日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【15年10月31日】
『荘子』読了。最後は、各学派に対する批判という内容でまとめられてあった。やはり、老子に対しては高評価、他は評価しつつも、最後は批判的なまとめ。儒教に関しては、古代からの教えを引き継いだ学派中心というせいか、触れてもいなかった。次は、『小学』を読んで行こうかと思う。
古文は、『和泉式部日記』を読み直している。小悪魔的女性というイメージで見られていたようだけれど、それだけ多くの男達が恋愛遊戯の対象として、彼女の周りに蝟集していたような感じだ。七夕の日、多くの男達から七夕にこと寄せて恋愛的な内容の「文」がたくさん送られてくるけれど、そんなものは問題外で、自分が今一番気にしている亡き恋人の弟からの「文」が送られてこないことにやきもきした思いにかられる、みたいなところは、式部の面目躍如なのかもしれない、などと思う。ただ、『日記』と銘打たれているけれど、これは和泉式部を主人公に想定した誰かさんの創作のように私にも思われる。本文中で式部自身を「女」と表現する不自然さや、多角的な視点の設定などは、やはり純粋な日記とは言い難いような気がする。小悪魔的イメージも、小説的に作り上げられたものなのかもしれない、などと思ったりもする。
今日は、近所の学校の学園祭の見物に出かける。ブラバンの演奏があるので、それを聞きに行くのが主眼であるが、ついでに学園祭全体の雰囲気も楽しんでこようということだ。実家の二人も一緒に見学に行く。キャンパス内にテントがぎっしりと設置されて、食べ物の屋台が出し物の中心で、実にさまざまなものを販売していた。大学芋とお好み焼きを買い、ブラバンの演奏を楽しんで帰る。
あんなに沢山の若者達の姿を地元でみるのは久しぶりのことで、なかなかの壮観であった。ちょうどハロウィンの日と重なったせいか、会場のあちらこちらで仮装した学生達が歩き回っていた。なぜか、仮装の中に怪獣の「キングギドラ」に扮したものがあって、構内で四、五回行き違った。ずいぶん、頑張っているようであった。
大学芋をおかずの昼食後、短編小説を1編読む。作者は、石塚友二で、作品は『松風』という題名であった。彼は、この作品で芥川賞の候補に挙がったそうだ。ただ、最後の段階で受賞を逃したらしいけれど。作家の横光利一などとも繋がりのある人物なのだが、私たちにとっては小説家というより、石田波郷と結社『鶴』で活躍した俳人としての存在の方が大きい人物である。大変興味深く作品を読んだ。地味だけれど、生活の機微に触れているようで、結構面白かった。
明日から、11月。朝から京都行きである。
【15年10月29日】
昨日は、午前中、人間ドック。近所の小さな医院で検診を受ける(小さいとはいえ、CTスキャン装置が狭い撮影室に、レントゲンの機械と並んで置かれていたりはしたのだが)。
妙な言い方だけれど、手作り風な感じで、いろいろと検査を受ける。外来の患者さんも来られるので、そちらを診たりこちらを検査したり、という状態。
超音波と胃カメラは、どちらもずいぶん丁寧に診てもらい、かなり細かな解説をテレビ画面を一緒に見ながらしていただいた。検査結果は、後日ということであった。
さすがに、その日の午後は疲れてしまった。夕方までぼっとして過ごし、その後、実家の犬を動物病院まで連れていく。
皮膚が弱い犬種なので、あちこちかゆがって仕方ないということで、かゆみ止めの薬をもらいに行く。ついでに、のみ・しらみの薬もつけてもらう。
夜、モニター2本を連続して見る。さらに1本は、日本シリーズ延長のため視聴できなかった。
くたびれもうけで、寝る。
本日、午前中にレポート2本書く。書き始めると集中してどんどん書けるのだけれど、書き出すまで、そのきっかけをつかむのが難しい。パソコンに打ち込んだ記録を読み直し、糸口を掴むようにする。
ちなみに、デジタル化以降、録画装置は持っていないので(もちろんモニターのためにそんなものを購入すれば、なんのためのバイトか、わからなくなる)、かなり細かいデータと記憶とが頼りとなる。画面を見、声を聞き、気になる点を打ち込み、ということで、記録はかなり詳細なものになる。おそらくそれが、レポートを書く第一段階にもなっているような気がする。
