日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【15年12月31日】
晴れたかと思うと、突然の雨、さらに雷がなって、霙に急変、という変転きわまりない大晦日の天気のようです。
とりあえず、すべきことはし終えて(地元句会への投句が、本日閉め切りだったことに気付き、大慌てで句作後、投函ということはあったにしても)、のんびりと過ごしています。
本を少し読み、午後からは映画『のだめカンタービレ』前・後編を見るつもり。
夕方からは、実家に顔を出し、年越しそばをごちそうになって、その後は湯たんぽを抱えてさっさと寝る予定。夜更かしはしません。
個人的には、だいたい思い通りの1年であったように思います。
来年は、あらたなことに取り組んで行きたいとの思いがあり、具体的にやってみたいことなども構想としてあります。
さて、どうなることやら。
この1年間、消息文のようなこのブログにおつきあいいただき、ありがとうございました。
来年が、皆様にとって良い歳となりますよう、祈念申し上げます。
【15年12月30日】
朝方は、氷点下近くまで気温が下がったようで、布団の中でも少々寒さを感じるほどだった。
放射冷却があったと思う。寝室の出窓が、うっすら結露していた。
ぷちぷちで出窓部分を断熱したせいか、冷気が室内にまで伝わってくることは減ったけれど、窓とぷちぷちの間の空気層が温度差を招いたのだろうか、などと思う。
もっとも、まだ本格的な冬の寒さには遠い状態なので、この先どうなることかと思う。
本日も終日、快晴。
朝風呂に入り、暖まってから、洗濯と掃除に取りかかる。
各部屋を余さず掃除機をかけ、その後、散らかっている細々としたものを整理したり、捨てたりしていたら、昼近くになった。
実家の方で、餅つき(もちろん餅つき器による)をするということで、出かけていく。
昨年は、水加減が少々まずかったらしく、出来上がりが堅めであったが、今年は最高の搗き上がりになった。
出来てすぐ、餡餅などにして食べたけれど、大変美味しかった。
お餅が、遅めの昼食となる。
午後は、引き続き室内の片付けをして、さらにテーブルクロスと電球を買いに出かける。
買ってきたテーブルクロスをかけ、二階の電球を1カ所交換する。
夕方になって、掃除は終了。玄関に注連縄を飾り付けて、年越しの準備を終わる。
少々、疲れる。
明日は、大晦日。天気は今ひとつらしい。
外れる事を期待したい。
【15年12月29日】
今日も終日良い天気だった。
曇りの天気予報が外れてくれて、うれしい。
年末と言うことで、今日も掃除。台所を始めたら、なんやかやで結局半日以上かかってしまった。
その結果、ずいぶんきれいになったのだけれど、今度は台所を使うことがためらわれる気分。
その間、途中で犬を病院まで連れて行き、帰ってきてから続きを仕上げる。
さらに、その勢いで家中のぞうきんがけを行う。とはいえ、板の部分は限られているし、フローリングは除外したので、2時間足らずで終了。
古い家だけれど、なんとなく全体がすっきりとしたような印象を受ける。
明日は、くまなく掃除機をかけ、こまごまとしたものを整理して、大掃除を完了とするつもり。
庭の落ち葉は、そっとしておくことにする。一部は、腐葉土にするつもりで強引に土の中にすき込んだりもしたのだけれど。
夕方まで少し時間があったので、送っていただいた結社誌を少し読む。
夜、晩酌のつもりで、久しぶりに日本酒を少し飲む。
昨夜の某テレビ番組で、吉田類氏がいかにも美味しそうに日本酒を飲んでいる姿を見て、ちょっと飲んでみようと思ったのだ。
ただ、量は1合くらいだったけれど、結構まわっている。
夜の「歩き」は、今夜は中止と言うことになりそうだ。
眠いので、もうこのまま寝てしまおうかと思う。
湯たんぽは、快適である。
何故、昨冬から使わなかったのかと、少々悔やむ。
【15年12月28日】
荒天になると思いきや、午前中早くの雨と霰以降は、すっかり良い天気になった。
おかげで、家中の窓をきれいに磨き、窓という窓を開けて、空気の入れ換えを行う事が出来た。
