日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【12年4月29日】
土曜日。午前中は、青木氏の評論を読む。分かりやすく整理された内容で、さすがと思う。
それにしても、研究者というのは本当に良く勉強しておられるものだと感心する。一体どれほどの知識を蓄積しておられることだろうか、と思う。
ちょっと気になったのは、文中の「読者」というのがどのような人達を想定しているのか、という点。ここでいう「読者」とは、かなり俳句に対して予備知識を持っている人達にあたるのではなかろうか、という点で、彌榮論文の前提とする「読者」との間に微妙な差異がありはしないか、ということ。また、その予備知識の質が、彌榮氏の言う「1%」の俳句を通じてもたらされたものであるのか、どうかということなど。
機会があれば、その点など聞いてみたいと思う。
午後、京都国際会館で開催されている「ART KYOTO 2012」を見に行く。展覧会ではなく、各地のアートギャラリーが一堂に会しての展示・販売会のようなもの。最先端の現代美術が鑑賞できる上に、気に入ったもので財布の事情が許せば予約購入が可能というもの。欲しいな、と思う作品が数点あったけれど、色々と無理であった、残念。
個人的には、しりあがり寿氏の脱力系のイラストと映像作品を見ることが出来て良かった。
それにしても、実に様々な技法・手法で作品が作られていることに感心する。
ただ、イベントとして美術愛好家の某芸人さんが、解説希望の団体を引き連れて、あちこちと館内の作品鑑賞をしていたのだが、人の塊が移動の邪魔になり、さらに声がやたらに大きい上に、「えっ?」と思えるような解説が耳に入ってきて、あまり愉快ではなかった。
展示会を出て、せっかくなので「歩き」のつもりで、宝ヶ池を一周する。暑い日だったけれど、ボートを点々と浮かべる湖面を渡る風は涼しく、新緑の木々からやわらげられた日射しが降って来て、大変心地よかった。新緑の季節を実感する。
ついでに、買い物をして、帰宅。シャワーを浴び、夕食の準備をして、引き続き青木氏の文章を読む。
【12年4月28日】
金曜日。1日、企業訪問。交通の便の悪いところにあるので、午前に1社、午後に1社という予定。当初、午後にもう1社予定していたのだが、アポをとる段階で、不都合となり、後日にまわす。ただ、そのことが幸いして、午後の企業では、卒業生が働いている姿と、その職場を1時間ほどじっくり案内していただくことができた。工場見学では、熟練の機械操作と職人の手技の融合を見せていただき、その技術力の高さに感心する。
学年団は、1日校外学習で、もっぱら野外炊飯で琵琶湖周辺にでかかける。典型的な校外学習日和の日で、一日快晴状態であった。かなり暑い。
電車・バス・徒歩での企業周り。こんな時だけは、車があると楽だろうな、とは思う。市バスが30分待っていても来ない、などということはかなり苛つくことだし、鎮痛消炎薬が効いたとは言え、痛風の身での15000歩は、ちょっと面倒であった。
訪問終了後、職場へ。し残しの仕事を一つ終えて、退勤。
通勤、ならびに移動の間に、先日の「本屋大賞」で1位となった三浦しをんの『舟を編む』を読む。表紙がマンガなので、車中で読むのにちょっと抵抗があったので、表紙をはずして読もうと思ったら、やっぱり表裏ともに同じマンガだったので、もう気にしないことにして読む。
展開が早いな、人物がちょっとご都合的だな、などと思いつつ、読む。辞書編纂の話なので、言葉に対する拘りの部分は面白い。半分ほど読み進む。
夜、「モツレク」の練習に参加。やっと9回目。ステージに立つためには、あと最低7回はレッスンに参加する必要がある。声は、ようやく出るようになってきた、みたいな気がする。体力に欠けるせいか、レッスンの最後は、ひーひー状態ではあるが、それでもかなり楽に声がでるようになった、みたいである。
チケットは、本日販売分を含め、900枚超であるらしい。完売まで、あと600枚ほどか。良いペースのようだ。
曲も、本日「サンクトス」をさらい、GWをはさんで、終曲を残すのみということになった。
