日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
15.7「日々録」 | 15.8「日々録」 | 15.9「日々録」 | 15.10「日々録」 | 15.11「日々録」 | 15.12「日々録」 | 16.1「日々録」 |
【16年2月29日】
二月も終わる。
夜に入って、急に本格的に雪が降り始め、戸外はすでに雪が数センチ降り積もっている。
外気温も、ほぼ0度という状態だ。
今夜も湯たんぽのお世話になることにする。
姪が、高速バスで県外まで出張しているのだが、無事にバスは通っているのだろうか。すでに、高速道路の一部は、降雪のため閉鎖されているようだが。
今日は、午前中はモニター1本仕上げ。午後は、読書しながら、とぎれとぎれにテレビを視聴。
なんとなく、締まりのない一日となってしまった。
明日から三月。
ちょっと気を引き締めなければ、と思う。
【16年2月28日】
土曜日、ばたばたしているうちに地元の句会をうっかりすっぽかしてしまった。
残念である。
日曜日。朝から穏やかな天気。カーテンを全開にして、日差しを部屋の中に招き入れる。
暖かい。
午前中に、モニターレポートを1本仕上げて発送。その後は、地元結社の投句作品を仕上げる。
月末が締め切りなのだが、2月は29日までだった。なんとなく、気分的に呑気に構えていて、じたばたと慌てて句作。
とはいえ、江戸期の古俳諧を元にして句を作ることに決めているので、その元句探しから始まるため、時間を取られる。
今回は、思うところがあって、雑詠のみではなく、別の分にも投句するつもりだったので、都合10句を一気に作ることになる。
かなり厳しい。
部屋籠もり状態で、なんとか午前中のうちにまとめ、近所のポストに投函する。
明日中には、なんとか届くことだろうと思う。
午後は、少し読書。
その後、外が暖かいし、足が痛くて運動できないので、その分を補うつもりで、本気で庭掃除をする。
秋から冬の間に積もりに積もった枯れ葉を一掃する。
ビニール袋数袋分になったけれど、なんとか荒涼たる庭の状態がましになったようだ。
よくもこんなに葉っぱを茂らせるものだと、植物の力に感心する。
庭に出ていると、つい時間を忘れてしまう。
夕方から、モニター番組を1本視聴する。
その後、浅酌と夕食。
あとは、ぼんやり過ごすつもり。
明日は、今日とうって変わってまた雪になるらしい。
【16年2月25日】
モニター1本だけ応募してみようと思う。
朝のうちに、規定の字数のレポートを書いて、添付ファイルで送る。
夕方には受付のメールが返ってくる。採否は3月上旬頃ということらしい。
1時間ほど本を読んで、それから実家の犬を連れて行きつけの獣医まで出かける。
薬貰いと、検査。
後ろの座席にキャリーバックを固定して置く。当人は呑気にバックの中で眠っている。
こちらは、慎重運転。急ブレーキなどは最悪の場合、犬は嘔吐したりするので注意が必要だ。
検査は簡単に終了。数値は一部悪い部分もあるのだが、全般に落ち着いている、ということらしい。
帰りに、買い物をして実家へ。
バックから出すと、嬉しそうに部屋の方へと帰っていく。
昼食後は、いつも通り読書。
午前中は、『大学』だったので、午後は『枕草紙』と近代評論、そして『俳句年鑑』、さらに句集。皆吉爽雨の『雪解』は読了。面白かった。次ぎは、松本たかし句集『鷹』に入る。
夕方、1時間ほど歩く。最近は、歩きをセーブしてきたので、足腰の痛みがだいぶ和らいできた。湿布をはって、無理をしない程度に歩く。
夜、「プレバト」の俳句を見る。夏井いつきの毒舌がなかなか面白い。でも、アドバイスは的確だなと思う。
チャンネルを変えて、NHKの「クローズアップ現代」を見る。キャスターの国谷さんは、3月一杯で終了(番組自体もがらりと変わるのだったか)。
