日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【14年8月26日】
月曜日、夕方。小雨の中を、ピアノコンサートに出かける。ピアニストは黒田亜樹。コンサート自体は2部構成になっていて、第1部は黒田氏の指導している2人の学生(山口哉と珠奈の中学生と高校生の姉弟。珠奈さんの方は大きな国際コンクールを直前にひかえての出演だったそうだ)の演奏。第2部は黒田氏自身の演奏で、曲目はブルグミュラーの25の練習曲と「トルコ風ロンド」、そしてマーラーの「アダージェット」。
華麗を通り越して、超絶技巧風な演奏に圧倒される思いであった。黒田氏は大阪出身で、現在イタリア在住(であったか)。
パワフルな大阪のおばちゃんという印象であった。演奏の合間の、司会者とのちょっと掛け合い漫才風なトークも楽しかった。
火曜日。起床、朝食、「歩き」、帰宅後洗濯とシャワー、その後、読書(青木氏の著作)。昼食後、句作と気分転換に「歩き」。日差しは強いけれど、さほど暑くはない。帰宅後、読書。夕食。その後、送っていただいた遠藤甫人句集『水鳥』を読む。句集名にもうかがわれるように、野鳥の専門家ということで、鳥の句が多い。自選句より数句紹介。
「アンテナを揺らして鵙の猛りけり」
「小走りにまた小走りに浜千鳥」
「ぬばたまの湖畔に雁の声落つる」
「水鳥の聖域として人入れず」
夜は、早めに就寝するが、決まって夜中に眼を覚まし、1〜2時間は眠れぬままにぼっとテレビを見たりしている。
朝方の夢は、迷路にはまり込んだようなややこしい、それでいていかにも夢らしい夢であった。目覚めて、思い出してみると、ちょっと面白い。
水曜日。高曇りの朝。少し長い時間歩く。風が涼しくて、ほとんど汗もかかない。
午前中は、読書。青木氏の評論集を読了する。
40編の評論やエッセイはいずれも広い視野と深い洞察力に満ちていて、読み応えがあった。
それにしても、今日は朝から自衛隊の飛行訓練が休みなく続いていて、低空飛行で頭上を通過する飛行機の爆音がうるさい。
どうやら、同じ処をぐるぐる廻っているらしい。


【14年8月24日】
朝は高曇りであったが、昼前には小雨が降り出す。
突然の雷雨、などという状態にはならないと思うけれど、なんとも鬱陶しい天気だ。
天気予報によると、来週もほぼ曇か雨の天気のようで、時期的には残暑の候とはいえ、なんとも中途半端な陽気である。
昨日は、一日晴れ。暑かったけれども、時折吹く風は冷気を含んでいて、秋の気配を感じさせた。
午前中は、今度の「醍醐会」で話題にする青木亮人さんの『その眼、俳人につき』を読み直し始める。明治の月並み俳人の話が、従来の俳句に対する接近の仕方とは異なり、青木氏らしい視点での迫り方で、とても興味深い。
午後からは、地元の句会に初めて参加。京都から帰省した知人の紹介で、今回参加させていただいた。
ただ、厳密な参加資格を問わないということなので、今後ともこの句会には参加できそうである。
丹後の句会とは異なり、清記用紙を回す形式の選句なので(普通はこの形なのだろうが)、全部を見終わるのに少々時間がかかった。それ以降の披講や選者の講評などはとんとんと調子よく進んで、2時間あまりで終了。
参加メンバーは、初心者はおそらくおらず、経験者から熟練者レベルの方達であろうと思う。
句会終了後、選者の方達と近所のホテルの喫茶室で四方山話。地元の俳句事情や学校教育と俳句指導についてなどのお話を聞く。
高齢者を中心とした俳句人口は結構多いということなどもお聞きしたが、若い人がほとんどいないことなども、危惧しておられた。
小・中学校での俳句の取り組みが、高校段階でほぼ完全に途切れてしまうことにもその原因の一つはありそうに思われた。
実家に立ち寄り、犬の散歩などさせてから、帰宅。
シリアでの日本人拉致問題。解放交渉は進展せずという状態のようだ。今後、どのように展開していくのだろうか。民間の軍事関係の会社を作り、その下見として紛争国へ調査に出かけて拉致されたらしい。
それにしても、個人的に今回の出来事に対して単純に同情的になれないのは、以前同様な拉致事件(内容的にはかなり異なるけれど)の際の、当事者の自己責任論の立場に立つのではなくて、、被害者が戦争を商売の対象としているらしいことに対するひっかかりがどこかにあるからかもしれない。
折しも、日本が従来の方針を大きく変更して、国家として軍事関係の技術を積極的に米国中心に売り出そうとしており、結果として戦争を商売の対象としようとしている点と重なってしまって、あまりよい気持ちがしないのだ。
集団的自衛権の問題の余波を受けて、今後戦争をひとつのビジネスチャンスとして積極的に考えようとする人が日本にも登場し、今回のように紛争地域における拉致や紛争への巻き込まれなどが今後増えたりはしないだろうかと気懸かりである。集団的自衛権の問題は、色々な意味で経済の問題と結びついていることは自明なことだからだ。
それにしても、兵器も一度に大量購入すると、割安になるということは今回ニュースで知ってちょっと驚いた。
だから、どんどんまとめて購入しましょう、ということとは別問題ではあるけれども……。


