日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【13年1月30日】
今日は、1年生の「百人一首」歌留多取り大会。壇上で、大声張り上げて50首読む。なんとも良い気分である。
宮沢賢治「なめとこ山の熊」の朗読データをネット上に見つけ、早速本日の授業に使わせていただく。月本みわという方の朗読。
BGM、効果音なども適宜交えた朗読は、あるいは「朗読」としては変則的なものかもしれないけれど、生徒達は一様に感銘を受けたようだった。
私も、一緒に聴きながら、母子熊の会話の場面は本当に美しいと思ったり、わざわざ2年間の保留を置いて死にに来る熊の場面などは、ちょっと胸にこたえるような印象を受けたりもしたものだ。
3年生の学年末考査も2クラス分返って来て、居残り採点をして、終了。なんやかやと忙しい一日であった。
結果として、疲れる。
『宇宙は何でできているのか』を引き続き、往復の車中で読んでいる。正直言って、一体なにが書いてあるのか、全く分からない。強い力とか、弱い力とか、クオークだの、タウやらシータとか、右がどうした左がこうした、とか……。
素粒子論の入門書なのだろうけれど、本当にちんぷんかんぷん状態である。とは言いながら、不思議と面白い。何が面白いと言って、世界の(というのか、宇宙の)在りようの根源を探る、という点が面白いのだと思う。それは、我々の興味・関心の中心的部分をなす要素のひとつと、私などには思われるからだ。
だから、往復の電車の中で、またバスの薄暗い車内灯の下で、ページをめくったりしているのだろうと思う。
今日は、それほど寒くない。まだ寒中とはいいながら、季節はすこしずつ先に進んでいる、ということか。


【13年1月29日】
山田喜代春氏からいただいた立て置き式の小さなカレンダーを、パソコン台の上に置いて、眺めている。
1月は「しゃき しゃきと 菜っ葉を きざみ こんなふうに みずみずしく 物言えたら ええのにな」の一文とともに、青に白抜きのカブがデザイン化された着物を着たおとこの絵が描かれてある。背景に青松が並ぶ、いかにもめでたい図柄である。
面白いな、と思いながら、パソコン操作の手を休めて、時々眺めている。
夜中に目を覚ますことも少なくなって、良く寝ているはずなのに、なんとも眠い。
寒いということもあり、朝起きるのが少々辛い。
さらに、起きてからすぐシャワーを浴びるのが、なんとなく習慣のようになっていて、いっそう朝の寒さはこたえる。
変な習慣を作ってしまったものだ。
幸い、今夜は風呂を沸かして、湯につかったので、明日のシャワーは中止。湯船に半身浴風につかりながら、送っていただいた『秋草』の2月号を読む。長湯となる。24ページほどの冊子だけれど、内容は多彩で読みどころの多い一誌である。主宰の山口昭男氏の作から数句ひく。
「雨音の屋根にやさしき十二月」「大根に大根の葉のはりつきぬ」「ゆつくりと月の老いゆく薬喰」「炭斗の中に木端と球根と」。
体が温まっているので、このまま床に入り、しばらくまだ読み終えていない『再読、波多野爽波』など読もうかと思う。そういえば、『秋草』は、波多野爽波、田中裕明と続く流れの中の一誌であった。


