日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【14年6月27日】
朝から高曇り。
ゴミ出しの日なので、ついでのつもりで、庭木の剪定を早朝からやって、一汗かいてゴミ出しを済ませる。
その後は、朝食を済ませ、日曜日の醍醐会のためのレポートの最終まとめ。
A4版4枚のレポートとなる。
今回は、読み応えのある句集で、結構楽しい作業となった。データーをプリントアウトして、紙原稿として持っていこうと思う。
今週は、このレポート作りが中心の生活であったが、その間にも何冊か句集を読み、送っていただいた結社誌などを読む時間が持てた。
季刊『鳳』。結社Uのメンバーの方4人の同人誌。作品・文章ともに充実していて一気に読む。
『幡』7月号。辻田先生の句は面白い。俳句の祖型とでもいうものの一つが、そこにはあるように思われる。
矢野景一氏から第三句集『游目』を送っていただく。矢野氏は結社『杉』の同人である。
句集は片山桃史『北方兵団』、東鷹女『向日葵』阿波野青畝『花下微笑』など読む、いずれも、沖積舎「俳苑叢刊」の復刻版である。
明日から京都行き。2泊3日で出かける。
久しぶりに元の職場の方達や、京都の知り合い、醍醐会のメンバーの方たちとも再開できる。楽しみなことである。
【14年6月23日】
日曜日。県の俳人協会主催の講演会・句会へ参加する。
雨の中、車を運転して高速自動車道を1時間ほど走り、当日大きなスポーツ祭典のため、町内のあちらこちらが通行規制にかかっていたため、紆余曲折(こんな場合に使う表現ではあるまいけれど)の末、どうにか会場に到着。おかげで、雨はすっかりあがっていたものだ。
1時間半ほど時間的余裕があったので、車を置いて、近所を吟行。大きな湖がすぐそばにあって、湿気を含んだ湖上の風をたっぷり浴びながらの句作。
駅前の小さな喫茶店で、やたら大盛りのカレーライスの昼食を取り、会場に引き返して、受付と出句を終えて、開会を待つ。
講演会は、某結社の主催T氏の講演。細見綾子の著名な句「女身仏に春剥落のつづきをり」に関わる作者の意図の紹介、並びに作品鑑賞。
句会は、当日句3句出句。3句の互選。講演者は、自由に選んでいただくというもの。
講演者に1句取っていただいた。自分でも、その句はなかなか面白いのではないかと思っていたので、満足する。
帰りは、大雨の中を帰宅。
帰宅後も、夕方まで雨は降り続いた。
夜、和室で窓を開け、涼しい夜気を入れながら句作。5句作る。「汀」への投稿句とする。
月曜日。朝から、半日醍醐会のレポート作り。
2階に書斎があり、書庫(というほどのものではないが)が1階なので、上と下を行ったり来たりする。全体の6割程度をまとめる。
土曜日には京都に行かなければならないので、金曜日までには完成しなければならない。
昼食を挟んで、午後も引き続きレポート作り。
その後、リハビリに行っている母を迎えに病院へ行く。
母を実家に送り、気分転換に庭の樹木の剪定。最近の気分転換はこれだ。緑を相手の作業なので、うってつけなのだが、つい夢中になると、思った以上に時間が過ぎてしまうのが難点だ。
夕方、1時間ほど「歩き」。その後、夕食をとる。
夜は、句作後、少し本を読むつもり。
目がずいぶん疲れる。元々飛蚊症だったものが、ちょっと状態が進行しているような気がする。目は大切にしなければ、と思う。
【14年6月21日】
金曜日。
醍醐会のレポート作りで、Mさんの句集の読み込み。午前中で、一応終了する。明日から、レポート案を作成する予定。
午後、母のリハビリの迎え。まだ、体力の回復には遠い状態のようである。しんどそうである。買い物につき合う。
実家まで送り、ついでに庭の蔓草の駆除を行う。
石田波郷『行人裡』読了。