結局、午前中かかってしまう。これを日当換算したらずいぶん悲惨なものになることだろう、と思う。
午後は、読書。夕方からは、「歩き」プラス「スロージョギング」。歩くだけでは、微増し始めている体重に対応できない、ということで「スロージョギング」を導入することにした。もともと以前はもっぱらジョギング中心だったので、軽く走ってみると結構気持ちよい。
以前から気になっていたのだが、TPPの中にはちょっと気懸かりな事が含まれている。それは、健康保険のことだ。現在日本は、国民皆保険という制度を取っているけれど、TPPが承認されると、たとえばアメリカの大手保険会社が自己の保険の営業活動にその国民皆保険制度が障害になる場合、それを裁判に訴えることが出来るらしい。ならば、国の制度の問題ということで、日本国が逆提訴することはTPPの制度上出来ないらしいので(なぜ出来ないのか全くわからないけれど、経済活動優先ということなのだろうか……。これが、国家よりも企業の方が強いとかいうことの内容らしいのだが)、ある意味一方的な訴訟が行われるということだ。裁判は何処で行われるのかしらないけれど、まさかアメリカの裁判所に訴えてそこで審理がなされるなんてことになれば、最悪日本の国民健康保険制度が違法という審判が下る可能性もあるだろう。もし、そうなった場合、現在の国民健康保険はどうなってしまうのか。判決に従って、米国の保険会社の営業活動に支障ないように、大きく制度設計が変更されたりするのだろうか。各自が、日本国の保険制度と米国企業の健康保険を自由に選択し、自由競争の中で日本の従来の国民皆保険制度が崩壊するなんてことが起きたりしないのだろうか。これは単なる杞憂なのか。大変、気にかかることだ。
【15年10月27日】
明日は、人間ドック。近所の病院でやるので、午前中一杯はかかりそうだ。国民健康保険に移ってから初めての検査なので、多少は違うことがあるのかとは思う。検査料は、もちろんこちらの方が割高になっている。
今日は、一日雨が降ったり止んだりの、中途半端な陽気の日だった。こちらも、午前中は読書、午後は結社に投句する作品を作る。
1つの結社の方には、古俳諧を元にして、兄弟句風な作品を作って出すことにしているので、まず季語の合う作品を探し出して、それを元にして今風の作を仕立て上げる。
普段なら作らないような作が、意外とできて、なかなか面白い。古俳諧の持つ機知・諧謔・意気の世界が刺激になるようだ。
それらは、近代俳句が意図的に封印してきた世界なので、逆に色々な可能性が潜んでいるようにも思われる。
それに、実は俳句が近・現代に至るまで滅びることがなかった原動力の重要な部分はそこいらあたりにある、ということも否定できない事実の一つではあるのだ。
文芸としての俳句を底支えしているのは、芸とししての俳句という分厚い基層あってのことなのだ。ホトトギス俳句なども、その基層の部分に深く食い込んでいるところがあるのが、その強さのひとつとも言えるかもしれない。
夕方までに、作品をまとめあげ、雨が降り止んでいる合間をぬって、近所のポストまで投函に出かける。
半島の遙か上空当たりに、少し青空が覗いていたりするけれど、おそらく油断はできまい。夜に入って、もう一降り、二降りあるはずだ。
空気が、変になま暖かいのも気持ちがよくない。
おととい、昨日と二日にわたっての合唱練習のせいで、少々喉が痛い。発声がきちんと出来ていない証拠である。
【15年10月25日】
土曜日。午前中にモニターのレポートを仕上げて送信。その後は、昼前までぼんやり過ごす。
午後、地元の句会。少し選に入る。ただ、自分がこれと思っているものは、全く入らず。また、戦略を練る必要があると思う。