【13年1月28日】
先程、クロネコの方に自宅まで来ていただいて、『鼎座』第15号をメール便で引き取っていただく。
昨日、一日がかりで発送の準備をして、本日なんとか発送完了となる。
1年以上のブランクがあったけれども、『鼎座』を継続することができた。
3年生は本日から学年末考査。高校最後の試験となる。
1年生も課題テスト。2クラス分が返ってくる。5限、7限に当該クラスの授業があるので、それに間に合わせてやろうと、ふと思いついて、猛烈に集中して、採点をする。
間に合う。返却はしなかったけれど、採点の結果概要を話したら、生徒はビックリしていた。
なにやっているのだろうか、と我ながら思う。それにしても、疲れる……。
定時、退勤。ともかく、寒い。
帰宅。甥は、今日が卒業試験。上手くいった旨が、実家の方に連絡が入ったらしい。
来月早々には、次の試験が控えてはいるが、5年間にわたり、下宿させててきた生活はいずれにしても間もなく終わる。
また、気楽な一人暮らしが始まることになる。いくつか、考えていることがあるので、この1年でそれらを実行しなければ、と思う。
先週の土曜日。同郷の人と3人で夕方飲む。かれこれ40年ぶりくらいになるのではないか、と思う。
一人は現在、京都の某企業で企画営業の仕事をしていて、中国などにも結構頻繁に出かけているらしい。共産党の人物などと面識があるとのことで、いろいろ話をしたりもするらしい。
もう一人は、私と同業者。二人とも、結構いける口らしく、日本酒をどんどん飲んでいる。こちらは、もう何年も日本酒は口にしていない。芋焼酎などを、ちびりちびりとやりながら、二人のやりとりを聞いたりしている。
なかなか面白い。


【13年1月25日】
金曜日。本日で、3年生の授業はすべて終了。あとは、学年末考査、そして特に問題がなければ、3月1日の卒業へ、ということになる。
『父さんはやってない』という本を読む。矢田部 孝司さんと奥さんのあつ子さんの共著である。痴漢冤罪事件をあつかった内容。
強い衝撃を受ける。冤罪事件が、どのようにして起こるのか、とても生々しく語られてある。
現在の警察・司法制度の中での、被疑者の人権ということを思う。取り調べの記録・視覚化ということなども、切実な問題としてあることを改めて考える。
網野善彦『日本中世の民衆像』読了。南北朝以前の庶民層を中心にした身分階層の流動的状況の中で、社会自体がある種の活性化された状態をもたらされた(逆に言うと、社会が安定化していく中で、社会階層の固定化と硬直化が進行し、例えば差別・選別が定着するというような社会的矛盾が先鋭化していく)という指摘などは、とても興味深く思った。
村山斉『宇宙は何でできているのか』を読む。サブタイトルが「素粒子物理学で解く宇宙の謎」とある。極大の宇宙を極小の素粒子から考察していくという主旨の内容のようだ。素人向きに分かりやすく書いてあるので、内容がなかなか面白い。最近話題になったヒッグス粒子(だったか……)、なども取り上げられてある。「わたしたちの体は超新星爆発の破片でできている」という章をこれから読んでいくのだが、いつか作ったことのある「寒星といづれひとつとなる小石」などという句を思い出したりもした。
『鼎座』第15号ができ上がった。これから、発送作業に取りかからなければならないのだが、クロネコメール便を扱う近隣のコンビニが2つとも廃業してしまったので、どのようにして発送したものかと思う。ゆうメールはずいぶん割高のようだし、さて。

公務員退職金問題。明らかに、制度の不備の問題であり、行政は自己の責任回避のため、公務員の意識のありように論点をすり替えとしている。文科相の発言など、その典型であろう。。これは、行政が良くやる手法で、制度は整えたが、あとは現場の運用の問題(今回は、当事者一人一人の)というかたちで、責任を現場側に転嫁しようとして、思惑通りにいかなかったという失策の例であろう(というのか、ほぼ思惑通り。ただ、ごく一部に例外的事態が生じたということか)。


