日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【16年8月30日】
選句と講評の仕事を今日から始める。
9月に入ってからと思ったのだけれど、忙しくなりそうなので、早めに取りかかることにした。
投句数は、それほど多くないので、入選候補作を選び、絞り込む作業までをまず行う。
良い作品が多くて、なかなか大変だった。
選から外れたものも、出来るだけ総評の部分で紹介することにする。
各10句ずつに絞り込む。
絞り込むと同時に、すでに講評の文言がちらちらと頭の中に浮かぶ。そんな作品が多かった。
明日から、1句ずつ講評を書き始める。全部で20句分の講評となる。
角川の『俳句年鑑』に『鼎座』の紹介原稿を書く。今年はまだ、刊行出来ていないので、なんとか1冊出したいと思う。
今日も、暑からず寒からず(寒いわけはないが)の一日だった。台風というより、寒冷渦の影響か、晴れたり、どす黒い雲が上空に広がったりという天気ではあったけれども。
久しぶりに、実家の犬を散歩に連れて行く。
普段は、甥の役目なのだが、今日はその甥が超多忙な一日なので、代わりに連れて行く。
10歳を過ぎているので、ちょっと年寄りじみた風貌になっている。シーズーなのだが、頭頂部がちょっと薄くなっているような気がする。
先日、獣医に行って、背中の部分の毛を全面的に刈られてしまったので、犬用の上着を着て歩く。
在庫処分とかの100円の服。母が仕立て直しをして、リボン付きの(雄犬なのだが)結構かわいい服だ。
近所を一周して、ウンチとオシッコをさせて帰ってくる。もちろん、ウンチは専用袋に回収してくる。
帰宅して、なんとなく満足そうな犬の様子を見るのも悪くないものだ。


【16年8月29日】
急な用事が出来て、今度の日・月と京都に行くことになった。
1泊2日の旅程になるけれど、さすがにいつもいつも知人に甘えることはできないので、今回は市内のカプセルホテルに泊まることにした(Tさん、いつもお世話になっています)。
というのか、京都にカプセルホテルがあるのを、これまで知らなかった。
大阪では何度か利用したことがあるけれど、京都とカプセルホテルとは、なんとなくイメージがそぐわなかったからだ。
とはいえ、それは現役の時の感覚で、京都にカプセルホテルがあってよかった。
1泊2900円(税込み)。横になるスペースさえあれば、十分なので、大変ありがたい。
所在地が、日曜日に用事を済ますところと距離的に近いのも好都合だった。
台風の直接の影響はないようだとはいえ、午後からこちらもかなり強い雨が断続的に降っている。
異常な迷走を続ける台風10号は、皮肉な寓意を含んだ代物のようにすら思われる。
今後、このような思いもよらなかった気象現象が、現出していくことになるのではないか、という恐れを感じる。
今日は、久しぶりにモニターのレポートを1本書く。
今月は、結局5本書いて終わりということになった。
と思っていると、月末近くでもあり、来月分のモニター依頼がメールで届いた。
来月は倍増の10本である。ありがたい。
1本は、京都行きと重なるけれど、再放送を見るか、実家にお願いして録画するかで対応ができそうだ。
9月の予定表を作ってみると、結構色々詰まった一月になりそうだ。
俳句の選と講評も月半ばまでの締め切りということで、ちょっと厳しくなるかもしれない。
送られた作品をざっと読み、選の基準などに触れた総評をとりあえず半分ぐらいまとめる。
出来るだけ作品はたくさん取り上げたいと思う。


【16年8月27日】
年金運用。第二四半期(7月~9月)は、ちょっとましになるらしい。某メガバンクの方の試算によると、今のところ1兆円くらいの黒字かもとのことだ(通算は4兆円の赤だけれど)。