しっかり見ておこうと思う。
【16年2月24日】
今日は、歯医者の日。
予約時間は、正午だけれど、なんとなく朝から落ち着かない気分だ。
歯医者には、ここ数年行っていない。今回も、詰め物が取れなければ、歯医者に行くことはなかっただろうと思う。
午前中は、歯医者の時間待ちという状態で過ごす。
ほとんど読書も出来ず、結社誌の投句作品を整理したりして、時間を過ごす。
余裕をもって出かけたつもりが、途中の道路が思いの外混んでいて、若干遅れる。
しかし、到着後しばらくの待ちがあったので、何となく痛み分けみたいな気分になる。
詰め物がとれたのは、その部分が虫歯になっていたせいらしく、あらたに土台を作って、かぶせ物をすることになった。
なんやかやで、結局1時間以上治療に時間をとることとなった。
その間、歯医者さんとか、歯科衛生士さんは大変だな、などと思いながら、長椅子に横になって治療を受ける。
技術者的な性格が強くて、治療の間、神経を張りつめっぱなしという様子であった。
いろいろ削ったりしたようだけれど、全く痛みはなかった。
2時過ぎに終了。そのまま、小雪の降る中を帰宅する。
遅い昼食を食べ、夕方まで読書。
軽めの夕食をとって、その後、モニター応募用の番組を1時間ほど見る。
いちおう、ひとつ応募してみようと考える。
京都京北町の知人からメールが来る。
いずれ折りがあれば、一献という話になる。
彼も、家計簿をつけているという話になる。
買い物の判断は100円単位からとのこと。私は、1〜10円単位で考えるので、さすが現役と感心する。
夜に入って、ぐっと冷え込んで来る。明日は朝方は氷点下であろう。
数日ぶりに、湯たんぽの準備をする。
【16年2月23日】
気温は10度近くあるのに、なんとなく肌寒い。
天気は曇天で、まもなく雨が降り出しそうな様子だ。
今朝の新聞に、作製の手伝いをした新聞の折り込みチラシが入っていた。
素人の手作りなので、洗練されたようなところはなかったけれど、いかにも手作り風というところは、味のひとつになりはしまいか、などと思う。
宣伝の効果があればよいのだが。
今日も、午前中にモニターレポート1本。週末には、また次のモニター視聴が控えている。
書いて提出した物が、どんな風に参照されているのか、こちらには判断はつかないけれど、何かの形でいかされたらうれしいと思う。
県政のモニターも今年で2年目を終わるけれど、そちらもどう生かされていることだろうか。
基本的には家籠もりだけれども、多少の部分で外界に繋がっているというところだろうか、とも思う。
さて、午後もそろそろ読書の方に入ろうかと思う。
【16年2月22日】
朝風呂に入る。寒い。あとで知ったけれど、今朝は氷点下だったらしい。
お風呂は、古いくてタイル張りで、やたら天井が高いので、ともかく寒い。
脱衣所に電気ストーブを入れて、室内を暖めてからでないと、服を脱ぐことも出来ないほどだ。
ただ、ゆっくりとお湯につかると、そのあとは風呂からあがってもしばらくはぽかぽかと暖かいので、暖房を使う必要もない。
天気が一日保ちそうなので、洗濯もする。
ただ、ついうっかりしていて、昼前まで洗濯機の中に入れっぱなしにしていて、昼食のさい思い出して、外に干すことになる。夕方まで外に出しておいたら、それでもなんとか乾いていた。
午前中は、前日のモニター番組のレポート書き。
おそらく、このバイトをしなければ見なかっただろうなという番組のモニターに当たり、すっかりファンになってしまった。
だから、レポートを書いていても、これは結構楽しかった。
今夕も、1本モニターを見ることになっている。こちらは、報道番組だけれど、作りが素朴なので、色々突っ込みどころがあって面白い。
そういえば、ふと思いついて地元の新聞の読者投書欄に800字くらいの文章を送ったら、本日掲載されてあった。
