日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【16年10月29日】
金曜日は、午前中人間ドックで受診。
50歳になったときに、ひとつの区切りとして人間ドックを受診しようと考え、実行してすぐに次々大きな病気が発覚して、その対応に50台の大半を費やしたような有様だった。
しかしながら、その結果として、生活の質を大きくは損なうこともなく、こうやって今も生きて割と普通に生活出来ているのも、人間ドックでの受診ということがあったからこそ、という思いが強い。
だから、ずっと毎年欠かすことなく人間ドックを受けることにした。
もちろん、ドックの検査が万全ということはないだろうし、異常がたまたま検診の時でなかったという場合もあるだろうから、逆に適当に間を置いた検診が、結果として病状の進行を許し、状態の悪化をもたらすかもしれないと思うと、律儀に毎年の検診を励むということにもなる。
昨年から、近所の医院で検診を受けることになったけれど、小さな病院である分、結構懇切丁寧で、診察の合間合間を縫っての検査なので時間はかかるものの、いろいろ細かい話も聞けてこれはこれでよいかなと思う。
ただ、外部発注の検査もあるので、最終的な判断はしばらく後ということになる。
その場で分かる部分については、診断も受け、注意すべきことについてアドバイスを受け、目下の治療の為に新たに処方箋を出してもらったりも出来た。
病気そのものも鬱陶しい部分はあるけれど、その状態が悪化した場合のそれに伴う日常生活の質の低下というものは、特に留意しなければならないことのように思われる。
出来る限り現状維持を、ということになる。
土曜日。フリーに過ごす。
とはいえ、今月締め切りの結社の投句10句分を、今日中に作って投函しておかなければ、間に合わないということになるので、そちらの方に時間を使う。
適当に「歩き」を挟みつつ、午前中に5句、午後夕方近くまでに残り5句を作って、近所のポストまで。
今夜は、実家で鴨鍋をごちそうになる予定。
明日は、ひさびさに勉強会で京都まで泊付きで出かける。
短歌の話になる。楽しみである。
【16年10月27日】
『唐詩選』読んでいるが、いまひとつ面白い作品が少ない。
それは、注釈者も同じような感想を持っているようで、講評の中に時折、この作者の作品ならば、ほかにもっと良い作があるのにという編集者に対する不満が時折漏らされることからもわかる。
ついには、盛唐の詩人中心の編集とはいえ、たとえば白居易の作などは掲載されていない状態で、唐代を代表する詩作品のアンソロジーという評価は読者に誤解をもたらすおそれがあるという主旨の発言といい、とうとうこの詩人についてこの作品を載せるくらいなら、作者のことを考えて一切載せないほうがまだましだ、というかなり厳しい苦言といい、そんな波瀾含みの締めくくりで「七言律詩」の部分が終了した。
続いて、次の詩形は「五言絶句」。
一句五文字、全四句で、単純に文字数で言えば、20文字のごく短い形式の詩。
もちろん、全体が漢字で書かれており、漢字は表音表意文字という性格上、一文字のこもる意味は多彩・多様であったりもするので、単純に短いという訳にもいかないのだけれど。
それにしても、読み始めてから、俄然面白くなる。
というより、「五言絶句」は、ある意味俳句と似たようなところを持っていると、今回改めて感じたということなのだ。
単純に他の漢詩の形態に比べて短いというだけではなく、特に全体の構成(起承転結)のうちの「転」から「結」への気息など、まさに俳句そのものではないか、と思えたということだ。
「転」の部分の内容の飛躍や、「結」の部分の全体の収束というのか言い切りの感じ、それらは俳句の持つ特質と相通じるものがあるように思われた。
また、内容に含まれるそこはかとない滑稽味なども、俳句の諧謔の精神に通じる側面がありはしまいかと思われた。
そんな、俳句との共通部分(そのような特質をもたらしたのは、俳句同様「五言絶句」がずいぶんと短い詩形であるということに深く関係しているのではないか、などとも考えたけれど)が、こちらの興味を大きくひいたということがあったようだ。
これも、延々と『唐詩選』を読み進めてきた賜物のひとつなのかもしれない。
とりあえず、午前中は読書。その合間に、2000歩程度の「歩き」を入れる。
まだ、帯状疱疹の痛みがとれない(というより、日によって状態が違うのか、歩きながらも今日はちょっと痛い)ので、長い距離や遠出は慎まなければならない。
昼前に、2回目の「歩き」を入れて、その後実家に様子伺いに行く。
午後は、甥の迎えに市内まで出かけなければならない。
【16年10月25日】
ものすごく嫌な夢をみた。
悪夢といって良いような内容で、目が覚めて、本当に不快な気分になった。
目が覚めたのが、4時くらいだったので、起きる気にもならず、二度寝を決め込む。
悪夢を挽回するつもりであったが、どうも上手くはいかなかったようだ。
体調が悪かったのだろうか。
よくわからない。
遅めの起床。
ヘルペス以来、起床時間がぐっと遅くなってしまったようだ。
朝食をとり、すぐに読書。『徒然草』『唐詩選』と読んでおいて、その後、母の運転手役で病院へ。
過日の検査結果を聞きに行く。
今朝の悪夢は、多少はこのことが影響していたのかもしれないと思う。
2時間ほど待って、ごくあっさりと診断結果が出る。
若い医師が、すこぶる明るい調子で、最良の結果です、と断を下す。
