日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【14年12月31日】
大晦日である。
朝から、掃除。昨日の残りの部屋の掃除機をかける。
その後、少し文章を書く。今年の書き納め。
昼前、公設市場に、恒例の蟹を買いに行く。ところが、今年はいつになく蟹が高い。まず地元産など買えるわけがないので(何しろ蟹一ぱい2万から2万5千円)、カナダ産の冷凍物を買うのだが、それでも昨年の1.5倍から2倍くらいの価格になっているように思う。店の人に、今年は高いというと、そうですかねーとうそぶかれてしまったけれど。
これも円安の影響であろうか。とうてい人数分は買えないので、地元産のうんと安い蟹を数だけ買って帰ることにする。気は心ともいうことだし。
帰宅後、実家で餅つき。もちろん、電気式の餅つき器である。機械ながら、本当に上手に搗くものだと感心する。搗き上がったお餅を食べて昼食とする。
杵搗きなら二臼というのだろうが、こちらは電気式なので、二釜搗いて、お正月のお餅の準備は終了。
弟夫婦は、台所でふたりでおせち料理を作っている。二人とも、料理はびっくりするほど上手い。
午後遅く、ひどい雨降りの中、大きな雷が一度鳴る。雪起こしの雷であろう。今降っている雨は、夜にはいれば、雪に変わるだろう(そんなクリスマスソングもあったけれど)。
やがて、自家製とは別に、注文してあったお節料理も届く。
実家とは別に注文してもらっておいた分をいただいて、一端自宅に帰る。
夜はまた、実家の方で年越し蕎麦をいただく。
甥、姪も帰宅して、愛犬も含め、フルメンバーでの年越しの夜となる。

「日々録」をお読みいただき、お礼申し上げます。拙い身辺雑記ではありますが、すでに15年以上も書き続けてきたことになります。
個人的にも、社会的にも、今年は激動の1年だったとの思いがあります。
そして、来年が混迷の年にならないことを切望しています。
皆様にとって来年が素晴らしい1年となることをお祈り申し上げます。


【14年12月30日】
ここ数日は、比較的穏やかな冬日よりの日が続いている。
大掃除も今日までが佳境という状態で、それでも大体のところは終了した。
今日は、一日良い天気だったので、午前中いっぱい布団や毛布などを干し、家中の拭き掃除と一部掃除機をかけるところまで進む。
夕方には、入浴のついでに風呂掃除も終える。
明日は、普段良く使う部屋に掃除機をかけて、大掃除は終了する。
散髪は、丸刈りなので、毎回自分でやるのだが、今回はちょっと刈り込み過ぎたりして、かなり酷い虎刈り状態となり、やむなく実家で母に調髪をしてもらうことになる。
もう使わなくなった犬用の電動バリカンがあったので、試しにそれを使う。小さいのだが、大変良く刈れて驚く。
自宅の分は、文字通り「安物買いの銭失い」そのもので、最初は上手く行ったのだが、2回目3回目とだんだんきちんと刈れなくなってしまった。その揚げ句が、今回の有様である。
注連飾りも、一夜飾りは縁起が良くないといわれるので、すでに玄関に飾ってある。
ただ、庭に野鳥が良くやってくるので、飾りの橙が正月まで保つかが気懸かりではある。
一通り準備を終えてから、なんとなく、年末ということを実感し始める。
今年も、明日1日で終わる。


【14年12月25日】
今年も、あと1週間で終わる。時間の経過が、本当に早い、と思ってしまう。
今日は、1日雨が降ったと思えば、急に晴れ上がり、ということを繰り返して、夜になってしまった。
午前中は、ここしばらくずっと書きついできた文章を、ざっと推敲し終えて、一段落状態であった。
高校時代、原稿用紙100枚くらいの文章を書いたことがあったけれど、数十年ぶりにその2倍強の文章をまとめることができた。
内容は、いまひとつかもしれないけれども。それで、今年の書き納めということになりそうだ。
年賀状は、昨日のうちに印刷と一言書き込みを済ませ、本日ポストに投函済み。これも、一仕事終了という感想。
午後は、雨が降るのを前提にして、昔使っていた冬山用のゴアテックス製上着を着込んで「歩き」に出る。
ほどなく雨が降り出すが、かまわず歩き通し、やがて雨は上がり、日差しがぽかぽか照り出す。ゴアテックスの効果は十分証明されたようである。
この冬の「歩き」は、このスタイルになりそうだ。
そう言えば、先日、初めて古着を売りに出かけてみた。大掃除などで出たものを、実家の分も合わせて、袋二つ分くらい持ち込み。最初の店では、合わせて「50円」。あまりの金額と思って、別の店に持ち込むと、今度は「250円」。脱力しそうになったけれど、焼却に出すよりはマシと考えて、それで引き取ってもらう。
スーツなど、型は少し古いかも知れないけれど、品質はしっかりしたものだったのだが。誰かに着てもらえれば、もって瞑すべしということかもしれない。


