日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
15.9「日々録」 | 15.10「日々録」 | 15.11「日々録」 | 15.12「日々録」 | 16.1「日々録」 | 16.2「日々録」 | 16.3「日々録」 | 16.4「日々録」 |
【16年5月31日】
キリシマツツジが8分咲き状態の時の写真です。3日ほど前のもので、現在は満開をやや過ぎたかなという状態。
今日は、時折強い風が吹いて、そのたびに少しずつ花が散っている。
花屑はごみではない、とはいえ、路上に散らばるのは注意している。
日曜日は、俳句の勉強会で京都まで。
科学者としても著名だった俳人和田悟朗氏の人と作品の鑑賞ということだった。
全く先入観なし(知識ゼロ)という状態で参加しようと思ったのですが、京都行きの高速バスの中で、あらかじめ送っていただいていた資料を読み、作品選200句を読んだら、俄然興味が湧いた作家でした。勉強会では、そのせいか少々過激な発言などを発してしまい、会場がやや険悪な雰囲気に一瞬なったのではなかろうか、などと気懸かりではあった。
いろいろ考えさせられた勉強会だった。
二次会は、四条の「M」にて。船団の方が来ておられて、大変楽しい二次会になる。
酒置歓語とは、まさにあんな状態かもしれない。
ただ、少々食べ過ぎ、飲み過ぎた様ではあったけれど。
9時過ぎに、知人のマンションにお邪魔し、そこでさらにお酒をいただきつつ、四方山話。
普段は、家族以外の人と話をする機会が極端に少ないので、いつもの数十倍の会話を半日で交わしたようだ。
その日は、マンション内のゲストルームに泊めていただき、翌日午前中のうちに、以前住んでいたマンション界隈をぶらぶら歩いたりして、京都駅へ。
そのまま、高速バスで帰宅。
そういえば、日曜日はバスが京都駅に着いたとき、大階段のステージで高校生のバンドフェスティバルが開催されていて、にぎやかな音楽に惹かれて、時間もあることなので、見学にでかけた。
20分ほど音楽を楽しむことができたけれど、それ以上に会場で前の職場の知り合いの方達に出会うことが出来て、大変幸運だった。
時間が迫っていたので、ほんの立ち話ということだったけれど、近況など交換しあって、それも楽しい時間であった。
盛りだくさんの京都行きだった。
本日は、毎年応募しては鳴かず飛ばずの「K俳句賞」の最終締め切りの日で、最後に手を入れてから、印刷した物をコンビニで拡大コピーして、封筒に収め、郵便局まで。
本日の消印がしっかり押されてあることを確認して、それから帰宅。
あとは、いつもの通り、ほぼ読書。途中、山法師の伸びすぎた枝の剪定。
きれいな花萼がついている枝を1本残して、それはトイレに飾ることにした。
【16年5月25日】
5月もそろそろ終わりに近づいた。
今月末には、日・月の両日、俳句の勉強会で京都まで出かける。新緑の京都、というより、ずいぶん暑いだろうな、と思ってしまう。
昨日は、どうにか天気が保った。
午前中は、母の運転手役で病院へ。結局昼近くまでかかったけれど、その間に歩いて近所の図書館まで本の返却に行く。
帰りに、いつも車では通過するだけの神社にも立ち寄ってみる。米子3名水のひとつが湧いているとのことで、水道風に蛇口を捻れば水が出るという具合だったけれど、少し口に含んでみたが、癖のないおいしい水だった。
病院を終え、お昼は帰り道にある有名なお蕎麦屋さんで、三色わりご蕎麦をおごってもらう。
白イカのかきあげが、手打ちそばにぴったりでとても美味しかった。
昼過ぎで店内は満席状態だったけれど、幸い平日でしかもタイミング良く食事を終えた人がいたので、ほぼ待ち時間無しで食べられた。
これが、土日やまして観光シーズンならこんなことはとうてい無理だろうと思う。ラッキーだった。
帰宅後は、のんびり過ごしてしまう。
本日、朝は高曇り。天気が崩れるという予報だったので、とりあえず朝食前に軽く「歩き」に出かける。
