日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【13年2月27日】
朝は雨。最近、少し、出の時間が遅くなる。今日も、1本遅い電車に乗るが、雨のためバスを使ったので、職場に着いたのは、普段歩いての時間より、早かった。
部屋の鍵を開け、暖房を点け、ポットに水を入れて、湯を沸かす。パソコンを立ち上げ、長い廊下を歩いて、職員室の鍵を開け、出勤簿に押韻する。
こんな調子で、一日が始まる。今日は、雨のせいか、腰が少し痛む。
打ち合わせが長引いて、退勤が少し遅くなる。朝、バスを使ったので、帰りは歩く事にする。
少し長めに歩くつもりで、普段は行かないブック・オフまで足をのばす。句集2冊を210円で購入。中途半端な金額である。
昼は寒さを感じなかったが、日が落ちるとさすがにまだ寒い。
駅そばの店で買い物を済ませ、帰宅。
車中の読書は、ちくまの『折口信夫』。詩歌作品は、抄出作がわずかずつで、短歌などは物足りないものだったが、長歌、詩などはとても面白かった。
今日は、歌舞伎に関する人物評を読むが、歌舞伎に対するその熱の入れように感心する。
帰宅後、すぐ夕食を取り、少し時間が遅かったけれど、「歩き」に出る。
モーツアルトを聴きながら、近所をぐるりと歩く。
東の空に、赤い月が昇っている。満月か、それに近い月のようだ。
明日で、2月も終わる。
寒いままで、3月を迎えるようだ。
【13年2月24日】
土曜日、午後。京都市美術館で開催されている「京都版画トリエンナーレ」を見に行く。
版画というのは、ちょっと馴染みの薄い分野であったが、行ってみたら、これが滅法面白い。
はたして、これがいわゆる「版画」の範疇にはいるのか、という点も含めて、とにかく目から鱗的経験であった。
ともかく、インパクトが強くて、普段なら絶対しないような、展示室の監視員さんに、つい感想を語ったりしてしまったものだ。それだけ、話したいという衝動を喚起するような内容であった。
1000円で図録を購入したが、印刷がちょっと不満で、これはその場で鑑賞しなければ、その面白さは分からないのではないか、と思う。
ついで、というわけではないが、同館の3分の2ほどのスペースを貸し切って、S大学の卒業展を開催していたので、そちらもまわってみる。
個人的には、S大学は芸術系の分野に進む人たちにとって、悪くない学校という印象を持っていて、推奨するような助言をしたこともあったのだが、今年の卒業展はちょっと物足りなかった。
何しろ、その直前に印象鮮烈な展示会を見てきたあとなので、そのような負の印象を持ってしまったのかもしれない。
和洋イラスト、漫画を含め絵画系は、個々には面白い人もいたけれど、全体としては物足りなかった。造形分野は、既視感を感じる作品が多かった。建築デザイン関係は、なにか思い違いがあるのではないのか、という妙な印象がぬぐえなかった。そんなデザインの中で、そこにいる人たちが本当に心地よく過ごせるのだろうか、ということなのだ。そんな中で、商業デザイン関係(なのだろうか)は、とても興味深くて面白かった。若い人たちのセンスや感覚が、既成の枠を越えて発揮されているような気がしたからだ。
日曜日。午前中は、持ち帰り仕事をこなす。昼前には、終了。
引き続き、昼過ぎまで、『汀』4月号の投句作品を整理する。過日の舞鶴吟行句を交えつつ、7句を揃える。
午後は、「歩き」のつもりで市内へ出る。地下鉄で、四条まで行き、書店に立ち寄ったりしながら、2時間ほど歩く。
とにかく寒くて、往生する。時折、北山を越えて京都市上空に侵入した雪雲から、はらはらと雪が降って来る。
帰りの電車の中では、ちくま日本文学全集の「折口信夫」を読むが、掲載された作品が抄出、抄出で、欲求不満になりそうでとても物足りない。
【13年2月23日】
(続き)昼食前に、どうしてもコーヒーが飲みたかったので、宿舎の一角にある喫茶ルームに入り、ホットコーヒーを注文する。あちこちの席で、吟行から帰って来た人たちが、めいめい句作や投句予定の句の推敲を行っておられる。
セルフサービスのホットタオルを使おうとすると、熱い。外が寒かっただけに、一層その熱さを感じる。
