日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【12年12月31日】
玄関の呼び鈴が鳴ったので出てみると、注文しておいたお節料理が届いたのだった。毎年同じ店に注文しているようだ。2年前の大雪の日は、本当に大変だったなどと話をしながら大きな皿を受け取る。台所の方では、料理の得意な弟と奥さんの二人が、自家製のお節料理を作り始めているようだ。
朝はまだ保っていた天気が、昼前から一気に雪となる。その前に、魚介類の公設市場に蟹を買いに行く。午前中いっぱいの商いということで、平屋建ての狭い施設内に、たくさんの買い物客が年越しの準備の買い物にやってきていた。
大きな水槽内に、地元でとれたタグ付きのマツバガニが生きたまま何はいも(何匹も)入れてあり、1ぱい(1匹)15000円とか、18000円とかの値段がついているのだが、もちろんそんな蟹は買えるはずもない。うんと安い冷凍物の蟹を人数分買う。今年は、少し値段が高いのかもしれない。いつも買う店ではなく、もう少し安く売っている別の店で買う。発泡スチロールの箱に詰めてもらうと、何となく歳末という気分になる。
公設市場は港の波止場沿いに建てられてあるので、帰る前に船だまりの方を見物してくる。どの船も今年の漁を終え、小さな松飾りなどを飾って、しっかりと繋留してある。烏賊漁や蟹漁の大型漁船ばかりなのだが、見上げるほどの大きさの船も、いったん沖に出れば危なっかしいほどに小さくも見えるのだろうか、などと思う。
本格的に雪が降り出す中を帰宅する。雪が降り始めると、運転もちょっと緊張したものとなる。
天気予報では、午後に入って雪は止むといっていたのだが、依然として雪は降り続いている。牡丹雪のようなふわふわした雪なので、本格的に積もる気遣いはないのだが、それでも庭の木や向かいの家の屋根などがうっすらと雪を乗せているのが見える。
なんとなく、大晦日の日という実感に乏しい。とはいえ、今日で2012年も終わる。皆さま、良いお年を!


【12年12月30日】
終日、雨であった。室内で、柔軟体操とかしてみるが、確実に運動不足である。
午前中、松飾を玄関に飾り付け(一夜飾りは宜しくないということで)、餅つきをする。もちろん、炊飯ジャーに似た餅つき機を使った「餅つき」である。2度やって、鏡餅二組と餡餅、丸餅など作る。昼食は、できたてのお餅。餡も美味しいが、大根おろしをつけたのが、とても美味であった。
午後、帰りの切符を取りに駅まで出かける。在来線の座席指定は出来たが、新幹線の方はほとんど空席なしという状態で、かろうじて「ひかり」の席を確保する。乗り継ぎに1時間待ちということになったけれども。とはいえ、満員立ち詰めというのは、さすがに辛い。早めに帰る甥のチケットも何とか確保出来た。
夕方から、姪は同窓会と言うことで出かける。甥は、夕食後、別宅の練習室でレッスン。
昨日古本屋で買って来た金子兜太の講演集を読む。なかなか面白い。書店に並んでいる俳論がらみの本は、すでにできあがった自己の俳句観や美意識を作品鑑賞という形で紹介するという体裁のものが大半で、断片的な印象が強く、理解しにくい部分があり、今ひとつこちらの興味を引かない。この講演集は、少なくとも俳句の本質とはなにかという点についての金子氏の考察が語られてある分、こちらが俳句について考える多くの刺激的内容を含んでいると思う。考え方自体は、かなり遠い部分が多いのだが、それでもなるほどと思わせることが多々ある。