【14年12月20日】

ガラ携のせいか、写真がピンぼけになってしまう。
昨日は、久しぶりで天気が回復。外での洗濯干しも出来るほどの陽気となり、夕方には、体重増加のせいもあって、「歩き」に出る。
近所をぐるりと一周するが、さすがに雪は完全には融けてはいなかった。写真手前の緑はニンジン畑で、その向こうの木立隠れに見えているのが、郷里の山。全山雪で、樹林帯の部分とそれ以上の標高の部分とが淡い色の違いになって見えている。四季折々の姿という言葉はあるけれども、冬の雪山の姿は、ちょっとこの世のものならずという壮麗な瞬間を現す時があって、こちらもしばらく目が離せないという状態になることがある。
故郷の山というのは、そんな瞬間に強烈に心内に刻印されるのだろうか、と思ったりする。
昼間はぽかぽあ状態で、思い切って、家中の窓を開けて、空気の入れ換えなどもしたが、さすがに日が沈むと、急に寒さが募ってくる。
夜は、和室に暖房とエアコンで籠もって、読書。清崎敏郎の『俳諧と民俗学』を読む。連句に終える「花・月・恋」の定座の問題や性格・内質の変遷と相違などについて、貞門・談林・蕉風を比較対照する中で述べている。例句なども、なかなか面白い。ただ、蕉風の特徴を、生活の実質を詠い込むという点に限定して語っているのは、背景にある民俗学的視点というもののせいなのだろうかと思う。
土曜日。
起床したのは、7時前だった。最近、起きる時間が、次第に遅くなってきている。やはり、あたたかい布団の中から離れるのが辛い季節のせいなのだろうか。
外は、冷たい雨が降っている。今日は一日雨の様である。明日からは、また雪になるらしい。
小渕議員の関連団体が、データの入ったハードディスクをドリルで破壊したというニュースが流れた。正直、びっくりした。この時期にそんなことしてたら、明らかな証拠隠滅と思われても仕方ないと思うのだが。関連団体は、必要なくなったので壊したといい、資金流用疑惑は滞りなく調査が進んでいるといっているらしい。その割に、いまだにまともな発表は行われていないが。それにしても、ドリルとは。絶対に、データ修復は不可能だろうし、データをなんとしても検索させないぞ、という強い意志を感じてしまう。しかし、それって両刃の刃で、調査が困難になる一方で、矛盾したデータを提示し、その点を突かれた場合に弁明ないしは調整する根拠も失って仕舞う危険性が増すのでは。どこか別の場所にこっそりコピーを隠蔽し、それがきっかけで、殺人が起こったりするのは、テレビのサスペンスドラマのパターンのひとつだけれど、今回また、殺人は起こるまいが、自殺者などでないことを願う。と同時に、そこまでやっても現役の議員に対して、調査の手は伸びない、あいまいなままに司法当局も自民党も事を終わらせようとするであろう、みたいな予測が、小渕側にも、あるいは司法や党側にも暗黙の了解的なものとしてあるのだろうか。
報道関係も、やたらお隣の国のナッツリターンばかり流していないで、もう少しまともに真面目にこの小渕問題についても、報道を強めてほしいものだ。
ただ、個人的には小渕議員には期待していたのだけれど。彼女を取り巻く地縁・血縁などを含む古い古い政治体質が、彼女自身を呑みこみ、のっぴきならない状態にまで追い込んでしまったような。それらをすべてを自らに対する力として背負い込んで、まさに「清濁併せ呑んで」議員としての活動を展開するというのは、ある意味驚嘆の念を禁じ得ない。


