日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【14年11月28日】
こんなお話を書いてみました。タイトルは「おおいぬのふぐり」です。

「意識が戻りましたよ。」
最初に私が聞いたのは、そんな言葉だった。そして、その言葉に促されるようにして目を開けると、眩しいほどの明かりを背景にして、何人もの顔が私をのぞき込むようにして見ているのだった。後ろの光が明るすぎて、私を見つめる人たちの顔が薄墨色にぼやけている。でも、その何人かの中に、私のお父さんやお母さん、弟の翔太の顔があることは、すぐに分かった。そのほかの顔は、私には初めてで、誰なのかわからなかった。
そんな中で、目にいっぱい涙をためたお母さんが、「まりか」と私の名前を呼んで、覆いかぶさるようにして私の頭を抱き、声を上げて泣き出した時は、本当に驚いた。
そして、もっと驚いたことに、そんなお母さんの肩越しに、天井で眩しい光を放っている大きな蛍光灯の横に、ほんの一瞬おばあちゃんの顔が浮かんで、次の瞬間、ふっと消えてしまったのだ。おばあちゃん。私は、呼びかけようとした。でも、口も舌もからからに乾いたようで、声は出なかった。
これは、後になって知ったことなのだけれど、私たちは学校からの帰り道に、後ろから来た暴走車に跳ねとばされたらしい。その車を運転していた人は、その時お酒か何かの薬物をのんでいたそうだ。そして、これはずいぶんあとになってから知らされたことなのだけれど、私と一緒に歩いていた真希ちゃんとあゆちゃんはその時亡くなったらしい。私は一番端を歩いていたので、車の側面にはじき飛ばされたようになって、私だけが助かったそうだ。ただ、飛ばされた時に頭をはじめ全身を強く打って、私は三日間意識を失った状態であったらしい。そのまま、意識が戻らなければ、眠ったままの状態になったかもしれないということだった。
真希ちゃんとあゆちゃんが亡くなったとお母さんから話された時、少しだけ私は泣いた。二人の死がそんなに悲しくなかったというわけではない。二人が亡くなったということが、私には実感できなかったのだ。病室が消灯時間になって明かりが消されて後、ほの暗いベットに横になった私は、二人がこの病院の別の病室で、今の私と同じように静かに横になっているような気がしていたのだ。
入院して数日後、体を動かす練習で、私は病院の中庭に出てみることにした。中庭は周囲を病室棟が囲んでいて、どの部屋から眺めおろすことができ、一度そこに行ってみたいと私は思っていたのだ。1階の廊下から、そのまま中庭に出ることのできる通路があって、私は外にでた。午後も遅い時間帯で、庭は建物の陰になっていた。わたしは、煉瓦敷きの歩道をゆっくり歩いていった。車に跳ねとばされた際、右肩を脱臼し、右足の足首を捻挫していたけれど、歩くことにさほど不自由はしなかった。庭の奥まったあたりで、私はそこにある小さな木のベンチに腰を下ろした。この時間に庭を歩いている人はいなくて、腰掛けたままわたしは何気なく周りを見回した。その時、ベンチから少し離れた一画に、小さな草むらがあって、ぽつぽつと瑠璃色の花がたくさん咲いているのが目にとまった。『おおいぬのふぐりだ。』とすぐに私は思った。それから、おやと思った。『なぜ、私はあの花の名前を知っているのだろう。』これまでの生活の中で、私はその小さな植物に目をとめたおぼえは一度もなかった。まして、その花の名前など、私は知っているはずもなかったのだ。私は、ベンチから立ち上がるとその花の方に歩いていった。そして、もっとよく見るためにその場にしゃがみ込んだ。『確かに、この花は見たことがある。でも、いつ?』さらに、私は息を詰めるようにしてその青い小さな花を見つめた。『おおいぬのふぐり。誰がその名前を教えてくれたの?』そして、思い出した。その花の名前を教えてくれたのは、おばあちゃんだ。そして、それは私が意識を失っていた数日の間に見た夢の中で教えてくれたのだ。思い出した、そうつぶやいた瞬間、私はその夢の中にいた。
