日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【16年12月31日】
大晦日、である。
朝は、寒い。
そんな状況ではあったが、とりあえず、朝風呂に入る。
入浴後、そのまま風炉掃除に取りかかる。
同時進行的に、洗濯。
天気は良いので、洗濯日和ではあるが、気温が低いので、どの程度乾くかはちょっとわからない。
風呂を洗い終わって、一休み。
今日は、ふき掃除の日。
一番の難敵である台所から取りかかる。換気扇から始まって、隅から隅まで磨き上げる。
風呂掃除の余波が残っていて、軽快に作業をこなすが、間に洗濯干しを入れたりしているうちに、昼近くまで時間がかかってしまう。
昼の買い物に出て、その後一休み。
午後からは、玄関を筆頭として、各部屋のふき掃除、さらに窓ガラス磨きと作業は続く。
その間にも、今年最後のモニター視聴があり、1時間ほどそちらに時間を使い、ふき掃除が終了(というより、力尽きた感じではあるが)したのは、日が西に傾く頃であった。
夜は、実家で年越し蕎麦をごちそうになるので、それまでにということで、モニター番組のレポートを書く。
今年最後ということで、力を入れて書いていたら、原稿用紙5枚分くらいの分量になってしまった。
最低六百字という条件をクリアすれば、その後の字数は自由なので、このまま送ることにする。
とりあえず、時間が来たので、実家へ。
鴨肉入りの蕎麦を食べる。これはこれで、味わいがあって、美味であった。
紅白をしばらく見てから、帰宅。
レポートの推敲をして、送信。
これで、今年のなすべきことはすべて終了したようなものだ。
年越しまで起きているのは、少々辛いので、もうさっさと寝てしまおうか、とも思う。
まあ、起きているだろうけれど。
そう言えば、昼間、年賀状が二通配達先不明で返ってきた。なんとなく、妙な気分ではある。
住所自体は、昨年同様なので、架空の住所というわけではない。
何故、配達先が不明ってわかったのだろうか……。
配達以前に、住所と居住人の情報とが、局段階で照らし合わされたりするのだろうか……。
謎を残しつつ、今年が終わろうとしている。


【16年12月30日】
今年も、残るところ二日となってしまった。
本当に、1年が過ぎるのが早いと思う。
今日、明日で大掃除を終えようと考えているので、本日は整理を中心に片付けを行う。
今年最後の可燃ゴミ収集の日でもあるので、とにかく燃えるゴミ関係をまず処理し、その後、家のあちらこちらに積み上げられてある本とか、資料とかを、在るべき場所に一旦戻すという作業を行う。
これが意外と時間がかかり、結局午前、午後とまたがっての作業となってしまう。
途中、昼前に実家に顔出しをして、正月用の餅つき(もちろん、餅つき器によるものだけれど)。その後、できたての餅を餡餅やら、あべかわ風やら、大根おろしやらで食べる。
今年は、餅米が県産米で質がよかったせいか、ものすごく伸びる餅で、味も大変美味しかった。
特に、大根おろしとの取り合わせが、良かった。
大根がずいぶん甘かったのも、お餅に合っていたようだった。
家族皆で、美味しい美味しいとできたての餅を食べ、さらに食後の珈琲をのんびりと飲んで、それから帰宅。
午後の片付けに入る。
夕方、気分転換を兼ねて、「歩き」に出る。
午前中は、時折小雨がぱらつくような天気だったが、午後からは回復して、「歩き」出した頃は、西に傾き気味の太陽がずいぶん暖かく感じられた。
天気が回復したせいで、雲の様子が多彩な感じになって、夕焼けがこの時期には珍しく、大変きれいに眺められた。
明日の大晦日は、結構天気が良さそうだ。
正月三が日も暖かい日が続くということで、大変ありがたい。
帰宅後、注連飾りを玄関に飾りつける。注連縄の「一夜飾り」は良くないという俗信があるのだけれど、単純にそれを信じているということだ。
とはいえ、歩いている途中、結構多くの家で、注連縄をすでに飾っていたので、その俗信はこの地域ではまだまだ生きているらしい。
夕食後、ついでにということで、家中掃除機をかける。
普段は、実家からもらったお掃除ロボットを使って掃除することが多いのだけれど、やはり掃除機を丹念にかけるに越したことはないのかもしれない、と取れた埃の量を眺めながら思う。
本日の作業は終了として、テレビをつけるが、歌とかボクシングとか、バラエティとかで面白くないので消して、ふと年末ということなので「第九」を聴くことにする。
昨年、地元で唱った「第九」のCDがあるので、それを聴くことにする。
プロの演奏ではないから、細かい部分では危なっかしいところが多々あるけれど、熱量の高さで、一気に演奏し、唱い上げてしまった、という感じが(自画自賛ながら)聴いていて気持ちよかった。
京都にいた頃は、ほぼ25年間ほど毎年年末近い時期に、京響の演奏で「第九」を唱って来たことが、遠い夢のようだった。
職場で知り合った同僚の懇親会みたいなところもあって、演奏会に来てくれた人達とのその後の飲み会が毎回楽しみだったことも思い出したりしたものだ。
ちょっと昔の思い出にひたったりするのも、また年末らしいことなのかもしれない。
明日は、大掃除第二弾。家中の拭き掃除と、台所とトイレの清掃が待っている。