【14年12月18日】

昨夜来の雪が5センチほど積もりました。今は、庭もその向こうの道路も一面雪ですが、おそらくもう少し日が高くなれば、融けていくだろうなと思います。
全国各地で、今回の爆弾低気圧は被害をもたらしたようですが、この地域には特に被害はでなかったようです。
数年前の大雪の時には、電気鉄塔が途中で折れ曲がり、停電になるというような出来事がありましたが、今回はそのような非常事態にはいたらなかったようです。
気温は、マイナス1度。やはり寒いです。
今日も一日、厚着でやり過ごそうと思います。
昨日、所属結社から3周年記念の俳句賞・評論賞の連絡が届き、評論部門で最優秀賞をいただきました。
退職後、職には就かないで、文章を書き、本を読み、という生活を選択をしましたが、2ヶ月ほどの準備と執筆でまとめあげた評論を評価していただき、大変ありがたく思いました。
別結社の30周年記念誌にも、特別寄稿という形で、同じ時期に書いていた別の評論を掲載していただけることになり、そちらもありがたいことだと感謝しています。
また、ある方からの好意で、1年に1回ですが、俳句の選と講評を書くという仕事(ちゃんと賃金が支払われる!)を紹介もしていただきました。大変ありがたいことです。
この1年間は、今後の自分の生き方の種をまく時期と考えて、自分なりに努力をしてきたつもりですが、種が小さな芽を出したような気がします。
今年も、あと2週間で終わりますが、退職をして、後悔のない最初の1年を送れそうな気がしています。
あとは、年賀状を書かねばならない。レイアウトなどは、昨夜済ませているので、挨拶に添える俳句を1句考えなければ。


【14年12月17日】
爆弾低気圧の影響を、山陰地方ももろに受けているようだ。昨夜来、激しい風が吹き、今朝は地面がうっすらと降雪で白くなっていた。
ともかく、気温が低くて、朝は氷点下。初めて、居間の床暖房を3時間ほど使ってみたが、なんとも頼りない状態であった。なんとなく、寒くないかな、という状態で、その後は使わず。昼と夕方にエアコンを使うが、それ以外の時間帯は、厚着で過ごす。
一日中、風が強く、時折強く雪が降るという状態であった。
今夜も、似たような天候らしいので、明日は少しまとまって雪が積もるかもしれない。
外に出ることができず、室内で柔軟などしているけれど、体重がすこしずつ増えていて、困ってしまう。
食事は、摂らないわけにはいかないので、量と質を調整してはいるのだが、どうもあまり上手くいかない。
もう2週間ほどで、今年も終わる。普段なら、もう年賀状を印刷し終わっているのだが、今年はまだできていない。
毎年、シンプルなものをと思っているのだが、今年は輪を掛けてシンプルになりそうな気がする。
まず、年賀状を買ってこなければ……。
また、風が強まってきたようだ。カーテンがかすかに揺れているので、どこからか風が吹き込んでいるようだ。
こんな夜は、もうさっさと寝るに限るというような気分になってしまう。
『うづら衣』は読了。もう少し俳文関係を読んでみたいが、何がどこにあるのか、ちゃんと整理し切れていないのでよくわからない。
ナッツリターンが話題になっているようだ。韓国において、いかに財閥が傲慢不遜であり、一般庶民の反感を買っているか、というようなスタンスで、日本の報道機関もニュースを流しているようだ。ニュースソースがそうなんだから、やむを得ないのかもしれないが。韓国からの報道が、なんとなくここぞとばかり、妙な力みが感じられて、社会的制裁という以上に個人を追いつめているような気もしなくはない。お国の事情などがわからぬままの印象なのだけれど。それにしても、いまだに、「財閥」などという言葉が生きているのも、ちょっと驚きだ。日韓の翻訳の上での、意味合いの違いなどは、わからないけれども。