私は広い草原の中に腰をおろしていた。周りは見渡すかぎりの丈の低い緑の草の野原だった。その草には、かわいらしい青い花が咲いていた。ここはどこだろう。私は周りを見回した。すると、目の前に一人の人が立っていることに気づいた。私は顔を上げた。そして、そこにいる人が誰なのか、すぐにわかった、それは、私の大好きなひとだった。「おばあちゃん。」私はつぶやくように、その言葉を口にだした。おばあちゃんはにこにこわらいながら、私を見つめていた。「おばあちゃん」私は、さきほどよりもっとはっきりした口調でそう声にだした。「まりかちゃん」と、おばあちゃんは答えた。「ひさしぶりね。」それから、おばあちゃんは私のそばに来て、草の上に腰をおろした。「大丈夫」とおばあちゃんは言った。私は、おばあちゃんの方を見た。不意に、私の両目からは涙がぼろぼろとこぼれ始めた。それは自分でもとまどうほどに、後から後からあふれてくるのだった。おばあちゃんに肩を抱かれながら、しばらくの間私は声を上げて泣いた。
私が小学校3年生の時、田舎で一人暮らしをしていたおばあちゃんは突然亡くなった。学校が休みのたびに、おばあちゃんの田舎で過ごすことを楽しみにしていた私は、おばあちゃんの死を知って、本当に辛かった。あまりに悲しくて、お葬式にも出ることもできなかった。初めてお墓参りに行ったのは、亡くなってから1年近くたってからのことだった。灰色の墓石を前にして、お花や線香をあげながらも、私はおばあちゃんが亡くなったことを実感することはできなかった。しかし、毎年の田舎での楽しい生活は、私から失われ、年に1度お墓にお参りすることだけが、私と懐かしいおばあちゃんとをつなぐ糸として残ったのだった。
「ここはどこなの」おばあちゃんと草むらに並んで座りながら、私は尋ねた。「ここは、まりかちゃんの夢の中よ。」そう、おばあちゃんは答えた。「夢の中だから、こうやっておばあちゃんはまりかちゃんと出会って話ができるのよ。」うん、と私はうなずいた。おばあちゃんは続けた。「でも、あまり長い時間はまりかちゃんとおはなしはできそうにないわ。」明らかに残念そうな口調でおばあちゃんは言った。「なぜ」私が尋ねると、「もうすぐまりかちゃんは目を覚ますから。」そう、おばあちゃんは答えた。それから、おばあちゃんはちょっとあらたまった口調で私に言った。
「目が覚める前に、ひとつだけお話しておかなければならないことがあるのよ。」「なに?」「お花の話なの。まりかちゃんが目を覚ましても、こころのどこかに覚えていて、ときどきは思い出しておいてほしい話なの。」「お花の話って。」「今、私たちが座っているお花。お尻の下にもしいているけどね。この花は、おおいぬのふぐりという花なの。」「おおいぬのふぐり。」「そうよ、青くて小さな花がたくさん咲いているでしょう。まるで緑の宇宙にちらばった翡翠色の星みたいに。」「うん、たくさん、きれいに咲いているね。」「この花は、こんなに小さくて弱々しそうに見えるけれど、本当はとっても生命力が強い花なのよ。おばあちゃんの大きなお尻にしかれていても、つぶれて死んじゃったりはりないのよ。」うふふ、と私は笑った。「おばあちゃんは、この花が大好きなの。まりかちゃんを大好きなのと同じようにね。」うん、と私はうなずいた。「ちいさくても、季節ごとに青い花をつけて、けなげに生きている。とってもすてきなことだわ。」「そうね。」とわたしは答えた。「おばあちゃんは、まりかちゃんにもこのおおいぬのふぐりのようにがんばって生きていってほしいなと思っているの。」「うん、もちろんよ。」そう私は答えた。「でも、なぜそんなお話をわざわざ私にするの。」そう言って、おばあちゃんの方をむくと、おばあちゃんは私ではなく、おおいぬのふぐりの緑の丘の向こうの方をみつめていた。それにつられるように、私もそちらの方を見た。