母も私も一安心する。
悪夢は、あるいは逆夢というやつだったのかもしれない、と院内の食堂で二人で昼食をとりながら、話をする。
食堂に付属するパン工房のパンが大変美味しくて、いくつも買って帰る。
実家に母を送って後、再度市内へ。
本日締め切りの図書を返却に市立図書館まで出かける。
あらたに3冊ほど本を借りて帰る。
その後は、暗くなるまで、締め切りが迫った結社の投句作品を考える。
なんやかや、という状態で、本日が終了する。
夜、散髪。
自分でやっているうちに、ずいぶん上手にできるようになったものだと、鏡に映しながら、悦に入る。
【16年10月24日】
いつのまにやら、またひとつ年をとっていたようだ。
俳句結社『藍』に所属しておられる俳人森澤程さんから、第二句集『プレイ・オブ・カラー』を送っていただいた。
早速、お礼状を差し上げたけれど、自選15句の中から、全部引用はまずいかもしれないので、数句紹介させていただこうかと思う。
いずれも個性的な作品だと思います。
「花栗や星より静かなものに坂」
「遠野にはおんどりの立つ扇風機」
「国ありて湯舟の外に置く片手」
「絵巻解きいつしか青野あるきゆく」
「耳成と畝傍の間に薔薇を挿す」
「すみれ濃しすみれ淡しと百人ゆく」
虚実皮膜という言葉があるけれど、いずれも写実とは異なる方法論で作られた作品のようで、その微妙なゆらぎの部分が面白いと思います。
個人的には、15句には入っていないけれど、
「三尺寝私の自我も骨盤も」
という句が、森澤さんの俳句の特徴のいくつかの部分を端的に表しているようで、お礼状にも鑑賞を書かせていただきました。
今日は、一日快晴。ただし、東風がずいぶんきつかった。
夏掛けを洗濯したり、寝具を日に当てたり、ついでに先日の続きで、出窓の錆止め作業を行ったりしていたら、半日が終わってしまった。
1時間ほど「歩き」に出かけ、セイタカアワダチソウにすっかり占領された干拓地を歩きまわってきた。
幸い、腰痛も、帯状疱疹の痛みもたいしたことがなくて、丸々1時間を歩いてくることが出来た。
ちょっとずつ、体調も平常に服してくるようだった。
【16年10月23日】
朝からどんよりとした空模様だったが、さきほど急に強い雨が降り出した。
雨は、しばらくして小降りにかわったものの、鳥取県は午前中は一時雨という天気予報らしい。
鳥取県中部地域では、現在もかなり頻繁に余震が続いて言えるようだ。
地震のせいで、屋根瓦がズレ落ちたという家屋も相当数にのぼっていて、昨日のニュースでは、用意してあったブルーシートが足りないという状態になったらしい。
近隣県に応援を要請したということで、きっと準備を整えたこととおもうけれど、雨に被害に見舞われないことを願う。
午後からは天気も回復して、明日は良い天気になるらしい。
今日は、朝からモニターの視聴。
鳥取県の広報番組で、「障がい者フェスタ2016」のことが紹介されてあった。
2020年の東京オリ・パラの文化・芸術面での協賛事業のひとつらしい。
今回は、米子市で開催されるらしく、その出演者の方にインタビューをされていた。
過日、米子市の美術館で開催された障がい者の美術展を見に行って、大変感銘を受けて帰ってきたこともあり、今回の催しも参加したいと思ったけれど、ちょうど京都での集まりに参加する予定が入っていて、残念ながら断念ということになった。
「フェスタ」では美術関係にとどまらず、音楽や芸能関係の企画などもあるようだ。
沖縄の方たちを「土人」と発言した警察官を擁護していた某府知事も、さすがに自らの発言を言い過ぎと判断したらしく、激励は派遣警官全体に対するものと曖昧化・一般化した揚げ句、最後は「言葉足らず」でことを収めようとしているらしい。
強気の知事が、発言を弱めるくらいに非難の声があがったということなのだろうか、と思われた。
大阪府には、非難6割賛同4割の声が寄せられたらしい。
かろうしてまだ社会的な良識が勝っていたのか、と思えた。
福島の原発に対して異議を唱える人達を「福島土人」と名指しするということがあるということも、今回の出来事を通じて知った。
今回の鳥取中部地震に関しても、島根原発のことは身近でも話題になった。
現在運転が止まっていて良かったというのが、正直な感想だった。
原発立地の近くには活断層が1本走っている。
それがかなり気味悪い。
【16年10月22日】
2階は、一部室内窓が付けてあって、それが地震のたびにかたかた鳴るので、身体にはほとんど感じないようなかなり弱い揺れの時も、今地震だということに気付かされる。
昨夜は、けっこう頻繁にその窓が鳴っていたのだが、今日は朝方を除いて、ほとんど鳴ることがない。
ヤフーの地震情報を見ると、今日に入ってもずいぶん頻繁に弱い余震が続いているようだけれど、こちらのほうは身体に感じる揺れはほとんどない状態だ。
1週間程度は、大きな余震が来る可能性もあるということだが、このまま平穏におさまってくれればと思う。
地震のことに注意が向いていたせいか、気が付いたら本日の地元句会のことをすっかり忘れていた。
少しずつ句は準備していたのだけれど、全くうっかりしたものだと思う。
句会のことは失念して、かわりに出窓の金属部分のさび止め作業を行っていた。
足を乗せる部分が、かなり錆が進んでいるのに気が付き、実際の所そこに足をおいたら恐らく網目状になっている部分を踏み抜いてしまうだろうとは思ったけれど、せめて形だけでも残しておこうと思って、買い置きの防錆ペンキをちょこちょこと塗っておいた。