【16年12月29日】
結社投稿用の作品10句を整理する。
うち、5句は本日作ったもの。
「数え日」という季語(今年もあと数日、という気分のあふれる季語だけれど)で統一して作る。
ちょっといまひとつの作があって、そのまま投函したことが、なんとも胸に引っかかってしまっている。
年末に、悔いをひとつ残してしまったような気分だ。
『唐詩選』『徒然草』と午前中に読んで、その後実家の正月用買い物の手伝いに行く。
餅米やらお節の材料やらを買って帰る。
大晦日から年始にかけては、いろいろお世話になるので、そのぐらいのお手伝いはやって当然、というところだ。
地元産の野菜などを扱っている、比較的値段も安い店では、レジの前にずらずらっと行列が並んでいて、さすが年末という有様であった。
氷雨のせいというわけでもないだろうけれど、今日は一日、身体の芯が冷え込むようなそんな天気だった。
暖房は、朝しか使わなかったけれど、室内で手袋をつけて本を読んでいた。
手とか足とかが、冷えてくる。
午後も、高橋源一郎の『虹……』と永田耕衣の句集を読む。
高橋の作は、依然としてよく分からないけれど、しかしつい読みすすんでしまう、奇妙な力を持っている。
永田耕衣はなんとなく胡散臭いようなところがあるようで、いまひとつ作品が信用できないような思いを持っていたのだが、改めて母の句など読み直すうちに、そうでもないかなという思いに変わってきたようだ。

以前から、なぜこの人を防衛大臣にしたのか、総理の真意が理解できなかったけれど、あらためてこの人は大臣としてダメなのではないか、と思われた。
昨日、総理とともにハワイから帰ってきた、まさに今日、例の通り「公人としての私が、私人として参拝」という相変わらずわけのわからない(ほとんど言葉遊びのような)立場で、靖国に参拝した。
参拝したければ、勝手に参拝すればよいとは思うけれど(一般人ならば、という条件つきだけれど)、昨日の今日の参拝が、近隣諸国に対して、真珠湾に続いて火に油を注ぐような行動であるということは、普通に考えるまでもなく当然思い当たることだろう。
当然、韓国・中国からは批判的な言辞が発せられた。
けれど、さらに当事国だったアメリカの報道の中にも、今日の防衛大臣の行動は「昨日の歴史的な和解を台無しにするものだ」との批評が出たのは、おそらく想定外ではなかったかと思う。
ましてや、今回の真珠湾訪問がが次期大統領トランプの今後の出方をうかがう繊細な探針のようなものであり、当のトランプが恐らく意図的に真珠湾に対して態度を表明していないと言う微妙な状態(さらに言えば、トランプが真珠湾でのパフォーマンスに対して否定的な態度に出るか、好意的な態度を表明するかは、今後の日米軍事同盟に大きな意味を持つであろうに、)のその時に、その緊張状態を土足で踏み渡るような防衛大臣の無邪気というのか、大胆というのか、無神経というのか、その行動ってのは、ちょっと常識では考えられないように思われる。安倍総理が、この防衛大臣の靖国参拝に対するマスコミの質問に対して、明確に「ノーコメント」と発するのは、安倍総理にしてみれば珍しいマスコミ対応のように思われる。あるいは、内心腹立たしい思いを隠していたのかもしれない、と思う。自らの秘蔵っ子の、情勢をわきまえない行動は、庇う言葉を失わせたのだろうか。
自衛官の中には、この大臣を頼りないと思っている人達がいることを仄聞する。
本当に、この人に日本の平和と安全を託してよいのだろうか、と個人的にはかなり疑問を感じている。


【16年12月28日】
寒い一日。
午前中は、時折雪やあられがぱらつく。
午後は、日差しもあったけれど、最高気温は6度台であったようだ。
朝のうちに、結社への投句をまとめ、雨の止み間に投函。明日は、もう一つの方をまとめなければならない。
その後、昼前まで読書。
一休みを兼ねて実家へ。母の年賀状作りを手伝う。
昼食後、買い物へ。注連飾りや鏡餅、掃除用具などを買いに行く。
その後、少し読書。高橋源一郎の『虹のかなたに』を読み始める。異様な言葉の構造に幻惑されているような気分で読む。
しかし、それがある種の快感になってくるようで、読み終わったら、妙に頭が活性化しているような気分になる。
夕方、庭掃除。とはいえ、完全に散り落ちた紅葉の葉っぱを、地面にスコップであちらこちらに穴を掘って埋める。腐葉土にするつもりである。
前の住人も、庭に地味をつけようとしたらしく、やたら貝殻や、たまに鶏の脚の骨などが出てくる。
これらが土中で分解されるには、相当の時間が必要ではないか、と思われる。
河野裕子と永田和宏の『たとえば君』読了。両歌人のエッセイと短歌が収載されてある。
河野裕子の発病と闘病、そしてその死を、夫の永田和宏が淡々とした筆致で語るところが読んでいて身にこたえた。