私たちから少し離れたところに二人の人影を私は認めた。それは、わたしたちと同じように草の中に腰を下ろし、私たちに横顔を向けるようにしてどこか遠くを眺めているらしかった。二人とも女の子のようだった。私は、確かめるようにその二人の横顔をじっと見つめた。あっ、と私は小さく声を上げた。そこに座っていたのは、お友達の真希ちゃんとあゆちゃんだったのだ。私は、二人に引かれるように思わず立ち上がっていた。すると、おばあちゃんが、私の手を引き、そこに座るように促した。「むこうにいる二人の女の子は、私の友達の真希ちゃんとあゆちゃんなの。」と私はなぜか小声でおばあちゃんに言った。「ええ。」静かにうなづきながらおばあちゃんは言った。「なぜ、二人が私の夢の中にいるの。」おばあちゃんはそれには答えないで静かな口調で言った。「もう、時間がないわ。まりかちゃん、目覚める時がやって来たみたい。」そして、座ったままおばあちゃんは私の両手をやさしく自分の手で包んで言った。「まりかちゃん、元気で生きてちょうだいね。小さなおおいぬのふぐりみたいに。」
おばあちゃん、と叫びそうになった瞬間、私は病院の中庭にいた。集中治療室のベットの上で、目覚める前に見ていた夢を、私は今、もう一度繰り返すようにこの中庭で見たのだった、おおいぬのふぐりの小さな草むらを目の前にしながら。
2週間入院して、私は退院した。その間に、私は私の身の上に起こったことや、お友達の真希ちゃんやあゆちゃんのことも全部知った。二人のお葬式に私は出ることはできなかったけれど、退院してまもなく私は二人の家にお線香をあげに行った。真希ちゃんやあゆちゃんの家の人に会うことは、とても辛いことだったけれど、しかし私はお友達のふたりにきちんとお別れをしようと考えたのだった。


【14年11月25日】
昨夜来の雨と風が、今朝も続いている。
気温は、思ったほど下がっておらず、今日も一切暖房は必要なさそうだ。
11月中は、暖房なし。重ね着で過ごし、12月に入っても、基本はその方向で、極力暖房無しで過ごしてみようと思っているが、しかし雪が降り出したら、それも難しくなるだろうと思う。
母の車の窓際に、鳥の糞が落ちていたので、なぜこんな所にと思っていると、昨日早朝、書斎から見下ろしにできる駐車場の、そこに置かれた母の車の窓際に、名前は分からないけれど小鳥がひらりと飛んできて止まり、しきりに窓をこつこつ嘴でつついているのを目撃した。おそらく、紫外線よけの張られた窓が外を写す鏡のようになっていて、やってきた小鳥がそこに映る自分の影に興味を感じて、窓をつついているのだろうと想像した。しばらく眺めていると、その気配を察したのか、ふっと飛んで行ってしまった。
先週土曜日は、午後から地元の句会へ。7句出句したけれど、ほぼ全没状態であった。以前、Uという結社の句会に参加したときも、同様に全没が続いたので、こんなこともあるだろうと思った。生活詠が中心の句が多く、日々の感慨を詠い込むという内容が主流であった。
私は、自然詠が中心で、その内容も今詠んでいるものなどは、私にとっては新鮮であっても、地元の人にとってみればごく身近な取り立ててどうということのない内容なのだろうと、思っている。そのうちに、自分独自のものが出てくれば良いが、と思う。
同時に、ほとんど詠まない生活というのを意識的に題材にして、句を作ってみようかとも思っている。学ぶべきことは、いろいろあると思う。
日曜日、月曜日、ともに読書と、ちょっと文章書きと「歩き」で過ごす。
壁の苔落としは、スプレータイプの薬剤が効いているようだ。水でこすり落とすだけでは、かえって苔の生える範囲を広げている面があるようにも思う。
庭は紅葉と落葉とが同時進行している。花水木と山法師はほぼ枯木状態で、いろは紅葉は紅葉のさかりである。垣状に植えられた山茶花は、ぽつりぽつりと赤い花が咲き始めた。一歩ずつ冬へと近づいている。
衆議院の総選挙が決まった。