涼しくて、歩きやすく、助かる。
耕作地の方に出ると、雲雀の声がひっきりなしに聞こえる。ちらりと頬白の姿なども目にとまった。
帰宅後は、朝食をとり、そのまま昼まで読書。天気は、小雨がぱらつく程度だった。
昼食後、一服して、再び「歩き」に出る。暑くなくて、歩きやすい。目標の歩数をクリアするために、近所をぐるりと一周してくる。
その後は、夕方まで再び読書。
特に変わりない一日だった。
【16年5月23日】
庭の手入れで出た枝や葉っぱを、段ボールやコンビニ袋などに詰め込んで、市の可燃物処理センターへ運ぶ。
車の後ろシートを倒して、車内が汚れないように段ボールを下にひいて、その上にどんどん積んでいく。後ろがほぼ満杯状態となる。
その状態で、センターまで運び、車ごと計量装置にかかり、センター内で巨大なゴミ処理室にどんどん袋や段ボールを放り込み、すべて処理し終えて再計量。
最初と最後の重量の差が、ゴミの総重量になるのだが、なんと60キロあった。人間一人分の重さだった。
それだけの重量のものを1年間かけて、植物が繁茂させたのだと思うと、植物の生命力の強さに正直驚く。
このあとまだ満天星の刈り込みが残っており、秋には金木犀の刈り込みもあるのだが、とりあえず当面の大仕事は終了した。
ほっと一息つく。
夕方、すっきりした庭を見て、ちょっと良い気分になる。
おとなりさんも、夕方にもかかわらず庭仕事をしているらしい。学校から帰ってきた娘さんが、面白がって手伝いをしているらしい声が聞こえる。
のどかといえば、なんとものどかな夕景だと思う。
数日続いた快晴状態も、明日は崩れるらしい。
【16年5月22日】
山法師の花(正確には花ではないけれど)が満開状態。
気が付けば、午後の半日を庭仕事とその片づけとに使っていた。
毎年、この時期は数日かけて庭仕事をするみたいになってしまった。
前の人は、シルバー人材センタの人を雇って庭の手入れをされていたらしいけれど、こちらはすべて一人の手仕事状態となる。
とはいえ、夢中になるくらいに、結構楽しい。
明日も天気が続くようなので、読書の合間に片づけを済ませて、天気が下り気味の予報の明後日には、刈り取った枝葉を市営の可燃物処理センターにまとめて車で運び込むつもり。
それで、今春の庭掃除は終了。
次は、秋の金木犀の花期終了後の刈り込み作業。
この時期、すでに相当に繁茂状態となっている。
今刈り込むと、秋の花が期待できないので、我慢状態である。
【16年5月20日】
2時から、マスゾエの定例会見をちょっと見る。
自分で選び、金を出す、第三者の、政治資金関係に詳しい弁護士に、厳しく「精査」させるらしい。
どう考えたって、マスゾエに不利な、「公平な」結論がでるはずがない。
第三者じゃなく、ほとんど当事者による、当事者マスゾエに対する法律部分のぎりぎりセーフの理屈固めということだろう。
やったことは、法的には灰色か、問題があっても会計担当者のミスに転化できるようなことらしい。
そもそも、マスゾエ本人に問われているのは、法律部分以上に道義的な点だ。
そして、それは政治家としての基本的な信用に関わる部分なのだろうが、それは最初から無視されてある。
あるニュースのコメンテーターは、マスゾエを「鉄面皮」と評したが、まさに同感だ。
今後、マスゾエはマスコミに対しても、「第三者に精査」以外は口に出さないだろう。マスコミ封じの一手ということだ。
なんとも「ゲス」なやりかたである。
そんな人物が、東京都の知事で、来るべき2020年の東京オリンピックを象徴する人物(開催都市の代表人物だからねー)であるらしい。
賄賂疑惑が生じている「オリンピック」には、金に汚いお似合いの人物であるのかもしれないけれど。
【16年5月19日】
終日、快晴。文字通りの5月晴れ、ということなのだろう。
少々暑いくらいだ。
朝、1時間読書。漢文が面白い。
その後、モニター視聴。今回は、ラジオ番組だった。