「俳句をつねに自分の生き方にひきつけ、詩短歌小説等の諸文芸に伍して、俳句にいよいよ独自なる重量を嶼へようということ」を作句理念として作られた一連の作。「俳句の古典に競ひ立たう」との強い思いの中で作られた作品群であり、確かにある時期の時代相の中での波郷の生き様が感じられる作が多かったけれど、ただそれが「詩短歌小説等」の文芸に伍する独自の力を得たのかといえば、少々疑問を感じはする。私小説的ではあっても俳句独自の凝集力に乏しいような気がしたのだ。
また作中、「吹きおこる秋風鶴をあゆましむ」という(波郷の結社名に繋がる一句だったと思うが)著名な句などは、古典的美意識の現代版という印象を持つのだが、そこに波郷の生き方がいかほど反映しているのかという点になると、果たしてどうであろうかとも思う。
土曜日。午前中、醍醐会のレポートの素案作り。
ここしばらく読み込んできた作品を、漠然とした構想に基づき整理し直す。ただ、この整理が、実際にどのような発表に繋がっていくのか、実はまだ自分でもよくは分かっていないようなのだ。。ただ、作品を読みながらあれこれ考えることは、今回なかなか楽しいことであった
とはいえ、なんともおぼつかないことではある。
午後、森川暁水句集『淀』読了。詠い口は、少々古風ではあるが、波郷の『行人裡』以上に、暁水の「人生」というのか、「生活」を感じさせる作品群で、うっとうしいなとも思いつつ感心する。
夕方の郵便物で、税務署から税未納による督促状が届く。突然のことで、驚く。
それにしても、納税通知書も送ってこないで、突然督促状送付というのは、一体どういうことであろうか、と思う。手順が抜けているではないか。
唐突ながら、現総理大臣はつくづく「マッチポンプ」的なタイプの人と思ってしまう。あるいは、確信犯的な。
日本は、本当に大丈夫なのだろうか。サッカーの結果に一喜一憂するほどに、のどかな毎日を送ってはいるのだけれど……。
【14年6月17日】
本日は、午前中病院へ。
前の医療施設から紹介状を出してもらい、地元の医大付属系病院へ通うこととなる。
ずいぶん前に、ここで入院・手術を受けたことがあったけれど、そのときに比べると、規模も倍以上となり、施設・設備もずいぶん立派なものになっていた。
それに、病院関係者のあたりのなんと柔らかいことかと思う。医大付属病院にありがちなちょっと堅い雰囲気が払拭されたようである。
それにしても、病院によって、処方出来る薬と出来ない薬があるということを、初めて知った。
いままで使ってきた薬のひとつが、処方箋に記入されない(パソコンで薬名を打ち込もうとしても受け付けられない)。そこで、同じような効能の別の薬に変えることとなる。
なぜ、そのようなことが起こるのか、ちょっと興味を感じる。
結局、午前中一杯かかって、終了。
初回なので、手続きやら、検査の手順やらの関係で、通常以上に時間がかかったらしい。
待ち時間は、おいてある新聞を隅から隅まで読む。
読みながら、現在の総理大臣の頭の中には、どのような日本人の未来像が描かれてあるのかと、つくづく思う。
あるいは、イメージとしての像はそこにはないのかもしれないと思う。想像力の貧困は、共感性の欠如へと繋がるらしいけれど……。
昨日は、読書三昧。
林芙美子の『放浪記』を読了。前から気になっていて、いずれ読もうと本は買ってあったのだが、ようやく読む。
最初は、綴り方の文章のような稚拙感が気になったけれど、あとは一気に読み進み、読み終わってしまった。
稚拙感も含めて、とても面白かった。
継いで、横山寿美子の『初潮という切札』という評論集を読む。タイトルがちょっと際物めいているけれど、内容はきちんとした児童文学論である。フェミニズムがかった部分が、書かれた時代を感じさせるけれど、示唆に富んだ内容の評論であった。
俳句関係以外の本も読んでみようと思う。
夕方、醍醐会のレポート準備。自分自身は、楽しんでやっているけれど、はたしてレポートの体をなすのか、心配になってくる。
