日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
13.9「日々録」 | 13.10「日々録」 | 14.3「日々録」 | 14.4「日々録」 | 14.5「日々録」 | 14.6「日々録」 |
【14年7月29日】
昨日は、終日涼しくて、気持ちよく一日を過ごすことができた。ちょうど、残暑を終えた初秋の頃の気候に似ていたものだ。
こんな日が毎日続けば、ひと夏快適に過ごすことができることだろうけれど、そうもいかない。
とは言いながら、今朝は昨日の余波で、朝は涼しくて気持ちがよかった。夏太り気味の気配があるので、今朝はひさびさに「歩き」を「ジョギング」に変えて、一走りしてみる。
「歩き」に毛のはえた程度の「走り」で、日も陰って、涼しい風が吹き渡る好条件のもとであり、結構気持ちよく走ることができた。
もっとも走っている途中で、今日がゴミ出しの日だと思い出して、ちょっと焦ったりもしたものだが。
一汗かいて帰宅。時間がやや遅かったけれど、急いでゴミ出し。その後、シャワーを浴びて、一服。涼しいうちにと、二階の寝室で読書。ここは、午前中は、北からの風が吹き込んでくるので、エアコン扇風機も使わなくて過ごせるのでありがたい。ここ数日に、この時間帯に読んだ句集。木津柳牙『白鷺抄』、内藤吐天『雨滴声』、五十嵐播水『月魄』、大野林火『冬青集』。いずれも俳苑叢刊の句集である。既刊句集をまとめたもの、あらたに一句集として出すものなど、その性格は作者個々により異なるが、いずれも所載句数が300〜400句程度なので、時間をかけずに読むことができてありがたい。
それぞれの句集は、作者ごとの立ち位置や個性を反映した多彩さがあるけれど、同時にある種の郷愁をともなった「俳句らしさ」を感じつつ、気持ちよく読み通すことが出来て、それぞれに面白かった。郷愁という点についていえば、おそらくもうこのようにはある意味全人格的に俳句と対峙して自然と人事を詠んでいくことが難しくなっているのではないか、との思いをどこかに感じつつも、各作者の句の世界に浸る楽しさを味わうというような感覚なのだった(この感覚は、個人の歪みやひずみの反映のようにも我ながら思えもするが)。
もちろん、各作者を俳壇史のながれに位置づけて捉えなおしていけば、もっと詳細な特徴点とか共通点や相違部分などが見えてくることだろううし、古びた部分、先鋭の部分、あるいは古びないまま生きている部分(「郷愁」はこの部分に繋がっているようではあるが)などが、一層鮮明に見えてくることではあろうが。けれども。残念ながら、こちらにはそのような予備的知識はなし、そもそも明治末から大正、昭和の第二次大戦あたりまでの時期について、かなり幅広い層の作者群の様々な作品を読む、という機会それ自体を持たなかった者にとっては、なんとも漠たる印象・感想しか持ち得ないのが残念ではあるが。
とはいえ、読む機会を得たので、ともかくどんどん読んでいく以外にない、などとも思う。
一昨日、遮熱・保温効果のあるカーテンを一組買ってきて、パソコンをおいてある部屋(今、「日々録」を書いている部屋)に吊している。昨日は涼しかったので、その効果のほどがわからなかったけれど、今日さすがに午後になって気温が上昇してきている中で、部屋の中は暑くはないという状態である。普段なら、この部屋は家中で一番暑くなり、その暑さは夜中になっても落ちないくらいなのだが。どうやら、実際に効果があるようだ。効能書きには、遮熱・保温効果(ちょっと矛盾しているみたいだけれど、外からの熱は断ち、内からの放熱は押さえるということなのだろう)50%とあるのは、あながち過剰広告ではなさそうである。室内が薄暗くなるのが、難点ではあるけれども……。
【14年7月25日】
昨夜は、蒸し暑くて、本当に寝苦しい一夜であった。
