日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【15年11月30日】】
漫画家の水木しげる氏が亡くなられた。好きな作家のひとりだった。
大きな個性が、この世界からまたひとつ失われたように思う。
ご冥福をお祈りします。
明日から、12月が始まる。.


【15年11月29日】】
昨日は、午後から句会。最初の頃は、全没状態だったけれど、最近はぽつりぽつりと選に入るようになってきた。
おそらく、ぽつりぽつりに意味があるような気がする。
突然、どんどん選に入るようになったりしたら、ほとんどそれは選に迎合する作を作っているということを意味するように思われる。
それは、常に念頭に置いて避けなければならないことだ。
とはいえ、ホトトギス流の生活俳句は、なかなか難しいことは確かだ。
ある種の気息というのか、パターンとは少し違う要素が句作にも選にも絡んでいるようで、そこをどう突いて、少し違った世界を句会の中に持ち込めるか、ということを思っている。
披講が聴き取りにくくて、もたもたしていたら、別の人が自分の作と勘違いされたらしく、先に名乗りをあげられてしまった。
前にも一度、似たようなことがあったけれど、そのままにせず、きちんと確認すべきだったと、今は思っている。
今後、気をつけなければならない。
句会終了後、一度帰宅して、また市内に合唱の練習に出かける。本番最後の練習で、ソリストの人達も参加する、ゲネを除いては、本番に近い内容での練習だった。
9時くらいに帰宅し、本番の衣装の準備などをして、就寝。
本日は、『第九』本番。9割方の入りでの演奏会だった。出来は、歌っている当人には判断はつかない。
でも、悪くはなかったんじゃないかな、という感触を感じてはいる。
さすがに、終わって少々疲れ気味ではある。
今年の大きな行事は、これで終了。
ちょうど、日程が重なったため、県の俳句大会に参加できなかったのが、少々残念ではある。
間もなく、12月となる。今年も残りはわずかである。.


【15年11月27日】】
大山は、麓の広大な裾野あたりまで雪が来ている。
平野部にも、午前中ほんのしばらくの間、霰が降った。雨でびしょびしょの地面に、霰のつぶつぶが一層寒さを際だたせた。
母の車は、スノータイヤに履き替えた。ガソリンスタンドに行くと、次々とタイヤ交換の車がやってくる。
私の車は、よく分からないサービスキャンペーンとかで、無料で修理に出すことになった。ついでなので、その際にタイヤを換えてもらうよう、ディーラーと話をした。
田中英光の短編『野狐』を読む。
排泄活動を露骨に描いた薄汚い小説、などと某著名作家からこき下ろされたりしていたようだけれど、読んでみると、某作家の言うこともうなずけるなりに、割と面白かった。有名な芥川賞作家ピースの又吉氏同様、太宰治に私事し、最後は彼の墓の前で自殺をするという典型的なデカダンス作家であったようだ。
元オリンピック選手でもあったらしい。もう、読む人は誰もいないのかもしれない。代表作は『オリンポスの果実』とのこと。
題名からも伺えるように、オリンピックが題材として取り上げられてあるらしい。
ずっと昔、読んで見ようと文庫本で購入したなり、本箱のどこかに今もあるはずの一冊だ。
天気が回復したので、夕方スロージョギング。帰宅後、浅酌。夕食を食べ、所属結社への投句作品を考える。
厚着をしているせいか、ほとんど寒さを感じない。アルコールのおかげかもしれないけれど。
明日は、午後から所属結社の句会、引き続いて『第九』の最後の練習がある。夜までかかることになるのだろう。
明後日は、『第九』の本番である。.