念のために昨年度と現在の運用比率を比較してみたら、株式の比率が若干低下し(金額にすれば数千億ぐらいだろうか)、その分日本国債の比率が上がっていた。
外国債券はほぼ変わらず。
さすがに運用機関も何もしていないわけではないのかもしれない、と思う。結果としてそうなっただけかもしれないけれど。
今日は、最高気温が27度に達しない状態で、初秋という空気感満載の一日だった。
天気も悪くなくて、気持ちよく過ごすことができた。
今日は、午後から地元の句会があるので、当季7句を準備して、やや時間に余裕をもたせて会場の市民会館へと向かう。
ところが、当の会館周辺はすごい人出で、付属の駐車場は満杯。仕方なく、近くの民間駐車場に車を回すが、そこも満車。さらに別の場所へと移動するが、満車という状態で、会館からずいぶん離れた駐車場に車を置いて、会場に駆けつけるはめになった。
いつにない異様な人出と、さらにいえばいつにない奇抜な出で立ちの人達の間を抜けて、句会場の会議室へと急ぐ。
途中、この混雑の原因が明らかとなる。
ちょうど句会が始まるのと同じ時間帯で、市民会館の大ホールで「モモクロ」のトークイベントが開催されることになっていて、会館前の芝生を敷き詰めた広場に参集する人達は、そのイベント参加者だった。
「モモクロ」って、ある時期「アホか」と思っていたことがあったけれど、いまでは割と「悪くない」と、個人的には思う。
それにしても、まったくタイミングが悪いことだった。
それにしても、集まった人達の中に、黄色の服を着た一団や、緑の服を着た一団が目についたのだけれど、あれは何かのシンボルカラーだったのだろうか。
句会は3時過ぎまで。ぽつぽつと選にも入り、トークイベントに参加した人達がまだまだ盛り上がっている広場を、ちょっと見物気分で歩きながら、市民会館を後にする。
車に帰る前に、知り合いのところに立ち寄って、少し四方山話。
先日の弟指揮のコンサートを聴きにきてくれていたとのことで、その際に写したというオーケストラ全体が入った立派なステージ写真をくれる。
プロの写真は、やはり違うと感心する。
遠くの駐車場まで歩き、いつもより安い駐車料金を支払って、車を出す。
そのまま帰宅し、実家に顔出しをして、写真を渡す。
テレビのニュースでは、しきりに迷走台風10号の話題が出る。
明日は、さっそくその影響を受けて、西日本は大雨になるかもしれないらしい。
かなわんな、と思う。


【16年8月26日】
午後から雨。
気温は一時31度くらいになったらしいけれど、その実感はなし。
午後からの雨で、夕方には24度くらいにまで下がったようだ。
今夜も、寝やすい一晩になるかもしれない。
年金運用が、第一四半期5兆円超の赤字となった。前年度からの通算で、10兆円を超える赤字。
まだまだ黒字決算だからいいじゃないか、という意見もありつつ、その黒字の底が見え始めたときが恐ろしいと思う。
株式比率を50%に上げたことで生じた赤字だから、株価の変動によっては黒字可も可能だろうけれど、当面第二四半期(7月~9月)の見通しも暗い。おそらく、また赤字ということになるだろう。
株式投資は博打だから、国債運用のような「こつこつ」感がない(ちなみに、今回唯一利益を上げたのは日本国債だけだった)。儲かるときは儲かるけれど、損するときは莫大な損失を出すこともある。
博打だからだ。
年金運用は今、国をあげての賭博状態となっている。
そしてこの状態は、容易に変更は出来ない。
安定運用のために、株式の運用比率を下げることは、株を売却するということで、株を売却するということは、株価を下げるということにつながるからだ。
株価を自ら下げるということは、自らの足場を崩し、自らの首を絞めることにほかならない。
どうするつもりなのだろうか。
短期的変動は、長期運用の場合、大きなリスク要因にはならない、ということらしいけれど。
