日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【16年1月31日】
1月も本日で終了。はやいものだ。
5時過ぎに起床。出かけるのは7時なのだが、食事をとったり、体調を整えるのに2時間ぐらいかかってしまう。
昔みたいに、ぎりぎりに起きてすぐ、食事も取らずに出発などということは、夢のまた夢みたいなものだ。
外は、半月が中天にかかっていた。北斗七星あたりが、まだ光を失わないで、大きく横たわっているのも見えた。
京都は、曇り時々晴らしい。こちらよりは気温も高め。
会は、前回都合により欠席したので、数ヶ月ぶりのことになる。
今日は、会員さんの近作100句について、鑑賞したり、話し合ったりする。
どんな展開になるのか、楽しみである。
【16年1月30日】
本日は、一日モニターかかりきりとなる。
たまたま予定が重なって、番組4本を1日で見るということになった。
さらに明日は、京都で勉強会があるため、日・月の両日はモニターのレポートは書けない。
そうなると、今日中にレポートを書き上げて送信する必要があり、ばたばた状態となる。
午前中に、番組を3本見る(正確には、1本は1時間のラジオドラマ)。その後、昼食をはさんで、午後一杯で、その3番組のレポートを書き上げる。
夜には、残り1本がある。少々遅い時間帯なので、それまで待ちということになる。
偶然とはいえ、なかなかしんどい。
来月は、幸い上手い具合に散らばっているので、大変ありがたい。
京都から帰ってきたら、2月になっているのか。
【16年1月29日】
一日、雨。
時折、強い東風が吹いたりして、荒れ気味の一日だった。
雨のせいか、空気がしんと冷え込んでいるような感覚だった。とはいえ、一日暖房無しの生活だったけれど。
慣れると、こんなものかなと思う。ただ、2月に入ったら、もう一度かなり強烈な寒気がやって来るらしいので、そのことは注意しておかなければ。
水圧低下による断水や、水の出が悪いという状態は、どうやら解消されたらしい。2階のトイレも、普通に使うことが出来るようになった。
雨のせいで「歩き」にも行けず、完全な家籠もり状態。
『小学』は、官吏の鏡(逆もあるけれど)のような人物達の例を紹介する内容。
もともと、『小学』は、幼少に対する教育の本なので、ふんだんに具体例が紹介されてある。
職務に忠実であることが、大きな苦痛を伴ったり、文字通り命がけだったりする、そんな話が多い。
『蜻蛉日記』、主人公の息子道綱の職場の上司が、恋に対して猛烈な情熱を持った人物で、そんな「まめ男」に少々翻弄され気味の道綱君や、ちょっとかわいいと思いつつも、かなりうんざりしている主人公の姿が語られる。
だた、「ものす(具体的な動作の代用によく使われるいいまわし)」などという婉曲表現が、やたらに出てきて、一体誰がどのような振る舞いをしているのか、その都度かんがえながら解釈しなければならないのが、大変面倒だ。
近代の評論文(今のところ、自然主義がらみの内容が多い。そんな時代なのだろう)。
『俳句年鑑』の俳人5句4ページ分を読み、その後、星野立子の『立子句集』を読了。
ただごと的な内容の句も多かったけれど、星野立子の場合は、それもまた持ち味の一つということになるのだろう。これは、一つの才能だと改めて思う。
【16年1月28日】
現職大臣が、金銭がらみの問題で辞職をしたらしい。
細かいことは、こちらにはわからないけれど、一つだけ説明の中で驚いたことがあった。
それは、当人も何処まで意識しての発言かわからないけれど、得体の知れない金(あるいは、なにがしかの賄賂だったのかもしれないけれど、)が、政治資金という名目で処理される、その生々しい現場を本人が語っていたということだった。
手の内を明かすという言葉があるけれど、あんな風にして、様々な性格の現金が処理されていくのか、ということを知ったような思いになった。
そういえば、マネーロンダリングという言葉もあったけれど。
後任の大臣が、I氏に決まったみたいだけれど、もし本当だったら、辞任した大臣に比べて、あまりにも力量に差があるのではないのか、と余計な心配までしてしまったことだ。
半日、病院。特に問題はなかった。
少々、気分的に疲れ、午後はぼんやりしてしまった。
少しだけ読書。『蜻蛉日記』、少々ややこしいことになっているようだ。「まめ男」の姿、という話題になるのかもしれないけれど……。
【16年1月27日】
数日ぶりに、そして明日からは、また天気は下り坂ということで、洗濯をする。
寒波の影響で、市内各所で水道管が破裂するという状態で、現在も水道の水圧を下げた状態が続いている。
かろうじて水は出るのだが、2階のトイレはタンクに水を足さないと仕えない状態。
洗濯機に、洗濯物を入れて、洗いを始めようとするのだが、水がちょろちょろ状態で、いつ洗濯槽に溜まるか、おぼつかない。
それでも、通常よりは時間がかかったものの、なんとか洗濯終了。
外に干す。天気は曇りだけれど、それでも時折は、雲間から太陽がのぞく。
湿度が高くないせいか、陽光は乏しいわりに、せんたくものは乾いていくようだ。
洗濯物を干し終えて、久しぶりに「歩き」に出かける。ここ数日、運動不足で、筋トレまがいのことをする程度で、色々心配なので、歩きに出られるのがありがたい。
雪の残る畑地を横に見ながら、1時間ほど歩いてくる。思ったほど寒くはなかった。