夕方になるまで、風通しのため開けっ放しの室内にいて、少しも寒くないという、まるで小春日和が帰ってきたかのような陽気だった。
とはいえ、さすがに日が沈むと気温は急に下がってきたけれど。
気持ちよく過ごすことのできた一日だった。
今年も、あと数日で終わる。
実家の方で、注連縄を買っておいてくれたので、ありがたくいただいて帰る。
さすがに、まだ飾るには早すぎるので、一夜飾りは避けて、30日に飾り付けようと思う。とりあえず、床の間に置いておくことにする。
ちょっとだけ、新年を迎える気分になったようだ。
【15年12月25日】
年賀状の印刷終了。早速投函する。
少しだけ、年賀を整理することにした。
それでも、北海道、本州、四国へと賀状は配送されることになる。そう言えば、兄弟が在住ということを除いて、九州との縁は薄かったようだ。
県の人材バンクに登録しておいたら、今日電話がきた。
ボランティア的な活動だけれど、1件問い合わせがあったという。
連絡された先と直接電話で話し、引き続き検討していくこととなった。
少し外に出ることも良いかとも、と思う。どうなるか。
午後から、思いがけず青空が広がる。
冬は、曇天の日が多いので、その分時折の青空の鮮やかさがひときわ印象的だ。
明日は、今年最後の地元句会。全没だけは避けたいと思う。
モニターの仕事も、明日と明後日の1件ずつを残すのみとなった。
あとは、ざっと掃除をして、新しい歳を迎えようと思う。
今夜から、数日冷え込むらしい。また、湯たんぽのお世話にならなければ。
【15年12月24日】
そう言えば、今夜はクリスマスイブだった。
個人的には特に何がどうというわけでもないけれど、世の中はそれなりに華やいでいることだろうと思われる。
クリスマス寒波に見舞われることもなく、山陰地方はどうやら今晩はおだやかに、さほど寒くもなく過ごせそうだ。
これがクリスマスプレゼントといえば、季節からのおくりものということになるのかもしれない。感謝。
ここ数年で、季語クリスマスを使った句が数句あったので、載せておこうと思う。
「併走の車窓明るしクリスマス」
「旅のメモ本に挟みてクリスマス」
「旅の珈琲クリスマスソング聞きながら」
「クリスマスイブのお菓子の蝋燭よ」
「メリーとはいかな意味なるクリスマス」
最後の句は、昨年の句で、それまでの素直な句から、ずいぶん歪んだものになっているな、と我ながら思う。
年賀状の印刷は、明日にまわすことにして、今夜はもうさっさと寝ることにしよう。
【15年12月22日】
荒天と好天とが、入れ替わり立ち替わり状態でやってくる。今日は、一日好天。
窓という窓のカーテンを開けて、外光が差し込むようにする。
室内を暖めておけば、日が落ちてもしばらくは、昼間の温かさが残っている状態となる。
今日は、冬至。きれいな夕焼け空が広がっている。
柚湯には入らないけれど、惣菜に南瓜を買ってきて、夕食には食べるつもり。
買い物に行った時は、自分で炊こうかと思ったけれど、少々めんどくさかったので、できあいのものにした。
年賀状の準備を進める。とはいえ、基本的なパターンは決まっているので、文言を少々換え、良さそうな手撮りの写真を選んで貼り付け、あとはそれに添える一句を考えるだけである。
句は、明日考えることにする。
今日は、急に入ったモニター依頼や、実家での用事などがあって、少々ばたついた一日だった。
読書は、飯田蛇笏の句集『霊芝』を読み終え、『小学』の続きを読み進めた程度。『霊芝』は、千句ほどの句集で、色々な意味でなかなか読み応えがあった。
山村風景をそのまま描き上げたような作から、軽妙洒脱な句、いかにも文学していますという作から、よく分からない少々気持ちの悪い作まで、なんとも印象の濃い作品群であった。読み終えて、どこかほっとしたようなところもあった。
昨日は、雨降りの中を走るはめになったけれど、今日は青空の下を気分良く走る(というより、流すという感じだけれど)ことができた。
途中、犬を散歩させている夫婦にであったけれど、連れている犬が、下半身が完全に弱ってしまっているようで、ご主人のほうが後ろ脚を固定させるようにして帯で持ち上げ、前足だけで歩かせている、そんな散歩であった。当の犬の方は、ごく当たり前という表情で、ひよこひょこ歩いているので、走る足を止めて、二言三言飼い主の人と話をする。
