日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【16年11月30日】
11月も本日で終わる。
本を読んで、ピアノ教室の庭の剪定をして、「あるき」を朝晩こなし、そんな風にして、また一日が終わる。
明日から12月。
どうやら、朝から雨のようだ。
ほとんど変化のない水のような毎日の中で、天気だけはその日その日の変化を見せてくれる。
気分と体調は、その天気変化に微妙に影響を受けるようだ。
【16年11月29日】
朝、6時半に起床。久しぶりに早い。かつて、5時には起きていた生活がうそのように、起きる時間がずいぶん遅くなってしまった。
あながち、寒いばかりではないようだ。
朝食やら、ゴミ出しの準備やらをして、8時前には自宅を出る。8時30分から歯医者の予約。
ゴミ置き場に立ち寄ってから、歯医者へ。
通勤時間帯のせいか、道路は混んでいる。
やや、予約時間に遅れ、歯医者着。すぐに、検査が始まる。
本日は、治療ではなく、定期検診。それでも、いろいろ検査や予防的処置があったりして、終わったのは10時前になっていた。
歯科衛生士さんが、かかりっきりの1時間半という状態だった。
歯磨きは、毎食後行っているのに、磨き残しがちょっと多いといわれて、ショックだった。診療ベットの上で、寝たり起きたりを、十数回繰り返して、本日の予定は終了。
次回は、12月に入ってすぐ、今日は行わなかった上の歯の処置。
少々疲れる。それに、診療費が4000円というのは、かなり高いと思う。
3割負担なので、実際には14000円くらいかかっていることになるのか。
買い物に立ち寄って、帰宅。
地元の結社誌への投句作品10句をなんとかまとめ上げ、投函。そのまま「歩き」に移る。
中途半端な時間に昼食をとり、その後、食後の運動を兼ねて実家のピアノ教室の方の植栽の剪定作業。昨日、今日と二日連続になったけれど、だいたい予定していた所は終了。
いつの間にやら、2,3時間が経過している。
突然、本の返却期日が今日であったことを思い出し、急いで図書館まで。
3冊返し、あらたに3冊を借りる。水木しげる、吉本隆明、河野裕子各1冊ずつ。
ついでに、向かいの美術館で、県下の中学生の絵画展を見学する。
2室に別れていて、1室は生徒達の作品が、他の1室には顧問の先生方の作品が展示してあった。
教員の作品の中で、大変面白い写真の連作があって、今日が丁度展覧会の最終日で、しかも展示終了時間間際に見学に行ったせいで、片付けに来ておられた当の先生と面会し、短時間話すことが出来た。
自転車を道連れに、世界各地を撮影旅行しているとのことで、たいへんパワフルな先生だった。
撮影時のエピソードなども面白おかしく紹介していただいた。
彼女の指導する中学の生徒作品も、なかなか面白いものが多かった。
帰宅する。
途中、ちょっとだけ県立の水鳥公園へ立ち寄ってみる。
中海の干拓地の一部を、水面をそのまま残して、広大な水鳥公園にしてある。時間が日没にはやや早かったせいで、コハクチョウの群れはまだ帰水していなかったけれど、広大な水域のあちらこちらに鴨の群が浮かんでいるのが眺められた。
低い太陽の光を受けて、大山方面に二重の虹かかかっているのが見えた。
ちょうど、写真撮影に来ているらしい方に、そのことを教えると、見に来られた。
しばらく、話す。
評判を聞いて、岡山からわざわざこの公園に来られたという。
日没前後に、安来平野から白鳥たちがここに帰来するということを紹介しておいて、帰る。
結局、今日は読書せず、という一日であった。
【16年11月27日】
終日、雨。
肌寒い一日だった。
モニター番組をひとつ思い違いしていて1本飛ばしてしまった。
残念だ。
もう1本の方は、視聴後即レポート作成。添付ファイルで送る。
今月は、ミスもあって5本で終わってしまった。予定外である。
国営放送のモニター募集。1年間間が空いたので、応募してみようかと思う。民放にもひとつ送ってみようか。
今月も、あと数日で終わる。いよいよ年末が近づいている。
1年が、本当に早いと思う。
年をとるほど、相対的に時間経過を早く感じるらしい(20年生きた中で1年と、60年生きた中での1年ってのは相対的に60年の方が短く感じられるということか)けれど、それにしても速いな、と思う。
午前中に、所属結社誌への投句を終える。
10月に出かけた出雲に取材した句が多い。
出雲の地については、何か奇妙に感じるものがある。何なのかはよく分からないけれど、こちらを刺激する空気のようなものが、その土地にあるように思われる。
面白い感覚だなと、我ながら思っている。
はっきり言って、国つ神敗北の地が出雲であろう。天孫降臨系の信仰を有する一族との戦いに敗北して、死の購いとして神に祀られた氏族の地、というのが出雲という土地だと思う。
血と死と浄化の地として、やはりそこには、ただならぬ気というものがわだかまっているのかもしれない。
そんなことを、勝手に想像してみたりもする。
「平成九年度俳句会」という若い人達の集団が、今年度の実践の冊子を出されるらしい。
1部、予約を入れる。
若い人の句を読んでおきたいと思う。
「週刊俳句」という俳句専門サイトの角川俳句賞「落選展」も、若い人の句にまとめて触れる良い機会になっている。
俳句の読みの力を付けたいものだと思う。。
【16年11月26日】
午前中、フリー(いつもフリーといえば、フリーなんだけれど)。
午後から、地元の句会。結果は、相変わらず。とはいえ、投句作品は結構面白く、ずいぶん楽しめた。
ただ、私の選句した句が、ほとんど他の方たちの選に入っていないのが、残念だった。
