日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【16年3月30日】
長年の公務員生活から、1年の区切りは本日という感覚が、職を離れた今でも自分の中に生きている。
旧年度も本日で終了。明日から、新年度が始まる。
職を辞し、今の生活に入ってから今日で2年目が終了する。
明日からは、3年目に突入。
ここ数日、長い文章の推敲・添削と所属結社の投句作品作り、そしてモニターのレポート書きに追われるような生活。
本日それらがすべて終了して、次年度に積み残すものは特になし、という状態で、今日を迎えることができた。
1年間の生活費関係の収支決算も終了。退職1年目は、本当にびっくりするほど出費がかさんだのだけれど、2年目はびっくりするほど大幅に圧縮ができた。
3年目も、基本的に現在の生活形態を維持するためにも、堅実に家計のやりくりに勤めなければとも思う。
本を読むばかりではなく、書く方にも力をいれなければ、と思う。
すでに、いくつか目標としてやってみたいことがあるので、そのための準備を進めなければと思う。
新年度が、どのような1年になるかは、全く分からないけれど、やってみたいことだけはやりきってみたいと思う。
NHKのモニターも、本日終了。本来は半年契約だったのだが、何かの都合でさらに半年継続ということで、1年間モニターを勤めてきた。
個人的には、NHKについて、悪い印象は持たなかった。番組製作スタッフも、報道関係の人達も、真摯に誠実に番組作りに励んできておられた、という印象が強い。
ただ、本日については、かなりきつい事をモニターに書いた。最後ということがあるので、気になる点について、思うところを書いて、送った。
正直、民放番組の中には本当にくだらない、くだらないだけではなく、明らかに意図的に世論操作に動いている番組などもある。
それに比べれば、NHKはまだ良心的な部分が残っていると思う。
しかし、それもかなり危うくなっていることも、感じる。その点を、今日のレポートで具体的に本日の番組に即して、書き送った。
NHKには、本来の公共放送としてのスタンスに立って、頑張って欲しいと、心から思っている。


【16年3月28日】
日曜日は、丹後「すき句会」。列車の時刻が、日曜パターンになっていたので、朝の列車が8時過ぎとなり、その後も順次列車の時間がずれた結果、丹後着は1時前となり、駅まで車で迎えに来ていてだくこととなった。遅れ気味に始まった句会は、参加者も少な目で、一人8句投句と、いつもより1句多い出句となる。
兼題は、「春の川」、席題は「笛」ということになった。
個人的には「笛」の句が結構面白かった。
4時過ぎに句会は終了。少し雑談して、早めに退席。帰りも、駅まで車で送っていただく。少し時間があったので、駅周辺をぶらぶら歩く。
途中、岩城先生から携帯が入る。早めに駅に向かったはずなのに、駅に姿が見えないということで、連絡を下さった。
丹後の往復は、行きは結社誌『幡』を読み、帰りは川柳誌『川柳カード』を読む。違った視点から短詩系文学を眺めることが出来て、『川柳カード』は、なかなか面白い。
ただ、小津夜景氏の特別寄稿の文章は、私には難しかった。観念操作が、ちょっとやったことがないような経路でなされているような気がした。その分、興味を引かれるということもあったのだが。
『幡』の辻田克巳氏の作品は、つくづく上手いと感心するばかりである。この感覚は、ここ15年くらい変わらないものだ。ファンという感覚なのかもしれない。
月曜日。午前中は、長い文章の推敲。昼前にやっと終了する。昼食を終えて、モニターのレポートを1本書く。この番組は、これで終了。モニター自体もあと2本を残すばかりだ。
一休みの後は、所属誌への投句作品作り。夕方までかかる。
モニター番組を1本見て、その後、夜の7時から市内へ。合唱団の説明会へ参加する。来年3月の演奏会に向けて、準備が始まることになる。
9時前、帰宅。少々疲れる。
明日は、朝から歯医者。もう就寝しようと思う。。