【12年12月29日】
帰省中である。甥、姪も帰って来ており、九州の長兄を除き、皆が揃ったことになる。
朝から、快晴。霊峰と呼ばれる山は、雪に覆われ、雄大な山容を見せている。そんな姿を遙かに眺めつつ、1時間ほど「歩き」。空がつくづく広い。人参や、葱の畑の間の道をとことこ歩く。
午前中は、皆で大掃除。遅い昼食の後は、めいめいのんびり過ごす。私は、新年会の参加確認のため、市内まで出かける。ひさびさに、車を動かす。オートマチック車のため、おおむね問題なく、運転して、市内まで。
知人のお店は、あいにく来客中で、参加の確認だけして、失礼する。その後は、いつも行く古本屋で、数冊本を購入して帰宅。平台の100円均一本の中に、面白そうなものをいくつか見つける。
夕暮れが近づいていたが、水鳥公園に寄る。この時期、白鳥が飛来していて、夕方なら、運が良ければ、白鳥の群が近郊の水田から帰って来る姿を眺める事が出来る。残念ながら、今日は少々時間が遅かったせいか、白鳥たちはすでに帰着しているようで、日没後の薄闇の中で、鳴き声ばかりが対岸の水面の方から聞こえる。鴨は、平然と道路近くのこちら側まで、水面を漂いつつやって来るのだが、白鳥は必ず道路とは反対の向こう岸遠くに集まっている。その姿を薄闇の中で確かめるのは、なかなか難しい。
印刷所からの『鼎座』の初稿をこちらの方に郵送してもらっていた。それが、本日届いたので、校正を行う。2カ所ほど訂正が必要だったけれど、あとは特に問題はなく、明日にでも折り返し、郵送しようかと思う。2校は時間はかからないから、1月の中旬から、下旬くらいには、『鼎座』第15号が発行出来そうである。


【12年12月26日】
学習合宿の泊まり込みから帰宅。そのまま、過日の休日出勤分の振り替え休暇に入る。
それにしても、こんな立派なところで学習合宿をするのは初めてである。数年前の、市内某ホテルでのクリスマスイブをはさむ合宿の際、玄関ホールの大クリスマスツリーに見ほれた記憶はあるけれど、それ以来、これほど宿舎自体に感心した合宿は久々のことである。
場所等は内緒だけれど、市内の某老舗旅館である。館内施設もそして庭園も立派であることはもちろんだけれど、その行き届いたサービスにつくづく感心した。まったく隙のない、それゆえゆったりとした接客姿勢である。生徒に対する対応も、手慣れて見事なもので、こちらが仲居さんに変に気をつかうということが(結構あるのだが……)まるでなかった。
廊下の各所、そして各部屋に花が飾られてあったが、いずれも生花(当たり前かもしれないけれど、館内全域にこのレベルできちんとした季節の花が美しく飾られてあるのは大変な手間であると思う)で、その花を見ながら老舗旅館の矜恃とでもいうものをつくづくと感じたものだ。
知り合いが京都に泊まることがあったら、ぜひここは紹介したい旅館だと思う。ともかく、感心した。
しばらく時間がかかったけれど、『堤中納言物語』を読了。全10話プラス断章1話という構成。いずれのお話も面白かったが特に気に入ったのは、「はいずみ」というお話。『伊勢物語』の「筒井筒」の『堤中納言』版という趣だけれど、前半のしんみりしたお話と、後半の志村けんの「バカとの」風の滑稽譚が絶妙であった。古典を読んで、吹き出したのは久々のことであった。それにしても、多彩多様な内容の話で、短編小説を読む楽しみを満喫させてくれた作品であった。


【12年12月24日】
世の中は、クリスマス・イブのようである。
とはいえ、特に平日と変わりはない。ちなみに、夕食はすき焼きである。もちろん、ケーキなどは体に悪いので食べない。味気ないといえば、味気ないけれども。
昨日、半日「顔見世」に出かけていた反動?で、今日は一日、ほぼ家籠もり状態であった。
外出といえば、かろうじて午前中に音楽を聴きながら「歩き」で近所をぐるりと一周したことと、夕食の買い物に近所の大型スーパーに出かけたことぐらいか。
ちなみに、スーパーからの帰り、短時間雪が降った。もっとも、すぐに雨に変わったけれども。
『汀』3月号の投句用に7句考える。4句は、「顔見世」を題材に取る。ちょっと変わった角度からの「顔見世」句になればよいのだが。
「週刊俳句」に少し書き込みする。「俳句」の授業に関しては、大いに興味はあるのだ。もっとも実践は、貧しいのだけれども。たとえば、高校生とは言え、生徒の俳句は、固定観念とパターンで作られたものが大半である。ほぼ9割8部位が、そんな作品である。一度、そんな作品を作らせ、句会を開いて、その固定枠を崩しているらしい句をこちらで選して、ちょっとその句について褒める、というようなことで次に繋げたりする、ようなことをやっているけれど、なかなか上手くはいかない。日々の高校生活を素直に詠ったらよい、などと言うけれど、それは俳句向きというよりは、短歌に有効なアドバイスであるし……。俳句というのは、授業の中で実践するのは、なかなか難しい。