【14年8月21日】
昨日は、珍しく雨の降らない一日であった。
暑さもさほどではなく、午前中は2階の寝室で、扇風機ひとつで本を読むことが出来た。平畑静塔の『俳人格』の続き。「不実論(虚構論とでも言う内容)」を終え、「虚子・茂吉研究」に進む。短歌と俳句の比較論。その中で、俳句の特質を探ってゆこうとする試み。「俳人格」や「不実論」の実証的研究という感じ。
難解だけれど、面白くもある。虚子の俳句に対する、開き直りのような、古くさい言い方だけれどコペルニクス的転回みたいな内容でもあって、それが面白い。
虚子から岸本尚毅へと続く道筋のようなものもちょっと窺われそうな気のする内容であった。
午後になると、さすがに暑くなってくるので、1階の和室に籠もって、エアコンを効かせながら句作。その後、読書の続き。
エアコンの冷気があまり好きではないので、途中どこか涼しいところはないかと、家内をあちこち移動して、風呂場に行き着く。
古い作りの風呂なので、床面も壁もタイル張りで、それがかえって涼しい。窓も北向きに一つなので、外からの暑熱も入って来づらい。
バスタブに腰掛けて、素足にタイルの冷たさを感じながら、30分くらい読書。温度的には快適なのだが、やがて腰が痛くなってきてやむなく退去。
和室に戻って、夕方まで読む。
夜。久しぶりの合唱練習。今日は男女の合同練習となる。市内の新装なった会館のロビーでの練習。
男声の参加者はテノール3、バス6という状態。女声はそれぞれ20人くらいずつ。練習曲の一部は男女が2声に分かれる部分などもあり、テノールの1stは独唱状態となる。上手だったけれども。
ソプラノ・アルトは前回初めて聞いたときに比べて、まるで違う印象であった。上手い。
京都の合唱団では4回くらいフォーレの「レクイエム」を唱った経験があるけれど、終曲のソプラノの文字通り天使の歌声については、毎回微妙に物足りなさが残ったのだけれど、今回はもしかするとそれが聴けるかもしれないとの期待を持つ。
木曜日。夜の明けるのが、明らかに遅くなって来ているのが分かる。
朝食後、30分ほど間をおいて、「歩き」に出る。昨日のことがあるので、歩きながら、呼吸法の練習をしたりもする。
1時間ほど歩いてから帰宅。水分補給をしてから、シャワーと洗濯。
あとは、いつもの日課。


【14年8月16日】
ここ数日、雨の日が続いている。
暑くないのはありがたいけれど、家内が湿気でじとっとした感じになるのは愉快ではない。
すでに、秋の長雨に入ったのかと思ってしまうほどだ。気圧配置は、まさにその状態ではあるけれど。
今日は、夕方から知人数人との小宴会。市内まで出ることになるのだが、車が使えないことが不便だ。
雨の中、最寄りの駅まで30分近く歩くのも、なかなか大変である。
以前一度読んだことのある、平畑静塔の『俳人格』を読み直し始める。
難しい。
俳句と生活の自然な融合の中で形成されるのが、「俳人格」と筆者の呼ぶ俳人の理想型であり、その体現者が高浜虚子であるとする説。
季語の中に生命のリズムを復活させようとする「優季論」。
原初的な生命力を創作姿勢の中に賦活させようとする「狩猟論」など。
難しい。