引き続いて、昼前までかかってレポート書き。気になることが多くて、少々辛口のレポートとなった。
昼前から、母の運転手で外出。昼食をごちそうになり、その後、買い物を付き合う。
昼食は、久しぶりに回転寿司へ行く。120円均一で、ネタも新鮮で、結構美味しい。8つくらい食べて、満腹になってしまった。
その後は、大型スーパーに買い物へ。
広い店内で、買い物に歩き回るのが大変なくらいであった。
ゆりかごから棺桶まで、まさに何でもそろっていそうな店だった。
車にクーラーを効かせて帰宅。
その後は、夕方まで本を読んで過ごす。
夕食後、まだまだ外が明るいので、し残していた庭木の剪定をする。
脚立を持ち出してきて、上の方の枝を切り落とす。
隣家の庭に枝だが落ちないように注意する。
薔薇が数本蕾をつけている。ここ2、3日のうちに咲くことだろう。
切り花にしようかと思う。
東の空に、月が白々と浮かんでいる。
この月がなければ、きっときれいな星空が見えることだろうと思う。
スピカだけは、月の明るさに関係なく輝いているみたいだけれど。
【16年5月16日】
本日、終日雨。
沖縄では、梅雨に入ったらしい。
朝から、モニターを2本書き上げ、送信。その後は、実家の犬の検査で、市街の行きつけの動物病院まで運転手役。母に同行する。
ちょっと吐いたりしたらしい。数値が少しあがっていたようだ。
薬などをもらって帰宅する。
今年12歳になるシーズー犬は、特に変わった様子はない。呑気なことだ。
土曜日、丹後に句会。朝4時起きにはもう慣れた。朝早い分、車中でうつらうつらしたりして、片道5時間の道中も、さほど長いとは思われない。
車中では、窓外に続く新緑の景ばかりを(目が覚めている限りは)作っていた。
丹後は、ちょうど田植えに時期に入ったようで、水をはった田が空を映して、見所が多い。
本日、宿題は「鈴蘭」、席題は「芋植うる」。芋は、里芋のこと。岩城先生が、手ずから現物を持ってこられた。丹後の家の広い庭の一画に植えて、秋には「芋の露」を宿題とする予定とのことだ。
面白い計画ではあるけれど、まず芋の苗が順調に育っていくことを期待したい。ご近所のMさんの手も患わすことになるのではなかろうか、と少々危惧もする。
今日は、色々不都合が重なったらしく、参加者は少ない。とはいえ、欠席投句があって、句数そのものは通常とさほど変わらない。
全体に、選は分散したようだった。
句会後、Sさんに駅まで送っていただく。そのまま、駅舎で、汽車が車でそのSさんから戦時中のことなどのお話を聞く。
地元に繋がる興味深い話だった。是非、何かの形で残しておいていただきたい、そんな内容だった。
帰りの車中では、窓外に2度鹿の姿を見る。夕方は、活動の時間帯ということもあるのだろうが、鹿が鉄道沿線にまで姿を見せていることが多い。
丹後の行き来の中で、だいたい3度のうち2度は、車外に鹿の姿をみることがある。
今回は、姿を見ることができるかどうか、ということが帰りの車中での楽しみの一つになっている。
今回は、北近畿鉄道の久美浜、コウノトリの里駅間の車中だけではなく、夕暮れが長くなった山陰本線の香住駅手前の山中でも目撃することができた。
コウノトリ駅周辺では、沿線の田圃に実際にコウノトリの姿を、車中から目撃することが出来る。ただ、そちらは鹿ほどには目撃頻度は高くない。
【16年5月12日】
昨夜の夜空は、異常なほど澄み渡っていて、天の川がずいぶんはっきりと見えた。
雨のせいで、大気が洗浄されたのだろうか。
パジャマのまま、つっかけをひっかけて庭に出て、しばらく空を眺めていた。
冬の時期の星座とは、ずいぶん星の配置が変わっているような気がした。時間帯にもよるのかもしれないけれど。
今朝も、少々寝過ごしてしまった。
寝過ごしたなりに、朝風呂につかり、ゆったりした気分で一日を始めることとなった。
とはいえ、特に何が変わるというわけではない。ただ、読書の間、あいだに庭掃除を取り入れることにした。