【12年12月23日】
「顔見世」昼の部に行って来た。
1年に1度の本当の贅沢。1階の花道にごく近い場所に席を取る。演目は、「佐々木高綱」「梶原平三誉石切」(これは2度目)。昼の休憩を挟んで「寿曽我対面」「郭文章 吉田屋」の四つ。夢の世界を堪能してきた。
三つ目の「寿曽我」に、六代目勘九郎が、曽我五郎時致の役で出ていた。トリッキーな演技(荒事風というのだろうか)が、若々しくてとても面白かった。思わず、頑張れ!と心の中で応援してしまった。「郭文章」は、さすがに通好みの内容ではなかったか。瞬間、うつらとしてしまった。文字通り、夢の世界か。大人の恋の感情の機微が、三味線と謡と演技の三位一体の中で演じられていたよう。
ともかく、幸福感に包まれた数時間であった。夜の部も見てみたいと思うのだが、おそらくチケットを取ることが出来ないのではあるまいか、と思う。
帰宅後、寸酌。幸福感の余韻に浸る。
書き割りの、中間色の色合いと単純化された線の造形も、この幸福感に奉仕しているのだろうと思う。


【12年12月22日】
金曜日、夜は進路と1年との合同忘年会。東本願寺近くの創作料理の店にて。
イタリアンの店で、お酒は飲み放題というもの。こちらは、たらふく飲みかつ食うという恩恵には浴せないのだけれど、それなりに芋焼酎など飲み、肉、魚、野菜の料理をいただく。なかなかリーズナブルで美味しかった。小さなお店だったので、貸し切り状態でゆっくりと楽しむ。
宴会を終え、外に出ると、雨。京都駅まで歩き、大階段の下に設えられた巨大なクリスマスツリーと、大階段に設置された電飾文字を見物する。クリスマス間近という気分になる。
ツリーの下で解散し、私はそのまま駅裏からタクシーで帰宅。
郷里から、母が来京。珍しく甥も帰って来ていた。
帰宅後、即就寝。夜明け方、二度寝の際に、すごく不思議な夢を見る。もう、内容は忘れてしまったけれど、不思議という印象だけは鮮明に残っている。
2度寝のせいで、起床したのは8時過ぎであった。こんなことは、滅多にないことである。
簡単な朝食を作り、一休みの後、年賀状作り。形式は、毎年同じもので、文言と写真が入れ替えられるという体裁である。写真に搦めて、俳句を一句添える。
今回は、初日の出ということになる。住所録を整理して、葉書の表書きを印刷。140枚ほど。
裏面は、写真がカラーになるので、印刷用インクを近所の大型小売店で買ってくる。ついでに、昼食と夕食用の食材も購入。
午後一で、印刷。思った以上に綺麗に印刷が出来る。これで、今年の年賀状の準備は終了。
母は、帰ってから賀状書きをするとのこと。甥は、さてどうすることか。
『幡』1月号を送っていただく。新年号である。燐寸をデザインに使った表紙が洒落ている。主宰の辻田先生の「老老」十二句から。「寒風に老老は帽飛ばされな」「駅放送凩に田へ吹つ飛びぬ」「丸餅は西と教へて餅丸める」「くろまめの一日煮えて年終る」