夜になっても、気温がさほど下がらない状態であったようだ。
日中の気温が34度くらいだったけれど、普段なら夕方になると北よりの風が吹いきて、日が落ちると涼しくなってくるはずが、昨夜は風もなく、暑いままで夜を迎えた。
いつもなら、休む前に窓を開けて、夜気をとりこんで室温を下げてから、エアコンの除湿をかけて休むことにしているのだが、昨夜は窓を全開にしても空気の移動がなくて、室温がさがらないままエアコンで調整して寝に就いたのだが。
エアコンの人工的な冷気はあまり好きではなく、ある程度部屋が冷えたら、あとは扇風機をまわして、涼しいうちに寝付くという戦略をとるのだが、昨夜はそれもちょっと無理であった。夜中になんどか目を覚まし、念のため水分補給に台所に降りたりして、エアコンから扇風機と繰り返しながら、やたら夢ばかりをみるような睡眠をとる。
夜明け方になって、東の空が白み始める頃、再度あちこちの窓を開けて、夜気を取り込んでから、二度寝(というのだろうか)。5時過ぎに目を覚まし、本格的に起床。
朝は、涼しい。朝食を取り、コーヒーをいれておいて、「歩き」に出る。日が射しているところは、さすがに暑いので、片影を選んで歩くようにする。風はあるので、日にさらされないかぎりは、気持ちよく歩ける。
1時間ほど歩いて、帰宅。シャワーを浴び、コーヒーを飲んで、一息つく。
昨日は、午前中、NHKの俳句教室。1時間半ほどの講座だけれど、なかなか面白い。添削と講評中心の内容だが、俳句は型の文芸という点をきちんと踏まえた内容になっている。これなら、初心者も経験者もどちらも納得するだろうな、などと思いつつ、お話を聞く。
午後からは、和室に籠もり、エアコンを効かせつつ、文章の推敲作業を夕方まで。楽しい作業である。35枚くらいの内容を30枚に切りつめなければならない。
本日は、昨日の続きで、切りつめ作業。午後、母のリハビリの迎えと買い物。それ以外、特に予定無し、という一日である。
【14年7月23日】
星野立子句集『鎌倉』読了。最初の頃の素朴で素直で、その分清新な作柄が、途中から微妙に変質していくのが気になった。うまくなるとともに、その作者の持ち味が薄れていくようなそんな印象を持った。難しいものだと思う。
引き続き、日野草城『青玄』読む。草城の作品は後期から晩期の作が好きなのだけれど、この句集は単純に楽しんで読んだ。新素材を巧みに歌い上げ、大正ロマン、昭和初期のモダンという風な情緒を面白く詠み上げている。少々、おもしろ過ぎるかもしれないけれども。
西島麦南『金剛纂』読む。金剛纂とは「やつで」のことで、常に身近にあった植物を句集名に取り上げたそうだ。どちらかというと、古風な句柄。少々句材盛りすぎの冗長な句と簡潔で俳句らしい切れを感じる上手い句とが混在している印象。「雲母」の俳人とのこと。
加藤楸邨『颱風眼』読了。ここ二日ほどの間に読んだどの句集とも違う。ずいぶん近代的な、そして文学的な姿勢に貫かれたちょっと自閉的な鬱屈した内容の句が多かったような。その1句のみの鑑賞が困難な句も混じっていたような、句の背景、言い換えれば作者の境遇や生活とつなげて鑑賞することで、作品の内容が一層読む側に迫ってきそうな印象を持つ。それにしても、憤懣・憤りを詠った句がずいぶん多かった。
昨日は、半日読書、半日、文章書きで終わる。夜、昼間書いた文章を推敲。長かったので、半分に縮めて、できあがり。
木曜日。朝食を終えてから、いつもよりは遅い時間の「歩き」に出る。日焼け止めクリームを塗って歩く。日が射すと暑いけれど、日が陰ると西風が涼しい。
小一時間ほど歩き、帰宅。シャワーを浴びて、それから家中の窓を開けて、風を通すようにしてから、楸邨を読む。
読了後、8月上旬に数日京都に出かけるので、往復のバスの予約をメールで出す。最近はもう、電車は使わないでバスばかりになってしまった。
