰宅したらしい。目を覚まして、朝食を作り、毎朝の習慣で体重を量りに風呂場にはいったところ、昨夜洗濯を終えたはずの洗濯機の中に洗濯物が無造作に突っ込んであることで、帰宅に気づく。昨夜は、トロンボーンの一門による演奏会で、大阪泊まりと聞いていたのだが。
玄関に、靴が脱ぎ捨て状態になっていることで、帰宅を確認する。
きっと昼までは眠り続けることだろう。
疲れていたので、朝はバスで職場まで。腰痛もあって、一日コルセットをつけて過ごす。今日は、休養日とする。
放課後、以前の職場で一緒だった人と再会する。15年ぶりくらいだろうか。相変わらず元気そうであった。変わらないな、と感心する。教職についていたはずなのに、いつの間にか看護師に転身して、現在病院務めだとか。……らしいな、と感心する。
『根岸夜話』読了。子規の妹律さんの話題なども掲載されてあった。子規の視点ではなく、介護する人の視点での子規の闘病録は、胸が痛くなるほどのすさまじさであった。また、子規の近所に二つの陸家があったという事実は、この本で初めて知ったことだった。陸羯南とは違う、もう一人の陸氏の人生も波乱に富んだものであった。また、スリの親分仕立屋銀次の話も興味深かった。


【12年2月19日】
夜中に目が覚め、仕方なく昼間買ってきた本の1冊を読む。柏艪舎編『根岸の里と子規と律』。根岸の里にかかわる人物とその血縁者や関係者の思いでをまとめたもの。大熊利夫という根岸在住の人物の37年前の自費出版本『呉竹の根岸の里』並びに『根岸夜話』という本を復刻するということで内容を増補されたもののようだ。
年末に訪れた現在の根岸2丁目の町並みや子規庵の様子を思い出しながら少し読む。
日曜日。6時前に起床。寒い。
昨夜の残りのすき焼きで朝食を取り、珈琲を飲んで一休み。外は、良い天気で、太陽が昇ると、東向きのベランダから居間に向けて豪勢に日射しが差し込んでくる。カーテンを大きく引き開けて、光を取り込む。洗濯、部屋干し。
土曜日、午後。「歩き」に出かける。母から、「祇園小石」という飴とグリーンジャンボ宝クジを送ってほしいと頼まれていたので、それを買いついでに京都駅まで歩くことにする。時折、ちらちらと風花が舞う。山の方は、雪雲がわだかまっている。
京都駅は、ちょうど大階段駆け上り競争(正式名称は何というのだろうか)が開催されていたらしく、ちょっと見物に行くと、すでに競技は終わり、表彰式のようなことが行われていた。吹きなぐりの雪が、開口部分から京都駅構内にまで激しく舞い込んできていて、屋外にいるのと同じような有様となる。
それにしても、京都駅構内の混雑ぶりは、すでに春の観光シーズンが始まっているということの証なのだろうか。
伊勢丹の地下で飴を買い、宅急便で送る手配をして、その後、良く当たるとかいう地下鉄の宝クジ売場で宝クジを買う。
買い物を終え、途中まで歩き、その後地下鉄で帰宅する。


【12年2月18日】
本日は、丹後「すき句会」の予定であったが、雪のため残念ながら中止となった。JRとKTRの列車が一部運行中止になった為。今月は、このまま中止で、句会は来月に持ち越される。
京都も、珍しく積雪がある。この伏見区でも、2センチ程度の雪が積もっていて、家並みも地面も、一様に白く平板に見える。今は、雲が一部切れて、朝日が居間に差し込んできている。部屋干しの洗濯ものにも日が当たっている。
昨夜は、進路部の宴会。宇治市内に蟹を食べに行く。冷凍物なのだが、結構美味しい。焼蟹と鍋。しばらくぶりに日本酒(八海山だったか)を、おちょこ2杯飲む。これも美味。
本居宣長『紫文要領』を読んでいる。文章は近世のものであるが、書かれた精神はとても近代的なものを感じる。テキストを詳細に読み込み、分析し、異論を廃し、論理的に説を展開するその姿勢が、まるで現代文を読んでいるような感触を与え、違和感なしで内容がこちらに入ってくるような印象をもたらす。たいへん面白い。
『週刊俳句』では、「亀」の話がまだ続いているようだ。「泣く」と「鳴く」は同音異義だから、単純に派生季語という扱いにはならないのではということ。また、ちょっと観点がちがうけれど、季語と季題の問題に触れているものもある。ホトトギス系の人なのだろうか、面白いなと思う。季感の有無ということにかかわる問題。派生季語や新季語は、季題という考えを前提にして生まれるように思われるし。
ロボット掃除機が、現在居間を清掃中。障害物で反転して、あちらこちらへと移動をくりかえしつつ、ごみやほこりを吸引していく。しばらくたつと、絨毯に落ちてた小さなごみなどがなくなっているので、清掃がすすんでいるのが分かる。あちこち頭(反射部分)をぶつけながら、黙々と掃除を続ける様子に感情移入して、妙にけなげなものを感じてしまう。


