日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【12年10月30日】
月曜日。太ももの筋肉痛がひどい。4階の上り下りは、歯をくいしばって足を運ぶというありさまである。情けない。
しかし、ともかくも筋肉痛の解消には、歩くに越したことはないので、とにかく歩く。
夕方、筋肉痛とは別件で通院。
首筋の違和感と胃痛について。まあ、特に問題はないだろうとのことで、ちょっと安心する。
夜。月曜日9時からは、決まってみる番組があるので、寝室でごろりと横になりながら見る。
15分枠の酒場探訪みたいな番組なのだが、これがなかなか面白い。
10時過ぎには就寝。山行の効果なのか、夜中にあまり目を覚ますことなく、朝まで就寝。ちょっと寝過ごす。
火曜日。通勤には、電車・バス乗り継ぎ。
太もも痛は、かなり解消されたが、またまた腰痛。どこかで、足の負担がかかっているのだろう、かなり痛い。
1日コルセットを着けっぱなし状態となる。
どこか痛いのを、毎日こらえている。そんな近年5年間だった、とこんな機会に改めて思ったりする。ともかく、今後山行を続けるつもりなら、ちょっとだけでも足腰を鍛え直す必要があるとは思う。
『荘子』内篇、読了。最後は、有名な「混沌」の話であった。読了近くなって、ようやく、書き下し文を読みながら、なんとなくこんな話なのだろうな、と見当がつくようになった。
それにしても、茫洋たる内容である。特に、中心概念である「自然」というものが、一体どのようなものか、全くわからない。
強大な空虚を内蔵した、そんな寓話をいくつも読んできたような印象。これはもう、「自然」に対して、その内実を問わず、信念か信仰のようなものでひた押しに押すしかない、という感想である。
今日は、甥も参加するコンサート。郷里から母と弟の奥さんが聴きに来ている。
【12年10月28日】
土曜日、比良に行く。天気は下り坂なので、早めに出かけ、天気が崩れる前に下山するつもり。
湖西線北小松駅下車。楊梅の滝、涼峠、ヤケ山、ヤケオ山の往復。標高差900メートルで、3時間ほどかかった。
一般コースであるが、山登りらしい山登りが経験出来る。景観も素晴らしい。
5年ぶりの登山であったが、幸い腹痛も起こらず、途中でリタイアせずに歩き通すことができた。
登りは、ゆっくりと歩き、休憩をとらずにヤケオ山頂上まで。
途中、蛇谷ヶ峰やそこからゆったりのびる長い稜線、そしていつかはまた登ってみたい比良の盟主武奈ヶ岳が稜線の果てに眺められる。
ヤケ山とヤケオ山の狭間の谷筋は、風の道になっていて、琵琶湖から強くて冷たい風が吹き上げてきて、震えながら歩いたが、ヤケオ山の頂上は、ほとんど風もなく、日射しが暖かい。座るのにちょうど良い岩の上に腰掛け、行動食に持ってきたピーナツをぽりぽり囓りながら、頂上から続く比良の峰々を眺めやる。八割方紅葉した木々が、時折さざ波のように揺れるのは、それなりに風が強いせいなのだろう。琵琶湖方面は、すっかり雲に覆われ、全天の青空はどんどん少なくなっていく。
15分ほど休み、水分補給もして、同じ道を下山。
登りは、意識的にゆっくりと登ったので、さほどしんどさを感じなかったけれど、下りではバテバテ状態となる。景色を見る余裕もなく、登り口の楊梅の滝からの流れに架かる橋へと到着。登山の場合、登りは心肺機能、下りは足腰に負担がかかるので、今回の山行で足腰の衰えをつくづく感じる。1日1万歩を歩いていても、足腰の鍛錬にはならないということなのだろう。
それにしても、登山口までのアスファルト道路は、つらい。特に、駅までの下りはキツかった。元気村に通じる道で、車の為の道であるが、「歩き」には酷である。
帰宅。着ているものをすべて洗濯機に放り込み、風呂を沸かして入る。
夕食には、豚汁を作って食べる。
早めに就寝。目が覚めたら、ちょっと本を読み、又寝る。
夜中のテレビで、日本海から北・中央・南アルプスを縦断して太平洋に抜ける8日間のレースの番組を見る。レース参加者の驚異的な体力に驚嘆する。ほぼ一日で、南アルプスを縦断し終えるなどビックリである。
日曜日。6時過ぎ起床。外は雨模様である。
全身が、かなり痛い。筋肉痛である。
【12年10月26日】
美術部の関係で一日出張。高芸文連の展示会場の搬入と設営。一日仕事となるが、高校生の絵画、イラスト、写真、書道、工芸を真っ先に見ることが出来て、なかなか楽しかった。写真とイラストは、もう少し頑張れ!という印象であったが、絵画と書道は、見応えのあるものだった。明日から、一般公開なので、近所の方はぜひ一度見ていただきたい(京都・「みやこめっせ」地下一階)と思う。