【16年3月26日】
午前中かかって、長い文章の推敲や、午後からの句会のための作品を作ることに使って、少々疲れる。
早めに句会場へ行き、出句だけを済ませて、近所の知人のところに話しに出かける。
知人は、地元でも長い歴史を持つ写真館の3代目の主人だ。
顔を出すと、来客はなかったので、しばらく話す。
近所の大型店舗の閉店について、少し話をする。市の中心に位置する、歴史ある大型店舗の閉店は、やはり衝撃的ではある。
高校時代、学校を終えて、しばしばそこに出入りしていたことなどを思い出す。
本当に厳しい、と知人は話す。教育施設などが来てくれるとありがたい、とも話す。学生達が集まれば、自然と活気が戻ってくるだろうと考えているようだ。
しかし、学校の誘致はとても難しいことだろうと思う。
時間になったので、句会場へ。本日は、出席者がいつも以上に多い。
清記や選句にずいぶん時間がかかる。
本日は、出句した7句中4句が選にかかる。
目にとめてくれる人がいたことを感謝する。
句会の本流の句とはずいぶん違う句柄なのだが、それに反応してくれる人がいることがありがたいと思う。
4時前に終了。そのまま帰宅する。
少々疲れているので、あとは何もせず、明日の丹後「すき句会」の準備だけして、早めに休むことにする。


【16年3月23日】
関西地区に、「ふらここ」という若い人達の俳句集団がある。
今夏の龍大俳句講座で、その存在を知ったのだが、そこからメンバーの作品集が出るということで、早速申し込んだ。
俳句講座に参加している学生さん達の何人かが、その「ふらここ」のメンバーらしかった。
そういえば、講座の句会で、参加者や講師の俳人連の選に入っていたひとの中にも、その人達は混じっていたらしい。
どんな作品を目にすることが出来るのか、楽しみだ。
今日は、郵便局に振り込みに出かけた。送料込みで500円だった。
昨夜、たまたま夜中に目を覚まし、NHKの予算委員会をつい3時過ぎまで見てしまったせいか、今日は眠くて眠くてしかたがない。
午前中の読書も、本を読んでいるのか、読みながら半分寝ているのか、分からないような有様だった。
午後もそんな状態で、やむなく昼寝する。短時間横になるつもりで、目が覚めたら1時間くらい寝込んでいた。
おかげで、その分すっきりして、長谷川かな女の句集『雨月』を、目の覚めた状態で読み進めることが出来た。
彼女は、原石鼎が「あるじよりかな女が見たし濃山吹」と句を作って、おおいに不興をかったという俳人長谷川零余子の奥さんだそうだ。
女流俳人としては、著名な作家のひとりである。
今日は、思ったよりも寒かった。夕方になり、上着を一枚重ね着る。
夕食を終え、少し文章を書いて、今夜は早めに寝ることにする。
外は、風が強い。


【16年3月22日】
土曜日。午前中、モニターのレポート書き。
午後、宝くじ協会が協賛する「おしゃべりコンサート」を見に行く。
出演は、司会が清水ミチコ、ピアノが小原孝、歌手島田歌穂。演奏が「おしゃべり音楽館ポップスオーケストラ」というメンバー。
地元の合唱部の高校生達も出演。3時間にわたり、盛りだくさんの愉しい演奏会だった。
清水ミチコのピアノの上手さにはびっくりした。
物まねのほうは、良く分からなかった。
日曜日。モニターのレポを1本書き、モニター番組を1本見る。それで、半日終了。午後は、疲れて、ぼーっと過ごしてしまう。夕方から、別のモニター番組を1本視聴する。
月曜日。前日見た番組のレポートを2本書く。昼前、母の運転手として墓参り。一日ずれてしまったが、2カ所お参りして来る。快晴で、雪の残る大山が終始見えていて、大変気分が良かった。
帰宅後、読書。夕方浅酌。眠くて、早めに就寝。
火曜日。読書の後、昼前路上に車を出して洗車。洗おう洗おうと思っていたので、すっきりした気分。
実家で録画しておいてもらったモニター用の番組を見て、午後レポート1本書く。先週末から、今週初頭にかけて、モニター番組視聴とレポート書きに追われていたような状態だった。
今月で、NHKと民放のモニターは終了。来月から、別の民放局のモニターが1年間始まる。
お隣さんのリフォームが始まる。引っ越しの前に手を入れられるらしい。夕方になって、工事関係者の人が、おまんじゅうを持って挨拶に来られる。
工事期間中、迷惑をかけるということで、来られたらしい。
一人では食べきれないので、とりあえず実家の方におまんじゅうは回すことにする。


