日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
13.7「日々録」 13.8「日々録」 13.9「日々録」 13.10「日々録」 14.3「日々録」 14.4「日々録」


【14年5月27日】
所用のため、先週末から今週初めまで京都に滞在。
昨夕、帰宅し、今日は一日こちらで用事を済ませ、明日からまたしばらくは京都に。
来週初めまで向こうにいることになるので、「日々録」の更新は、しばらく無理になりそう。
そうでなくても、更新が遅いので……。
朝風呂に入り、洗濯を済ませ、外に出ると、日陰になる壁にうっすらと緑の藻が広がっていた。
ともかく、壁洗剤で洗い落とす。
ほんの数日間の間なのに、まったく油断できない。
先週末、咲き始めていた薔薇はすでに花が散り、なぜかカナブンが代わりに残った萼にへばりついていた。
遅咲きの花水木が白い花(萼だけど)を咲かせていた。
躑躅は完全に終わり。


【14年5月21日】
一晩降り続いた雨も、ようやく止みそうな気配である。
朝は少し肌寒いくらいだ。「青葉冷え」ということばもあるけれど、ちょうどそんな時期にあたるのかもしれない。
毎日が日曜日生活も、まもなく2ヶ月目を終えようとしている。
働きもしないで毎日ぶらぶらしている的な意識も自分の中にありながら、それでも身の回りのこまごまとしたことをしこなしているうちに、一日が終わるということの繰り返しのようだ。昨日は、すっかり休刊状態になっている『鼎座』の再刊の準備として、近所の印刷所に見積もりを取りに出かける。
県内でも有名な書店が手がける印刷所で、地元の書籍を中心にして様々な出版物を手がけている会社である。
『鼎座』の見本本を持参のうえ、どの程度の金額で印刷・製本が可能かを尋ねる。
結果としては、消費税が8%になったにもかかわらず、京都で印刷していた時より、25000円近く安くできるとのこと。
少部数印刷のノウハウを持っていることもあって、安く仕上がるということのようだ。
前のめりに検討、ということになる。
ついでに、見積もりが出るあいだに、ロビーに展示された出版物を眺めていると、その中の1冊につい最近新聞でも取り上げられた写真集が展示されてあるのに気づいた。
写真家は、小中と同級生だった人である。現在、東京で活躍しているとのことで、彼の第2写真集である。
新聞で知り、見てみたいと思っていた矢先なので、さっそく手にとって鑑賞。
抽象化された具象物とでもいうような内容の作品群で、独自の発想と視点が感じられて面白かった。
午後からは、読書。これも読みさし状態のままであった金森敦子著『芭蕉はどんな旅をしたのか』を改めて最初から読み直す。
芭蕉の奥の細道の旅に限定せず、さまざまな紀行文を引用・参照する中で、当時の旅の諸相が紹介されるという内容。結果として、芭蕉自身の旅の実像が浮かび上がってくるという構成になっている。
大変面白くて、読みふけっているうちに、外が薄暗くなっていたという有様であった。
水曜日。
五時起床。朝風呂にはいる。
湯につかりながら、『新現代俳句最前線』を少し読む。柿沼茂というひとの200句と評論。どちらも面白かった。柿沼氏は『雲母』『白露』をへて、『郭公』に所属している俳人。
繊細な感性と、手堅い表現技術を身につけた俳人という印象。独自な視点を持ちながら、それが上滑りしない底強さを持つ人か。
おそらく『雲母』『白露』の上質な部分を体現した方なのではあるまいかと感心する。
今日は、午前中に実家の犬のフィラリア予防の薬を取りに出かける。午後は、読書。
明日は、カルチャー、明後日から1泊で京都まで出かける。京都で、母と合流後、帰宅ということになりそうだ。少々、ばたばたする。


【14年5月15日】
木曜日。朝から小雨もようである。
昨夜、夜中に目が覚めてから4時近くまで眠れず、その分起床が遅くなる。
普段なら、早朝のうちに掃除・洗濯・炊事を終えることにしているのだが、今日は何もせず。
朝食も、新聞を見ながら、パンとか野菜、牛乳程度の簡単なもので済ます。
以前に比べて、新聞は丹念に読むようになった。スポーツにはあまり興味がないので、話題になったことが掲載されていなければあっさり見出しを見る程度だけれど、それ以外の紙面はけっこうきちんと目を通す。
ネットのニュースサイトと毎日の新聞を併用するのは、即効性と反復・詳細さの両面が生かされて有効だなと思う。特に、夕刊のない地域で生活しているので、両方の利用は利便性に富んでいるかも、などとも思う。
昨日は、朝夕の「歩き」と、庭の手入れと家事、読書、そして句作に時間を使った。
俳句は、毎日5〜10句を作るようにしている。近年、予選通過からも遠ざかっている某俳句賞に、改めて応募してみようとも考えている。
一見のんきな生活とも見える(実際そうなのだろう)けれど、自分がやりたいことと一日の生活のスケジュールをきちんと決めておくことで、心理的な安定の保証にもなっている面があるようだ。
「歩き」にでれば、できるだけ近所の人や、場合によっては行きずりの人と雑談を交わしたりもするようになった。
たんなる暇つぶしとも見えるけれど、そんな風にして周りとの風通しやつながりの道をつける、ということもあるようだ。
一昨日、中村苑子の句集『花隠れ』を読み、同氏の『水妖詞館』がどこかにあったように思うが、見あたらず、そのかわり阿波野青畝の『春の鳶』を見つけ、それを読んだ。
ここ数日、青畝の句集を連続してよんできた。これで、手元にある青畝句集5冊を読み終えることになる。あとは、『青畝風土記』と『青畝風土記・正(第1〜第9句集の集成版)』が残っている。手元にない句集の掲載作品はそれで読むことができる。
句集読了後、山本杜城「『春の鳶』研究」が買い置いてあったので、それを読み始める。山本氏の詳細な読解は、作品の背景理解を含めてずいぶん参考になる。
木曜日。強くはない雨が降り続いている。午後には天気は回復するらしい。
今日は、階段の手すり工事の人がくるかもしれない。午前中は、連絡を待ち、自宅待機ということになるか。