多少なりとも、運動不足を解消し、体重の減少を計るということがある。
食事をちょっと変えたので、今週に入って少しずつ体重が減り始めている。
この調子で、とりあえず1キロぐらいは減らしたいと思う。
庭掃除。しおれはじめたツツジを、熊手を使って強引に枝からかき落とす。萎れはじめたものは、ぼろぼろ落ちる。大丈夫な花は、意外としっかり残っていたりする。
放っておくと、枯れた花が枝にまとわりついて、相当汚いような状態になってしまう。乱暴だけれど、けっこう良い方法のように思う。
別のツツジが蕾を膨らまし始めたけれど、毎年のように、葉がモチ病にやられるので、とりあえず膨らんで変形した葉を見つけたら、引きちぎって「コノ野郎」と捨てることにしている。
薬剤の散布が必要かもしれない。
今週末は、丹後の句会。ちょっと前回との間が詰まっているので、慌ただしいような気分になる。
5月に入ってから、毎日夕方に5句作るようにしている。
日ごとに季節を変え、それをローテーションのようにして作る。
読むばかりではなく、作ることで、なんとなく出入りのバランスが取れているような気分になる。
【16年5月11日】
2度寝して、目を覚ましたら、7時半だった。
こんな時間まで眠っていたのは、どれほどぶりだろうか。
いやおうなく、目の覚める時間がどんどん早くなっている状況の中で、こんなことは珍しいと、我ながら感心してしまうほどだ。
その分、午前中の予定がずれ込んでいって、予定の読書を終えたら、12時近くなっていて、昼の買い物にも行く気がなくなってしまった。
あり合わせの昼食。午後は早めに読書にとりかかる。
『枕草子全注釈』第2巻を本日読了。結構時間がかかったように思う。
残りは2巻で、1日の割り当て時間は1時間と決めているので、完全読了までにはあと数ヶ月はかかるだろうと思う。
何ヶ月かかけて、ひとつの本を読んでいくという状態にすっかり慣れてしまったようだ。
古典に関しては、あと数種類全注釈本を読んでから、大物の通読にとりかかるということになるだろう。
漢文は、『文章軌範』上巻が半分を読了。現在、歴史上の人物に関する評論を読んでいるが、これが面白い。
歴史上の人物達のふるまいに対する批評・批判という内容なのだけれど、たとえば高校漢文の定番教材のひとつ史記の中の項羽と劉邦の話(「鴻門の会」など)に登場する范増について。
彼は項羽から父に次ぐ人と信頼されていた人物で、「鴻門の会」では宴席でいずれ項羽にとって目の上のたんこぶになるだろう劉邦の暗殺を企てる人物だったりするのだが、やがて讒言にあって項羽の信頼を失うことになる。そんな范増の身の処し方に対して批判的な意見を述べたものだが、范増の判断の甘さを突いた内容で、そんな見方もできるのかと思わされるものだった。
『春秋』という書物の批判が、間接的に儒教の祖である孔子の批判だったり、項羽のライバル劉邦の権力統制が逆に奥さんの呂大后(劉邦の奥さんだったけれど、劉邦の死後、彼が寵愛した女性に対し、積もり積もった恨みをとんでもない方法で晴らしたことで有名)の専制とその後の呂一族の破滅に繋がったのだ、などという主張があったりもする。
ちょっと歴史の裏話を覗いているようなところもあり、そんな点でも面白い。
雨天続きだった陽気も、どうやら回復し始めたようで、夕方には一気に青空が広がる。
干拓地方面へ「歩き」に出かける。干拓地の広い耕地では、葉煙草の栽培が進んでいることに気付く。
煙草は、ずいぶん成長の早い植物のように思われる。
【16年5月10日】
日曜日、月曜日と夕方から合唱の練習。
東京から本番指揮者を招いての、指揮者レッスンだった。メンバーは、50人あまり。ほぼ全員参加という状態だった。
指揮者が、合唱指導も行うので、モーツアルト『レクイエム』について、楽曲の構成などについてまでも話が及び、大変面白かった。
いままで京都で何度かモツレクを唱ったことがあるけれど、今回は今までになかった要素を取り入れた形での歌作りになりそうだ。