いずれ年金をいただく身にとっては、無関心ではいられない問題だ。


【16年8月24日】
結社の5周年記念のコンテストが計画されてあり、前回の3周年記念の時には評論で参加したので、今回は俳句作品の方で挑戦してみることとした。
30句まとめて応募という内容だけれども、かなり以前から少しずつ足したり引いたり、手を加えたり、元に戻してみたりと色々やってきた。
申し込み締め切りは今月末厳守ということなのだが、まだ少し日程に余裕はあるけれど、本日最終まとめをしてプリントアウトして、投函を済ます。
説明と描写の違いみたいなことを念頭において、推敲作業などもおこなってきたけれど、一区切りということになる。
夕方からは、某民放テレビのモニター募集があったので、2時間半ほど番組を見て、レポートを書いて送る。
以前一度、半年ほどやったことのあるところなので、再度というのは難しいかもしれない。
月5本程度のモニターなので、なんとか決まればありがたいのだが。
俳句の選の仕事がひとつ。
昨日、作品を送りましたとの連絡をもらったので、近日届くことだろう。
これは9月一杯ぐらいかけて選と講評をまとめればよいので、ゆっくり取りかかることが出来ると思う。
岩城先生の都合で、どうやら9月の句会は中止になりそうな気配だ。
月が変わったら、一度京都に出かけてみようか、とも思う。
今日も、残暑というには過ごしやすい一日だった。
最高気温が31度くらいで、夜に入ってもう27度くらいに気温はさがっているのではないのかと思う。東からの夜風が、結構涼しく室内に吹き込んで来る。
ありがたい。
昨夜は、涼しいものだから、風が直接吹き込む部屋の方に寝る場所を移して休んだのだが、置いてあるベットが堅くて、夜中に元の寝室に戻って寝直す。
ちょっと腰が痛い。
昨日より気温は下がっていると思うので、今夜は寝やすいかもしれない。


【16年8月23日】
これも台風の余波なのか、今日は快晴にもかかわらず、思ったほど暑くはならなかった。
日中の最高気温も30度止まりで、夕方になると涼しい風が吹き始める。
大陸の乾燥した高気圧のおかげなのか、秋という感触ではないけれど、初夏という風情の一日だった。
オリンピックは終わったけれど、パラリンピックの運営が資金難で、厳しいという報道が気になる。
パラリンピックまでを成功裏に終えて、初めてリオ五輪は成功に終わったと言えるのだと思う。
今回のオリンピックで、日本においてはほとんど話題にもされなかったようだけれど、難民による参加チームが編成されて五輪に出場した、ということは、オリンピックの本来の精神に基づいた素晴らしい成果だったと思う。
東京五輪でも、同様の取り組みを受け継ぐらしいけれど、本当はそのような取り組みが必要にならないような世界情勢が、4年後には実現していることを祈りたい思いだ。
某国営放送では、東京五輪の意義を国威発揚やら日本の国際的存在感やら経済効果やらに求める報道がなされていたらしいけれど、確かにそういう側面を否定はしないけれど、なんというかやたらに現状追認的な姿勢ばかりを打ち出すだけでなく、基本理念の部分についても一言くらい触れろよ、と思う。
かつての某国営放送なら、おそらくまずオリンピックの基本的理念の実現というあたりから、東京五輪の意義を打ち出したことだろう。
そんなことを正面から打ち出せるのは、民放ではなく、某国営放送ならではの基本的スタンスだと思ってきたのだが、どうらやもうそんなジャーナリズムとしての矜持もすでにないらしい。
残念である。
経済(商業主義が)が、オリンピックを大きく変質させた、ということは世界の常識になっているのに、それに対する見識も見解も某国営放送にはないのだろうか、とも思う。