【14年12月14日】
日曜日。9時過ぎに投票に行ってきた。
京都在住時代には、投票場所が、歩いて5分ほどのところで、ちょっと行って来るという感じだったのが、こちらに帰ると車で走って10分ぐらいのところだったので、場所を探しながら、車を走らせる。これは、自家用車等なにか足になるものがなければ、投票も大変だろうなと思いつつ、それでも、毎回の投票率は島根県ほどではないにしろ、かなり高い数値を出すらしいので、その不便さがひるがえって投票意識の高さにもつながっているのか、とも思ったりした。
投票会場は、幼稚園を借りていたのだが、すでに結構な人数の人が、投票にやってきていた。
出口には、朝日新聞や地元の新聞が、出口調査をやっていて、アンケートに答えている人などもいたものだ。
この地域は、幸い降雪等なかったのだが、大荒れの地域もあり、投票率は前回と比べても、相当落ちるだろうなと思われる。
昨日は、丹後「すき句会」の日。往復の列車の車窓からは、終始降雪と沿線に積もる雪の情景が眺められた。
「枯薄」が宿題で、席題が「翁忌」であった。
雪の影響などもあり、今回は少し参加者が少なかった。
今回は、最高点句も含め、高点句を岩城先生の句が占めていて、さすがと思わせられる句会となった。逆に、岩城先生の選は、幅広く、面白い句を選んでおられた。
4時過ぎに句会は終了。その後は、いつもの四方山話。残られた方は、ビールなど飲まれ、こちらは車の運転があるので、ビールの代わりに涙を飲んで我慢する。
Mさん、いつもいつもおつまみを準備していただき、ありがとうございます。
駅まで、Nさんの車で送っていただく。今日は、岩城先生も早めに出られた。
駅舎で、しばらく先生とお話をして、私は5時過ぎの列車に乗る。今日は、時間通りの運行で、乗り継ぎも、慌てることなく出来てよかった。
片道4時間の車中。今日は、角川俳句賞歴代の受賞作を読んで過ごす。田中裕明氏や大石悦子さんの受賞作なども読むことができた。
良い、企画である。
駅へ着くと、雪の気配は全くなかった。車を運転して帰り、帰宅後はすぐに就寝。さすがに、ちょっと疲れていたようだ。


【14年12月12日】
今朝は、朝から雨もよいだった。寒気が入って寒くなるということだったが、思ったほど寒さを感じない。少し寒さに慣れてきたせいかもしれない。とはいえ、明日から明後日にかけては、山陰地方にも強烈な寒波の余波が及びそうで、雨が雪にかわるかもしれない。
車は、数日前にタイヤをスタッドレスに履き替え、冬の準備は終了。
庭はすっかり冬の様相で、山法師も花水木も、葉を落としてすっかり冬木状態となる。背景になる隣家との境の山茶花は、ぽつりぽつりと赤い花を咲かせている。
庭の落ち葉の始末は大変で、集中して掃除をしたが、40リットルの袋に5袋、総重量20キロ近くにもなった。一部は、腐葉土にするつもりで残してあるが、大半は市の焼却場に直接持ち込んで処分してもらった。処分費用は365円であった。
昨夜は、鴨鍋を食べる。毎年恒例のことで、決まった業者からの取り寄せで食べる。母のおごりのようなものであるが。
実家の方に行って、ごちそうになる。
野菜の量を増やして食べたが、たいへん美味しかった。その後、雑炊を作ってもらい、それも頂いたが、こちらも絶品であった。体も温まり、とても満足した。
14日は、総選挙の日であるが、日本列島は荒れ模様の天気になりそうだ。ますます、投票率は落ち、結果としておおかたの予想通り、与党の大勝という結果になるのだろうか。安倍政権の次の4年間が、継続される公算が非常に高いけれど、安倍政権維持のために使われた今回の選挙費用700億以上の損害負担を、いずれ「痛み」の名のもとに国民が背負うことになるのだろうか。