その後、モニターを1本書いたら、午前中は終わってしまった。
午後は、いつも通り、読書。その間に、結社への投句をまとめ、ちょっと投函に出かけたりもする。
読むだけではなく、書いて内部にあるものを外に出すという、そのバランスが大切だな、と思う。
今、読んでいることが、何かの形で生きてくればよい、などともちょっと思う。
いずれ書いてみたい俳人竹中宏論には、漢文の経験が生かされないか、などと思ったりもしている。
夕方まで本を読み、買い物。
夕食は、簡単に済ませる。
明日は、病院に行かなければならない。転院することになったので、新しい病院ということだが、少々面倒くさい。
【16年1月25日】
寒波到来ということで、昨日は本当に寒かった。
終日氷点下で、最高気温マイナス3度、最低気温はマイナス5度だった。
雪は、ほとんど積もらなかったけれど、とにかく気温の低さは、近来ないほどの状態だった。
さすがに、暖房無しの生活は無理で、今年初めて床暖房をつけてみた。
床暖房は、この家を中古で購入した時には付帯設備としてついていたのだが、ともかく電気を沢山食うらしいので、節約生活の上からは使うことはないだろうと思って封印していたのだが、滅多にない真冬日ということで使ってみることにした。
暖まるのに時間がかかり、なんとなく、寒くはないかな、という状態で、ほかほか気分で快適ということとはずいぶん違っていた。足裏だけが、スリッパを履いていても、妙に温かくて、少々気持ち悪かった。
結局、朝早い時期だけ使って、その後は中止。あとは、暖房無しで夕方まで。
朝のうちは水道の状態も悪くて、水がちょろちょろとしか出ない有様で、これはマズイかなと思ったけれど、こちらは時間がたつに連れて、平常に戻る。
寒かろうが、どうだろうが、一日の生活は変わらず。
一日、本を読んで過ごす。夜は、ちょっとだけ床暖房を使用。外は、氷点下4度、室内は2度だった。
床暖房は、室温自体を上げる訳ではなく、直接床から遠赤外線で身体を暖めるらしい。
寒い夜は、さっさと寝るに限ると、湯たんぽの準備をして、即寝床に入る。
本日。昨日ほどの寒さはない。外気温は氷点下1度。雪は、夜の間に降ったらしくて、15センチくらい積もっていた。
玄関と、家の周囲の雪かきを早速済ませる。早朝の雪は、大変美しい。
今日も、同じような一日。ただ、午前中に1本モニターを書く。面白い番組だったので、こちらも楽しく書くことが出来た。
後は、一日読書。夕方には、所属結社の投句作品を作る。古俳諧を元にしての句作。古俳諧は、結構面白い。
面白いといえば、句集として読んでいる星野立子『立子句集』が面白い。俳句形式と季語と本人の生活の三者が、1句の上で幸福な結びつきをしているような印象を強く持つ。三位一体というやつなのだろうと思う。これも、結構希有な才能なのかもしれないと感心する。
三位一体といえば、数日前の深夜、ふと目を覚ましてテレビをつけたら、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』という映画をやっていた。先日なくなったデビット・ボウイーも役者のひとりとして出演していた映画だ。確か、昔々、一度映画館で見たことがあった。
ビートたけしや坂本龍一なども出演していて、ずいぶん評判にはなった映画だけれど、見終わったときの感想は、もやもやとして何とも言い難いものだった。ただ、音楽はとても心引かれて、サウンドトラック版をレコードか何かで買ってしばらく聞いていた覚えがある。
今回、偶然『戦メリ』(と、略称されてあったと思う)を久しぶりに見て、これは明らかに散文的作品ではなく、詩的作品だなと思った。映像と音楽と個々の人物達との。その三者がそれぞれにほとんど自動律的に動いていき、たまたまある瞬間にふっとそれらが交叉して、火花を散らすみたいに奇妙な感動をこちらの胸にもたらす。ストーリー展開(散文的要素)はある意味ありきたりで、映画の実質とはほとんど関係なく、その感動の実体が何なのか、ほとんど分からない。にもかかわらず、その三者が交叉(詩的要素)したと思われる瞬間に、なにか強い感動を感じてしまう。そんな風にして、映画は進行し、終了する。改めて、全く奇妙な映画だった。
【16年1月23日】
午前中に、モニターのレポートを1本書いて送る。
それ以外は、何をしていたというわけでもない。午後からの句会の準備で、作品を7句選んで、プリントアウトする。
早めの昼食をとり、車で市内に出る。雨が途中から雪に変わり、しかもかなり強い降りとなる。
句会は、この気候のせいか、いつもに比べて参加者は少ない。
あいかわらず、ほとんど選されることはなかったけれど、次回に期そうと思って終わる。
初句会ということもあったか、結構面白い句が出句されてあった。
比較的高点句を選んでいるということは、選句眼はそんなにずれていないのかと思う。
ただ、自分が良しとして、作りたいと思える句とは、かなりその方向性の違いは感じる。
句日記的なものは、あまり作りたいとは思わない。文芸的な内容の盛られた句ができたらと思っている。
とはいえ、有無を言わさず選をさせる、みたいな句の力が乏しいことをこそ思わなければならないか、とも考える。
結構、しんどいことではある。
現在、雪は完全に小康状態というところだ。
