日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【14年4月28日】
昼前から雨が降り出した。
ちょうど、銀行で色々手続きでとまどっている間に、雨が降り出したらしい。
せんたくものは、裏の屋根のあるところにあらかじめ干しておいたので大丈夫だったが、部屋に風を入れるために2階の窓を開けたままにしておいたので、急いで帰宅する。
降り出して間もない頃で、雨の勢いもたいしたものではなかったので、室内がぬれることはなかった。
窓を閉めて、改めて買い物に出る。
夕食の準備などするが、買い物のたびに、京都に比べてこちらの物価の安さを感じる。特に、生鮮食品が安いな、と思う。
車で買いに行くという不便さはあるけれど、その点はありがたい、と思う。
遅い昼食をとり、伏見区役所宛てに書類申請書を作る。
それにしても、申請料として定額小為替350円を購入するのに、なぜ郵便局に料金100円を支払わなければならないのか、と毎回思う。手続き料としても、高い。
昼間は、買い置きの阿波野青畝の句集を読み、夜は平畑静塔の『天狼の古典』を読む、という生活。
外の雨は、本降りになってきたようだ。


【14年4月24日】
本日は、カルチャー教室の第2回目。
俳句関係の講座を受講している。
添削指導を中心とした内容だけれど、なかなか面白い。
初心のつもりで、講師の方の話を聞いている。
俳句の基礎の部分、特に季語のありようについて、改めて講義を聴くということである。
午後は、講師の方が指導を受けたという阿波野青畝の句集の1冊『甲子園』を読む。青畝の句集は、大阪の古書肆でまとめて手に入れる機会があったのだが、
手元に置いたまま読むきっかけがなかったので、今回が良いチャンスと読んでみることにしたのだ。
「山又山山桜又山桜」という人口に膾炙した一句を含むこの句集は、青畝の作品世界の広がりを見渡せるような内容のものになっているようだ。
夕方、久しぶりに軽くジョギングをしてみる。
遙かに霊峰と呼ばれる嶺を眺めやりながら、ゆっくりと2キロほどを走ってみる。
以前は、腹部の痛みや腰痛のため、走ることがためらわれたのだが、今回走ってみて、おおむね大丈夫そうなので、ウオーキングと併用して軽く走ることもして
みようかと思う。
夕食は、水菜と油揚げの炊いたものに、ポークソテー。
美味であった。
見たいテレビもなく、夜は平畑静塔の続きを読もうかと思う。
落ち着かない気分の中でも、少しずつ本を読もうという状態になってきたようである。


【14年4月21日】
日曜日。町内会の一斉清掃に参加する。
近くのスーパー前広場に集合し、各班毎に担当場所へ移動して、清掃活動に当たることになっている。
この地域は、27年前に新興住宅地として開発されたところで、住人もその時期に入居してきた人たちが中心で、その分高齢化が進んでいることを、集まってきた人たちを眺めながら実感する。
清掃地区は大きな公園で、主に草取りを行う。実家から小型の鋤のようなものを借りてきて作業にあたる。
慣れない道具なので、結構腰に負担がかかる。かえってしゃがんで手でむしっている方が効率的かもしれないと思い、途中からそちらに切り替える。
さほど草ははえていなかったせいか、作業は1時間ほどで終了。各自、ポカリスエットを1缶っずつもらって解散となる。
実家に道具を返し、ついでに犬を散歩に連れて行って後、帰宅。
岩城先生から送っていただいた、「参」の会の会員さんの藤井宏康さんの第一句集『残響』を読む。
感想を送ってあげてほしいとの依頼もあったので、読み終えての全体的な印象と感想を文章としてまとめる。
ちょっと蕪村的で遊び心にみちた句集であった。
念のため文面を岩城先生のところにFAXで送り、了解を得て後、夕方のひやりとした空気の中を近所のポストまで投函に出かける。
それにしても、4月も下旬とはいえ、寒い。
午後遅く、大阪で頑張っている甥が、新しい楽器を手に帰省。
演奏をお披露目してすぐ、ピアノ教室で使っている別宅へ移動して早速練習しているとのこと。
顔を見ることは出来なかったが、夕方犬の散歩の途次、近くを通ったら、演奏している音が漏れ聞こえた。
柔らかい、良い音だと思う。
夜、平畑静塔の『天狼の古典』を読みつつ、寝入ってしまう。
月曜日。朝から雨である。肌寒い。
オール電化住宅で、電力プランもそれに対応したものを申し込んでいるので、深夜電力対応の時間帯8時までには、掃除・洗濯(本日は雨のため中止)・炊事と大きな電力を使うものはすべて済ませる。
節電(節約)生活である。