家の中を風が吹き通るけれど、それが次第に涼風から暖風に変わってきている。いずれ、熱風に変わりそうだ。
天気予報では、最高気温は33度くらいになるらしい。午前中は、エアコンなしでも過ごせるけれど、午後はもう無理という状態に、今日もなりそうだ。
夜は、合唱練習。男声ばかりのパート練習。先日の合同練習では、初めて女声を聞いたけれど、ずいぶんいい感じであった。
【14年7月21日】
梅雨が明けた。
朝は、高曇りの空だったけれど、時間がたつにつれ青空が広がり、強い日差しが照りつけるようになると、一気に気温が上がったようだ。
とばいえ、風も吹いているので、室内にいるとエアコンを使わなくても過ごせるほどの状態である。
ただ、昼過ぎくらいから一段と気温は高くなるだろうし、その時は1階の和室に引きこもって、エアコンを使いながら、ぼそぼそと作業をすることになるだろう。
昨日は、初めて川柳の大会に参加した。
選者の一人をつとめられるHさんから来ませんかとの誘いがあり、車で1時間足らずで行けるところでの開催だったので、参加することにした。
事前に句を準備しておき、会場では俳句同様投句用紙に作品を書き込んで、提出。各題ごとに選者が決まっていて、選をあおぐことになるようだ。
会場の大会議室はずいぶんたくさんの参加者が来ていて、驚く。川柳の愛好者はずいぶん多いのだなとまず感心する。
そして、俳句の大会に比べて、参加者が元気で、会場全体が明るく生き生きした雰囲気であることにもちょっと驚く。
この大会を楽しもうという気分が会場全体を満たしているようなそんな印象を強くもったものだ。
宿題は五つ。題と投稿句を紹介。
題「しなやか」−「しなやかに軽やかにかつ軽薄に」「爺婆の自在しなやかとは違う」。
題「きりん」−「つぶらな目はるか遠くを見てキリン」「こどもにはキリン大人には『麒麟』」。
題「動く」−「動き出したらもう止まらない止まらない」「動くもの皆動き終え残る闇」。
題「骨」−「尾てい骨残る尻尾を振るために」「骨太か焼いてみなけりゃわからない」。
題「脱ぐ」−「一枚を脱げば歯止めは消え失せて」「愚民相手に一、二枚ベール脱ぐ」。
かろうじて「尾てい骨」と「愚民」の句が選に入った。
それにしても、平選・準特選・特選と基準があるのだが、平選(並選というのか)でずいぶんたくさんの数を選者が取られるのに驚いた。他は各1句選。また、最後に選者が投句とは別に自作句を1句発表するのが新鮮だった。新鮮といえば、川柳大会には、他の○○大会にありがちな記念講演的なものが一切無くて、大会の中心は作品の選者による披講であるということだった。作品中心。しかも、発表された作品を参加者皆が、時には笑い、時には感心し、大いに楽しむというのは、川柳ならではなのかと思ったものだ。
連休の中日をずいぶん楽しく過ごした。
今日は、6時半くらいから「歩き」。その後、洗濯。涼しいうちに本を読もうと思ったのだが、実家から母が来て、雑談。テレビでは、「ロボコン」をやっていた。なかなか面白い。
その後、昼前まで二階で読書。午前中は北向きの部屋が風もよく通って涼しい。星野立子句集『鎌倉』を読み始める。
【14年7月18日】
金曜日。まもなく梅雨明けというせいか、天気は微妙。
とはいえ、朝は5時過ぎから軽く「歩き」。途中、少々腰が痛くなってくるが、やがて収まる。
高層雲が空全体を覆っているけれど、霊峰と呼ばれる山は、全容を見せている。なかなか立派な山容であると改めて思う。
コンビニまで足を延ばして、朝食などを買って帰る。大型店に比べると、コンビニの方が若干割高だということに気づく。というのか、選択の幅が狭い、ということなのか。
節約暮らしの日々、そのような点についても、気になったりするのだ。