【12年12月20日】
ここ数日、風邪気が脱けない。微熱やら鼻水、喉の痛みと鬱陶しいことこの上ない。
今日は、ひどく寒かった。空気が、ぴんぴんと張りつめたようで、廊下を歩いていても体が震えるほどだ。まして、広い体育館での終業式は、かなり苦行であった。足元も冷たいし……。
午前中で、すべての行事を終えて、クラブ員以外帰宅した学校は、吹奏楽部の練習が別棟の4階から聞こえるくらいで、静かなものである。
午後、休日出勤の代休を取って退勤。ともかく、休みたい。
車中では、『親鸞』を読み継ぐ。伝記のような、評論のような、エッセイのような、複雑で微妙な内容。親鸞の専門の研究者の手練れの文章ということになるのだろうか。
帰宅。洗濯をして、部屋に干す。
『里』11月号が届いていた。上田信治氏の「成分表」は毎号最初に読むのだが、今号も面白かった。「見る」ということについて。確かに人は、静止画像として、印象や記憶を定着しているところがあるのかもしれない。「写生」という方法は、そんな人の生理に根ざした部分もあるのかもしれない。
『鼎座』第15号の編集作業を終える。製版業者に連絡を取る。年末、年始と慌ただしいことだろうから、製本が完成するのは、1月の下旬くらいであろうかと思う。印刷部数をやや減らす。
出来合いのもので夕食。あとは、さっと風呂に入って、そのまま就寝のつもり。


【12年12月17日】
衆院選が終わった。事前の予想通り、自民党の圧勝に終わった。さて、そしてどうなるのだろう。混沌状態は、依然として続くように思われる。
学期末を迎え、忙しい。帰宅したら、ご飯がないので、昨日のおでんとお酒で夕食を済ます。結果、微醺状態である。
微醺状態で、吉田類の「酒場放浪記」を見たりしている。土曜日の夜、BSでこの番組の女性版をやっているのを初めて知った。ちょっと、雰囲気に違和感があるけれど、それはそれで面白いかな、とも思う。
少々、風邪気味のようだ。鼻水と微熱状態である。忘年会と句会とで、ちょっと疲れてしまったのかもしれない。
とは言いながら、昨日は『鼎座』用の10句を一気に作り、さらに「発想の森」用の短編小説の続きを書いたりしたものだ(その結果、疲れてしまったのかもしれないが)。『篠原鳳作全句文集』も、昨夜の内に読了。最後の方に掲載された日記は、俳人としてまた教師としての篠原の姿が彷彿として大変面白かった。戦災からかろうじて免れた貴重な日記とのことだ。
笠原一男の『親鸞』を読み始める。


【12年12月16日】
金曜日、夜。忘年会であった。おきまりのビンゴ大会で、蜜柑があたる。同じテーブルのひとにお裾分けする(考えてみると、そこで食べたら持ち込みにあたるので、まずかったかもしれない……)。
土曜日。丹後「すき句会」。忘年句会となる。数日前まで、20センチほど積もっていた雪は、その後二、三日の雨と晴天で、ほぼ融けてしまったらしい。
当日は、完全な防寒体制できたのだが、けっこう暖かかった。
宿題が「鰤大根」、席題「歯朶刈り」であった。
高点句を取り、岩城先生選にも2句入り、なかなかめでたい忘年句会となった。自分でも、ちょっと面白い句が出来たかな、と思える句もあった。
句会の会員さんから、お歳暮などもいただく。
岩城先生は、丹後泊まりなので、一人で帰京。車中では、お酒を飲みつつ、駅で買った『東大生の論理』という本を読む。論理学がらみの内容。今ひとつであった。
帰宅後は、即就寝。
日曜日。良い天気である。「週刊俳句」で島田牙城氏から落選展の作品の感想をいただく。「競馬新聞」は、底割れの句だなと改めて思う。
清水さんが亡くなってから、すでに1年以上がたった。その間、『鼎座』は休止状態となっていたのだが、昨日岩城先生の作品をいただき、第15号の刊行準備を進める。
清水さんの作品も、手元にあるものを中心にして掲載を続けていこうと思う。
夕食用のおでんを煮ているのだが、その匂いが居間の方まで流れてきている。小窓をちょっと開けている。暖房は、なにもつけていないのだが、寒くない。
午前中に、投票に行って来た。3年前に比べると、たしかに投票に来る人の数が少ないように思う。