【15年11月26日】
夜に入って、一段と冷え込んできたようだ。外は雨で、遠く雷が鳴っている。おそらく、雪起こしの雷だろう。
午前中に少し晴れた際、スロウジョギングに出て、その時雲の合間から、雪景色の大山の姿を遠望することができた。
さすがに、頂稜部分は厚い雲に隠れていたけれど、8合目くらいまで降雪で白くなっていることを確認できた。
平野部でも初雪はと思ったけれど、さすがにそれはまだ先のことのようだ。ただ、今夜遅くには雪が降るかも知れない。もっともその頃は就寝中だろうけれど。
午前中は、モニターを2本書いて終わり。昼前に走って、午後は結社誌に出す作品を考える。
古俳諧を元にして作品を作るという試みで、池西言水やら大淀三千風・小西来山の作品などについて、考える。
写生俳句とはまるで違って、完全に頭で考えるだけの作品なのだけれど、様々な趣向を凝らしている古俳諧の面白さが、こちらの刺激になる。
こんな作り方も悪くないのでは、と思う。
古俳諧は、なにか古めかしいだけのもののようなイメージがあるかもしれないけれど、現在流布している写生俳句とはまた違った独特の世界を持っているように思われる。
とても興味深い。
政府は、5年ほどかけて、電球関係をすべてLED電球に統一しようとしているらしい。
省エネということを名目に上げているけれど、当然消費拡大ということも念頭にしてのことだろう。
どの程度の省エネになるのかはわからないけれど、特に異論を唱えるつもりはない。
ただ、電球・蛍光灯をすべてLEDに変える際に、特に蛍光灯は本体それ自体を取り替えなければならないらしく、工事費を含む費用は相当かかるらしい。それらは、かなり痛い。
調光機能のついたLEDはさらに価格が高いが、室内灯がそのような設定になっている部分は、その専用のLED電球を購入しなければならないだろう。
需要が増えれば、価格は相対的に下がるだろうから、しばらく在庫やら価格やらの様子を見ながらということになりそうだ。
それにしても、LED電球が購入困難な人達はどうするのだろうか、とふと思ったりもする。白熱電球1個150円、同程度の明るさのLED電球1個が2000円、この価格差は、相当に重たいと思うのだが。
国民全体に相当の経済的負担をかけてでもLED使用を求めると言うことは、明確に省エネ効果が期待されるということなのだろう。
だったら、それにあわせて原発再起動も出来る限り手控えたらどうか?


【15年11月25日】
朝から、雨。
山陰地方は、急に冬の様相を深めはじめたようだ。不安定な天気は、明日も明後日も続きそうだ。
小春日和という心地よい言葉も、どうやら今年は早めに季節の移りゆきに解消されてしまうようだ。
大山は、本日初冠雪となったらしい。例年よりは、かなり遅い。
荒天のため、下からはその様子がうかがえないのが残念だ。
冬の準備を進めて行かなければならない。
今日は、車でホームセンターまで行って来て、湯たんぽを買ってきた。
電気でなく、お湯で暖まるというのは、結構具合がいいらしい。
昨冬は、布団が暖まるまでは、かなり寒い思いをしたので、今年はその状態の解消として、湯たんぽを活用してみたいと思う。
そう言えば、遙か昔々、湯たんぽを使ったような思い出があるけれど、それは本当に小さかった頃のように思う。
暖房に火鉢や掘り炬燵を使ってたりした頃のことだったと思う。
なんとなく、懐かしさをともなうものだ。
売り場には、結構品がそろえてあって、それなりに需要があるのだなと思ったものだ。
最新の電気による蓄熱式の湯たんぽなんてものもあったりした。もちろん、お湯は使わない。保温効率の良い液体を電熱で暖めて使うらしい。
夕暮れが早くなっている。雨天のために、それが一層早まっているような気分になる。
今日は、『小学』と、『蜻蛉日記』を読んだだけだった。買い物や、モニターに時間を使ってしまった。
『蜻蛉日記』は、少々どろっとしたホームドラマ風な内容を改めて思う。中年女性の感覚や生理みたいなものが、澱みたいにうっすらと底に溜まっているような感触を全体に感じる文章である。
ちょっと鬱陶しいけれど、読み始めたらついつい先へ先へと引きずられていくような感覚である。