午前中、句集を2冊読了。松本たかし『弓』、長谷川素逝『三十三才』。どちらも、複数の既刊句集から選録したもの。松本たかしは、20代の作をまとめたものというのだが、その情感表現や美意識に感心する。長谷川素逝の方は、どちらかというと即物的な表現を生かした句づくり。それは、戦場俳句や戦場となった中国大陸に生きる人々の描写としてリアリティーと迫力をもたらしている。どちらの作品も、世界こそ違え、俳句作品としての存在感を強く感じさせるものであった。なぜ、そのような印象をもたらすのか、そこがとても気になる。木曜日は、草田男の句集『永き午前』を読んだ。これも、既刊句集の撰集で、『長子』と『火の鳥』から選ばれたもの。草田男の初期の名句がてんこ盛り状態という句集で、とても読み応えのあるものであった。また、撰集ということで、句柄の変遷が窺いやすくなったせいか、受洗後、句が内容・表現ともに複雑さを増したように思われ、その分難解さを感じるようにも思えた。
午後は、夕方まで文章書き。原稿用紙で30枚か40枚くらいの文章を書き上げる。というのか、以前に途中まで書いて、そのままになっていたものを、この機会に一気にということでまとめてみた。内容は妙ちきりんなものであったが、書いている本人は大変楽しかったものだ。
この際なので、あと二つほど俳句とは直接関係はないけれど、文章を書いてみようかなどと思っている。
現在出そびれている『鼎座』に載せていた「夕影町」という短編小説は、この間最後の章を書き上げて、次に『鼎座』が出る時に載せようと思っているけれど、それ以外の文章は、発表のあてはない。自分の楽しみで書いているという性質の文章である。
全く、贅沢な時間の使い方であると思う。
昼前、洗濯物を干しておいたら、ぱらぱらと小雨が来る。急いで内に取り込む。半日、干しておいたため、洗濯物はすっかり乾いていた。暑いのはかなわないけれど、洗濯物が短時間で乾く点はありがたいことだ。。
今日の午後は、母のリハビリの迎えに行ったあとは、句作か文章書き。合唱の初めての男声女声合同練習があるので、夕方から市内まで出かけることになる。
総勢60名の合唱団。どんな練習になることか、楽しみである。
そういえば、今日は第1学期の終業式の日。明日から学校は、事実上夏休みに入ることになるのか、と思う。
早いものである。
【14年7月14日】
土曜日。丹後「すき句会」の日。
列車を乗り継いで、丹後まで。車中では、新聞を丹念に読み、その後は車窓から青田や新緑の山々や時折展開する海の景などを眺めながら過ごす。
身の内が緑に染め上がってしまいそうな気分になる。
車中吟で、これは面白いんじゃないかな、という1句を得る(句会では、岩城先生の選にも入ったものだ)。今回の収穫ではないか、とちょっと(自己?)満足である。
いつもの食堂で、岩城先生と待ち合わせて食事。句会メンバーのEさんも来られる。
3人で、しばらく四方山話。結社の話などお聞きしたりする。
句会は、1時過ぎから。宿題は「鰻」、当日の席題は、「青柿」。「青柿」は、Mさんの計らいで、先生宅の入口に写真入りで掲示されてあった。
句会は4時過ぎまで。本日の高点句は6人選が3句。「青柿」「立葵」「かちわり」の各句であった。
句会終了後は、岩城先生たちはビール。こちらは、自宅から駅までは車なので、さすがにごちそうになるわけにもいかず、残念であった。
Nさんに駅まで車で送っていただく。少し早めに着いたので、駅横の空き地で、たまたま涼んでいるらしい猫を発見して、観察がてら見て過ごす。
綺麗な猫で、どうも飼い猫のようであった。
乗り継ぎ、乗り継ぎで帰る。
夕方の列車なので、クラブ帰りらしい高校生諸君が乗り込んでくる。
楽しそうであるな、などと思いつつ、ちらちら観察したりする。
昼が長く、いつまでも暗くならない。
10時過ぎに帰宅。ちょっとお酒を飲んで、就寝。
日曜日。一日雨模様であった。
午前中に、短い文を書き上げ、近所のポストに投函。