以下、書き始めたらずいぶん長くなってしまいました。話題が、ちょっと特殊でもあり、興味のない方は、以下読むのをカットしてください。

ここ数日の間に、株価はどれほど下がったことだろうか。株は、博打とは良く言われることだ。どんなプロであっても、次の株価の変動を見通すことは、不可能であるとも言われる。だから、リスク分散ということが、しきりに言われるわけであるが、そのリスクが取り沙汰されるほどに、株とは先行きの知れぬものであり、元本割れする危険性に満ちたものということだ。だから、株式購入は、その損の部分まで含めて自己責任ということが言われる。得をして喜ぶのもあなた、しかし、損をして泣きをみるのもあなたということだ。だから、経済的に余裕がなければ、株には手をだすな。手を出すにしても、余裕資金の範囲に留めておきなさいとは、体裁上、どの金融機関であっても、顧客に対して言う決まり文句である。
金を遊ばせるな、とは投資家や金融関係者などがしばしば口にする言葉だろう。遊ばせていても、金は増えない、という訳だ。しかし、「遊ばせない」ために、年金資金をグリンピアに投入して、莫大な損失を招いたのは、一体いつの出来事だったのだろうか。どの政権の時であったのか。そして、あの損失に対して、直接の責任を負った者は、官僚・政治家ひっくるめて、一人もいなかったのではないか。ただ、国民が全体で、「痛み」を肩代わりしたに他ならなかった。
そして、株に年金原資を投入するという。仮に、儲かったとしても、その結果、年金支給率が上がるわけではない。それどころか、年金資金自体がすでに数百兆円の規模で、絶対的に不足しているという者すらいるほどだ(これはもう、不足というレベルではないだろう。年金制度自体の破綻ということが言われるのも、全くの無根拠ではないのかもしれない。すると、年金財政は、いまある「なけなしのお金」を、どう安全有効に増やし、使って行くかを考える他ないという段階にあるにもかかわらず、その状態をなんとかギャンブルで打破しようとしているようにすら見えてしまう。最初から勝ちをねらったギャンブルは、ほぼ確実に負けて最悪すってんてん状態になるというのは、起こりがちなことだ)。
年金原資を株に投入するのは、一定程度の年金支給を、出来るだけ今後長期間にわたって維持する、ということを目的として実施されるらしい。ということは、長期的な見通しの上に立っての方策という性格を持つはずだ。ところが、国債ならいざしらず、株に長期的な見通しなど、はなから存在するはずがない。明日のことであっても、どれほど有能なアナリストですら正確に見通すことは大変困難なことであろう。まして、1週間先は、1ヶ月先は……。
もちろん、株は短期的に価格の変動があり、場合によっては、金融危機などによって、大きく価格が下落することもある。しかし、現にリーマンショック以降、株価はここまで持ち直してきたということが、株の安全性の証明としていわれてもいる。短期的な変動にのみ目を奪われて、長期的な視野でその変動を見るという視点を失うと、せっかくの年金の原資上乗せの好機を逸することにもなりかねない、というのだ。
しかし、それは今がそうだから、そのように言えるということに過ぎない。結果論だ。
そして、繰り返すが、この状態がいつまで続くか、それは誰一人として保証はできないものだ。株にあるのは、未来を誰も保証できない、というリスクの絶対的な大きさだ。
妙なたとえかもしれないが、人の死はリスクでもあり、しかしリスクではないともいえよう。なぜなら、人は必ず例外無しに死ぬので、その点から言えば死はリスクとはいえない。当然起こるべくして起こる事だからだ。ただ、問題は、いつ、どような形で死が訪れるか、そのことによって生の継続が侵害され、様々な利害得失がそこに発生する場合、それをリスクといえなくはない。
株には、必ず上がる、必ず下がるという保証がない。死との大きな違いである。上がるか、下がるか、という点について、未来永劫に渡ってその保証がないところに、リスクは生まれる。死以上にやっかいな性質のものと言える。
そして、そのリスクは、今日より、明日、1週間後より、1月後、1年後より10年後、という風に、未来になればなるほど、大きさを増してゆく性格のリスクである。そして、そのリスクが発生する可能性も、未来になればなるほど高まるという側面をもつものであろう。
すると、株価売買にともなう、年金原資の危機的状況も、未来になればなるほど発生する可能性、そのリスクは高まるということになる。言い換えると、年金運用の失敗によって、損害をこうむる可能性は、年金現役世代より、年金支給を待つ世代、その世代より現就労中の世代、就労中の世代では、より若い世代が、そのリスクに遭遇する可能性が増大するということにもなる。さらに、制度変更するにしても、当然準備と移行期間を含めて、実施面でタイムラグが生じ、その分より若い層に変更の直接的な影響はより強く及ぶことになるということも同時にあるということもいうまでもない。
それは、ある意味リスクを先送りする、より若い世代・層に、よりおおきなリスクの可能性を負担させることに繋がるのではないか、とも思われる。より若い人たちのための制度改革であるはずのものが、その若い人たちにリスクのより大きな可能性を背負わせることになるとしたら、それは制度自体の矛盾点なのではないか。
それにしても、株価安定が現政権の存否を左右する命綱のひとつとは良く言われることだ。だからこそ、膨大な年金原資を株に投入することは、株価安定の布石であり、そうすることで、政権自体の安定を図るというそのやりかたは、国民の税金を700億も使って、多くの国民自身がその意味や意義を理解できない盛り上がりに欠ける総選挙に打って出て、さらなる延命策をはかるというその構図と方法そのままの手法であるということになる。それは、現政権がその存立のために、国民全体の共有財産である税金、あるいは年金原資を個的目的のために流用することであり、それは国民全体にむけられた大義は存在せず、国民不在といわれても仕方がないことであろうと思う。
大多数の国民を恩寵の対象、おこぼれを乞う哀れみの対象と見なすような、トリクルダウンなどという「鳥食」政策や、株の売買に転機を見いだそうとするようなギャンブル政策を、国の経済運営の中心に置く現政権に対して、G民党に対する評価とは別に、個人的に危惧と嫌悪を抱かざるを得ない。