超結社的とはいえ、ホトトギスの流れを汲む結社の方が大半の句会なので、日常生活に根ざし、それを俳句的意匠に籠めて表現するというやりかたは、大変巧みで上手い方達が多い。そんな句会にかなり異質な存在として混じっているわけで(元をたどっていけば、反ホトトギスとして独立した方の結社からの流れの末端に位置する者ということになるので)、おそらく長らく関西圏でやって来て、郷里に帰還した者としての一定の関心や期待の中に当面は置かれることになるだろう。自分にとっても学ぶべきところはしっかり学びとっておきたいという思いの中での句会参加ではある。ただ、句会という場の中で否応なくその影響を被ることは当然のこととして、その中に埋没して、いわば受けの良い、心地よい居場所を模索する中で自分自身を見失ってしまっては、元も子もないということもなる。
だから、句会メンバーの発想や美意識、俳句に対する考えやその実践については、常にどこかにクールな視線を保ちつつ、同時に自分を打ち出しながら、否応なく句会メンバーに選ばれるほどの力ある作品を作っていかなければならない。その上で、なんとかしたいけれども、残念ながら今のところ、眼前の壁に大きな穴をうがつほどの力はないようだ。ただ、多くの見慣れた作品の中に奇妙な句が混じっていることを、毎回の句会を通じてアピールするぐらいしか、今のところなすすべがない。そして、その過程において、一句の選もなくて、句会の中で孤立しているような気分になることも、それは負うべきリスクのひとつと考えざるを得ない。
色々と大変である。
来月の東京行きの際にも、ひとつ関東の句会に参加することができるようになった。武者修行のつもりで、やっていこうと内心考えている。楽しみとしてだけでなく、文芸として考える以上、それは当然のことなのだろう、と思う。
【15年10月23日】
5時に起床し、朝食などを済ませ、それでもどうにも眠くて、二度寝状態。6時半くらいに起きて、ちょっと目を覚まして、7時から本を読み始める。
『荘子』は、だいぶ先が見えてきた。内容も、寓話的なものが多くて、比較的すらすら読みとれる状態となった。今月中には、読了できそうな状況となった。
『風土記』はすでに本編部分?は読み終えて、逸文部分を読み進めている。その土地の『風土記』は散逸しているけれど、後代の文献に残された『風土記』からの引用という形で残されているとする文章を集めた物。かなりの文章は、『風土記』とは関係のないもののようだが、それはそれで面白い。『因幡国風土記逸文』など、良く知られたお話が紹介されてあって興味深い。
『万葉集』は、少しずつ読み始めた。全部で4500首あるので、先は長い。やっと90首ほど読み終えたところだ。文庫本を読んでいるので、細かい部分の解釈の注釈がなくて、難儀しながら読み進める。
近代文学は、「またぎ」を主人公にした、ほとんどハードボイルドの世界というお話に突入。わくわくしながら、読みすすむ。有島武郎の『カインの末裔』みたいな味わいも少々ある。
日中は、ニュース以外はテレビはほとんど見ないのだが、最近は『銭の戦争』という再放送ものを時間になると見ていた。3時から50分ほど。韓国ドラマみたいだな、と思いながら見ていたのだが、数回見るうちに原作者が韓国人ということに気づき、納得した。一難去ってまた一難というつなぎ方は、ついつい次回を見てしまうというパターンにはまる。ただ、本日が最終回だったので、明日からはまたいつもの様子に戻ることになるか。
夕方、1時間半ほど歩く。少々、足が痛くなる。最近、あまり長い時間あるかないので、そのせいかと思う。
夕食後、番組モニターを1本視聴。レポートは、明朝にまわす。
【15年10月22日】
昨夜から今朝にかけての、オリオン座流星群観察は、曇天のため不調に終わる。
事前の天気予報が、快晴だったので、大変期待していたのだが、残念だった。
今日は、母と紅葉を見に蒜山まで出かける予定だったが、朝から曇天で、さらに時間が経過するにつれ、とうとう雨が降り始めた。
雨はすぐにやんだものの、山の方は全く見えずという状態。
行こうか、どうしようか、迷ったけれども、1点の奇跡を願って、出かけることにする。
蒜山インターまでは高速道路を使い、それからは下道で。蒜山高原センターという地元では有名な施設まで出かける。
期待していた奇跡は起こらず、周囲の山は完全に雨雲に閉ざされ、時折小雨がぱらつく状態であった。
