日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【15年6月30日】
微妙におかしな体調が気になったので、月曜日病院へ行く。検査を受け、結果自体は特に問題なく、1ヶ月ほど経過を見ながら、その後対応していくという事になった。
予約無しで行ったので、朝の8時から昼12時近くまで時間がかかった。
おかげで、江藤淳の『漱石の時代 第一部』を、待合室のソファーでほぼ読み終えることができた。
文学者夏目漱石ではなく、時代の動きの中に生きる夏目金之助という一個人に焦点をあてて評伝を進めている。その点が、新視点ということで評価が高かったのだろうと納得した。手紙や、そしてかなり自由に文学作品を引用したりして、論を展開している。手紙は、事実の生な反映としてかなりそのまま活用できるだろうが、文学作品には文学としての装飾や虚構的要素が複雑微妙にからまってくるので、その処理の仕方がなかなか大変なのだろうと思った。
曽根毅という人から句集『花修』を送っていただく。第4回の「芝不器男俳句新人賞」を受賞した方の第一句集ということだった。俳人O氏の評があって、そこで触れてある点が、私自身感じていたことと共通していて、ただその評価の方向が逆であった点がおもしろかった。原発事故がらみで、その用語がかなり生なままで用いられてある点について、O氏は逼迫する状況の反映と恐らく作者の切実な問題意識ををそこにみ、私自身はその生な部分そこだけ言葉として浮き上がって感じられ、いわば非常に「詩」的要素の濃い曽根氏の句柄にある種の違和としてあることが気になったということになるのかもしれない。数年前の「角川俳句賞」で『福島』という連作が受賞した際の違和感に近い物を感じもした。俳句は、写生を基本にするとはいえ、あまりにも生な現実には対応しきれない部分があるのかもしれないとふと思ったものだ。生な現実にそのまま対応できないと言う点に、曽根氏のような手法は逆に一つの生面を俳句に与える可能性を孕んでいるといえるのかもしれないけれど、今回の場合は、言葉が生、言い換えると曽根氏的な詩的世界にまでその言葉が昇華されきっていないということなのかもしれない。
俳句より事実は重い、俳句と事実は等価、事実より俳句は重い……みたいな、図式的発想かもしれないけれど。
なかなか興味深い刺激的な句集であると思った。
ギリシャが大変なことになっているようだ。


【15年6月27日】
体調が微妙におかしい。中高年の男性の更年期障害なのかもしれない、とふと思う。よく分からないけれど。
天気は一日、なんとか保つ。降雨はそれ自体が、気分のありように影響をするようだ。
午後、句会に参加。ここ3ヶ月投句がほぼ全没状態(誰からも感銘句として選ばれないこと)が続いていたが、本日は投句各句について、ほぼ残り無く選句していただけたようだ。
少しずつでも認知されるような方向を念頭に置きつつ、自分なりの句を模索していかねばと改めて思う。
夕方からは、コンサートに出かける。一家総出という状態である。
2時間ほどのクラシック音楽のコンサート。グリーグとチャイコフスキーの作品であった。
プロの演奏というわけではなかったけれど、大変感銘を受ける。
帰宅後、浅酌。
自民党の劣化ということをつくづく思う。元もと自民党は保守政党とはいいながら、右から左までの豊富な人材を誇っている面があったのだ。
現在でも主要な立場につく人は、それなりに力量を備えた人物達のようであるが、それ以下はまさにぼろぼろ状態だ。理念も見識も吹き飛んでしまった。
極端な右より政策(しかしそれは、実際には対米追従政策なのだが)が、安定多数という現状の中で、次々と綻びをみせているようだ。


【15年6月25日】
蒸し暑いながらも、一日天気は保ったようだ。今夜半あたりから雨が降り出すらしい。明日、明後日、明々後日辺りまではどうやら雨降りらしい。
明日は、夜に「第九」の練習、明後日は、午後句会、そして夕方から小さなコンサートを聴きに行くことになっている。どうやら、どちらも雨降りの中ということになりそうだ。
江藤淳の『漱石とその時代第一部』を読んでいる。返却時期の関係で、途中から中飛ばしをして、漱石と正岡子規との交友に触れる部分を読む。
いつもならば、正岡子規の視点なり立場なりで、漱石との関係が語られるという内容の文章を読むことが多いので、全く逆に、漱石の側から語られるというのは、同じような資料が利用されているとはいえ、ずいぶん異なった視点が提供されていて、面白い。
漱石は、子規に対してずいぶん深い友情を感じるとともに、彼のありように対してかなり厳しい視点や態度で接しているところがある。
特にものを書くということに対しては、子規の認識の甘さや態度の不徹底さに対して、ずいぶんずけずけと、しかし本質的な問題提示をしていたりする。
それが読む方には面白い。
「歌合」も引き続き読んでいる。ずいぶん豪勢な「遊び」ということを再認識もする。一節に寄れば、1度の「歌合」の準備万端を含めて、現在の価格で億に当たる費用が費やされた「歌合」もあったらしい。その内容についても、中には「貝合」にからめた「歌合」を行ってみたり、なぞなぞ遊びをそのまま取り込んだようなものまであったりする。
題を勘違いして作った歌を提出したり、読み手が読む歌の順番を間違えて勝負が無効になったり、というようなハプニングが時には起こったりもするようだ。
なかなか興味深くも面白い。