立派なものだと思う。
【15年12月20日】
朝、「NHK俳句」を見ていたら、主宰の櫂未知子氏の自作が紹介されてあった。「南風吹くカレーライスに海と陸」という作品。個人的に面白いな、と思っている句なのだが、本人がこの句の要諦として「ものしか詠っていない」ことをあげているのに、少々違和感を感じた。
ここで櫂未知子氏が「もの」を指摘したのは、俳句の作り方のポイントの一つとして、最短詩形の俳句は、「こと」を詠うことは困難で、「もの」を詠うときにこそ、最短詩としての本領を発揮するというほぼ共通認識とされているようなことがあって、それを踏まえての発言であるということだ。
発言自体は、真っ当なものと思い、また俳句が「もの」を詠う詩であるという側面を持っていることも否定はしない。
ただ、この句に関しては、はたして「もの」が詠われてあるのか、という点に少々ひっかかったわけだ。
だって「カレーライス」が素材として詠われているではないか、ということはあるけれど、ただし「カレーライス」自体は、固有名詞とはいえ「もの」と言いうるほどの実態や質感などをこの句の中で表現している訳ではない。
いや、「陸と海」があるではないか、これは「カレーライス」の「ご飯とカレールー」のことを詠っているではないか、ということもあるかもしれない。しかし、「海と陸」はあくまで「海的なもの」とそれに対する「陸的なもの」であって、「カレールーとご飯」とは質的に異なるもので、「カレーライス」を「もの」として成立させる裏付けに成り得ないように思われる。それらは、言葉によって仮構された比喩表現に他ならない、「もの」に対して見立てられたものだからだ。
個人的にこの句が面白いと思えたのは、そんな機知のひらめきに対する共感にもとづくものだ。私自身は、この句を通じて季語との比喩表現との相乗効果から、なぜか南の島とか南国などをふと連想してしまう。カレーから想起する香辛料的なものもその連想に関与していることだろう。
もちろん、目の前にあるのは一皿のカレー(創作のきっかけもまさにそのような状況だったようだが)であるけれど、カレーを詠いつつ、ふっと別次元の世界へ想像を飛躍させてくれる面白さのようなものを、勝手にこの句に対して抱いていたので、作者の「ものしか詠っていない」という言葉に、そうなのかと思った次第。
「もの」を直接詠っていないけれど、でも俳句としてはその可能性を含めてとても面白い句、という風に思っていたのだ。とんだ思い違いだったのかもしれない。でも、面白い句ではある。
もちろん、作品は作者の思いを越えて遙か遠くまで行ってしまうということもあるようなので、そんな1句なのかもとも、勝手に思ったりもするのだが。
蛇足だけれど、「カレーライスに海と陸」という表現は、硯に「海や陸」があるというところから、全く異なったものの共通点の発見ということはあるにしろ、それほど離れていない把握なり表現のようにも思われる。
やはり、季語の力か。
【15年12月19日】
朝、昼、晩と、それぞれの時間帯にモニター視聴や、レポート記入が入っていて、それを基準にして動いた一日。
これを書き終わった後に、本日最後の番組視聴がある。
ふたつ合計すると16番組を視聴することになるが、指定があるのでどうしても、曜日が重なったりすることになる。視聴して、すぐに書くということができないので、見て、書いてで二日間に渡る。そんな状態なので、結局1月の3分の2くらい、モニターに関わる日ができるということになる。
4月以、読書、「歩き」、モニターの3本柱で生活してきて、9ヶ月が経過しようとしている。本当に、早いものだ。
今夜は冷え込むらしい。1時間ほど、エアコンをつけたら、室内がほんわりと暖かくなった。居間とつながっている書斎の方も、その余熱で温かい。
湯たんぽは、すでにお湯を入れて、布団の中に入れておいた。
お湯のじんわりと伝わる温かさは、なかなか心地よい。湯たんぽのお湯は、朝までぬくみを保っているので、それで顔を洗ったりしている。
食器などもちょっと洗ったりする。なかなか便利で、省エネ的であると思う。