【14年8月11日】
日曜日。台風最接近が午前中ということで、昼前までは、雨・風ともに激しくて、2階の窓はシャッターを閉めたままで過ごしたけれど、午後になって急に雨・風ともにおさまって、そのままで夕方を迎える。
ニュースを見ると、京都では桂川が一部溢れ、鴨川も両側の歩道が水没するほどに増水していたようだ。
7日の夕方には、鴨川河畔の某中華料理店の川床で、岩城先生夫妻と夕食をともにしていたものだが。
一日、何をするでもなく、台風の経過をテレビで確認しながら過ごす。
途中、緊急地震警報なども流れて、台風の上に地震か、とちょっとびっくりもしたが、地震自体はさほどの規模のものでもなかったらしく、何よりであった。
昨夜、十分に眠れなかったせいか、眠くてしかたなくて、午前中と午後とにベットとソファーで仮眠を取ったりしていた。
珍しいことである。
月曜日。晴れたり曇ったり小雨が降ったりと、不安定な天気である。
暑くないことを幸いに、墓掃除に出る。2カ所を車で廻り、草むしりをしておく。
除草剤を撒いておいたせいか、雑草はほとんど生えていなくて、掃除は短時間で終了。
買い物をついでにして、昼前には帰宅。
今日は、母のリハビリの日。また、東京の姪が盆休みで帰省する日でもある。一日早ければ、飛行機は飛ばなかったようだ。
毎日が日曜日なのをよいことに、文章など書いては、あちこち応募などしていたのだが、一応予定していたものはすべて終わり、さて次の目標はと思っていたら、30枚ほどの評論を書いてみることとなった。以前、途中まで書いてそのままになっていたT氏という俳人について書いてみようかと思う。
ほとんど休刊状態になっていた『鼎座』も、10月までには次の号を出さなければならないので、そちらのほうの準備もすすめることとなる。


【14年8月9日】
台風は、まだまだ九州の東あたりを移動中のようだけれど、こちらはすでにかなり強い風が連続して吹いている。
本格的な接近はこれからなのだが、風・雨ともに相当厳しいものになりそうだ。
当初の予定では、今日まで京都にいて、単位互換制現代俳句講座のお手伝いをするつもりだったのだが、台風の進路の関係から、急遽昨夜のうちに高速バスで帰郷した。最悪の場合、帰ることができないという事態にもなりかねないと考えたので。今日の講座はどうであったろうかと思う。予想していたよりも、台風の影響は少なかったのかもしれない。
今回が初めてのお手伝いで、講座開催日の前日から京都に宿泊し、都合3泊3日の京都滞在となった。
俳句講座は、200名あまりの大学生が参加。龍谷大学の大教室のひとつが八分通り埋まるほどの盛況であった。
1日目は、入門講座からはじまり、辻田克巳・茨木和生・井上弘美各講師の講義。2日目は、午前中、宇治周辺の吟行、その後龍谷大にて句会と講評会。3日目は、持ち寄りの自由題2句による句会と講評会というのがごく大ざっぱな内容であった。
4日目は、彌榮浩樹・西宮舞・岩城久治各講師による講義が予定されてあったが、私は残念ながらそれを聴く機会を失った。もったいな、と思う。
俳句講座あるいはその終了後、偶然の再会を含めて、何人もの知り合いと出会って久しぶりに話をすることができて、個人的にも大層楽しい数日を過ごすことができた。
と同時に、各講師の講演や、吟行担当の方達の指導、また参加した学生諸君のちょっと生で新鮮な作品群にふれることが出来て、大変刺激的でもあった。
刺激がやや強すぎたせいか、本日は一日何をするでもなく過ごしてしまったけれども。
もし、来年もお手伝いする機会があれば、ウイークリーのマンションなど借りた方が、いろいろ便利で楽かもしれないとも思う。
それにしても、雲が一層厚みを増し、風の音がごうごうと聞こえている。霊峰と呼ばれる山の中腹斜面だけが、こんな荒天の中で見えていたりするのも、いかにも台風到来の前兆めいて見えるものだ。