【13年1月20日】
テロ掃討作戦の結果は、悲惨なものとして終わったようだ。日本人も17人中、現在10人の安否が確認されていないらしい。
日本政府のコメントも、実に不明瞭なもので、一体状況がどうなっているのか全く分からない。アルジェリア政府からの報告は、政府になされているらしいけれど、人の生死に関わる問題であり、内容的な確認が政府側にないために、発表もずいぶん慎重なものになっているようだ。
アルジェリア政府の側には、テロ殲滅が最重要課題で、捕虜の人命に対する配慮など、二の次、三の次の問題(感情的判断ではなく)として扱われていたのだろうか、と思う。国情の違いはあるにしても。
土曜日、午後。買い物に、市内まで出る。地下鉄で四条まで。地上に出て、錦市場から寺町経由で、いつもの「三月書房」まで。安井浩司の句集『空なる芭蕉』を購入。それにしても、錦市場の各店に、歩きながら食べる事が出来る串ものなどを売っているところが、やたらに増えているように思われた。観光客対応の商売なのだろうが、市場自体が体質の改善を行おうとしているのかと思う。
書店を出て、丸太町から鴨川河畔に降り、夕日が眩しい中を三条まで歩く。水量の減った川の堰付近に、集まっているゆりかもめの数がずいぶん多いように思う。夕方になって、琵琶湖へ群れを組んで帰るために、集まってきているのかもしれない。
三条から、京阪で帰宅。
大石悦子さんの最新句集『有情』を送っていただき、早速読了する。老いと死(追悼句を含む)の句が増えたように思うけれど、句集全体としては大石氏らしい豊饒な言葉の世界を楽しんだ。『鼎座』の仲間、清水貴久彦さんへよせる追悼句もあった。紹介させていただく。「きちかうやきれいに死んでしまはれし」。「きれいに」という一語に、様々な思いを誘われる一句である。


【13年1月19日】
『私小説名作選』より、嘉村磯多の「崖の下」を読む。味噌も屎もごちゃまぜにしたような作風に、そうとう辟易しながらも、つい読み終えてしまった。面白いというより、この先どうなるのかという、ちょっと下世話な興味から読み進めたような具合だ。作の価値として、とても微妙である。ただ、これがある時期の日本の小説の本道だったわけだ。
土曜日。朝食後、「歩き」に出る。久しぶりに丘陵コースを歩いてみようと思う。歩行距離、時間とも相当稼げるということもあるので。
ともかく、寒い。道路橋に設置された温度計が、マイナス2度を表示している。寒いはずである。
まだ早い時間帯なのに、ずいぶん人通りの多い道に出る。さらに歩いて行くと、前方にも人だかりができている。なにやら、幟旗のようなものまで数本立っているようだ。入試会場だな、と気づく。
今日明日がセンター入試と言うことはもちろん知っているが、こんな場所にセンター試験の会場があるはずもない。
近づくと、疑問は氷解する。やはり、入試会場である。ここでK大付属中学校の入試が行われるのだ。校門前に立て並べてある幟旗は、各進学塾のものであった。旗の下に講師の先生方が集まって、登校する小学生達を激励している。センター入試と同日なのか、と思う。
長い坂道を登りきって、野球場やサッカーグランドのある大きな総合運動公園に出て、さらにそこから、谷を埋めて造成した公園を歩いて、住宅街を下っていく。
公園内の小さな流れは凍結していて、大きな池も全面が氷に覆われていた。実は、今日丘陵コースを選んだのは、氷と霜柱を尋ねてという目的があったのだが、この寒さで、予想以上の見事な景色を見ることが出来た。霜柱も、公園内で見つける事が出来たし、満足して住宅街を下る。
帰宅後、コーヒーを入れて、一休みした後は、昼前まで持ち帰り仕事。3分の一ほど終えて、疲れて休憩。
BSの「日本縦断 こころ旅」を見る。


【13年1月16日】
ちょっと中休みという風で、中村光夫選『私小説名作選』を読む。初めて読む作や、再読したものなど色々あったけれど、総じて面白い。
一口に「私小説」といっても、その世界はなかなか多彩である。
梅崎春生の「突堤にて」とか、上林暁の「ブロンズの首」などが特に面白かった。
昨日は、ひさびさにひどい腹痛に見舞われる。腸を切ったせいで、時折そうなるのだが、それが普段より早めに起床して、早出しようと思っていた矢先のことで、困ってしまった。約2時間、身動きもならない有様となる。今までの経験から、だいたい3時間くらいでなんとかなるとは踏んでいたのだが、腸が落ち着くまでの間は、かなり辛かった。
それでも、思ったより早く楽になったので、急いで出勤。いつもの駅からは、初めてタクシーを使って職場に向かう。その後は、普段通り。これでしばらくは大丈夫だろうと思う。
以前と同じ体ではない、ということを改めて思う。
定時に退勤。帰宅後は、早めに休む。
朝のことがあったせいか、その夜になんというかものすごく不快な夢を見る。内容は憶えていない。その印象だけがくっきりと残っていて、愉快ではない。
水曜日。腹の調子が今ひとつということを除いては、穏やかな一日。夕方から、国語表現の次の課題を作り始め、遅めの退勤。
前回は、「送りがな」の問題だったので、今回は「仮名づかい」を話題にしようと思う。
毎回色々なことをやらさせるので、生徒はぶつくさ言いながらも、それなりに作業をしたりしているのが、うちの生徒らしいと感心する。さて、今回は、どんな反応を示すことか。
『里』2013年1月号を送っていただく。とうとう本来の時間に追いついたのだ。結局、昨年は何号発行されたのだろうか。大変な力業で、遅れを取り戻してしまわれたということだ。