途中の紅葉がだいぶ進んでいてきれいだったことと、高原センターでひさびさに食べたジンギスカン鍋が美味しかったことが、何よりの収穫だった。
また、途中の道の駅で安い野菜がふんだんに買えたこともよかった。
高速を引き返し、県境のトンネルを抜けると、天気は一気に回復していた。気分良く、山を下る。
今日は、朝と夕方に分けて昨夜の分のモニターのレポを書いたけれど、夕方の1本に手こずってずいぶん難渋した。
書き終えて、推敲・清書と作業を進め、2本まとめてネットで送信して、一段落。かなり疲れた。
来月分の予定が、早くも送られてきたけれど、月半ばに東京行きを挟んでいるので、かなり1ヶ月間の予定が詰まってしまった。
来月は、早々に京都行きもあり、丹後へもでかけるので、一層予定は窮屈なものになってしまった。
【15年10月20日】
原発の処理作業にあたっていた人が、白血病を発症し、それが労災に認定されたらしい。
労災認定なんて、そう簡単に結論づけられない性格のものだから、これは大きな問題をはらんでいる。
原発処理作業と白血病の発症とに、明確な因果関係が確認されたということなのだから。今後の原発処理作業に非常に大きな影響力をもつことになるのは、明らかなことだ。
放射線被曝量の安全基準をおとしたりして、かなり無理をして、初期段階の作業を東京電力からの下請け作業員の人達が勤めてこられたことは、ニュース報道などでは知っていたけれど、それがこのような結果として現れたことは、やはり大きな衝撃だ。
改めて、これが一人の方だけではなく、最初の一人の方になることを怖れる。
改めて、子供達の甲状腺癌の問題は大丈夫なのだろうかも、と気懸かりになる。
放射線による影響は、数年後から徐々に現れはじめるということも、聞いたことがあるけれど、どうなのだろうか。
【15年10月18日】
日曜日。終日、快晴。大山が、青空を背景に裾野から頂上まで、くっきりと望める。
昨日は、丹後「すき句会」。4時起きで、体調を整え、6時過ぎに自宅を出る。丹後まで、乗り継ぎ乗り継ぎで5時間、その間景色を眺め、句を案じ、そして本を少し読む。
駅構内のコンビニで、ひさびさに現金を出して、文庫本を1冊買う。ふり返ってみれば、この1年半、現金で本を買ったことが一度もなかった。自宅には、今のペースで行けば、今後数年かからないと読めないほどの本の在庫があるので、もっぱらそれを読むか、市の図書館で借りるか、買うにしても図書カードをいくらか持っているのでそれで購入してきた。その結果として、書籍費がゼロ円という状態だった。
今回、ついうっかり車内用の本を準備し忘れ、やむなく1冊買うことにした。
とはいえ、行きの車中ではそれを読む時間はなく、丹後着。
そのまま、いつもの食堂で、いつもの美味しいボルシチを食べ、そして岩城先生の丹後のお宅に向かう。
参加者は、本日は少々少なく、投句数も若干割り増しにする。
宿題は「月」全般。席題は、「渋」。柿渋のことだ。
岩城先生が、手製の新渋を句会場まで持参される。ちょっとオレンジジュースに似た見た目であるが、うっかり飲んだら、相当大変なことになりそうな気がする。
先日の地元の俳句大会では、互選も含めてみごとに全く1句も選に入らなかったということがあったので、今回は自分なりに満足のいく結果だったと思う。
猫の句が自分としては面白いかな、と思っていたので、岩城先生選に入ったことは、ありがたいことだった。
夕方の列車で丹後を離れる。昼が短くなっていることをつくづく感じる。雲一つない西空に、銀色の薄い三日月が輝いているのを、車窓から眺める。
帰りの5時間は、半分は読書、半分はうたた寝という有様であった。
遅くに帰宅。そのまま眠れたら良かったのだが、昨夜書いておいたモニターのレポートを送信しなければならないので、そのチェック。
字数オーバーの部分があり、そこも含めて推敲と完成版作製。11時過ぎに発送して、それから就寝。これで、ノルマの半分が終了する。もう一つの方は、今月はあと1本で良い。
日曜日、少々疲れ気味なので、ぼーっと過ごすことにする。本を少し読み、昼食は実家でごちそうになり、庭木を少しいじり、その後夕方まで本を読んで一日を終える。