高点句2句ぐらいは共通しているけれど、残り5句は私だけが選している、というような状態だった。
面白い句なのに、なぜ他の人は選ばないのだろうか、とかなり本気で考えたりもした。
個人的な好み、というだけではないだろうな、とは思う。
おそらく、俳句の作り方や、その結果としての表現構造や、句のもたらす印象なんかに、微妙な違いというか、違和感みたいなものが生じるのかもしれない、などと思う。
12月に入って、松江での吟行会があるということなので、責任者の方に参加の旨を伝えておく。
松江城とその周辺らしい。
前回は、安来の清水寺で、なかなかいい雰囲気だった。
今回も楽しみである、と書いていたら、責任者の方からFAXが届いて、わざわざ無料駐車場の場所を知らせていただいた。
ありがたいことである。
夕食後、「あるき」に出たら、雨が降り始めた。小雨であるが、今夜から明日一杯はこんな天気になるらしい。
今日の内に、洗濯や、布団干しをしておいてよかったと思う。
「年金法案」が特別委員会を通過したらしい。
「年金確保」にしろ、「年金カット」にしろ、言い方は両極のようだけれど、同じコインの裏表を言っているの過ぎない。
「確保」された年金って、「カット」された結果を受けての支給レベルになるのだろうから、将来の年金世代にとってみても、ずいぶん押さえられた支給額になるのだろう、と思う。
物価・賃金がともに上昇しても、年金の上昇にはマクロ経済スライドの圧力がかかるらしいし、結果としてどうあっても、年金額は目減りするということになるらしい。
今回の法案が成立しても、誰も「100年安心」なんて、思わないだろう。
個人消費が上向くはずなんか、ないだろうな。
【16年11月25日】
午前中は雨。午後から、天気は回復傾向。
明日は、午前中は天気は保ちそうなので、洗濯をしなければならない、と思う。
午後からは、地元の句会。先月は不注意で欠席したので、気をつけなければと思う。
そろそろ冬に向けての準備を始めなければとも思うのだけれど、車のタイヤの履きかえは、母はちょっと気にしていたけれど、来月に入ってからで十分であろうから、それはしばらく置いて置く。
冬物の準備というほどの冬物はないけれど、スリッパを夏用から暖かい冬用にしたほうが良いかも知れないと思う。
室内でも手袋は必需品なので、それも一応捜しておく必要があるか、とも思う。
一昨年は、室内で過ごしていてもあかぎれになった。
昨年は、その反省で、毛糸の薄い手袋を使用するようにした。
トイレと風呂場の脱衣所の暖房器具は、押入から出しておいたほうがよいかもしれない。
特に風呂場は、造りが古くがらんと広いので、これからの季節は本当に底冷えがする状態になる。
室内との温度差は、真冬に向かってもさほどないのだけれど、基本的に家全体が暖かくないので、着込んでいたものを脱いだとき、ヒートショックになる恐れがなきにしもあらず、ということもある。
それは、ちょっと恐ろしい。
今年の冬は、寒いかもという予報も出ているようなので、昨年は使わなかった炬燵も準備したほうがよいかもしれない。
ともかく、これから寒さとの戦いの数ヶ月が始まることになる。
便座に防寒用のシールを1枚貼るだけで、一冬おしりに寒さを感じることなく過ごすことができた。
昨年の成果である。
湯たんぽを使うというのも、大正解であった。
おかげで、夜布団に入るのが本当に楽しみになったものだ。
布団の中で、一晩ぬくぬくと過ごすことができるようになった。
1階、2階の出窓部分が外の冷気を直接室内に伝えるので、ぷちぷちを買ってきて、簡易断熱シートを作って、窓全体を内側から断熱仕様とした。
どの程度、効果があるのかは実は良く分からないのだけれど、きっと無いよりはましであろうと思っている。
ぷちぷち自体は、半透明なので、光が透過して日中室内が暗くならず、都合が良い。
できるだけ、経費をかけず、冬を快適に過ごすための工夫を色々してみたいものだと、今年も思う。
さて、一休み出来たので、これから明日の句会の出句用の7句を考えなければ。
【16年11月24日】
「プレバト」。夏井いつきさんの俳句コーナー、毎週楽しみに見ているけれど、今回の最優秀作品は、本当に良い句だった。
「テーブルに君の丸みのマスクかな」。
こんな素敵な「マスク」の句は初めて見た。
言葉が、時代を掬い上げているということを実感する。
このような句を作れたら、本当に幸せだろうと思う。
作者の芸人さんの名前は覚えていないけれど、熱心に一人吟行などにも励んできたらしい。
芸人さんていうのは、本当に時代の空気の中で生きている人達(特に、テレビに出るような人達は、天性のようにそんな感受性に恵まれているのではないかと思われる時があるのだけれど)のように、改めて思われた。
俳句の言葉で、時代を射止めるのは、本当に難しいことだと思う。
最近、河野裕子の作品や文章をかなり熱心に読んでいるせいか、一層俳句の特殊性というものを思ってしまう。
東京では、雪が降ったらしい。
当地は、午前中、雨。午後に次第に天気が回復して、夕方には青空も見えたけれど、今は又雨が降っているようだ。
ずいぶん、めまぐるしく天気が変わる。これも、初冬の特徴なのかもしれない。
晴れたとき、大山が雪で白くなっているのが、雲間に見えた。
これで2度目の雪景色の遠望だった。
夢を見るのが、最近めっぽう楽しい。
登場するキャラが面白い。
今朝の夢の中では、勝手にタクシーに便乗してきたホームレス風の爺さんに、何やってるんだよ、と文句を言うと、不満そうな表情で、こちらの手をふりほどこうとした瞬間、びっくりするほどの大量の鼻水を垂らしてきて、それ以上追求するのがかわいそうになって、みたいな夢だった。