午後は、竹下しづの女句集『はやて(風に立つと書く。漢字が見つからなかった)』を読む。大変面白い。パワフルな女流俳人である。たとえば、有名な「汗臭き鈍(のろ)の男の群に伍す」などという句を、「粘土層」などと呼ばれ頭の硬直化した東京都議会のセクハラ議員などにぶっつけてやりたい気分になる。
学生のための俳句雑誌『成層圏』を創刊するなど、指導者的資質に富んだ人のように思われる。
日常周辺を詠んだ句、日々の暮らしの中で時代背景としてある戦争に触れた句なども良い。
【14年7月11日】
台風が通り過ぎたせいか、朝から涼しい風が吹いている。
昨日、おとといの湿度の高い大気が一掃されたような気分でいる。
昨日は、あまりにじめっとした室内に、昨日初めてエアコンを使った。しばらくドライをかけると、なんとか湿気の不快感をまぬがれることができたものだ。
木曜日は俳句のカルチャー教室が午前中。新たに男性が一人申し込まれたようで、これで男が二人となった。
添削と講義中心の内容は、なかなか面白い。今回で7回目が終了。残りは5回である。今月は、そのうち2回が来週・再来週と集中して開講される。
午後は、実家にいって母の部屋の窓に朝顔の棚作り。朝顔はみるみる蔓を伸ばしてゆくので、これで梅雨明けの強い西日を遮ることが出来るようになるだろうと思う。
夕方、和室に籠もって句を作り、短文のねたを考える。なかなか良いアイデアが浮かばない。
夜に入っても、蒸し暑い。
寝室にもしばらくドライをかけ、冷えすぎると気持ちが悪いので扇風機に切り替えて就寝。
夜中に目を覚ますと、戸外に風の音と虫の音が聞こえる。
金曜日。ゴミ収集場所の立ち番を1時間。ゴミを捨てに来た顔見知りの人と立ち話をしたりする。出勤途中に車でゴミを捨てに来るお父さん方が結構多い。
曇天だけれども、北からの風はわりと乾いていて、気持ちが良い。
軽く柔軟体操をしたりしながら、当番をこなす。
今日は、午後から母のリハビリの送迎。あとは、いつもの通り読書・句作・短文書きの一日。
明日は、丹後「すき句会」の日である。暑くなりそうな気がする。
宿題は、いま話題になっている「うなぎ」である。
そういえば、二日前、近所の路上で、蓑虫を見た。
蓑虫をこの目で見るのは、おそらく25年ぶりくらいであろう。蛍よりももっと長い間、生きた蓑虫をみたことはなかった。自分でも「蓑虫を数年見ざる青き空」という句を作っていたくらいだ。その蓑虫が、蓑から半身を出しながら、路上をずるずると木のあるご近所の庭の方に移動しているのである。
蓑蛾(蓑虫)は、ほとんど絶滅したのではないかと思っていたので、こうやって生きて路上を移動している姿は、少々滑稽でもあり、感動的でもあった。
【14年7月8日】
夜中に目を覚まし(いつものことであるが)、台所に降りたついでに、空模様などみるつもりで外に出ると、遅い時間帯で周辺の明かりの影響が少ないせいか、帰郷して以来最高に視度の良い星空が広がっていた。
真上に横たわる天の川をはじめとして、輝度の低い星まで眺められて、満天の星空状態であった。折しも、昨日(すでに0時を過ぎていたので)は七夕の日で、9時過ぎくらいまでは雨が降っていたので、果たして二星の逢瀬はかなったのだろうか、などと思う。
とはいえ、星空の南の端っこ辺りでは、時折ぴかりぴかりと空が光っていたので、音は届かないまでも遠くの地では雷が発生しているようである。
昨夜は、合唱の第一回目の練習日であった。来年3月にフォーレの「レクイエム」その他を歌うので、そのためのパート練習であった。
7時から9時までの2時間。テノールとバスの団員各8人ずつ(とはいえ、実際は3人欠席であったが)で、「キリエ」と「サンクトス」をどんどん練習する。
以前の合唱団ほどに人数も練習時間も多くはなく、なかなかハードな進行になっている。