【14年8月4日】
昨日は、ひさしぶりに一日雨模様の日であった。
半日かけて、送っていただいた俳誌『翔臨』を読み、結社誌『汀』を読む。
毎回のことではあるが、『翔臨』主宰竹中宏氏の句の読み込みには、圧倒させられる。今回の対象句は会員の小笠原信氏の句「白鳥三千羽みなこれ爆撃機」。該博な知識を背景に、そこまで読みとるか、と感心するばかりである。
『汀』誌。堀切実氏の評論も、毎回教えられることが多く、楽しみに読む。今号は、前回に続き石田波郷と葛西善蔵の俳句と小説とのジャンルの差を超えての「私小説」性についての論考。「主体」「客体」の両者の間を統べるものとしての「通体」という考えを用いて、私小説と俳句との共通性を思考していこうとするもの。直接表現されていようといまいと、俳句の背後には作者という主体の存在が前提としてある、という見解に対する、より文学的な視点からの論考のような気がしています。
昨夜は、地元の祭の最後を飾る花火大会が小雨の中開催された。
近くで見ることはとうてい無理なので、車で開けた場所まで移動して、雨が降っているということもあり、車の中から、小一時間行われた花火を見物していた。
6キロほど離れた処からの花火見物ではあったが、十分堪能でき、満足であった。贅沢な蕩尽という印象。大胆で、繊細の花火の美しさに、ちょっと花火職人の技能の高さと感性の豊かさにつくづく感心した。どこかの総理大臣のように、軍国国家に回帰するのではなく、このように洗練された文化の発信地としての国造りにこそ励んでほしい気持ちになる。
そういえば、集団的自衛権について、若い人の7割程度が危惧の感情を持ち、また説明不足を感じているというアンケート調査が今朝の新聞に掲載されてあった。
閣議決定という強引なやり方でことを進めてきた、そのやりかたにすこしずつほころびが見えてきているのではないか。無理を通せば道理が引っ込むという、強権的なやりかたが必ずしも通用しないということか。
明日から京都行き。大学間の単位互換制度の一環としての俳句の集中講義と吟行句会。その運営のお手伝いとして、京都に出かける。
ただ、9日に帰郷する予定なのだが、超大型の台風がそのころ本州に接近するらしく、はたしてこちらに帰ってこられるだろうかと気懸かりである。


【14年8月1日】
8月になった。毎日が日曜日状態に入ってから、すでに4ヶ月が過ぎたことになる。
働いていた頃に比べると、確かに時間の経過は遅く感じられる。同じような毎日の繰り返しという面があるので、その分遅く感じられるのだろう。
かといって、日々の進みが遅くて、その遅滞に倦むという状態でもない、というのが現在のところだ。
家事を行い、読み、詠み、書き、時に実家の用事を済ませ、俳句のカルチャーと合唱の練習に行き、そんな風にして毎日を送るうちに、気が付けば4ヶ月が過ぎたというところではある。
出るばかりで入ることがないので、支出をかなり切りつめているつもりであるが、税金・年金・健康保険・各種保険関係などで出費の半分くらいが占められていて、これらは切りつめようがなく、結果としてだいだい当初予想していた程度の支出状況となっている(実際のところは、予想以上にもう少し切りつめた生活が出来ると踏んでいたのだが、これはやや甘かったようだ。それにしても、赤字部分が俳句関係の出費というのはなんともこちらの予測ミスではあった)。
と同時に、力の入れどころと抜きどころのようなものも、なんとなく分かるようになってきた。
9月以降、収入のことも考えなければならないかとも思う。
本日も、かなりの猛暑状態である。とはいえ、昼近くまでは、涼しい風も吹き、日が昇って相当時間がたってから、1時間ほど「ジョギング」してきても、熱中症になるような気遣いはない程度の暑さではあった。
ただ、さすがに昼をまたいでぐんぐん暑くなり、現在戸外は34度近い温度ではあるまいかと思う。もっとも室内は遮熱カーテンに扇風機で間に合うような環境ではあるが。
それにしても、来週一週間はお手伝いでほぼ京都在ということになるのだが、京都も相当に暑いことだろうなと思う。期間中に、宇治への吟行など戸外での活動もあるようだし。
とはいえ、知り合いに出会えることや今時の大学生諸君の様子を目の当たりにできることが楽しみである。