【15年10月15日】
午前中、モニターのレポートを2本書く。1本は、内容的にちょっと重くて、相当時間をかけて書く。
結局、2本で午前中は終了。
母と一緒に、東京行きの航空券を買いに、空港まで。その後、母のおごりで回転鮨。
初めて入った店だったけれど、しゃり・ねたともに美味しくて、値段も手頃でなかなか良い店だった。
午前中でエネルギーを使った気分で、午後はどうしようかと考える。夕方に、モニターが1本入っているので、それまで少しだけ本を読もうかとも思う。
一日中、自宅のまわりで鳥が鳴いている。かなり甲高い声で、地鳴きというより囀りという印象だ。ヒヨドリか、なにかなのだろうか。
モニター番組の1本の内容が、ちょっとひっかかっている。
都市と地方の問題が、こんな分野にも強く反映しているようだ、と思う。
そして、基本的な条件の違いを埋めていくことは、大変困難なことだと思われる。
都市の方が、地方以上に様々な問題を解決出来る条件や素地が実はあるように思われてくる。
だから、都市の方は本気で改革を進めようとしたなら、改革は一定の成果をもたらすような気がする、とこの某番組を見て感じたものだ。
東京が大変だ、という事が言われるけれど、地方も相応の大変さの中で生きてきているように思われる。
ただ、地方の方にはそれをこらえる我慢の土壌があるけれども、都市の方はそれがあるかどうか、私は知らない。
それにしても地方創生のためには、都市がその有利な条件の幾ばくかを我慢して、地方の方に分割する必要があるようには思われる。
既得権を手放すことは、難しいことだろうけれども……。
【15年10月13日】
来月半ば頃、母の付き添いを兼ねて、5日間ほど東京に出かける。
久しぶりに飛行機に乗るのが、楽しみだ。
せっかくなので、可能であれば、所属結社の東京句会に飛び入り参加できないものか、などと考えている。
本日は、終日好天。室内より、外の方があたたかい。乾燥もしているようだ。朝夕は、涼しいを通り越して、少々寒い。とうとう、布団を出す始末となった。
ここ数日は、こんな陽気が続くらしい。ありがたいことだ。
『播磨国風土記』本日、読了。説話的部分が多くて、楽しく読むことができた。短編小説は、つい読み継いで2編読了。法廷小説的な作品と、少年物を各1編ずつ。多様な内容で、面白い。
『荘子』は、毎日少しずつ読んでいって、あと1ヶ月半くらいかかりそうだ。
ブラウザを変えたら、妙な動きはなくなったけれど、広告画像のダウンロードにやたら時間がかかるようになった。まあ、仕方ないことかもしれない。
別のブラウザと併用しようか、とも思う。
「一億総活躍……」が、本格的に始動するらしい。このネーミングは、なぜこんな風にしたんだろうか。わざわざ、そうしたんだろうな。
「国民会議」で具体的な方策が検討されるらしいけれど、メンバー次第で、その方向性など即判断できそうな気がする。
ネット上では、相当揶揄・嘲笑の対象みたいになっているけれど、正直、真面目にやっていってほしいと願う。
【15年10月12日】
土曜日。夕方から、高校の同窓会。皆生温泉のしにせ旅館のひとつを会場にして開催。
前回、大女将と書いたけれど、中女将(と言うのだろうか)の勘違いであった。同窓生である。
40名の7クラスと言う学年で、今回100名ほどが各地から参加する。すでに、物故者も数名いて、その中の一人が「漫画研究会」のメンバーで、大変驚く。
神主さんでもあった、1組担任のN先生のお払いで始まった宴会は、同窓生のひとりで写真館の主人による記念撮影にうつり、黙祷ののち祝宴へと移る。
2時間余りの宴会は、飲みかつ喋るという状態で、それこそあっという間に終了。続いて別室に移動しての2次会。飲みかつ喋るに歌うが追加された状態で、さらに盛り上がる。
3次会で市内に繰り出すひとたちと別れ、私は書家で今回自宅の表札をわざわざプレゼントしてくれた人の迎えの車に便乗させていただいて、自宅まで送ってもらう。
12時前くらいに帰宅、すぐに就寝。