個人的には、安倍政権の経済政策は「鳥食(とりばみ)」政策に思われてならない。「鳥食」とは、貴族が自らの喰い余りの食べ物を使用人達に庭に放り投げて分け与えるという恩情的行為のことを言う。まず大企業が潤沢になれば、おのずと中小企業へと波及効果が生じ、賃金も上がり、いずれ多くの国民にもその余波が及ぶであろうという発想に、ふと「鳥食」との共通点を感じてしまう。安倍政権が直接の政策対象としたのは、その「貴族」的存在のみだったように思われる。どこかの政党の議員がテレビで言っていたけれど、アベノミクスは「大企業と大都市と大金持ち」には多くの恩沢を与えたけれど、それ以外の部分には何の恩恵ももたらさなかった、というのは本当だな、と思う。ごく一部の、社会的影響力の大きい部分だけに的を絞った、偏った政策であれば、一見円滑にことが進んだように見えるのも、むべなるかなというところだ。その綻びは、次々露呈してきてはいるけれども。


【14年11月18日】
朝は良い天気だったものが、「歩き」にでかけようとするころには、どんどん曇り始め、歩き出して間もなく、雨が降りだした。
現在は、寒そうな雨が、結構本格的に降っている。
ヤフーの天気予報を見ると、雨雲の塊が現在通過中のようで、あと1時間もすれば、雨はあがるのではないか、とも思われる。
と思って、ねんのために確認し直すと、状況が変わっていた。午前中は、どうやら降り続きそうである。この、天気の定めなさが裏日本の初冬の特徴である。
なんとも仕方ない。
郷里の山は、すでに数日前から頂上付近を中心に雪が消えずに残っている。先週、母と紅葉を見に行った翌日に、二度目の雪が降り、それからは降っては少し融け、また降ってを繰り返しているようである。一歩ずつ冬に近づく実感がある。
朝夕もずいぶん冷え込んできている。こちらは暖房はまだ使っていないけれど、実家の方はストーブを出している。
暖房は主にエアコンで済ませようと考えているが、あまりに寒ければ、ちょっとだけ床暖房も入れてみようかと思っている。
ただ、電気代のことを考えると、床暖房は極力使わないようにしなければと思う。
石油ストーブは、今のところ考えていない。
さて、この家での初めての冬をどんな風にして送っていこうかと思う。
先週土曜日は、丹後「すき句会」の日。往復10時間の丹後通いにもすっかり慣れてしまったようだ。
「立冬の望」が宿題、「七五三」が当日の席題句であった。投句数が全部で80句あまりで、予選で選んだのが20句くらいあったので、7句に絞り込むのが大変であった。
「すき句会」の面白さは、いかにもその人らしい句があるのと同時に、この人がこんな句を、という作品が出句されることだ。メンバーが固定化されると、ある程度作品から作者が予想できたりもするのだが、時にそれが大外れしたりするのが面白い。
3時間あまりの句会が終わり、その後以前ならビールをごちそうになりながらの歓談だったものが、駅からの帰りに車を使うのでアルコールが飲めなくなり、Mさんが持ってきてくださったおつまみだけいただいて、残っている方達と岩城先生とのやりとりをしばらく聞いている。
4時半には退出。そのまま駅へと向かう。時間的には、少し余裕があるので、大宮町をぶらぶら歩きながら駅へと向かう。
駅近くに旅館があるのに気づく。マイクロバスが止まり、玄関のたたきにたくさんの運動靴が並べてあるので、どこかの学校の運動クラブの合宿かと思う。
帰りの車中では、ほぼ半分はうたた寝をして過ごす。朝が普段以上に早いので、帰りは眠くなるのだ。
日曜日。「ピアノフェスティバル」という催しを聴きに行く。今年初めて開催された催しで、地元のピアノ教室の生徒達の演奏会である。何人かのプロの楽器奏者や歌い手も招かれて、生徒の演奏の間に、ミニコンサートを開くという企画で、そこに甥も招かれたのだった。とはいえ、甥はピアノで伴奏を経験したいという生徒さんの希望で、手助け的に参加することになったのだが、さらにミニコンサートの中で数曲演奏する機会を与えられて、プロの人達との共演も経験することとなったのだ。
だから、私たちは生徒たちの演奏と甥の演奏と、そしてプロの方達のミニコンサートを楽しみにでかけたということになる。
なかなか楽しい演奏会であった。