「角川俳句賞」、今年も駄目であった。予選通過もならず。
「週刊俳句」の「落選展」に作品を送る。もって瞑すべしというところだ。
また、来年がんばってみようと思う。
清水さんと二人、予選を通過したのがうそみたいに思われる。
明日は、まだ天気が保つらしい。比良に行ってみようかと思う。京都市内は、紅葉が進んでいる。先週の比良は、そうでもなかったので、紅葉の様子を見にでかけても良いか、と思う。
今日は、ちょっと後遺症が出て鬱陶しかったけれど、明日は状態がよければ、気分良く山歩きが出来るかもしれない。
甥は、明日が演奏会。今日は帰って来ないかもしれない。
木割大雄氏の『カバトまんだら通信』を読む。
【12年10月25日】
朝が寒い。上着の上に、薄手の防寒着を着て、ちょうど良いくらいの寒さだ。
往復の車中での、『荘子』内篇も半ばを過ぎて、現代語訳頼みだけれど、なかなか面白い。孔子が、茶化されたり、広告塔に利用されたりみたいなところも面白い。読み物を読んでいる感覚である。『荘子』自体は、岩波文庫で4冊あるのだが、とりあえず内篇はまず読み終えようと思う。
少々疲れ気味のせいか、夜はすぐに眠くなる。帰宅して、夕食をとると、もう眠くて仕方ないのだが、なんとか10時までは起きていようとする。それでも、ちょっと横になると、即就眠。目を覚ますと、12時や1時となっており、それからは、1時間おきくらいに目を覚ましては、5時前に起床ということになる。
夜中に、BSで全国の鉄道を紹介する番組や山岳航空映像を、音を消してぼんやり眺めたりすることもたびたびである。
それにしても、寝について目を覚ましたら朝だった、などという幸福な睡眠状態から遠離って、もう何十年になることだろう。
万年睡眠不足状態である。
山歩きを再開することがあれば、自然な睡眠もまた少しは甦るかも知れない。自然の摂理に肉体が従うのも、『荘子』の教えの一つであろうし……。
『里』7月号、『玉梓』、『幡』、『カバトまんだら通信』を贈っていただく。中でも『里』は、猛烈な勢いで遅刊を回復しつつあるようだ。
清水さんの1周忌を終え、まだ次号が刊行出来ない『鼎座』のことが気懸かりである。
【12年10月22日】
日曜日。思い立って、湖西に出かける。
比良登山は難しいけれど、その裾野辺りをゆっくり歩いてみたいと思ったからだ。
登山から離れて、もう10年以上立つだろうか。特に、入院・手術以降は、全く山歩きから離れてしまった。
ただ、いつかまた山を歩いてみたいとの思いはずっとあって、快晴の日曜日ということもあって、ともかく今日比良まででかけてみることにしたのだ。
湖西線で、比良駅まで。駅前の、里山弁当が有名らしい食堂で昼食を食べ、比良山の裾野に向かう。目の前に、堂満岳や釈迦岳、ヤケ山、ヤケオ山の1000メートル級の山並みが連なっている。とても懐かしい。
比良らしい、砂礫と岩の山道をイン谷出会いまで歩き、バス停もあった小屋跡を眺め、さらにそこから谷を詰めて、すでに施設撤去された釈迦岳山頂リフト跡を見に行く。
標高で400メートルほどだろう。起点の比良駅からは、標高差400メートルほどを休みなく歩くことができた。谷底から稜線の緑を眺めながら、体調さへよければ、あそこまで登れそうな気持ちになる。
一度麓まで降り、そこから志賀駅まで1時間ほど歩く。進行方向右手に蓬莱・打見山の大きな山塊を眺めながら歩く。小女郎池や熊笹の広々とした蓬莱・打見の稜線部などを思い出しながら歩く。いつか、琵琶湖側から谷を詰めてその稜線まで歩いてみたいものだと思う。
【12年10月20日】
『十訓抄』。抄出なのだろうが、一応読了。結構知っている話が多かった。
代表的な説話文学集ということもあり、他の説話集の所載内容とずいぶんかぶっているところがある。
土曜日。公務員試験の直前指導の関係で、出勤。
上着がないと朝は寒い。電車を降りて、日の差している辺りを選びつつ、徒歩出勤。
どこからか、金木犀の香りが漂って来たりもする。鶸なのだろうか、鳥の鋭声が、時折頭上から聞こえて来る。
クラブと土曜講習参加生徒以外、人の姿は見えず、校舎はがらんとしている。
1時間ほど指導をして、その後、別の用事を済まして、退勤。良い天気なので、帰りも駅まで歩くことにする。
住宅近郊の田地は、すでに刈り取りが終わり、視界が広がったような気分である。
いつもの駅まで、ちょっと遠回りして歩く。住宅地に接して、蔵のある古い家々が点在している。
大きなマンションに近接して古い神社の常磐木の杜が広がっていたりもする。
車中では、『荘子』の続きを読む。奇抜な比喩が、分かるような分からないような……。
帰りに、スーパーで夕食の食材などを買って、帰宅。
入れ替わりに、甥が外出。今日も、練習であろうか。