【16年3月18日】
暖かい雨の一日だった。
特に変わったこともなく、朝からずっと本を読んで過ごした。
途中、2度ほど気分転換を兼ねて実家に顔を出し、様子を見てから、自宅に戻り、また本を読む。
夕方になって、珍しく京都の最後の赴任校で親しくしていた進路部長から電話があり、転勤することになったと知らされた。
まだ、内々示の段階の話だろうけれど、とりあえず、ご苦労さん、良かったねとお祝いを伝える。
ここ数年は、ずっと進路部長を務めてきて、沢山の苦労もあったことだろうし、新たな学校でリセットすることは、大変よいことだろうと思われた。
次のところは、落ち着いた校風の地域でも評価の高い進学校なので、進路部長の経験は大いに生きることだろうと思う。
隠遁者みたいな生活を送っているわが身を思うと、現場で職務に励んでいる彼に、心からの激励の思いを伝えたいような気持ちになる。
今年は、転勤する人が多いらしく、知っている何人もの人が新しい職場に移っていくらしい。
早期退職の人もいるようだ。
ネットで何人かの方と掲示板を通じて歌仙を巻いていることもあって、その参考にと先日図書館から借りてきた芭蕉の連句関係の本を少し読む。
ずいぶん行き届いた内容の論評であったが、ただ微妙に違和感を覚えるところがあって、一体どこにそこ違和感の原因があるのかを考えながら読み進めていくうちに、どうやら連句の作り手と鑑賞する側との作品に対する身の置き方を混同して語っているようなところがあることに気付いた。
筆者自身、自ら連句を作った事もある人で、連句を専門に研究もしている人のようだけれど、実作者が作品に対して傾ける姿勢と、鑑賞者として作品を受け止める姿勢との微妙な混乱が、当人がその両方の立場を経験している人だけに、論の中に奇妙な違和感をもたらしているようなのだった。
ついでに、山本健吉の俳句の本質は「挨拶と滑稽」という規定の中の、「挨拶」という部分に関しても、連句との関連から、ちょっと考えてみても良いかもしれないということをふと思ったりもしたものだ。
ずいぶん、刺激的な評論だったと思う。


【16年3月17日】
本日、国谷さんの『クローズアップ現代』が、最後を迎えた。
23年間にわたり、番組に携わってこられた国谷さんをはじめ、番組をともに作り上げてこられたスタッフ達に、賞賛と慰謝の言葉を贈りたいと思った。
最後の番組は、現在の若者に対して希望を託するという、いかにもこの番組らしい内容であり、感銘を受けた。
私自身、この1年間に渡り、NHKの番組モニターを勤めて、様々な番組をかなり詳細に視聴し、いろいろと考えることがあった。
ただ、現在の感想としては、色々な不満を感じつつも、番組制作の現場のスタッフの方達が、ずいぶんひたむきに誠実に番組作りにあたっている、という印象を強く持ったということだ。
右からも左からも、それぞれ左寄りだ、右寄りだと批判をされ、その中で大きな波に揺られるように、船体を傾がせながらも、かろうじて海原にその船体を保っているというのが、現在のNHKの姿のように思われるけれど、某民放局のように、露骨にあからさまに特定の立ち位置に立った報道を垂れ流している姿に比べると、NHKの姿は、まだジャーナリズムとしての本来の姿を残しているように、個人的には感じられる。
そんなNHKの姿を、視聴者の前に静かに示してくれていたのが、たとえば国谷さんであったように、思われる。
続投を希望する国谷さんを、番組改変ということを口実として、番組自体から排除するような、そんな力があったとか、なかったとか、そんな風評をどこかで聞いた覚えもある。
その真偽のほどは、こちらには判断のしようもないけれど、今回の国谷さんのことが、後年、何かの象徴的な意味合いをもって浮かび上がってこないことを、ただ願うばかりである。