月曜日。天気が不安定で、一日家籠もり。本を読み、ちょっと文章を書いて過ごす。
甥が夕方に帰るので、車で駅まで送る。
夜は、1時間ほどテレビを見て、雨があがっていたので、30分ほど近所を歩き、帰宅後、就寝。
「しし座」「おうし座」の流星群は、曇天のため見ることは出来なかった。残念である。
来月は、「おとめ座」流星群だったか。
天候がおぼつかない。


【14年11月12日】
昨日は、母の運転手として、その秀麗な姿から、地元の地名を冠してH富士と呼ばれる山へ紅葉狩りに出かけた。
時期的には、紅葉にはやや遅かったけれど、それでも展望好地といわれるK峠からの眺めは、本当にすばらしいものだった。
標高千メートル辺りまではゆったりと紅葉の裾野が伸び上がり、そこから急峻な南壁が岩壁を銀色に光らせながら、青空を背景に一気にそそり立って見える。
すでに何度も見たことのある秋の風景でありながらも、今年はひときわ鮮やかな姿に感じられた。
平日ではあったけれど、県内外からの観光客が、ひっきりなしに車でやってきては、絶景に賛嘆の声を挙げていた。
紅葉の山を背景に写真を撮って、それからさらに観光道路をたどって、本峰から連続する鳥にも見立てられる魁偉な姿の峰の中腹にある保養施設で昼食をとる。
奥まった場所にあるせいか、こちらはほとんど観光客の姿はなく、広い食堂で名物のおこわ飯などを食べる。
帰りは、行きとは別コースをとるが、途中道がわからなくなって、少々うろうろする。最後は、山裾を巡る高速自動車道に乗って、一気に帰宅する。
夕方まで天気は保っていて、夕景にシルエットになった山の遠景がきれいに見えた。
のどかに一日が終わるかと思っていたら、夕食時に口中に違和感を感じ、食事を中断して鏡でみると、頬の内側に小さな黒い腫瘍のようなものが見えた。
気味が悪かったのだが、特に痛みなどなかったので、そのまま食事を続け、かすかに痛みを感じたので、再度鏡で確認すると、腫瘍のようなものは潰れてしまったようだった。
今朝、念のために病院へ行き、診察をあおぐと、当分様子を見るようにとのことで、特に薬等の処方もなしで帰された。
口内炎ではないようだけれど、一体何だったのだろうかと思う。
天気は下り坂になるとの朝の予報だったのだが、その通り朝は青空も見えていた陽気が一気に曇から雨へと変わる。
午後は少しだけ文章を書いて、あとは李白詩集の下巻を夕方まで読む。高校時代に習い、自分でも教えたことのある「静夜思」や「子夜呉歌」など、ちょっと懐かしかった。
11月の「醍醐会」の連絡が届く。今月末の会では、東西比較文化美術史を研究しておられる稲賀繁美氏を招いて、お話を聞くという内容。俳句とは直接関係はないけれど、年に一度、別分野の専門家のお話を聞くという企画の一環であった。「日本美術表現にみる獣たち」というタイトルでの講演になるようだ。楽しみである。今月は、3日に続き2度目の京都行ということになる。今週末には丹後での句会があり、外出の多い、少々出費のかさむ月となる。


【14年11月8日】
終日曇天で、特に午前中は室内にいても肌寒いほどであった。
H誌の短い文章を書き終え、郵送する。
その後、母の通院と買い物とにつき合う。
母が、初めて新車を運転する。操作がいままでとちょっと違うけれど、運転自体は変わらないので、慣れればとまどいなく運転出来ることだろう。
治療の間、近所の大型雑貨店に買い物。
車の右斜め後ろが確認しづらいので、フロントミラーを大きめのものに変える。
100均で買った電卓が、机から落とした際にエラー表示を出し始めたので、代わりのもう少しましなものを買う。
100均電卓は、分解してみたらプラス電極から伸びる線のハンダが取れていた。絶縁テープで貼り付けて繋げてみようとしたが、結局上手くはいかなかった。もったいないので、丸型電池を抜いておく。ハンダとコテがあれば、簡単に直るのだが。それにしても、お粗末な作りであった。
遅い昼食の後、「歩き」に出る。