時間が来て、二階へ移り、大広間で二段重ねのお重に、その場で炊く混ぜご飯の昼食を食べる。
その隣が句会場になっているので、食事を終え、そのまま移動する。
1時から句会開始。昨日同様、10句投句の7句選。昨日以上に、吟行句らしい吟行句が多く、選もそんな内容の作が多くなるが、回って来る句稿の中に、遊び心のこもった句が交じっていたりして、ついそれも選んだりする。
3時までの句会。先程、自分が歩いてきた場所が、様々に詠われているのを見るのは、楽しいものだ。
さて、俳句漬けの2日間の吟行会も句会を終えて、お開きとなる。
国民宿舎から駅まで、バスで送っていただけるのだが、駅までさほど距離があるわけではないので、荷物を持って歩く事にする。
余韻を楽しむつもりで、ちょっと浜に出て数の減ったサーファーの姿をみたり、魚市場に立ち寄ったり、お雛様を公開している家を覗いてみたりしながら、ぶらぶら高浜駅まで歩く。
駅で、他の方達と合流。
雪折れの被害のあとがのこる車窓の景を眺めながら、各駅停車で東舞鶴駅へと向かい、そこを始発の京都直行の特急列車に乗り継ぐ。
車中では、いつものごとくビールを飲みつつ、四方山話。
楽しい二日間であった。
金曜日、夜。1週間の仕事を終えて、担任団との懇親会。おでんで有名な店に行く。
ボリューム満点の料理は美味しかったが、土曜日朝の定例の体重測定では、思わず声をあげてしまう。
正月以来、増えた体重がなかなか落ちないので苦慮していたのだが、それに輪をかける結果になるとは……。
関悦史氏に『鼎座』をお送りしたところ、ブログに紹介して下さった。ありがたいことである。
【13年2月20日】
吟行会2日目。7時過ぎに起床。こんな時間まで眠っていたのは、いつ以来のことだろうか。
寝に就くまで聞こえていた波音が、目を覚ましても同じように障子越しに聞こえる。
障子を開けると、原電の方角やや上空に、白い太陽が昇っているのが見える。
別棟を出て、夜の宴会会場になった部屋へ、朝食を食べに行く。鯛のアラ煮や大きな浅蜊の味噌汁などもついた美味しい朝食を食べる。
出発の時間が来るまで、宿の前の防波堤から、港内を眺める。浮き桟橋や堤防、岩礁にたくさんのかもめがとまり、みゃあみゃあと猫のような声で鳴いている。
9時過ぎに、チャーターした小型バスがくる。夜来の雪で、うっすら雪化粧をした棚田を見下ろしながら、青葉山の山裾沿いに一端舞鶴方面に抜け、それから高濱町に向かう。
高濱町の国民宿舎に到着し、荷物を置いて、町内の吟行に向かう。昼食が12時なので、それまで約2時間の自由時間がある。宿舎裏の城山公園を歩き、海岸におりて八穴の1つ、波が穿った明鏡洞を間近に見る。その反対側からは弓なりに延々と砂浜が続き、沖から打ち寄せる波の合間に黒いスーツを着たサーファたちの姿が点々と眺められる。
海岸から5分ほど歩くと、高濱町の魚市場があり、ちょうど競りが行われていた。15人ほどの小さな競りだった。邪魔にならないように、離れたところからその様子を見学する。
その後、河岸をぶらぶら歩き、舟を見たり、海をのぞき込んだりする。
係留された舟の上で老夫婦が網の手入れをしていて、そのそばの海上にかもめが一羽浮かび、何かを待っている風情なので、こちらもしばらくそんな様子を眺める。
高濱町では、この時期ちょうど民家で自宅の雛人形を公開する催しが3月3日まで開かれていて、そちらの方にもまわってみようと思う。雛を公開する家の前には、ピンクの小さな幟が立てられ、雛巡りの人達の便宜になっている。
通りから通りへ、その幟をたよりに雛を見物してまわる。
七段飾りのずいぶん立派なお雛様が多い。
眼福という気分で町内を歩いているうちに、昼食の時間が近づいてきたので、一端海岸に出て、サーファー達の波に浮かぶ姿を眺めながら、国民宿舎へと引き返す。
【13年2月18日】
土曜日、日曜日と福井県の高浜方面に吟行会。
俳句浸りの楽しい二日間であった。
土曜日。11時過ぎの「きのさき3号」に乗車、かろうじて指定席を取ることが出来た。綾部で、普通に乗り換え。同じ列車に乗ってこられた吟行会参加者の方達とプラットフォームで合流して、東舞鶴まで。