榎本亨句集『おはやう』を贈っていただく。明石在住のかた。「青」「童子」「運河」を経て、現在同人誌「なんじゃ」の代表を務めておられる方である。
【12年10月17日】
短い朝焼けが、天気の崩れを予告していた。昼前から降り出した雨は、時間が経つほどに、本格的な降りに変わってきた。
仕事を終え、吹き降り状態のプラットホームで電車を待つが、定刻を過ぎてもやって来ない。雨のせいで、遅れているのではないか、と思う。
しばらく待って、やっと来た電車に乗り込む。車中で、たまたま元同僚と出会い、到着駅まで近況など話合う。
電車を降り、自宅へと向かうが、ひどい降りで、路面全体に雨の膜が出来ている。
ズボンと靴をすっかり濡らして、帰宅。皮肉なことに、その頃になって、雨勢が弱まる。
母は、帰郷。甥は、まだ帰って来ない。恐らく今夜も、遅くなるのだろう。
冷蔵庫にあるものを浚うようにして、夕食。
FAX句会の選句用紙が届いている。「川」と「豊年」という題による競作。19日までに選をして、送り返さなければならない。
割とオーソドックスな作りの作が多いように思う。
『淮南子』を読み終え、『荘子』内編を読み始める。有名な「鯤」の話で始まるもの。『淮南子』で批判の対象となった、老荘思想を語る代表的書物である。
車中での読書は、しばらくこれになるのだろう。ただ、文字が小さくて、読みにくいのが辛い。
【12年10月14日】
土曜日。「すき句会」の日。
岩城先生からのメールで、「はしだて1号」がすでに指定席がないということは知っていたのだが、自由席まで満席状態となり、座れない人まで出るとは思ってもいなかった。
車内のアナウンスで、本日胡麻駅に臨時停車するとの報があり、どうやらザイラー夫妻の連弾の会があるらしいと知る。
参加する人が増えて、いつの頃からか、特急が臨時停車することになったのだ。
たまたまその日に当たってしまったらしい。
宮津乗り換えで、丹後大宮まで。長袖姿で、ちょうど良いくらいの天気。駅前に、おおきな金木犀の木があって、たくさんの花をつけていた。丹後大宮に通うことになってから、初めてこの木に気がついた。ちょうど花が咲いている時期に来たことが今まではなかったのだ。
風にのって微かに香る程度で、花期がすでに終わろうとしているように思った。
岩城先生宅に向かう途中で、何カ所か金木犀が咲いていることに気がつく。気候の関係で、今年の花の咲く時期が、例年とずれていたのだろうか。
句会は、宿題が「長月」、当日の席題は「お会式桜」であった。欠席の方が数名おられたが、久しぶりにK氏が忙しい中参加された。
今回は、多彩な句が多くておもしろかった。自分自身の投句も、ちょっと面白い句などが出来て、岩城選にも複数入ることができた。
舞鶴の大浦半島の方に吟行された方達の、野原地区の「埋墓」を素材にした投句などもあって興味深かった。
4時過ぎ、句会は終了。
しばらく歓談の後、Mさんの車で駅まで送っていただく。
駅舎の方とも、今ではすっかり顔見知りとなる。
京都行きの特急が来て、その後は無人駅になることを知る。
いつものごとく、車中では酒置歓語状態。京都着まで、延々四方山話。乗客の大半は、眠っておられたようだが。
【12年10月12日】
明日は、丹後「すき句会」の日。先月は、お泊まり付きの句会だったけれど、所用のため泊まりなしで帰京。
次回のお泊まり付き句会には、なんとか参加したいと思う。
宿題が、「陰暦の長月」というもの。10月15日が、陰暦の9月1日にあたるようだ。
ちなみに明日13日の月齢は27で、薄い三日月である。
今日から長袖のシャツを着る。昼間は、ちょうどよいくらいだけれど、夕方は少し肌寒く感じるほどだ。
朝、外廊下に出ると、西山と愛宕山をつなぐ低い稜線を越えて、亀岡盆地からの霧が市内の方に流れ込んでくる。
秋らしい情景である。
明日も、天気が良ければ、はしだて1号の車窓から、亀岡盆地の放射霧を眺めることが出来るかもしれない。
さすがにもう、田の畦の曼珠沙華は時期を終えていることだろう。
池田知久訳注『淮南子』を読んでいる。
さすがに、本文、書き下し文ともに、全く歯が立たず、現代語訳を読んで、なんとか意味を取っているような有様ではあるが。
しかし、語られる内容は、なかなか興味深い。儒教。道教に対する批判的な内容のようだけれど、権威を相対化するような発想・論調が面白い。
【12年10月6日】
土曜日。5時過ぎ起床、とりあえず朝食を取り、その後「歩き」に出る。朝焼けの空である。
プロコフィエフの『ロミオとジュリエット』(バレエ組曲)を聴きながら歩く。面白い曲である。
バーンスタインの「ウエストサイド」なんかにも影響を与えているのだろうか?