【14年4月19日】
朝から、風が強い。
ガレージの柱と屋根の接合部分が、風が吹くたびに擦れ合ってきいきいと耳障りな音を立てている。
近所迷惑でもあるので、なんとかその音を止めようとして、脚立を持ち出してきて登り、あちこち調べ上げて、音の原因が接合部分の屋根側が風であおられるたびに軽く浮き上がり、その際擦れあって音を立てていることに気づく。
間に何かを噛ませて、浮き上がりを固定しようとして、適当なものはないかと道具入れを探すと、ちょうど水道の蛇口の大きめのパッキングを見つけた。
はさみで切れ込みを入れ、隙間が空いているところに押し込むと、柱部分を挟み込むようにして、具合良く収まった。
硬質ゴム製のパッキングなので、クッションと言う点も含めて、浮き上がりを押さえることができたようで、金属同士の擦れあいが減り、ときおり吹く強い風の時を除き、きいきい音が聞こえなくなった。
昨日から引き続き、本を2冊探して、ばたばたする。
今日は、梱包したままの段ボールの中に入っているのではなかろうかと思い、物置に入れたままにしていた箱を開けて、中を確認したりもした。
残念ながら、目的物は発見できなかったものの、ついでに入れっぱなしだった小物類の整理をする。気がついたら、すでに昼になっていた。
午後、気持ちを改めて、再度本箱のあちらこちらを探すと、とうとう1冊見つけることができた。
何度か、同じところを見ていたつもりだったのだが、きっちり見落としていたようだ。
もう1冊のほうは、メールで持っていたら貸してほしいと依頼されたものだが、こちらは残念ながら、未だに見つからない。
本の配置を整理し直す必要がありそうだ。


【14年4月16日】
朝はひとけた台の気温が、昼過ぎには17、8度にまで上がる。
朝は肌寒いけれど、昼はぽかぽかと気持ちよい陽気である。
書類に記入漏れがあるということで、母の運転手として市役所まで出かける。
平日の昼前と言うことで、来庁者はそんなに多くないようだ。
待ち時間も短くて、用事は終わる。
のどかなものである。
昼は庁舎の地下の食堂で食べる。ランチが550円である。
どうやらご飯とみそ汁はお代わりが可能のようである(違うかもしれないが)。
海につながる川沿いの道を車で走ると、流れに沿って八重桜が満開状態である。
白壁土蔵の道などと銘打って、簡単な休憩施設なども設置されてある。
とはいえ、人の姿はほとんどない。
帰宅後、一休み。
今日は、郵便物も特にないようだ。
一段落、ということであろうか。


【14年4月13日】
土曜日。丹後「すき句会」の日。
今回より郷里からの参加となる。
朝、7時の特急に乗り、その後快速、普通と乗り換えをして、12時前に丹後大宮着。
先に着いておられた岩城先生と、いつもの食堂で落ち合い、いつもの昼食を食べて、句会場の先生宅へと向かう。
本日の宿題は「サザエ」、席題は「海苔汁」であった。
句会は、私の列車の時間の関係で、いつもよりやや早めの終了となる。ご迷惑をおかけしてしまう。
駅から車を運転する関係で、いつもの句会終了後のビールも我慢ということになる。
今日は、句会のメンバーの方達が、立派な蘭の鉢植えを退職記念として下さる。ありがたいことである。
岩城先生ともども早めに駅まで送っていただく。
駅では、駅員の方とうち解けてしまって、三人でしばらく四方山話。
いつもとは逆方向からやってきた列車に、蘭の鉢を抱きかかえながらひとり乗車。
日が長くなった丹後路を乗り換え駅の豊岡へと向かう。
その後、3回の乗り換えを経て、10時前に帰着。
夜道を車を運転して帰宅する。
気分は良いが、さすがに少々疲れる。すぐに就寝。
日曜日。
買い物の後、地元の知り合いと待ち合わせて、昼食を一緒に取る。
その後、車の足慣らしを兼ねて、近所を一周する。
運転にも少し慣れ、なかなか快調である。車はガソリン車だが、リッター16キロ程度走る。少し、足が伸びたようである。
帰宅後は、日課になった庭の草取り。
その後、夕食は実家で焼き肉をごちそうになる。美味。