風鳴りの音がするので、この先、夜に入って天気は荒れて来るように思われる。
明日の朝、どうなっていることか、と思う。
【16年1月22日】
母の体調が今ひとつということで、病院まで送る。
そのまま病院に居残って、おそらくそうとう時間がかかるだろうと、持ってきていた俳句結社「はるもにあ」の『はるもにあ合同句集』を読んで過ごす。
師系は田中裕明氏で、主宰は満田春日氏である。今年で、10年目になる結社で、毎号俳誌を送っていただいたいた。
『合同句集』は、創刊10周年の記念誌ということになる。
豊かな感性とほのかな叙情性を感じさせる作品が多い。
句集を読んでいると、たまたま横の席に座られた人が、私の読んでいるものに気付いて、声をかけて来られた。
自身も60歳くらいになるまでは、俳句を作っていたとのこと。懐かしくて、つい声をかけられたらしい。
今から20年ほど前のことで、私自身も面識のある地元の俳人数人の方に俳句を学んだり、投句をしたりしておられたとのこと。
外出が難しくなって、俳句から離れたとのことだったが、当時のことを懐かしそうに話してくださった。
こちらはもっぱら聞き役にまわって、お話を聞いた。
すでに亡くなられた蜜柑みつはるさんのことなども話しに出て、大変興味を引かれた。俳句朝日がまだあったころ、「俳句朝日賞」を受賞されたことのある俳人だった。
個人的に面識もあり、帰省の折は句会に参加しないかとのお誘いの手紙をいただいたりしたこともあったけれど、その機会もないままに、帰郷する数年前に亡くなられた。
その蜜柑氏に直接指導を受けられたということで、その当時の話しなどもお聞きしたかったけれど、すでに記憶も薄れたとお話はされなかった。
「化粧など縁なきこの身葱束ね」という句が、いまも記憶に残っている自分の作だと教えてくださった。
なんとも、思いがけない出会いであった。
病院は、昼近くまでかかり、その後実家まで母を送って、ついでに昼食をごちそうになる。
その後、実家のもう一台のパソコンの調子も悪いので、ソフトのインストールに問題がありそうなので、その入れ直しを行う。
調子が良くなればよいのだが。
そんなこんなで、夕方近くまで作業がかかり、帰宅後、2時間ほど読書する。
『金槐和歌集』と、近代評論。ニーチェの評価を巡り、坪内逍遙と論争を展開した登張竹風(とばりちくふうと読むらしい)の批判と反駁文は、大変迫力のある堂々たる内容であった。ほとんど痛快といってよいくらいの内容だった。大変面白い。
夜に入り、少し冷え込んで来始めた。明日夜から月曜にかけては、そうとうすごい寒気が上空に入り込んでくるらしい。どうなることか。
間もなく、モニター番組視聴の時間になる。テレビのある部屋に移動しなければ。
明日は、地元の句会が予定されてある。
【16年1月21日】
とりあえず、厳しい冬型の気圧配置は解消されたらしい。本日は、一日ほぼ曇り。時折、小雨がぱらつきもしたけれど、雪にはならなかった。
朝から思ったほども寒くなかったので、今日は一日暖房を使うこともなかった。
重ね着、毛糸帽、手袋、ふわふわスリッパで、結構なんとかなると思う。
ただ、明日から又、寒さがぶり返してくるようだが。
一日、いつもと同じようなペースでの生活。読書、買い物、そして読書、さらに軽く近所を歩いて、というところ。
ただ、岩城先生から過日の「すき句会」での投句について、懇切なファックスを送っていただいたので、本日は午後の時間を使って、返事を書いてファックスで送る。
主に、語句と表現の問題について。
『小学』は、教育体制についての話題が中心で、結構面白い。教育を通じての人材育成体勢の整備・強化というようなことが様々に語られてあった。
各地域の人材を、いわば行政が責任を持って選び出し、中央へと推薦するという形を取る。推薦された人物が、推されるに相応しい人物であれば、その身内にも免税等の恩恵がもたらされ、逆に、期待されるほどの人物でなければ、もちろん本人は地元に送りかえされ、さらにその人物を推薦した当地の役人は処罰されるというような体勢。
なかなか厳しいものだ。
科挙による官吏登用の体勢が作られる前の状態なのだろうかと思われる。
『蜻蛉日記』は、とうとう行き着くところに行き着いた様である。とうとう、兼家は主人公の女の元を訪れることがなくなった。事実上の離婚ということになるのだろう。
とはいえ、通わなくなって6ヶ月たってから、女のところに縫い物や汚れ物をきれいにする依頼をしてくるというのは、どういうことかとも思うけれども。
女自身、どこか一縷の望み的なものを胸にもちつつも、訝しい思いで過ごす。
下巻は、そんな女のその後を書き記していくということになるのだろうか、と思う。
近代文学。田岡嶺雲の評論を読む。熱い思いを持った、明治の論客のひとりであろうと思う。読んでいて、それなりに主張に納得も出来、その見識の深さや、分析能力の高さにも感心する。
ただ、彼が長い間注目されなかったのは、時の権力による出版物の禁圧政策によるものらしい。当時の権力側にとっては、ずいぶん目障りな存在だったらしい。
彼の著述のひとつが、『明治叛臣傳』。序論に当たる部分しか掲載されていないけれど、読んでみると内容は結構過激ではある。
夕方からは、本格的に雨が降り始めた。しかし、冷え込んではいない。
夕食をとり、ワインを少し飲んで、ちょっとテレビを見る。バス事故のその後が、報道されている。