きたないジャンパーの胸のあたりにぞろりと鼻水が長く垂れかかっている姿が、ずいぶん強烈な印象で残っている。
実生活が単調な分、そんな風な夢の支離滅裂さが面白い。
夢は、自分も登場人物のひとりである、臨場感たっぷりの映画みたいなものかもしれない。
特に、割と見た夢は断片的とはいえ覚えている方なので、たまに夢の中身を回想?してみたりもする。
他者と共有は出来ないけれど、夢も立派な個人的体験のように思われる。
【16年11月23日】
勤労感謝の日。
かつて、「退職の後の勤労感謝の日」という句を作ったことがある。
すでに、早期退職ではなく、普通に退職してもおかしくない年齢になり、先の句もわりと普通の句という地点におさまったように、個人的には思う。
『翔臨』を送っていただく。
京都の竹中宏氏を中心として、季刊で発行される雑誌。
論・作ともに大変充実した内容で、送っていただくことに大変感謝している1冊。
今回は、「ベビーメタル」に絡めて、含蓄深い俳句の論が掲載されてあった。
個性的な切り口の、大変面白い論評だった。
ただ、別の短歌評の中の「鳥取という僻地の産なのは弱い」という一節には、少々むかついた。「僻地」は否定しないが、それが「弱い」とはどういう意味だよ、と思う。
友達同士のお気楽なやり取りならいざしらず、この雑誌の読者の中には、当の「鳥取」の産の人間だっているのだ。
勤労感謝の日。
終日、寒い。大山は、時折雲の合間に積雪の姿を見せる。
夕方、「あるき」に出かけて、風の寒さに本当に震え上がる。
途中、同じ合唱団で、近所の企業の社長のS氏と奥様に出会う。休日の日なのだが、工場の敷地内の花壇に三色菫を植えに来られたという。
来春は、きれいに咲きますよ、と夫婦ともどもにこにこしておられた。
事務所にお茶でも飲みに来てください、と言われたが、さすがにそれはちょっと遠慮しておこうかと思う。
今の合唱団に参加する機縁になったのは、この人だった。
帰りに実家に立ち寄る。
母は、新しい財布をどうしようかとここしばらく考えているようだ。
素敵なものはあるのだが、値段の関係とか、デザイン・色彩の関係で、絞り込めないようだ。
誕生祝いの自分へのプレゼントということらしいので、わずかながら援助しておく。
TPPは、本格的にダメになりそうだ。
多国籍企業の利益のために、国益が侵害されるような内容を含む条約は、発効されない方が良いと思う。
グローバルの名の下に、自らの生活の基盤破壊が進むようならば、そんなものはご遠慮申し上げたい、と思う。
【16年11月22日】
朝方の夢。
強烈な個性の持ち主らしい男女に翻弄されている、みたいな夢を見て、目が覚める。
特に、女性のキャラクターが強烈で、あんなタイプの人にかつて現実世界で出会ったことがあっただろうか、と夢の登場人物のモデルにあたりそうな人物をしばらく思い出そうとしたけれど、あれほどの人は結局思いつかなかった。
造化の神秘のようなものを感じる。
そんなこんなで、ベットに入ったままテレビをつけると、画面に現れたのは、「つなみ!にげて!」の文字だった。
瞬間、一体これは何だ、と思う。
すぐに、テレビの報道から、海底を震源とする地震の津波警報だと了解する。
ほとんど、不意打ちのような内容で、その後はしばらくテレビ画面に釘付け状態となる。
不幸中の幸いか、それほど大きな津波ではなかったようで、被害はでたようだけれど、あの時のような世界の崩壊を思わせるような酷い被害が発生しなかったのは、本当に良かったと思う。
午前中は、いつもの通り。
昼前、実家に。母の携帯につながらないので、どうしたものかと二人であれこれやってみるが、らちが開かず、ドコモの相談センターに電話を入れる。
電話を通じての相談員の指示に従いながら、スマホを操作し、最終的には、電源の入れ直しで、なんとか修復する。
30分以上時間がかかってしまった。
内蔵するアプリケーションの一部になんらかの不具合が生じて、その結果、電話が繋がらなくなっていたらしい。パソコンで言う、再起動で修復というパターンのようだった。
午後、今日が返却期限の本を持って、市内へ。2冊返して、2冊借りる。水木しげる漫画全集と、「河野裕子読本」の2冊。
図書館に来たついでというわけでもないが、向かいの市立美術館でやっていた洋画展と版画展とを見て帰る。
工芸展も開催していたのだが、それは2日後にまた返却に来るので、その時に見学することとする。
帰宅後、遅い昼食。
その後は、読書。河野裕子の短歌と『読本』中の対談を読む。
雨が降り出す前にと「歩き」に出かけ、40分ほど歩いてから帰宅。
暗くなり始める中を、2階で吉本隆明の続きを読む。「ジャン・ジュネ」に関わるもの。
そういえば、高校時代。同じ漫画研究会の会員の女子の中に、ジュネのファンがいたことを思い出す。
知的で、弁の立つ女学生だったが、昨年の同窓会で再会。容姿、性格ともに高校時代の面影をやわらかく残した女性であった。
【16年11月21日】
朝から病院。9時に入って、終わったのは2時前であった。
本当に待ち時間が長かったけれど、おかげで持参した河野裕子の第一評論集を読み終わることができた。
年末にちょっと検査を受けるはめになった。
帰宅後は、夕方まで引き続き、河野裕子の歌集『あなた』を読む。
階下では、5時前には灯りがないと読書が困難になるくらい室内が暗くなる。
2階に移動して、引き続き吉本隆明の評論を読む。相変わらず、難解。
使われている用語の意味が、よく分からない。
かなり個人的色彩のきつい意味合いで、言葉が使われているような気がする。
詩人的発想?
