日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【12年9月30日】
年末恒例の「第九」だったけれど、今回休むことにした。
夏の合唱後の組織内部のごたごたがちょっと嫌だったこともあるけれども、25年近く歌い続けてきて、一服ということがあってもよいかなとも思ったのだ。
合唱後の忘年会的な集まりは続けられたらと思う。。
今年の年末は、ここ数年出かけている南座の「顔見世興行」を楽しみにしよう。
土曜日、午後。市内に「歩き」に出かける。地下鉄で北大路まで行き、そこから高野川まで抜けて、さらに出町柳まで高野川河畔を下るというコース。
途中、何度もその前を歩いているはずの北大路通りの加茂川端に、古本屋を見つけ入る。
専門書や珍しそうな本が取りそろえられた、かなりレベルの高い古書肆という印象。
店前の平台にあった100円の『日本名詩選』(箱入り)と、店内で保田與重郎『芭蕉』を買う。このあと歩くので、2冊にとどめておく。
高野川まで歩き、右岸を下っていく。河原や河川敷のあちらこちらに曼珠沙華の群れ咲きを見かける。時折、白花曼珠沙華も咲いている。
元々自生していたわけではないだろうから、なぜこんなところにと思う。
救荒植物として利用されていたらしいから、その関係で植えられたものが延々毎年花を咲かせることになったのだろうか。
気のせいか、今年の花の赤は例年以上に際立って鮮やかに見える。
出町柳に近づく頃、大気の中に小さな雨滴が混ざり始める。風に吹かれた雨が、この辺りまで飛んでくるのだろう。
もう少し歩いても良かったのだが、ベランダに洗濯物を干しっぱなしにしているので、ここまでとして、京阪で帰宅。
車中、古書肆で買った『日本名詩選』を読む。プロレタリア詩などを含め、結構読んだことのない詩が多く、ありがたい。
駅を降りると、雨が降り始める。急いで帰り、洗濯物を取り込む。
夕食を作る。ブリ大根とロールキャベツ(こっちは出来合いのもの。コンソメで煮立てる)。
夕食をたべると、もう眠くなる。
あまりに眠くて、仕方なく寝室で読書。『名詩選』の続きを読む。いつの間にか、寝入る。12時頃に目を覚ます。
甥は帰って来ていなくて、携帯にメールが入っていた。
最近、外泊の機会が多くなったようだ。
日曜日。5時過ぎ、起床。高曇りの空である。
今日は、「醍醐会」の日だけれど、台風の動きが気になる。


【12年9月29日】
1週間、終了。色々あって、疲れた。
帰宅して、ちょっとお酒を飲んで、一息つく。
もう、早めに寝につく。
一晩中、寝たり、目を覚ましたりを繰り返しながら、5時前まで。
睡眠周期は90分ごとらしいから、理想的な睡眠状態というわけにはいかない中途半端な眠りの反復である。
その分、やたらと夢をみる。
5時から「歩き」に出る。シベリウスを聴きながら、1時間ほど近所を歩く。シベリウスの曲には秋の涼気が流れているようなそんな印象である。
やがて、みごとな朝焼けが東天に広がる。確実な天気の悪化の兆候であろう。
大型台風の影響が、すでに現れ始めているのだろう。まだ、本体は沖縄辺りにあるはずだが。
朝食後、ともかく洗濯。ベランダに干す。曇天ではあるが、雨が降るにはまだまだ時間があるだろう。。
加藤郁乎『俳人荷風』。読んでいくと、なかなか面白い。聞いたこともない俳人や俳誌などが登場し、博捜細捜の結果が語られる。
筆者本人は、きっと楽しんで書いているのだろうな、とつくづく思う。
『幡』『香天』『里』『秋草』などの俳誌を送っていただく。少しずつ読んでゆく。


【12年9月24日】
日曜日。午後、「歩き」に出る。
久しぶりに、鴨川河畔を七条から出町柳まで歩く。暑い時期には、とうてい無理な行程だけれど、今日はずいぶんと涼しくて、歩くのに気持ち良い。
同じように河畔を歩く人達の姿を眺めながら、快適に歩く。
鴨川で通年を過ごし、渡りをしない鴨たちの様子を観察したりしながら、歩く。
水面から透かし見える水中に、40〜50センチほどに育った鯉の群れがゆったりと泳いでいるのが確かめられる。
出町柳が近づいた頃、急に雨が降り出す。かなり大粒の雨なので、急いで出町駅に避難する。
もう少し歩いてもよかったのだが、ここで終了とし、京阪電車で帰る。
快適に歩き過ぎたせいか、腰痛が復活。
翌月曜日、一日中、腰の痛みにシンドイ思いをすることとなる。コルセットを装着して一日過ごす。暑い日であったなら、堪えられなかっただろうと思う。
ぼつぼつと就職内定者が出てくる。試験は、本日二人。明後日一人が受験して、就職試験一次は終了。
良い結果を期待したい。
角川『俳句』10月号を読む。金子兜太と小林恭二との対談が大変面白い。新興俳句の拠点としての関西という捉え方、納得出来る。
その精神は、現在も関西に生きているような気もする。