【14年12月10日】
郷里に帰って来てから、はやいものでもう12月も10日になっている。12月の山陰地方は、おおむね連日、曇天、雨、時に雪という天気が多いのだけれど、今日は朝の早い時間帯を除き、午後遅くまで良い天気であった。遠く聳える伯耆富士、大山は五合目辺りまでは、ここ数日で降り積もった雪で白妙状態である。森林に囲まれたスキー場も白抜き状態に見える。もっとも、まだスキー可能のほどには積もってはいないようだが。
通りを隔てた斜め向かいの家では、昨日から屋根の葺き直し作業をしている。足場が昇り降りのための一面しか設置されていないので、二階の屋根の縁辺りで作業している姿を見ると、こちらの方まではらはらしてしまう。責任者らしい人が、若い作業員に、あまり屋根の端まで行くな、と注意したりしている声も聞こえる。
昨日は、雨もよいの中の作業になったので、特に滑ったりしたら恐いな、などと思いつつ、時折作業の進行を眺めていた。
元の屋根を残して、その上に新たな屋根を設置するという工法なので、手間も時間もさほどはかからなかったようだ。今日の午後には、きれいに屋根の葺き直しが終了して、すてきな感じに仕上がっていた。手際よい作業で、見ていて面白かった。
『顔見世』に行かれた人からメールをいただく。1階席で見られたようだった。値段は高いけれども、2、3階席に比べると、臨場感がまるで違うと思う。あの「夢の世界」は、一度はまると、つい翌年もという気持ちになってしまう。ずいぶんと、楽しまれたようで、なによりでした。来年が、楽しみなのでは……。
明日は、雨。明後日以降は、どうやらまた雪が降りそうだ。今週末は、「丹後すき句会」の日だけれど、雪の丹後ということになるのだろう。ずいぶん寒くなるかもしれない。
午前中は、文章を書いてから、「歩き」。
午後は、続きを書いて、その後、母を病院へ迎えに行き、帰宅後、夕方まで『文選』を読む。『李白』に比べると、難しい。注釈と首っ引きで読む。
夜は、炬燵に入って暖まりながら、『うづら衣』を読み継ぐ。まもなく、読み終わりそうだ。今日か、明日くらいのこと。
俳文も大変、面白い。