なんとも、たわいのない一日であった。
【15年12月17日】
数日前、夜「双子座流星群」を見に、散歩がてら出かけて、外灯の無い暗い道を、上を見上げながら歩いていたら、道路をから足を踏み外して、横の田圃へ落っこちてしまった。
幸い、というのか、そこが耕作放棄地になっていて、半分枯れ茂った草の上に倒れ込んだので、まるでクッションの良く効いたソファーかベットに弾みをつけて横になったような感じで、結構気持ちが良かった。幸い、水も溜まっておらず、そのまま道路に上がって、さらに散歩を続けた。
天気は曇りで、夜中には雨が降り出すだろうというような天気予報であったけれど、幸運なことに1時間ばかり、雲の一部が切れたような状態になり、雲間に覗くオリオン座やカシオペアを背景にして、14、5個の流星を確認することが出来た。
今年は、流星群が出現する時をねらったように悪天が続き、一度もまともに流星群を眺める事が出来なかったが、限られた時間とはいえ、年末のこんな時期にふたご座流星群の一部を確かめる事が出来たのは幸いだった。
今日は、朝から荒天。気温は低く、空は晴れたと思ったら、急に雨から雪にかわるという状況だった。
今日が、今年のこの地域での初雪ということになるのだろうか。
午後、霙の降る中を、車を走らせて、市内の書店へ出かける。俳句関係の月刊誌はもう購入しなくなっていたのだけれど、資料のつもりで『俳句年鑑』を買いに行く。
書店自体に出かけることが、数ヶ月ぶりのことで、行ってみたら店内がずいぶんおしゃれに改装されてあって、驚く。
広い店内の一部に喫茶コーナーや物品販売コーナーまで出来ていて、本の配置が分からず、店内をうろうろする。
やっと文芸雑誌のコーナーに行き着いて、『年鑑』購入。なんと2900円もした。高いな、と思う。図書券で購入。しっかり目を通さねばと思う。
帰りにガソリンスタンドに寄る。一軒目のスタンドは、なぜかその地域一帯が突然の停電でガソリン注入ができなくなっていた。道路の信号機も、当然消えていて、道路は次第に渋滞状態になってきていた。急いでそのスタンドを出て、別の店へ。
そこは電気が通っていたので、無事ガソリンを入れることが出来た。リッター127円だった。
毎回決まった量を入れるので、その比較からも確かにガソリン価格が安くなっていると実感する。
夜、少しずつ寒さがつのっていくようだ。
昨夜、初めて湯たんぽを使用。ほんのりと温かい状態で朝まで。
なかなか快適だった。低温やけどは、小さい頃一度経験があるので、注意しなければと思う。
しかし、なかなか良い。
【15年12月15日】
寒くない。着るものの調整だけで、寒さを防げているのはありがたい。
明日日中一杯は、こんな状態で過ごせそうだけれど、夜に入ると様相はがらりと変わりそうだ。明後日、明々後日は平野部でも降雪がありそうだ。
どうやら冬らしい季節に突入するらしい。
夕方、北海道の出張から帰ってくる姪を迎えに、空港まで出かける。すでに、飛行機は到着していて、路上駐車で空港の建物から出てくる姪を待つ。
結構身軽な姿で車に乗り込んできた姪は、北海道が思ったほど寒くなかったと語った。雪は降ったらしいけれど、気温もさほど下がったわけではないらしかった。
温暖化の進行によるゴジラエルニーニョは、北海道にも影響をもたらしたようだった。
庭の紅葉が、やっと散り終えて、庭は半分くらいが落ち葉に占領されたような状態になっている。このまま放置しておいて、季節はずれの秋の風情を楽しんでもよいけれど、雪が来た後では、落ち葉の始末が厄介になるので、なんとか半分くらい落ち葉をかき集めて、人ひとりが十分入るくらいの大きなビニール袋二袋に詰め込んだ。濡れてもいるし、このままの詰め込んだ状態で放置しておけば、来春には結構な腐葉土みたいなものになりはしまいかとふと思ったけれど、妄想のレベルを越えない期待に終わりそうだ。始末をしなければならない。
【15年12月14日】
比較的暖かい日が続いていてありがたい。
今日は、一日天気ももったので、午前中は日差しを部屋の中に入れることも出来た。
洗濯も、屋根付きの干場から、庭の方に移動させて干すこともできた。夕方まで乾ききらなかったものもあったけれど、大体は取り入れる事が出来てよかった。