【12年2月14日】
引き続き、「亀泣く」の話。どうやら、「亀鳴く」の派生題として、「亀泣く」も季語として通用しているらしい。歳時記にも、「亀泣く」で掲載された句もあるようである。
歳時記に収載されたものだから、季語として通用するというのも妙な論理のような気がしないでもないが、季語としての要件を満たしていると判断されての掲載ということなのだろうから、特に拘ることもないのかも知れない。ただ、「亀鳴く」と「亀泣く」とは、季語としての厚みはかなり違うような印象を個人的には持つ。詩因の厚みといってもよいかもしれないけれど。例えば、季語の本来的な働きは季の提示ということがあると思うのだが、春の茫洋たる情感が、「泣く」と表現されることで、具体性を持つ分、ずいぶん矮小化されるような気がするのだ。それは、作品全体の世界を狭いものとしてしまうかもしれない。季語でなければ、もっと自由に鑑賞できるかもしれないのに。まあ、これも小理屈のようなものかもしれないけれど。
バレンタインデーであった。教室内は、なんともいえない浮き足立つような雰囲気があって、授業がやりにくくてしかたなかった。そこで、一言。「私もチョコをもらいました」と言った瞬間に、教室内に不思議な沈黙が満ち、その後はすんなりと授業を進行することができた。何故であろう?
鬼貫の『独ごと』を読み継ぐ。面白い。句作について、鬼貫と同じようなことを考えている自分に気づいて、ますます面白くなる。きっと私も、守旧派の一人なのだろう。とは言え、彼の考え方は、当時流通した考え方とはかなり違ったものだったのだろうけれど。
今日も、早く帰った甥が夕食を作る。カレーライスである。
夕食後、雨が止んでいるので、「歩き」に出かける。歩きながら、ミューズの『第九』を聞く。おそらく、私が参加してきた『第九』の中でも、最高の演奏であろうと思う。細かいことを言い出せば、傷はいくらでも指摘できるのだろうけれど、思いの強さが傷の多くをカバーしているように思う。自画自賛といえば、それまでだろうけれども。ここしばらく、夜の「歩き」の時には、必ず聞いている。聞いて、感動している。


【12年2月13日】
中山奈々さんの句は、「亀泣く」でよかったらしい。『週刊俳句』に匿名さんの名で、同じような疑問が書き込まれ、それに対する作者の返答もあったようだ。確かに、「亀泣く」とすると、季語としての扱いを離れるので、無季の句となる。匿名さんの言うように、一句の鑑賞にも影響を与えることになるだろう。とは言え、超伝統的な季語と今風の情景の取り合わせという構成から、鑑賞の幅はずいぶん広がることになりそうではある。
それにしても、自分で書いておきながら、「ボイスパーカッションでアカペラ演奏」という言い方は、奇妙と言えば奇妙である。「ボイスパーカッション」は人声による伴奏ということもいえるので、すると無伴奏であるはずの「アカペラ」と食い違ってしまうことになる。どうでも良いようなことではあるが、朝の通勤途上の長い「歩き」の最中、ふと思いついて、あれこれ考えながら歩く。未だ、体重調整が今ひとつ上手くいかないので、朝の「歩き」の距離を長めにとっているのだが、その間に、たわいないことなど色々考えるのが、結構楽しい。それに、どうやら一番頭が自由に働くのが、朝のこの時間帯のようでもある。
復本一郎校注『鬼貫句選・独ごと』を読む。日曜日にイオンモールの書店で買ってきた本の一冊。鬼貫の発句350句あまりと架空の旅日記『禁足旅記』、そして俳論である『独ごと』が掲載されてある。作品もおもしろいけれど、まだ途中なのだが俳論(連句論であろう)がとても面白い。精神論から技術論まで、幅広く多面的に論じていて、論作両面において並みではない作家という印象を強く持った。
『汀』2月号をおくっていただく。井上弘美主宰の「氷魚」より三句。「ひと盛りの氷魚に朝のひかりかな」。「寒晴の水に一筋カヌーかな」。「てのひらに鮴の飴煮や比良暮雪」。