ハワイでの安倍総理とオバマ大統領の政治的パフォーマンス。
賞賛の声も多かったみたいだ。両者ともに、所期の思いは達成されたのかもしれない。
江戸の敵を長崎でではないけれど、ロシアの敵を真珠湾でという事情も一方にはあるのかもしれないけれど。
その鋭いバランス感覚は賞賛に値すると思う。
しかし、そこで語られたことは結局、恒久平和ということではなく、言葉を変えた日米軍事同盟の強化ということだったようだ。
第二次大戦を終えて、アメリカから学んだ自由と民主主義を弱体化し、その精神の発露である現行憲法を「アメリカ産」として否定し、その上で軍事力で結びつこうとする姿は、少々?であった。
我々がアメリカから救われたのは、食い物だけではなかったなあ、とは思う。その精神も含めて、物心ともに命の恩人的なところは確かにかつてのアメリカにはあったのだろう、と脱脂粉乳の記憶の残るわが身としても思う。
それにしても、美しい言葉で、穏やかで平和な日曜日のハワイの家族の姿を描きつつも、それを蹂躙したのは実は当の日本人だった、ということにまるで触れようともしないスピーチは、少々?ではあった。
広島・長崎で非戦闘員である一般市民の生活や命を根こぎにした行為に対してはスルーする形で、慰霊の旅を終えた人もいたけれど。
どちらも、本当に痛い部分はお互いそっと触れないようにして、その上で時間の忘却作用の上に乗っかって、改めて盟約を確かめ合う。
美しくも、大人の(政治家の)対応であるな、と感心もしたことだ。
長期政権ということもあるのだろうけれど、現在安倍総理以上の力量を持つ政治家は、残念ながら他にはいないのかもしれない、と改めて思う。
各種の世論調査による安倍政権支持の最大の理由が、他に適当な人物がいないから、というのは正に国民の実感の反映なのであろうと思われる。


【16年12月27日】
本日、精密検査。
9年前、人間ドックの再検査にひっかかり、ほぼ200分の1の確率の病変に大当たりして、入院・手術。
その後、半年間にわたる8時間毎の薬服用、さらに、5年間の経過観察の後、再発なしとの判断で、過ごしてきた4年後、ふたたび今年の人間ドックでの同じ理由での精密検査の判断が出る。
国立病院に検査の受診に行き、ほぼ1ヶ月半の待ち時間の後(それほど、精密検査にひっかかった人は多かったのだろう)、本日検査。
5時に起床し、五時半に薬を服用、6時から2時間にわたり腸内洗浄の薬物を2リットル飲んで、中をきれいにして、病院へ車で送ってもらう。
受付後、すぐに検査が始まり、検査自体は担当医の腕前の良さなのか、ほとんど苦痛もなく、30分足らずで終わる。
その場でも、注意すべき点を指摘されたけれど、おおむね異常なしとの診断を受け、その後改めて、正式な診断で、とりあえず3年後に改めて気になる部分の再検査を行うとの判断が出る。
人間ドックで再検査の結果がでて以降、この一ヶ月半は、心のどこかに重たいものを抱えながら、毎日を過ごしてきたけれど、本日の診断で、その重荷がとりあえず取り除かれる。
来年に向けての、いくつかの取り組みをそのまま遂行することができるのが、まずありがたい。
実家の方には、病院への送迎を任せて、姪や弟の奥さんに面倒をかけてしまった。
検査後、実家に寄って、母に今日の結果を伝え安心させて、その後帰宅。
昨夜は、十分眠れなかったせいか、早い昼食をとって後、そのまま昼寝。
2時間くらいうとうとして、それから起きて、しばらくぼんやりと過ごす。
夕方、買い物に出る。
外は、冷たい雨が、しかもそうとう強い降りになっている。明日は、雪もよいの天気になるらしい。
帰宅後、夕食前に軽くお酒を飲む。
1月中に1本文章を書かなければならない。そのための資料をネットから集める。
こんな時、ネットはありがたいと思う。
半日ぼけっとした状態が、なんとか先に進もうという思いに切り替わる。
それにしても、少々疲れた。


【16年12月25日】
クリスマス。とはいえ、朝から、大騒動だった。
なんとか落ち着いたのは昼前。
ほんとうに驚いた。
しかし、大過なくて何よりではあった。
今日は、終日、好天。
洗濯をして、布団や毛布を半日太陽に当てて、今夜は快眠をむさぼろうか、と思う。
年賀状の印刷も、なんとか終了。
プリンターのインクの具合がいまひとつで、新たにインクを買いに行くはめになった。
高い純正品は買えないので、リサイクルインクを購入。
その表示が、今ひとつ分かりにくくて、売り場でうろうろする。
インク、純正インクって、ちょっと高すぎるのではないか、と思う。プリンターを人質に取られているような感覚だ。
久しぶりにモニターを1本。
今年は、大晦日にあと1本書いて、終了。
貴重な現金収入だ。
今月は、いつになく本数が多いのがありがたい。
現金収入といえば、市内の金券ショップで図書カードを売る。結構な金額になったので、それで年賀状をまとめて購入する。
52円が、1枚49円で販売している。購入枚数が結構多いので、それなりに割引感がある。
なんとなく、ばたばたしているうちに、一日一日と、今年が終わりに近づいていく。
心落ち着かないような気分ではある。
まるっきり、クリスマスらしくはないけれど……。