もっと早く気が付けば、もう少し良い状態を保つことができただろうが、残念であった。
朝方小雨のぱらついた天気は、その後雨は上がったものの厚い雲が全天を覆っているような状態だ。
昨夜は、オリオン座流星群の最出現日だったけれど、曇りのために流星を眺めることは出来なかった。
天候不順ということを感じる。
【16年10月21日】
某公営放送のBSに、「にっぽん縦断こころ旅」という番組がある。
俳優の火野正平さんがレポーターになって、自転車で日本中を旅する(適宜、公共交通も使いつつ)という内容だ。
今週は、鳥取県が旅の舞台になっており、昨日はとうとう私の故郷の淀江町がその旅の目的地になった。
町内の日吉神社という、境内を山陰本線が横断するという珍しい神社である。
当時の自宅からは結構距離のある神社だけれど、たまに遊びに行ったり、特にお祭りの時には境内に屋台が出るので、お小遣いをもらって、出かけるのが春秋の大きな楽しみのひとつだった。
画面に映しだされる映像は、いまでも細かい部分まで記憶に残っている日吉神社の様子で、お祭りで買った火薬で音の出るピストルを持って、友達と裏山を走り廻っていたことなどを懐かしく思い出したりしたものだった。
今日は、米子市内のちょっと雰囲気のある水路の端から番組が始まったけれど、その場所がどこなのか、番組の中では細かい紹介はなかったけれど、すぐに判断がついたりもしたものだ。
天気が良い日に、一度日吉神社まで出かけてみようか、という気持ちになった。
いつものように、午前中は読書。その後、買い物に。実家の犬のトイレ用シートなど買って帰る。
昼食をとり、一休みして、さて午後の読書にかかろうとして、書斎の椅子に座って本を開いた瞬間、突然ぐらぐらと家全体が揺れ始める。
地震だと思ったけれど、すぐにおさまるのではないかと思っていると、まるで車のギアがさらに一段上げられたみたいに、ぐらりぐらりと揺れはじめ、椅子に座っていても、身体が不安定になるくらいの激しい揺れになった。
これはマズイかも知れないと思い、椅子の上でじっとしていると、やがて揺れはおさまった。
阪神震災以来の大きな揺れを経験した地震だった。
とりあえず、実家の方に顔を出す。
家周り、室内ともに特に異常はなしということで、ちょっと安心して、母、弟の奥さん、甥、そして飼い犬と居間でしばらく過ごす。
珈琲をいれてもらい、10年ほど前の鳥取西部地震の時のことなど話ながら、少し落ち着く。
休んでいる間にも、何度か余震を感じる。結構、回数が多いように思う。
ご近所さんとも少し話をしたりして、帰宅。
念のために家周りや室内をざっと点検するが、台所の収納の扉が皆開いていることを除いて、特に問題はなかった。
一休みして、それから携帯にメールが入っているのに気付く。
地震を心配して送ってくれたメールで、早速返事を返す。ありがたいことだ。
暗くなるまで、大小含めて余震が続く。
以下は、午前中に書いていたこと。
それにしても何故、こんなにTPPの承認を国会で急ぐのか、その理由がたまたま見ていたテレビ番組で明らかになった。
元時事通信の関係者で、政治関係のコメンテーターとして引っ張りだこの人、安倍総理とも親しい関係にある田崎氏の発言によると、すでに総理とオバマ大統領の間で話がついていて、オバマは12月に、大統領辞任を控えて詰めの甘くなった議会を相手にTPPを通過させる。そのバックアップという意味で、日本はそれまでにTPP関連法案を通過させておいて、オバマの先払い役を果たすというシナリオだそうだ。
TPPに懐疑的な姿勢の次期大統領候補のヒラリーも、オバマ政権時に決まったことについては異を唱えないという姿勢であるそうで、それならばTPPに関する再交渉の余地は埋められてしまうので、現行のままで進めることも可能になるということらしい。
政権が広言しないことを、田崎氏がテレビで先に口にしてよいものか、とも思うけれど、これも民意の地ならしの一つとして計算されたものなのかもしれない。
時事通信出身とはいえ、最近の田崎氏は露骨に政権よりの発言が目立つ人物だから、そんな根回し役に廻ることもあり得ることかもしれない。
自民側から、失言のようにして「強行採決」という発言が繰り返されるのも、安倍・オバマ両氏によるシナリオのもたらす余波の一つみたいなものか。
なるほど、と思う。
その自公政権に、盲腸みたいにくっついている大阪の政党も、そんなシナリオは事前に知らされていたのだろうか。
沖縄の人達を「土人」と差別的に呼び捨てた警察官を、きちんと指摘も出来ない知事の下、差別意識をきちんと正されないままの警察官が、「ヘイトスピーチ禁止法」に従って、大阪の地においてヘイトスピーチをきちんと防止するという、警察官としての職務・職責を厳正に遂行出来るものなのだろうか。
これは大阪府警に対する信頼感の問題だと思うのだけれど。
信頼感を損なう方向に発言を進める行政の長って、どうなのだろうかと思う。
ちょっと疑問に感じてしまう。
それにしても、何が起こるのか、一寸先はわからないということを、改めて思う。
【16年10月20日】
正直、唖然とした。
ヘリポート反対派を「土人」とののしった警察官もそうだけれど、「土人」と言われた県民に非があるような発言といい、その警察官を「ご苦労さん」とねぎらう姿勢といい、大阪府の現知事の公的人間としての感性と良識の欠如ぶりにも二度驚いたという状態だ。