【12年9月22日】
土曜日。秋分の日である。午前中、面接指導とクラブ体験で出勤。
駅から歩くが、日が差していないせいもあって、涼しくて気持ち良い。
1時間半ほど、みっちりと面接指導、並びに打ち合わせ。応接の参考にと、あらかじめ準備しておいた資料を数種類渡す。直前まで、勉強しておくように伝える。
少し遅れて、クラブ体験に参加。こちらは特に指導することもないので、クラブ体験の様子をデジカメに撮って、パソコンにデータを入れ、1枚ものの資料にレイアウトし直し、カラー印刷でプリントアウトして、参加者に体験資料として配付する。
昼過ぎ、退勤。バスの時間が土日用なので、本数が少なく、駅まで歩くことにする。
さすがに少々暑い。空気は乾燥しているので、風が吹くとその時だけは心地よいのだが。
昼食は、外食。夕食の材料などを買って帰宅。
ベランダの鳩の糞害がひどい。
あまりの傍若無人さに、完全に堪忍袋の緒が切れる。
ヤクザな番鳩になんとか、一矢を報いたいと思いつつ、バケツとデッキブラシで、ベランダを清掃する。
加藤郁乎『俳人荷風』読む。ずいぶんマニアックな内容で、果たして読み終えることができるか、微妙である。


【12年9月19日】
子規忌である。紅い細月が、雲間にのぞいている。
新幹線の中で、半分を読んだ港千尋の『芸術回帰論』読了。主に、写真に関わる芸術論集。
ただ、さらに本や活字についての面白い見識なども語られ、1冊の本の話題は、かなり広い。
行きの新幹線では、京都駅で買ったプラトンの『ソクラテスの弁明』を読んだ。昔むかし、倫理の授業で習ったような覚えのある、いわゆる「無知の知」が語られるもの。デルフォイの神託による、「ソクラテス以上の知者はいない」という言葉の意味を突き詰め、多くの人々との対話の中で確信を得た、知を誇る世の人々は、実は本当には知っていない。自身もまた同様に本当の知というものには達していないけれど、しかし自己の無知に対して無自覚である人々と、自身との本質的な違いは、自己の無知に対して自覚的であるという点であるということ。そして、対話することの意味は、自身の行為を通じて、人々に無知の自覚を促すと言うこと。それが、デルフォイの神託の本当の意味であり、自身はその使命のために、最終的には死すら厭わない、そのような内容であろうか、などと思ってみる。
もちろんこれは、ソクラテスという人物を通じての、プラトン自身の考察ではあるのだろうが。
倫理の授業を思い返しているようで、結構面白かった。


【12年9月17日】
子規忌を明後日に控えた東京より、先ほど帰京。
三連休の最終日ということもあり、子規庵はずいぶんたくさんの入館者でした。
庭の鶏頭が、紅く咲き始めているのが印象的でした。
まだ、蚊がいるせいか、庭に三箇所ほど蚊遣りが焚いてあり、その煙が中空にふわっと漂っていたりしました。
庵を出て、近くの豆腐料理屋「笹の雪」で、昼食。大変おいしい豆腐料理をいただきました。
帰りの新幹線は、新大阪止まりを選んだのですが、満員状態で、名古屋までデッキに立っていました。
おかげで、文庫本を半分読むことができましたが。