五輪後の日本経済が心配だという声も、その過剰な商業主義の裏返しのそれなりに切なる声の反映なのだろうが。
尖閣問題で、自衛隊を警護に加えたらみたいなことを軽薄に口にする女性キャスターがいたり(この人、現在日中韓の三カ国による会議、外交的努力が始まろうとしている現況に対する基本的認識に欠けている。中国との軍事的緊張を高めたいのだろうか)と、最近の某国営放送の人的質の低下はどうなっているのか、とも思う。


【16年8月21日】
2泊3日の京都行きから昨日帰宅。気分としては、年中夏休み生活のわが身とはいえ、いわゆる「夏休み」が終わったような感じだ。
本日から、また普通の生活が始まる。
京都での3日間。
愛媛大学準教授の青木さんによる「桂 樟蹊子ー満州での生活を中心に」は、大変興味深い内容だった。桂 樟蹊子氏は、岩城先生が編集長を務めた俳誌『霜林』の主宰で、岩城先生の直接の俳句の師にあたる俳人だ。系統図からいえは、私もまたその末端に連なる者ということになる。
青木さんの豊富な図版と資料を駆使した講義は、大変興味深く、特にその表現法における山口誓子との共通性の問題は、是非こちらも考えてみたいと思われる刺激的な内容だった。
二次会では、樟蹊子氏の息子さんと同席して、色々なエピソードを聞く機会も得た。
研究者で俳人という故人の面影に触れることもできた。
俳句講座の第4日目は、主に講義中心で、若手俳人の弥榮氏の自らの作句工房を公開したような内容の実践的俳句作りの話や、倉橋氏の女流俳人論、そして岩城先生の文学としての広い視野からの俳句創作講座など、盛りだくさんな内容で、もしかすると受講生諸君以上に運営に来ていたこちらの方が勉強になりそうな内容だった。
京都の暑さは相当なものだったが、こちらに帰ってくるとさすがにそれほどの暑さではなかった。
昼間は厳しいけれど、朝夕は結構過ごしやすくなっている。
その涼しい時間帯を利用して、「歩き」も行う。幸い、ウオーキングは分割しても、効果に変わりはないということなので、8000歩を半分ずつくらいに分けて歩く。
早朝の景、夕景ともにちょっと秋らしさが感じられる。
住宅街の中を歩くより、茫々と草が茂っているような道を歩くのが、性に合っているようだ、と京都から帰ってきて、改めて思う。


【16年8月17日】
思ったより涼しいので、朝食後、「歩き」に出る。
普段なら、すでに気温が30度くらいになっていて、日差しも強く、とても歩く気分になれないのだが、今日は曇天で、ちょっと歩いてこようという気分にさせる。
梅雨から中夏にかけて、虫害のひどい干拓地の方に、今日は出かけてみる。
さすがにもう、「ぬかか」は時期をはずれたらしい。
中海に繋がる水路の方まで歩き、そこから引き返そうとし始めた頃、なんとなく嫌な感じでわだかまっていた黒雲が、いつのまにか頭上の方に広がっていて、やがて雨が降り出した。
そのまま歩こうかと思ったが、全身ずぶ濡れになりそうなほどの強い降りになってきた。あいにく、雨宿りできそうなところがないので、仕方なく笹竹の茂る藪の中に避難する。
笹竹とはいえ、意外と雨を防いでくれるので、しばらく茂みの中にじっとして、雨が通り過ぎるのを待つ。
15分くらいで、雨は止み、笹藪から道路の方に戻って、自宅まで帰る。
軽く濡れた程度で済んだけれど、シャワーを浴び、ついでに濡れたものを含め、洗濯する。
その後、天気は快晴となり、気温も上がり始める。
洗濯物を室内から、外に移動させて、そのまま干す。
京都滞在中に、結構エアコンを使ったのが祟ったのか、のどと鼻の具合がここしばらく良くない。
クーラー風邪みたいなものなのだろうか。
やや夏ばて風なところもあるかもしれないので、ゆっくり過ごすつもり。
明日から2泊3日で京都行き。
京都は暑いことだろう、と思う。
予定していたモニターが2本ダメになった。オリンピックのあおりである。