ネット上の画像で流れる「土人」発言の若い警察官の姿に、なぜ彼がそんな語彙を身につけていたのか、という点についても不審を感じたけれど、あるいは彼ないしは彼の周辺において、沖縄の人達に対する感情的反発を含め(なにしろ、かれらは体制や権力に反抗する不埒な分子という認識はそうとう強く植え込まれているだろうから)ての、差別的感情が強くあったのではないか、ということはうかがい知ることができそうに思われる。
山本農林大臣の発言にも唖然としたものだ。そんなことを言えば、野党の猛反発をくらい、TPP協議の進展に大きなブレーキをかけるだろうということは、普通に考えたら容易に予測出来ることだろうと思われる。身内の集まりでの、仲間内の内々の発言だからなんていう甘い意識自体が、常識の枠をぶっ飛んでいるように思われる。
おごりとそれに伴う気持ちの緩みの表れといわれても、仕方がないことだろうと思う。。
国会答弁で、あんなに慎重に言葉を選んで発言している、同じ人物の発言とはとうてい思えなかった。
山本農林大臣は、労基法でもどうやら違反を犯しているらしいし(これは裏も取れている情報らしいけれど、なぜか国会においては問題にされていないようだ。与野党を含め問題にするに足りない普通にあること、ということなのだろうか)、かなり問題のある人物ということになりそうだ。
野党は、辞任を要求しているみたいだけれど、自民党は絶対それは認められないことだろうし、またまた審議がもたつくということになるのだろう。
自業自得ということも言えるのだろうけれど、こんな状勢の中で、無理矢理この臨時国会で強引にTPP承認の決を上げたら、これは政権にとって結構なダメージになるのではないか、とも思われる。
政治の劣化が、こんなところにも現れているようだ。
【16年10月18日】
午前4時ぐらいに目を覚まし、痛み止めの薬を1錠飲んで、しばらく横になっていると、痛みが軽くなるとともに睡魔に襲われて、2度寝。
次ぎに目を覚ますと6時過ぎくらいになっていて、起床することにする。
朝食をとり、一休みしてから、昨日のラジオ番組のレポートを書く。
1時間足らず、字数にして1200字ほどにまとめる。
一休みして、改めて読み直しと推敲作業を経て、添付ファイルで送信。
今日はその日の内に受け取ったというメールが入る。素早いことだ。
ここまでで2時間くらい。一仕事終了ということになる。
1時間ほど『徒然草』を読んでから、実家の犬の予防接種で行きつけの犬猫病院まで。
片道30分くらいかかる。
注射をうってもらって、ついでに目や耳をみてもらい、痒みを押さえる注射を1本打ってもらって終了。
治療台で、犬は終始神妙な面持ちであった。
帰りに買い物も済ませて、犬は実家に。帰宅する。
午後、『唐詩選』を少し読むけれど、痛み止めの薬のせいか、異常なほど眠くて、やむなく30分ほど2階で昼寝。
3時過ぎに目を覚まし、そのまま階下に降りて、『唐詩選』の続きを読む。
今日読んだ作品は、高適だったか、結構良かった。
その後、夕方まで平畑静塔の評論。
そうこうするうちに、郵便物が届く。
玄関脇の郵便受けから郵便物を取り出す。岩城先生と丹後のMさんから。
岩城先生は『俳句』10月号と先日の丹後句会の出句一覧。さらに平畑静塔の評論のコピー。Mさんからは、俳人協会版の自句自解の句集を送っていただく。
辺りが薄暗くなるころには、痛み止めの効果も薄れてきて、腹部に妙なつっぱりと痛みが戻って来るので、夕食後はもうなにもしないでじっとソファに坐ったままテレビを見て過ごす。
本日も又、「ER」を見終えて、これを書き上げ次第、就寝のつもり。
【16年10月17日】
早めに皮膚科へ行く。
診察を受け、ウイルス抑制剤と、鎮痛剤の追加を受ける。
ウイルスの方は、3日分の追加なので、都合8日間分を出してもらったことになる。
発疹自体は、かなり良くなってきているので、そちらの分はこれで終わり。
痛みの方は、まだしばらく続くようなので、10回分の追加になる。
ひどい状態の時は、痛みだけが数ヶ月も続くケースがあるということで、安静に努めつつ、そうならないように無理はしないでおこうと思う。
病気のせいで、生活のリズムがずいぶん変わってしまった。
身体も動かしたいと思うのだけれど、それもちょっと我慢ということになる。
山に登りたいと思っていたけれど、こんな調子で11月に入れば山は初冬の時期に入るので、それは難しいかもしれない。
あまり時間の区切りを気にしないで、読書。
『徒然草』『唐詩選』(3分の2ぐらい読みすすんだけれど、『唐詩選』はあまり魅力的な作品がないな、ということに気付く)、平畑静塔の評論集とホトトギスの俳人の句集を少し読む。
市立図書館が、蔵書点検の期間に入っていて、しばらく閉館状態が続くので、吉本隆明の次の本が借りられなくて、困る。
夕方、モニター関係で1時間物のラジオ番組を聞く。
夕方の時間帯ということもあってか、ちょっと面白みに欠けた番組で、明日その点を中心にしてレポートを書くことにする。
病気の関係で、アルコール類も我慢する。
夜、鎮痛剤の効果が薄れてきて、痛み始めた腹部を気にしながら、漫然とテレビを見て過ごす。
「ER」まで見終え、これを書いたら、もう休もうと思う。
【16年10月16日】
土曜日の丹後の句会は、欠席投句を含め、8名参加で行われたらしい。
その間、こちらは自宅で静かに過ごす。
とはいえ、じっとしているのも気ぶっせいので、天気が良くて、湿度も低いので、窓ふきをしてみたり、簡単なぞうきんがけをしてみたり、庭の金木犀の剪定をちょっとやってみたりと、あまり負担に感じないようなことをして過ごす。