論理の筋道を辿ることができない。
これって、ほとんど読んでいないに等しい状態なのかもしれない。
夕食は軽めにする。浅酌。
昨夜は、合唱の練習。ちょっと参加者が少なかった。
3月の本場に向けて、練習もようやく佳境に入ったということだろうか。通しの練習に移る。
モーツアルトの「レクイエム」は、ハードルが高い。
【16年11月19日】
土曜日。自由に使える一日の日。
午前中、何もしない。
午後、某合唱団の36周年記念のコンサートがあるので、母の運転手を兼ねて出かける。
現在、所属している合唱団の伴奏担当の方が指導している合唱団。
私が幼少期を過ごした町の、ずいぶん立派なホールで開催。
弟の奥さんが、ピアノ伴奏を勤める。
こじんまりした演奏会かと思ったら、ずいぶん沢山の曲を歌われた。
高齢者中心の合唱団だったけれど、柔らかな響きを生かしたなかなか滋味のある合唱だった。
母は、会場で何十年ぶりかの再会などを果たしたようだ。
コンサートを終わって、帰宅。
途中、買い物に寄る。
なんやかやの買い物となる。
ひたすらお付き合いをすることとなる。
母を実家に送り、帰宅。
一休みして、テレビをちょっと見る。「住人十色」という番組。毎週、欠かさず見る番組のひとつだ。
今晩は、自家の方で夕食をごちそうしてくれるらしい。
時間になるまで、「日々録」を書く。
それにしても、本当に長く続いているものだ、と改めて思う。
【16年11月18日】
初対面後の感想が、「信頼築けると確信」というのは、個人的には違和感を感じる言葉だった。
(事前には、ずいぶん危惧や不信感を胸に抱えた上での対面だったのだが、会ってみたら世評に違い意外と良い人で、事後はそれらの感情は一掃しましたよ、というコメントなのだろうか)。
ずいぶんと政治的な発言なのだろうな、と思う。
一般人の世界の話ではない、高度に政治的な世界での発言、ということなのだろう、と思う。
でも、実際よく似たタイプの二人だから、案外馬があったのかもしれない……。
それにしても、ほんのここ数日、株価も為替も、実体経済を反映せぬまま、どこかに向かって上りつめている観が、凄い。
色々あって、午後からは実家の駐車場の植木の剪定を行う。
今日も小春日和の暖かい日で、上着を脱いで、ちょっと汗ばみながら作業を行う。
時には、ひたすら身体を動かしているというのも、良いことなのだろうと思う。
暗くなる前に帰宅(歩いて3分だけれど)。
豚肉炒めに納豆飯の夕食。
注意を受けたので、今日はお酒をひかえることにする。
【16年11月17日】
寒くはないが、天気は今ひとつ。
高気圧が接近しているようだけれど、単純に晴れにならないのが、冬が近づきつつある日本海側の特殊事情ということになろうか。
本日、「歩き」なしで、午前中読書。
11時前に、母の運転手で、病院へ。個人の開業医だったけれど、意外と時間がかかる。
1時前に病院を出て、そのまま外食ということで、境水道近く(水道とはいえ、上下水道の意味ではもちろんなく、外海と内海をつなぐ、陸地が接近して海が水路のように狭まった場所のこと)の和食料理屋さんへ。
具たくさんの海鮮丼を昼食にごちそうしてもらう。ウニやイクラよりも、やはり魚の刺身がおいしい。
その後、買い物に寄り道。ついでに、運だめしのスクラッチを買う。
私は200円、母は4200円があたる。強運・薄運の違いであろう。
帰宅後は、読書。
吉本隆明の詳論は、相変わらず難解すぎて、頭がぼっとしてしまいそうだった。
悔しいので、最後まで読み通すけれど、それだけで、夕方近くまでかかってしまう。
外は薄暗く、灯りをつけて、20分ほどで俳句を作る。
今日も、実家から夕食のおかずを分けてもらう。
ありがたい。
今年の流行語大賞の候補30が決まったようだ。すべての言葉とその意味用法を知っていた。さすが、流行語大賞候補作だと思う。
某ワイドショーで、相変わらず韓国の政界疑惑、さらに本日は韓国の受験事情までをやたら詳しく流していたりする。
よそ様の国情を微に入り細に渡り、面白おかしく報道できるくらいに、現在の日本はのどかな国なのだろう、と感心する。
東日本大震災で被害を避けてきた子に対する、いじめと差別。
それが、長い間省みられないほどにごく日常の一風景にまで平板化するほどに、現在の日本は感性も想像力も風化が進んでいるのだろうか、とも思う。
【16年11月16日】
終日、良い天気。
昼間は、暖かい。まさに小春日和の一日だった。
大山は、紅葉終盤で、頂上付近の谷筋には、降った雪が融け残り、紅葉と雪の風景が眺められるらしい。
午前中は、「歩き」と読書と母からの頼まれ買い物。
車で走る米子市内は、紅葉が美しい。
午後からは、実家の植木の剪定を行う。道路に面したあたりを、刈り込み鋏で、少しずつ刈り込んでいく。
電動式のものも実家にはあるのだが、一気にばりばりとやるのはどうも性に合わない。
2時間ほどかけて、ちょきちょき剪定を進めて、道路に面した部分を終了。
曰く言い難いけれど、剪定はなかなか面白いと思う。
もっとも、素人仕事なので、まずいことをしていなければとも思う。