この文章でも少し触れたことのある内容を、もう少しまとめて書いた物。
薄謝が付くらしくて、それが楽しみだ。図書券千円くらいであろうか。五百円くらいかもしれない……。
午後は、読書。
『大学』は、その注釈がものすごく詳細で膨大で難しく、困惑状態となる。
『文選』の時は、その表現が複雑で、そちらで混乱したけれど、『大学』の方は、その哲学的思考と微にわたり細にいたる評釈がつらい。
そのせいか、続いての『枕草子』の方は、全く頭が働かなかった。ぼーっとした状態で、文字だけを追っていたような有様だった。
近代評論は、結構面白く、『俳句年鑑』は、全国結社の情報を1ページずつ読み進めていった。俳人皆吉爽雨の句集『雪解』は、これも面白い。
夕方。本日は「歩き」はなしで、モニター番組視聴。その後、夕食。
少々、疲れる。
そういえば、丹後からの帰りの車中で、夕食のあんパンを食べていたら、奥歯の詰め物がぽろりと取れてしまった。幸い、パンと一緒に呑みこまなくてよかった。
歯医者の予約を取り、近日歯医者に行かなければ、ならない。
あまり嬉しくはない。
【16年2月21日】
金曜日。午前中、市の美術館まで知人の書道展を見学に行く。
知人は、展覧会の世話役の仕事を担当している。準備や、段取りがなかなか大変らしい。
尋ねたときは、ちょうど地元のケーブルテレビの取材が入っていて、当人はインタビューを受けている最中なので、その間展示作品を見て回る。
後で聞いたところによると、今回は篆刻作品も合同出品ということになったそうで、作品数も増え、内容的にも多彩なものになっていた。
インタビューを終えた知人と、毎回この展覧会に来るようになって、書道作品を鑑賞することの面白さが少しずつわかってきたような気がする、などと話をする。
流儀・流派にさほど縛られることなく、各自が力と思いを込めた作品群ということで、面白かった。
知人は、山頭火の作品を出品していた。
書道展を見終わり、たまたま向かいの会場で、地元の若手イラストレーターによる作品展が開催されてあったので、そちらの方も見学する。
本来、入館料が必要だったのだが、おつりがないということで、こっそり無料で入れてくれた。
昨年、同じくここで開催されていたイラスト展を見学していたので、出品者のうち二人の方のイラストは見覚えがある絵柄で、すぐにわかった。
妖怪をテーマとするイラスト展で、こちらも面白かった。
受付の人が、地元で演劇活動に携わっている人で、今日は手助けで受付をやっているとのこと。
しばらく、話をする。
きっと若手によるこのような文化的活動は、今後一層盛んになりますよ、という彼の言葉を頼もしく聞く。
ちなみに出品者は、大野狭暗・コノベマヒト・鈴木旬・猫又見習・まっしろおばけの5人の作家だった。昨年見たのは、猫又さんと鈴木さんだったと思う。
頑張ってほしいと思う。
土曜日。丹後「すき句会」の日。荒天気味で、こちらも丹後も雨という天候だった。豊岡周辺は、思いがけないほどの残雪だった。
本日は、用事のある方が多くて、参加者は少な目。そこで、投句数を1句増やしての句会となった。宿題は「雨水」、席題は「梅」全般だった。
KさんMさんが面白い作を出句。岩城先生の選にも入っていた。ちなみに、本日の高得点句は私の「蕎麦湯」の句であった。こんなことは、滅多いないことであった。
作品数が、若干いつもより少ない分、鑑賞の方に時間を取ることが出来て、いろいろ面白い話を聞くことができた。
岩城先生の方からは、「季語の本意」の尊重と「客観写生」とが、実は両立しがたい側面をもつのではないかとの問題提起もなされた。考えてみるべき内容だと思う。
雨の中をMさんに駅まで車で送っていただき、駅の待合室でさらに季語と写生の問題について話をする。