薬の効果が20時間くらいあるみたいで、朝飲むと翌日の夜中から明け方くらいに痛みが本格的にぶり返してきて、薬を飲んで、痛みが弱まるにつれて二度寝するという状態。
昼間は、水泡が出来た部分を中心にした膨満感や突っ張り感を感じながら過ごす。
恐らく一生に一度のヘルペス体験なので(1度かかると、再発率はずいぶん低いらしいので)、まあ仕方ないと諦める。
ウイルス抑制剤は、果たしてきいているのかどうか、よく分からない。
水疱が枯れ始めるのを待つほかないけれど、そろそろ1週間近くなるので、なんとか枯れ始めてほしいものだ。
庭の山法師の木も、どんどん紅葉が進んでいることだし……。
その山法師の地面に落ちた赤い実を、ひよどりなのだろうか、食べに来る。
和室で障子を開けっ放しにしたまま庭を見ていると、ひらりと飛んできて、落ちた実をつついて、そのまま一のみにし、そして辺りを見回してからふっと飛んで行ってしまう。
小さくはない種だから、喉に詰まらせたりしないものかと思う。
日曜日。次第に天気は下り坂。間もなく、雨が降り出しそうだ。
数日来、半袖から長袖、短パンからジャージのズボンに履きかえて、ちょうど良いぐらいの気候になっている。
ジャージのズボンは、ヘルペスの部分をちょうどはずす塩梅で履けるので、大変都合が良い。
午前中に、久しぶりのモニター視聴とレポート書き。
1月の本数が半減してしまったので、その分書き方がぎこちなくなってしまっているようなきらいがある。
【16年10月14日】
ボブ・デュランがノーベル文学賞とは。
ここまで予想が覆されると、かえってさばさばした思いになる。
ノーベル賞の選考委員会の見識というものが、良い意味で見直されることになるかもしれない、とも思う。
午前中は、読書。
午後からは、ほぼ半日かけて、明日の句会用の作品7句を考える。
途中、一日自宅というのも鬱陶しいので、近所をぐるりと歩いてみるが、痛いのですぐ帰宅。
そういえば、似たような経験をしたことを思い出す。
大病を患って手術を受け、その後しばらく療養のために自宅に帰っていた時、手術後の痛みを抱えつつ、身体を慣らすために毎日近所を歩いていたときの状況に良く似ている。
場所も腹部だったので、一層あの時の状態を思い出してしまう。
とはいえ、あの時に比べると深刻さの度合いはまるで違うので、今回はともかく痛みを我慢するだけ、ということになる。
夕方には出来上がり、句会の仕切をお願いしておいた方にFAXで句稿を送る。
あとはもうおとなしく休むばかりだ。
豊洲問題の本丸は、どうやら石原元都知事らしいということが、少しずつ見え始めているようだ。
本人は、知らぬ存ぜぬを通そうとするつもりらしいけれど、晩節を汚さない(すでに手遅れかもしれないけれど)でいただきたいと思う。
【16年10月13日】
ノーベル文学賞に毎年名前の挙がる村上春樹、さて今年はどうなることだろうか。
村上春樹の作品は、一部のエッセイを除いてすべて読んできた身としては、そろそろ受賞してもよいのではないか、とも思う。
とはいえ、村上氏の作品の中でこの1冊といえば、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』だと思っているわが身としては、それまでの作品と、それ以降の作品のすべてのエッセンスが凝縮しているこの1冊の価値に比べれば、ノーベル賞もさほどの意味をもたないような気もしている。
毎年、この時期にちょっとしたお祭り騒ぎをもたらしつつ、「無冠のまま」終わってもそれはそれで良いのではないか、などとも思う。
ヘルペスは、現在進行形の状態で、あらたに発疹など現れて、不吉な思いを感じる。
痛み止めの薬が、かなり強力らしく、朝1錠呑むと、夕方までその効果が続いているようで、痛みは軽くなっているけれど、その分眠気がつきまとっているような有様だ。
今週末には、丹後の句会が予定されてあったのだけれど、往復10時間の汽車の旅は、負担が大きいので、やむなく欠席することにした。
抗ウイルス剤みたいなのが効き始めるのに、呑んでから数日かかるらしく、その間はウイルス増殖中状態になるようで、その点でも鬱陶しい。
昼過ぎに実家から連絡があり、ちょっと来て欲しいという。
出かけてみると(歩いて2分だけれど)、母のスマホに妙なメールが入ったという。
差し出し先は「YAHOO総合窓口」というところで、有料画像の登録取り消し手続きと、それを実行しない場合は身元調査並びに法的手続きの執行を知らせる内容だった。
典型的な詐欺メールで、すぐに地元の警察に連絡を入れる。
電話番号なども載っていたのでそれも知らせる。
警察の方から、連絡先に確認が入り、すぐにでも連絡先は閉鎖されることになるのだろうと思う。
詐欺メールの本物に接するのは初めてで、たちが悪いなと改めて思う。
様子がよく分からないお年寄りだったりしたら、その威圧的な文面に容易に詐欺に引っかかるかもしれない、と思う。
天気予報では晴れるはずが、午後からはどんよりと曇りの半日。
すかっとした晴天を期待したい。
【16年10月12日】
1週間ほど前から、背中と腹部に違和感があったのだが、ここ2、3日、腹部に赤い発疹ができ、それが時折ズキズキと痛むという状態になった。
ちょっと普通ではないなと思い、自宅に完備している『家庭の医学』をひもといて、どうやらこれらしいと見当をつけて、本日医者に行く。
皮膚科で診療を受けて、予想通り「ヘルペス」ということが分かった。