10時前、帰宅。甥が帰っていて、大画面でゲームの最中であった。
こちらは、疲れたので、寝室へ。すぐ、就寝。
土曜日。朝が、本当に早くなった。6時前には、起床して、朝食、洗濯、その後トイレ掃除。
明日の「醍醐会」のために、必要な青木氏の評論を『週刊俳句』のサイトからダウンロードし、プリントアウト。A4ぎっしりで、17枚ほどの分量となる。
【12年4月26日】
薬を飲んでいるにも関わらず、突然の痛風発作。さすがに、薬のおかげか、激痛というほどではないが、痛い。
ストレスが発作に関係するということは聞いたことがあるけれど、そのせいかもしれないとも思う。
以前貰った鎮痛消炎薬があったので、夕食後、飲む。効けばよいのだけれども。
明日は、一日企業訪問。車を持たないので、公共交通機関とあとは歩きでカバーすることになるのだが、果たして大丈夫であろうか……。気懸かりである。
とは言いつつも、今日も往復にバスを使ったにもかかわらず、1万歩近くの歩行数であったのだが。1階と4階の間を、授業やらその他の用事やらで5往復していたし。
本当に疲れることである。
麦の花が咲いている。白い、小さな花である。これから、麦畑が徐々に金色に姿を変えていくことになるのだろう。
八重桜は、そろそろ散り始め。歩道に、ピンクの花びらが一面に敷かれてある。
バス停には、とっくに終わったユキヤナギの隣で、山吹の黄色い花がちらちら咲き始めている。「実のひとつだに」などと、ついくちずさんでしまう。
【12年4月24日】
伊藤計劃氏の短編集、日曜日のうちに読了。007ジェームスボンドを主人公とする「from the nothing.with love」は、オマージュというよりはオリジナル作品として大変面白かった。どういう発想や、思考回路からこのような作品が生まれるのかとつくづく感心した。『虐殺器官』のスピンオフ作品や元になった作品「heavenscape」も面白かった。次回作となるはずだった「屍者の帝国」の最初の30ページも読むことが出来た。この作品は、芥川賞作家円城塔氏が書き継ぐこととなり、それがまもなく完成すると聞いた。その出版が楽しみである。再び、SF小説に対する興味が湧いてきたようで、それがちょっと嬉しい。
とは言いながら、ともかく疲労感が強くて困る。十分、睡眠時間をとっているはずなのだが、ちゃんと熟睡しきれていないようである。悪夢とまではいかないが、目が覚めてもなんとなくあとを引くような奇妙な夢を繰り返し見る。どうしたのだろうか、と思う。
車中の読書として、以前買っておいた吉本隆明の『共同幻想論』を読む。読み始めたばかりだが、柳田国男の『遠野物語』を素材として、そこに語られる山人、山姫の夢幻的な話から、共同体の中で培われる共同体の成員に共通する幻想体験というようなものを問題として取り出そうとしているような気がする。しかし、難しい。車中での読書対象としては、ハードルが高いかもしれない。
夕食を終え、まだ8時なのにもう眠くなる。子供のようである。甥は、ここ数日忙しいらしい。昨日も、何時に帰ってきたのか、こちらは知らない(すっかり寝入っていたので)。今日も、はたして何時に帰宅することか。
【12年4月22日】
土曜日、午後。『虐殺器官』を一気に読み終わる。結末部分とそれに至る終局部分は、ちょっと衝撃的な内容であった。面白い。
以前、伊藤氏の長編は2編と書いたけれど、この『虐殺器官』と『ハーモニー』の間に、もう1作品あることが、後書きから分かった。また、30半ばで亡くなった点について、癌とその再発転移が死亡理由であることも知った。病中、1日原稿用紙30枚から80枚にも渡る執筆量を保ったこととか、『虐殺器官』自体が10日間で書き上げられたというその旺盛な執筆意欲なども知った。大変興味深い作家であり、夭逝されたことが本当に惜しまれる。現在、短編小説集を読み始めている。
日曜日、朝。7時を過ぎて、とうとう雨が降り始めた。天気予報では、西日本太平洋側を中心に大雨になる恐れがあるらしい。昨日強かった風は、今朝は静まっているようだが。