【14年12月5日】
寒い日が続いている。
今日は、晴れたり、曇ったり、雪が降ったりを繰り返す変化のめまぐるしい一日だった。最高気温は一桁台で、室温も暖房を入れなければ、10度を切っていた。
昨日、今日と二日連続で病院へ行く。どちらも、検査で、格別な異常や変化はなく、一安心する。
体重が若干増えたことを除き、検査結果はいずれも、退職前より改善するか、良好な状態を保っている。
もう、十二月である。職を辞して以来、すでに9ヶ月が経過している。
季節的には、春から梅雨、夏、秋を経て本格的な冬に入ろうとしている。
初めて、一戸建ての家を持ち、かなり年期の入った中古住宅なので、新築のようにいろいろ便利な機能もなくて、各季節への対応を色々やってきたけれど、冬とどう付き合うのか、さらに様々試みてみたい。
最初の一年間は、ある意味この家とのつきあいの一年であり、その過程で自分なりのライフスタイルというものが、形作られていくように思われる。
午前中は、病院。午後は実家に顔出し、その後は、和室に出したこたつに潜り込んで、『うづら衣』の前編を読了。後編に入る。戯文的な内容が濃いけれども、その背景には豊かな古典的知識が息づいているのを感じる。この、共通の文化的土壌が、俳諧の世界を支えてきたとは良く言われることだけれども、そうなのだろうな、と改めて思う。
角川の『俳句』を購入する機会が減ったけれど、そんな中で11月号の『角川俳句賞のすべて』は、価値のある付録であった。60回にわたる俳句賞の入選作と講評の抜粋を載せたものだけれど、資料的な価値も含めて、大変意味のある冊子であった。最初から、少しずつ読み進めているが、大変面白い。
毎号、このような好企画が準備されていれば、『俳句』は購入する価値が十分ある、と思う。
京都は、『顔見世興行』が始まっている。知り合いの人からも、観劇に行くとメールがあった。京都の最後の数年は、決まって年末に母と一緒に『顔見せ』を観に行っていた。数時間におよぶ夢の世界、という印象が毎回の観劇を通じ『顔見せ』には残っている。
恐らく、もう行くことはないと思うけれど、京都の良い思い出のひとつとして、あとまで残ることだろうなと思う。


【14年12月2日】
昨夜から今朝にかけて、猛烈な風が吹く。なまじ、台風よりも激しい風だったように思う。
屋外で、何かが倒れる音や、割れる音が聞こえて、真夜中なのに、念のために外にでてみたりもした。
雨はほとんど降っていない。ただ、風だけである。
朝、天気予報では最低気温が相当下がると言っていたのだが、思ったほどでもなかった。それでも、室温が10度である。
ただ、重ね着をすれば、さほど寒さを感じないので、暖房は一切使わないで、午前中を過ごす。
昼近くなって、室温が9度に下がる。外をみると、ちらちら雪が降っている。平地での初雪である。やがて、短時間、横殴りの降りになる。
午後、さすがに寒くなってきて、和室にこたつを用意する。
数年間、使っていなかったので、どこか断線していたり、ショートしたりしないか、心配だったけれど、大丈夫そうである。
午後は、その炬燵で暖をとりながら、『鶉衣』を読む。俳文である。
タイヤを冬用に履き替えた母の車が帰って来る。私は、うかうかしていて、本日タイヤを注文する。まだ、しばらくは大丈夫だろうと思う。
夕方、炬燵に入っていても、背中が寒い。
外が暗くなり始めるころ、読書中断。
風呂に入り、暖まる。
暗くなってから、また風が強まってきている。
日曜日。『醍醐会』に参加するため朝のバスで京都へ。高速バスは、10人足らずの乗車であった。
本日は、講演会で、国際日本文化研究センター教授の稲賀繁美氏の「翻訳」に関わるお話を聞く。美術史における「翻訳」というものの影響という視点での講義であった。該博な知識を背景としたお話で、かなり難しかったけれども、興味を引かれるものだった。
今夜は、京都泊なので、二次会にも参加する。
隣り合った人達と、なぜか宗教の話で盛り上がったりする。
雨の中、参加者と別れて、知人のマンションへ。大きなマンションで、ゲストルームが設置されてある。そこに泊めてもらうことになっている。
まずは、知人の家に。そこで、6時過ぎから呑んでいたというT氏と、さらに一献。いろいろな話が、どんどん出てくる。
10時前に、お開き。ゲストルームに向かい、そのまま就寝。それにしても、立派なゲストルームである、と毎回感心する。
月曜日。知人宅で、朝食を頂く。T氏は、本日も講義があるということで、食後出勤。こちらは、一度部屋に帰って一休みしてから退室する。
京都は雨である。午後のバスの時間まで、美術館に行こうかと思っていたが、雨のため、足が鈍る。
12時過ぎに1本早いバスがあるので、それに予約変更をして、その後、東本願寺、そしてこの時期の名物である京都駅ビルのクリスマスツリーなどを見学する。
高速バスは、全く滞りなく走り、ずいぶん早く到着。
帰宅後は、早めに就寝。やはり、少々疲れていたか。
その後は、猛烈な風であった。