【15年11月23日】
実際に年金をもらえるようになるのは、まだまだ先のことではあるが、年金積立金の運用に関してはわが身のこととして大いに関心を持っている。
年金積立金管理運用(独立法人)の期間ごとの、運用実績もたまに覗いているが、なぜか今年度について、第一四半期の結果(4〜6月分)のままで、いつになっても第二四半期(7〜9月分)の結果が表示されない。
情報公開を重視すると内規等でも触れているようなのに、11月も半ば過ぎてもその結果が知らされないのは、こまめな情報公開という基本方針に沿わないもののように思われる。
特に、第二四半期は世界的な株価の暴落等が発生した時期であり、年金資金運用に大きな影響をもたらした時期でもあるので、とても気になる(一説によると、含み損が7兆円とか、9兆円とかいわれているらしいけれど。でも実際のところは、結果が公示されていないので分からない。第一四半期は2兆円あまりの含み益があったようだ、結構なことである)。
ところが、最近になってその最新の運用状況を知らせるページが更新された。もちろん、第二四半期の結果が更新されたわけではない。
何が変わったのかと言えば、13年度以降の累積収益額が棒グラフになって示される図表が追加されたのだ。
それを見ると、19・20年度以降、右肩上がりで上昇している累積収益額が一目瞭然見て取れるようになっている。
なぜ、唐突にこんな表が追加されたのだろうか、と思ったのだけれど、何となくその意図のようなものが透けて見えるようで、少々嫌な感じがしたものだ。
それにしても、いつになったら第二四半期の結果を公表するつもりなのだろうか。
あるいは、第三四半期(10〜12月)の分と併せて公開する考えなのかもしれないとも、11月も後半に入ったこの時期そんな風にも思えてきた。
最近、物価上昇率について、様々な統計を通じて、より幅広く検討する方が客観的であるという事を言いだしているらしい。
物価上昇率は、アベノミクスの成果・動向を明示する重要な指標の一つなのだから、その上昇・下降について、神経質になるのももっともなことだとは思う。
ただし、その統計の取り方によっては、一つの現象がずいぶん違った結果をもたらすということはあるらしい。統計の取り方によって、結果の数値が違うということだ。
だから、極端な場合、ある統計では物価上昇率はマイナスでも、別の統計ではプラスになることだってあるようだ。
ひとつの社会現象の、その切り取り方と切り取る部位の違いということになるのかもしれないけれど。しかし、ほとんど数字のマジックのようなものにも思えなくはない。
だから、どの統計に重きを置くかによって、その結論は微妙に、あるいは露骨に違ってくるということだってあるのだろう。
いくつもの判断材料があるということは、より客観性を増すという事と同時に、判断それ自体に混乱をもたらす可能性も生じる。
さらに言えば、その統計資料の使い方によっては、好きなように世論の操作が可能になるということでもある。
独裁国家ではないのだから、都合の良い統計・数値だけを知らせるなんていう姑息なことをよもやするまい、とは思うけれど……。