【16年12月24日】
今日は、クリスマス前日ということだけれど、外は朝から冷たい雨が降っている(そんな風な歌もあったような気がするけれど)。
さすがに、ちょっと寒い。
午後からは、地元の句会。今年度最後の句会ということになる。
句は、まだ作っていない。
糸魚川の大火は、ほんとうに驚いた。
阪神大震災の画像をテレビで初めて見たときのことをすぐに思い出していた。
街が燃えている、という衝撃的な画面だった。
母などは、空襲の時を思い出したという。
東京大空襲の記憶だ。
澁谷でのことだったそうだが、四方が炎に囲まれた記憶ということだった。
今回の糸魚川の大火災は、幸い死者がでなかったそうだが、古い町並みということで、普段から地域の防災の意識は高かったらしい。
小さな不注意が、大きな災害につながった。十分、心したいことだと思った。


【16年12月23日】
今日は、天皇誕生日。
今の天皇に対して、私は共感と尊敬の思いを持っている。
象徴天皇としての立場をわきまえた上で、さらに一歩国民の思いや状況に寄り添い立つその姿勢や行動は、賞賛に値すると思う。
現行憲法の体現者として、その高い意識と行動をとても評価するものだ。
現行憲法を変更し、明治時代のように天皇を元首としてあがめつつ政治に利用しようとする、日本会議のメンバーが大半である現在の内閣にとっては、そんな天皇の姿は、おそらく目障りなものとしてしか映らないだろうことは、普通に考えて推察できることだ。
現在も残る差別の根源に天皇制を置くという認識の人々もいることは知ってはいるけれど、しかし今のような状況の中で、現行憲法の理念を保持し、権力の横暴を阻止し、国民の人権と自由を守る、現在の民主主義の最後の砦はあるいは現在(そして次代の)天皇である、ということもおそらくひとつの真実ではないか、と個人的には思っている。
もちろん、天皇が政治に関与することは厳しく戒められていることだけれど、現行憲法の崇高な理念の体現者として、天皇の存在は大きな意味を持つだろうと、個人的には思う。
本日の天皇誕生日。心からお祝いしたい。
そして、美しい日本の再生と言いつつも、博打によって国を経営しようとする浅ましい心根を日本に持ち込もうとする政治に対して、大半の国民が異を唱える状況について、国民の真の幸福と言う点でそれは現天皇自身の思いに重なっていくものだろうと、これも個人的に考えていることだ。


【16年12月21日】


庭の山茶花と、実家からおすそ分けしてもらった柚。
どちらも、季節のもの。
特に、今日は「冬至」ということで、早速「ゆず湯」につかろうか、と思っている。
それにしても、「冬至」とはいえ、外は快晴で、そのうえずいぶん暖かい。
これはこれで大変ありがたいのだけれど、「季節らしくなくて、ちょっと気持ち悪いですね」というのは、お隣さんの言葉。確かに、と思う。
昨日も、曇りのはずが良い天気で、昼から気分転換を兼ねて歩きに出かける。
その帰り道、県内大手の某出版社の前を通りかかると、リサイクル業者らしいトラックの荷台にきれいな本が満載状態で運び出されようとしていた。
どうやら倉庫の在庫整理という様子で、売れ残った書籍を処分しようとしていたところらしい。
ちょっとずーずーしかったかもしれないけれど、処分されるなら頂けませんか、と声をかけると、かまわないとの返事だったので、各1冊ずつ写真集と漫画王国(鳥取県は実は「漫画王国」という一面を持っているのだ)関係の出版物と民話本をいただく。
全くの新品で、とてもうれしかったけれど、印刷所の方に目撃されると、おそらくあまりよい顔はされないだろうし、業者の方にも迷惑をかけるかもしれないので、お礼もそこそこに帰ってきた。
こんな立派な本が、リサイクルペーパーとして処理されるということは、少々複雑な気分ではあった。
在職時代、廃校にともなって、図書館の多くの書籍が廃棄されるということも目撃してきたので、「無惨」な思いも感じていた。
本日は、午前中、定期検診で通院。朝食抜きでの検査だったので、腹ぺこ状態で帰宅。
結果は悪くなかったので、良しとしよう。

例の「オスプレイ」は安全だと言われながら、実際には近年事故率は軍全体の平均値を超えているということが明らかになったらしい。
にもかかわらず、肝心の防衛庁は古い記録を依然としてHPに掲載して、更新するつもりもないらしい。
危険な面もあるけれど、防衛上必要、と事実を上げつつ、説明・説得しようとするならいざしらず。
臭いものに蓋という態度には、あきれる。