金木犀では以前、花芽になるはずの枝を全部刈り落としてしまうということをやったことがあるので……。
実家で、珈琲をごちそうになり、甥の作った豚筋の煮込みをもらって帰宅。
夕方まで、本を読む。河野裕子のエッセイ1編と歌集『あなた』の中の『歳月』の抜粋作品。
1年少々の間の作品を掲載したものの精選作品ということになるのだろうが、これについては今まで読んできたものに比べて、少々読み劣りがした。
河野作品の詠いぶりにちょっと慣れてきたというところがあるのだろうか、と思う。
【16年11月15日】
『徒然草全講釈』下巻に入る。有名な「花は盛りにのみみるものかは。」で始まる下巻。
教科書にも良く載っているところだけれど、『徒然草』では、長文の章段のひとつ。
「祭(京都の葵祭のこと)」は、行列のみではなく、そのすべて(祭本体だけでなく、それを見ている人々、あるいはそれをとりまく周辺環境のすべて)を見ることが、「祭」を見ることだという内容は、説得力を持つ。最後は、すべてを収束する無常観の開陳で終わる。
教科書は、全文を載せることは少ないと思うけれど、この章段は全文を読んでこそ、まさに読んだ意味を持つという内容かもしれない。
『唐詩選』は七言絶句に入る。五言絶句を俳句になぞらえてみたけれど、すると七言絶句は短歌ということになるかもしれない。
一句が五文字から七文字に増えることで、情感をより詳細に詠うことが可能になる。五言は短さ故に、表現内容を切りつめることに味わいの一端があったけれど、七言は長い分ゆったりと調べを詠うことが可能になるように思う。
昼前に、市立図書館へ。2冊だけ本を返却し、吉本隆明の評論集と河野裕子の短歌についてのエッセイ集を借りてくる。
図書館には、現代短歌についてはほとんど河野関係の本しか置いていないようだ。
人気があるのだろうと思う。
午後は、読書。
ちょっとだけ昼寝をする。15分くらい休んでいるだけで、頭がすっきりとして、眠気に襲われることがない。
不思議なことだ。
河野のエッセイを読む。短歌が、調べに乗せて情を詠うということが、よく分かる。
吉本隆明の方は、相変わらず難しい。
こちらのレベルをぽんと飛んだ地点から話が始まるので、しどろもどろ状態から、こんなことを語ろうとしているのだろうか、と読みつつ、探りつつ、読む。
夕方、「歩き」。天気が回復していきそうだ。空を見ると、夕景の雲の所々に薄い青空がのぞいて見える。
休憩の時、テレビをちょこっと見るが、ワイドショーは、韓国とトランプの話題だけみたいで、アホらしくて見るのを止める。
外国物なら、無責任にそしてずいぶんのびのびと番組を進行しているみたいに見えてしまう。
もっと、国内のことに目を向けろよ、と思う。
【16年11月13日】
土曜日は、3ヶ月ぶりに丹後「すき句会」。
車で行こうかとも思ったのだけれど、片道200キロ、往復400キロで、しかも帰りは夜道ということもあって、今ひとつ決心がつかないままに、いつもの通り鉄道を選択する。
朝から快晴の天気で、天気が良すぎたのか、大山が靄と逆光で、シルエット状態というのを、車窓に眺めながら、丹後に向かう。
待ち時間を含めて片道5時間。車だと4時間弱ということになる。
車中では、今を盛りの紅葉や、初冬の様相の田畑、さらに時折遠望される日本海などの景色を、ぼんやりと眺めながら過ごす。
豊岡で北近畿丹後鉄道に乗り換える。
蟹のシーズンに入ったせいか、旅行者は多い。その3分の2くらいはアジア(中国かなと思うが)からの団体旅行や家族旅行者が占めている。
今回は、学生さんくらいの若い20人くらいの団体が来ていた。なんとなく、大学のゼミ旅行みたいな雰囲気であった。
京丹後大宮で下車するときも、旅行者はそのまま列車に残っていたので、恐らく天橋立まで行くのだろうな、と思われた。
いつもの西洋料理屋さんで、魚介類の煮込みを食べる。
相変わらず、美味しい。
岩城先生と句会参加者のEさんも、一緒に食事。
Eさんは、結社Uの「U賞」を今回受賞されたという。
入会2年目にしての快挙だと思う。
句会はいつも通り1時から。参加者がちょっと少なくて、投句が1句追加される。
披講後は、いつもの通り、句とその周辺について、会話を交えながら句会が進められる。
今回は、計ったように4時終了。
しばらくの四方山話の後、Nさんに駅まで送っていただく。
岩城先生の手には、庭で育てた里芋が根こそぎ状態で、スーパーの買い物袋に。
近所のMさんの日々の丹精の成果か、里芋には小芋がいくつか付いていた。
5時過ぎの列車に乗る。外はすでに薄暗くなってきている。
天気は良い。東の空に、十三夜月が昇っている。
14日が十五夜の月となり、しかも80数年ぶりの大きさのスーパームーンとなるらしいけれど、天気は今ひとつかもしれない。
車中では、河野裕子の歌集アンソロジーというのか、『あなた』という歌集をずっと読む。
第一歌集から始まって、全歌集の代表歌の抜粋に、「あとがき」、そして家族のエッセイが添えられるという体裁の歌集だった。
たいへん面白い。
10時前、到着。そのまま、車を運転して、帰宅。