帰りの車中では、前日美術館に隣接する図書館で借りてきた筒井康隆の小説『聖痕』を読む。
往復10時間は、さすがに少々疲れる。帰宅後は、すぐに就寝。
不思議な夢を見る。
日曜日。午前中に、金曜日に視聴した番組のモニターをまとめる。内容が、地元に深く関わるもので、気合いを籠めて書く。その分、ずいぶんと時間をとった。
午前から、午後にかけて、筒井康隆の小説を読み続ける。
朝日新聞に連載した小説とは、読み終わってから知ったのだけれど、内容は複雑だった。
『源氏物語』か、『好色一代男』をベースにして、そこに欲望と浄化の問題などを「食」にからめた内容というのか、とにかく複雑だ。
文体から言えば、『好色』の方に近いのだろうか。
微妙だなあ。小説としてのふくらみに乏しいといえばそうだし、一代記的な内容とすれば、こんな趣向になるのかもしれないし……。
最後は、東日本大震災のボランティア活動にからめて、科学技術と資本主義との終焉、時代の「黄昏」的状態をどう生きていくのかという、この小説のおそらくテーマが強く打ち出されてある。
読後、夕方の「歩き」。複雑な思いがわだかまった状態ではあった。
帰宅後、モニター番組を1本見る。その後、浅酌。そして、夕食。
【16年2月18日】
終日、快晴。時おり吹く風は肌寒いけれど、日差しは暖かで、こよみ通りの春らしい一日だった。
今日は、運転手を兼ねて、墓参。
明日は、父の祥月命日なので、天気を考えて、一日早く墓参りをすることとなった。
麓まで雪に覆われた大山をずっと遠望しながら、車を走らせる。
なかなか気分が良い。
父の墓に参り、さらに足を伸ばして母方の一族の墓の方にも参る。
こちらには、古くからの墓がある。
中には、維新前、京都に使いに出て、新撰組に誤って斬り殺されたという人もいたらしい。
水仙の芽があちらこちらに土中から緑の尖端を覗かせていた。
季節になったら、きれいな黄色い花を毎年咲かせる。
帰りには、地元で有名な出雲蕎麦の店で、三色わりご蕎麦を食べる。
巨大なイカ天が評判の店である。細身の手打ちそばで、やや甘みの強いつゆの、大変おいしい蕎麦である。
三段重ねは、さすがにお腹にこたえた。
満腹になったせいか、帰宅後もなんとなく眠くて、夕方までぼっとして過ごしてしまう。
読書は、『小学』読了。
現在の中国人の思考や気質の中に、どのような形で、ここに語られた強烈な儒教的倫理観が生きているのかは、計り知れない部分はあるけれど、しかし、生き方の根底部分にはその大きな影響は残っていることだろうと思われる。
『小学』を読み終え、『大学・中庸』の方へ読み進めることとした。『小学』はいわば入門編、『大学』はその応用編とでもいうことになるのだろう。
『枕草子』は、全注釈を読んでいるので、本文とともにその周辺部分の膨大な研究成果が、ずいぶん懇切丁寧にまとめられてあって、1編を読み終えるのに、結構な時間がかかりそうだ。全4巻本の第1巻半ばまで読み終わる。これも、読了までには、相当長い期間がかかりそうだ。
評論は、厨川白村の『創作論』を読む。比較的長い評論だった。内容は、文字通り「創作」活動をフロイトの精神分析学を利用して説明しようとする内容だった。
執筆時期が分からないのだが、恐らく大正時代に入ってからのものかと思われる。
現在からみれば、フロイトの精神分析の手法をそのまま文学の執筆動機と行為に置き直したようなところはあるけれど、それにしても納得させられる部分も多い。
本人の略歴を読んでいたら、関東大震災で被災、鎌倉で津波に巻き込まれて死亡した、とあって、少々複雑な思いになった。
【16年2月16日】
さすがに、朝は氷点下で、外はうっすらと雪が積もっていた。予報では、15センチくらい積もるとのことだったが、幸い予報通りではなかった。
大山の方では、90センチくらい積もったらしいから、しばらくはスキー場も、雪は大丈夫だろうと思う。