【12年12月11日】
本日で、試験終了。昨日今日と試験があったけれど、めでたく4クラス分の採点終了。提出されたノートの点検も終える。二日間、集中して試験業務をこなし、さすがに、疲れる。
明日から平常授業。とりあえず、テスト返しから始める予定。
帰宅後、ちょっとワインを飲んで、あとはおでんの夕食。一息つく。
寝る前に読んでいる『篠原鳳作全句文集』。評論を読んでいるが、新興俳句運動の先駆けをなした『馬酔木』と、運動体の双璧といえる『天の川』の相克状態が、篠原鳳作の論評を通じて臨場感溢れる感じで伝わってくるのが大変面白い。その中で、鳳作自身が無季俳句の若手の推進者の一人として、また論客として大きな位置を占めているのもうかがわれて、それも面白い。
双子座流星群の極大日が14日に迫っているらしい。マンションのベランダは、ちょうど東側に広く展望が開けているので、流星の観察にはちょうど良い。地上の明かりが明るすぎて、大半の星が消されてしまうような悪コンディションではあるけれど、明るいものなかば十分観察は可能だと思う。極大日前とはいえ、すでに流星の観測は可能らしいので、10時くらいから外で東の空を眺めてみようかと思う。そうとう寒いけれども。
往復の車中では、『堤中納言物語』を読んでいる。短編で、比較的読みやすく、結構面白い小説集である。有名な「虫めづる姫君」の話などが収められてある。平安後期のお話のようだが、語り口の中にちょっと中世的なところがあったりして面白い。


【12年12月9日】
日曜日は、『週刊俳句』の日ということで。今週の招待作品欄には、竹中宏さんの『暦注』10句が掲載されてあった。季語を見ると、冬から夏にかけてのようなので、今年の早い時期に作られた諸作かと思う。有季定型を守り、岩城先生によれば写生という方法を駆使しながら、ここまで独自の作品世界を展開するという力業は凄いことだと思う。
土曜日、午後。「歩き」に出る。京阪七条まで電車で行き、その後はあちこちうろうろしながら、清水寺まで行き、大変な人混みの中、八坂神社、知恩院経由で京阪三条まで。目に入るものを楽しみながらの「歩き」となる。だいだい予定の1万歩になったので、「ブック・オフ」で詩集を3冊ほど買って、帰宅。
夜、『篠原鳳作全句文集』の続きを読む。昭和9年8月号の「新興俳誌展望」の中に、川端茅舎句「いかづちの香を吸へば肺しんしんと」についての論評があり、昭和9年9月の『天の川』に鳳作の代表句「しんしんと肺碧きまで海のたび」が発表されてある。細かい前後関係などは分からないけれど、措辞の影響関係などあるのかもしれない。


【12年12月8日】
金曜日、午後。試験二日目。年休を取って退勤。今日は、行きも帰りも「歩き」を実行する。
帰宅後、読書。駒尺喜美の『紫式部のメッセージ』を読む。大学時代、芥川関係の論文などで目にした研究者である。近代文学が専門だと思っていたのだが、このような内容の評論も書くのかと思う。
内容は、『源氏物語』をフェミニズムの観点から読み直すというもので、光源氏はあくまで物語の主題提示のための狂言まわし的役割を果たし、本当の主人公(作者の主題意図を担う)は、源氏がかかわる女性達であり、その女性達の苦悩を通じて、時代状況に翻弄される女性達の姿を明らかにするとともに、現代にまで通じる主題を明らかにしつつ、作品としての『源氏物語』の構成と構造を同時に提示するというものであった。
あまりにフェニミズム的視点が強固なため、作品の読みがその方向に歪められているという批判もきっと出る(あまりに近代的な解釈を古典作品に持ち込んでいるのではないか)と思ったけれど、それにしても面白い内容のものであった。午後に読み始め、夜に入って読み続け、夜中に目を覚ましてさらに読み、ほぼ一気に読了という状態であった。1991年刊行された少し前の単行本で、現在ではそのような観点での『源氏』の読みは、普通に行われているのではなかろうか、と思う。
夜中12時過ぎ、甥が帰宅。本日は大学のコンサートに参加していた。郷里からは弟夫婦がそれを聴きに来ていた。二人は大阪泊ということのようだ。
土曜日。朝から良い天気である。カーテンを大きく開けて、室内干しの洗濯物に陽光をあてる。外は、気温が低くて、充分には乾かないように思う。。
『汀』12月号来る。10月号から、会員として入会した俳句結社の雑誌である。創刊後、1年が経過し、新結社誌としては、作品・掲載文章を含め、かなり質の高いものだと思う。主宰は、京都出身の井上弘美氏。7句投句主宰の5句選が掲載される。「つややかや青柿もそを隠す葉も」「赤に黄に白に一壺の盆花は」「鑿の痕底にとどめて水澄めり」「秋風のこずゑにとまり須臾に去り」「逍遙や風のごとくにあきあかね」が私の5句であった。