代わりにということで、設けられた別番組を1本早速視聴して、レポートを提出する。
カントの入門書は面白い。こんなことを考えていたのか、ということが新鮮で面白い。
とはいえ、ものの考え方について、カントが指摘するような枠組みの中で、自分自身もものを考えているらしいことがなんとなく見えてきて、奇妙な気持ちにもなる。
「現象学」なんていうものも、一体何のことや、と思っていたのだが、あるいはこんな思考法のもたらした世界認識の一方法なのか、なんてこともちょっと考え始めたりする。
なかなか刺激的だと思う。
こんなことを、NHKのEテレの番組が扱っていたのか、とも思う。あれは、世界平和に関する話題だったと思うが。


【16年8月16日】
昨日は、終戦記念日。
「深い反省」の思いを昨年に続き口にされた天皇陛下と、戦争に対する「反省」を全く口にしようとしない安倍総理と。
現行憲法に則り、象徴天皇としての職務を真摯に考えてこられた現天皇と、天皇を象徴から元首化しようともくろむ筆頭としての現総理と。
これほど、皇室と隔たりのある政府というものはいままでなかったのではないか、と改めて思う。
右寄りの人達は、このような皇室と安倍政権とのちぐはぐなありように対して、危惧とか違和感とか、あるいは憤りとかを感じないのだろうか。
「すめらみこと」の「おおみこころ」に反するような権力を彼らはどう考えているのか、と思う。
不思議な気がする。
私は右翼ではないけれど、現在の天皇の穏和な表情の奥にある確固たる信念と、真摯な生きざまはすごいなと思っているのだが。
台風の影響か、昼過ぎになって雨が降り出した。
ちょうど、墓掃除を終えて帰ってきたところで、タイミングはよかった。
現在、雷がごろごろ鳴り始めている。
強い降りになるのかもしれない。


【16年8月15日】
久しぶりに雨が降った。
一体、何日ぶりの雨だろうか。2週間以上、雨に降られていないように思う。
午前中の降雨のおかげで、昼になっても気温は30度を超えない。
午前中は、時折島根半島の方と、大山の方から、ごろごろと雷鳴が聞こえていたが、さすがにそれはおさまったようだ。
とはいえ、午後からもにわか雨が思い出したように降りそうな様子である。
昨夜は、安来の花火大会。
音に誘われて、近所の空き地まででかけ、40分ほど家並みの向こうに打ち上がる遠花火を見物する。
安来の花火を遠く眺めるというのは、毎年恒例のお盆行事のひとつだ。
家並みすれすれぐらいに開く花火の合間をぬって、時折尺玉揚げられて、豪快な火の花を空に広げる。
ただ、風がないせいか、花火の煙が滞留していて、それが花火の光を反射するのがちょっと残念である。
昨日、今日と、連続してモニターのレポート書き。
1本は1時間半、もう一本は1時間の番組。地元の祭と大山に関する話題で、内容的に面白い番組だったので、頑張って数千字ずつのレポートを書く。
読む方は、迷惑だったかもしれないけれど。
京都で買ってきたカントの入門書を読み始める。NHKの番組でやっていて、ちょっと興味を引かれ、買う。
カントの著作を読み、知力も気力も乏しいので、とりあえずという感じであるが、読み始めてみるとなかなか面白そうな内容である。


【16年8月13日】
お盆に入った。
地元は朝から快晴。今日も暑くなりそうだ。
ただ、日差しの色が微妙に澄んできたような気がするのは、文字通り気のせいなのだろうか、と思う。
昨日で京都の1週間は終了。
内容の濃い、充実した毎日だった。
俳句講座は、あと1日残っているのだが、それはお盆明けのことになる。
その前日には、京都市内で所属結社の勉強会もあり、2泊3日でまた京都に出かけることになる。
昨日の京都から帰りも、いつも通り高速バスを利用したが、お盆前ということで、渋滞する名神を避けて、別路線を選択したことが功を奏して、この時期にわずか15分の遅滞ということでバスが運行された。