明日は雨、明後日以降一時的に冬型の天気になるらしい。そうなれば、なかなか洗濯もしづらくなる。
午前中、モニターのレポート2本仕上げて送信。午後は、読書。そして、夕方からは、1時間ほどスロージョギング。さすがに今日は汗をかいた。
スローといいつつ、少しずつ走る速度が変わってきているのは、以前のジョギングの頃を思い出しているせいかもしれない。
少し抑制しなければ、今後続かないだろうと思う。
本を読んでいて、ふと部屋のどこかが微かに振動しているびりびりという音を聞く。なんだろうと思って耳をすましていると、しばらくして音は聞こえなくなった。思い当たることがあって、リビングのテレビをつけると、ほどなく地震情報がテロップで出された。震源地は震度4,この辺りは震度は1だったらしい。あの振動音は、地震の揺れだったらしい。ただし、身体にはまるで揺れは感じなかった。
本を読んでいて、何気なく階下の道路の方を見たら、ジャンパー姿の見慣れない男が、家の前をなんとなくそわそわしたような落ち着かない様子で歩いていた。そのまま自宅の入口の所の立ち止まって、中の方を見ている様子なので、来客かと思い、そのつもりでしばらく待っていると、姿が見えなくなっていた。
何となく気になったので、下におり、玄関を出て道路まで行ってみたが、すでに男の姿はなかった。
別に何と言うこともないことなのだろうけれど、師走という時期を改めて感じてしまったものだ。
12月も、すでに半ばにさしかかろうとしている。
【15年12月13日】
日曜日。一時、青空が広がったけれど、それ以外の時間帯はほぼ小雨交じりの悪天。
終日、自宅にいて、少々所在ない状態で過ごす。
読書は、『蜻蛉日記』の続きを少々。
昨日の句会の出欠や出納をまとめたり、自身の句作をデーター化したり、買い物に出たり、変に眠くて短時間昼寝をしたり、テレビの「ビフォーアフター」を見たり、というような有様。
昨日は、丹後の句会だった。今年最後の句会。個人的にも、今月動くのは、この句会くらいだったから、今年最後の積極的活動ということになるのだろう。あとは、静かに歳が暮れるのを迎える、ということになるのだろう、と思う。
丹後への車中では、行きは沿線の荒れた日本海の様子を断続的に眺めていた。帰りは、すっかり暗くなってしまうので、通過する駅や降車する学生や一般の人、あるいは暗闇に浮かぶ家々の灯りなどを眺めて時間を過ごしていた。
とはいえ、先日の地元句会で手に入れた、某結社の指導用小冊子に、しばらく目を通したりもした。
書いてあることは、なるほどとうなづくことが多くて、参考になる見解もあった。
けれど、読み終わって後改めて考えてみると、これは子規・虚子以降の近代俳句の基本的見解をとても理解しやすく紹介した内容であることに気がついた。
まさに、結社の指導用冊子としては、至れり尽くせりの内容を持つテキストなのだろう。
本文中に、これがわが結社の基本的な方向性的なことが、繰り返し触れられていたけれど、内容の善し悪しとは別に、なんとなくその部分について、微妙な違和感を感じていた。
違和感の中身は、その方向性とは、近代俳句が志向した方向性であって、結社はその上に、各結社らしい何かを積み上げていくことに、結社としての存在意味や価値があるのではないか、ということなのだった。言い換えると、志向する方向が下手をすると教条的な性格を帯び、さらには結社自体を拘束するようなものになりはしまいか、という危惧のようなものを感じたということだ。
余計なお世話、なのだろうけれども。
もちろんそれは、基本的な方向性であり、本文で言えば俳句の土台部分にあたるもので、その土台をしっかり固めた上で、志向する方向性の深化を計るという風に話はつながっており、そしてその深化のあるべき姿が師系にまでつながってゆくという広がりをはらんでいることも確かなようだ。
ただ、果たしてその土台自体が、俳句本来のありかたをきちんと反映しているものなのかどうか、という点に対する疑念のようなものはきれいに払拭されているようで、その点が少し気になったりもしたものだ。もちろん、そんな疑念などは、結社のありよう自体に余計な混乱をもたらすだけのものかもしれないけれども。