【16年3月16日】
ひさしぶりに車にガソリンを入れた。毎回、同じ量しか入れないのだが、前回に比べて500円くらい安かった。
原油価格は、一時期に比べて上がっているのだけれど、その分がまだガソリン価格には反映していないみたいだ。
今日も、歯医者。今日の状態次第では、部分抜歯ということになるはずだったが、状態が改善しているので、次回の様子次第で判断、ということになった。
ほっとしたような、少々煩わしいような……。
今日は一日、暖かい日和だった。来週少し寒気が入るかも知れないけれど、おおむね春らしい陽気になってきたようだ。
週末は雨という予報だけれど、気温は高いらしい。春の雨ということになりそうだ。
原コウ子の『石鼎とともに』読了。石鼎個人というより、彼を中心軸として、石鼎をとりまく時代と人々の姿が、茫洋と描かれてあるという印象を持った。
石鼎自身は、恐らく相当強烈な個性と特異な神経の持ち主だったように思われるのだけれど、そんな石鼎の一番身近にいた奥さんの包み込むような受け止めかたが、そのような情感を全体にもたらしているのかもしれないと思われた。
なかなか面白かった。
三木清の評論を2編読む。昔々、高校生時代に同じ著者の『人生論ノート』というのを文庫本で読もうとして、結局難しくてお手上げ状態になった覚えがあるけれど、今回の評論2編のも、大変てごわくて、ほぼ大半を読み切れなかったような感触を持った。彼の観念操作は、ひどく複雑で、その筋道をたどって行こうとすると、途中で完全に置いてきぼりにされるというような有様だった。
弁証法的な発想の部分については、その考えのパターンに当てはめて、なんとか了解出来そうなところもあったけれど、生と死に関する考察の部分などは、まるで混乱してしまった。
一度で理解しようとするのが、そもそもの間違いなのだろうけれど、再度挑戦する勇気が出ない状態である。
こちらの頭の状態がよほど良い時でなければ、なかなか読みとるのはしんどいように思う。
『中庸』は、膨大な注釈に悩まされつつも、けっこう面白いと思いつつ読む。『枕草子』も同様に、懇切丁寧な注釈を楽しみつつ、読み進めている。和漢ともに、古典はよみごたえがある。


【16年3月13日】
大学時代のサークルのメンバーとボーリングをする、という夢を見た。
なぜまた、今頃サークルといい、ボーリングなのかと、目が覚めて考えてしまった。
とはいえ、結構おもしろい内容の夢だった。
ボールがゲームに行くといつも使っていた、13ポンドの33という番号のものだったりして、そんな細部が再現されているのは興味深かった。
ボーリングのレーンの一部に草が生い茂っていて、ボールがそこに突っ込むと、ゲーム場の人があわててボールを回収に行ったりする、というのはいかにも夢らしい奇想天外さでもあった。
最後に、ゲームを終えて、料金を支払うと、なんと1ゲーム20円で、こんなに安いのは、今日はレーンの整備などが不十分なので、割引サービスだと説明を受ける、というのが夢の落ちだった。
サークルのメンバーは、皆大学時代の若々しい姿で、懐かしくもあった。
朝は寒い。床の中で、NHKの短歌と俳句を見てから、起床する。どこかで、鶯が鳴いている声がかすかに聞こえる。
今年に入って、これで3度目のことである。近所まで、鶯が山から下りてきているらしい。
特に何をするというわけでもなく、午前中を過ごす。
午後からは、いつも通り読書。
本を読んでいて、「書痴」などという言葉を知る。
さすがに、そんな状態ではないよな、と我ながら思う。


【16年3月12日】
朝から、良い天気。気温はさほど高くはならないらしいけれど、ともかく洗濯して、庭に干す。
日差しと、外気も取り込むべく、カーテンを開け、窓を心持ち開けておく。空気は、まだ冷たい。
朝風呂にも入り、気分良く、モニターのレポートを書く。
規定は600字から800字程度なのだが、特に字数オーバーは問題としないということなので、気張って書いたら1600字、原稿用紙4枚分ほどになってしまった。
フォントを小さく設定して、所定のスペースに収めて、添付ファイルで送信する。
庭に出て、草むしり。何も考えないで、草を毟る。これは結構ストレス解消になる。
書き終えた緊張の緩和にもなるようだ。
午後は、コンサートを聴きに出かける。
帰宅後、浅酌。その後、夕食ということになる。
一日干していたので、洗濯も具合良く乾いている。

政権与党の幹部から、「ポピュリズム」という発言があった。「大衆迎合」という意味らしい。
なるほど、次期参院選の候補者に歌手やマスコミに名前の知れた人物を候補者として推薦することが、その「大衆迎合」の一端だと了解する。
そんな個人の知名度に頼り、大衆におもねるような、真摯さに欠ける候補者の選出をするから、その揚げ句不倫議員などが登場するのだろう。
恥ずかしいことだ。
反省と学習がはまだ十分には行われていないらしい。
なんとなく、情けない……。