株価も結構「ヤバイ」状態になっているらしい。政治家の献金疑惑もあるようだ。さすがに、もうスマップのことはあまり取り沙汰されていない。
色々なことが起こっているようだ。
【16年1月19日】
朝方、北西からの強風が、ちょうど出窓あたりに吹き付ける形になって、ごうごうばたばたという音が、ちょうど寝ている頭の上のほうから聞こえてきて、うるさいというよりは、窓は大丈夫だろうかと、気懸かりになった。
ひどい風だった。明るくなって、さすがに、風は少しだけ弱まったようだけれど、それでも天空のどこからかごうごう唸る音が、終日響いていた。
雪は、ぱらつく程度で、ほとんど積もることはなかった。ただ、気温は本当に低くて、最高気温が1度くらいだったのではないか。昼間にしばらく氷点下に落ち、ゆうがたにかけて少し戻り、日が沈むと現在の時点で屋外は氷点下2度まで下がっている。
室内にいて、エアコンの暖房を動かしていても、空気にどこかひやりとしたところがある。
午前中は、晴れたり、降ったりの空模様を気にしながら、読書。
午後、実家の方のパソコンの調子が悪くなって、やむなくウインドウズをインストールし直した。結構時間がかかったが、元通り復旧することが出来た。
その後、読書の続き。
夕方から、モニター番組を1本見て、データ化。作業はいつもの通り、明日行う。
夜は、めんどくさくて、みそ汁に蕎麦を入れ、卵をひとつ割って、それで夕食。
七味をたっぷり入れて食べたら、身体はほかほか暖まった。
外は、夜に入って本格的に雪が降り始めたようで、すでにうっすらと積もり始めている。
気温は、一段と下がることになるだろう。
東京から、今日飛行機で帰ってきた姪は、この悪天の中、よく帰ってこられたものだと思う。
ともかく、もうさっさと寝るにしくはない、と今夜も思う。
【16年1月18日】
どこからか、風の音が聞こえる。
明日未明にはこのあたりは暴風雪らしい。
先ほど実家に用があってでかけたら、雨は止み、中天にうっすら半月が浮かんで見えた。
このあと、雪に変わっていくのだろうか。
年賀状は、切手シートが4枚当たっていた。年賀状を送って下さった方、ありがとうございます。
これからどんどん冷え込んでいくだろうから、もうさっさと寝るに越したことはないと思う。
冷え込むといえば、『蜻蛉日記』。主人公の息子道綱は、なかなか辛い恋をしているらしい。和歌を送れども送れども、けんもほろろの対応を返されるばかり。
読んでいるこちらの方も、そんなに執着しないで、もうすっきりあきらめた方が良い、と思えるくらい、相手の女性の対応は邪険で冷たい。
「道綱の母」も、相手の娘の後ろ見は、娘にどんなふるまいをさせようとしているのかと、少々呆れたような、苦々しいような思いでいるようだ。
無我夢中なのだろうか。道綱君は、何となく草食系のやさしい男の子のような印象はあるのだけれど。
今日は、臨時にモニター1本書く。それ以外にも、こまごまと用事があって、終日ばたばたしていた。
【16年1月17日】
昨日は、丹後「すき句会」。4時過ぎ起きで、準備万端出かける。
列車で片道5時間。その間、おもに車窓の景色を楽しみながら(これは、何時間見ていても実は飽きない)、句会用の作品をぽつりぽつりと考えていく。
丹後は、雨か雪かと思っていたら、この季節には全く不似合いな晴天であった。雲間の青空が、目に眩しかった。
句会は、宿題が「椿」、当日課題が「寒禽」だった。
7句投句。初句会ということもあり、ずいぶ気合いの入った句も多かった。披講後の話し合いも、結構熱の籠もったものとなった。
帰りの時間に制約があるので、延々続けることは出来ないのだが、突っ込んだ句に関する話し合いもあって、おもしろかった。
岩城先生から、お年玉ということで、会員全員が「角川俳句新年号」を1冊ずついただいた。
帰りの車中では、かなり丹念に「俳句」誌を読んだ。青木さんの『現代俳句時評』が初回で、今後の展開が楽しみになった。出来れば、どこかの回で岩城先生や竹中さんのことに触れていただければ、などと思った。俳壇のど真ん中とは異なる、独自の道を進んでいる俳人達についても、是非取り上げてほしいものだと思った。青木さんには、それが可能なだけの能力も情報も持ち合わせていると思う。
それに、その方が、「俳句」誌にとっても、俳壇にとっても意味があるように思われた。
帰りの行程で、ハプニング。乗り換えの駅で、所定の列車が遅れていて、しかも駅のアナウンスがもにゃもにゃと何を言っているのかわからないので、駅構内を歩き回って駅員を捜し、確認を取ったら、なんと予定の列車(電車ではない。ジーゼル列車であるが)が、途中で鹿と衝突したという。
現在、車両の点検中で、それが終わり次第運転を再開するという。
鹿と衝突ということには驚いたけれど、たまにありますという駅員の恬淡たる返答にも、少々驚いた。
いかに山中をこの路線が走っているかということの証明のようでもあり、また野生動物が思った以上に民家近くに出没しているということでもあると思った。
その列車があまりに遅れれば、次の乗り換え列車に乗り損なうという、そして乗り損なえば、本日中には帰宅は無理ということになってしまうのだが、幸いその最悪の事態だけは避けることが出来た。
帰宅後、即就寝。その前には、もちろん湯たんぽを準備してのことだけれど。句会では、その湯たんぽを素材にした句が、結構評判が良かったりもしたものだ。