東舞鶴駅の駅舎内で、今回の吟行会参加者の方達と地元で準備を進めて下さった方達とが全員顔合わせをして後、今日の宿舎の民宿Yのマイクロバスに乗って、最初の吟行地高濱原電の展望台まで移動する。
行く手には、若狭富士として有名な青葉山が雪を積んだ端麗な双耳峰の姿を見せる。
宮津で教員生活を送っていた頃、なんどかこの道路をバイクで走って、青葉山に登山に行ったことがあった。20年以上も前のことであるが、眼前の青葉山を見ると、当時のことが思い出される。
風の強い展望台から、眼下に兎波の立つ内浦湾と、その奥に高濱原子力発電所の建屋群を見る。原発は、現在休止状態であるが、建物の一角から白い煙か水蒸気が上がっているのが見える。そこで、20分ほどめいめい作句に励み、再びマイクロバスで本日の宿舎である民宿Yに向かう。
Yに荷物を置き、本格的な吟行に移る。海からすぐに背後の山並みに繋がる傾斜地に海に並行に民家が横並びに建てられ、その民家の後ろには棚田が何段にも積み上げられてゆく。棚田の先は、照葉樹混じりの森林が稜線まで続いている。
棚田の間の細い急傾斜の道を、息が切れそうになりながら、歩いて行く。その道を上りきったところに、マイクロバスが通って来た県道が走り、その向こうに小学校のグランドと校舎がある。グランドのバックネットに接するように、放射線モニターポストが置かれてある。
デジタル表示の緑の数字が、細かく変化して、現在の放射線量(であろうか)らしき数値を掲示している。目を転じると、内浦湾の水域の向こうに、発電所の巨大な建物が見はるかされる。
ここが、原発間近の地域であるということを、このポストを目の前にして、あらためて思う。
近辺をぐるりと歩き、港の方へ道を下り、そろそろ出句締め切りの時間が迫ってきたので、宿の方へ引き返そうとするころ、風花状態であった雪が俄然激しく降り始める。
雪まみれになりながら、宿へ帰り、句会場の二階の広間に上がり、早速短冊に句を記す。
10句投句の7句選。参加者が20名を越える人数なので、7句選はなかなか厳しい。
やがて、句会が始まる。超結社の句会らしく、実に様々な句が手元に回ってくる。それを7句にまで絞り込むのは、大変だけれども、楽しい作業である。
楽しい緊張のうちに、披講が始まり、何度か名告りを上げることができた。
2時間の句会のあとは、会場を下に移して、交流会。新鮮な魚と蟹、そして河豚の料理が山盛りで、本当に食べきれないほどの豪勢な宴会となる。
9時過ぎに、宴会はお開き。その後、男性陣は別の棟へと寝に行く。
とは言え、更にそこで二次会が12時前まで。さらに、3次会と続き、寝床に就いたのは2時であった。
かくて、1日目が終了。
【13年2月15日】
明日は、1泊で「舞鶴吟行会」。楽しみである。ただ、天気は、雪らしくて、せめて積もるほど降らないことを祈りたい。
今日は、一日入試で、少々疲れる。
夕方、退勤。今日は、朝、雨降りだったこともあり、往復ともにバスを使う。車中では、大内伸哉『どこまでやったらクビになるか』、サブタイトルが「サラリーマンのための労働法入門」。昨日、帰りに読む本がなくなったので、駅近くの本屋で、ぱっと目について買ったもの。
新潮新書の気楽に読める本。読み始めたら、面白いので今日も引き続き読む。
項目をちょっと列記すると、「ブログ・副業・社内不倫・経費流通・転勤・給料泥棒……」というような内容。
民間企業の事例が中心なのだが、なるほどと思えることも多い。
それにしても、文中紹介される判例に伺える裁判官の発想というものに、微妙に違和感を感じるのはなぜなのだろう。
『それでも父はやってない』という痴漢冤罪事件を扱った本の中で、裁判官は当該事件に対し、自分なりのストーリーを頭の中で展開させ、そのストーリーと齟齬のある部分について、整合性を求める形で判断を確定させていくというようなことが触れてあったように思うのだが、おそらくその整合性の付け方と現実との間に微妙にずれが、あるいは論理の網から漏れ出るものがあるような印象を持つのだ。そのズレを埋め、にじみ出る物を塞ぐのが論理に裏付けられた言葉なのだが、違和感とはその言葉に感じるものであるようだ。
夜濯ぎを終え、洗濯物を部屋干しにする。
湯を入れて風呂に入る。