行路から、いつもは見ることの出来ない伊丹空港の様子などを眺めながら、大阪市内を快適に抜けていった。
さすがに、宝塚は相も変わらぬ渋滞であったけれど、それも思ったほどの長さではなく、トンネルを抜けると通常の走りにもどった。
そのまましばらく走っていると、対向車線に車が一台も見あたらないことに気付いた。
もともと中国道は交通量の多い道とは言えないけれど、この時期に一台の車も走っていないというのは、さすがに少々異様な風景だった。
そのまましばらく走りつづけていると、やっと1台の車が対向車線に現れ、しかしそれが通過すると、また車ゼロ状態が続いた。
これは、反対車線で事故かなにかが起こったのだろうかと、少々気懸かりになりかかったころ、前方に走行する車の集団が眺めやられた。
そして、その先頭を走っているのは、一台のパトカーだった。
なるほど、と了解した。さすがに、パトカーを追い越して走るにはかなりの勇気が必要になるだろう。
パトカーが目の前を通過すると、その後ろに団子状になって様々な車種が走り過ぎていった。
これもお盆直前の一風景だったのだろうか、と思う。
夜は、実家で焼き肉をごちそうになる。
その後は、よっぴいてペルセウス流星群を見る。
12時過ぎまで2階の部屋から北東方向の空を眺め、その後前の道路に出て、月が沈んで暗さを増した夜空を観察。
一度軽く寝て、2時前くらいに起きて、再度自宅の裏庭から(そこが外灯の光を一番邪魔されない場所なので)北東から中天にかけての星空を眺める。
立っているのがさすがにしんどいので、外に椅子を持ち出して、それに座って眺める。
眺める空がさほど広くはないので、その分流星を確認することができなかったようにおもうけれど、総計14、5個の流れ星を見ることができた。
ペルセウス流星群の特徴なのだろうか、いずれも長く尾を引く迫力満点の大きな流星ばかりだった。
3時過ぎくらいに再度就寝。7時前まで眠る。
そういえば、俳句講座で「夜這星(流星のことなのだが)」を題材にして、話題になった句があったのを思い出す。
ペルセウス流星群のことをちょっとは意識していたのだろうか……。


【16年8月4日】
大阪から、墓参を兼ねて親戚が夫婦で来鳥。
昨日は、墓参りを。そして、今日は大山に行ってみたいということで、案内役がてら運転手を勤める。
8月の大山は山毛欅の緑が鮮やかだったが、晴れていれば眼前間近に見えるはずの峻険な北壁は、あいにくガスに隔てられて望むことはできなかった。
水木しげるの天井画のある寺と、大神山神社を参詣したいということなので、まずその天井画があるという圓流院を尋ねる。
駐車場のある博労座から、大山環状道路に入って、25分も歩けば、当の圓流院に着く。
意外と小さな寺院で、入口から本堂に入り、上を見上げると、108枚ほどの妖怪画が天井全面にきれいにはめ込まれていて、余すところなく眺めることが出来る。
床にしかれた座布団に頭をのせて、仰向け状態で、剽軽な印象を与える水木氏らしい妖怪たちの姿を楽しむ。
二階に上がれば、ごく間近に絵(実際は、原画を特殊な布に転写したものだとのことだが)を眺めることが出来る。
30分ほど鑑賞して、その後寺院を出て、行きとは別の緑の中の敷石道を環状道路の方に戻る。
大神山神社に向かう途中、地元の大山小学校の生徒達に呼び止められる。
夏休みを利用して、大山の紹介活動をボランティアでやっているらしい。
折角なので、「だいせんしじみ(蝶である)」や、大山山頂部に生息する「姫蛍」の話などを聞く。
なかなかしっかりした説明で、感心する。