夜、遅くなってから和室に籠もって句作。
部屋の明かりをめがけて飛んでくる虫が、ガラス戸にこつんとあたる音が、障子越しに聞こえてくる。
【14年6月12日】
先ほどまでの、猛烈な降りはどうやら峠を越したらしい。
それでも、しきりに雷の音が聞こえてくる。
今日は、カルチャーの日で、10時から1時間半の「俳句」講座に参加する。
講師の先生は、阿波野青畝を師とする人で、同じ俳人協会の方。
講義中心だけれど、なかなか面白い。
感心したり、納得したり、それはどうかななどと思ったり、いずれにしてもとても刺激的な内容である。
カルチャーを終えて、高校の同級生が主人をつとめる写真館に顔出しをする。
帰省した折りには、よくお邪魔した家なのだが、こちらに帰ってきてからはまだ1度も挨拶に行っていない。そこで、お昼前だったのだが、ちょっと様子を見に行く。
奥さんと2人でやっている歴史のある写真館で、ちょうど二人ともおられたので、しばらく四方山話。
その後、市の文化会館に行って用事を済ませ、帰宅。ぱらぱらと雨が降り出し始めていた。。
途中、買い物のために大型小売店に立ち寄り、買い物を終えて、さて駐車場においた車に戻ろうとすると、外は猛烈な吹き降り状態であった。
雷もなっており、地面は雨の膜で覆われた様になっていたのだが、傘もあり、近くにも止めていたので、思い切って車まで走る。
片面ずぶぬれ状態で、車着。車内にまで、雨が降り込んできて、鬱陶しいことになる。
帰宅して、着替えて、昼食をとって、やっと人心地。雨も、普通の強い降り方に変わる。
昨日、ここしばらく読み継いでいた『芭蕉はどんな旅をしたのか』を読了する。
現職の時、途中まで読んで、そのままになっていたのを、今回改めて最初から読み直す。上下二段組みで400ページ強。原文引用などもふんだんにあって、かならずしも読みやすい本ではなかったけれど、内容は大変面白いものであった。
読み終えて、久しぶりに本を読んだという実感を持った1冊であった。
引き続き、地元の出版社からでた、郷土の俳人達についての評論を読む。
江戸から昭和までの地元各地域別の俳人とその作品についての紹介がまとめられたもの。
大変興味深い内容だけれど、さらにもしかして私の曾祖父「軒月(医者で、俳句をやっていた人。軒月は俳号である)」について、少しでも触れられた部分がないものかと、それも読書の興味となっている。
【14年6月9日】
土曜日は、丹後「すき句会」の日。
7時発の電車に乗り、丹後大宮着は12時まえ。乗り物に乗っている時間は、それほど長くはないのだが、接続の悪さから、待ち時間が非常に長い。
その都度、改札から外に出ては、駅前をうろうろしたりする。
いつもの食堂で、岩城先生と待ち合わす。珍しく来店客が多くて、すでに2組のお客さんを断っている、と先生から教えられる。1品ごとに時間のかかる洋食で、店主1人で店を切り盛りするのは大変である。
しかし、料理は、たいへん美味しい。しかも、食後にコーヒーにチーズケーキまでついて、ブイヤベース(地元産の魚介類、パンとライスが選べ、さらに支払いの際にはキャンデーかチョコレートが口直しに付く)が800円というのは、安くてありがたい。
丹後大宮の名店である。
1時過ぎから句会。今日は、当初の予定が変更になったためか、欠席者が多く、その分投句数が1句増える。
宿題は、「端午の節句」全般。当日句は「青葉闇」。
作品は、「青葉闇」の句におもしろいものが多かった。
欠席投句をされたM氏の、句に添えられたコメントが面白く、参加者一同大笑いしたりする。
楽しい句会でした。
5時過ぎの電車に間に合わすため、少し早めに辞去。Nさんに駅まで車で送っていただく。
まだ時間があったので、駅横の野原で植物同定。塚谷裕一著『スキマの植物図鑑』を参考にする。ヒメジョオンとハルジオンを確認する。