【15年11月21日】
昨日、東京から帰郷。その足で、夕方から知人の飲み会に参加するため、歩いて最寄りの駅まで出かけ、電車で市内まで。
同窓の男女数名と、美味い魚で有名なお店で10時過ぎまで飲み、翌日仕事の人もいる関係上、一次会のみで解散。
もっぱら話を聞いていたけれど、交友関係の密度の濃い話に圧倒される。
こちらは浦島太郎的状態である。
土曜日、ほぼ一日かけて、モニターのレポートを3本仕上げる。東京に行っている間の担当分をなんとか間に合わせるため。
今回は、ラジオ番組のモニターが中心だったので、東京に滞在中、現地で録音だけはとっておいて、それを再生してはモニターをまとめる。
1本録音に失敗、まだ聞いていないのが1本あり、それは明日聞いてレポートにまとめる予定。
それで、なんとか追い付くことになる。
東京では、俳句関係の外出以外は、親戚の家で過ごす。
所用で甥も同行していて、母と私ともどもに、数日東京の伯母のお世話になる。
母は何処に出かけるというわけではなかったけれど、私の伯母、母の妹と終日一緒にのんびり過ごしていたようだった。
私の方は、石田波郷関係の旧跡を尋ねたりする。
徒歩で清瀬の療養所跡に出かける。現在は中央公園になっている。「惜命」の大きな句碑が、公園の中央に建っている。それ以外は、普通の公園と変わらない。丈の高い落葉高木が数本きわだっている。ある日は、所属結社の句会に参加する。駅で言えば、数駅先の会場で開催された句会。日程的にもちょうどよかったので、参加する。活発でなかなか面白い句会であった。
別の日は、波郷ゆかりの砂町に出かける。地区の文化センターで、波郷の特別展を開催しており、それを見に行く。胸部レントゲン写真や、結核の治療の一環として胸に納められた小さなピンポン玉なども、展示してあった。
砂町銀座商店街は、びっくりするほどの人出であった。地元のシャッター商店街のことをちらちら思いながら、人の流れの中を歩く。
また、他日、根岸の子規庵に出かける。
鶯谷の駅で下車。ホテル街の入り組んだ細い道を抜けると、民家にはさまれるようにして。子規庵がある。
訪問時は、偶然来館者は私ひとりで、40分近く、町騒を遠くに聞く思いで、ぼっと過ごす。得難い時間であった。
往復の飛行機も天気は今ひとつながら揺れることもなく、総じて面白い東京滞在であった。


【15年11月14日】
明日から東京行き。数日ネットから離れるので、更新等はしばらく中断します。
今日は、一日雨。とはいえ、妙に温かい。
明日も一日は天気は今ひとつなのだろうと思う。
早朝の地震警報、フランスの同時多発テロ。
大変驚いた。


【15年11月13日】
朝から雨。そのせいか、ずいぶん寒い。
重ね着をして過ごす。
今夜から明日未明が牡牛座流星群の極大日なのだが、今回も悪天のため、流星観察は文字通りお流れとなる。
東京行きが近づいているが、関東方面もどうやら寒いらしい。天気もいまひとつのようだ。
当初の予定がひとつなくなり、その分どうしようかと考えている。
『小学』は、結構面白い。その内容というより、その背後にある当時の生活や日常習慣などを、細かな字の注釈で読むのが面白い。
『和泉式部日記』は読了。『蜻蛉日記』に移る。作者のなかなか厄介な、少々狷介な精神が印象的である。
近代文学の短編集は、ひとつひとつが小さな宝箱のようで、読み応えがある。今は、ちょっとSFテイストというのか、異常心理的な内容の作を読んでいる。
句集は、松本たかし『松本たかし句集』を読了し、渡辺水巴『白日』へと読みすすむ。両俳人ともに、微妙に変なところがあって、それが作品にも反映しているようで、面白い。
知人から、近作を数十句送ってもらう。一日で一気に作り上げた諸作らしい。これもまた、奇妙に変で、その変さ具合が面白い。
一言感想風に読後を書いて送る。その変さに果たして対応しきれているかどうか。
臨時国会は、結局開かれずじまいのようだ。
国会議員自身が、現行憲法を軽んじ、議論を封殺するようなことを平然と実行していてよいのか、と素朴に思う。


【15年11月10日】
朝、レポートを1本書く。その後、所用があり、市内へ出かける。途中、ひどい雨に出会う。
すでに立冬を数日過ぎているのに、まるで夕立のような豪雨である。
車の前方が見えにくくなる。
用事を済ませて、そのまま帰宅。
NHKで予算委員会の中継をやっていたので、きっと不愉快になると思いながらも、見る。
昼食をはさんで、午後も引き続き中継を見る。同じ事を、機械的に繰り返して答弁とする、というやり方が、安保以降当たり前みたいに固定してしまったようだ。
はなから、碌に討議する気持ちも感じられない。
堕落だなと思いながら見るが、さすがに途中でテレビを消す。
しばらく、本を読む。外は雨が降ったり、やんだりという有様である。
やがて、夕方近くなるころ、どす黒い雲が広がり、再びの豪雨。
夜中ぐらいまでは、こんな調子で雨が降るらしい。
なんとも、焦点のぼやけた一日であった。