ネットのライブ画像を確認すると、平日の早い時間帯だったけれど、結構スキーやスノボの人達が滑りを楽しんでいた。
今週は、モニターが詰まっていて、今日も午前中に1本仕上げ、夜はラジオ番組を1本聴くことになっている。
半年、あるいは1年間、モニターをやってきて、二つの局ともに3月一杯で任期は終了だけれど、引き続き応募することは、どうしたものかと考え始めている。
すでに、1本は申し込んだけれど、断りの連絡が来ている。やはり、半年毎で3期連続というのは難しいみたいだ。
全く新規の募集が1本あるけれど、条件的に厳しそうで、どうしたものかと思う。
書くことには全く抵抗感はないのだけれど、録画装置がないので、番組を視聴しながら、全体を詳細なメモをとるようにして、パソコンに内容を打ち込んでデータ化して、それからレポートを書くのだが、その手間が少々しんどくなってきた。
さて、どうしたものか……。
荒天の日には外に出られず、かといって運動しなければ、徐々に増え始めている体重の調整が上手く行かず、朝食を軽めに切り替えても、あまり効果がみられないので、しばらく前から、室内でのスクワットやらダンベル運動やらを取り入れて、軽い運動をしている。
その効果かどうか、今週に入って、変化の無かった体重が、若干落ち始めている。
足は依然として、湿布薬を貼っていてもまだ少々痛みが残っているので、足に負担のかからないそんな運動で、多少なりとも効果が上がればラッキーである。
読書の合間に、軽い運動。そして、読書、の繰り返し。
この変化が本物であれば、僥倖だ。
【16年2月15日】
起床して、リビングの方へ降り、カーテンも開けないでしばらくぼっとテレビを見てから、なんとなく外の方が白っぽいので、カーテンの間から外を眺めると、雪が積もっていた。
目を覚まして外を見たときには、曇天であったものが、ほんの30分ばかりのあいだに雪が降り、それが地面を白くするくらいにまで積もっていた。
その後、終日雪が降ったり、止んだり。
さすがに、路上の雪はすぐに融けたが、屋根に積もった雪は融けきることはなかった。
昼前に車で買い物に出たときには、ひどい降りになっていて、牡丹雪ではあったけれど、みるみる視界を閉ざしてしまいそうな勢いだった。
気温は、氷点下には下がることはなかったけれど、これから夜になり、この状態が続けば、明日朝は氷点下で積雪ということになっているかもしれない。
春の雪、というには、少々風情に欠ける降りぶりだった。
午前中は、モニターを1本仕上げ、その後買い物。
午後は、読書。『風土』を書いた和辻哲郎の「もののあはれ」論が面白かった。ごく短い文章ではあったけれど、本居宣長の「もののあはれ」の本質の考察という内容であったけれど、ある種の混沌をはらんだ「あはれ」の分析は、ずいぶん刺激的なものだった。この視点は、おもしろいかもしれないと思った。
いま読んでいる『枕草子』(全注釈の方なのだが)は、「もののあはれ」ではなく「をかし」の文学と評価されているのだけれど、あるいはこの和辻の視点から言えば、「をかし」の本質にもまた一脈通じていく部分をはらんだ要素が含まれているのかもしれないなどと考えてしまった。
和辻の文章は、大正11年に書かれたものだけれど、古さを感じないものだった。
さて、夕方から次のモニター番組の視聴にかからなければならない。
少し、冷え込んできた感じだ。
【16年2月14日】
春一番が吹いたらしい。
日中は、暖かく、時折風も吹いていたようだったけれど、春一番というほどの感じはなかった。
明日からは、また寒気がやってきて、終日雨あるいは雪になるらしい。
この寒さが抜けると、本格的な春に向かって季節が一歩進んでいくのではないか、と期待する。
今年の冬は、異常寒波の時を除いて、おおむね暖冬だったようだ。