【16年12月19日】
終日、好天で暖かい一日。
夜に入っても、室温は15度を保っている。
こんな状態が続けば、冬も快適に過ごせるだろうけれど、明日からは天気は下り坂に入るようだ。とはいえ、気温は高めのようで、曇りや雨の日がしばらく続くらしい。
雪にならない分、ありがたいことかもしれない。
とはいえ、大山のスキー場開きは23日なので、せっかく先日の寒気侵入で積もった雪が、おそらく融けてしまうことだろうと思う。
今日は、午前中はいつも通り。午後からは、母の運転手を兼ねてクロマチックハーモニカのコンサートに出かける。
全国レベルのコンクールで優勝等を果たしている坂上親子の演奏会だった。
以前、母もハーモニカを直接教わっていたことがあり、そんな関係もあって、出かけることになった。
2時間余りのコンサート。
ホールコンサートではあったけれど、聴衆は200人以上あったようで満員状態の中、ソロの、あるいは父娘共演のデュエット演奏をたっぷりと楽しむことができた。
ただ、ちょっとピアノ伴奏の音が大きかったような……。
ハーモニカにピアノの伴奏は、相性がよくないかもしれない。
夕方、帰宅。
何となく、コンサートの余韻を楽しんでいるような気分である。
それにしても、結構色々面白そうな人達が地元にもおられるものだと、改めて思ったことだ。


【16年12月17日】
朝方、ひどく寒かった。6時前には目を覚ましていたのだが、結局布団から出たのは、7時過ぎだった。
外は、朝日が昇ったばかりらしくて、青空があちらこちらに望まれた。
土曜日はフリーの日なので、朝食後、防寒の準備を万全にして、1時間半ほどゆっくりと歩く。
大山が、ずいぶん麓の方まで雪で白くなっていた。西からの風が、冷たかった。
日本海の見える辺りまであるいて、松林の向こうに白波を立てている海を眺めてから、住宅街を引き返す。
金利が低いせいか、ぽつりぽつりと新築の家が立ちつつあるのを見る。雑木林みたいだったところが、きれいに整地され、区割りまでされて売りに出ているところも、何カ所かあるようだ。
帰宅後、少し本を読む。
高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』は読了する。大変面白かった。何が面白いのかと問われたら、ちょっと返答に困るけれど、実に多彩な内容だったといえそうだ。
解説者は、作者の安保とその後みたいなところでの個人的経験の反映(それも並み一通りのやり方ではない形での反映)を、テーマ的なものとして上げていたような気がするけれど、果たしてそうなのかどうなのか、判断はつかなかった。
ただ、たとえば多彩な内容というか、エピソードのひとつが筒井康隆の『虚人たち』的な世界であったりとか(言葉が比喩という形ではなく、「もの」についてのある種のリアルなイメージを描き出し、そのイメージがありうべきストーリー紡ぎ出していく、みたいな)、かなり吾妻ひでおの不条理漫画的な部分があったりと、そんなことを感じたりはしたものだ。これは、もうちょっと読んで見たい作家だな、と思った。
とはいえ、この人が今現在も、読まれている作家なのかどうかは、ちょっと分からない。図書館にも作品が置いてあるのだろうか……。
午後も、引き続き、河野裕子のエッセイを読み、「日本派」の俳人石井露月の句集を読んだりして過ごす。
露月の作品を読んでいると、当時の月並み派の(言い換えると世間一般の)俳人達は、きっと日常生活の断片みたいな風情も情感も俳味もない、味も素っ気もないと感じられる作品に対して、批判たらたら不満たらたらな思いにきっとなったことだろうな、と思われる(実際には作品を読みもしなかったろうけれど)。本当は、その新味という点からいえば、明らかに露月の作品の方が面白いと思うのだけれど、時代の大勢の中からは、完全にはずれていたのだろうな、と思われた。
ちょっと見方を変えれば、たとえば露月にとっては、素の自分というもの、そのありようこそ俳句に詠うに値する意味や価値がある、という無条件の矜持に近い思いがあったのだろうか、などとも思ったものだった。
夜に入って、また気温が下がってきたようだ。今日は、ひさしぶりに日本酒を熱燗でちょっと飲む。
少々、甘口であったか。いまひとつだった。


【16年12月16日】
安倍・プーチン会談終了。
平和条約への一歩ということらしいけれど、結局は経済的な支援や経済交流をとりあえず約束させられただけ、というところ。
その「一歩」の先行きが、まるで見えない状態で、今後一体どれほどの期間、どれほどの経済的支援を(上乗せ)することになるのか。
この先のロードマップがまるで示されていない。領土問題について、一体今回の会談にどれほどの意味があったのか、疑問に思わざるを得ない。
元島民の心情に配慮するみたいな姿勢をテレビでは見せていたが、そんな人情論はプーチンを相手に、国際政治上では通用しないだろうな、国内の民心の慰撫にすぎないだろうな、と思われる。
それに、元島民の方達の年齢のことを言うのならば、同じくらいの熱心さで、北朝鮮の拉致問題に半歩でも一歩でも前進を見せてみろ、と言いたくなってくる。