夕方から夜にかけては、車中。漁り火の浮かぶ海などを遠く眺めたりもする。
10時まえ帰着。駐車しておいた車で、自宅まで。
日曜日。
今月末、京都に2泊する用事があるのだが、その宿泊の件でばたばたする。こちらの勘違いで、迷惑をかける。
昼は実家に顔出し。母の体調は、少しずつ整ってきているようだ。ただ、体重はまた落ちてしまったという。昼食をいただく。
午後、雨が降る前にと、歩きに出る。
その途中、高校時代の知り合いに出会う。自宅前で、椅子に腰掛けて、エンドウ豆の皮むきをしている。その姿が、なんとも様になっている。横で、お孫さんが遊んでいる。
しばらく雑談する。お互い、それなりの年齢になっているのだと思ったりもする。
帰宅後、屋根の苔取りやら、雨樋の水漏れの応急処置などする。
今日は、読書・句作ともに一休みであった。
浅酌し、夜は早く寝に就く。
月曜日。4時過ぎに起床。5時過ぎに「歩き」に出る。曇天である。
【14年6月6日】
本格的な梅雨に入った。
昨日は、ときおり雨の止み間はあったものの、ほぼ終日雨であった。
止み間をぬって、躑躅の剪定の続き。
銀行に用があって短時間出かけた以外は、自宅で読書、並びに句作。
芭蕉の旅は、松島を終え、最上川を下るあたりまで読み進む。
あらたに、今月末の醍醐会でレポートを担当しているMさんの句集『晴好』を読み始める。これで、3度目ということになる。
自分の好悪で句を割り振って、というようなやりかたは避けたいと思っているので、どんなところにポイントをおいて各作品を読み込んでいこうかと思う。
おそらく、一句の中での季語の働きあたりはポイントのひとつになりそうな気がする。
読み進めながら、ある種の違和感を感じているので。これは、最初に読んだときの「一筋縄ではいかないような……」という印象の原因のひとつなのだろうと思う。
『詩歌句』という雑誌を送っていただき、夜、その中の短歌年鑑という企画で掲載された歌人77名の自選歌5首を読む。生活詠あり自然詠あり、時事的な内容、哲学的な瞑想、詩的試みなど各歌人の多彩な営みを味わうことができた。中でも、永田紅氏の作品はおもしろかった。
ただ、よく言われることではあるが、俳句と比べるとやはり長い、という印象がつきまとう。さらに、説明的部分が一首の詩的密度を落としているような、そんな気もする。言い換えると、短歌形式というものをどのように効果的に生かしておられるのかが、その世界には疎い人間としては、今ひとつ分からない作があったということか(門外漢の感想なのであたりまえなのかもしれないけれど)。
ただ、頭はずいぶん興奮していたらしく、その後朝方近くまで眠れないというはめに陥る。
金曜日。朝から、雨が降ったり、やんだり。
ゴミ出しの日ということもあり、止み間をぬって、植裁の剪定。本当に、手間暇がかかるものだと思う。
ゴミ袋に3つ分、集塵所まで車で運ぶ。
明日は、丹後「すき句会」の日。電車乗り継ぎで、丹後まで。一日中の外出となる。
【14年6月4日】
昨日も、やや疲れがのこっていたせいか、毛布を一枚洗って干したくらいで、あとはなにをするでなく半日を過ごす。
午後になって、庭の躑躅の剪定。
二株だけやって、疲れて中止。
残りは次の機会とする。
夕方になって、雨が降り出す。四国は梅雨に入ったらしい。こちらも、数日中には入梅ということになるのだろう。
雨の止み間をぬって近所を歩く。途中で雨がぱらぱら降り出したので、帰宅。
とはいえ、雲底は高かったので、たいした雨にはならないと判断。走って帰るというところまではいかず。
半分くらいは、風に吹き寄せられた雨滴が落ちてきたものだろうと思う。
帰宅後は、少し読書。芭蕉の旅の続きを読む。けっこう大冊で時間がかかる。
夕方は、いつもの通り、和室に籠もって句作。
北溟社から『新現代俳句最前線』の続きで、企画があるので出さないかとのお誘いがあったので、ありがたく出すこととする。