電気代が、1月分について、昨年より2000円くらい安くなっている。基本的に節約状態の中での減少だから、電気代がかなり安くあがったということになりそうだ。
半年以上買い手のつかなかった隣家に、どうやら買い手が見つかったらしい。
土曜日に数台の車がやってきて、2時間ほど室内を見学していたみたいだった。
お隣さんが、ずっと空きのままというのはなんとなく落ち着かない。
ローン金利も安くなるらしいけれど、その効果が早速現れたのだろうか。
郵貯や地元の地銀の金利も、引き下げられたようだ。地銀に関して、いつかそうなるかもと危惧はしていてのだけれど、あっさり預金金利が引き下げとなった。
マイナス金利の影響は、銀行間の問題だけではなかったということを実感した。
【16年2月10日】
昨日の足の痛さにこりて、今日は一日おとなしくしていた。
筋に負担をかけなければ、特に痛みはないので、あまり動かず、かといって坐りっぱなしにはならないようにということで、意識的に立ったままで読書。
多少は、エネルギーの消費に繋がることだろう。
今日は、比較的穏やかな日和の一日。
頼まれて、「○○○○教室」の折り込みビラ作りの手伝いを行う。
昔取った杵柄というわけではないけれど、漫画を書いていた経験を生かしての手作業。
あまり上手くはいかないけれど、素人くささもまた良いではないか、などと思いながら、イラストを書いたりする。
はめ込み用の写真も撮ってこなければ。結構、楽しくなってくる。
『俳句年鑑』の現代俳人650人の5句というのを、ずっと読んできたけれど、まもなく読み終わりそうだ。
本当に、様々な俳人がいて、多彩多様な俳句を作っているものだとつくづく感心する。
近代俳句の方では、角川書店の『現代俳句体系』も3巻目に入り、大橋桜坡子(おおはしおおはし、と読む、と思う)句集『雨月』を読み進めている。
「ホトトギス」の俳人のひとりで、現在も旺盛に活動を続けている俳句結社『山茶花』の創始者でもあるひと。
飄々とした句風で、上手くて面白い。
今日は、10時前に1本モニター番組の視聴があるので、うっかり寝るわけにいかない。
なんとか、起きていようと思う。
【16年2月9日】
寒かったせいか、今日はずいぶんと足が痛かった。どこかの筋が一本いかれているように思われる。
歩かなくなったその反動と言うことなのだろうか。坐ってばかりいるということが、足腰をじわじわと弱らせているのかもしれない。
今日は、1時間たったままで本を読んだ。
本気で、こんな風な自衛策を考えなければならないかもしれない。
世の中が、ざわついている。
「たった二杯で夜も眠れず」の世界ではないが、1本の人工衛星と称する飛行物体で、世界中がてんやわんやしている、というだけではなく。
あちらでも、こちらでも、軋みやざわめきが生じている。
それは、個人の自衛策などでは、とうてい埒のゆかない、物騒な状況である。
これまでも、先行きが見通せた訳ではないけれど、今は本当に、この先どうなってゆくのかが、わかりにくくなっているようだ。
『枕草子』を読み進めている。
平生昌という頑固で融通のきかない古風な人物が登場し、清少納言や他の女房達の嘲笑の的になっているというような内容だった。
ただ一人、中宮定子だけが、その不器用な生昌に同情的だ、という内容。
なんとも、あっけらかんとした若い女房達の姿が、描き出されてあるのだけれど、実際には、その時中宮定子は、ライバル中宮彰子の父、藤原道長の陰湿な策略に曝され、追いつめられたような状況になっていたらしい。
清少納言の書きっぷりには、その出来事の翳りなどは、全く触れられていなかったのだけれど、当然彼女たち女房も、自分たちの主の置かれた状況は十分、肌身に感じていたことだろうと思う。
清少納言は、あえて光の部分しか描かなかったようだけれど、その光の背後には暗い翳がわだかまっていたわけだ。