【16年12月13日】
吉本隆明対談集をなんとか読み終えて、図書館に返却。
続いて、対談の中に出てきた高橋源一郎の小説『さようなら。ギャングたち』を借りてきて、早速少し読む。
対談の中で、吉本が高く評価していた4作品のひとつだった。
最初の方を少し読んでみて、確かに詩でも散文詩でもない、小説的な感触の作品であるという感触は感じることが出来た。
稲垣足穂の『一千一秒物語』にちょっと似ているかなとも思ったけれど、詩的な度合いが稲垣の方がずいぶん高く、やはり本質的に違う作品なのだろうな、と思った。
読んで面白いか、といえば、微妙なところ。
最後まで読み切る自信はないけれど、もう少しつきあってみようかと思う。
とはいえ、これ自体がすでに20年以上まえの文学的状況の中から生まれた作品で、果たして今に通用する部分があるのか、よく分からなかった。
吉本は、サブカルチャーや漫画、歌詞などに文化の新しい方向を探るという評論活動も試みていたので、その方向性の中での高橋源一郎評価というところがあったのだろうか、などと思ったりもした。
一日、雨。
とはいえ、気温は10度を上回っていたので、さほど寒いとも感じなかった。
暖房も使わず。一桁台の気温でなければ、普通に過ごすことができそうだ。
明日は、その気温一桁台の一日になりそうだけれど。
悪くすると、平地でも小雪ぐらい降るかもしれない。
さすがに指先は冷たいので、手袋くらい準備した方がよいかもしれない。
株価、為替ともに絶好調のようだ。
その好調の根拠がどの辺りにあるのかは、よく分からない。
カジノ法案は、委員会の決を経ずして通過することになるのだろう。異例なことらしいけれど、もうなにも感じないのではないか、と思われる。
博打が成長戦略の要とは。「美しい日本」は、この先一体どこへ向かうのだろう。
もっとも、晩年の吉本隆明なら、こんな状況もあるべき姿として容認したかもしれないけれども……。


【16年12月12日】
大西巨人と吉本隆明の対談を読む。
あくまで古いタイプの文学者という風格の大西と時代の先端を探ろうとする評論家としての吉本とのすれ違いが、かえって両方の個性を際だたせていて、面白かった。対談の中に大西巨人の息子の赤人のことが出てきた。
彼は、私が学生時代に、学生作家として注目をあびた人物だった。ショートショット的な物語が、独特の感性があって面白かったような覚えがある。
確か血友病を患っていたと思う。身体的なハンデを背負いながら、作家として活動している姿は印象的であったような記憶がある。
すでに50年近く前のことだ。
今日は一日天気が保った。
おかげで、洗濯。夕方近くまで戸外で干して、それでもちょっと乾ききらないような状態だった。気温が低いせいなのだろうと思う。
高曇りの一日、大山は5合目くらいまで雪で白くなっていた。
曇っている分だけ、山のいろが深い藍色をおびて、雪の白とのコントラストが深みが感じられ、かなり渋いという印象であった。
日ごとに冬が押し進んでいくということなのだろうと思う。
ネックなんとかという(きっとそんな名前なのだろうと思う)首周りの暖かい毛糸の筒みたいなものを愛用している。
実家からプレゼントしてもらったもの。
あるとないとでは、暖かさが全然違う。今冬の愛用品になることだろうと思う。
これをつけて、夕方1時間ほど歩く。
さすがに途中から暑くなって、脱いでポケットの中に押し込んで歩く。
耕作放棄地が転々とある辺りを歩くので、冬枯れが一層すさまじく感じられる。
葱畑と、もじゃもじゃの緑の人参畑に心を慰められるような思いになる。