【14年5月12日】
日曜日。午前中は、前日に引き続き、庭の植裁の手入れ。
というか、あらたに伸びた部分を剪定するという作業。
躑躅も盛りを終えて、花が散り始めているので、それを掃除したりもする。花水木は1本が花期を終えたけれど、もう一本がこれから咲き始めそうな様子である。
快晴だけれど、ときおり強い風が吹き、花水木の伸びすぎた枝が風にたわんで折れそうな様子になる。木全体への負担が心配で、高い枝を3本ほど切る。
木の揺れがそれでずいぶん収まったように思う。ただ、そんな風に枝の剪定をしてよいものか、素人判断なのでよくわからない。
午後は、主に読書。『儒艮』に連載されている文章の中で、『俳句評論』を通じ、高柳重信や中村苑子と関係をもたれた関西の藤川游子氏の回想録が大変面白く、連載されたものを通読する。
夕方は、「歩き」。夜は、浅酌の後、夕食。
テレビがつまらないので、早めに寝室に引き上げ、西行の「山家集」を読む。
月曜日。
4時過ぎ、起床。5時過ぎに「歩き」に出るが、40分ほどしたら雨がぽつぽつ降り始める。ちょっと腰も痛かったので、「歩き」は中断。
朝風呂に入り、腰を暖める。少し楽になる。
朝食などをとっている間に、天気はどんどん悪くなる。風が強まり、雨も本格的に降りだしそうな様子である。
先日植えたブロッコリーが気になって、ちょっと裏庭の方にまわってみると、桜の木(とはいえ、樹高が2メートル足らずのもの)が横倒しになっている。
強い風で吹き倒されたらしい。もともと根元が半分くらい折れた状態になっていたのをブロックと棒で支えていたものが、風に負けてしまったらしい。
根が半分折れているとはいえ、まだ繋がっているので、青葉を茂らせ、サクランボの実まで付けており、このままにしておくわけにいかず、庭の隅に放置してあった木の杭をあらたな添え木として幹にしばりつけ立ち上げて、さらに盛大に茂った枝の一部を剪定(昨日からこればかりなのだが)して、樹体への負担を軽くする。
さらに、ひょうろひょうろ伸びた薔薇の木も風に撓んで今にも折れそうなようすなので、2カ所にひもを結んで、垣根の丈夫そうな木につなげて、風への抵抗を増すようにする。
大きく横に伸びた枝は支えようがないので、尖端あたりを剪定。乱暴なことである。ちょうど、クリームイエローの花が咲いている枝があったので、その部分はさらに切って、後ほど居間の小さな花瓶にさす。
おそらく庭木の手入れは、もっと早い時期にすべきものだったのだろうが、その余裕がなかったのが悔やまれる。
そうこうしているうちに、天気はますます悪くなってきている。
今日は一日、荒天が続くことになるのだろう。
庭の木々が、なんとか踏ん張ってほしいものだ。
それにしても、家政をつとめるということは、色々手間暇がかかるものだ、と改めて思う。