過日、句集のお礼と簡単な感想を書き送ったMさんから、葉書が届いていた。
それにしても、帰ってみると、やはり少々疲れている。すぐ、就寝する。
朝方まで目が覚めず。
一旦目を覚ました後、二度寝する。
本日、朝から良い天気。
早速、洗濯。
朝食の後は、モニター番組を1本見て、そのレポート書き。今日は、昼前にもう1本番組を見なければならない。
【16年11月10日】
高曇りの空。朝から、かなり寒い。
「歩き」に出かけて、すぐに大山の標高1000メートル辺りから上が、雪で真っ白になっているのが、目に入った。
立冬を経て、大山は本格的な冬の様相に変わりつつあるようだ。
ともかく、南や東から吹き付けてくる風が冷たくて、身を縮めながら歩く。
寒いせいで、歩き方が早すぎたのか、万歩計が正しくカウントしなくなってしまった。
5000歩程度歩いて、帰宅。
その後は、読書。
『唐詩選』。相変わらず五言絶句がなかなか面白い。前に、五言絶句は俳句の味わいがあると書いたけれど、校注者もまた、感想の中で芭蕉の1句を例に出して、作品の味わいを解説していた。
そうだろうな、と共感の思いで読む。
吉本隆明の評論『マス・メディア論』を読む。文芸雑誌に連載された評論をまとめたもので、1編を読むとちょうど良いくらいの時間になる。
本日は「暗喩論」というところを読む。様々な詩が、全体として現代の暗喩としての表現機能を持つ的な主旨の内容であるように思われた。
サブカル的な表現媒体についても、今から30年ほど前の評論としては、時代に先行する独自の視点が発揮されてあるとの評価を、解説文に見て、なるほどと納得もした。
それにしても、難解な文章である。
『徒然草』は、全注釈の前編がまもなく終わる。現在、教訓的な内容が語られる章段が続き、ちょっと今ひとつというところ。
昼前に、買い物を兼ねて図書館へ。河野裕子の歌集『葦舟』を返却して、同じ作者の歌集『蝉声』『あなた』を借りてくる。『あなた』は、以前一度読んだかもしれない。
醍醐会で短歌の話題を取り上げて以降、ちょっと現代短歌にも興味をひかれ、読んで見ることにしたのだが、現代歌人の歌集は市立図書館にはどうやら河野裕子のものしか置いてないのかもしれない。
もうちょっときちんと検索しないといけないけれど、ともかくこの作者のものをまず借りれるだけ借りて読んでみようと思う。
夕方、辺りが暗くなる頃、少し句作。その後、足りない歩数の分の「歩き」に出る。
帯状疱疹の痛みは、幸いほとんどなくなったので、かなり気楽に歩ける。
神経に直接響く痛みで、長い人は半年、一年と痛みが取れないという人もいるらしく、そうならなかったのがありがたかった。
【16年11月9日】
午後、読書を中断して、BSのアメリカ大統領選挙の放送を見ていた。
なにが起こるか、分からない、というのか、何が起こってもおかしくない。
それくらいに、アメリカも病んでいるのだなと思われた。
大逆転と評されていたけれど、トランプ氏がクリントン氏を破って、次期大統領に選ばれた。
起こりそうもないことが起こった、みたいな論調もあったけれど、それだけの背景が、現在のアメリカにはあったということなのか、と思う。
イギリスのEU離脱の時も、あれ、本当に離脱しちゃうんだー、というような感想を真っ先に持ったりしたのだけれど、今回は、あれ、本当にトランプ氏が大統領になっちゃうんだ……、という思い。
株価は暴落、為替も一気に下落、日本政府もおそらく相当あたふたしたことだろうな、と思う。
TPPは、明日衆議院本会議で通過の予定らしいけれど、どうなることだろうか。
とりあえず、通しておけということになるのか。
NHKのテレビニュースで、久しぶりに元気そうな甘利議員のインタビューが流され、ちゃんと勉強してもらったら、理解してもらえるみたいなことを言っていたけれど、信用置けないし……。
それにしても、果たして、歴史的な出来事を目撃した、ということに、なるのだろうか。
【16年11月8日】
今日は、朝をのぞき、雨降り。
気温もかなり下がっているように感じる。
昨日は、本当に久しぶりに吟行句会に参加する。
場所は、島根県の安来市内、山中にある清水寺(京都にも同じ名前の寺があるが、観光地化した京都に比べると、落ち着いて、ちょっと野趣のある天台宗関係の寺院)へ。
参道の石段脇を流れる小川が印象的で、何十年も前に訪れたことのあるお寺だったけれど、この石段と脇の岩盤上の流れる小川の印象は、鮮烈に残っていた。
寺院の境内の各所にある巨大な杉は、樹齢数百年を経たものだろうと思われるが、大変見応えがあった。
一本は、20メートルほどの落差の石垣の際に立っていて、石垣のふくらみとともに、どうやって根を張り巡らせているのだろうかと、大変危惧と興味とを持った。
本堂からさらに奥まった一段高い所に立派な三重塔があって、目線が下から上へと高まっていくような配置になっていて、それが寺に奥まった幽遠な印象をもたらしてた。
ただ、そこまで登るのは、石段の高さも高かったりして、運動不足気味の状態では、少々大変だった。