日曜日、昨日再会した人の関係で、市内の美術館に書展とステンドグラス展(こちらは、もと「漫研」メンバーの人が参加しているグループ展)、さらに障害者美術展とアンデパンダン展を、一気に見にいく。ひとつの美術館で一度に4つの美術展を見学できるのも、こじんまりとした美術館のありがたいところかもしれない。
午後は、地元の俳句大会に参加。100名近くの参加で、おおいに盛り上がる。小中学生の作品募集とその表彰も行われる。
夜は、所用で外出。珍しく、一日ばたばたと動き回っていた。
月曜日。朝から、雨。少々疲れていて、珍しく朝食後、二度寝する。1時間ほど休んで、なんとか回復。
午前中は、読書。
午後は、未定(本を読んで過ごすのだろうけれど)。
【15年10月9日】
結局、不安定な動作が改善されず、ブラウザを変更することにした。
いくつか操作が必要だったけれど、以前同様に使えそうなので、あたらしいブラウザをこのまま使うことにした。
今日は、午後から所用があったため、午前中に集中して読書。
『出雲国風土記』読了。同じような内容の繰り返しという所はあったけれど、逆にそのことが古代においても国家経営に相当のエネルギーを注ぎ込んでいることの証のように思われた。
最後の方は、道路網並びに軍事的な記述になっていて、なるほどと感心する。
『播磨国風土記』へと入る。こちらは、地名縁起がかなり詳しいような印象を受ける。『出雲』の方が、そう言う面は詳細に語られるのかと思っていたが、あるいは逆だったのかもしれない。秘すべき内容は、あえて語らずに終えるということがあったのかもしれない。
明日は、高校の同窓会が予定されてある。
4年前に初めて参加して、今回が2回目。中学の同窓会は、本当に顔が分からなかったけれど、高校の方は大丈夫だろう、と思う。
同窓生が大女将を勤める地元でも有名な旅館を会場に確保したという。幹事さん達の頑張りと、大女将の心意気の結果であろうか。とても楽しみである。
【15年10月6日】
妙なページを見に行った覚えもないのに、また勝手に何の関係もないページが表示され始めた。
それも、特定のページについてだけそのような現象が起こり、結構しばしばアクセスするところだったので、鬱陶しいことこの上なかった。
該当するホームページの関係企業に連絡を入れ、原因を探ってもらうけれど、結局わからず、勝手に何かのソフトがインストールされた痕跡も見あたらなかったので、どうしたものかと思案にくれた。
ネットで調べると、ひとつ解決策が見つかったけれども、今ひとつ実行する決断がつかず、揚げ句に甥の友人でネットに詳しい人を紹介してもらって、その人の助言を受けて修復することにした。
まず、念のためセキュリティーソフトで、パソコン本体のウイルスやスパイウエアを完全検索し、特に引っかかって来るものがないことを確認し、その後使用しているブラウザとは別のブラウザで、同様の現象が起こるかを確認し、他のブラウザだと正常に動くことを確かめ、その上で普段使っているブラウザを初期状態に戻す、という作業を行うことになった。
初期状態にもどすと、ソフトの一部などが消滅してしまうので、実行にためらいがあったのだが、二つのブラウザの比較から、パソコン本体というより、使っているブラウザの記録している部分に、勝手に他ページをリダイレクトするソフトかなにかが、セキュリティーソフトにはひっかからない形で仕込まれている可能性が高いということになって、それならばブラウザを一番最初の何も記録されない状態に戻してみようということになったのだ。
初期化は、ブラウザの機能の中に準備されてあるので、実施すると、ごく短時間で初期化は終了した。
パソコンを再起動して、ブラウザを立ち上げ、例の特定のホームページについて、アクセスして見ると、幸い正常な状態に戻ったようだ。
甥の友人にさっそくお礼の電話を入れる。
それにしても、妙なページにはアクセスしていないので、どこから悪質なソフトがインストールされたのか、わからない。
メールなどは、振り分け機能を使って、迷惑メールは即座に消去し、開くのは出所のしれたものだけなので、メールから来たものとは思われない。
対応策のひとつを勉強したことにはなるけれど、なんとも鬱陶しいことだ。
【15年10月4日】
移動性高気圧のおかげで、今日も良い天気だった。気温・湿度ともに過ごしやすい一日だった。