【16年2月7日】
夜のうちに、雪がふったらしく、向かいの家の屋根がうっすらと雪を乗せていた。
地面の方は、濡れているだけで、雪の痕跡はない。
風雪という予報だったので、少々拍子抜けがしてしまった。今は、うっすらと日が差している。
地域の広域放送で、「北朝鮮のミサイルが……」とか、放送しているのが聞こえたりもする。
現実感に乏しい。
午前中のうちに、モニターを1本書いて、メールで送る。このバイトも、あと2ヶ月で終了する。
新たに、別のチャンネルでのモニター募集に応募しようかとも思う。視て、書いて、現金収入に繋がるなら、ありがたいことだ。
今日は、夕方からもう1本番組を見る。
『蜻蛉日記』、本日読了。なかなか面白かった。それにしても、道綱の母の旦那さんにあたる藤原兼家は、古典世界では、花山天皇を策略によって退位させた権謀術数家であり、その五男は藤原道長(「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の藤原道長)で、まさに権力の座にどっしりと腰を下ろした人物であったわけだと、あらためて思う。
引き続き、『枕草子』を読み始める。清少納言は、道長と因縁が無いわけではない女性である。彼女が親身に仕えた中宮定子は、道長の娘彰子とはライバル関係にあった女性ということになっている。ライバルとは言っても、男性諸君の権力争奪争いにおける有力な手段として、ということではあるのだろうけれど。
午後になって、良い天気になる。日差しは暖かく、青空が広がって来る。雪をいただいた大山の姿が大変美しい。
腰のあたりが痛むけれど、近所をぐるりと歩いてくる。
帰宅して、一休みの後は、モニター番組視聴ということになる。
【16年2月5日】
一日良い天気だった。
朝方の冷えもなく、湯たんぽを準備する必要もなかった。それはそれでありがたい。
午前中は、いつも通り読書。
『蜻蛉日記』は本編読了。最後は、道綱君の恋のやり取りの歌と、そして彼もかかわる新年の行事の準備を進めるというところで、日記は終わった。
最後は、やはり息子に対する母の気遣いということで日記本体が締めくくられたわけだ。
その後には、日記に収められていない道綱の母の『家集』ということで、和歌がとりまとめてあった。
それも、あと1日あれば読み終わることになるだろう。
一日1時間(正確には50分だけれど)を読む時間にあてて、『日々録』を見直すと、昨年の11月13日から読み始めたようなので、3ヶ月弱かけて読み終わることになる。
結構、時間がかかったようだ。次は、『枕草子』をきちんと読み直していこうかと考えている。
『小学』は、まだしばらく読了までは時間がかかりそうだ。現在は『烈女傳』的な内容の所を読み進めている。『烈女』といっても、この場合は儒教的な道徳に対して、わが身すら犠牲にする「孝女」的女性のエピソード集のような内容だ。
今日、読んでいたところでは、先夫と若くして死別した女性が、再婚を促す親族に対し、先夫への義を全うするために、自らの鼻を切り落としてしまう、というかなりぞっとするような内容だったりしたものだ。
極端な話(創作ではなく、実話ということになるのだろうが)ではあるが、それを良しとする価値観が当時の社会の中にあったということなのだろう。
昔、インドのカルカッタに行ったとき、インド博物館を見学に行ったことがある。
その時、そこに収蔵されてある石仏の中に、鼻の部分だけが破壊されてあるものが、いくつもあった。
それは、仏教に反対する勢力が、仏像を破壊するのに、全体を壊すのではなく、鼻の部分だけを破壊するという最少の労力で、仏像の外見に大きなダメージを与えるというふるまいに出た結果だそうだ。そんなことをふと思い出したりもした。