とはいえ、さらに塔の裏手から背後の山の頂上の展望台まで細い山道が600メートルほど続いていて、昔取った杵柄で、ついつい上まで登ってしまう。
展望台からの景色は絶品で、伯耆大山をはじめとして、眼下に米子の町から弓ヶ浜、島根半島、さらに目を移動させると安来平野や中海の眺望、さらに松江方面から、先日行った出雲地方の山並みまでがぐるりと見渡せた。
大変よい気分だった。
句会は1時から。参道近くの料理屋さんの2階座敷を借りて行われる。参加者は21名。
7句投句7句選の互選による句会だった。
数句とっていただく。
基本的に机上派なので、吟行はなかなか慣れない。また、句会当日が丁度立冬の日で、参加者の季語の扱いにちょっと混乱があったりもしたようだ。
吟行は当季雑詠なので、季語は冬に該当するするものを使うのが約束事になるので、秋の季語による投句がちょっと目立ったのが気にはなったことだ。
地元句会や今回の句会を通じて、参加者と自分との間の俳句作りの手法の違いというものが、一層明らかになってきたように思われた。
これは、自分にとっては一つの成果であり、収穫でもあると思った。
句会が終わって、現地解散ということになったけれど、一人でもう一度吟行地を歩き直して、句会に出てきた作品やその季語を実地に確認し直すということをおこなった。
参加者がどのような季語を用い、どのような素材を実地で見出したのか、それを再確認することは、自分の句作を考える場合でも、とても有効なことのように思われた。
良い、吟行句会であった。
夕方、帰宅し、一休みしてから、合唱練習に出る。
本日もまた、夕方から連日の合唱練習で、参加前後にこの文章をまとめていたのだが、さすがに二日連続夜出かけるのは、少々疲れる。
ただ、合唱も次第に練習が熱を帯びてきて、ずいぶんと楽しくなってくる。
【16年11月5日】
11月3日、文化の日は、ちょっと遠出する。
出雲で行われた俳句大会に、所属結社の主宰が記念公演でやってくるということもあって、地元に人に誘われて出かけることとなった。
昔なら、出雲まで車で下道を通ればずいぶんと時間がかかったけれど、高速道の山陰道が出雲まで開通して、かなりの時間短縮が可能になった。
高速道路の運転は本当に久しぶりだったが、結構快適に運転することができた。
天気もほぼ快晴状態で大変気分がよかった。
一旦松江で下道に降りて、誘ってくださった方を拾って、一路出雲市へ。
空の広さと、北に連なる島根半島からの低い山並みが、不思議と印象的だった。
その稜線を越えて、鳥が渡ってくると、助手席に座る方に教えていただいた。
大会会場に車を置き、投句だけは済ませて、まだまだ時間があるので、二人で出雲の町の散策に出る。
来る途中にあった高瀬川という名の用水路の端をぶらぶら歩く。
風に吹かれる柳葉が、水路端の風情を一層印象的にしていた。
その高瀬川のたもとに、藍染めで有名な店があり、中でちょうど幟旗の染色をやっておられるところに行き会って、店の中に入れていただき、しばらく作業を見学する。
それは、藍染めの作業ではなかったけれど、作業をやっておられるご主人の背後には、藍瓶が4つ並んで設置されてあって、中に濃い液体がたたえてあるのが覗かれた。
店の奥で、奥様から藍染めについていろいろ紹介を受け、製品などもいくつか見せていただいた。
濃紺の風呂敷が、なかなか素敵だった。
駅まで戻り、施設内の食堂で、昼食に出雲蕎麦を食べる。
蕎麦の実全部を粉にして蕎麦を打つので、色が黒っぽく、香りが高いのが出雲蕎麦の特徴だった。
わりご蕎麦を食べる。大変美味だった。
午後から、俳句大会と講演会。
講演は、句作に資する俳句鑑賞法という内容で、具体的に作品を例に挙げつつ、いくつかのポイントについて、かなり詳細に、しかしわかりやすい言葉で説明される。
聴衆は、高齢者が大半だったけれど、良い話だったとかなり深い感銘を受けておられる様子だった。
その後、投句作品の披講と講評、さらに表彰式。
私は、主宰に1句選んでいただいただけだったが、受賞作品を聴いていると、上手いというだけではなく、この出雲の地に根付いた作品が多いことに改めて気付かされる。
出雲にやって来たのは、今回がほぼ初めてだったのだが、到着したときから、なんとなく心惹かれるものを感じる土地だったので、作品の発表を聴きながら、感銘を受けた。
大会終了後、主宰と少し話もでき、会場を後にする。
帰りも同じ道筋で松江まで帰る。
高速が市内に入ったあたりで、交通事故による渋滞に巻き込まれて、かなり時間をとる。
オートバイの転倒事故のようだ。救急車のサイレンの音も遠く聞いていたので、負傷者がでたようだった。
松江の方を近所まで送り、その後は高速に乗らず、中海を大根島経由で帰る。
距離もそちらの方が短く、時間もそんなにかからず、しかも海を横切る形で走るので景色も良く、さらに一時期CMで評判になった「べた踏み坂」を越えて帰る道筋で、こちらも気分良く車を運転して帰る。
本日は土曜日。フリーに過ごす一日。
懸案の出窓の錆落としと錆止めのペンキ塗りを行う。
天気は、今日も快晴。小春日和の11月が始まった、というところか。