歌った経験のない曲であったなら、しんどいことになっていただろうな、と思いつつ歌う。
合唱は数年ぶりになるので、声は全くでない。とはいえ、歌うこと自体は楽しくて、気分良く練習は終える。
昨日は、午前中かかって、句集を送って下さった方にお礼状を書く。
矢野さん、平石さん。そして、第一句集『折紙』を送ってくださった山根真矢さん。
それにしても、句集『折紙』はさすが山根さんと思われるほど、良い句集であった。その多彩・多様な内容と表現は、広がりと奥行きがあって、俳句を読む楽しさを堪能させていただいた。きっと注目される句集になることだろうと思う。
午後からは、暑いさなかをつい庭木の剪定。実家から、長い枝切り鋏を借りてきて、脚立に立って、手の届かなかった処を一気に刈り込む。
気が付くと、大汗の中を2時間。よく熱中症にならなかったものだ、と思う。
これで、とりあえず剪定作業は一段落としようと思う。
その後は、シャワーを浴び、合唱練習のために、楽譜を繰りながらさっと流して歌ってみる。
相対音階程度の能力しかないので、どうしても音を低く歌ってしまうようだ(その方が楽なので)。
ちゃんとした音程は、実際の練習の中で確認するしかない、などと思いつつ、自主練習。
火曜日。ゴミ出しの日。昨日の剪定作業の枝を、無理矢理ゴミ袋に詰め込んで出す。
晴れていたと思ったら、急にさっと雨が降り出す。不安定な天気である。
超大型の台風が日本列島に接近している、その影響がすでに現れているのだろう。
【14年7月4日】
木曜日。半日、雨。九州では、豪雨となったらしい。
雨樋が一カ所具合が良くなくて、漏れるにまかせているけれど、今のところ仕方がない。
ただ、漏れる場所が悪くて、裏の洗濯干場の波板屋根に落ちるその雨だれの音が異常に大きくて(雨だれの音に耳傾けるなどという風情あるレベルではなくて)、しかたなく雨の落ちるあたりに即席のクッションを作って置く。その結果、だいぶん音が小さくはなった。
午前中は、ちょっと文章を書き、さらにM誌の投句作品をまとめて、送る。
昼は、カレーライス。これから、数食はカレーが続くことになるだろう。
午後は、読書。後藤夜半句集『翠黛』を読む。昭和4年の作「滝の上に水現れて落ちにけり」の句が掲載された句集。全体的に、表面上は穏やかで穏当で、一見平凡な日常諷詠の句群のようでありながら、しかし芯は強固な作りの句という印象が強い。平凡に流れず、ある種の感興を読者にもたらす句というのは、作れそうで作れない。感心する。
以前から読もうと思って買っておいた、大隈三好著『遠島 島流し』を読み始める。江戸時代選書の中の1冊。そもそも江戸時代については、ちょっと興味を持っていたので、その流れからの1冊であった。「島流し」の実体について、興味津々である。
その遠流の地のひとつであった某島の姿を、海のかなたに眺めやることのできる土地に暮らしているということもあるので。
金曜日。朝、雨は止んでいる。5時過ぎに「歩き」に出る。
外は、なんとなくなま暖かい。暖気が流れ込んでいるせいなのだろう。雨が心配なので、近場をぐるりと歩く。
帰宅後は、まず朝風呂。それから、カレーライスの朝食。
鍋の中には、まだ2食分くらいのカレーが残っている。
せめて、野菜をとらねばと思う。
「号泣議員」。最初に見たときは、まずびっくりして、それから呆れかえり、さらには不快感でうんざりする。
落選につぐ落選で、やっと議員の職を得たのに、自ら職を辞する他に今のあの人に(他人事ながら)選択肢は残されていないような気持ちになる。
「セクハラヤジ議員」の次は「号泣議員」であるか……。
【14年7月2日】
土曜日。京都へ。
素泊まりの安い旅館に早めに入り、時間まで休む。
値段の割にこざっぱりとしていて感じも悪くない。
宴会場までは、ここから歩いて20分ほど。
まだ暑さの残る中を、ゆっくり歩いて会場へ。分掌のやや遅めの歓送迎会。久しぶりに顔を合わせる人もいて、楽しい時間を過ごす。