【14年4月8日】
元の職場の方に無理をお願いして、京都新聞の人事異動の記事のコピーを送っていただく(コピーではなく、本文の方を送って下さったのだが)。
何人か、知っている人の名前が載っていて、いずれも早期退職者ということで、どうされたのだろうか、などと思う。
京都府全体では、100名以上の退職者の数であったようだ。少なくはない人数であろうと思う。
大半は、職を全うされた方達なのだろうが、そんな中に私のような早期退職者もいくぶんかは混じっているわけだ。
今日は、退職の挨拶状を送るための作業に半日を使う。住所変更の連絡も兼ねた内容となる。
午後は、銀行や郵便局をまわり、買い物に出かける。
昨日乗り初めをした車は、1300ccで馬力はそんなにないけれど、結構快適に走る。
まだ、慣れていないので運転は慎重に慎重を重ねているけれど、どこかにぶつけることもなく走っている。
夕方は、庭の草むしり。これが、ほぼ毎日の日課となっている。
なんとなく、あれこれ考えながら草を抜く。ここ数日で、どうにか庭が見られる状態になってきたようだ。ツツジの花芽が、山ほどついている。
満開の時が楽しみである。
その後、少し横になる。朝がずいぶん早いので(4時過ぎ起床状態である)、その分昼間に眠くなる。
一瞬眠ったような状態で、起床。風呂に湯を入れ、早めの入浴。
早めの夕食をとる。肉と野菜をばりばりと食う。
そして、書庫でしばらく柳田国男全集をちら見する。
昨日までは、寒くてこんなことは出来なかった。今日は、日が落ちてもずいぶん温かい。
明日は、住宅取得税の還付手続きに行かなければ、ならない。
それが終わると、一段落であろうか。
明後日は、NHKのカルチャー初日である。


【14年4月6日】
雨かとおもいきや、とうとう雪が降り始めた。
二階から目の前に見るガレージの濃紺の屋根の上に、白い小さな固まりが降りてきてはふわりとはりつき、すぐに消えてゆく。
しかし、それもほんの数分のことで、今は雲間から日が差してきている。
初冬の日本海側の典型的な天候である。
丹後ではこんな状態を「うらにし」などと呼んでいた。
郷里では、とくに呼び名はついていない。
ガレージといえば、昨日車が納車された。
生まれて初めて自分の車を所有することとなったのだ。
京都では、公共交通機関と自前の二本の足とで、日々の生活はなんとでもなったけれど、今後はさすがに車がなければ、買い物一つ立ちゆかないことになる。
いずれ京都や丹後もその車を使って行く折りもあるだろうと、ETCというものをつけてもらった。
すると、その手続きがなんとも煩わしい。
ETCにはETCカードというものが必要で、それを取得するためには、まずVISAとかなんとかのカードを申し込む必要があるらしい。
そんなカードなど一度も使ったことのない身としては、その手続きが面倒くさい。
ましてや、カード取得に際しては「審査」などというものがあり、不適格者は申請を却下される。
現在、退職早々で無職の身にとって、その「審査」を通過するか否か、おぼつかないことである。
『里』4月号を送っていただく。『里』は、個性豊かな俳句作品も多いのだけれど、まず文章に読み応えのあるものが多い。
今回も、「強力連載」と銘打たれた5作品の方を読ませていただく。
まず真っ先に読むのは、上田信治氏の「成分表」。話題に対する独特の切り込みの角度とその深さにはいつも感心してしまう。
島田牙城氏の「『青々歳時記』の季語」は、今号では特に興味深かった。
櫂未知子氏の「『俳』を見つけた」。実は、時には読んでいてムカツク折りもあるのだけれど、結局は最後まで読んでしまうという、私にとっての「鬼門」風な読みものである。