水疱瘡等の罹患で体内に作られてあった抗体の寿命がきたらしい。
2,3週間で治癒し、その際できた抗体の力で、今後10年くらいは発症しないらしい(例外もあるらしいけれど)。
患部がずいぶん痛むということらしいが、幸いいまのところ、時折ズキズキする程度でおさまっているようだ。
抗体にも賞味期限がある、というわけでもあるまいが、ちょっとここしばらく疲労を感じていたので、その分抵抗力が落ちていたのも、発症に繋がったのかもしれない。
ちなみに、誰でもかかる病気のひとつらしいけれど、できればかからない方が幸いという病気でもあるらしい。
痛みが酷いときは、とんでもなく痛いとは、数十年前に罹患した母の経験談であった。
これも、年取ったせいだろうか、と思う。
昨日、約束していた文章を書き終え、知り合いの元へ添付ファイルで送信する。
平畑静塔の季語に関する10枚足らずの文章。
縄文的感性を季語に持ち込むみたいな内容であった。
なかなか変わった人物であると思う。
平畑静塔について書く、というのが、今年の目標の一つで、30枚は書くという到達目標が設定してあったのだけれど、その3分の1をクリアした、ということか。
文章を書きながら、次の話題が見えてきたので、何かの機会に書ければと思う。
今日は、昼前にゲリラ豪雨に襲われる。
ちょうど買い物に出ている最中で、自宅の二階の窓を全開にしていたので、途中で切り上げて、急いで帰宅する。
酷い降りのせいで、道路はみるみる水浸しになり、フロントガラスはワイパーが間に合わないという有様だった。
雨自体は20分くらいで降り止み、なんとなくどんよりとした空模様に変わる。
今が本当に10月半ば近いのか、と思わず天を仰ぐ(みたいな心境になる)。
2階は、幸い雨の吹き込みなどはなかった。
ただ、おかげで、夕方にもう一度買い物に出かけるはめとなる。
【16年10月9日】
先程から、しゃっくりが止まらないので、鬱陶しくてネットで止め方の検索をかけた。
「耳押し法」というのがヒットして、書かれてあるとおり、両耳に人差し指を入れて、30秒ほど強く押し込んでいたら、本当にぴたりとしゃっくりが止まった。
びっくりした。
今日は、午後から市の俳句大会があったのだけれど、あいにくその時間帯にモニター視聴が入っていたので、事前投句だけして、大会は欠席することにした。
10時が投句開始で、11時半が締め切りなので、車の移動時間も考えて、急いで所定の雑詠3句を作る。
車で市内の大会会場まで出かける。10時過ぎだというのに、駐車場はほぼ満杯で、会場まで行くとずいぶん沢山の人がすでにやって来ていた。
大会自体は12開始なので、まだずいぶん待ち時間はある。
こちらは、とりあえず受付を済ませ、会費を支払って、投句用紙を受け取り、会場内で短冊に記入後、投句を済ませて、そのまま帰宅する。
帰り際、大会会長にお会いしたので、所用の為欠席の旨を伝えて帰る。
昼食を終え、一休みして、モニター番組を視聴。
CWニコル氏を中心にしての自然保護関係の番組だった。
なかなか面白い番組だった。
出雲大社やたたら製鉄、大山のブナ林、さらに麓の海の幸と、見所満載の内容だった。
モニターを見終えて、ちょっとだけNHKの合唱コンクールを見始めたら、全国大会出場の小学生達の合唱が、いずれも見事なものでつい1時間ほど見てしまう(聴いてしまうというほうが、より正確かもしれない)。合唱団の構成は、ほとんどが女子だったけれど、中に数人ずつ男子が混じっていた。変声期前の子供達なのだろうが、こんな時代なので、コンクールを前に声変わりが始まってしまったりしたらどうなるのだろうか、と余計なことを考えたりする。
夕方、1時間ほど「歩き」に出かける。
その後は、いつもどおりBSで『真田丸』。地味な進行ではあるが、ちゃんといくつか見所が設定されてあるのは、さすがだと思う。
とうとう真田幸村が登場することとなった。徳川家康は、もっと狸オヤジぶりを発揮すれば良いのにと思う。
「国家安康」の命名役の僧侶の怪演ぶりが面白かった。
【16年10月8日】
白紙の領収書を受け取り、自ら金額を記入して、その金額が政治資金収支報告書の添付資料として活用される。
法務大臣は好ましくないとのコメント。総務大臣は、そもそも領収書には書式等は規定されていないので、特に問題なしとする。
領収書にすでに記入された金額に勝手に数字を追加記入した県議会議員が12人も辞職した。
書き加えるのは問題なのは当然。
では白紙の領収書に金額を記入し、公的な文書のひとつとして活用することは本当に問題はないのだろうか。
正確な金額を記入したのだから問題ない、しかしその金額が本当に正しい金額だったのかは、どこで担保されるのだろうか。
そもそも、本当に記入した金額を実際に支出したのか、その証明はどこでするのだろうか。
本当に問題がないとするならば、せめて上記2点くらいは、実際に証拠立てて国民の前に公開してみせてくれなければ、口頭だけでは信用できない。
ましてや、書式等に関する統一ルールを作らなければ、などとまことしやかに主張する総務大臣は、問題の本質を糊塗し、すり替えや隠蔽を謀っているのでは、と思われてもしかたない。
民間なら、そのようにして作られた領収書など、通用はしないということは、ネット上でも繰り返し指摘されているようだ。
民間で通用しないことでも、政治の世界では通用するなどと言う形で処理しようとすることもまた、政治のおごりのひとつのあらわれではないか。
【16年10月6日】
台風一過、とはいえ、湿度は低いものの暑い一日。