ともかくも、いろいろ考えを刺激してもらえた小冊子であり、その点で興味深い面白い内容のテキストであった。こういう結社指導用のテキストは、初めて読んだ。
句会は、少々びっくりするようなものも含めて、大変面白かった。宿題は「大根焚」、当日課題は「羽子うち」だった。珍しく、複数句が岩城選に入った。開き直りのおかげかと思った。
【15年12月11日】
午前中は、台風のような天気だった。強い風と、激しい雨とで、部屋の中では明かりを灯していないと薄暗いというような状態だった。
そんなせいで、午前中は蛍光灯の灯りの下で、いつものように本を読む。
『蜻蛉日記』が、上編を終え、中編に入った。なかなか面白い。
今日読んだところでは、主人公が体調を崩し(それまでに、主人の兼家の身内に大変な出来事があって、それに巻き込まれた形の主人公も、ひどくストレスを感じたことだろうとおもうけれど。体調不良もその影響ではあるまいか、などと思ったりしたが)、一向回復しないまま、とうとう自らの死を意識して、兼家あてに遺書を書いて残すというようなことになったことが語られてある。自分が死んで、忌み明けの後、主人に渡すような手はずまで整えておいたのだけれど、幸いそれ以上の病状悪化はなくて、なんとか回復に向かうというような内容であった。
無常観が基本的な世界観の時代だったし、実際突然社会的に失脚したり、その結果出家したりとかというような不安に満ちた時勢の中で、自らは兼家の正妻という訳でもないという不安定な立場でのことであったから、一層精神的に追いつめられてしまっていたことだろうと思う。
上編の最後が、長谷詣でを終えて、都へ帰り着くまでの、にぎやかで華やいだ状態の中で終わったので、その落差の大きさに一層そんな感想をもちらも持つことになったようだ。
午後になって、雨は残ったものの、風は収まったので、実家の方に顔出しをしたり、買い物を済ませたりして、午後を過ごす。
その後、2階の書斎で本を読んでいると、狭いベランダに、何かの生き物の動く気配があった。レースのカーテン越しにベランダを見ると、茶色の毛で、細長い胴体の体長30センチくらいの生き物が、ちょろちょろと動き回っている。イタチだった。
近所の野原で、たまにその姿を見かけることはあったけれど、まさか自宅のベランダに出現するのは、初めてだった。珍しいことなので、携帯で写真を撮ろうと準備をしかかると、室内のそんな気配に気付いたのか、エアコンの室外機の影にさっと身を隠してしまった。急いで戸をあけて、室外機の周辺を調べたが、もうその姿はなかった。ベランダに接する植木伝いに逃げていってしまったようだ。残念である。
夕方。ぱらついていた雨も完全にやんだようだった。
明日は、丹後の句会がある。現地の天気は曇りのようだ。気温は少し低いかもしれない。1ヶ月飛ばしてしまったので、少々間があいてしまった。
明日は、4時過ぎ起床ということになる。
【15年12月8日】
師走に入って、毎日の動きが慌ただしくなったような気がする。
前回の書き込みを終えて、すでに3日たっていたのかと思っている。
とはいえ、自分自身の生活のペースはほぼ変わりないので、自分を取り巻く環境が動きを早めているのかもしれない。
今夕、久しぶりに職場の元同僚から携帯があった。在職中に顧問をしていたクラブの部員が顔出しをしたので、連絡してみたとのことだった。
当人達は、すでに元担任のところに挨拶に出かけたらしく直接話をすることはできなかったけれど、それを連絡してくれた同僚に感謝、感謝である。
そんな繋がりが残っているのが、ありがたいように思われる。特に、現地を離れているので、一層その感慨は深い。
『小学』は、半分近くまで読み進めた。その道徳とか、倫理的な側面はあまり関心をひかないけれど、そのような教条的な考えが反映した生活様態については、大変面白く思う。
おそらく、現在の生活中の振る舞いの中にも、それらのことが濃く薄く反映しているように思われる。それは、地元だけでなく、現在の日本においてもその影響は完全に払拭されたわけではなかろうと思われる。