教条的な社会道徳の犠牲になった、いたましい女性の話という風に、そのエピソードは感じられた。当時の人達とは、ずいぶん異なる受け止めなのだろうけれど。
午後は、俳句関係の読書を続ける。
先日、俳句結社『運河』から送っていただいた、結社主宰茨木和生氏の著書『季語を生きる』(邑書林)も、読み始めた。
季語というものの実体を考える場合に、大いに参考になる一冊だと思う。
夕方、少々足が痛かったのだが、近所を1時間弱歩く。暖かくて、気持ちよかった。さすがは、暦の上ではもう春である。
明らかに、昼の時間が長くなっているのを感じる。
【16年2月3日】
昨夜は、ひどく冷え込んだのだろうか。
床に入っていても、ぞくぞくした。湯たんぽも入れておいたのだが、お湯の温度が、少々ぬるかったのか、とも思う。
今日は、一日良い天気だった。滅多にないこの時期の日差しを部屋中に入れる。
窓際に椅子を置いて、本を読んでいても、ぽかぽかと温かい。
近所をぐるりと歩いてきたりもする。
夕方になって、さすがに冷え込んできた。
とりあえず、節分ということで、昼間買ってきた豆を、各部屋毎に撒く。
あとが面倒なので、数粒ずつ撒く。明日は、拾い集めることになるか……。
逆に、外には、盛大に。野鳥が庭にばらまかれた豆に気付いてくれれば、と思う。
その後、浅酌と恵方巻きの夕食。
普段、巻きずしなど食べることがないので、良い機会だから、恵方巻きに便乗する。おかずの準備も必要ないので、手軽な夕食である。
一応、南南東の方角を向いて、無言で二かじりほど食べ、あとは普通に美味しくいただく。
節分は、年に一度巻きずしを丸かぶりする日でもあるということだ。
明日は、もう立春。暦の上では春、というおきまりのフレーズがつい口からもれる。
ただ、明日も朝はうんと冷え込みそうだ。天気が良いので、放射冷却で氷点下にならないことを祈りたい。
【16年2月2日】
今日は一日、冷たい雨が降り続けた。
2月に入った。明日は、節分。明後日はもう立春ということになる。
とはいえ、一年で一番寒いのはこの時期というのは、毎年繰り返し言われることではある。
土曜日から京都へ。
昼前にバスは京都駅に着き、そのまま勉強会の会場へ。
参加者20名超で、勉強会は始まる。
会員さんの100句の鑑賞会。レポーター役のお二方がいて、レポートの後に自由討論。いろいろ突っ込んだ話もできて、なかなか面白い集まりだった。
夕方には、会は終了し、その後木屋町方面に場所を変え、恒例の二次会。
実は、こちらの方が、さらに突っ込んだ厳しい話が出てきて、結構たいへんでもある。
私は、二次会までで、辞去し、知人のマンションに。
いつもお世話になっている所に泊めていただく。
ゲストハウスを予約してもらっていて、そこに泊まる事が出来る。
あまり遅くならない時間まで、知人の家でいろいろ話す。
翌日は、のんびりと過ごさせてもらい、昼前に知人と一緒に市内まで。
京都駅の伊勢丹内の店で、美味しい昼食を食べ、昼の高速バスに乗り、帰宅する。
楽しい1泊2日の京都行きだった。
行きは良い天気で、バスが高速を走行中、地元の山大山の山頂上空を、銀色に光る丸い物体が飛んでいるのを目撃する。
飛行機なのかと思うけれど、良くわからない。
帰りは荒天。山中も、雪ではなく雨が降っていた。
帰宅後は、張っていた気が緩んだせいか、モニター番組を一つ見て、あとは早めに就寝。
本日は、午前中かけてモニターのレポートを二つ書いて送る。今年度一杯で、ふたつのモニターは終了するので、さてどうしようかと思っている。
午後になって、気温が少しずつ下がっていくのが分かる。夜にはいれば、雨は霙か、雪に変わるのかもしれない。
京都行きの間に、40句ばかり句を作る。最近、珍しいことだ。
数句、気に入った作もできた。
色々な意味で、収穫のあった京都行きだった。
2月は、丹後行きを除き、地元でおとなしく過ごすことになるだろう。