午前中は、前日の続きで平畑静塔の全句集の読み込み作業。
評論文の方を若干加筆する必要があるかもしれない、と考える。
昼前、母の運転手で病院へ。
2泊3日の検査入院。
病院内の食堂で、ランチをごちそうになる。
その後、手続きを終え、病室に移動し、荷物整理を手伝う。
その後、母は本日分の検査があるので、私はそのまま帰宅する。
病室は西向きではあるが、目の前に城山や中海などが眺められる4人部屋だった。
冷房があまり効いていなかったけれど、外の風景を眺めれば、気分転換ができるだろうと思われた。
帰宅後、今月末の「醍醐会」からの連絡が届いていた。前回は欠席していたので、今回の内容を知らなかったのだが、ゲストを呼んでの「現代短歌」の話ということになったようだ。
資料として、50人の歌人の短歌2首、計100首が紹介されてあった。
全部目を通してみたが、なかなか面白そうな作品ばかりで、どのような話し合いになるのか、大変興味をそそられた。
ゲストの方も、様々な短歌賞の受賞者で主宰としての経験もある人物ということだった。
歌人の方は、猛烈に勉強しているという話はかねがね聞いていたので、今回有益な話をお聞きできそうだ。
夕方、夕日を眺めながら1時間ほど「歩き」。
耕作放棄地にセイタカアワダチソウの群落があちらこちらに点在していて、少々うんざりする。
花が開花し、花粉を飛ばす前に、花茎の部分からカットしておけば、この旺盛な繁殖を押さえることができるのに、と本気で思う。
【16年10月5日】
台風18号が、勢力を残したまま日本海を東上するということで、雨風を気にかけていたのだが、雨はほとんど降らず、風も思ったほどの強さではなく、一安心したところだ。
まだ、夜半にかけて吹き戻しの風があるかもしれないけれど、山場は通過したという状態なのだろうと思う。
今日は、定期の通院日。
台風のことがあったので、予約時間よりかなり早めに病院へ行き、職員さんたちの開始の挨拶にも立ち会って、思った以上に早く診察を終えた。
特に変わりない状態ということで、こちらは安心して、薬を受け取って帰宅する。
これから台風が来るとはまるで思えないほど、良い天気で、少々蒸し暑い。
昼前に実家の運転手代わりに駅まで送迎をおこない、昼食後、本を読もうかとも思ったけれど、昨夜の分けの分からない体調不良の余波で、少々疲れを感じたので、一休みすることにする。
午後になって、急に強い風が吹き始め、念のため寝室の窓の網戸だけはずしておく。
風の音を聞きながら、うつらうつらする。
3時前くらいに起きて、読書。
平畑静塔関係の短い評論を1本書く約束であったものが、昨日のうちのほぼ書き上げることができたので、最後の詰めということで、念のため平畑静塔の全句集を読み直しておくことにした。
1日では無理なので、2・3日かけて読み直し、最後のまとめの部分に使うことにする。
居間に色々な資料をひろげたままにして、カーペットにあぐらをかいて全句集を読む。
時折外を眺めると、青空と西から東へと流れすぎていく雲の塊が眺めやられる。
かなりの風の強さを感じるが、風切りの音などが聞こえないので、視線を外にむけなければ、強風も意識に入らない。
夕方まで読書。とりあえず『栃木集』読了。
夕食は、実家の方でごちそうしてもらえるということなので、料理自慢の甥っ子の手料理を食べに行く。
辺りはくらくなり始めていたが、風はかなり落ちていた。
料理はなかなか美味であった。
今夜は、少々疲労を感じているので、早々に休もうと思う。
【16年10月3日】
昨夜、初めて『キングオブコント』という番組を見た。
とても面白かった。コント系の番組は、あまり見る気がしなかったのだけれど、今回の番組を見て、この先ちょっと見てみてもいいかなという思いになった。
賞金1000万円と、優勝すればほぼ今後の活動は当面補償されるだろうという、その点で真剣勝負の番組になっていたのが良かったのだろうか。
やっているメンバーの本気さを感じることができた。
それにしても、コントがこんなに多彩な内容をもっているものなのかと、かなり感心した。
オーソドックスなものからほんとうにシュールな内容まで、こんなに幅広い内容が、いかに観客を笑わせるかに鋭く特化されていて、よかった。
予選ラウンドから面白いと思っていた「ライス」という二人組が優勝した。
とても納得した。
決勝戦で戦った3人組のグループのネタが、前にどこかのチャンネルで見たことのある内容で、既成のネタを使っていいのかと少々疑問も感じた。
やっぱり新作で勝負してほしいなと思った。
「ライス」が使った「○○してくれい」というフレーズが、もしかしたら流行るかもしれないな、とも思った。
本人達は、流行らせたいような様子だったけれど。
今日は、一日良い天気だった。
暖気が入ってきているせいか、最高気温は31度くらいだった。かなり、暑い。
台風18号は、猛烈な強さの台風にまで発達して沖縄本島を直撃するようだ。
その後、九州西岸から、方向を変えて日本海から本州を横断するというコースになるらしい。
ちょっと直撃に近いコース予測なので、気懸かりではある。
再接近の5日は、通院の予定が入っているのだが、果たして行くことが出来るのだろうか……。
吉本隆明読了。作品の理解と論評内容については、目から鱗的な部分がずいぶんあってすごい評論家と思うけれど、やはりそれは違うだろう、と思える部分もまた結構あった。