【16年12月11日】
朝から冷たい雨が降ったり、止んだりという様子。
気温は低い。
朝は遅くまで布団の中。8時くらいになって起床する。
軽く朝食をとってから、早速モニターを1本仕上げる。一服して、さらに番組を1本見て、そのままレポートをまとめる。
本日は2本仕上げる。これで2000円ということになる。
午前中は、それでおしまい。
実家の買い物を兼ねて、車で大型小売店まで。
頼まれていた野菜を買うが、さすがにトマトは高くで買うことをやめる。
地元野菜の売り場で、別の野菜を物色していたら、そこに野菜を出している農家の人がサツマイモを見ているこちらの様子をみて、話しかけてこられる。
売り台から引き上げた分を安くしてあげようか、ということだったのだが、ものが大きすぎて買えなかった。その後、野菜の話などを少ししていたら、別の店で安く買うことができると紹介してくれた(内緒だけど、ということだったが)。近所なのだけれど、まるで知らない店だったので、この際教えられたとおり行ってみることにした。
大型店での買い物を終え、教えられたところへ。小さな店だったけれど、野菜直販の看板を出した店舗だった。
あいにく、今日はトマトが売り切れてしまったとのことで、何も買わずということになってしまったが、確かに店内の野菜類は、大型店に比べて安かった。
明日はトマトが入るということで(教えてくれた人によると、高齢だけれどトマト栽培の専門家がこの店に卸しているらしい)、面白そうなので、明日様子を見に来てみようかと思う。
昨日の丹後「すき句会」は、面白い作品が多くて、選をするのが大変だったけれど、楽しい句会になった。宿題は「冬きたりなば」というフレーズを詠み込んだ1句、当日題は「酒の粕」、さらに途中で急に霰が降り出したので「初霰」を追加して、全8句投句8句選となった。2時過ぎから4時過ぎまでの句会で、結構色々話題が広がったものになった。
句会が終わり、早めに駅まで送っていただいて、暖かい待合室で、列車が来るまで岩城先生と四方山話。
来月の初句会(もう本当にそんな時期なのだった)は月末で、その句会に参加したら、そのまま京都に移動して、翌日の俳句の勉強会に参加をすることになった。
楽しみなことである。
帰りの列車の中では、河野裕子の『うた歳時記』を読む。
そういえば、車中で床におちている切符を見つけて、車掌に届ける。
近所に坐っている人達にも念のために確認してみたが、誰もこころあたりがなさそうだった。
途中で、車内放送が2度ほど入ったけれど、終着駅までにはたして落とし主が見つかったかどうかは分からない。
ただ、あとになって気が付いたのだが、沿線の大半の駅は無人なので、切符を落としたとしても、さほど改札で困ることにはならなかったのかもしれない。
地方のローカル線ならでは、ということになるのだろうか。
T駅で本日の17時40分に購入した840円の切符だったから、自ずと下車駅も判明するとは思うのだけれど。
待ち時間も含めて、片道5時間の行程だけれど、たまにそんなこともあったりして結構時間の経過が気にならない。
慣れてしまったのだろうと思う。
それにしても、冬至を経て、昼の時間が長くなる頃に、また車で丹後まで出かけてみようと思う。
岩城先生からいただいた本が、段ボール3箱分丹後のお宅に置きっぱなしになっているので、それを運ばなければならない。


【16年12月10日】
先ほど、丹後から帰宅。
列車がやや遅れた。
丹後は、晴れたり、曇ったり、突然霰が降ってきたりの、多彩な空模様だった。
句会の部屋は、ストーブをつけっぱなし状態で、外はかなり寒かった。
とりあえず、楽しい一日だった。
今日は、これまで。
もう、寝るつもり。


【16年12月7日】
こちらの手続き上のミスで、某国営放送のモニターに応募できなかった。
もし通過すれば、1月12本のレポートで15000円という報酬であったのだが、とても残念だ。
結構時間をかけてまとめた応募用のレポートが無駄になってしまった。
ということで、モニターってこんな感じというのを紹介してしまおう、と思う。

「全体については報道番組らしく地元の話題を幅広く網羅したものになっていた。
話題は、事実関係中心に伝えるものと、特集的に内容を詳細に伝えるものとに分かれ、途中の天気概況を挟んで、前半には後者を、後半には前者をという構成になっていたようだ。
そのため、前半はじっくりと内容を味わいつつ視聴できたが、後半はやや足早に話題が流れていった印象だった。
できれば、前後半にそれぞれ内容を賞味できる目玉的な話題が配置されればと思った。
前半の「鰆」のブランド化という見応えのある話題に対し、後半はやや似たような話題で構成されたため、後半の印象が薄まったようだ。
放送時間が比較的長いので、内容の変化とバランスをもう少し工夫したらどうか。
個々については、「鰆」のブランド化の取り組みは興味深く視聴した。
特に印象的だったのは、「鰆」処理の過程を漁から調理までの段階毎に大変丁寧に取材し、それを映像化したことだった。
ニュース自体が、ブランド化への意気込みや細やかな配慮を詳細に伝えていて見事だった。
「詐欺」の講演は、できれば警察官のコント風なやりとりをもう少しまとめて見たかった。
それ自体が、視聴者に対する注意喚起に繋がると思われたからだ。
「ビデオ」投稿については、映像のきれいさには目を引かれたが、アナウンサー二人の軽妙なやりとりとビデオに録音された声とがかぶさって聞き取りにくいところがあった。」