今日は一日雨の日となるのだろうか。22日は、「こと座」流星群出現の極大日で、新月ということもあって、観測に絶好の条件でありながら、どうやら雨天のために好条件を生かすことは出来そうにない。残念である。
それにしても、民主党の体たらくぶりも見苦しい限りだけれど、自民党の党利党略しか眼中にない姿も、なんとも情けない。政権の座を離れると、こんなにみっともないことになるのか。さらになんとなく、公明党のしたたかなコウモリぶりもいかがわしい。弱小政党群は、その存在すら感じさせない。政治不信以前に、政治不在状態に落ち込んでいる日本……。
【12年4月21日】
午前中、出勤。暑いほどの陽気である。
外にいると、時折強い風が吹く。天気予報では、明日は大荒れになるらしいけれど、今は日が射して、良い天気である。
ソメイヨシノが終わり、今は並木の八重桜が盛りである。仕事を終えて、職場に帰る途中、なんとなく周囲が霞んでいるので、どうしたのかと思ったら、近所の工場が建物の前の広場でバーベキュー大会をやっていて、盛大に煙を上げている。なかなか楽しそうで、美味しそうであった。
昼食をとってから、退勤。
バーベキューに触発されたせいか、夕食は豚テキでもしょうかと思って、豚肉を買って帰る。
帰宅すると、珍しく甥が在宅。今日は、練習はないらしい。
伊藤計劃の『虐殺器官』もいよいよ佳境に入る。ネタバレになるので書かないが、伏線はやはりちゃんと生かされていたようである。夢枕獏の『幻詩狩り』なども思い出したりしたものだ。『幻詩狩り』も、大変面白いSF小説だったけれど。
金曜日は、「モツレク」の練習日。1時間遅れで、参加。
本日は、チケット販売初日で、この日だけで800枚チケットがはけたらしい。初日としては、快調な売れ行きであるようだ。
時間がなくて、夕食は抜きであった。練習を終えて帰宅後、アーモンドをつまみに浅酌が夕食代わりとなる。
【12年4月18日】
夕方、丹後から電話あり。来月の句会とその後の懇親会についての打ち合わせ。岩城先生が、各自の希望の句を揮毫して下さるという話。短冊であろうと、色紙であろうと、扇面であろうと、流木であろうと何でもあり、とのこと。豪勢な話である。
昨日は疲れて、バス通勤だったが、今日は少し回復して「歩き」で職場まで。住宅地域を抜けると、田んぼが広がっている。耕やされたあとの黒々とした土が、本来の大地の面からむっくりと盛り上がったような印象を与える。
職場周辺の畑地は一面麦畑になっていて、一月前はひょろついた雑草としか思えなかった麦が、すでに緑の穂をつけている。正直言って、入院、退院してのち、このような景色がこの先何度見られることだろうかという思いに囚われた時もあったけれど、どうやら今4度目の風景に接することが出来ている。
通勤路の途中のソメイヨシノはすでに散り、かわって八重桜がぼってりした花をぽつりぽつりと見せ始めている。あでやかな姿である。
一日、職務に励む。
夕刻、帰宅すると樋口さんから『MANO』第十七号が届いていた。加藤久子さんや佐藤みさ子さんの作品を読み、改めてもう少ししゃんとした状態で読み直そうと思う。
夕食に浅酌。出来合いの中華で晩飯を終える。
甥は、合わせの合奏のために、本日も遅いらしい。毎日、忙しいことだ。
【12年4月17日】
車中で読む本を自宅に忘れてしまった。伊藤計劃の『虐殺器官』というSF小説。先日、帰省の際読んだ同氏の『ハーモニー』という作品が大変面白く、是非とも他の作品も読みたかったのだが、前作でもあり、処女長編作品でもあるのがこの1作である。伊藤氏は、『ハーモニー』執筆の後、病気のために亡くなられ、同氏の新作を読む機会はなくなってしまった。『ハーモニー』はある種のユートピア小説であるが、『虐殺器官』は、その前史というような内容の作品であるらしい。まだ読み始めたばかりで、どのような展開になるのかはわからないのだが、何となく「言語」というものがキーポイントになりそうな気がする。「言語」も、人間の諸器官同様に進化のために身につけた一つの「器官」である、というような発言が、伏線として生きるような気がするのだ。手元には、もう一冊、同氏の短編小説集があるが、こちらもいずれ読むのが楽しみである。