それも含めて、すごい評論家なのかもしれないと思う。こんなにはっきりと感嘆符と疑問符をつけさせてくれる人物は、そうそうはいないように思われる。
【16年10月2日】
日曜日。朝から、秋の集団清掃。
地域中の人達が、各自清掃用具を持参して、近所のスーパーの駐車場に集合。
段取りの連絡があって、その後各分担地域に移動して、清掃開始。
私たちの班は、道路清掃にあたる。主に舗道の草取り。夏に清掃して以来、さほど草が生えていなくて、30分余りで担当地域は終了。
ついでなので、隣の地域の清掃を手伝う。
天気は朝から良い。少し日差しが暑いくらいだった。
ポカリを1本いただいて、終了する。
清掃と夏祭りには、皆さん結構熱を入れている。
帰宅後は、一休みしてのち、昼まで読書で『唐詩選』。
昼食をはさんで、引き続き本を読もうと思ったけれど、少しだけ昼寝をすることにして寝室へ。
うとうとしていたら、階下に来客。出てみると、役員さんが後期分の自治会費を集めに来られていた。
目も覚めたので、読書。吉本隆明文芸詳論、平畑静塔評論、安住敦の句集を読む。
その後、いつもの通りテレビで「ビフォーアフター」を見て、1時間ほど「歩き」に出る。腰の調子は、かなり良くなってきているようだ。帰宅して、BS『真田丸』を見る。
今回は、内容的に一服入れたという感じ。家族模様などが描かれていて、のどかな気分で見る。桐が、次第になかなか味のある女性として描き進められているようだ。
こうなるようにずっと計算して桐の人物像は造型されていたことなのだろうな、と思われる。
あるいは、ちょっと変なたとえなのだけれど、映画『スターウオーズ』が、お話全体を2体のロボットをつなぎの糸として(物語全編に登場するのはC3POとR2D2だけである)作られてあるように、案外この桐が『真田丸』全体の目撃者的な位置づけを持たされているのではないか、などと勝手に想像してみる。
『真田丸』もクライマックスに向けて、新たな動きがあるようだ。楽しみである。
NHKの政治がらみの放送については、ずいぶん政権側に偏っているとは思うのだけれど、色々な特集などは、政治的でないぶんずいぶん質の高いものをまだ放映していると思う。
昨夜のEテレの深夜枠の特集は、「JKビジネス」についてのドキュメンタリーだった。
「JKビジネス」に関わった少女達とそれを支えるボランティアの若者達の取り組みを紹介したものだったけれど、それが単純な「遊ぶ金ほしさの少女売春」の話ではないということを強く訴えた内容で、ずいぶん考えさせられることが多かった。
世間的な受け止めの中では、少女達だけが非難の対象として、ある意味やり玉に挙げられている(特に、ネット上の書き込みは彼女達に対して容赦なく酷いものだけれども)けれど、番組に登場した少女達の置かれた背景(特に、劣悪な家庭環境)や、彼女たちに進んで声をかけ、食事やお金を口実にして関係を持とうとする大人の男達の存在というものまでを視野に入れて捉え直してみると、現代の病んだ社会と、そこで二重にも三重にも傷つけられる弱者としての少女達の姿というものが見えてくるようにも思われた。
自分を守る術をもたない存在に対して、徹底的に冷酷である今の日本のある断面を見せつけられたような思いにもなった。
【16年10月1日】
土曜日なので、自由時間とする。
午前中に、出かけておきたい展覧会が市立美術展で開催されていたので、出かける。
ひとつは、第3回の『障害者美術展』。こちらに帰ってきてから、毎年見に行くけれど、そのたびに感銘を受けて帰ってくる。
障害者の方の作品などという余計な先入観を捨てて、書道・絵画・工芸・写真等の展示を鑑賞する。
技術的にどうなのか、それはわからないけれど、作品の一つ一つが生の感性で世界と向き合っているという感触をすごく感じて、ちょっと表現できない強い力に素直に感動する。
自分の俳句作品のどこかに、このようなある種根元的な力みたいなものを少しでも表現出来たらよいのになと思う。
もう一つは、地元の日曜画家なの方達の作品展。上手だな、と思いながら、気持ちよく鑑賞してきた。
ついでに、向かいの図書館で本を1冊借りてくる。水木しげるの漫画全集。
前回借りた分を読んでしまったので、追加ということで借りてくる。
膨大な全集のやっと5分の1くらい読んだというところだ。
帰ろうとして、図書館の2階フロアで、浮き彫りによる「魚展」をやっているということなので、ついでのつもりで見に行く。
20×40センチくらいの厚手の板に、色々な魚を浮き彫りにして、彩色して、ニスをかける。その彩色が、ものすごく精密で、さらにニスの艶が魚の体表感を生々しく表現していて、本当に生きているような緻密な展示だった。ちょっと変なたとえだけれど、魚の樹脂固定の標本を見ているみたいな印象だった。ちょっと生臭い臭いまでしてきそうなほどのリアル感で、びっくりした。
イカなどは、そのまま刺身にして食べたら美味しそう、という感触だった。
工芸というより、博物館の生態展示みたいなものに利用したら、すごく迫ってきそうな印象を持った。
これは、思いがけない見物だった。
昼前に帰宅。
今日は、朝食を珍しく食べていなかったので、昼食は途中で買ってきた弁当を食べた。
海苔弁風で、コロッケと鳥の唐揚げが2個ついて、280円という割安で、ちょっとカロリーが高そうな弁当だった。
食後、送ってきた結社誌を少し読む。
「五臓六腑を光らせて夏の海」という句を、「夏の海五臓六腑を光らせむ」と添削してあった。
「て」止めは、私の悪癖のひとつなので、その生動感の違いになるほどと感心した。