【15年11月8日】
終日、雨。さきほどは、かなり強い降りだった。
地元公民館の文化祭に自句の色紙(書は知人の筆になる)を出す。ついでに句集も無料配布で置いておく。20冊ほど持ち帰っていただいた。助かる。
まだ、自宅には段ボール一箱分くらい在庫がある。
いつもの日課に戻る。読書。「小学」は、ある意味大変面白い。儒教道徳の教則本的な性格の本であるが、生活の細部にまで渡る振る舞いかたが指摘してあって、思わず笑ってしまうほどだ。
ある意味、強烈な教条主義的なところもあったりして、その徹底ぶりがすごい。
たとえば、普通の男子が、毎朝父母に仕えるにあたり、「一番鶏が鳴く頃起床し、手を洗い、口をすすぎ、髪をとかし、もとどりをかため簪をさし、髪の根本を束ねてそのあまりを後方に垂らし、髪についたほこりを払い落としてから、冠をつけ、冠の紐はあごの下で結んで固定し、紐の余りは下に垂らし……、」という調子で、父母の前に出るまでの身繕いから、父母に処する動作までが詳しく書きしるされ、それがさらに女性パターンと幼児パターンについても、同様に詳細に指示されていく、というありさまである。
どこまでその通りに実行したものか、判断はつかないけれど、あるいはほぼその通りに毎日の振る舞いが繰り返されていたのかもしれない、とも思う。
とはいえ、私たちの日常生活においても、これに近い状態が毎日習慣化して繰り返されているといえば、実際そうなので、あまり驚くに足らないことかもしれない。
日常の些事に至る部分までが、一定の規律として明文化されているところに、違和感や滑稽さを感じるだけなのかもしれないけれど。
なかなか面白い。
『和泉式部日記』まもなく読み終わる。男の元へ行こうか、いくまいかとそれがポーズなのか、真剣な迷いなのか判然としないまま、内容は進んでいく。前に、これは当人以外の作者がいて、創作された日記形式の歌物語的性格の文章かも、と書いたけれども、あるいは全体が本人の回想であるとするならば、和泉式部自身が作者として、ある時期の自分たちの姿を少し遠くから見直して、それを書き記したと考えれば、回想録風日記文学ということになるのかもしれない、とも脚注などの注釈を読みながら思ったりもしたものだ。
近代文学は、田村泰治郎『肉体の門』、原民喜『夏の花』、小山清『聖アンデルセン』と読んで行く。いずれも読み応えのある作品である。


【15年11月7日】
所用のため、丹後の句会を欠席する。
投句だけは、Mさんにお願いし、FAXをおくっておく。
夕方、返信があって、句会の結果などを教えていただく。宿題が「小芋飯」で、席題が「雑木紅葉」であった。
面白そうな句が、沢山投句されたようだ。岩城先生の選も、幅広い作品が選ばれてあるように思われた。
一日保った天気も、夜に入って一気に下り気味。明日からしばらくは、曇天雨天の日がしばらく続きそうだ。