【13年1月14日】
月曜日。成人の日。テレビのニュースは、繰り返しそのことを報道し続ける。
お定まりのように、沖縄の成人の日を報道したりもする。荒れる成人式の代表が、沖縄だったりすると、何となく印象付けられたりする。逆に、3.11の被災地域の成人式は、どちらかというと、感動的なエピソードをちりばめた報道内容だったりする。
いずれにしても、頑張って下さい、と思う。高校を卒業して、2年後には「成人」として、社会的には位置づけられる。その位置づけのなかで、意図的なのか、そうではないのか、判断しかねるけれど、荒れる沖縄、感動の東北という図式がマスコミによって作られていく。他府県は、その間に位置づけられるような、皮肉な思いになる。
マスコミの情報並びに意識操作はもうどうでもよい。
ともかく、新成人の人達、頑張って下さい。あなたたちの生きづらさが、少しでも軽減されることを願っている。
今日は、朝から雨。家籠もりとなる。明日の国語表現の教材を作る。3学期の課題は、実社会の中での言語の現状みたいなことで、毎回ない知恵を絞りつつ、授業を考える。今回は、改めて、仮名づかいの問題を扱う予定。文部省による現代仮名づかいの整備の問題は、明らかに国語というものを大きく変質させた側面があると思う。そこまでは授業では扱いかねるけれど、少なくともそうなった出発点についての基本的知識を生徒に伝える必要はあろうかと思う。教材自体は、そこまで達しきれていない内容ではあるけれども……。
私にとって、一番楽しい授業は国語表現なので、教材準備の時間的負担もさほど気にならない。とは言え、1時間の授業に対する準備時間の比率は、かなり負担ではあるが。
甥は、今日も一日、学校で練習。こちらは夕食の準備だけはしておく。
ちなみに、夕食は鶏カレーである。


【13年1月13日】
土曜日。丹後「すき句会」。初句会である。
兼題は「松迎」(迎春準備である)、席題は「寒」の付く季語である。特に、席題の句に面白い句がそろったように思われる。
「はしだて1号」は、さすがに3連休の初日で、乗客は多い。ただ、福知山で城之崎方面に乗り換える乗客と、丹後方面に向かう客の数を比べると、城之崎方面の方が多いように思われる。蟹の美味しい丹後へも、是非たくさんの人が来てくれたらと思う。
電車がトンネルを脱け、宮津へと下って行く辺りから、遠くに雪を置く丹後半島が望まれる。丹後は雪国、と改めて思う。
宮津で乗り換え、丹後大宮で下車すると、冬まっただ中であるにもかかわらず、とても良い天気で、日射しが明るい。岩城先生は、防寒着を脱いで、寒くないと言われる。こちらは、ぶ厚いダウンジャケットを着込んでいたのだが。やはり、空気は冷たい。
4時過ぎに句会は終了。時間が来るまで、ビールを飲みながら雑談。「松迎」について、少し話などされる。
その後は、駅舎で電車を待ちながら、ビール。下車してきた、学生諸君からは、待合室で飲んでいるさぞ変なおじさんたちと見られたことだろう。さらに、車中でもビール、という有様であったが……。
帰宅後、大岡昇平『野火』読了。しばらく前から読んでいたのだが、重くて難解であった。「解説」の、吉田健一の小説論(私小説的小説に対する本格小説とでも言うのだろう)が面白かった。
夜中に何度か目を覚ます。お酒を飲むとだいたいそんな調子だ。
4時過ぎに起床。外は、真っ暗である。5時過ぎに、洗濯と朝食。あとは、コーヒーを飲んで、ぼっとして過ごす。ビールは、ちょっと酔いが残るような気がする。
日曜日。高曇りの朝。天気は、これから徐々に悪くなっていくらしい。
『鼎座』第15号の再校を送る。印刷・製本が順調に進めば、今月下旬には出来上がってくるだろう。いろいろな雑誌を送っていただいているけれど、これで少しお返しが出来ると思う。
田中裕明の「水遊びする子に先生から手紙」という1句があって、句集名にもとられた句なのだが、夏休みの情景の一コマくらいの受け止めで、その句の面白さがわからなかったのだけれど、彼の師の波多野爽波に「水遊びする子に手紙来ることなく」の句があることを『再読 波多野爽波』で知り、何となく納得。波多野爽波の句との関わりの中で、田中裕明の句は読むべき、ということが分かる。私にとって田中氏の今ひとつよくわからない句の幾つかは、それと同様の読み方をする必要があるのか、とも思う。