普段は、シャワーで済ますことが多いのだが、寒いときは湯につかるのは気持ち良い。
温めの湯につかりながら、しばらく本を読んだりするのは、気分が良い。
風呂から出たあとも、体はぽかぽかと温かく、これも気持ち良い。
なんとも平穏なことである。
【13年2月11日】
何週間かに一度、新聞の文芸欄に俳句関係の「俳句はいま」と題して、K氏の文章が載る。
主に句集評ではあるが、時に時事的な問題に触れることもある。
今回は、句集評中心の内容であったけれど、冒頭「俳句は究めるのに時間がかかる。俳人として年齢を重ねた作家の句集を読むと、そのことを改めて感じる」と語る。
俳句は「究める」べきものであるかどうか、私にはわからないけれど、年齢を重ねた作家の作品の持つ無手勝流というのか無為自然というのか、俳句形式に負担をかけず、日常茶飯な事柄の中に自己の生活感情や感慨を(その感情や感慨には長く生きて来られた方の経験が深く濃く反映していることは言うまでもないが)無理なくのせて諷詠する流儀は、見事で良いものだなとは思う。
ただ、それが俳句を「究めた」成果なのか、長年俳形式になずみ親しんできた結果なのか、私にはよくわからない。
それに、「俳句は究めるのに時間がかかる。」という言葉は、時に教条的に一人歩きを始める恐れがあるようにも思えるし。
いずれにしても重い一言である、とは思う。
本井英氏の句集『八月』読了。その中の一句、「鯉幟の尾のぽつかりと開くとき」がずいぶんと面白かった。
別にたいしたことを詠っているわけではないが、確かに風を全身にはちきれんばかりにはらんだ鯉幟の、その筒抜けの尾の部分が、風にうねりながらこちらに「ぽつかり」と開いて見える瞬間を目にする事はよくあることだ。そして、この1句を読んでその情景を理解し反応するということは、面白いと感じる感覚や感性が、そのしばしば出会う情景をぼんやりと目にしながら、こちらの側にも実は潜在的にあったのではなかろうかということだ。
さわやかで力強い、しかもちょっと諧謔味のある初夏のいち情景である。しかし、それをいままで何度も眺めたことがありながら、こちらはこのように鋭敏に反応し的確に作に為すことはなかった。その面白さ、その情景に対する自己の感性に気づかない、見落としている、そんな自身の迂闊さや鈍感さを、この本井氏の1句から、鮮やかに指摘されたように思われたのだ。
とは言え、こんな感想も、あるいはこの1句に触れて、デジャビュかなにかのように、読んだ瞬間に組み立てられた自己の感慨なのかもしれないけれど。
それにしても、この1句は『ホトトギス』の人本井英氏の「写生」の力の現れということであろう。
【13年2月10日】
土曜日、丹後「すき句会」。3連休の初日効果は大きくて、「はしだて1号」は、自由席も満員に近い状態であった。福知山で、大阪方面から来て、丹後方面・城之崎方面への旅客の入れ替えがあるのだが、今回は、丹後方面のお客さんも多くて、車内は引き続き満員に近い状態であった。
めでたいことである。
丹後は、雪であった。思っていたよりも、積雪は多かった。ただ、あとで聞くとかなり融けたとのことだったが。
丹後大宮で下車。降りしきる雪の中を、いつもの食堂に行き、昼食。そこへ、偶然メンバーのKさんが食事に来られる。同席をと勧めるが、まだ句が揃っていないとのことで、隣の席で、食事が来るまで句作。
食事後、岩城先生宅まで、Kさんの車に便乗させていただく。
句会は、宿題「節分お化け」、席題が「初午」。6句投句で7句選(特選3句)であった。今年度第2回目の句会。面白い句が、たくさん出句される。ちなみに、Kさんの久治選・特選句は、食堂で稿を重ねておられた中の一句だったとか。
4時過ぎに句会は終了。今日は、買い出しなしなので、電車の時間まで、ゆっくり四方山話。缶ビールが2本空く。
Mさんに駅まで送っていただき、帰京。
車中では、差し入れのピーナツ(ピーナツの粒が大きい。由良川河口の畑地で取れるピーナツであろうか)をつまみに、引き続きビールを飲みつつ、俳句談。やがて、二人とも珍しくうたた寝をして、気がつくと電車は亀岡の手前まで来ていた。
二条駅で岩城先生は下車、こちらは工事中でちょっと様子の変わった京都タワーを車窓に眺めつつ、京都駅まで。