『蜻蛉日記』は、読みすすむに連れて、どんどん面白くなっていく。主人公の生理的な部分まで含めて、そのありようが興味をぐっと引きつけてくるようだ。最初は、少々読みにくかった文章も、比較的そのままに読み進めていけるようになってきた。すると、それだけ面白みが増えてくることになったようだ。
どちらも、時間をかけて読むことが楽しい作品である、と思えるようになった。最初は、ちょっと抵抗感があったけれども。
小ミカンは、そのままの状態で、小鳥が啄みにくる様子は見えない。皮が固いので、食欲を刺激しないのだろうか、などと思ったりする。果実に少し切れ目など入れた方が良いのかもしれない。暖冬で、雪もなく、結構各家庭の庭に、美味しそうな果実がそのまま残っていたりしているので、鳥たちも食べるものに困っていないのかもしれない、などとも考える。
【15年12月5日】
庭の紅葉。この時期なので、「冬紅葉」ということになる。12月に入っているのに、まだ一部緑っぽいところが残っている。
裏庭の紅葉は、まだほとんど紅葉もしていない。やはり、暖冬のせいなのだろうか、と思う。
朝、花水木の木に、10羽近くの鳥が集まっていた。囀りながら、なにかつついている様子だった。冬芽を食べているのだろうか。
鳥の名前は、わからない。もちろん、雀とか目白などではないようだ。
実家の方に、小ミカンが誰も食べないままになっているので、実の付いた枝を2、3本切ってきて、花水木の枝に結びつけておいた。
食べに来ないかと思っていたが、夕方になるまで、ついばみに来た様子はなかった。
先日の強い風で、裏の物干場の屋根の波板をとめるフックが外れたり、飛んでなくなっていたりしたので、ホームセンターに行って、買って来る。
隣家との境のブロック塀に乗って、はずれかかったものを直したり、無くなっているところを補充したりする。手前の方は、乗ったままで手が届くので良いが、奥の方は手が届かず、どうしたものかと思う。
雪が降ると、積もった雪が崩れるときにきちんとはまっていないフックを一緒に流してしまうので、今の内になんとかしなければならない。
これも、冬の準備のひとつだろう。
出窓の部分の寒さ対策に、最初はカーテンを増やそうと思ったけれど、カーテンのかわりに梱包用のぷちぷちを使うことにした。
空気層が断熱効果を生むとかいうことなので、カーテンよりも防寒効果がありそうで、フックを買うついでに、それも買ってきた。
出窓の大きさに切ったり貼ったりして、恐らく前の住人がカーテンを吊していたらしいフックに引っかけるようにして、窓の室側にぷちぷちのカーテンを吊すことができた。
それだけで、室内が少し暖かくなったような気分になった。
心理的効果、というものも、このぷちぷちのカーテンにはあるらしい。
モニターを昼のうちに2本書いて送る。夜にもう1本。
土曜日は、ここ2ヶ月はこんなペースになりそうだ。
そういえば、今日は1冊も本を読んでいない。
【15年12月3日】
時間通りに、ディーラーが車を取りに来る。ソフトの問題で、エンジンがかからなくなる恐れがあるとのことで、無料サービスという名目で、バージョンアップをするということらしい。
なんとなく、釈然としない点はあるのだけれど、動かなくなれば困るので調整に出す事にした。無料らしい。ついでに、タイヤを冬用に交換してもらうことにした。こちらは、もちろん有料である。
午後から、ジョギングにでるつもりであったが、あいにく雨が降り始めた。天気が崩れるのは夕方くらいからと思っていたので、ずいぶん早い。風が強まり、気温があきらかに下がってくる。
夕方になって、車が帰って来る。ノーマルタイヤを物置にしまって、これで、車についての冬の準備は終了ということになる。年末寒波あたりから、スノータイヤが活躍することになるかもしれない。
今年は、暖冬らしいけれど、雪が少なければそれはそれでありがたいことだと思う。
夕方から、番組を一つ見る。来年度のモニター募集に応募するための準備。番組を見て、数百字程度のレポートを提出する。今日は、見るだけで、明日レポートを書く積もり。
通れば、ありがたい。
実家の方では、ストーブを出しているけれど、こちらはまだ一切暖房は使っていない。寒くて暖が必要という状態ではないからだ。