「7句プラス短文」ということで、早速準備を始める。
さらに、今週の日曜日は、はや「丹後すき句会」6月例会(前回から1週間後という最短期間開催である)が控えているので、それも考えておかねばと思う。
水曜日。夜中に目を覚ましてテレビをつけたら、地元の霊峰といわれる山を紹介する番組が放映されていて、つい見てしまう。
通常の登山ルートではないところから登ったらしく、最初はどこを映しているのかわからず、だんだん見ていくうちにかつて1度だけ歩いたことのあるコースであることがわかって、新鮮な驚きにうたれた。
登り慣れたつもりになっていた山が、全く別の山のような印象をもたらしたことで、ちょっと番組の企画力にも感心した。
もっとも、そのせいで夜明け近くまで眠れなくなってしまったのだが。
起床後、朝風呂。ここしばらくシャワーが多かったので、ゆったりと湯につかる。
軽く朝食をとり、新聞をけっこう隅から隅まで読む。
午後から雨になるという予報なので、それまでにということで、汗をかかない程度に「歩き」に出ることにする。
帰宅後は、芭蕉の旅の続きを読むつもり。
【14年6月2日】
入院の付き添いを終え、昨日帰宅。
思ったより短期間で退院でき、幸いだった。
夜は、親戚宅にお世話になり、持っていった車は親戚の知人の駐車場の空きスペースに無料で駐車させていただき、大変助かった。
帰宅の日も、猛烈な暑さで、車のクーラーを入れっぱなしで走行。ただ、高速は車も少なく、快適であった。
退院間もない身にも、ほとんど負担はかからなかったようだ。
買って間もない車も、これで慣らし運転終了というところであろう。
さすがに少々疲れていて、夜は早く寝る。
ひさしぶりに夜中に目が覚めることもなく、朝まで。
朝シャワーを浴び、軽く朝食をとって、やや復活、という状態である。
そういえば、向こうで駐車場を快く貸してくださったのは、T映のカメラマンをしていた方であった。
話す機会があって、私蔵の写真なども見せていただいたりした。
私でも知っている大物俳優や有名タレントなどの生写真やら撮影現場のスナップやら、興味津々で見させていただいた。
ちなみに、そのKさんは主にテレビの時代劇の撮影が多く、「○○将軍」や「水戸○○」などの撮影に携わっておられたらしい。
さすが映画のまちと感心する。
退院前日には、丹後の「すき句会」にも参加する。
元々は別の用事があって欠席の予定であったものが、このような突発的事態があり、とはいえ病状は安定していたので、出かけることとした。
いつもの「はしだて1号」は、本日開催の和知茅葺きコンサートの影響で超満員かとおもいきや、すんなり指定が取れてちょっと拍子抜けがした。
橋立で岩城先生と合流し、KTRの「赤松・青松号」で丹後大宮まで。指定列車の「赤松号」は満車であった。まずは、めでたいことである。
宿題は「端午の節句全般」当日題は「オリーブの花」であった。
素材や視点に微妙な変化があると岩城先生から指摘される。帰郷した影響であろうか。
それが、良い結果をもたらすかあるいはそうでないか、危惧を交えた指摘であった。
(そういえば、帰宅後届いていた『汀』最新号では、5句欄から4句欄に落ちていたりもしたのだが。なんとも不吉なことではある)
1時間半ほど句会に参加し、早めに退出。十数年ぶりで舞鶴経由での帰京。
舞鶴までは、例の「赤松・青松号」。ビューポイントでは徐行したり臨時停車をして景色を楽しませてくれるなどのサービスがある。
KTRには是非がんばってほしいと思う。。
夕方、病院に顔出しをして、翌日の退院の段取りを済ませる。
帰宅すると、別の躑躅の花盛りであった。白い花水木も盛りのようだ。
野良猫が忍び込んだ粗相の痕跡なども残っている。
ちょうど蜘蛛が卵から孵る時期らしく、蜘蛛の子が密集しているコロニーみたいなものが庭木のあちこちに見受けられて、これには参る。