今週に入って、本格的に授業が始まる。今日は、4時間。空き時間は、小テストの採点と、国語表現の作文の添削作業に追われる。新学期が始まったばかりということで、やはりどこかに余分な力が入っているような気がする。その分、疲れてしまう。
夕方、退勤。帰宅。甥は、昨夜が追い出しコンパということで帰って来ず。今日は帰宅して休んでいるかと思ったのだが、そのまま学校にいったらしい。帰って来た様子がない。今夜も遅くなるとのメールを受けていたが、やがて帰ってくる。何となく酒臭い。
句会に丹後に通うときに、お世話になっているのが、KTR(北近畿たんご鉄道)であるが、鉄道支援事業の一つとして、アテンダントのフィギュア「但馬みえ」を丹後大宮の駅で売っていた。記念スタンプ付きで、1体1000円。なかなか可愛いフィギュアなので、句会の帰りに一体購入してきた。プリンターの横に飾っているが、割と良い感じである。機会があれば、是非ご購入を。とにかく、KTRには、頑張ってもらわなければならない。
【12年4月15日】
ホームページに貼り付けてあったアクセスカウンターが突然機能停止してしまった。
再設定しても、当のカウンターのページに繋がらない。原因は不明。7万台のカウントがあったはずだが、そのデータも飛んでしまったことになる。無料だから、文句はいえないのかもしれないけれど、恐らくこちらのデーターを何かに使っていたのかも知れないと考えると、無責任だなとの思いもある。とりあえず、プロバイダーの簡易アクセスカウンターをはりつけておく。
土曜日は、丹後「すき句会」の日。
京都の桜は散り始めているが、丹後の方は今が盛りという状態で、京都市内が雨模様であったのに、きれいに晴れて、満開の桜が本当に内側から輝き出るような光に満たされているように眺められたものだ。
句会の宿題は、「弥生の望」、席題は「駒がへしの草」。「駒がへしの草」とは、春になって枯れ草が青みをおびてくることらしい。「草青む」の傍題なのだろうか。
本日は、最近句会に参加されるようになったTさんの日。岩城久治選の大半を獲得される。
句会の最後に、来月の句会についての話。初めての試みとして、昼間の句会のあとに夕食会、その後改めて懇談会とか第二句会など、何かの催しを持とうとの相談がまとまる。会場は、岩城先生のお宅を提供していただく。岩城先生と私は丹後1泊ということになる。楽しみである。
帰りに、Mさんからぼたもちや椎茸や「たいざわかめ」などお土産にいただく。ぼたもちは、わざわざ朝から作ってくださっていたそうである。岩城先生は、さらに奥様からの依頼で庭の水仙を剪ってこられたので、たくさんのお土産を持っての帰京となる。こちらは、ビールとつまみを手にお供するということなのだが。
車中は、いつも通り、俳句に関わる四方山話。今回は、ちょっと健康の話なども混じる。
9時に帰宅。そのまま、就寝。
日曜日。6時前、起床。朝食は、お土産にいただいたぼたもちをいただく。おいしい。洗濯をして、ベランダ干し。高曇りの天気である。さすがに、もう寒さは感じない。
【12年4月11日】
やっと、足の状態が回復する。医者に行き、処方を少し変えてもらったおかげかと思う。
夕方、花散らしの雨がようやく止んだ中を、駅まで歩く。降りの強い雨で、途中の川が、増水していて、褐色の水が勢いよく橋下を流れ過ぎていく。
駅へ着くまでに、幾本かの立派な桜の木のそばを通るが、雨に打たれた花びらが、地面に貼り付いてる有様が少々痛々しい。
車中、送っていただいた今月号の俳誌『里』を読む。島田牙城氏の評論「其十夭逝」が面白い。中西其十は『ホトトギス』派の俳人で、若くして結核で亡くなった人物だそうだ。京大三高俳句会で、日野草城などと親交のあった人で、艶麗な句柄が印象的な、しかしすでに「忘れられた」俳人の一人として、時間の渦の中に深沈していたのを、ある機会から牙城氏が再評価を試みたのが、今回の一文ということになるようだ。