日曜日。
モニター一つ。それ以外は、ほぼ何もせず。本も読まず、腰が痛いので、歩くこともなく、漫然と一日を過ごしてしまった。
夜に入り、雨が降り出した。明日には、これが雪に変わるかもしれない。
明後日は、雪らしい。
【16年1月16日】
本日は、丹後「すき句会」。
新年初句会ということになる。
4時過ぎに起床。現在は5時過ぎで、6時過ぎには駅へと向かう。
丹後方面は、恐らく曇りないしは雨だろう。小雪が混じるかもしれない。
今日の宿題は「椿」ということだが、まだ句を作ってはいない。車中での作業になる。
昨年は、かにかに列車の待ち合わせで、城之崎に50分停車ということで、句会に遅刻するはめになっていたが、今年は時刻が改定されて、それが解消された。
ありがたことだ。
【16年1月15日】
読書の合間にテレビをつけたら、国会中継をやっていた。
自民党の片山さつき議員の質問の時間らしかったが、その質疑の途中らしくて、日銀総裁に対して、中国経済とエネルギー関連の問に答えさせるというようななりゆきだった。
日銀総裁の答弁は、「中国経済は一部問題はあるものの概ね大丈夫」という趣旨のようであり、またエネルギーがらみでは、ガソリン安の状況の中で、物価上昇率2%達成に必要とあらば、躊躇無く金融緩和を実施するとの力強い宣言のようであった。
「これで来週以降の株価は安定するだろう」というのが、にこにこ顔の片山氏の質疑のまとめのようだった。
そう言えば、本日の株価は当初順調に上がっていたものが、日銀総裁の午前中の国会答弁かなにかで、当面追加金融緩和は必要ないとの発言を受けて、一気に値を下げて、結局本日も株価はマイナスで終わるということがあった。
そのことを踏まえての、片山氏と日銀総裁との質疑ということになるのだろう。
これって、政府と日銀による露骨な株価の操作ではないのか、というのが率直な感想。
ついでに言えば、これで日銀総裁は世界に対していずれ追加緩和を約束したようなもので、片山氏はその言質をとったということになるのだろう。
過敏に反応しているその筋は、それらの質疑を受けて、追加緩和に対する期待感から、そして中国は「おおむね大丈夫」という発言に対する当て込みから、株を購入し、株価は上昇するというお目出度いシナリオが見込める、ということなのだろう。
10分ほどしか休憩時間がなかったので、それ以上は見なかったけれど、妙なことをやっているな、というのが全体の印象。
【16年1月14日】
いい加減と言えば、本当にいい加減なのだろうけれど。
『蜻蛉日記』。「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、作者自身がまるで「昔物語」みたいだと思いをもらすような展開になってきた。
主人公は、藤原兼家の第二婦人ということになっているのだけれど、色々な思いの中で、将来の自分に対する不安の解決策として、適当な所から養子(この場合は養女ということになるのだが)をもらうことに決めて、それに相応しい人物の話を聞きつけ、仲介する人を通じて、話は円満に片が付いて、可愛らしい女の子を養女として引き取ることになった。
ところが、実はその娘は、かつて夫の兼家が通った先の女に生ませた娘であった。
生ませっぱなし状態で、当人はどこかに自分の娘が居るらしいということは薄々聞き知っていたけれど、それ以上は放置したままであったらしい。
やがて、主人公の館引き取られた娘は、間の悪い偶然のせいで、自分の父親と対面することになる、というわけだが、その折りの兼家のふるまいも、現代から見れば顰蹙ものということになりそうだった。
もっとも、当時はそのようなことも恐らく「まるで小説みたい」と珍しがる程度の頻度で生じるようなことだったのかもしれない。
近代文学は、短編小説を終えて、文芸評論をざっとみていくことにした。
今回は、徳富蘇峰の「近来流行の政治小説を評す」と、石橋忍月の「想実論」(こちらは最初だけ)を読む。「政治小説」の方は、わかりやすくて現今流行の政治小説が、小説として様々な点で稚拙であると言う内容で、なるほどと了解した。
石橋忍月の方は、かなり本格的な評論で、使用する言葉の定義づけ、特に「詩」とはなにか、ということについて丁寧な説明から入り、それはなんとか理解できたのだが、そこから先は「詩」における「虚実」論とでもいう内容になって、漢文訓読風の擬古文体で語られる内容は、なかなか理解しずらかった。
とはいえ、「虚実」論は大変興味を感じるものなので、ゆっくり読んでいこうと改めて思う。
天気は、午前中は雨、ときに霰という状態で、やや風も吹いたけれど、午後遅くになって、少し青空も見えてきたので、日が暮れる前に近所をぐるりと歩いて来る。
風が、大変冷たい。大山は雲の中だったけれど、その手前の標高の低い山々が雪で白く見えたので、大山にもまとまった降雪があるのだろうと思う。
地元のスキー関係の人達は、かきいれ時の年末年始が全くの雪なし状態で、そうとう危機感を募らせていたので、まずはこれで一安心ということになるのだろう、と思う。
帰宅後、夕食。その前にちょっとだけ安いチリワインを飲む。焼酎とは、また違って美味しいけれど、結構酔いが回ることだ。
【16年1月12日】
原石鼎『花影』読了。と思ったら、あとがきが、作者の略歴であったが、それが懇切丁寧な内容の紹介文で、石鼎の経歴を研究する人には、絶好の資料となるくらいに詳しい内容のものだった。