大山の旅館街を抜けて、先日姫蛍を見学に行った敷石道を、自然石の凸凹に気をつけながら通り、古色蒼然という表現がぴったりの(やや古色蒼然過ぎるような印象を持ったのは、屋根の檜皮葺が一部剥落したような状態になっていたせいだろうか。以前ここを大山登山の帰りに訪れた時にくらべて、ちょっと荒廃したような印象をうけた)奥の宮を訪ねる。
その後、同じ道を引き返し、途中から脇道に逸れて、金門と呼ばれる流れの両岸に門状にそそり立つ巨岩と、そこから背後をふり返るかたちで眺めやることのできる大山北壁を見上げる。
頂上稜線部分は、依然としてガスに隠れていたが、それが一層そそり立つ巨大な壁を印象付けていた。
崩壊しやすい岩質のためその壁の一部がロッククライミングの対象になっているばかりだけれど、もしもっとしっかりした岩壁であったなら、きっと魔の山と怖れられている谷川岳の岸壁群にもひけをとらない岩の殿堂になっていたことだろう、と改めて思われた。
標高800メートル辺りに位置する大川寺の集落を出発して、昼食をとるために麓の淀江町の方へとかなり勾配の急な道路を、エンジンブレーキを利かせながら下って行く。油断すると、すぐに80キロ超のスピードになってしまうので、たびたびフットブレーキを使うことになる。
名水で名高い山麓を一気に下りきり、淀江町の国道9号線沿いの「えんや」という、地元ではずいぶんと有名なおしゃれな店で、日替わり定食を食べる。1000円を切るような価格で、五穀米のごはんとみそ汁、そしてメインの料理を含め、おかず類が5皿ほど付くという内容だった。
リーズナブルというのは、このような食事を言うのだろうと思う。地元の名水を使っていれたホットコーヒーも味わい深くて、大変美味しかった。
1時間ほどそこでゆっくり食事をとってから、実家の方へ向かう。
実家の母と1時間ほど話をして、4時過ぎの大阪行き高速バスに間に合うように、駅まで送る。
1泊2日の旅だったけれど、とても充実したものになったとの感想をお土産に、二人は帰阪した。
車の運転や、山中の道を結構歩いたせいか、少々疲れる。
夕方、居間のソファーに坐ったまま、うつらうつらする。
そのせいか、夜はすっかり目が冴えるということにもなった。
良い一日だった。


【16年8月2日】
8月に入った。
今日は、最高気温が31度しかなくて、それもこの時間になるとすでに下がり始めているようだ。
北からの海風が吹き込みやすくなっているらしい。
午前中は、読書。その後、犬の物も含めて買い物へ。
午後からは、ちょっと一休みしようかと思う。
そろそろ京都行きの準備を始める。とりあえず、吟行も予定されてあるので、運動靴を久しぶりに洗う。バケツに漬け込んでおくだけだけれども。
その後、涼しい風が時折吹き込んでくるので、短時間昼寝をしようかと思ったけれど、どうやら今日は眠くはないようだ。
最近は、午後からひどく眠くなる時があるので、意識的にごろんと横になっていると、15分から20分ぐらいうつらうつらする。
それで、残りの午後の時間は嘘みたいにすっきりすることに気が付いたので、できるだけ横になる時間を作るようにした。
この後も、読書を再開したら眠くなるかもしれない。
昨日は、夕方から合唱練習。その前にちょっとだけ食べ物をお腹にいれておくのだけれど、昨日は微妙に量が多かったみたいだ(とはいえ、魚・野菜、ごはんは夫婦茶碗でいえば奥さん用の茶碗に半分くらいの量だったけれど)。
唱う際に、お腹にものが入っているという感触があると、なんとなく喉の方で唱うような感覚になってしまって、まともに声がでなくなってしまう。
空腹で行くのが一番よいのだろうけれど、練習の終わりが9時過ぎなので、それから帰宅し、10時くらいから食事を取るのは良くないので、やむを得ない。
練習後半になって、多少胃袋が空いてきたのか、なんとか声が出始める。
昨日の練習は、ソプラノパートにとっては集中的に指導の入った試練のレッスンとなったようであった。