【12年12月5日】
小田玲子さんの第一句集『表の木』を少し読む。全体に穏当な詠みぶりのようなのに、あちらこちらでふっと立ち止まってしまう。あるいは、立ち止まらされてしまう。
適当に開いたページの最初の句、「鳶の影椿を縦に走りけり」。「縦に」とはどういうことなのだろうか、というより空を走る鳶の影が地上に映じられる、それも椿の花に「縦に」。この感覚は作者独自のものであり、「縦に」と詠われることで、この感覚は一句のなかにくっきりと定着したように思われる。その手際の鮮やかさに、つい見ほれてしまうようなのだ。そのように感じられる句が、あちらにもこちらにも見受けられ、面白いと感じ入ってしまう。
本日で、二学期の授業も終了。明日から期末考査が始まる。12月に入ってから、一日一日がとんとんと過ぎていく感覚がある。師走だから、といってしまえばそれまでだが、そのように感性が働くことが面白いとも感じてしまう。
歌舞伎の中村勘三郎が亡くなられた。亡くなるのだ、というのが正直な実感である。


【12年12月4日】
もしかすると、寝相が関係するのかも知れない。枕を少し立てた状態で寝転んで本を読んでいるうちに、そのまま寝込んでしまい、不自然に首が伸びた状態で寝ていたせいか、今朝はひどい腰痛に襲われる。
歩くのが苦痛なくらいの腰痛で、コルセットをしっかり締めて、出勤。電車、バス乗り換えで職場へ。おかげで?7時前には到着。まだ誰も来ていないのではないのかと思ったけれど、玄関のガラス戸は解錠されていて、すでに職員室に一人来ておられた。
今日は4時間授業。さすがに、階段の上り下りが苦痛であった。特に、4階の往復はつらい。木のように、じっと立っている方が楽である。
半日コルセットをつけっぱなしにし、さすがにきつくなって、午後には外してしまう。夕方になって、ようやく痛みが和らぎ、なんとか普通に歩けるようになる。ぎっくり腰というわけでもないような気がするが、一体どうなっているのだろうか。
往復の車中の読書は、川柳から永井荷風の『墨東奇譚』へと移る。三条の「ブック・オフ」で文庫版より、ひとまわりおおきな版を見つけ、購入したもの。視力の衰えた高齢者用に作られたもののように思うのだが、これが結構読みやすい。内容より、その文体が面白い。源氏を現代語訳したような印象というのか、ゆるやかに延びながら、間延びしない緊密な言葉の繋がりがもたらす流露感が心地よいとでもいうような妙な感じである。
帰宅すると、『百鳥』の会員さんの小田玲子さんの第一句集『表の木』が届いていた。「冬支度犬を表の木につなぎ」という本の帯に印された句が、タイトルに取られた句集である。さっそく読ませていただこうと思う。