【12年2月12日】
土曜日、午後。本を買いに外出。ついでに、一度行ってみたいところがあったので、そこにも立ち寄る。京都駅に近い梅小路公園。3月14日に京都水族館が開館する予定になっている園地である。毎月、丹後に行く車中から見て、一度行ってみたいと思っていたところだ。さほど広いというわけでもない公園だが、遊歩道や広場があり、小さな屋根のあるステージも設置されてあって、昨日は市内の某大学の学生達がボイスパーカッションでアカペラ演奏会を開いていた。しばらく聞いていたが、結構上手かった。ステージ裏では、バトントワリングの練習をしているし、その横のベンチでは、おじさんが一人でカラオケ歌っているという、楽しい情景が展開もしていたが。
京都水族館は、遠目に見たほどには大きな施設ではないようだったが、屋外プールや階段状の観客席などが手前の目隠しの奥に見えていて、あそこでイルカのショーとかするのだろうかと思う。
その後、イオンモール内の書店で、3冊ほど本を購入して、帰宅。
本日の歩行数は、午前中と合わせて26000歩ほどになった。良く歩いたものだ。
夜は、自分で作ったブリ大根と牡蠣の味噌汁。それに、買ってきた鳥の甘辛揚げ、サラダ。
ロボット掃除機を買うことにした。とはいえ、ルンバは高すぎるので、日本の某メーカーのものにする。コメントをいくつか読むと、高機能はではないけれど、基本的な掃除機能に問題はないようだ。ネットで申し込み、本日中には手元に届くことになっている。マンションは、機密性が高いのだけれど、すぐに絨毯や廊下などに埃が溜まってしまうので、コロコロや紙ブラシなどで取っていたのだが、とうとう決断。どの程度、使い物になるだろうか。
日曜日。4時過ぎに目を覚まし、ちょっと『芭蕉書簡集』を読む。最近、寝る前の読書はこの1冊で、本文と注釈、そして簡単な解説のみの内容で、細かい部分まではなかなか読み取れないのだけれど、そのことで逆に読む手応えを感じたりしているものだ。
『週刊俳句』が更新された。今井聖の「奇人怪人俳人 八」『純情派青鬼教授・川崎展宏』が面白い。川崎氏の人となりと、それを語る今井氏のちょっとクールで親和的なスタンスが面白い。作品は、谷口慎也氏と中山奈々氏の10句。中山奈々さんは、毎年11月の鴨川吟行会で句席を同じくさせていただいているが、上手い詠み手だとその都度感心している。今回も、「春の風邪繋がってゐるパイプ椅子」など、何気ない情景でありながら、季語の斡旋でそれらしい情感を一句にもたらしていると思う。ところで、「亀泣く」は「亀鳴く」ではあるまいかとも思うが、これも工夫のひとつなのだろうか。


【12年2月11日】
久しぶりに、朝歩きに出かける。半年ぶりくらいに、丘陵地コースを歩く。
ふと思いついて歩きながら霜柱を探してみるが、土壌の関係か、なかなか見つからない。とはいえ、粘土と砂礫が適度に混じっているような所で、頼りなく延びた霜柱を見つける。2時間ほど歩いている中で、二ヶ所だけであった。関西方面というのは、霜柱が立ちにくいのであろうか。とはいえ、冬の高野山の豪勢な霜柱などを思い出していたりしたのだが。
良い天気で、日差しが暖かいので、室内干しをしていた洗濯物をベランダに出す。これも数か月ぶりのことだ。歩く前に一度洗濯をし、帰ってから二度目の洗濯。それも外に干す。大量の洗濯物をベランダ一杯に干す。
これもひさしぶりといえば、今朝新聞が届いていなかった。ごくたまに遅く届くことがあるので、今回もそれかと思ったのだが、「歩き」から帰って来ても、届けられていないので、さすがに遅延ということはないのだろう。販売店に電話を入れる。20分ほどたってから、ビニールに入れられた新聞が届く。新聞を取り出すと、小袋が挟んであって、中に5円玉一枚と1円玉が5枚入っていた。これは、お詫び?のつもりなのだろうか。以前は、こんなことはしなかったと思うのだが。
吉川幸次郎『漢文の話』を読む。文体や表現について、各時代の代表的な文章の一節を引いて、簡略に解説。助字の意味・用法についての解説が、かなり丁寧に行われている。狷介な人柄なのか、この文章は熟読に値しないとか、自分はこの書物は読んでいないとか、時にそのようなつぶやきも混じっていて面白い。