【13年1月7日】
少々、寝坊する。7時前に出勤。
車中では、Kさんから送っていただいた『再読、波多野爽波』を読む。
爽波の有名な作品に「金魚玉取りおとしなば舗道の花」という句があり、作者の代表句の一つとして多くの人に鑑賞や評論の対象として取り上げられてきた。私自身も、いままでそんな文章を何編かは読んできたと思うのだが、今日も電車を降りて職場へ向かいながら、この句の事を考えていた。その時思っていたのは、この金魚玉には水が入っていたのか、さらには金魚が泳いでいたのかというようなことだ。それまで、私は勝手に金魚が入った金魚玉を路上で抱えるようにして運んでいたら、ついうっかりそれを落としてしまい、金魚玉は粉々に砕け、辺り一面に水がぶちまけられ、その黒い染みの中で赤い金魚がぴちぴち動いている、その全体の印象を「舗道の花」と表現していると解釈していた。しかし、と歩きながら思う。金魚の入った金魚玉を抱えて歩くなんて、ちょっと出来過ぎのような気がする。まして、それを路上に落として、金魚ぴちぴちなんて、かなり演出されているような気もする。とはいえ、なにも入っていない金魚玉を落とし割ったとしても、ガラス片がそこらに散るぐらいで、「花」と表現するほどのボリューム感はないようだ。とすると、水や金魚は演出か、あるいは虚か、などと。
しかし、本当のところは、この句の中心はそんなところにはない。というのは、この句を改めて思い直すと、実は金魚玉は腕のうちにあるのだ。「取り落としなば」とは仮定の表現だから。もしこの金魚玉をうっかり舗道に落としたなら、盛大に花のように飛び散るだろうという想像を楽しんでいる句なのだ。レモン爆弾を書店の一角に置き去りにしてうきうきしている青年みたいなものだ。そして、そのような想像が真実味を帯びるには、相当慎重に金魚玉を運んでいるからであろうし、とすると空の金魚玉というより、中に水が入り、ちょっと重量があり、さらに中には何も知らぬ気の金魚が、ゆらゆら揺れる水の中で呑気に泳いでいたりする方が、より自然でちょっと滑稽味も添うのではなかろうか、などと思う。
そんなことをうだうだ考えながら、職場着。進路室には、まだ誰も来ていなかった。
午前中は、会議。午後は、夕方まで、明日の教材作り。1時間の国語表現のために、一体何時間準備にかかることか、と思う。
バスの時間が中途半端なので、帰りもつい駅まで歩く。
明日は始業式、その後授業。今日みたいに寝過ごすとまずいので、早めに寝ようかと思う。
とは言いつつ、9時から始まる吉田類の「酒場放浪」などを面白がってみたりしているのだが……。