早めに退席。同じ道を旅館まで帰る。そのまま、就寝。
日曜日。「醍醐会」へ。
時間がたっぷりあるので、蹴上周辺を歩き、初夏の京都の緑を楽しむ。
会場近くの小さな食堂で早めの昼食。オムライスが意外に美味しかった。
会が始まるまで、1時間ほど会場前の廊下で待つ。椅子があったので、腰掛けてもう一度話題にする句集などを読み直す。
1時半から始まる。今回は、飛び入りで大学生を中心にした若い人たちが8人参加する。結果、大人数の参加者となる。
5時まで、3人のレポーターの発表と質疑で、密度の濃い時間を過ごす。
私の発表は、少々微妙であったようだ。
終了後は、御池まで移動して二次会。いつも通りの気の置けない置酒歓談。
少々酔っぱらい、その分饒舌になったようである。
二次会で失礼して、知人のマンションへ。来客用の特別室に泊めてもらえることになり、案内してもらう。
2LDKのきれいな部屋。寝具や調理用具、電子レンジ・冷蔵庫、大型テレビなどが備品としておいてある。トイレも清潔で、バスルームはゆったりと広い。
これが1泊1500円というのは、大変ありがたい。
クーラーの効いた部屋で、ゆっくりと休む。少々、飲み過ぎ気味か……。
翌朝は、知人の部屋で朝食をいただき、今日は出社時間が遅いという知人としばらく四方山話。
その後、私はせっかくなので以前住んでいたマンション周辺を1時間ほどぶらぶら歩くことにする。
3ヶ月前までそこで(正確には6ヶ月前までなのだが)暮らしていた場所とはいえ、やはり自分とは切り離された場所という感慨が深い。建設途中であった向かいの7階建てマンションは、外装までできあがり、現在内装にかかっているらしい。
そのマンションに隣接して、数年後には介護関係を含む立派な病院もできるらしい。
いったん知人のマンションに戻り、そこから京都駅まで。
12時過ぎの高速バスに乗車する予定。
2時間ほど時間的に余裕があったのだが、荷物などあり、バスの待合所で本を読んで過ごす。
定刻到着のバスに乗り、京都を離れる。
火曜日。少々疲れが残っているようだ。
郷里でも、合唱をすることにして、その打ち合わせに近所の会社を尋ねる。その会社の社長さんが、今回の合唱の世話役の一人なのだ。
京都の某大学で、本格的に合唱に目覚め、以後40年間歌い続けておられるらしい。
応接室で1時間ほど、会の説明やら雑談やらして、帰る。
来週の月曜日の夜から練習が始まるらしい。楽曲はフォーレの『レクイエム』その他である。フォーレはすでに3回ほど歌ったことがあるので、歌詞の問題などなくてありがたい。
午後は、送っていただいた句集を読む。
矢野景一さんの句集『游目』。第3句集である。作者のこの世界に対する独特の感触が窺われる作が、大変面白い。
平石和美さんの句集『蜜豆』。本人を存じ上げている私としては、ちょっとおとなしめの作品が多いかな、と思う。職業婦人としての観点や感触の生きた作品が特に面白かった。
集団的防衛が閣議決定されたらしい。
「戦後レジューム」の解消が、一気に「戦前」的状況をもたらしたようだ。
詐欺事件が世の中で問題として取りざたされている中、それに近い形でことが進んだことについて、大変薄気味悪さを感じる。
一般的な意味合いで防衛力が必要ということと、今回の「集団的」防衛ということが、短絡的に(あるいは強引に)結びつけられてあるような。
また、今回の問題をややこしくしているのは米国との「関係」ということもあるような。
それにしても、これで軍事関係の予算はうんと積み増しされることになるのだろうな。どこかの政党の弁を利用するわけではないが、ますます医療・福祉関係は絞り込まれることになるのだろうか。
軍需産業は潤うか。これも第3の矢の隠し球、ないしは公言できない第4の矢ということになるのであろうか、などと。