【15年6月24日】


鳥取砂丘の画像をもう2枚。左の方は、パラグライダーの練習写真。地元の大学生のようです。右は、馬の背という砂丘の一番高い所です。よくあるアングルですが、代表的な砂丘の風景ということでもあります。
当日は、外国からの旅行客が団体でやって来ていました。海を望める大きな砂丘というのは、一見の価値は十分あると思います。私も、数十年ぶりに大砂丘を眼前に見て、大きな変化がないことに驚きました。
昨日、今日と良い天気だった梅雨の中休みも終わりらしい。夕方になると、雲が広がり、ぱらりと小雨が降ったりしました。2、3日は雨模様の天気になるようです。それにしても、湿度は晴天に関係なく高かった。


【15年6月21日】
 。 

日曜日。俳人協会鳥取支部の句会に参加。車を1時間半走らせて、鳥取砂丘で句作。その後、市内に引き返し、午後から句会。
俳人協会からは、結社「T」の主宰のN氏を迎えての講演会と句会。珍しく、作に対して記念品をいただく。
写真は鳥取砂丘。前日、雷雨と豪雨で大変だったのが、日が変わると、どうにか落ち着いた一日となる。
観光客の数は多くはなくて、ゆったり砂丘を楽しめた。
面白そうなメンバーがいて、地元で超結社的な句会ができればとふと思う。
前日が、丹後「すき句会」で、一日を終え、翌日が砂丘吟行会ということで、さすがに少々疲労気味。
お酒を飲んで、今日は本当に早く休もうと思う。
それにしても、本当に楽しい2日間だった。
家に籠もって、本を読んでいるばかりでは、ダメだな、と改めて思う。
とはいえ、今月は残りの日々、ごく地味に過ごすことになる。


【15年6月18日】
昼寝を取り入れることにした。
朝が、4時過ぎ起床ということで早く、夜はできるだけ早く寝ようと思うのだけれど、昼歩けなかった分を夜補うというパターンになっているので、そうそう早く寝ることもできない。夜中に必ず1度は目が覚めるということで、昼食後読書を再開しようとしても、つい眠くなってしまう。
眠いのを我慢しながら本を読んでいても、理解の度合いがぐっと低下してしまうので、思い切って昼寝をすることにした。
とはいっても、明るい最中に眠るという習慣は全くなかったので、ともかく横になっていようということで始めたら、いつの間にか2、30分眠っていたようだ。
本人には、眠っていたという自覚はなかったのだが。それは、当たり前かもしれない。
ただ、そうすることで、午後の読書の状態が一気に改善されたように思う。短時間でも、昼寝することは重要なことだと、初めて知った。
本日も、午前中に読書と文章の推敲を終え、昼食後、昼寝に入る。
30分くらい眠ることができたようだ。そのまま、午後の読書に入ろうとしたが、たまたま点けたテレビが国会中継をやっていたので、ずるずると見てしまう。
年金データ流出問題を主に扱っていたのだが、参考人として呼ばれた年金担当のトップの人物の表情が以前とずいぶん変わっていたので、やっと事態の重大さが飲み込めたのかと思う。
最初に謝罪会見で見せたほとんど傲慢という態度や表情がさすがに今回はなかった。
マイナンバーの運用も、簡単にはいかないだろうなと、討論を聞きながら改めて思う。


【15年6月17日】
庭の植木の間に、蛇を見つける。まだ若い蛇で、交錯した枝だの間に身を延ばして休んでいる風情だった。
そのままにして置くわけにもゆかず、棒きれで枝を叩いて、退散してもらうことにした。
蛇については、実は床下に蛇の抜け殻を見つけたことがあり、縁起物と思って、そのままにしてあったりする。
暑くなると、縁の下に入り込んでくるかもしれない。青大将のようであった。
近所で、庭手入れをしている人と話をしていたら、たまに見かけることがあるとのことだった。
ヤモリなどがいるので、それを餌にしているのかもしれない。
正宗白鳥の短編『毒』を読了。自然主義文学の典型的な作品のひとつなのだろう。不倫と横恋慕というゴシップレベルの内容が、あまり上手とは言えない文章で延々と書き綴られていて、読むのに少々苦痛を感じた。登場人物の誰にもまるで共感を感じなかったことも、珍しい。つまり、そんなところに日常生活に潜む生活の本体が描写されている、ということになるのだろうか。
日差しは暑いけれど、風は冷気を含んでいる。ちぐはぐな陽気である。
『荘子』を読み続けているけれど、時折現在の世相に対する風刺的内容として読みとれるようなところに出会ったりする。引用してみたい気もするけれど、長いので止める。