【12年2月10日】
パワー・ポイントで作った助動詞説明教材で、本日は授業。フリー素材のアニメとユーチューブで拾ってきた助動詞暗唱歌は、なかなか評判が良かったようだ。一緒に歌い出すひょうきん者もいたりして、盛り上がる。変な犬のアニメは、ネットで見つけたときにこれは面白いと思っていたので、会話を追加して動かすことにしたが、タイミングがずれっぱなしで、それが逆に受けたりもしたものだ。
手作り部分も、結構手間暇をかけたところは、生徒自身が現在パワー・ポイントを使って自作の自己紹介教材を作って発表をしているので、その大変さが分かっているらしく、これ大変なんだよと小声で話す声が聞こえたりして、ちょっと良い気分になった。
一度、このような授業をしたいと以前から思っていたのだが、これは使えそうだな、との手応えを得た。ただ、パワーポイントに頼り過ぎるのは、禁物とも思ったが。
夕方、駅まで車で送っていただき、電車でいつもとは違う駅で下車。病院に立ち寄って薬を受け取り、帰りにぎょうざを買って帰る。
卒業旅行から今朝帰宅した甥が、夕食を作ってくれることになっていたのだが、おかずは八宝菜で、買ってきたぎょうざと偶然上手く相性があった。作り売りのぎょうざなので、少々皮が固くなっていたのが難ではあったけれど。
食後、一休みして、風呂も沸いていたので入り、のんびりする。洗濯物も取り込んであったし、今日の甥はなかなか行動的であった。こちらも、楽をさせてもらった。


【12年2月6日】
暖かい一日であった。昼過ぎまで雨が降ったけれど、冷え込むことはなかった。
一度止んだ雨が、夕方になって、またぽつりぽつりと降り出した。傘を差さないで歩いていると、防寒具のうえに点々と雨滴の痕が残る。
早めに帰って来た甥が、夕食を作る。洗濯も済ましていた。甥は、明日の夜行バスで、友人達4、5人と3泊4日で、東京まで卒業旅行に出かけるという。
こちらもその間、のんびり過ごせるという訳だ。
土曜日午後は、愛媛大学写生・写生文研究会によるシンポジウム。竹中宏氏による「写生」についての講演会と、その後討論会。竹中氏の「写生」について、まとまった考えが聞けてよかった。以前、『翔臨』に、関係する文章を書いたことがあるので、その内容なども改めて思い出しつつ、話を聞く。「写生」というものが、作家各人によって、様々な様態を取る点から、写生というものを考える場合、その本領は俳句作品という形を取る以前(言語表現以前)の部分にこそ、視点を置くべきではないかという主張のように私などは理解した。言語以前とは、たとえば作家の世界に対する姿勢それ自体の中に、あるいは世界を感受する感受力の有り様の中に「写生」の本体というものは潜んでいるということなのかもしれない、ということか。現象面よりそのよってきたる本質的な部分こそ注視すべきということであろう。
その後の討論は、「写生」ということを主軸としつつも、波多野爽波の俳句の魅力、作家としての自己の基本的スタンスについての各コメンテーターの言及、さらにその一人である関悦史氏の作品に対する応答など、多方面に渡る内容で、聞き応えのあるものであった。聞きつつ、大学ノートにメモを取っていったのだが、10ページあまりのものとなった。18時にシンポジウムは終了。
私は、その後、幹事役を務める新年会へ参加しなければならないので、急いで退出。幸い新年会の会場が、シンポジウム会場の私学会館から徒歩10分ほどのところだったので、さほど遅れることもなく到着。9時過ぎまで、男ばかりの気安さで、大いに歓談する。料理が美味しいことで評判の店ということだったけれど、確かに美味しかった。2時間飲み放題ということだったけれど、私以外は呑み助ばかりで、充分元を取ってもらったのではないかと思う。
宴終了後、他の方はカラオケに、私はそのまま帰宅する。楽しい一日だった。
日曜日。昼過ぎまで、パワーポイントで教材作り。操作の仕方がかなり分かってきたので、ネットから動画なども取り込んできて、内容を多彩なものにする。助動詞の暗記歌なども公開されていたので、それをダウンロードし、そのままでは使えないので、フリーのコンバーターでデーター形式を変換して活用する。結構面白いものができたのではないかと思う。午後、「歩き」に出る。疎水沿いに稲荷神社まで歩く。日曜日ということもあるのか、本当にたくさんの参拝者の姿があって、感心する。千本鳥居を途中まで歩き、引き返して、冬枯れの姿のままの神田などを見学して、そのまま帰宅。かなりの歩数をかせぐことが出来た。
月曜、夜。夕食を終え、甥は部屋に帰り、こちらは「日々録」の更新。すでに10時近くで、少々眠くなってきている。全く、小学生並みの生活である。外は、小雨が降っていて、歩くわけにいかない。