日曜日。二度寝しつつ、6時過ぎまで寝る。
朝食は、玉子入り味噌汁と鮭のソテー。ご飯を食べる。パンではなく、ご飯というのも良い。
外は、朝から良い天気である。しかし、寒そうだ。洗濯は、室内干しとする。
【13年2月8日】
ともかく、寒い。日中には、なんどか雪がちらつく瞬間があった。
体育の授業は、ロードレースのようで、生徒達は校舎外周を走るのだが、校舎内から窓越しに見ていても、こちらに震えがくるほどだ。
明日は、丹後「すき句会」。当日の「はしだて1号」の指定席は、今朝の段階ですでにほぼ満席だと岩城先生からメールをいただく。
蟹のシーズン真っ最中の、しかも三連休の初日ということで、丹後、あるいは日本海方面へ観光客が集中しているのであろうか。めでたいことである。
それにしても、雪は大丈夫だろうか。ネットで確認すると、丹後大宮は地面に積雪はないものの、屋根は白くなっているようだ。
昨夜、本井英句集『八月』を読む。本井氏の作品をまとめて読むのは初めてだけれど、面白かった。『ホトトギス』の作家ということだけれど、いわゆる「写生」句の定型感はなく、もっと自在で、ちょっと斬新ですらあるように思う。自ずと作品の醸し出す諧謔味は、刺激的ですらある。このような作をなす作家がいるとは、『ホトトギス』の懐の深さ、ということであろうか。
吉川幸次郎、三好達治共著の『新唐詩選』を車中読書として読んでいる。現在、李白の項。先程、諧謔味ということを書いたけれど、李白の詩作の中にも、酒にからんで人情の機微に触れるようなちょっと滑稽で諧謔的な作があることを知る。それも、面白い。
ここしばらく、同僚から解説書なども借り受けたりして、表計算ソフトのエクセルをちょっと勉強している。
それにしても、微に入り、細に渡り、様々な機能に充ちていることを知る。充ち渡り過ぎて、痒いところに手が届きすぎているようで、果たしてこんな機能が本当に必要なのだろうか、と思われるようなものまで、ちゃんと備わっているのが凄い。その分、勉強するのも煩雑になるのではあるが。
とは言え、少しずつ分かってきたので、ちょっとだけ面白くなる。
ある程度、習熟したら、次はワードなども勉強してみようかと思う。
昔昔に担任した教え子の家が、漏水で大変なことになったようだ。息子さんの受験を控え、引っ越しまで考えざるを得ないほどの状態で、気懸かりである。
【13年2月5日】
夕方になって、ぐっと冷え込んできた。立春の翌日である。夜中には、市内も雪がちらつくかもしれない。
今日は、5時半前に起床。普段に比べ、30分以上遅い。寝坊したのである。
朝シャワーも、今朝は省略。7時前に、出勤。外が明るい(当たり前だけれど)。
車中読書は、プラトンの『メノン』。徳は教えることが出来るかという問に対する考察。結論は、或る意味、イデア論のプラトンらしいのかも知れないけれど、ちょっと拍子抜けの印象。結論より、その思考の過程が面白いのかもしれない。
『鼎座』をお送りした人から、お返事をいただいたりする。その中には、亡くなられた清水さんのことに触れられた内容も多い。
少し遅くなったけれども、今日清水さんの奥様に、手紙の抜き書きを添えて、『鼎座』をお送りする。
木舩史舟氏の句集『茄子籠』を読む。木舩氏は舞鶴の方で、『霜林』の同人であった。『霜林』の編集長でもあった岩城先生もご存知の方であろうと思う。
日常吟であるけれど、作者らしい視線の感じられる、落ち着いた味わいの深い作品群であった。俳句というのは、このような世界を地盤として、数百年を生きてきた文学様式であろうと思う。
生活実態の乏しい私などには、とうてい詠い得ない作品世界であろう。
【13年2月3日】
Hさんから送っていただいた『豈』第54号を読む。今号は、『新撰21』世代による「戦後生まれ作家10人論」が掲載されてある。是非読んでみたかったので、送って下さって大変ありがたかった。
読み始めるが、一作家について見開き2ページという分量は、ちょっとこちらの理解も含めて消化不良的な内容になりそうな印象がある。