【12年12月3日】
日曜日。午前中は、持ち帰り仕事の残りを済ませる。一応の目処が立つ。
午後、「歩き」に出る。疎水沿いに、伏見稲荷までを歩く。疎水には、まだ水が流れていた。いずれ、取水口が塞き止められて、春先まで無水状態となる。
伏見稲荷は、思った以上の人出であった。紅葉もほぼ終わりで、人出も減っているのではないかと思っていたのだが。千本鳥居を途中までたどり、そこから脇に逸れて、神田の方へ行く。そこにみごとな紅葉の木が1本あって、それを見に行く。すでに紅葉の勢いは衰えているけれど、まだ散らずに、神田のうえにみごとな枝振りを拡げている。
その横の小さな池は改修中らしく、完全に水を干されて、赤茶けた土が露わに見える。これもまた、寒々とした情景であった。
日曜、夜。『篠原鳳作全句文集』中、全俳句を読了。初期作品において、或る意味オオソドックスで巧みな作者であった篠原が、その後無季俳句という地平で自己の世界を展開していく、その過程に立ち会うようで、感銘深いものであった。文章をずいぶん残しているようで、そちらの方も少しずつ読み進めていこうと思う。
月曜日。今朝は、ずいぶん寒かった。通勤路の周辺の田地は一面霜が真っ白に降りていた。遠くを流れる川からの霧が、陸地に這い上がってきていて、遠くが白く霞んで見えた。いかにも寒々とした初冬らしい情景であった。北山から愛宕山にかけての稜線部にうっすらと雪が残っているのが遠望される。
車中の読書。『国文学』川柳特集読了。川柳に限定せず、狂歌、落首などの紹介もあった。江戸時代の出来事に搦めたそれらの紹介は、江戸っ子のかなりシビアな機知・諧謔が窺われて、とても面白かった。この内容で、もう少し見てみたいと思った。
帰宅すると、広瀬ちえみ氏から『垂人』が届いていた。ありがたいことだ。


【12年12月2日】
土曜日、午後。持ち帰り仕事の一休みのつもりで、予約した市内までチケットを取りに出かける。
先程まで降っていた雨は、きれいな青空と入れ替わっていた。この天気の鮮やかな切り替わり方が、いかにも初冬の京都らしい。
七条まで電車で行き、そこから鴨川河畔を歩く。川の水量は落ちて、川の真ん中の浅いところに、ゆりかもめが集団でたむろしている。
桜の木がすっかり落葉しているなかで、モミジが鮮やかな紅葉を見せている。散る前の、紅が黒ずむ直前の深い紅色である。おもわず、携帯で一枚写真を撮る。
四条大橋の手前で上に上がり、そのまま南座へ。ちょうど、夜の部の入場が始まったばかりらしく、入り口前はたくさんの人でごったがえしている。
窓口でチケットを受け取り、道路を渡ったところから、南座正面に飾られた招きの列を見る。師走だな、と思う。
さらに三条まで歩き、『ブック・オフ』で本を数冊買い、帰宅。
帰宅後は、さらに仕事。夕食をはさんで継続、なんとか一段落する。
寝る前に、買ってきた詩集を読む。加藤敏子句集『風が見えた日』。日々の生活の中から掬い上げた詩情が、繊細に詠われていて、深い。とても良い。『創生記』の作者、小川英晴氏に詩を学んでいる人のようで、小川氏の書かれた栞も良かった。
日曜日は『週刊俳句』の日。三週連続で掲載された江里昭彦「角川書店『俳句』の研究のための予備作業」が今回で終了。大変面白い評論であった。『俳句』誌について、こんな風に正面から取り上げた評論は、私は初めて読んだ。なるほど、「格付け」機関か、なるほど資本の論理か、なるほどターゲットは60歳以上か、などなどうなずきながら読む。


【12年12月1日】
4時過ぎに目を覚まし、5時前に起床。洗濯をし、コーヒーとチーズとピーナツという妙な朝食。
天気が今ひとつの上、外は寒そうなので、洗い上がったものは室内干し。
所在ないので、6時前から持ち帰り仕事を始める。朝の方が、頭が新鮮なので、作業が進むような気がする。
9時過ぎに一段落。「歩き」に出かける。
防寒具に毛糸帽、手袋という完全装備で出かけるが、風もあり、寒い。ホルストの『惑星』を聴きながら、近所をひとまわりする。紅葉も終わりに近づいているようだ。風に吹き散らされた落ち葉が、路上をぞろぞろ移動していく。
1時間ほど歩いて、帰宅。ちょうど、甥が起き出している。
南座の顔見世興行のチケットの電話予約。何度もかけ直した挙げ句、やっと繋がり、母の分と予約終了。歳末の最大の楽しみである。
昨夜の民放のドラマで『悪党』というのをやっていた。主役が滝沢秀明で、ヒロインが北乃キイ、その他の出演者は渡哲也や戸田恵子、奥田瑛二、大杉漣など。大変面白かった。特に、滝沢秀明の演技がとてもよかった。これまで滝沢という人にはまるで関心がなかったのだが、この人はこんなふうに演じるのか、と感心した。良いドラマだった。