【15年11月4日】
終日、雲一つない文字通りの快晴状態であった。
異様なくらいに良い天気だったので、さすがにどこかに出かけてみようと、急遽読書を中断して、車で出かける。
市内の城山近くの公園に行こうと思ったのだが、当てにしていた公園内の駐車場が、平日は閉鎖されているらしくて、仕方なく引き返して、港の方に向かう。
波止場が駐車可能だったので、車を置いて、護岸堰堤をずっと歩く。
無風快晴ということで、海も全く波はない。のっぺりとした水面が、対岸まで広がっている。堰堤の下は深くなっていて、そこに海月がやたらたくさん浮遊している。
傘を閉じ開きして、ゆらゆら水面近くを移動している。時折小魚の銀鱗が水中にきらめいたりもする。
さより釣りをしているという人をしばらく見物し、さらに漁を終えて帰ってきた小型船の船長から獲物を買い取っているらしい人とのやり取りを近くで聞いたりもする。
船長は、船倉から体長5、60センチくらいの鱸を網ですくいあげて、その場でえらのあたりに包丁をぶすぶす突き立てて血抜きなどして、その後海水で洗った魚をビニール袋に一匹、二匹と放り込んでいる。
それを買い取りの人が、そのまま受け取る。
やり取りを見終えてから、車に戻り、次の目的地へ移動。
ちょっとした山登り気分を味わってから帰宅する。頂上から見渡す眼下の海が、日差しを反射してきらめいて見えた。夕方になれば、コハクチョウが夜を過ごすために、餌場である近隣の田畑から帰って来る海である。
帰宅後は、読書の続き。『小泉式部日記』の続きと、句集を1冊夕方まで読む。
その後、モニター番組を連続して2本見て、少々疲れ、本日はおしまい。
遅めの夕食を取り、休むこととする。


【15年11月3日】
日曜日。京都行き。
大学時代のサークルの同窓会に参加。ずいぶんおしゃれな京会席の店であった。
料理は美味。少々飲み過ぎたかもしれない。昼の酒は、よく回るという。
その後、近所の京都御所へ出かける。御所内を一般公開していたので、その見学。初老の男が十名ほど、ぞろぞろと出かける。
見学客は、思ったほど多くはなかった。そのぶん、ゆっくりと各御殿を見学してまわることができた。京都在住36年の身ではあったけれど、今回初めて御所の普段は非公開の部分を眺めることができた。
紫宸殿や清涼殿など、やはり興味ぶかかった。
御所を出て、近所のお店へとはいる。そこは、買い物をすれば、飲み物が無料になるというシステムの店で、何人かの人が買ったおかきを持ち込みにして、各自がてんでに珈琲などを飲む。
こんな店があるのを初めて知った。なかなか結構なシステムである。
夜は、いつもお世話になっている知人のとことへお邪魔する。さすがに酔っていたので、しばらく来客用の部屋で休憩をとってから、お邪魔することになる。
2時間ほど、四方山話。なにかと話題の豊かな人物である。
月曜日。朝食をごちそうになって、その後、昔の同僚を訪ねて某校にお邪魔する。
真新しい図書館の施設や、すでに今はない勤務校の記念館などを見学させてもらい、数人の元同僚と再会して、短い時間だったけれど近況報告を交わしたりする。
午後早くのバスで帰郷。西に向かうので、バスの進行に従い、天気が回復していくのが分かる。中国山脈は、紅葉の盛りからその終わりへと標高ごとに様相を変えて、車窓から眺めているだけで、十分楽しい。
帰宅後、少々疲れを感じ、夕食後、すぐに就寝。しかし、実際に寝付いたのは11時過ぎだった。
最近は、奇妙な夢をよく見る。朝、目を覚ましてから、その夢の意味をいろいろ考えたりもする。
火曜日。文化の日。朝の連続ドラマだけ見て、読書。『小学』を読み始める。朱子学の本。なんとも堅苦しい印象を持つが、それまでの老荘思想とのギャップが面白いかもしれない、と思う。
『和泉式部日記』は、相変わらずの小悪魔状態である。男も適当に遊んでいるようだけれど。その本気度が、微妙であったりするのが、読みの醍醐味のひとつなのであろうか、と思う。
実家に録画しておいてもらったモニター用番組を見て、レポートを書く。5分の番組で、1000字あまりのレポートとなる。
これで、午前中は終了。