帰宅。既に帰って来ていた甥が、夕食の準備をしてくれている。すでに、パジャマ姿になっているので、どうしたのかと尋ねると、ひどい降りの為に、着ていたものがずぶ濡れになってしまったので、洗濯のついでに、パジャマに着替えたという。
すでに、授業が始まり、まだ体が慣れないせいで、かなり疲れる。今朝、大きな登山用のザックに荷物を一杯詰めて、電車に間に合うかどうかあせりながら、ひたすら走り続けるというなんともシンドイ夢を見たのも、新学期なるがゆえに、であろうか。
【12年4月8日】
足の状態が、また今ひとつである。薬が上手く合っていないのかもしれない。出来れば、薬など飲みたくはないのだが、致し方なく、ならばちゃんと処方されたものを飲みたいものだ。週明けに、医者に行ってこようと思う。
とは言いながら、痛む足を引きずって(というほどではないが)、市内まで「歩き」に出る。開花状況を写真に撮すということもある。疎水沿いに何カ所か、立派な桜の木があるので、それを見物がてらカメラにおさめる。おおむね、八分咲きから満開という開花状況であった。
それにしても、寒くて花見に浮かれるという状態ではなかった。
鴨川に、まだゆりかもめの姿があった。四月に入って、まだゆりかもめが残っているということがあっただろうか。どうも記憶にない。ゆりかもめは渡り鳥だから、単純に寒いのでこの地に止まっているということではないと思うが、なんとなく違和感を感じてしまう。
夕食は、おでん。少し、お酒が過ぎて、8時過ぎに床について、そのまま6時前まで寝る。途中、二度ほど目を覚ますけれど、起床したのは、6時。延々、10時間くらい寝ていたことになる。こんなことは、何年ぶりだろうか、と思う。
朝食は、おでんの残り。洗濯は、本日はなし。外は快晴で、布団や毛布を持ち出してきて、ベランダに干す。
日曜日は、『週刊俳句』の日。今回は、西村麒麟氏の「鶯笛」30句、渕上信子氏の「長き夜の」30句という句作品のボリュームの厚いものとなった。西村氏の生活詠風のちょっと緩い感じの連作群は、作者の持ち味ということになるのだろうか。渕上氏の30句は、「長い夜の」という回文和歌の一語ごといち季語を当て嵌めての句作。これも、連作ということになるのだろうか。三秋に渡り、「荒唐無稽な夢の世界を描いた」という。面白かった。「夜這星匕首呑んでひた走り」「木乃伊そろそろ薄目あくれば三日の月」「塔高し蟷螂が背に乗れといふ」。上田信治氏「成分表50 悪」の最後の一文「あと、虚子が人を急に嫌いになるあれは、病気だと思う。」には、ちょっと笑ってしまった。罪作りな「病気」ではあるが。
【12年4月7日】
金曜日。川沿いの桜並木は、一日で八分咲き状態となる。ソメイヨシノの間に、昭和桜か鬱金桜のような木がところどころに混じっていて、その花色の微妙な色合いの違いが楽しめる。
半日、会議。午後からは、教材準備。パワーポイントを使って、現代文の導入教材を作る。パワーポイントは、便利なソフトである。
夕刻、退勤。一度帰宅してから、ミューズの練習へ。
自宅に祝賀会の案内状が届いていた。宇多喜代子氏詩歌文学館賞受賞、辻田克巳氏・山本洋子氏俳人協会賞受賞、中岡毅雄氏俳人協会評論賞受賞の合同記念祝賀会である。呼びかけ人は、茨木和生氏ら5氏。なんとも豪勢な祝賀会である。
京都市の北大路あたりまで練習に出かける。四月に入って、新入社員らしい集団を、車中でしばしば見かけるようになった。泊を伴う新人研修会などが開催されているのだろうか、小さな旅行鞄を足元において、黒スーツのの集団が固まって話をしているので、つい目が向く。
「レクイエム」は、新しい曲を一つ練習に加える。前半は、パート毎に、後半は全体練習。ここの会場は、ステージが広くて、ゆったりと練習が出来る。遠いのが、難点だけれども。
9時過ぎに、練習は終了。これで、曲の半分ほどをさらい終えたことになる。
寒かったけれど、二駅ほど夜の街を歩く。人通りは、某大学の周辺以外は少ない。先ほど練習した部分を鼻歌にしながら歩く。東山の上に、黄色い月が輝いている。明日が満月らしい。
帰宅。甥はすでに帰っていて、部屋で勉強(ゲーム?)している模様。すぐに床に入り、芭蕉書簡集をちょっと読んで、就寝。
朝方、けったいな夢をみる。