作品も併せて読む。御中虫氏、冨田拓也氏、西村麒麟氏の作品が「新鋭作家招待」として、掲載されてあった。御中虫作品、変な連想だけど、蕪村の「春風馬堤曲」を思ったりした。様式と遊んでいる印象である。内容的には、あるいは深刻なものを含んでいるのかもしれないけれど、御中虫氏の作品は、そのような重さが作品内で昇華され、読むことの快楽的な空間に変換されているような気がする。西村麒麟氏も、俳句形式と遊んでいるようだけれど。いずれにしろ、このように遊べる人はすごいな、と思う。
土曜日。日射しがまぶしいほどで、ずいぶん暖かい。一旦外に出て、防寒着をもっと薄い物に着替えようかと思ったほどだ。
「歩き」のつもりで地下鉄で市内へ。今出川で降り、京都御所内を歩く。松の木が多いので、あまり冬枯れの感はない。下草も、丈は低いながら、緑を保っている。
やたらにハシボソガラスが鳴いていて、気になる。
途中から、東に抜け、梨の木神社から今出川方面へ、河原町に出て、南行し、府立医大の構内を横切って、鴨川河畔に抜け、グランドゴルフやらダンスやら、柔軟体操をしている野球チームやらの様子を見物しながら、三条まで。いつもの「ブック・オフ」で句集を三冊購入して、帰宅。「ブック・オフ」では、句集がまとまって置かれてあった。あるいは、俳句をやっていた人が何かの事情でまとめて売りに出されたのかもしれないと思う。
夜は、寝るまで『豈』を読む。ちょっと、集中して読んでいたせいか、トイレに立ったら、頭がふらふらした。『豈』を読むには、相当のエネルギーが必要だと痛感。
おかげで夜中に、何度も目を覚ます。
日曜日、朝から良い天気である。昨日ほどは、暖かくならないらしいが、さすが立春前日ということであろうか。
【13年2月2日】
2月に入った。
山田喜代春さんのカレンダー、2月の言葉は「ぼくを 好いて くれる人が 八人 嫌う人が 八人 好いて くれる人を あと一人 さがそう」。節分にからめて、赤鬼・青鬼が描いてある。青鬼は左手に黒い蛇を握っていたりする。芸が細かいことである。
昨日、やっと読み終わった『宇宙は何でできているのか』の終わりの方に、この宇宙がビックバンで出来上がって、ごくごく初期の時期に、物質と反物質の双方が生まれ、普通なら物質と反物質はお互い相殺しあって(1と−1を足したら0になってしまうというようなこと?)、物としてのこの宇宙は存在しなかったはずなのに、なぜか反物質より物質の方が、僅かにその量が多くて、相殺の後に残った僅かの物質からこの宇宙はできあがった、というようなことが語られてあった。
なぜ、物質の方が反物質より多かったのかという点については、分からないけれど、あるいは反物質はごく一部が物質に変化することがあるとか、ないとか……。
ともかく、山田氏の言葉を読みながら、そんなことを思い出していた。
『運河』の谷口智行氏から『熊野誌』第59号−中上健次没後20年記念特集号−を送っていただく。『熊野誌』は、熊野地方史研究会・新宮市立図書館が発行する研究紀要のようだ。今号には、谷口氏も「中上健次と熊野大学俳句部」と題して、中上健次との直接対面も含めて、自身の回想を書いておられる。『運河』の茨木和生氏や『草樹』の宇多喜代子氏の言葉などにも触れられ、また名前は存じ上げていた松根久雄についても語られてある。夏石番矢氏も中上健次と繋がりがあったのを知る。
そういえば、岩城先生からも、中上健次氏に関わるエピソードをお聞きしたことがあった。
中上健次は、優れた作家であった、と改めて思う。
土曜日。朝から雨である。その分、寒さは弛んでいるようである。
昨夜、いつもより多めにお酒を飲んだので、ちょっと胃が重い。
具だくさんの味噌汁を作って、朝食とする。
今日は、甥が東京へ行く日。一度、大学に行ってから、そのまま東京の姪のマンションまで行くつもりのようだ。まだ、起きて来ないけれども。
『里』で、佐藤文香選句欄「ハイクラブ」の連載が始まる。10句投句で最高点が7句。1句選までと、選句幅は広い。『里』の責任者(編集者?)の島田牙城氏も投句しておられ、6句選に入っている。毎秋の「鴨川吟行会」で面識のあるなかやまなな氏は5句、名前を存じ上げている上田信治氏や高山れおな氏が3句選となっている。総じて、面白い句が選ばれてあって、楽しみながら読む。