明後日には、出雲に誘ってくださった方のお誘いで、安来の清水寺のほうに吟行句会で出かけることになった。
本格的な吟行は、久しぶりのことである。
【16年11月4日】
のどかに俳句のことを書こうと思ったら、TPP特別委員会で強行採決。
維新も賛成で、与党の強行採決という色合いを薄めたけれど、維新も完全に与党の補完政党化している。
第二の公明党だが、政権与党的でない分、公明党よりも質が悪い。
それにしても、穏便に採決を進めようと与党と民進党が話を決めた直後、例の山本農相が馬鹿な発言が発覚して、それをぶちこわしにしてしまった。
今回の馬鹿げた混乱は、すべて山本農相の軽薄な発言にある。
これだけ、政治を混乱させたのだから、当然大臣として責任をとるべきと思ったら、お詫びのひとことで、すべてが済まされてしまった。
閣僚といえども、どんな軽薄な発言を繰り返しても、一言侘びれば許されるという、そんなお気楽な状況にまで日本の政治は進化しているらしい。
もう何でもあり、ということかもしれない。
閣僚の言葉のいかに軽くなりおおせてしまったか、ということの典型事例であろう。
安倍総理のお友達ということで、首にもならずに済んでしまったようだ。
持つべき者は、お友達ということであろうか。
お友達で混乱しているといえば韓国だけれど、日本も政治の質でいえば似たり寄ったりなのかもしれない、と思う。
【16年11月1日】
日・月と京都行き。
日曜日は、勉強会。歌人で結社「塔」主宰の吉川宏志氏を迎え、現代短歌についてのお話を聞く。
短歌に関する鑑賞や解釈に関わる問題から始めて、現在歌壇で問題にされているいくつかの点についての紹介・解説があり、短歌に対する一定の視点や視野を与えられたような思いになった。
吉川氏による50人の歌人の近作歌集から2首づつ引用しての作品紹介も、読み応えのある現代短歌アンソロジーとして、普段あまりなじみのない現代短歌について、ずいぶん認識を新たにさせられた思いだった。
たいへん内容の濃い勉強会で、満足した。
二次会の酒席でも、いつも以上に活発なやり取りが展開されて、もう少し短歌について勉強してみたいような思いにかられた。
大変刺激的な今回の集まりであった。
夜は、知人のマンションにお世話になり、軽くお酒をいただきながら、近況などを報告しあう。
彼は、来年とうとう職を辞するということで、そんなことも話題にあがったりもした。
翌日、引き上げる準備をしていると、携帯がかかり、昨夜同じ勉強会に参加していた川柳のHさんから、時間があるのでちょっとお茶しないかと誘いの電話があった。
ひさしぶりに会で再会したこともあり、喜んで出かける。
京都駅で待ち合わせて、1時間半ほど、おしゃれな喫茶店でいろいろ話をする。
昨日の勉強会については、Hさんも大満足の様子で、3次会まで付き合って、参加者といろいろ話を重ねていたそうだ。
12時過ぎのバスで、帰宅の途に。
車中では、半分外の風景を眺め、半分吉本隆明の評論集を読んで過ごす。
若い頃の評論なのだろうか、問題意識のありようについて把握するのが難しく、表現もずいぶん難解で、読むのに難渋する。
夕方、帰宅する。
夕食後、やっぱりちょっと疲れていたのか、早々に休む。
とうとう11月に入った。
今日は、曇りときどき雨。
録画してあったモニター番組を1本見て、そのままレポート記入に移る。
お米に関わる内容で、番組の本筋からちょっとはずれて、食料自給の問題やTPPのことを考えたりもする。
食料自給率がずいぶん低い日本の中で、最終的に国民の飢えに対応できるものはやはり米であると改めて思う(芋類もあるのかもしれないけれど、飢えを満たす救国的な作物という発想では栽培されていないだろう)。
飢えなどと大げさなことを書いたようだけれど、食糧自給率の低い日本は、多くを輸入に頼っているけれど、温暖化の進行による同時多発的な(テロみたいだけれど)気候異常や天候不全の結果、外国の産地からの輸入が困難になれば、「飢え」の問題は現実的な危機として急浮上するだろうことは、素人が考えても現実味のある問題のように思われる。
かつて、天候不順によるタイ米輸入の際、ばたついた日本の様子を実見したものとしては、それとははるかに規模の違う世界レベルでの天候不順やそれにともなう農産物の生産不全状況という危機は絵空事のものとは思えない。
農業の足腰の強化というものは本当に大切なことだと思うし、輸出を念頭に置いた商品作物やブランド畜産の育成も必要なことかもしれないけれど、そればかりに血道を上げるようなバランスの崩れた施策が行われるようなことにでもなれば、商品作物の輸出で金は稼げるけれど、国民は主食について飢えに近い状態で過ごすはめになるというどこかの小国家のほとんど喜劇のような悲劇の二の舞にもなりかねない。
「パンがなければケーキを食べればいい」的な歪んだ発想に(この有名な言葉も、喧伝する解釈とは別の解釈があると主張する人もいるらしいけれど)陥ったら、ずいぶん悲惨なことになるのではないかと思われる。
特に、貧富の格差拡大が進行する社会の中では、ちょっと恐いなとも思われる。