元原稿は1200字だったけれど、応募条件が600字以内ということなので、半分にまで内容を削り落とした。
その分、やや分かりにくいところがあったかもしれない。


【16年12月7日】
『SENRYU Card(川柳カード)』送っていただく。
同人作品、句集評と読んでいく。
作品は、1行詩を読む感触。言葉と言葉の関係性と、そこからもたらされる飛躍の感触が、俳句とも従来の川柳とも異なるということを改めて思う。
つい、意味的なもの、五七五ながらに文脈をたどってしまいそうになるときがあるけれど、おそらくそれでは作品の面白さには達しないのだろうな、と思う。
時に、時事的な内容を詠う作品なども混じっているけれど、それは作者の志向の違いの反映なのだろう。
句集評では、小津夜景氏の論評が大変面白かった。
「みえけち」に異化の効果を認めて、それを軸とした作品評。
本体を見えるように否定する中で、本体と否定された本体との間の落差、ズレの感じを、本体に対する評価の基軸として利用するという方法論、その分析手法が面白かった。
今日は一日曇りのはずが、時折日のさす陽気になっている。
気温はさすがに低い。
5日は、松江の方に句会で出かける。松江城とその周辺を吟行して後の句会。
吟行句は持ち寄りの句とはひと味ことなり、詠われる素材に共通基盤があるので、共通の対象に対する自他の感受性の共通性・相違性などがかなりはっきりと伺われて、それが面白い。
句会終了後、改めて吟行地である松江城を再訪する。
句会で活性化された感性で、句会直後に改めて吟行地を巡り直すのは、十分意味のあることだと思う。
良い気分で帰宅。途中、中海の夕方に近づいた景がきれいだった。
月・火と変わらぬ毎日。
とはいえ、ちょっとだけ文章を書く。
作品評だけれど、ちょっと切れ字や季語のことなどを絡めて文章を書く。現在、原稿用紙6枚くらい。もう少しで終わりそうだ。
以前、評論を寄稿させていただいた個人誌『O』から、次号にということで原稿依頼があった。
文章を載せていただくことは、とてもありがたいことなので、書かせてもらいますと即メールを返す。
本を読むばかりではなく、文章として外に出すことで、心内のバランスが取れていることになるのだろう、と思う。
月・火両日は、合唱練習。夕方から3時間ほどのレッスン。
2日かけて、モーツアルト『レクイエム』とチルコットの合唱曲『故郷』の通し練習を行う。
楽しく練習できた。声が少し出やすくなってきているのかもしれない。


【16年12月4日】
日曜日。終日、雨天。
一日かけて、モニター3本の視聴とレポートまとめ。
さすがに少々疲れ、午後1時間ほど昼寝。
東京から、煎餅を送ってくれる。
墓参などのお礼ということ。
夕方、「真田丸」見る。
物語は佳境に入っている。
最終回まであと2回らしい。最終回は、表題はなし、ということをネットで読んだ覚えがある。
結局、初めて大河ドラマを通して見ることになりそうだ。
桐が魅力的な女性としておわりそうだ。
明日は、松江で吟行会。
中海を大根島経由で、1時間もあれば松江まで行けるだろう。
近所に、クリスマスを控えての電飾できれいに飾り立てた家がある。
夜の「あるき」の時には、その家の見物も兼ねて歩く。
京都でJ高校に赴任していた頃は、この時期になると学校の裏手の山の手の住宅地に何軒も競うようにしてきれいな電飾をほどこした家があって、仕事を終えた後のジョギングの際、わざわざそれらの家を見物に走ったことを思い出す。
本当に、びっくりするほど、凝った飾り付けの家が多くて、走るのが楽しかった。
今も、まだそうしているのだろうか。もう、やっていないのかもしれない。


【16年12月1日】
「塔」短歌会のブログを見ていたら、ヒイラギの花というのが話題になっていた。
冬の季語で、11月くらいに白い小さな花を咲かせ、モクセイ科の植物ということで、良い匂いがするらしい。
それにしても、お隣さんの垣根の植物はヒイラギなのだが、一向にその花を見た覚えがない。
実家のピアノ教室の方の家にも、道路沿いにヒイラギが植えてあり、昨日はその剪定もしたのだけれど、既に花期を終えていたのか、花を目にはしなかった。
今年のヒイラギの花を見過ごしたまま、12月に入ったということになる。
12月になった。
天気は、朝からいまひとつである。雨が降っていないということが幸いであるか。
吉本隆明の対談集を読む。最初は、江藤淳との対談であったが、読んでいくうちに、なぜか江藤淳が、奥様を亡くしてのち、自ら命を絶ったということが、しきりに気になりだした。
なぜ、自ら死を選んだのか。その真相は不明であるが、奥様の死、その後の自身の体調不良ということだけではなく、死への回帰的な思いがどこかにあったのではないか、というようなことを漠然と思ったりしたからだ。
対談の中で、根元的ななにものかの存在と、それに惹かれる自身の傾向を語っていた江藤淳にとって、たとえば死というものも虚無とはまた異なったなにものかであったのではないか、などとふと思う。
『唐詩選』もまもなく読了しようとしている。数ヶ月にわたり、ずっと漢詩を読んできて、やはり五言・七言の違いこそあれ、絶句形式が一番自分の身に合うということを思った。
これは一つの収穫であったように思う。
一時期、おそらく老眼の進行のせいで、本を読むことがちょっとしんどくなっていたことがあったけれど、それもその状態に慣れたせいか、さほどの不便を感じなくなった。
自身の老化現象といかにつきあっていくのか、ということがこの先も課題になっていくのだろう。
そんなことにふと思いがいくのも、12月という時期のせいかもしれない。