読んでみると、作者の履歴が本人の手によって事細かく書き上げられていて、ちょっと自伝小説風で大変面白い。
これを読み切るのに、おそらくあと1時間かそれ以上はかかりそうな気がする。
句集掲載句数はほぼ1000句だった。普通の句集の2〜3冊分くらいの分量にあたる。
ただ、作品自体は単なる花鳥諷詠・写生の句とは言い切れないような要素があって、その分面白く読み終わることができた。
というのか、大変読み応えのある句集であった、と言ってよいと思う。
今日は、一日荒天。途中、雨から一時雪に変わったりもした。
気温は、最高が4度くらいで、昼間が低く、夕方から夜に入って、少し外気温があがったようである。
ただ、明日の朝は氷点下に近い温度になるのではないかと思われる。
今夜も、湯たんぽのお世話になることになる。
夕方、モニターにとりかかるまで時間があったので、『金槐和歌集』を少し読んでみる。
鎌倉右大臣源実朝の家集である。
そんなにすごい作品という印象を持たなかったのだが、(なにしろ、『蜻蛉日記』の凝りに凝った、知的遊戯の極みたいな和歌を読んでいると、なんとも単純率直な歌風と感じてしまう)、ただ、『万葉集』を筆頭に、多くの歌集を勉強して、自らの歌に取り込んでいるらしいことが、頭注あたりから伺える。
さらさらと読んでいけるところが、嬉しく、楽しい。
【16年1月11日】
日曜日。「真田丸」意外と面白かった。
家族間のやりとりや、浅間が噴火するような事がない限り、といったそばから噴火して、「火山ですから」と慰める会話の妙あたりも、いかにもという印象であった。
月曜日。朝から、モニターのレポート1本仕上げる。
その後、実家から荷物運びの依頼があって、手伝いに出かける。
それで、大体午前中は終了。
買い物に出かけ、買ってきた弁当で昼食とする。
その後は、いつもの通り、読書。
『蜻蛉日記』は、下巻に入る。相変わらず、厄介な主人公ではある。
『小学』は、官吏の心得のような内容。
そんなことが問題になるのか、という思いは、結局官吏など、今も昔もその本質はかわらん、という愚痴めいた思いにつながりそうだった。
もちろん、意外と骨のある役人像などの提示もなされてはいるのだが。
なにしろ、『小学』自体が、若年者に対する教学・啓蒙の書なので、あるべき姿の提示はどうしても必要になることだろう。
短編小説1編。阿川弘之『夜の波音』。志賀直哉を師とする人だけあって、端正な小説であった。
ちょっと事前にもっていたイメージと違っていて、面白かった。
娘さんがテレビで活躍中らしい。
原石鼎句集『花影』。面白いけれど、長い。
ここしばらく、この人の句集にかかりきりという印象がある。先を見ないで、作品を読み進めているのだが、まだしばらくは続きそうな様子である。
時に収載句数の異常に多い句集があるけれど、この句集もそんな1冊なのかもしれない。
地元を詠んだ作もあり、それは何かでピックアップしたいと思う。
夕方になって、とうとう雨が降り出した。
今日は「歩き」は中止。明日以降も、天気は不安定で、十分歩けるかどうか、気懸かりである。
雨が降るより、いっそ雪になってくれる方が、実は始末に良いのだが。
【16年1月9日】
夜中に色々考えることがあって、目を覚ましたら7時過ぎになっていた。
思ったほどの冷え込みもなく、さっさと起床して、そのまま朝風呂に入る。
湯上がり後は、しばらくぽかぽかした状態で、心地よい。
珈琲を入れ、週に1回まわってくるパン屋さんの葡萄パンをひとつ、野菜たくさんの朝食をとる。
土曜日は、フリーな過ごし方をすることにしていたのだが、今日は午前中に1本モニター番組を見る必要がある。
そのための時間待ちのようにして過ごして後、番組を見終わって、内容と印象をデータ化しておく。実際にレポートを書くのは、明日になる。
早めの昼食をとり、アルバイトの面接に出かける。
職場と仕事の内容を見学し、担当者と2時間くらいいろいろ話をする。
面白そうな仕事なので、希望したい旨を伝えて、帰る。結果は、後日ということだ。
帰宅後は、いつものテレビ番組「ビフォーアフター」の後半部分を見る。なかなか面白い。
岩城先生から新聞を送っていただく。俳句作品の選者詠が掲載されてある。句会で出された作品の推敲後の完成句が紹介されてあった。大胆で不思議な句である。
午後になって曇ってきた空は、今はすっかり厚い雲で覆われている。
それでも、雪は降りそうにもない。
地元大山のスキー場は、遠目には白く雪が積もっているようには見えるけれど、スキー滑走が可能なほどふっているかどうかは、わからない。
お隣の島根県の某スキー場では、たまらず雪乞いの儀式を行ったらしい。
切実な問題である。
今月末には、京都に出かける。知人にゲストハウスを予約してもらい、そこに泊まれることになった。いま話題になっている、いわゆる「民泊」ではない。
【16年1月8日】
退職・帰郷を決めたその時から、1年間の在職期間、そして帰郷後の2年間を通じて、節約生活のために、家計簿を付け始めた。
事前に検討しておいた退職後のかなり詳細な出納計画と実際との照らし合わせの必要もあったからだ。
ちょうど、便利な家計簿ソフトが見つかったということもあり、毎日の支出を細かく家計簿に記入した。