【15年6月16日】
土曜日。結社『H』の記念祝賀会に出席。懐かしい人達に出会えて、大変楽しい集まりだった。
会自体も、狂言『鬼瓦』の上演や、音楽関係のパフォーマンスなどが企画された、出席者に対する心遣い満載の内容で、祝賀気分が一層増すような華やかで素敵な集まりだった。
閉会後、岩城先生と竹中さんと、ジャズ喫茶に行き、ジャズを聴きながら、11時過ぎまで、俳句にまつわる話をする。楽しい。
水原秋桜子と高浜虚子の関係について、考えさせられたりした。
その日は、会の方で用意していただいたホテルに宿泊。ずいぶん豪勢なところであった。
翌日は、昼の高速バスで帰る予定なので、ゆっくりホテルで朝を過ごして、近くで催されていたフリーマーケットをぶらぶら覗いてから京都駅へ。
12時過ぎの高速バスで帰る。車中では、祝賀会の引き出物の一つとしていただいた、結社『H』の主宰T先生の雑誌巻頭言をまとめたものをずっと読んで過ごす。T先生の言葉は、私にとってはとても刺激的な内容を含んでいる。大冊であるけれど、しばらくは読書の書籍に含めて読んでいきたいと思う。
夕方帰宅。少々疲れたので、早めに就寝。
月・火と相変わらずの生活。
月は、ちょっと体調を崩す。飲み過ぎだったか。しかし、ほどなく回復して、夜はモニターの内職を終え、そのまま久しぶりに『第九』の合唱練習に参加する。メンバーの中に、小学校時代の吹奏楽の顧問の先生がおられて、同じくベースパートで一緒に歌う。奇縁といえば、奇縁ということになるのだろう。
火曜日、朝。4時過ぎに起床。7時からモニターの内職。2時間ほどかかる。市内の図書館に江藤淳の『漱石の時代 第一部』を借りに行く。ついでに、向かいの美術館で開催されている市の美術展を見学する。知人の書家の作品が出品してある。
洋画と書道はかなりレベルが高いと思う。日本画と工芸はいまひとつ。写真は、なかなか難しいかも、と思う。
そういえば、土曜日京都に行った際、美術館『えき』で催されてあった宮脇綾子のアプリケ芸術の展覧会を見た。大変印象的だった。


【15年6月11日】
雨が降ったり、止んだりの一日。夜に入って、まだ雨が少し残っているようだ。
明日、明後日はどうやら天気は回復するらしい。
土・日と京都行き。結社『H』の記念祝賀会に参加の予定。外の世界に触れておくことも大切、と改めて思う。甥っ子の占いの実践でもあるか。
往復ともに高速バスを利用。もう、JRを使って京都へ行くということが、全くなくなった。バスの方が、時間はかかるが、安くて楽である。
今月は、外出は来週もう一度。丹後の句会がある。外の空気を吸う良い機会である。
今日も、いつに変わらず、読書と推敲と句作の一日。違ったところと言えば、京都行きに備えて、自分で散髪したということぐらいか。
例のバリカンを使って、自分できれいに散髪。五厘刈りどころではない長さで、切りつめる。オイルを塗ったら、ぴかぴかになるのではないかと思う。
うっかり、眉毛まで切ったりしたら、ひどいことになりそうである。
『歌合』読む。「天徳四年内裏歌合」には、次の超有名な和歌が左右で競うことになった。壬生忠見「こひすてふわがなはまだきたちにけり人しれずこそ思そめしか」と平兼盛「しのぶれどいろにいでにけりわがこひはものやおもふと人のとふまで」の2首である。どちらの歌も両作者の代表作として有名な作である。一騎当千とも呼べそうなこの2首が対戦したので、判者は大変であったようだ。お話としては知っていたのだが、今回漢文の判詞を読んでみて、その辛さを思った。判者は「優劣の判断はできない」と主張したが、帝は聞き入れず、「ぜひとも優劣を判断せよ」、という。勅命は絶対である。最後は兼盛の勝ちとしたが、最後に一言「でも左(忠見の歌)も大変素晴らしい・但左歌甚好矣」と添えて、讃えている。
面白い。