【12年9月11日】
正津勉著『河東碧梧桐』を読む。正津氏は、詩人で、小説やエッセイも執筆する人物。
その人が、河東碧梧桐について書かれたもの。特に、日本全土を行脚の旅、『三千里』『続三千里』の内容をたどりながら、碧梧桐の生き様と作品を紹介したもの。
とても面白い。以前から碧梧桐には興味を持っていたのだが、俳人ではなく詩人という「自由な」立場で語られる、有季定型が俳句の本流という固定的な視点から眺める碧梧桐像ではなく、もう少し広い視点や視野で捉えられた碧梧桐の姿が、とても興味深い。
読んでいけば、子規の俳句改革の精神の継承者の本道は、虚子ではなく碧梧桐であるという主張も、頷ける部分があったりする。大胆に俳句表現の改革に邁進したのは、「守旧派」の虚子ではなく、碧梧桐であったとはいえよう。その遺産は、自由律俳句にいまでも継承されているわけだが。
読み物としての筆者のサービス精神も、碧梧桐の人物像を彷彿とさせることに、妨げとはなっていないように思う。
以前、碧梧桐の句集を読んだ記憶があるが、そこに収載された作品は、おそらく「無中心論」以前の作品をまとめたもので、それ以後の作品群は意図的に掲載されなかったことをおもえば、この『河東碧梧桐』は、無中心論以後の作品の中に、碧梧桐の改革者としての真摯な姿を描き出すなど、斬新な内容ともいえるのかもしれない。
現在の若手俳人が、例えば碧梧桐の「ルビ俳句」を読んで、どう思うかなどちょっと興味深い(ルビ俳句が、俳句表現の奥行きを拡げたかと言えば、ちょっと疑問ではあるが。しかし、俳句表現にそのような技法を取り入れた俳人はそんなにいなかったのではないか)。
面白い本があると、本当に幸福な気分になれるものだ。


【12年9月9日】
とりあえず、「重陽の節句(菊の節句とも)」。陰暦の場合は、もうちょっと時期が後になるので、今はさすがに菊の花が咲く状態ではない。
それどころか今日も、京都は最高気温は34度くらいになるらしい。
5時過ぎから「歩き」に出る。朝は、涼しくて気持ちが良い。少し足を延ばして、丘陵地コースを歩く。公園まで行って引き返す。住宅地の裏手にあるこんな場所でも、ブナ枯れの被害が出ているらしく、何本もの木が切られ、大きな切り株が、ビニールに覆われるようにしてそここそにある。
今朝は夜中の3時頃に目を覚まし、ベランダに出て空を眺める。夜の一番暗い時間帯である。中天には半月がかかり、その下方にオリオン座が横たわっている。
しばらくそちらの方を眺めていると、オリオン座を横切るように、大きく流星が走った。久しぶりに見る流れ星だった。うれしい贈り物のようである。
寝室に帰り、すこし本を読み、二度寝する。
土曜日、午後。「歩き」に出る。曇天の分、さほど暑さを感じない。
御所から、寺町の「三月書房」、鴨川に出て、京阪三条上の「ブック・オフ」といういつものコース。もう少し涼しくなったらさらに鴨川河畔を七条まで歩くのだが、さすがに今日は無理であった。新書2冊、詩集を5冊買って帰宅。
夜は、『孫子』読了。漢文に出てくる戦争シーンなどを思い浮かべながら読む。実生活や企業の経営戦略なんかに孫子の教えを生かす人がいるとか、いないとか。孫子の戦略・戦法は、理にかなっているのかもしれないけれど(だから、読んでいる分には面白くもあるけれど)、かなりえげつないやり方でもあるので、読後感は微妙。


【12年9月7日】
金曜日。文化祭が終わり、閉会式だけが、本日開かれる。
立て看板部門の審査委員長として、講評を行う。後で、長すぎると苦情を言われる。
そんなことを言われてもな、と思う。
式後は、通常授業。
夕方遅くからは、職場の文化祭打ち上げが行われるらしいが、欠席。小雨の中を、真っ直ぐ帰宅する。時折、遠雷の音がする。
昨夕は、本当にひどい雷雨で、落雷がひっきりなしという状況であったが、さすがに今日はそこまでひどくはない。
帰宅。夏ばてのせいか、少々疲れる。日曜日の「空の会」のお礼状が届いていた。
今月末の『醍醐会』の連絡も届く。企画内容が話題をよんで、参加者が40人にも膨れあがっているらしい。会場に入りきるのだろうか、と気懸かりである。
今年度の『角川短歌賞』受賞者は、同僚の息子さんと昨日知る。短歌をやっておられるということは、以前から聞いていたのだが、驚く。
俳誌『里』、『汀』、『静かな場所』、『幡』を送っていただく。『汀』は会員である。
桑野隆著『バフチン』は読了。途中、訳がわからなくなる部分もあったけれど、読み終えてみると、ずいぶん面白かった。『バフチン』の著作を読みたいと思うが、さすがに図書館には置いてなかった。渡辺一夫訳のラブレー作『ガルガンチュワとパンタグリュエル物語』はもっと時間が出来てから、一度読んでみたいとは思うのだが。
町田三郎訳『孫子』を読む。単なる興味からである。全十三章。戦争のやり方が語られる。漢文の授業に使えるな、などと思う。
携帯電話にミューズから『第九』への誘いの連絡。恐らく、人数が集まっていないだろうな、と思う。どうしたものか……。