6時過ぎ、起床。朝食、洗濯、床磨きの後、一休み。洗濯物は、ベランダ干し。日が差したり、曇ったりという陽気。外は肌寒い。洗濯物はあまり乾きそうにない。薄い珈琲を飲みつつ、「日々録」更新。紅茶のような珈琲である。至急、珈琲豆を買ってこなければならない。
薬を飲んでいるにもかかわらず、左足の親指の付け根に違和感。またまた痛風発作なのだろうか……。
【12年4月4日】
朝が寒い。稜線を雲が隠した北山の、雲との境あたりが白く見えるのは、ちぎれた雲のわだかまりなのか、あるいは降雪のあとなのだろうかと思う。
電車を降り、職場まで30分ほどの歩き。途中、桜並木に沿って歩くのだが、昨日の豪雨と強風、そして今朝の寒さにもかかわらず、明らかに開花が進んでいるのが見てとれる。数日後には満開となりそうな様子である。
職場近くには、川沿いに一本、本当にみごとな木蓮の木があるのだが、白い花の集まりが、それ自体ひとつの巨花のように見える華麗さであったものが、今朝はすっかり傷み、うちしおれたような状態になってしまっている。
今日は、一日会議の連続で、少々疲れる。つなぎの時間には、昨日に続き、教材の準備を進める。ネットでちょっと面白い材料を見つけたので、それで一つ国語表現の作業プリントを作ったりもする。
通勤の読書では、時枝誠記の『古典解釈のための日本文法』を読む。古本屋の百円均一台で見つけた一冊。昭和25年発行の本である。検印紙に時枝の印がくっきりと押されてある。
内容は、古典解釈に必要と思われる言語学的な問題点の幾つかについて、基本的な事柄を指摘しつつ、解釈の方法を説明しようとするものである。用語的に恐らく時枝固有の使用法のものがあるようで、その点がちょっと分かりにくいところがあるけれど、文中における言葉の働きについて、精細に分析しつつ解説を試みているその内容がとても面白い。普段、十分に注意を払っていないような点について、明確に指摘され、その上での解釈例を示されると、なんともこちらの雑ぱくさを自覚せざるを得なくなる。
甥は、学校が始まったばかりでまだ授業が開始していないせいか、時間的に余裕があるようだ。今日は、図書館に行って来たとのこと。こちらが帰宅すると、すでに夕食を作り、洗濯を済ませてくれている。
【12年4月3日】
月曜日。貸与されたパソコンが壊れたようだ。やむなく、個人持ちのパソコンを代用することとした。修理に出せば、数週間はかかるだろう。その間、パソコン
なしでは年度当初の仕事の色々に支障が生じると思ったからだ。それほど、パソコンに依存している部分が大きいともいえるのだが。
火曜日。個人持ちのパソコ ンでは、イントラネットにアクセス出来ない事がわかる。新たに設定しなければならない。なんとも面倒なことだ。そこで、念のため、貸与パソコンを起動させてみると、何の問題もなく動く。昨日の不具合は一体何だったのか。まさに、ブラックボックスである。ともあれ、動くに越したことはないので、素直に目の前の現実を受け入れることにする。
終日、教材準備に当てる。今年度は、1年生の『総合学習』と3年生の『古典』、ならびに『国語表現』。さらに、1年生の『情報』の授業の補助教員。ほぼ、昨年と同じ持ちとなる。参考資料やら作業プリントやら、10種類ほどのプリントを作る。
朝の天気予報では、午後から天候が急変するとのことだったが、昼過ぎまではどよんと曇った停滞したような空模様であった。しかし、2時を過ぎてから天気は激変する。雲がうねるように天空を流れながら、まるでなにかの映画の一場面のようにどんどん黒色に変わっていく。突然、叩きつけるように風が吹き始め、すぐに大粒の雨が降り出す。風に攪拌されたように、激しく雨が前庭の木々を打ち、そして地面を濡らしていく。その情景は、スリリングで、進路室の窓のブラインドを拡げて、しばらく眺め入ってしまうほどだった。
典型的な寒冷前線の通過なのだろう。それから、1時間以上、強風と豪雨が続く。それは校舎が二ヶ所雨漏りをしてしまうほどの勢いだった。雨漏りは、少々情けないけれども。
夕方にはは、そんな荒天もすっかりおさまってしまう。速やかに退勤する。