【14年5月10日】
土曜日。4時過ぎに目を覚まし、久保純夫氏の「石垣島句日記」の続きを読む。
久保純夫氏の個人誌『儒艮』に一挙掲載という形で紹介されたもの。石垣島滞在記(ごく簡潔な内容)とその期間中の句作品が掲載されたもの。
2度に渡る石垣島旅行の折りの句(文)集のようなもの。圧倒的な作品の数である。
久保氏の作品は、なかなか読解が難しくて、一筋縄ではいかないという印象を最初は持っていたのだが、ここ数日間、読み続けているうちにその気息のようなものがなんとなく感じられるようになってきた(ような気がする)。
二度寝して、6時過ぎに起床。朝食をとり、「歩き」に出かける。
1時間ほどの「歩き」。途中、住宅を建築中のところに行き会い、工事の人と少し立ち話をする。
「地熱利用の高断熱の家」とかいう作りの住宅で、外観からだけでも、まさに一部の隙もない、という施工で感心する。
最近、「歩き」ながら、行き会う人とこんな風に雑談を交わすことが多くなったなと思う。
帰宅後、一休み。コーヒーで一服したから、庭の植裁の剪定作業。
もちろん素人だから、延びた部分を中心に刈り込むというやり方で、とりあえず丈を短く調整する。
剪定ばさみは昨日買ってきていたし、脚立は住宅に付いていたのでそれを利用する。
快晴で、外は暑い。そのうえ、少し風が吹いている。
脚立の一番上に立って、伸びた部分を刈り込む。
隣家の庭に刈った枝が落ちないように注意しながら、作業をすすめていると、いつの間にか昼になっていた。
時間を忘れて夢中になって作業をしていたようである。植裁がきれいな感じになっていくのは、けっこう楽しいものなのだと思う。
昼食をとり、少し休んで、午後は下に落ち散らばっている枝々を回収。おおきな袋にふたつぶんの分量となる。
とりあえず剪定作業は一段落。
次は、花が落ち始めた躑躅について、落ちきったら刈り込み作業をするつもり。
いびつな形にならなければ良いのだが……。


【14年5月6日】
こどもの日は、午前中悪天、その後回復して、夜は満天の星空となる。
こちらに帰ってきて、あらためて思うのは、その夜空の星の数の多さということである。
京都の、マンションのベランダから見上げた星数とはまるでくらべようがないほどの星が、空の果てから果ての全半球にちりばめられてある風情である。
もっとも、それだけ夜空が暗く、そこで暮らす人の数の圧倒的な少なさ、その地上からの明かりの乏しさの反映ということではあるのだけれど。
そうはいいながらも、子供の頃に眺め渡した天の川の鮮烈な姿が、今は見られないのは、昔ほどには空が暗くない、あるいはこちらの視力の衰えということであろうか。
こどもの日。ウオーキングをかねて近所をぐるりと1時間ほど歩く。古い住宅街ということもあるせいか、その間に見かけた子供達の数は5人であった。
子供用のスケートボードで遊ぶ一人の女の子、公園でおじいさんと遊ぶ2人の兄弟、そして休日を自宅前でバーベキューを楽しむ家族の二人兄弟。
子供達が外で遊ぶことが少なくなったということもあるので、単純にその数が少ないとはいえないかもしれないが。
連休を使って、東京から姪が帰郷。
振り替え休日の今日は、家族で2時間ほどかけて有名な神社へでかける。
母は、明日帰京する姪と一緒に東京へ。今日はその準備にかかっているようだ。
北溟社から段ボールが来る。声をかけていただいていた『新現代俳句最前線』が届く。500ページ余、43人の作品200句と評論・エッセイを1編掲載という内容のもの。
知人の句・作も掲載されてあるので、大冊ということもあり、それこそゆっくり読ませていただこうと思う。


【14年5月2日】
新緑の山が見たいというので、母の運転手役をかってでて、霊峰とよばれる山へドライブに出かける。
途中、母の知り合いのところへ立ち寄り、すっかり話し込んで、再スタートが12時前になる。
そこから、山の中腹の緑が美しいと定評のあるドライブウエイまで、一気に登り、あとはまだ樹間の所々に雪の残る新緑の道を快適に走る。
目的地のK高原まで来て、そこで遅めの昼食をとる。
リゾートホテルの2階の食堂からは、目の前に残雪とまだ緑が復活しない芝の大斜面が眺め渡せる。
ゴールデンウイーク後半を明日に控えていたせいか、観光客の姿はまばらで、ただ、何組かのオートバイのツーリンググループの姿が目についた。
それぞれ、おこわ定食とジンギスカン定食を食べ、行きとは別ルートで帰宅。
文字通り雲一つ無い快晴で、新緑と残雪のコントラストが大変印象的であった。
帰宅後、庭木への防虫剤噴霧作業。
先日、椿の木が異様に落葉しているので、どうしたものかと様子を見にいくと、枝枝に蜘蛛の巣のような細い糸が垂れ、その尖端に小さな毛虫が鈴なり状態でぶら下がっているのに気づいた。
早速ネットで検索すると、チャドクガという椿の天敵だと判明。
大急ぎで近所の資材センターへ車を走らせ、「ベニカエース」という駆除剤を購入。
自宅へ取って帰し、早速たっぷりと天敵連中に噴霧した。
その効果は、かなりてきめんではなかったかと思うのだが、それにしても椿の下半身部分はほぼ丸裸状態となってしまった。
今日は、まだ薬液が残っていたので、その周辺の木と、ついでに躑躅にも噴霧をしておいたのだ。
庭の樹木の手入れというのは、草むしりと違い、今ひとつぴんとこなかったのだが、前の持ち主から伝えられていた、庭の植栽への薬液噴霧とはこのことか、と納得する。