いまはまだ、ほんの導入部分しか練習はしていないのだが、たとえば第1曲目の「レクイエム」の部分。
そもそも「レクイエム」は死者の鎮魂という意味合いがあるのだけれど、今回については全く逆に死者からのかなり強烈なメッセージという構想で、最初の曲を作るらしい。
瀕死のモーツアルトの最後の曲ということで、確かに単純な死者のための鎮魂(自らがその死者になりかねない状況の中で)では済まない要素を「レクイエム」ははらんでいるのかもしれない、と思えてきたりもした。
どんな風に曲が作られていくことになるのか、なかなか楽しみではある。
しかし、唱う側としては、相当強烈なことを要求されてもいて、3時間余りの練習が終わると、ぐたぐた状態となってしまう。
火曜日。今日は終日雨だった。昼前、本を返しに市内の図書館にでかけた時には、雨が一番激しく降っていた時のようで、市役所前の駐車場が前面水たまり状態となって、本を抱え、傘をさして図書館に向かうのに難儀したものだ。
その時間帯をはずして、午前も午後も相変わらず読書。
岩城先生から、古い結社誌(『学苑』という当時、有名な結社誌のひとつであったのだが)を数冊送っていただいたので、時間を設定して少しずつ読み始めることにした。
紙の茶色に変色した、うすい冊子ではあったけれど、昭和21年の俳壇の一風景を目の当たりにするような、そんな印象をもった。
丁寧に扱わないと、冊子自体が分解してしまいそうだった。
【16年5月7日】
夕方の某局のニュースの中で、特集として「医療刑務所」のことを報道していた。
初めて見るような、あるいは初めて知るような「医療刑務所」の実態が報道されていて、強い衝撃を受けた。
「医療刑務所」という特殊な場所について、受刑者とそこで実際に病人としての受刑者に関わる人達の姿を、丹念な取材活動を通じて浮かび上がらせていた。
死刑囚を治療してどうするんだ的な、嘲弄めいた上から目線的な要素の介入する余地のない、病気や死を通じて、受刑者もまた、その時一人の人間として、周囲と関わりを持ちつつ生き、そして死を迎えるということを、事実を積み上げる中で描き出している、そのことに感銘を受けた。
大変すぐれた報道であると思った。恐らく、報道とは本来このような、様々な評価軸を内包しながらも、善悪是非を包含する人間の現実における隠れない在りようを伝えようとするところに、その価値があるように思われた。
「為にする」報道(場合によっては「為に」報道しない)が、ちらちらと目につく現状の中で、それらの「報道」とは、異質なものを見せてもらったように思われた。
今日は一日、一切読書は中止して、もっぱら庭の植木の剪定作業を行っていた。
気が付くと、2時間くらい、時間が過ぎている、という状態で、結構庭の手入れは集中状態をもたらすものと思われる。
午前と午後と作業を行っていて、さすがに夕方近く、ソファーに横になって、うたた寝をしていた。
やはり、結構疲れるものだ。
【16年5月4日】
終日、強風やまず。
夕方になって、やっとおさまってきたようだ。
庭のツツジは、風に撲たれてぼろぼろ状態となる。落ちた花が、風に吹き寄せられて庭の隅に分厚く溜まっている。
昼前に、無理して「歩き」に出たが、その頃があるいは一番風が強かったのかもしれない。上空は雲ひとつない青空がひろがっているのに、容赦なく風が吹き付けてくる。
瞬間的には、30メートル近い風速になったのではないか。
空は晴れ渡っているのに、地上付近は遠景が靄がかかったように見える。
この地域全体が砂嘴の上に出来上がったところなので、風で巻き上げられた砂が、地上付近にわだかまって砂のカーテンを作り、それが靄のように見えるのだ。
普通は、風には「息」があって、ときおり弱まったりするはずなのだが、そんな息継ぎ状態もなしに、強い風がびゅーびゅー吹き渡っていた。
少々異様な感じがした。
バランスを崩しつつある気象が、こんな状態をもたらすのかもしれないと思う。