【16年3月10日】
モニターが決まる。次年度1年間の契約ということになる。
ありがたいことである。
頑張れば月10本ほどのレポートとなる。現在、毎月16本のレポートを書いているので、それに比べれば、本数的にはかなり少ない。
本日、昨年選者として作品の選と作品評を行ったとろこから、まとめの冊子をおくっていただいた。
内容は、俳句だけではなく、書道や絵画、短歌、新聞、読書感想文と多方面に渡る内容だった。
冊子に目を通しながら、その作品の出来映えに感心した。
今年は、補助金が削減になったとのことで、冊子も業者による製本から、手作りのものに変わったそうだ。1冊ずつ担当の方達が入力から始めて、印刷・製本まですべて行われたのだろう。
選を終えてからずいぶん経つのに、冊子を送っていただけなくて、何かあったのかと思ってはいたのだが。
その努力に敬意を表したいと思う。
それにしても、教育・福祉に関わる予算が、こんなところでも削減されているのかと、複雑な思いにもなった。
今日は、東京大空襲の日だという。
母方の一族は、この日、現地で被災し、すべてを失って田舎へと避難することになったと聞いた。


【16年3月9日】
朝から雨である。
気温はさほど低くはないようだけれど、最高気温は一桁台どまりのようだ。
今日は、昼の時間帯に歯医者の予約が入っているので、時間の使い方がなんとなく中途半端な感覚を持つ。
昨日は、なんとなくいつもの読書に気が進まないので、別の本を読んで気分を変えようと(気分を変えるのも読書か、とも思うが、これが結構良い気分転換になる)思い、買ったままで読まずにいた原コウ子の『石鼎とともに』を読むことにした。
原石鼎はホトトギス派の著名俳人で、結社『鹿火屋』の主宰でもあった人だ。高浜虚子からも、この人物を得たと高く評価された俳人のひとりである。
コウ子氏は、その石鼎の奥さんで、妻の立場から描かれる俳人石鼎の姿が、様々な引用も含めてずいぶん詳細に描かれていて、なかなか面白い。
ちょうど、夏目漱石の妻の鏡子氏の書いた『漱石の思い出』を読んだ時と同じくらいに、面白い内容である。
気分転換のつもりで読み始めたので、読みさしのままに置いて置こうかとも思っていたのだが、これは読み終える価値がある一冊だと思い始めている。


【16年3月8日】
「保育園落ちた 日本しね」という書き込みが話題になっている。
予算委員会でも取り上げられ、議員の中からは書き込みに対するヤジも飛んだらしい。
その後、色々なところで様々に取り上げられて、この言葉に対する扱いも変化した。
影響力を持つ言葉だったということだろう。
「政治的に利用されている」と、その扱いを非難する発言もあるけれど、その発言自体が実は「政治的発言」だったりもする。
ややこしいことだ。
だが、その発言の意味するところは、まさに「政治」そのものが問われているのだから、「政治的に」取り上げられ、「政治的に」扱われるのは当然かもしれない。
ネット上の発言は、時に社会の無意識的部分が顕在化されるという側面を持つ。
こんな悲鳴に近い罵詈雑言が、書き込まれ、それが影響力を持つほどに、状況は悪化しているのかもしれない。


【16年3月7日】
本日も、朝から歯医者。
早めに起き出し、ついでに朝風呂に入ってから、出かける。
8時半に医院に着いて、治療が終わったのが10時だった。その間、約1時間近くは、あらたに歯にかぶせる被せ物の調整。
恐らく、20回以上、填めてはずして調整をし、また填めては調整しの繰り返し。その根気強さには、本当に感心してしまう。
おかげで、最初は違和感が強かったものが、最後には全くその感触はなくなった。
患者さんは、3脚用意された診察台にそれどれ横になっていて、ひとりずつ治療を受けていくのだが、私は今日は被せるだけなので、最後にまわされたこともあったのかもしれない。
まだ、この先、数回は通わなければならないらしい。
病院を出て、そのまま、買い物に行く。大型スーパーと、野菜の安売り店の2軒をまわって帰る。
野菜は、ブロッコリーが地元産の立派なもので1本100円。レタスは、熊本産でかなり高かったので買わずにしまう。ほうれんそうも地元産が150円であった。
帰宅後、昼食を跨いで、モニターのレポート書き。面白い番組なので、ついつい力が入り、規定の字数をオーバーしてしまい、文字を削るのに苦労する。
午後は、そのまま読書。『大学』を読了する。朱子の釈文が面白かった。
途中、気分転換のつもりで、花の終わった山茶花の剪定をする。お隣さんにはみ出した枝だなどを切る。
夕方、モニター番組を1本見る。
その後、浅酌と夕食。
大会に出す予定の連句(発句に続く七七の部分)の割り当てられた脇句をあれこれと考える。発句(一番最初の五七五)がなかなか凝った作品だったので、その分付けるのに気を遣う。
5句ほど作って、送る。さて、第三(脇句に続く五七五の部分)担当の方の気にいるものがあるだろうか。
少々疲れたので、本日はもう休もうと思う。