今年は、誕生日に実家から薄手のダウンをプレゼントされたのだが、それがずいぶん重宝する。
もっとも、明日は少し冷え込むようだから、どうなるかはわからない。
これから、毎日の寒暖を気にしながら、生活することになるわけだ。
庭の山茶花はいまが赤い花が盛りで、紅葉はようやく全体が赤く染まってきている。花水木も山法師もすっかり枯れ木の状態になってしまった。
躑躅は、緑の葉っぱを茂らせていて、なかなか元気であると思う。
【15年12月2日】
午前中は、良い天気だったが、午後になると、悪天の兆しの絹雲が空に広がり、やがてどんどん雲が厚くなり、夕方にはとうとう雨が降り始める。
明日も一日、曇天ないし雨となるのだろう。
今朝は、うんと冷え込んで、早朝に近所を散歩すると、野原一面に初霜が下りていた。寝室の出窓が珍しく結露する。2階の和室の窓も薄く結露していた。
内と外との気温差が相当あったものと思われる。
しかし、陽気のせいもあり、その後気温はぐんぐん上昇して、12月には珍しく小春日和の陽気となる。毛布や布団を日差しにあて、家中の窓を開けて、空気を入れ換える。
それでも、寒さを一向感じない状態だった。
朝のうちに、モニターを1本仕上げ、その後読書。短編をふたつ読む。いずれも面白い。
甥がレッスンを受けるというので、しばらく見学に行く。さすが、現役のプロの指導は見応えがあった。
午後、引き続き読書。その後、雨が降り出さないうちにと、スロージョギングに出かける。
大山がまだ雲の下なので、雨にはもう少し猶予があるかと踏んでいたのだが、走りの途中でぱらぱらと降り始める。
うっすら濡れて、帰宅する。
NHKのドキュメンタリーの夕方からの再放送を何気なく見始めて、ついつい見続けてしまう。
内容は、アフリカにおけるエイズの治療薬普及についての、インド制作の番組だった。
新薬の特許権の関係で、アフリカ各地にエイズ治療のための価格の安いジェネリックの薬が販売できず、数百万人に及ぶ死者が出ていて、その状況がどのように打開され、しかし新たな展開が挫折の結果を迎えるというものだった。
薬の価格は、製薬会社の思うがままに決定され、ある時期異常なほどの利益を上げ続けたという背景なども紹介されていた。
日本では、来年度からジェネリック薬品の価格が、元の薬品の60パーセントから50パーセントに引き下げられることが決まった。
それ自体は、ありがたいことだけれど、現在においても薬を手に入れる事が出来ず、そのために亡くなる人達が数百万人の規模で存在することを、この番組を通じて知った。.
【15年12月1日】
12月に入った。新しい生活に入ってから、2度目の本格的な冬を迎えようとしている。
とはいえ、今日もほとんど寒さを感じない一日だった。
気温は、6度−12度の間を推移しているようだけれど、例年に比べるとやはりずいぶん温かいのではないかと思われる。
冬に入ると、晴れの日が極端に少なくなるのが山陰地方の特徴のひとつなのだろうが、今日はその稀な晴れの日にあたっていたようだ。
とはいえ、朝は雨降りだったのだけれど。明日も日中は引き続き、晴れ。しかし、夜に入れば雨になる。その後、曇りないしは雨の日が又数日続くようだ。
こんな風にして、季節は前に前に進んでいくようである。
今日は、朝のうちに読書。その後、実家に録画して置いてもらったモニター番組を見て、内容をまとめ上げ、午後からレポートをまとめる。
1時間くらいでレポートは書き終わり、その後日のあるうちにと思って、スロージョギングに出かける。
ほんとうにとろとろと1時間くらい走る。晴天の空の果てに、冠雪の大山が望まれる。麓の方の雪は、さすがに融けたようだ。ただ、スキー場の所にだけは白く雪が残っているようだ。
帰宅後、夕方をなんとなくぶらぶら過ごして、その後、本日分のモニター番組を見る。
そして、夕食。久しぶりに、インスタントラーメンを食べる。たまに、食べたいなと思う時があるのだが、普段は買い置きしてないので、今夜はふと思いついて買っておいたものを食べる。
結構おいしいと思う。
夜は、ほとんど何もしない。
こんな調子で、今年最後のひと月を過ごすようだ。.