【12年9月4日】
日曜日。「空の会」、小林千史100句評。なんとか、終了。
かなり好き放題な発言をしたようにも思うのだけれど、はたして充分な話し合いの契機となっただろうか、と気懸かりである。
二次会の飲み会は失礼して帰宅。夕景の大阪の町並みは、なかなか叙情的で、良い気分であった。
火曜日、午後。体調不良で、年休を取り、帰宅。夏ばてによる疲労とストレスが原因ではなかろうか、と思う。就職指導も佳境に入り、気分的に重い。
しばらく出なかった後遺症が、ちょっときつく出たようだ。
鬱陶しいものである。

帰宅して、夕方まで休息する。幸い、楽になる。


【12年9月2日】
今日のレポート、どう話そうか、と考えてきたけれど、詰まるところ出たとこ勝負でいこうと結論する。
千史俳句については、そもそもいろいろ触れてみたい点があるので、出来るだけ生な、新鮮な形で出したいし、不都合な点があれば、参加者の方から訂正・修正していただければ、こちらの勉強にもなると考える。
とはいえ、レジュメをさらにちょっと修正したりもしたのだけれど。
昼前には大阪まで出かける。
土曜日、午後。買い物に出る。日射しがきつくて、とても暑い。ともかく、外にでなくても歩けて、買い物も済ませられるということで京都駅周辺へ。
アバンティ6階の書店で、本を2冊購入。その後、地下街をヨドバシまで行き、HDDケースを買う。さすがに、剥き出しのまま机上に置くのに抵抗があるので。
その後、伊勢丹の地下で夕食のおかずを買い(ちょっと高めだけれど)、電車で帰る。
行きと比べ、日が西に傾いたせいか、暑さがおさまって、時折吹く風が気持ちよい。9月だな、と改めて思う。
コルタサルの短編小説集『遊戯の終わり』を少し読む。この想像力には、本当に感心する。「誰も悪くはない」という短編の、ただセーターを着るということを、こんな異様な世界へと繋ぐ想像力は、小気味よいほど凄いと思う。
夜、小林千史の第一句集『風招』を念のために読む。
日曜日、朝。
疲れていたので、「歩き」は中止。食後に歩こうとも思ったが、中止。


【12年9月1日】
9月に入った。相変わらず日中は暑いけれど、朝夕は涼しい。
いつの間にか、ぴたりと蝉の鳴き声も止み、変わって夜涼の中、虫の声が頻りに聞こえたりする。
夜中の3時頃に目を覚まし、天気が良ければ、ちょっとベランダに出て、星空を眺めたりもする。
街の明かりのせいで、空は明るいけれど、それでも幾つかの星座は確認出来る。3時頃には、東の空低くに大きくオリオン座(冬の星座だったか……?)が立ち上がって見えたりもする。
土曜日。5時過ぎに起床。「歩き」に出る。早い時間帯なのに、ウオーキングをしている人の姿を何人も見る。
1時間ほど、「レクイエム」を聴きながら歩く。
帰宅後は、朝風呂の後、朝食。洗濯を済ませ、ベランダ干しにして、室内に掃除機をかける。風呂掃除とトイレ掃除を終え、そして一休み。
甥は、演奏会の合わせがあるとかで、出かける。
テレビをつけると、松山の「俳句甲子園」を1時間番組でやっていた。すでにだいぶ番組は進行していて、決勝戦の開成対松山東の対戦。ディベートの善し悪しが判断を左右するという印象を強く持つ。それにしても、両校ともになかなか見事な弁舌であった。
結果は、十数年ぶりに松山東の優勝。今回で優勝は2回目であったらしい。
若手俳人を輩出する機会のひとつが、この松山「俳句甲子園」であり、この中の何人の人が、このまま俳句を続けていくのだろうか、と思う。
実家の壊れたパソコンから、内蔵ハードディスクだけを外しておいたものを、変換ケーブルを使って、ノートパソコンに繋ぐ。アマゾンで2000円くらいで購入したもの。繋ぐとすぐに、ノートパソコンがHDDを認識したので、壊れてはいなかったらしい。写真やその他のデーターをとりあえずノートパソコンのほうに移しておく。
この状態で、HDDを初期化すれば、外付けのバックアップ用ハードディスクとして活用出来そうだ。机の上に本体剥きだし状態ではあるが。
明日は「風の会」。小林千史100句のレポートを担当する。レジュメは一応出来たけれど、さてどんな風に話そうかと思う。