【16年3月4日】
歯医者に行く。
最近は、朝寒いと言うこともあって、寝床から抜け出る時間が暖かい時期に比べて2時間くらい遅くなっていたのだが、今朝は早めに(普段通りというべきか)起き出す。
予約が、朝一の8時30分からなので、ちょうど出勤の時間帯にかぶるであろうということも考えて、少し早めに家を出る。
思ったほどの渋滞はなくて、かなり早めに病院に到着し、しばらく待合室でテレビを見ながら待つことになる。
今日は、前回とは別の部分の治療で、結局小一時間ほどかかる。
完治までには、数回通わなければならなくなりそうだった。
長椅子に横になっていると、目の前の天井にはくちょう座やおおくま座などの星座が描かれ、さらに時計の時刻を知らせる音楽が、坂本九の「見上げてごらん、夜の星を」という曲だった。
治療が終わって、ちょっとだけそのことで話をしたら、父親が自分の考えでそんなふうに内装をしました、とのことだった。
お父さんは、星が好きだったのかもしれない。
患者目線から言えば、天井の星座はなかなか良い、と思う。
帰宅後、午前中読書。
昼食をはさみ、引き続き午後もと考えたけれど、ちょっと気分を変えたいという思いになり、腰の状態も良かったので、「歩き」に出かける。
暖かい日差しの下、枯れ草が覆う耕作放棄地あたりの小道を歩く。下が、草や砂地だったりして、負担が少なく歩きやすい。
あまり長い時間、距離は歩けないので、6000歩ほど歩いて来る。少々、腰が痛いが、さほど問題はないみたいだ。
大事にするばかりではいけないので、適当に負荷もかけつつ、回復を期する他はないと思う。
帰宅後、夕方まで読書。評論と句集とを読む。
句集は松本たかしを終え、加藤楸邨の『寒雷』へと入っていくのだが、本日は序文の水原秋桜子の結構長い文章を読むのみとする。
『寒雷』は、以前読んだことがあるので、今回2度目になる。
実家に顔出しをして、犬を散歩に連れて行き、その後、夕方の買い物。
野菜が、やたらに高いと思う。


【16年3月1日】
断続的に雪が舞う一日。
屋根の雪も、完全には融けきらず、夕方まで残っていた。今も、ちらちらと牡丹雪が夕闇の中を降ってくる。
明日くらいまでが、おそらく本当の冬の名残ということになるのだろう。以降は、どんどん気温も高くなり、天気も回復していくらしい。
今日は、読書を早めに終えて、午前中のうちに確定申告に市内まで出かける。
収入の如何にかかわらず、確定申告はきちんとしておくのが、次年度への当然の準備だと思う。
すでに、書類はネット上で作成してあるので、それをプリントアウトして必要な資料を添付して、窓口で提出をするだけなので、市内までいくということ以外にはほとんど負担はない。
結構な吹き降りの中を市内まで出かけ、税務署で書類を提出し、その足で近くの市立図書館まで行って、借りていた筒井康隆の本を返却して、あらたに民俗学関係の本を借りる。
さらに、近くに古本屋があるので、久しぶりに顔を出す。結構色々な本が置いてあるのだけれど、今日は見るだけで済ます。
詳しくは知らないけれど、どこかの官公庁の調査かなにかで、日本で一番暮らしやすい町にも選ばれたらしく、それなりに必要な施設や店舗は手近なところにそろっている。
ありがたいことだ。
午後は、もっぱら読書で過ごす。
ここ数日は、モニターも入っていないので、気分的に楽だ。
以前、新聞に短文を投書したら掲載されたことがあったのだが、今日その掲載料みたいなもので、新聞社から図書カードが届いていた。
ありがたい。また機会があれば、投書してみようかと思う。
地元の結社誌も届いていたが、こちらの方は相変わらずという状態であった。
上手い、下手でいえば、やっぱり下手なのだろうな、と思う。しかし、何とも致し方ない。
今日から、3月が始まる。