【12年2月4日】
立春の朝である。良い天気である。ベランダに向いたサッシ引き戸の下半分が、水蒸気で白くなっているところから、外は結構寒いだろうなと思うけれど(天気予報によると、京都の朝の気温は氷点下のようだ。戸を開けて確かめてみる気はないが)。洗濯を終え、部屋干しにするが、カーテンを広く開けて、日差しを取り込んでいる。日の当たるところは、暖かい。一休みのつもりで、ソファーに腰掛け、テレビを見る。市民大学講座で、和歌の講義をやっている。『古今和歌集』「仮名序」の解説をしているが、「縁」の字が「緑」になっている。生徒もよくやる間違いである。
金曜、夜。昔の小学生並みの就寝時間なのだが、寝に就く前に岩城先生の自選百句を読む。土曜日の会の準備の一つ。「醍醐会」での話などを思い出して、改めてその詠いぷりの自在さにおいて、清水氏は岩城先生の直系の一人と思う。ただ、岩城先生がより「言葉」派であるのに対して、清水さんがより「事柄」派である点は、個性の違いとしてあるかなとも思う。
朝風呂を入れる。お湯に浸かりながら、資料の読み込みをしておこうと思う。半身浴は健康にも良いらしいし。
その後は、時間がくるまで、パワーポイントをいろいろ使ってみよう。


【12年2月3日】
連日、身にこたえる寒さである。朝の通勤が、少々辛くなるほどだ。今朝は、職場に向かう途中の自衛隊駐屯地の訓練用の大きな池の三分の一ほどが凍っていた。こんな情景を見たのは初めてである。
京都府内の園部町では、氷点下10度を超える寒さであったらしい。夏の猛暑といい、この冬の寒さといい、なんとも極端なことである。
今日は、節分の日。明日は立春とはいえ、気候的には一番寒い時期にあたるらしい。夕方、駅まで車で送っていただき、いつのまにやら恒例となった寿司の太巻きを買って帰る。売場の一画を占めて、色々な種類の巻き寿司が並べてある。甥用には、ロース巻きを、こちら用には豪華八種巻きを買って帰る。鰯の焼いたものと、福豆も買う。
帰宅後、まず各部屋に豆を蒔き、最後にベランダに撒いて終える。鳩が糞をしに来るので、豆を蒔いておくのはあまりよくないかもしれないが。
太巻きは、豪勢でなかなか美味しかった。太巻き一本を食べきるなんて、一年に一度のことであろう。
明日は、午後から俳句関係の集まり。竹中宏氏から「写生」についての話を聞き、その後、岩城久治・関悦史・中田剛の三氏を交えての討論会が行われる。参加者は4、50人くらいになるのではないか、と思う。その後は、延び延びになっていた新年会で四条まで。
パワーポイントを使って、教材を作ってみる。いろいろな機能があって、面白い。完全に、試行錯誤状態ではあるが、なんとなくアニメーション機能など適当にいじくってみたりする。
もうちょっと作り込めば、実際の授業に使えそうだ。ちなみに、助動詞の導入教材に使うつもり。以前から、一度このような授業をしてみたかったので、良い機会である
堀井憲一郎『落語の国から除いてみれば』を読む。落語についての様々な蘊蓄からはじめて、落語界の住人熊さん八っあんの世界を軽快な調子で語る。色々な噺のさわりの部分の紹介などもあって、知らない噺が多いので、一度聞いてみたくなる。