【14年4月4日】
こちらは、朝から強い雨と風。
二つ玉低気圧の通過によるものなのだろうが、一日このような天気となりそうだ。
4月に入り、毎日のようの手続き関係で市役所に出かけたり、そうでなければ、自宅の整理にあたっている。
トイレの漏水は、すぐ修理にきてもらい、ゴムパッキンを交換して、水漏れは止む。
給湯設備の方は、夜間炊きあげ設定にして、風呂も含め、お湯が使えるようになる。
庭の方は、雑草が茂りっぱなし状態で、とりあえず70リットル入りゴミ袋に4袋ほど草抜きをする。
昨冬の落ち葉があちこちに溜まっているので、そちらのほうも相当の分量になりそうである。
実家の犬の散歩にも、朝夕二回つき合うこととなる。
あまり本は読まない。
樋口さんからいただいた『ku+(クプラスと読む)』という新しく創刊された雑誌をもっぱら読んでいる。
高山れおな、山田耕司、上田信二、佐藤文香ら若手俳人の手になる新雑誌である。第2特集「番矢と櫂」が面白い。
声をかけていただいていた、北溟社『新現代俳句最前線』の再校正刷りが送られてくる。4月下旬にはできあがるらしい。
当面、句集を出す予定はなかったこちらとしては、ありがたいお誘いであった。
20冊買い取りなので、どなたにお送りしようかと考えている。
しばらくは、毎日が日曜日生活となる。
なんとなく落ち着かない気分である。


【14年4月2日】
3月30日。「醍醐会」に参加するため、朝の高速バスで京都へ向かう。
午後1時半からの国際交流会館での会には、悠々間に合う。
インクライン沿いの桜が七分咲という様子で、まだ開花前という郷里とはずいぶん違う。
T氏の近作百句鑑賞。かなり厳しい意見も含めて、様々な鑑賞がなされる。
二次会は、木屋町筋の居酒屋へ。飲み放題といいつつ、食べ物が貧弱で、あまり飲めないこちらには物足りなかった。
それに引きかえ、談論は風発状態で、一次会では十分な発言の時間がなかったT氏が大いに気炎をあげられる。
大変おもしろかった。
二次会終了後、三次会へ向かう人たちと別れ、京都駅八条口近くのホテルへ。
シングルの狭い部屋だったけれど、上階だったので、市内の夜景が大変きれいだった。
すぐに就寝。
31日。朝風呂の後、バイキング形式の朝食。京会席風のトレイに、食べたいものをすこしずつ取り分けて乗せ、いろいろな料理が味わえて、結構良かった。
朝食後は、服を改めて、退職辞令交付式へと出かける。
府庁近くの某ホテルにて。
集合後、ずいぶん待たされて後、辞令交付式。呼名ののち、一人一人退職辞令が手交され、その後教育長の挨拶があって、そして終了。30分程度のもの。
控え室へ戻ると、次の時間帯の人たちがすでに集まっていた。
流れ解散。
学校へと向かう。仕事の引継と挨拶、そして進路の人たちと昼食を一緒にする予定。保険関係の手続きも行う。
昼食は、ちょっと名の知られたそば屋へ。
おいしい蕎麦を食べ、分掌旅行で行った出石のことなどが、話題になる。
昼食後、わざわざ駅まで送ってもらい、改札前で最後のお別れをして、プラットフォームへと階段を上る。
30年近く見慣れてきた近鉄沿線の風景も、おそらくこれが最後となる、などと思いながら、やってきた電車に乗り込むと、職場で挨拶を交わしてきた人が偶然乗り込んで来て、
その後は、京都駅まで四方山話。
中型バイクの免許を取るつもりなどという話を聞く。
京都駅からは、夕方発のバスを1本速いものに買い換えて、帰郷の途につく。
ここ2ヶ月ほどの間に、何度バスを使って郷里と京都とを往復したことか、と車窓の風景を眺めながら思う。