帰宅して、何気なく耳に指をつっこんだら、指先に細かい砂の感触があった。
【16年5月3日】
まだ暴風警報は解除されていないようだけれど、一日吹き荒れた強い風は今はおさまっているようだ。
午後しばらくは、上空に海月かなにかみたいな気持ちの悪い雲が淀んでいる状態で、吊し雲が垂れ下がっていたりして、不吉な感じが強かった。
強風のために、裏庭のヤマモモの木が吹き倒されてしまった。もともと、かなり弱っていて、幹を杭やブロックで支えていたのだけれど、茂った葉っぱが風にあおられて倒れてしまったようだ。
折れるという状態ではなかったので、改めてブロックで四方から支えつつ、思い切って枝葉を刈り取ってしまった。
みすぼらしい有様にはなってしまったけれど、風の抵抗がなくなって、なんとか支えで保ちそうな状態になった。
このまま、なんとか保つのか、枯れてしまうのか、様子見状態となる。
午前中は、読書とモニターを1本仕上げ。昼に、甥を迎えに市内まで車で行き、午後からも引き続き読書。ヤマモモの養生をして、夕方句作5句。
その後、浅酌、夕食という状態である。
毎日がGW状態なので、普段とほとんど変わらない生活である。
憲法記念日。
改憲論議が盛んだが、少なくとも一政治家の個人的野心(それを支える背景はあるのだろうが、なんとも胡散臭い)で憲法を変えてもらうことだけは、願い下げにしたいと個人的には思う。
【16年5月2日】
ツツジが、いま真っ盛りのようです。
花水木の方は、そろそろ散り始めているようです。
市内では、ちょうどこの時期に「ツツジ祭」が開催されているようです。
今日も、快晴です。
【16年5月1日】
朝から、快晴。
暖かいを通り越して、少々暑いくらいの陽気だ。
さっそく、ベランダに布団やら毛布やらを干して、近所に「歩き」に出かける。
8000歩程度が「歩き」の適度な歩数と聞いて、それを守るようにして歩く。
かつては、毎日10000歩とか、頑張って15000歩を2時間くらいかけて歩いていたけれど、それがかなり体の負担になっていたせいか、筋を痛めることにも繋がっていたようだ。
今日は、干拓地コースを選んだけれど、途中の家に、庭木を人の顔のように剪定しているところがあって(しかも、枝を上手に使って毛が三本風になっていたりする)、面白いなと思いながら、見て通り過ぎていたのだが、今日は偶然、その家の人が庭に出ていたので、ちょっとだけ話をした。「面白い庭木ですね」と話を向けると、まんざらでもない表情で、「ほんとなら、周りに電飾も付けてと思ったけれど、さすがにやりすぎかなと思って、そこまではしなかった」とのことだった。面白い家である。
昨日は、丹後「すき句会」。宿題は、「忘れ霜」、席題は「島」全般であった。
本日も、やや参加者が少なくて、その分一人の投句数が1句増えた。
いろいろな蘊蓄話なども含めて、自由に選評や感想を交わして、楽しい3時間だった。
メンバーの方の身内の方が選挙に当選して、そんなことも作品や話題として盛り上がったりもした。
当選された方が、わざわざ句会場まで挨拶にこられたのには、ちょっと驚いた。さすが、と思う。
GW前半の中日ということで、行きも帰りも列車の乗客は、いつになく多かったように思う。
車中では、吉本隆明の本を読んでいたのだが、実際のところは、半分くらいはうつらうつらしていたように思う。
朝4時起きで、準備するのは毎回のことなのだが、今日はひどく眠かった。そのせいかもしれない。
日曜日。
「歩き」を終えてから、モニター番組をひとつ見る。ずいぶん短い、広報的な番組だった。
時間的には、楽だけれど、それをある程度まとまった文章のレポートにまとめるのは、ちょっと厄介かもしれない、とも思う。
午後は、のんびり過ごすつもり。夕方のBS『真田丸』が、楽しみである。完全に番組にハマッたような状態である。
庭の躑躅は、通路脇の分も含めて満開状態となった。
数日は、きれいな状態が続きそうだ。