いつまで続くかとも思っていたのだが、一度習慣化すると、当然のように記入を続け、それが当たり前のようになった。
旅行中も、結構支出をメモしたりして、帰宅後家計簿ソフトに整理をしたりもした。
おかげで、食品関係を中心に物価の移り変わりが、生身の感覚で了解出来るようになった。
野菜の安い店を知り、店毎の値引きの時間帯まで了解できるようになった。買い物が、ちょっと面白くなったりもした。これも、生活の知恵なのだろう。
買ったものを無駄に捨てるということも次第に無くなってきたし、賞味期間もあまり気にしなくなってしまったりもした。
月の半分くらいは、1円の出費もない日ができた。
今のような形で生活を続けるには、それが当然だと考えていたので、毎日の生活に苦痛を感じることもなかった。
それにしても、やはりとても贅沢で奇妙な生活なのだろうな、とたまに思うこともある。
今日は、さすがに寒かったので、朝晩にエアコンを使う。
昼間は、本を読んでいてもほぼ寒いという感じはない。
それでも、昨年はさすがに数十年ぶりに小さなあかぎれが指にできたことがあったけれど、今年はまるでそれもない。
昨年よりはずいぶん温かいということもあるが、手袋をきちんとつけるようになったことが大きかったのだろう。
スリッパも、今年はふかふかのものを履いている。これも温かい。
【16年1月7日】
午前中は雨。それほど、気温は下がっていない。
その日の天気によって、一日の予定が大きく決まっていく。
今日は、雨のち曇りという予報なので、それに従えば、午前中は読書。午後は、天気を見ながら「歩き」に出るか、引き続き読書中心で過ごすかが決まって行く。
ちょっとだけ、晴耕雨読的な生活であるわけだ。今日は、買い物も一切ない。
午前中の内に、古典作品と小説1編を読む。小説は、遠藤周作の短編だった。『ジョルダン病院』という、ひたすら重く暗いお話だった。
良くも悪くも、初期の遠藤作品の特徴が、ぎっしり詰め込まれた作品といって良いかもしれない。
昼食をとって、少し休憩しようと思って、居間のソファーに腰掛けたら、目の前の小机の上の結社誌に目が行った。
そのとたん、すっかり忘れていたことを思い出した。短いものだったけれど、作品鑑賞を1つ書いて送らなければならなかった。その締め切りが、10日だった。
一休みは中止にして、そちらの作業に取りかかる。これは、本日の予定の中には、全くなかったことだった。偶然思い出して、助かった。
作品自体はすでに選んでおり、どんな内容で書くかといことの漠然とした組み立ても出来ていたので、ちょっと資料をネットで拾ってきて、書き始める。
1時間ほどで、終了。プリントアウトして、小雨の中、投函しに出かける。
その後、『俳句年鑑』と原石鼎の句集の続きを読む。夕方近くなって、天気が回復気味なので、暗くなる前に「歩き」に出ることにする。
遠くまで行って、雨に遭うと鬱陶しいので、近所を怪しまれない程度にぐるぐると歩く。
少しだけ、昼が長くなっているのを感じる。
帰宅後は、夕食。その後、BSで「刑事コロンボ」の再放送を見る。地中探査レーダーなど使った操作が、面白かった。そんな機械とコロンボとが、いまひとつしっくりいっていないところが、大変面白かった。
今夜も湯たんぽを使って、寝ることにしようと思う。明け方が、結構寒そうである。
【16年1月6日】
モニターを1本書いて、メールで送信。
その後、中途半端な時間だったので、読書は止めて、「歩き」に出る。
結局、いつも車で行く大型スーパーまで、買い物を兼ねて歩く。往復2時間ほどの時間がかかった。
買い物袋を下げて、畠の中の道を歩く姿は、かなり奇妙なものだったかもしれない、と思う。
昼、実家からお汁粉をもらったので、お餅を二つ入れて食べる。結構食べでがあった。
その後、本を読もうとするが、昼食のお汁粉のせいか、ひどく眠くて仕方ない。なんとか、『小学』『蜻蛉日記』と読み進めていこうとするが、『蜻蛉』の途中で、中断。
ひどく眠い。
少し横になれば良かったのかもしれないけれど、寝るのも癪なので、送っていただいた句集を読むことに切り替える。
なぜか、一時に目が冴えてきた。
山口蜜柑句集『風を孕め』。
自選12句中から、数句紹介。
「白湯淹れて忘れてしまふ十三夜」
「ゆつくりと言葉継ぐ人夏木立」
「うす青きうがひ薬や冬に入る」
「行く春やブルーシートの海に寝ね」
若々しい感性に溢れた作品と思われた。
第一句集として、おそらく原点といってよい作が居並ぶ句集のように感じられた。
服部友彦句集『華しょ(漢字が見あたらなかった)枕』。
こちらは、ぐっと趣が異なって、手練れ、老練の句という印象。
「蛤となりし雀の出来心」
「初場所や四股名の山河呼び出しぬ」
「吉野よし吉野童男(をぐな)の水遊び」
「着茣蓙吊る幻住庵に誰かゐる」
「トランクに坐る青年日の盛」
スーパーに行った際、七草粥セットというのが、並べてあった。明日は、寒の入り。ほんとうに、少しずつ本来の季節に移行していくようだ。
【16年1月5日】
午前中は曇り、午後に入って雨にかわり、夕方になって雨は止む。
気温は、時間がたつにつれ少しずつさがっていくようで、夕方になると、かなり寒さを感じる状態になった。
今日も、普段通りの生活。
午前中に、古典を読み、その後天気がもつ間にと、「歩き」に出る。正月の間に、若干体重が増加したので、それをなんとか元に戻そうとする。
今日も、1時間半ほど歩いてくる。