【15年6月9日】
夜の間の雨が、朝方には小降りになる。時間が経過するに連れて、天気はどんどん良くなり、午後からは日差しがのぞき始める。
梅雨とはいえ、6月中は降雨は3日に1度くらいの割合とのことで、そのペースで天気は変化しているようだ。
明日は一日、梅雨の晴れ間になるらしい。
江藤淳のエッセイを図書館で返却し、『漱石の時代 第一部』を予約する。市の図書館には置いてなかったらしく、他の図書館からの取り寄せとなるらしい。
エッセイは、最後まで読み切ることはできなかった。3分の1ほど残してもういいかな、という思いになる。評論の方をきちんと読んでみたい。
漢文は『荘子』。『文選』に比べると、内容理解はさておき、ずいぶんと読みやすい。さすが、散文ということになるのだろうか。古文は『歌合』(これがずいぶんと面白い。つい予定時間を超過して読み進めてしまう。歌の判詞の批評内容がなかなか面白い)、近代文学は今のところ正宗白鳥の『自然主義文学盛衰史』を継続中。『盛衰史』は延々と続いている。正宗白鳥の息の長さに驚く。そう言えば、江藤淳もどこかで、白鳥の『盛衰史』について触れていたように思う。俳句は『水原秋桜子』の全句集。季語ごとにまとめられており、昨日から「秋の部」に入る。現在までで、5000句超を読んできたことになるようだ。まだしばらくは読み続ける。俳句は、1日5句を作り始める。
それ以外は、実家の手伝いと、庭の手入れ。文章は、400字詰め500枚ほどのものを、一応書き終えて推敲作業を進める。
セミプロ並みの腕前の甥の占いによると、あと2、3年はこんな調子で進むらしい。こころしておこうと思う。


【15年6月6日】
梅雨の晴れ間。
朝方雨が残り、「歩き」の途中で雨に遭うが、雲の動きから雲の流れと逆方向に歩き出したら、すぐに降雨から脱出。雨雲の断片が、風に乗ってたまたま移動してきたのであろう。その後は、終日快晴である。
一日、庭木の剪定作業。昼食を挟み、庭で植木の手入れ。
こちらの不注意で、植え込みの一部が枯死してしまった。枯れた部分を鋸で切りながら、昨年の剪定の際の切り口の処置が不十分だったと反省。
大きな剪定部分には、薬物を塗るように今はしているのだが、昨年はそのことを知らなかった。
鋸の切り口から判断するに、菌が侵入したようである。
残念である。
安保法制。憲法学者3名がいずれも、違憲判断。自公の推薦した人物まで違憲とする。
中谷防衛大臣は、答弁の中で「憲法を法律に合わせる」という事を述べていたけれど、本来「法律を憲法に合わせる」のが、常識。
完全に転倒した論理で話が進んでいる。
憲法違反と言われるのも、当然のことかもしれない。


【15年6月4日】
昨日、中国地方は梅雨に入ったという。
そして、本日は入梅後初の梅雨の中休み、だそうだ。
朝から終日快晴状態で、大物を洗濯して干したり、庭木の手入れをしたりと、晴れを一日有効利用したという気分である。
大陸からの高気圧で、湿度が低く、からりとしたちょっと秋めいた一日であった。
庭木の剪定に半日以上を費やす。時期的には、6月は剪定に最適な時期だという。お隣さんのアドバイスを聞いたりしながら、躑躅やら杉やら、ちょっと名前の分からない庭木やらの刈り込みをおこなう。風は涼しいのに日差しはきつくて、熱中症に注意しながらの作業となる。
剪定も体力を使い、結構大変なのだが、さらに面倒なのが、伐った枝や葉の後始末。切りっぱなしで済めば、ことは簡単なのだがそうもいかない。
厚めのビニール袋をわざわざ買ってきて、それに詰め込んでいくのだが、それがかなりの量になる。
普段の燃えないゴミの日に出せるような分量でおさまらないので、わざわざ車で市の処理場まで持ち込んで、焼却処分をしてもらう。
料金的にもその方が安くなるので、車に積み込んで運ぶ。だいたい30キロぐらいあったように思う。
これで半分くらいは終わったけれど、残りの金木犀や楓や躑躅などの剪定がまだ残っている。次の梅雨の晴れ間をねらって残りを行うことにして、本日は終了とする。
夕方、2時間ほどそれでも読書。江藤淳のエッセイと水原秋桜子の全句集を読む。
今夜は、10時から番組モニター。1時間超の番組。普段なら、床に入っている時間なのだが、しっかり目を覚ましておかなければならない。
先月末の2泊3日の京都行きは、大変楽しかった。一日は句会、一日は俳句の勉強会で、その間にたくさんの人と再会し、話し込むことができた。
たまには、このような刺激も必要であると、改めて思う。