今日は、東京経由で母と東京の叔母とが来京の予定。京都には午後くらいに着くようである。
洗濯、掃除など済ませる。天気がいまひとつなのだが、上掛けやシーツなどもつい洗ってしまう。果たして夜までに乾くだろうか。
甥は、演奏会の合わせで学校へ。今日も遅くなるらしい。
コンクールの本選も近づいているし、忙しいことである。
午前中、持ち帰り仕事を一つ終了。
午後は、調子の悪いエアコンの修理に業者の人が来るので、外出はできない。自宅で、もう一仕事の予定である。
【12年10月4日】
『俳人荷風』読了。著者加藤郁乎氏の遺作となった作品であることを知る。
「あとがき」を書き終えることなく亡くなられたそうである。編集付記にその「あとがき」が掲載されてあった。
読点が打たれたまま、もう書かれることのない「あとがき」に胸打たれる。
この著作自体が、結果として作者自身の為に書かれた一冊であるとともに、作者の無私の精神に貫かれた荷風とその周縁の人々に対する讃仰の書とも読まれる作であった。
大変面白かった。こんな性格の本を今まで読んだことはないような気もする。
目を覚ますと、すでに5時をずいぶん過ぎていた。久しぶりの寝坊である。
開き直って、もうゆっくりと朝の準備をする。
通勤は、電車・バス乗り継ぎ。いつもより30分ほど遅く、職場着。
あとは、夕方まで一気に行く。
今日の仕事の締めくくりは、公務員関係の模擬面接指導。ちょっと特殊な面接になるので、1対1の対決風面接で、やたら神経を使う。
1時間半ほどで面接指導を終え、ぐたぐたに疲れる。
終了後、即退勤。帰りもバスを使う。
本日は、「歩き」は不十分であった。しかし、帰宅後、さらに歩く気力はなし。
『汀』10月号が届く。今月号から、投句作品が載ることになる。
【12年10月1日】
日曜日、午後。本格的に降り始めた気配の台風の雨の中を、「醍醐会」の会場である国際交流会館へと向かう。
中田剛、永末恵子両氏をレポーターとして、「20世紀末葉の俳句は古典をどう参照したか」というテーマで、6人の俳人にを通じて古典の受容、受肉の様相を紹介していただく。
6人の俳人とは、中田氏からは飴山実、宇佐美魚目、川崎展宏であり、永末氏からは橋關ホ、三橋敏雄、永田耕衣の三人の俳人であった。
中田氏は、「俳諧」に対する独自の解釈から、自己の句世界を構築していった俳人としての三氏という視点で話を展開され、永末氏は「古典」によって涵養された「イロニー」を共通概念として三氏の作品の特質を紹介していかれたように思う。
ともかく、非常に示唆に富んだ内容のレポートで、話をききながら、紹介された俳人たちの作や論を自分なりに確認やら追認やらしてみたいという気持ちになる。
5時までの、濃密な時間を終えて、本格的な降りの中を、ズボンの裾を濡らしながら、二次会の会場へと移動。
大人数の参加で、いつもとは違う店での二次会。初対面の人なども交えて、楽しく過ごす。
さらに、雨の上がった中を、三次会の祇園「米」さんへと会場を変える。
話に堪能して、帰宅。即、就寝。
月曜日、少々疲れ気味である。
往復ともに、バス通勤であった。車中、『俳人荷風』読み続ける。正岡容とか、どこかで聞いたことのある人物なども登場する。どこで、聞いた(読んだ)のだろうか、と思う。
帰宅。洗濯をして、部屋干し。その後、夕食。
9時から、BSで吉田類の「酒場放浪記」見る。毎週、欠かさず見る番組。面白い。本当に、上手そうに酒を飲み、つまみを食べる。
それを見ているだけで、こちらも(別に酒を飲んでいるわけでもないのに)何となくふわりと良い気分になる。
この番組を見終えたら、少し本を読んで、就寝のつもり。
それにしても、もう10月である。