広大な干拓地の一画にJRAの場外馬券売り場の巨大な施設があるので、ついでに見物に行く。
施設寄りの第一駐車場は、数百台の車が停まっていた。敷地に設置されたマイクから、京都競馬の中継が大音量で流されていた。
道端に警備員がいたので、ちょっと話を聞く。
今日は、入場者は多くないとのこと。また、車の出入りが頻繁にあるが、それは馬券だけ購入して自宅でテレビ観戦する人達だそうな。また、まもなくG1レースとかが始まるらしいが、そうすると恐らく東京ドーム二つ分くらいはありそうな駐車場が満杯になるとのこと。
田舎とはいえ、思いの外競馬ファンというものはいるものなのだなと思う。
そういえば、最後の職場にも何人かの競馬ファンがいたのを思い出す。
その施設は、内海に面していて、そこにはヨットハーバーが作られ、何隻ものヨットやクルーザーなどが係留されてあった。
場外馬券売り場の隣がヨットハーバーとは。なんとも豪勢なものである。
海沿いに歩いて帰る。
途中の水路に、ずいぶん人慣れた白鳥のつがいが悠々と泳いでいた。
数日前に、この水路の別の場所で見かけた二羽とおなじ番なのだろうと思う。
1時間半歩いて、少々疲れる。ただ、空気が乾燥していたせいか、気温が低いせいか、まるで汗はかかなかった。
体重は、減りそうにもない。


【14年11月4日】
一日、快晴。
実家と自宅を行ったり、来たり。
一夏、母の部屋の緑のカーテンとなっていた朝顔の棚を回収。種はずいぶん採れたらしい。風船葛も、種採りは終わったけれど、こちらはしばらくそのままに。
母の部屋に隣接する洗面所の洗面台の水漏れがあるとのことで、出入りの業者の人に来てもらい、点検。排水パイプの一部に亀裂が入っているとのことで、とりあえず応急処置。
部品が入り次第、修理にかかるとのこと。
昼食後、自宅の外壁の一部に小さなペンキの剥がれがあり、ハシゴを持ち出してきて、その部分をコーキングする。とりあえず、剥がれが広がる事を防ぐ効果はある、と午前中に来ていた業者の人から話は聞いていた。
ここしばらくかかりっきりだった文章を、郵送する。
見直せば、その都度細かい部分での表現の粗が見つかったりしていて、修正を繰り返してきたけれど、このままでは埒があかないと、現時点で切り上げることとする。結社誌の3周年記念コンクールへの応募原稿だったのだが、400字詰め28枚で送る。
ともかくこれで一区切りとする。
郵便局で原稿を出し終え、ついでに夕飯の食材など買って、帰宅。文章書きに使った資料を、すべて書庫の方へ引き上げる。
書いたことは、もうきれいさっぱり忘れよう。
夕方、郵便来る。H誌から、ごく短い原稿の依頼がある。グッドタイミング、ということになるのだろうか。明日から、そちらの方に取りかかることにする。
昨日は、京都へ。大学時代のサークルのOB会。
宴会があるので、当然酒を飲むことになるため、高速バスの乗り合い場所までいつものようには車が使えず、普段より早起きをして、30分ほど歩いて近くの駅まで行き、そこから列車(電車ではない。ディーゼル機関車である)で、乗り合い場所の近くの駅まで行くことになる。
京都まで、高速バスで片道4時間半。途中の山中では、紅葉がきれいだった。
宴会時間にぎりぎり間に合う。参加者は11名。創作料理の店で、なかなか美味しい料理をいただきながらの歓談。
元々先輩後輩のへだての少ないサークルで、その雰囲気がそのまま生きている集まりなので、心やすくて大変楽しい集まりであった。
宴終了後、そのまま円山公園まで歩く。観光シーズンで、しかも3連休最終日ということもあり、四条通りも公園内も人人人……という状態であった。
こちらに帰ってから、大量の人の姿を見ることはなかったので、少々圧倒される思いであった。
円山公園の紅葉は、まだ少し早かったようだ。
それでも、京都の雰囲気を堪能して、解散となる。
帰りのバスの中では、半覚半睡状態であった。
帰着後、最終の電車には残念ながら間に合わず、久しぶりでタクシーを使って帰る。自宅がずいぶん駅から離れていることを実感する。