途中、合唱で知り合った地元企業の社長さんの所に、新年の挨拶のつもりで立ち寄る。10分ほど、「第九」の話などをして辞去する。
自宅近くで、道にしゃがみ込んでいるおじいさんの姿を見かける。そばに、二人のひとが寄り添うようにして立っている。
しばらく前に、その近所で困っているおじいさんを手助けした覚えがあるので、あるいは同じ人かと思ってそばまで行ってみる。
道路にしゃがみこんだおじいさんは、顔からかなり出血しており、それを横にいた若い人がハンカチか何かを使って止血してくれたようだった。
そばに立って様子を見ているおばあさんに尋ねると、歩行器に頼って歩いている時、小さな傾斜で転倒したようだと教えてくれる。
近所の人だろうと思うとの話であったが、おじいさんは出血して動揺しているらしく、ほとんど話が出来ない状態だった。
念のために、歩行器を調べてみると、幸い座席の裏側に氏名と住所がラベルで貼ってあって、近所の人だと確認できた。どうやらひとり暮らしらしい。
やがて、若い人の呼んだ救急車が到着して、おじいさんを収容し、転倒したちょうど前の家の人が様子を見に来られて、歩行器をあずかり、あわせて救急車からの収容先の病院の連絡受付と、民生委員の方への連絡を引き受けてくださることになった。
救急車が病院へ向かうのを見送って、若い人とおばあさんとに挨拶をして、帰宅する。
午後も、引き続き読書。夕方まで、短編1編と、『俳句年鑑』、さらに原石鼎の句集『花影』の続きを読む。
【16年1月4日】
通常の生活に復帰。
午前中は、読書。『蜻蛉日記』と『小学』。
数日ぶりに読んだせいか、いつも以上に面白く感じた。
『小学』は、葬儀の儀礼の話が延々と続いている。古代の中国人にとって、葬儀というものが、いかに重要な意味を持っているのかということが、じわじわ伝わってくるようだ。
その葬儀に関して、仏教は完全否定されているという点も面白かった。儒学に基づく葬儀と死においては、仏教的な意味合いでの供養や死後の世界はその意味を認めないようだ。
当然、仏教で言う地獄も極楽も存在はしない。極楽往生を願っての供養なども当然無意味な行いとなる。人は、死とともに肉体は消滅し、魂は自由に飛翔していくものだから、地獄において、様々な責め苦に死者が遭うと言うことなどは、全くでたらめなこととするのだ。
面白かったのは、一度死んで蘇生した人間(臨死体験をした人とでもいうのか)は、昔から何人もいたけれど、誰ひとりとして地獄の獄卒を目撃した人間はいない、などということが真面目に語られてある点がそれなりにすごいと思ってしまったことだ。
昼食後、少し時間をおいて、「歩き」に出かける。海まで行って、やや波の高い日本海の風光を堪能して、帰宅。とても1月の海岸とは思えなかった。
1時間余りの程良い「歩き」だった。
その後、さらに夕方まで読書。安岡章太郎の短編を1編読み、『俳句年鑑』の記事を結構丹念に読む。40台作家の作品に共感を感じる。
夕方、ホームセンターと大型スーパーに買い物。肥料やら、電球やら、夕食の材料やらを買って帰る。
母にごちそうしてもらった、小さなお節セットは、きっちり正月三が日で食べ尽くした。なかなか美味しい味付けのお節セットだった。
【16年1月2日】
元日。早朝の映画『マザー・ウオーター』というのが、京都を舞台にしているみたいだけれど、話していることばはいわゆる標準語という、ちょっと無国籍風な変な味わいがあって、ついつい最後まで2時間近くを見てしまう。最後に、川を飛び石伝いに渡る場面で、亀の飛び石からこの川は京都の鴨川だと確信できたけれど、あのお話は変に京都色をだしたら、うそっぽくてとうてい見るに耐えない映画になっただろうと、改めて思う。
実家で朝食のお雑煮をいただいて後、BSのテレビ番組が面白くて、自宅で半日見続けてしまう。
午後、運動不足を感じて、車で空港まで出かけ、無料駐車場に車をとめて、空港周辺を歩く。ちょうど、ANNが離陸するところに行き会って、しばらく眺めたりもする。中型機とはいえ、間近でみると、その大きさにつくづく見ほれてしまう。やや西に傾いた太陽の方向に離陸・上昇し、大きく弧を描いて、一気に高度を稼いでいく様子は、なかなかの見物であった。
2時間足らず、空港沿いに歩き、海につきあたって引き返す。結構歩数を稼げた。
夜、瀬戸内寂聴の密着取材番組を見る。大変おもしろかった。
二日。早朝からBSの番組を見る。実家で朝食。その後、墓参りに出かける。車で2カ所を廻り、線香を手向けて帰ってくる。外は、高曇りであったけれど、春先のような温かさだった。
12時前に帰宅、急いで昼食を食べて、今年の初モニター。30分番組をみて、パソコンに記録を取る。
レポートは、明日書くことにする。
昨日の空港がなかなか良かったので、今日も飛行機の発着に合わせて出かけてみようかと思う。
年賀状来る。岩城先生から、『京大俳句』関係の資料を送っていただく。
昨年は結社の評論賞をいただき、別の結社誌に評論を1本掲載していただき、できれば今年も力を抜かないで30枚くらいの俳句評論を最低1編は書いてみたいと思う。
お話の方は、昨年末までに100枚くらい書いたところで、その先が全く進まない状態になっている。
【16年1月1日】
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。