あさ、「歩き」ののち、そのまま地域の一斉清掃に参加。近所の公園の清掃活動。
つい草むしりに夢中になり、気がついたら、周りに誰もいなかった。
送っていただいた『凰』を読む。『運河』系の雑誌。小冊子という体裁だが、中身はぐっと詰まって充実している。
午後からは、新たなテレビ局のモニターの仕事。2時間番組を見て、その後レポートを作成。初めてのことであり、つい字数を大幅に越えてしまったが、内容的に調整するわけにもいかず、そのままの字数でメール添付して送信。クレームがつくかもしれない。
夕方、姪の作ったシュークリームをつまみに、浅酌。「笑点」を見て、大笑いする。歌丸師匠を人間国宝に、という運動があると聞いたが、それもいいことだなと思う。
TPP交渉は、最後の詰めの部分で難航しているらしい。
その実態がどんなものなのか、詳細はあえて国民に周知させないということらしいけれど、安くものが買えて良いじゃないか、というだけでは済まないいろいろな問題が、そこには含まれているらしい。
その結果しか知らされないと言うのは、なんとも落ち着かない。
【15年10月2日】
夜半には、そうとう強い雨が降り、風も吹いたようだが、幸いうつらうつら状態でよく覚えていない。夜が明けると、天気はすっかり平穏な状態にもどっていた。
5時過ぎに起床、珈琲だけ入れておいて、「歩き」に出かける。外気は、涼しいを通り越して、少し寒いくらいだ。
1時間ほど、近所を歩く。しばらく前までは目に付いた曼珠沙華が、もうすっかり花蘂をちらした状態で、細い茎だけを畦に見せている。
野道を歩いていると、早朝練習らしい中学生の自転車集団に何組かすれ違う。何クラブなのかは、わからない。男の子はサッカー部、女の子はソフトボール部のような気がする。
帰宅後、珈琲をのみ、それから朝食。昨夜の残り物。味が濃くなっていて、結構おいしい。
8時前からは読書にかかる。『荘子』、近代文学、そして句集。小説は、鶴田知也『コシヤマイン記』。アイヌの一部族の青年王を主人公にした物語。宮崎アニメを見ているような面白さがある。句集は『普羅句集』読了。西山白雲の『白雲句集』へと移る。写実に徹した俳人ということだけれど、高野素十の写実に比べて、「技」的な要素を少し感じる。
昼食後、ソファに座ってテレビを見ながら、うとうとする。少し眠ったのかもしれない。ただ、それが良かったのか、午後の読書は眠気から解放された。
『風土記』は、「常陸国風土記」を終え、最初からお目当てだった「出雲国風土記」に移る。娘を喰らったワニザメに対する復讐の話など面白い。
実家で、ちょっと年金の話など。それにしても、年金資金を原資にして株投資なんかしているけど、世界的な株安で、原資は大丈夫なのだろうか、と思う。
第一四半期は2兆円くらい利益があがったらしいけれども。へたすれば、かってのグリーンピア問題など、まさに問題じゃないくらいの影響が生じるように思うのだが。
【15年10月1日】
低気圧の影響で、朝から雨。ときおり、強く降る。風の方は、ほとんどない、という状態だ。
ただ、本格的に低気圧が「爆弾」化するのは、夕方からだろうから、今晩一晩かなり強い雨風ということになるのだろう。
この辺りは、夕方から夜にかけて寒冷前線が頭上を通過するようなので、注意しておかなければと思う。数日前、松江沖の海上で竜巻が目撃されたらしいし、強い突風が吹かないとも限らない。
8時過ぎから読書。『荘子』を読み(読了まであと2ヶ月くらいかかるのではないかと思う)、昭和小説集から十和田操の「判任官の子という短編小説を読む。「判任官の子」は素敵に面白いお話だった。明治時代の女流作家樋口一葉の名作『たけくらべ』という少女小説があるけれど、それに匹敵するほどの少年小説だと思う。昨日読んだ小田嶽夫の『城外』が、ドイツを舞台にした森鴎外の『舞姫』の中国版(『舞姫』の方が作品としては優れているとは思ったけれど)という印象があったこともあって、この近代文学と現代文学との照応関係みたいなものを面白く感じた。
所属結社2誌から、今月号を送ってきた。午前中のうちに、ざっと目を通す。
頑張らねば、と思う。